2011年6月15日水曜日

2011.06.15 わが友に贈る

仏法は本因妙。
「今」の決意が
必ず「未来」を開く。
さあ、これからだ!
新しい前進だ!

妙法尼御前御返事 P1404
日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし

◇希望の明日へ
人間の織りなす世界には、年齢や立場など、さまざまな違いがある。問題は、その違いを生かしながら、絶妙な調和の世界とするか、反対に、複雑で感情的な、葛藤の世界としてしまうか、である。その分かれ目は、やはり一人一人の心、一念の姿勢にある。つねに、多くの人々から学び、成長していこうとの、みずみずしい"求道の心"をもっているかどうかにある。その意味において学会員は、どこまでも大聖人の仰せのごとく、御本尊を根本に、法のため、広布のため、ともに学びあい、尊重しあい、守り合いながら、真撃に生き抜いていきたい。

▽社会で勝負せよ。それが本当の仏法の闘争−恩師。青年よ自分の足場で光れ

☆勇気の泉 No.27
「大聖人は、『譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこ(運)びて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』(P1440)と仰せです。
自身の一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。
地涌の菩薩である私たちが、この世に生を受けた意味は、広宣流布のため、人びとの幸福と社会の繁栄のために、行動し続けるためなんです。
牧口先生は、高齢の身で、牢獄にあっても戦い続け、仏法の正義を叫び抜かれました。
私も、牧口先生のように、七十になろうが、八十になろうが、命ある限り、動きに動きます。語りに語ります。書きに書き、叫びに叫びます。戦って、戦って、戦って、戦い抜いていきます。私は、その決意です。
見ていてください。そこに、仏道が、わが人生の完勝があるからです
『新・人間革命』第16巻「入魂」の章