わが地区の隅々まで
激励の手を打て!
リーダーの大情熱に
同志は奮い立つ!
聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
◇今週のことば
たゆまぬ行動のなかで
自身の境涯は開かれる。
「南無妙法蓮華経は
自行化他に亘るなり」
拡大へ 勇気の対話を!
2011年10月10日
◇希望の明日へ
一人一人の生命の「宝器(金剛宝器)」を、壊してはならない。せっかくの無量の福徳が、どんどん漏れていってしまうことになる。また器が清らかでなければ、たたえられた"幸福"と"歓喜"の深い味わいも、実感できない。「宝器」を内から壊したり、汚したりする大きな敵は、信心の"慢心"である。また"名利"の心であり、保身の"エゴ"である。これらによって、わが宝器に傷をつけ、妙法の永遠にして無上の功徳を失っていくことは、あまりにも残念なことである。慢心の人の生命は、器の口が閉じているようなもので、どんな温かい真心も、正しい道理も、素直に入っていかない。ゆえに感謝も成長もない。功徳も少ない。
☆随筆 我らの勝利の大道No.61 未来を開く青年大会(2/9)
わが師・戸田城聖先生は烈々と語られた。
「八畳一間から始まった松下村塾の吉田松陰の門下の手で、明治維新は達成された。学会も、中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」
歴史回天の舞台となった長州、すなわち山口県を、戸田先生は格別に注目されていた。この要衝で「広宣流布の拡大の旋風を起こせ」と、二十八歳の私に命ぜられたのである。それが「山口開拓闘争」である。
昭和三十一年──松陰が松下村塾で講義を始めた安政三年(一八五六年)から百周年に当たっていた。
この年、私は師匠の大誓願たる七十五万世帯の大法弘通の達成に向け、一潟千里で走り続けていた。五月には大阪支部で、一ヵ月に弘教一万一千百十一世帯という金字塔を成し遂げた。
九月初めの時点で、東京が十万、関西が六万という世帯に対し、山口県は四百三十世帯に過ぎなかった。
十月、そこに私は飛び込んだ。そして翌年一月には、約十倍の「四千七十三世帯」へと大飛躍を遂げることができたのである。