2022年8月25日木曜日

2022.08.25 わが友に贈る

「八つのかぜにおかされぬ
を、賢人と申すなり」
障魔に紛動されない
信念強き人こそ勝利者!
嵐に動かぬ大樹たれ!
(新1565・全1151)

法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』

【通解】
わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。

名字の言 冒険家・三浦雄一郎氏の「人生で最高の瞬間」 2022年8月25日
「人生で最高の瞬間」はいつか。冒険家の三浦雄一郎氏は、それを「挑戦している時」と語る。5日付本紙・北海道版のインタビューだ。氏は80歳で世界最高齢のエベレスト登攀を成す。89歳の現在も、病と闘いながら来季の富士山登頂を目指して挑戦を重ねている▼北海道のある壮年は数年前、病気で体が不自由に。"年も年だし"と一度は家にこもった。だが入院中から励まし続けてくれた同志に「心で負けてはいけないよ」と言われ、ハッとする▼外に出て、車いすでまずは近所を回ることにした。それを決まった時間に毎日続けた。すると「頑張ってるね」「手伝いましょうか」と何人もの住民から声を掛けられた。何げない会話から友好対話の輪が広がり、今ではその多くが友人になった▼人生はよく山登りに例えられる。新たな決意で挑む"山"は、その人にとっての"最高峰"。まだ見ぬ自分の可能性を信じ、少しずつでも理想の頂上へと歩みを進められるかどうか。険難の山道を登り切ってこそ、新しい"景色"を見ることができる▼先のインタビューで、氏はこうも述べていた。「誰だって何かに挑戦できる。その一歩一歩に感動がある」。限界をつくるのも破るのも、全ては自分自身である。

寸鉄 2022年8月25日
青年は全世界を救おうとの理想を持て—戸田先生 平和と希望の連帯を拡大
「教主釈尊とは、我ら衆生のことなり」御書。全員に尊厳。民衆こそ主役!(新1723・全1446)
情熱は必ず人を承服させる雄弁家—文人ラ・ロシュフコー。真剣な声と熱意が友の心動かす
台風が発生しやすい時季「前々の用心」で万全の備えを。最新情報を確認
悪質な"副業詐欺"の問題相次ぐ。「簡単に儲かる」等の甘い話に騙されるな

〈社説〉 2022・8・25 今秋の任用試験に向けて
◇新しい心で新しい価値を!
今秋、4年ぶりに教学部任用試験(仏法入門)が行われる(11月6日。申し込みは10月2日まで)。下半期が始まり、御書と「大白蓮華」8月号(任用試験特集号)を開いて研さんに本腰を入れ始めた人も多い。範囲は御書3編と「教学入門」「世界広布と創価学会」。任用試験は、挑む人にとっても、教える人にとっても、「南無妙法蓮華経」「十界互具」などを通して、世界最高の生命哲学に触れる"大いなる精神の旅"である。そして末法の御本仏である日蓮大聖人と、創価三代の不屈の歴史を知る"時を超えた対話"でもある。
学会の創立記念日は1930年(昭和5年)11月18日。その4日前、首相の浜口雄幸が東京駅で狙撃された。同じ月、牧口常三郎先生が世に問うた「創価教育学」を高く評価した人物に、「憲政の神様」といわれた犬養毅がいる。戸田城聖先生が編集長をしていた雑誌「環境」に、「賛『創価教育学』」という一文を寄せ、新渡戸稲造らと共に創価教育の支援に名を連ねた。しかし犬養は1年半後、現職の首相として「五・一五事件」で凶弾に倒れる。
「創価」が産声を上げた時代。それはテロやクーデターの恐怖を伴い、「国家主義」という誤れる宗教が暴走し始めた時代だった。その渦中で、先師は言論戦に徹し「対話」の労を惜しまなかった。「創価」の二文字には、暴力ではなく対話こそが価値を生むのだ、という師弟の魂が刻み込まれている。今回の範囲である「創価学会の歴史」には、池田大作先生が世界広布の道を切り開いた経緯が記されている。その根本に、脈々と「師弟一体」「師弟共戦」の心が流れていることを確かめたい。
教学試験に取り組むカギもまた一対一の対話にある。ある副白ゆり長は4年前の受験の際、「同じマンションだった女性部の先輩に教わりました。共に勤行し、学んだ後、当時の悩みなどを聞いてくれました。週に2回ほどの勉強会は、とても良い思い出になっています」と語る(7月29日付、徳島版)。ここに学会教学の醍醐味があり、真髄があるといえよう。
慣れ親しんできた「異体同心」(新2054・全1463等)の一言も、コロナ禍で会えない友と心通わす挑戦を経てきた今、より深く"身で読む"ことができる。任用試験を、新しい心で、新しい価値を生み出す好機にしたい。

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 平和案内人 平野大壽
◇被爆2世の使命を胸に
【プロフィル】ひらの・だいとし 長崎で被爆2世として生まれる。ボランティアガイド「平和案内人」4期生。1964年(昭和39年)入会。73歳。副圏長(地区部長兼任)。

