これぞ沖縄精神だ。
世界に輝く宝島から
平和と正義の万波を!
師弟勝利の魂の舞を!
四菩薩造立抄 P989
『私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし』
◇希望の明日へ
"悩める友のために"動く。友の幸せのためなら、どこへでも行く。どこまでも行く。まさに"菩薩道"の実践である。友のために祈り、動いた分だけ、黄金の歴史が、生命に刻まれていく。それが因果の理法である。
☆全国各部協議会でのスピーチ
戸田先生は、良書を読むことによって、ますます教学の理解が深まり、仏法の一分が分かるようになるとも語っておられた。
戸田先生も、よく壮年部や男子部を激励された。
「男じゃないか!」
「男らしくやろうじゃないか!」と
ゲーテは、ある時、友への手紙にこう綴った。
「君がとかく苦労しまいとする事は、悪いことである」
苦労は、自分が背負う。後輩は、ほめて伸ばしていく。それが妙法のリーダーだ。
誠実にやるのだ。
自らが打って出て、人と会い、人と語り、熱い握手を交わし、心を通わせていく。
陰で苦労を惜しまぬ友、最前線で真剣に戦う友に、最敬礼して心から感謝していくのだ。
ゲーテは『若きウェルテルの悩み』の中で、こう綴っている。
「人間がお互いに苦しめあうほど、いやなことはない」
「自分をも身近の者をも傷つけるようなことは、当然悪徳と呼ぼるべきですよ」
その通りである。
ましてや、信心の世界は、全員が尊敬し合い、幸福になるためにある。
幹部の倣慢さや無責任によって、大切な同志が苦しむようなことは、絶対にあってはならない。
それは信心の世界ではないからだ。
仏法の因果は厳格である。
同志をいじめた人間は、必ず諸天善神に叱られる。
同志を大事にした分だけ、必ず諸天善神から護られる。
先輩幹部は、たとえ自分が犠牲になってでも、後輩が楽しく、伸び伸びと広布に戦える舞台をつくってあげることだ。それが先輩の役目である。