2011年10月5日水曜日

2011.10.05 わが友に贈る

激しい寒暖差に注意。
手洗い、うがいを励行し
体調管理を万全に!
生活リズムを整え
健康・快活の日々を!

可延定業書 P986
きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり

◇希望の明日へ
仏法は厳しい。感傷や人情論ではなく、宇宙の法則であるからだ。大聖人の仰せ通りに正法を持ち、広宣流布しゆく学会は、仏意仏勅の団体である。その学会を利用し、傷つけようとする罪が、どれほど大きいか。また、広布の陣列を離れていった人々の末路が、いかにみじめなものであるか。始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』(P290)との厳然たる"裁き"の御言葉は、これまでも真実であったし、これからも変わらない事実である。

☆魯迅生誕130周年記念シンポジウム 池田名誉会長の祝辞
魯迅先生は、民族を超えて心と心を通わせ、結合しゆく「連帯の哲学」を示し残してくださいました。
今回の大震災の被災地でもある宮城県の仙台市の友が大切な誇りとしている縁があります。それは、この地で結ばれた、魯迅青年と医学者・藤野厳九郎先生との師弟の絆であります。
魯迅先生は、一人の留学生である自分を真心込めて薫陶してくれた師匠の学恩を終生の宝とされました。
20余年の歳月を経て記された名作「藤野先生」には、「かれの写真だけは今でも北京のわが寓居の東の壁に、机のむかいに掛けてある。夜ごと仕事に倦んでなまけたくなるとき、顔をあげて灯のもとに色の黒い、痩せたかれの顔が、いまにも節をつけた口調で語り出しそうなのを見ると、たちまち良心がよびもどされ、勇気も加わる」(竹内好訳『魯迅文集2』ちくま文庫)と綴られております。
国家間の政治・経済次元の関係は、時とともに変化を免れないものでありましょう。しかし、教育・文化の次元で深く結ばれた人間の心の信義は揺らぎません。
私は、尊敬申し上げる周恩来総理とお会いした翌年の1975年、貴・中国からの(日中国交正常化後)最初の6人の国費留学生の方々を、わが創価大学にお迎え申し上げました。その私の心には、魯迅先生や周総理が喜んでくださるような青年交流、人間交流の道を開きたいとの強い願望があったのであります。
魯迅先生は「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(竹内好訳『魯迅文集1』ちくま文庫)と達観されました。その通り、賑やかな青年の往来の積み重ねによって、貴国との平和友好の道は大きく築かれました。この潮流は、もはや決してさえぎることはできません。
ありがたいことに、このたびの大震災にあっても、まさにその当日、貴国からは真っ先に支援の申し出を賜りました。2日後には初の緊急援助隊も駆け付けてくださいました。"文化大恩の国"からの真心に、皆が感涙しました。この場をお借りしまして、心から御礼申し上げます。