マスク着用・手指消毒
定期的な換気の励行など
感染予防の徹底を!
賢明に創意工夫を凝らし
希望の歩みを朗らかに!
治病大小権実違目 P998
『而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑えず日本一同に日蓮をあだみて国国郡郡郷郷村村人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり』
【通解】
しかるに、この三十余年の三災・七難の原因は、全くほかのことではなく、日本一同が日蓮を怨んで、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに、上一人から下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起こしているからである。
名字の言 796グラムで生まれた男児の成長の軌跡 2022年8月19日
2003年11月14日。この日の本紙に、当時連載していた池田先生の小説『新・人間革命』「創価大学」の章の第1回が掲載された▼同じ日、都内の病院で1人の男の子が生まれた。か細い産声を上げた彼の体重は796グラム。右手の指と右腕には障がいがあり、右の肺は気管支鏡でも確認できなかった。医師は両親に「2週間がヤマです」と告げた▼彼の生命力は、その"険難の峰"を越えた。ただ、その後も試練は続く。脳性まひの影響もあり、歩けるようになったのは3歳だった。小学生の時は、体育着の着替えや給食などで、級友に遅れまいと頑張りすぎて、体調を崩したこともある▼それでも両親の祈りと愛情に包まれた彼は、着実に成長していった。小学6年で少林寺拳法を始めた。後年、初段を勝ち取り、黒帯に金文字で「不撓不屈」と刺しゅうを。彼と両親は、この4文字を心に刻み、前に進んだ▼彼には夢があった。"創価大学で学びたい"——今春、その夢を実現した。創立者の池田先生は入学式にメッセージを贈った。「偉大な使命を自覚して勇敢に立ち向かうならば、艱難をも飛翔の力へ変えて、計り知れない高みへ上昇することができます」。その通りに生きてきた彼は、堂々と胸を張る。
寸鉄 2022年8月19日
さいわいを万里の外よりあつむべし—御書。各人が幸福をつかむ為の信心(新2037・全1492)
広宣流布とは人間のための社会の建設—戸田先生 一人への励まし絶やさず
出会いの一瞬から新たな人間関係、友情が始まる。挨拶一つに真心を込めて
世界人道デー。生命尊厳、万人平等の思潮を今こそ時代精神に。市民の声で
日頃から災害の備えを。ハザードマップはPCやスマホ等でも確認が可能
〈社説〉 2022・8・19 きょう「俳句の日」
◇短い言葉にも心動かす力が
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」。松尾芭蕉の「おくのほそ道」の一句で、彼の心象風景が鮮やかに浮かぶ名句だ。
きょう19日は、「俳句の日」。は(8)い(1)く(9)の語呂合わせが由来。
池田先生は「どんなに忙しくても、花を愛し、生命の神秘に感嘆し、自然の美しさに心和ませる精神の余裕を忘れてはいけない。また、音楽を聴き、文学に親しみ、詩や俳句を詠むぐらいのゆとりが必要だ」とつづっている。多忙な日々の中でも、ぜひ文化の薫りに触れていきたい。
俳句は近年、幅広い世代に広がり、愛好家の裾野を広げている。その立役者の一人が、17日付の本紙「幸齢社会」欄に登場した俳人・夏井いつきさん。彼女は長年、"俳句の種まき"運動を通じ、その魅力や面白さを発信している。
先月、教育誌「灯台」の夏井さんの連載を書籍化した『夏井いつきの<今日から一句>』(第三文明社)が発刊された。夏井さんが、読者からの投句を添削しながら、俳句作りのイロハを伝える同企画は、7年続く人気コーナーとなっている。
同書の中で、夏井さんは「苦しい出来事に直面するたびに、俳句によって救われてきました。(中略)俳句にすることで自分を俯瞰して、一歩前に踏み出すきっかけとなります。悲しみやつらさを客観視することで心の痛みを和らげてくれるのです。まさに、『俳句ある人生に退屈とムダはなし』なのです」と語る。
俳句が人々の心をより豊かにし、人生を前向きに捉える力を与えると信じる、夏井さんの強い思いが感じられる。
「言葉と、生きていく。」を標榜する弊紙も、日々、人々を励ます「言葉の力」を信じ、発信し続けている。学会の歴史は、目の前の一人に寄り添い、希望と励ましの言葉を投げ掛け、「言葉の力」を体現してきた活動の積み重ねともいえよう。
御書には「言と云うは、心の思いを響かして声を顕す」(新713・全563)とつづられている。
