讃え合い
励まし合って進め!
仲が良いことが
幸福と勝利の源泉だ
観心本尊抄 P254
『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』
◇希望の明日へ
特権階級ができれば組織は権力化し、腐敗する。指導者は、第一にも第二にも公平でなければならない。いかなる意味でも"閥"ができれば、崇高な目的に進む団結は不可能である。
☆随筆 人間世紀の光No.104 伝統の「座談会」の思い出
御聖訓には、『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』(P 951)と仰せである。
つまり、皆が集まり、御書を学び合い、互いに励ましあい、信心を深め合う座談会こそ、日蓮仏法の正しき実践の在り方なのである。
ある時、牧口先生に、一人の青年が意見を述べた。
「座談会ではなく、もっと大規模な講演会形式にした方がいいと考えますが……」
先生は言下に答えられた。
「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。
日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」
牧口先生は、たった一人のためにも、遠路をいとわず訪ねられた。相手が一人いれば、そこが座談会になった。
先生の信念は獄中にあっても微動だにしない。
「さあ、問答をしよう!」相手は取調官である。
「よいことをしないのと、悪いことをするのと、その結果は同じか、違うか」
理路整然と、宗教の正邪を論じ、折伏されたのだ。
戸田先生も、ご自身の会長就任式で、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話からだ」と叫ばれた。学会をこよなく賛嘆されていた大学匠の堀日享上人も、常々、「創価学会の強さは、今までにない布教法にある。それが座談会だ」と言われていたという。
『一は万の母』である。
「たった一人でもいい。目の前の一人に、この大仏法を語らずにはおくものか!」
広宣流布の拡大は、この歴代会長の一念から始まったのである。