2011年10月16日日曜日

2011.10.16 わが友に贈る

若い人たちの
挑戦と努力を応援!
共に動き 語り
褒め讃えていこう。
自信が力になる!


立正安国論 P31
汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か

◇希望の明日へ
愚痴も嘆きも恐れもない、晴れやかな、強気の信心、勇気の一念。そこにこそ、妙法の偉大な功力は涌現する。強くなければ、真の功徳は味わえない。私は、あらゆる障害に一歩も退かず、正法を守り、学会を守った。ゆえに御本尊から、偉大なる功徳を頂戴したのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(8/9)
折伏は「難事中の難事」である。なかなか、弘教が実らず、悩んでいる友もいるであろう。
私自身、本当に苦労した。試行錯誤の連続であった。若き日の日記に、こう記したこともある。
「(友への)折伏の手紙、全部送り返される。正法を求める人の少なきを悲しむ。戦いは、毎日激烈を極む。唯、勝つことを願い、前に前に進む以外の道なし」
「(同志と)共に、大森に折伏にゆく。自分の折伏の下手くそに全く困る」

一生懸命に話しても、なかなか相手に通じず、悲しく、悔しい思いをする。しかし、さらに祈り、学んで、次は対話を実らせていこうと努力する。
上手くいかなかった佗しさなど、すぐに忘れ去って「次は断じて勝つ」と、たくましく挑戦を開始する。
この「能忍(能く忍ぶ)」の心を持ったことが生命の勝利だ。そして必ず、わが決意の通り、一念の通りに花開いていくのが「一念三千」の法理である。
その不屈の根性を誰よりもわかってくださっていたのが、戸田先生であった。
師はよく言われた。
「人に聞かしているだけで、それは折伏であり、聞法下種になるのです。すぐ功徳は出る」
折伏は、実っても、実らなくても、功徳は厳然とある。自身の成長と人間革命に直結し、相手への仏縁と真実の友情が広がることは絶対に間違いない。
幾多の先輩が、その実証を示してきた。折伏の実践のなかで、自らも境涯革命し、家庭革命し、職場にあっても勝利の結果を出して、信頼を広げてきたのである。
ゆえに自分らしく、何があっても、朗らかに強く、身近な友から一人、また一人と、地道に誠実に語っていけばいいのだ。
「雄弁は、言葉を選ぶところにもあるが、同時にまた、話す人の声の調子にも、目にも、顔の様子にもある」──フランスの文人ラ・ロシュフーコーの蔵言である。
自信なさそうに語れば、いくら正しいことを言っても伝わらない。題目を朗々と唱え、満々たる生命力で対話していくことが、何よりも重要なのだ。

満天下
 創価の君らが
  立ちゆけば
 世紀の勝ち関
  天まで響かむ