新たな友情の劇は
そこから始まる。
爽やかな挨拶で
地域に信頼の連帯を
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
◇今週のことば
「行学の二道を
はげみ候べし」
さあ伝統の教学試験だ!
「勝利の経典」を学び
共々に境涯を開きゆけ!
2009年11月23日
◇希望の明日へ
組織がなければ、一人で正しい信心を貫くことは、きわめて難しい。大聖人の教団も、現代的にいえば広宣流布の組織である。釈尊も組織をつくった。社会も組織、人間の体もみな、組織である。そして学会の組織は、全員がつねに伸び伸びと、それぞれの使命を果たしゆくための組織なのである。
☆随筆 人間世紀の光 No.211 師弟こそ「創価の魂」
牧口先生は「緒言」で、戸田先生に最大の感謝を捧げられた。
「戸田城外君は、多年の親交から、最も早い(創価教育学説の)理解者の一人として、その自由な立場で経営する時習学館で実験して小成功を収め、その価値を認め、確信を得た。
それで私の苦悶の境遇に同情し、自らの資財をなげうって本学説の完成と普及に全力を捧げようと決心してくれたばかりか、今や、主客転倒、かえって私が彼に引きずられる有り様となったのである」
師匠が「主客転倒」とまで言ってくださる。その一言の背後に、どれほど弟子の粉骨砕身の激闘があったことか。どれほど師は安心されていたことか。
師から命じられて動いたのではない。師の悲願の実現を誓った弟子が、進んで戦いを起こしたのである。
自発能動である。「弟子の道」は、弟子自身が断固として決定していくのだ。
"私には師匠がある"と一生涯、胸を張って、堂々と言い切れる自分自身であることが、自分を無限に成長させるのだ。
ともあれ、師弟不二とは、弟子の側の決意、誓願によって決まる。
創価学会は、師が創って弟子が続いたのではない。その最初から、師弟不二の尊き結晶なのである。
この師弟の道に徹する生命には、誉れ高き大勝利者の力が湧き起こってくる。最高に愉快な充実の青春、そして最大に満足の人生を送っていけるのだ。
仏法は、永遠に「仏」と「魔」との大闘争である。釈尊、そして日蓮大聖人の広宣流布の大願を、末法濁悪の世に実現するために、創立の父は決然と立ち上がられた。
経文通り、御書の通りに三障四魔、三類の強敵を呼び起こされた牧口先生は、何ものも恐れることなく、「師子王の心」で戦い抜くことを示してくださった。
そして昭和19年(1944年)の11月18日、奇しくも創立の記念のその日に、巣鴨の東京拘置所で荘厳な殉教を遂げられた。
創価のすべての門弟が、広宣流布への「不惜身命」「死身弘法」の魂を、わが生命に厳粛に燃え上がらせゆく原点の日──それが、11月18日である。
観念論でも、口先だけの大言壮語でもない。現実に何をしたか。広宣流布をどれだけ進めたかだ。
「一歩も退かず、大折伏をして、牧口先生の仇を討っていくのである」とは、青年に語られた戸田先生のご指導である。