◇核兵器の脅威を伝える
きょうは、"77回目"の8月9日。この日が巡り来るたびに、戦争で亡くなられた方々の冥福を祈り、恒久平和への決意を新たにします。
長崎を象徴する「平和祈念像」の両目が、軽く閉じられているのをご存じでしょうか。像も祈りをささげています。また、天に向けられた像の右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばされた左手は「平和」を表しているのです——。
私はこのように、長崎原爆資料館の展示や被爆遺構などを通して、平和の尊さを伝える「平和案内人」のボランティアを務めています。
海外の方を案内する時もありますが、平和を求める心に、国籍や人種の違いはないことを強く感じます。
日蓮大聖人が「立正安国論」で、「国土泰平・天下安穏は、一人より万民に至るまで好むところなり、楽うところなり」(新43・全31)と仰せのように、平和こそ人類の悲願です。
私の平和運動の原点は、原爆に苦しむ母の姿にありました。

◇生きる希望を抱く
母は27歳の時、爆心地から1・5キロの場所で被爆。奇跡的に無傷でした。近くの山から見下ろした町並みは火に覆われ、水を求める人々がさまよっていたようです。「地獄絵図だった」——幼い頃から、そう教わってきました。
小学校から帰宅したある日、私の目に飛び込んできたのは、洗面器を抱えて吐血する母の姿。"死んでしまうの?"——目の前の恐怖に身震いしたことが忘れられません。
年を経るごとに、母は衰弱し、黄だん症状が現れました。当時、被爆の後遺症への理解は浅く、周りから"なまけもの"とみなされ、非難や差別の対象でした。
母は、私たち5人の子どもの前で悲嘆に暮れるのです。
「飛行機のエンジン音を聞いたらパニックになる」「死んだらどんなに楽になるか……」
戦時中、父は徴兵で被爆こそ逃れたものの、家業の反物屋は焼失。懸命に働くも、貧しい暮らしでした。誰もが、戦争で人生を狂わされたのです。
そんなわが家の不遇を見かねて、親戚の学会員が仏法を教えてくれました。中学生だった私は、入会を拒みましたが、気持ちが変わるまで1年もかかりませんでした。信心を始めた母が、生きる希望を抱き、明るく変わったからです。
その後、容体が悪化した母は入院。原爆の影響による肝臓疾患や白血球の減少が判明し、余命1年を告げられます。すでに被爆から20年が経過していました。
この時、初めて原爆への激しい憤りを覚え、真剣に母の回復を祈りました。母の生命力はすさまじく、半年で退院。その姿を通し、私に被爆2世として、平和を希求する意思が芽生えたのです。

◇命の限り
1973年(昭和48年)、長崎青年部で、被爆証言集を出版することになり、私も一員に加わりました。
聞き取りを依頼しても、「あの日のことは、二度と思い出したくない」と口を閉ざすなど、心に深い傷を負った方も珍しくはありませんでした。
「被爆の実相を後世に伝えたいんです」——制作の意義を真剣に語りながら、一人一人に取材を重ねました。私たちは、本作りの素人です。毎年、8月9日を目指した編集作業は悪戦苦闘。仕事と学会活動を終えてから作業に当たります。先輩に原稿を出しても、原形をとどめないほど直される(苦笑)。
暑かった、疲れていた、眠かった——それでも、やめたいと思ったことは一度もありません。全ての労苦が平和へつながっているんだ、との使命感があったからです。
御書には、広宣流布という大目的に生きる覚悟について、「命限り有り、惜しむべからず。ついに願うべきは仏国なり」(新1283・全955)と示されています。
平和と繁栄の国土を築くという大理想を目指せば、困難は必定です。ゆえに、どんなことがあっても、命の限り、平和への挑戦をやめないことが、創価学会員としての信心の実践だと胸に刻んできました。
私は、5年間で6冊の反戦出版に携わりました。そして、今日の青年部・未来部にも、証言の聞き取りが継承されていることを、とても頼もしく思います。
母は入退院を繰り返しながらも、85歳まで生き抜きました。戦争と原爆という、不条理に翻弄された母でしたが、「信心して良かった。本当に幸せだった」——そう語っていました。母が語り残してくれた平和への願いは、私の子どもたちから、孫へと受け継がれています。
年を経るごとに被爆の実体験を語れる人は少なくなります。一方で、核兵器使用の脅威が高まる世界情勢が今も続いています。
同じ人間として思いやり、困難な課題に手を携えられたら、どれほど幸せなことでしょう。想像するだけで、心は躍り、いてもたってもいられません。命の限り、核兵器の脅威と平和の尊さを訴え抜いていきます。

◇[視点]後継を育む
時の経過とともに、戦争体験は風化していきがちです。平野さんは、「子どもの頃から、すでに戦争の風化は始まっていました」と語っていました。凄惨な過去を忘れて少しでも前に向かって生きたい、との思いがあったからだといいます。
戦争という過ちを絶対に繰り返してはいけない、との確たる意志を未来の世代にどう伝え残していくか。
日蓮大聖人は、後継の門下のことを「法華経の命を継ぐ人」(新1590・全1169)と大慈悲で包み、大切に育まれました。「法華経の命」とは、言い換えれば、法華経の説く「万人成仏」の教えです。創価学会は、この哲理を根本に、生命の尊厳を世代から世代へと託し、平和の連帯を広げているのです。