2011年6月2日木曜日

2011.06.02 わが友に贈る

広宣流布は
「声」の力で進む。
さあ勇気凛々と語れ!
飾らず気取らず
真実を叫び抜け!

土篭御書 P1213
法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ

◇希望の明日へ
同じ現象でも、どうとらえるかによって、その意味はまったく違ってくる。その意味で、信心は、すべてを前向きに受け止めていく心の"バネ"とも言えまいか。とともに、どんなに変化に満ちた道程も、一念の"ハンドル"によって、正しき方向へ、歓喜と満足の方向へ、そして幸福の方向へと、力強く回転させていく。これが妙法である。世間体や表面的な次元にとらわれた生き方では、どこまでも安心感は得られない。いつも何かに左右され、"残念だ、残念だ""困った、困った"と愚痴の絶えない場合が、あまりにも多いものだ。正しき信心の軌道に、不幸への逆コースはない。必ず前へ前へ、成仏の方向へと進んでいくことができる。


▽自分が成長し自分が責任を持てば一切に勝利する−恩師。敢然と一人立て

☆随筆 我らの勝利の大道No.47 青年の新たな陣列
「一対一の対話」がいかに大事か──。
法華経には、その深き意義が明らかにされている。
若し是の善男子・善女人は、我が滅度の後、能く(ひそ)かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(創価学会版法華経P357)
法師品の有名な一節だ。
師匠の後を受け継ぐ、弟子の「実践論」が凝縮された仰せである。
人生は千差万別である。
悩みを抱えている友がいる。夢に向かって一生懸命な友もいる。道に迷っている友もいよう。その目の前の「一人」と向き合い、誠実に、対話を重ねていく。
すべては、ここから始まる。
勇気を奮って、たった一言「この仏法はすごいよ」と語るのが、精一杯の時もあろう。それも、立派な折伏である。
相手がまともに聞いてくれない時もあるかもしれない。それでも、友の胸中に具わる仏性には必ず届き、響いている。
深き生命の次元から見れば、仏の種子は蒔かれ、やがて必ず芽吹く春がやってくるのだ。
これが聞法下種である。
誰が見ていようがいまいが、粘り強く、対話を貫くことだ。その人こそが、一切衆生を救済するという「仏の仕事」を、現実の上
で行っている最高に尊い「仏の使い」なのである。