「断じて勝つ」
「私が道を開く!」
この一念から
勝利の歴史が始まる。
題目根本で進め!
新池御書 P1443
『相構へていかにしても此の度此の経を能く信じて命終の時千仏の迎いに預り霊山浄土に走りまいり自受法楽すべし、信心弱くして成仏ののびん時某をうらみさせ給ふな』
◇希望の明日へ
人知れず、人一倍の努力をする。最善を尽くしたうえで、さらに努力する。いずこの世界であれ、これこそが大成への鉄則であり、法則である。反対に、"もうこの辺でいいだろう"と努力をやめる。それは慢心であり、成長が止まってしまう。必ず行き詰まってしまう。いわんや、信心の世界は、もっと厳しい。謙虚な求道心を忘れ、自分をたいした存在と思ったとたんに堕ちてしまう。幹部も、地位を得た人間も、皆そうである。
☆青年たちよ!もっと夢を持て(2005.03.16 千葉日報)
我が家のルーツも千葉県である。東京に移ってからは、大森で大規模に海苔を作っていた。しかし私の少年時代は父が病に伏し、働き手であった四人の兄達は次々に戦争にとられ、生活は困窮するばかりであった。それでも、母は「うちは貧乏の横綱だよ」と朗らかだった。
私は少しでも家計を楽にしたいと、小学六年生から三年間、新聞配達をした。冬の朝などは辛かった。手の指が痛い程、かじかみ、息も凍える。途中でイヤになる時も「次の一軒までは頑張ろう」そしてまた「次の一軒まで」と、自分で自分を励ましながら、懸命に配った。終える頃には、体も温まり「今日も一日やりきった」と、気分は爽快であった。
配達先に親切な若夫婦が居て、いつも、労いの声を掛けてくれた。夕刊の配達の後、食事に招いて下さった事もある。
「発明王エジソンも、少年時代に新聞の売り子をしながら勉強したんだ。若い時に苦労した人が幸せなんだよ」との激励は、今もって心から離れない。
元々体は強くなかった私が、世界を掛け巡れるようになったのも、この新聞配達で鍛えたお蔭であろう。一つの仕事をやり通す中で、私は多くの事を学び、掴んだ。
「今、自分が何をしたらいいか、分からない」と言う人はまず何か一つ、「やり切った」と言えるものを作ったらどうだろうか。朝、登校したら「おはよう」と声を掛ける。昼休みに十分でも本を読む。夕食の後片づけを手伝う等々、身近に出来る事からでもいいと思う。
人と比べる必要はない。昨日の自分と比べてどうかだ一歩でも、一ミリでも前へ踏み出した人は、もう勝っているのである。