2011年10月3日月曜日

2011.10.03 わが友に贈る

青年に仏法を語ろう!
若き人材を
見つけて育てよう!
わが地区から
新しき地涌の陳列!

顕仏未来記 P509
伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云

◇今週のことば
「法華の題目は
獅子の吼ゆるが如く」
妙法の音声は無敵の力だ。
生き生きと 朗々と
勤行・唱題で勝ち開け!

2011年10月03日

◇希望の明日へ
潔く信心を貫き通した福徳は、あとになればなるほど無限に広がっていく。反対に、退転の人生は、時がたてばたつはど、苦しみの墳淋となり、末代にまで汚名を残す。これが大聖人の仏法の厳たる法理である。

☆質問13 私は「優しい人」になりたいのですが...

いちばん「人間らしい」人格をつくれ
優しい人は「強い人」。その人こそ「優れた人間」

優しさとは「心」の問題です。「心」は見えない。また「心」はじつに微妙で、デリケートなものです。
だから「優しさとは何か」と言われて、一ロで答えられる人はいないのではないだろうか。それくらい大きな問題です。それは「人間とは何か」という問題と一体なんです。
ある人が言っていたが、「優」しいという字は、人偏に憂うと書く。「人を憂う」—人の悲しさ、苦しさ、さびしさを思いやる心が「優しさ」でしょう。
この字はまた優秀の「優」という字です。「優しい」人、人の心がわかる人が、人として「優秀な人」です。「優れた」人なんです。それが本当の「優等生」です。
優しさとは、人間としていちばん人間らしい生き方であり、人格なのです。

優しさは、悪に対しても強い。仏法では、「怒り」は善にも悪にも通ずると説いている。善のための怒りは必要なことです。自分の感情だけで怒るのは畜生の心です。人間は偉大であるほど、その愛も大きい。愛が大きいから強いのです。優しいのです。
「性格が優しい」イコール「優しい」ではない。不正に対して戦わない、いざという時に力がないのは、「弱い」ことにすぎない。

優しさとは、損・得を度外視した友情です。
人が苦しんでいれば、苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。「立ち上がらせてあげよう」という勇気の心を与える。
人の不幸を、不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。分かちあおうとする。そのなかで、自分も成長していく。相手も強くなっていく。
優しさとは、よい意味での"励ましの道場"です。
大切なことは、相手に同情する──あわれむ──ということではなくて、「わかってあげる」ということです。「理解」することです。人間は、自分のことを「わかってくれている人がいる」、それだけで生きる力がわいてくるものです。

人間は、たいていの人が、心の中に「優しさ」をもっている。
しかし、大きくなるにつれて、自分が傷つくのを恐れたりして、優しさを胸の中に埋めたままにしていると、やがて本当に冷たい人間になってしまうのです。
そして、「自分中心」だと、周囲が全部、敵に見えてしまう。そこで、ますます自分を鎧で包む。権威の鎧とか、名声や地位の鎧とか、冷たさの鎧とか、「いばり」の鎧とか──。
それでは「人間性」ではなくて「動物性」になってしまう。

「自分が人間として向上していこう」という姿勢の心は、優秀な心であり、それ自体、優しさに通じる。
ゆえに「21世紀の主役」の諸君は、"強く""優しい"人間へと、自分自身を鍛え上げてほしいのです。
(『青春対話1』から)