たとえ短くても真心こもる言葉は、心を動かすことができる。メールで、電話で、直接会話して……。心の思いを伝える手段はさまざまだ。残暑の季節、詩心を感じながら、励ましの言葉を送る充実の日々を送っていこう。
☆SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ
◇戸田先生「人間の生命には無限の可能性」 忍耐の挑戦で希望の未来を
一、人類を「希望の光」で照らしゆく22期生の皆さん、そしてまた、誇り高く大学院に進学する皆さん、晴れの門出、誠におめでとうございます。
送り出してくださったご家族にも、心より感謝と祝福を申し上げます。
打ち続くコロナ禍の困難な中で準備を重ね、新入生を迎えてくれた、教職員をはじめ大学関係者の皆さん、在学生の皆さんにも、深く御礼を申し上げます。
一、毎年、ここアリソビエホの丘に、最優秀の新入生を迎える8月は、私にとって、19歳で師と仰ぐ偉大な平和の民衆指導者・戸田城聖先生と初めて出会った月であります。今年で75年となります。
第2次世界大戦下、信念の獄中闘争を勝ち越えた戸田先生が、戦後の荒廃し切った社会で一貫して訴えられたのは、「人間の生命には最極にして無限の可能性がある」ということでした。尽きることのない希望も勇気も智慧の泉も、一人一人の生命の中にある。それを涌現させていくならば、個人の幸福も、社会の平和と繁栄も必ず実現できる、との信念であります。
私たちの大切な友人であり、SUAにゆかりの深い、アフリカの環境運動の母ワンガリ・マータイ博士も語っていました。
「希望は花のようである。どんな状況においても、誰が見ていようがいまいが、花は精一杯、咲き誇る。人間もまた同じである」と。
国家や民族、思想や宗教など、あらゆる差異を乗り越えて連帯を築き、全ての人の尊厳が保障される、持続可能な地球社会を創造していくことが、今ほど求められている時はありません。世界の各地から多彩な学生が集うSUAのキャンパスこそ、世界市民を育む「英知の大城」です。地球民族が切望してやまない「世界平和の揺籃」です。
どうか、「わが生命には宇宙大の可能性がある」と胸を張り、日々の地道にして忍耐強い一歩一歩の挑戦が、人類の希望の未来を開きゆくとの誇りに燃えて、朗らかにして不屈の楽観主義で堂々と進んでいってください。
敬愛してやまない皆さんの前途に、健康あれ! 栄光あれ! 勝利あれ! と祈りつつ、私のメッセージといたします。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第22回 ガリレオ・ガリレイ
〈ガリレオ・ガリレイ〉
ただ座って考えていても進歩はない。
他人の報告を信じるだけではなく、自分の眼で確かめることが大事だ。
夏の楽しみの一つといえば、天体観測だろう。暑い一日を終えた後、夜風に吹かれながら星空を見上げると、心も果てしなく広がっていく。
あす12日は満月。さらに、天候が良ければ、翌13日にかけて「ペルセウス座流星群」が見られるかもしれない。
その天体観測を、はるか400年以上も前に望遠鏡を使って始めた人物がいる。「近代科学の父」と仰がれる、イタリアのガリレオ・ガリレイである。
「ただすわって考えているだけでは、科学の進歩はありえない」「どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」——彼が残した言葉は、その人生が行動と探究に貫かれていたことを物語っている。
ガリレオは1564年、同国北部のピサに生まれる。父の方針で幼い頃から家庭教師に教育を受けた。経済的事情により修道院学校に通った時期もあったが、多彩な才能を磨き、17歳でピサ大学に入学。そこで宮廷数学者リッチの講義に魅了され、数学の道を志すようになる。
後に大学は中退するものの、働きながら研究を継続。その成果が認められ、25歳でピサ大学の数学教授に就任した。
ガリレオは講義の傍ら、自らの研究を進め、物体の運動と落下に関する本を執筆する。その際、「ピサの斜塔」で行ったとされる実験で、重い鉄球と軽い鉄球が同時に落ちることを確かめ、落下の速さは重さと無関係であるとの結論を示す。
当時のヨーロッパの科学は、2000年前から続く古代ギリシャの思想に支配されていた。しかし彼は、論理の応用だけで結論を導き出すという常識にとらわれず、実験と検証を重ねることで真実に迫り、近代科学の扉を開いていったのである。
〈ガリレオ・ガリレイ〉
これから発見できることはまだ山ほどある。
新しい世代の人間にも、やることはいくらでも出てくる。
1604年、夜空に突如、超新星が現れ、科学の世界に衝撃が走った。「宇宙は安定した不変のものである」との学説が揺らぐことになったからだ。
この5年後、望遠鏡がオランダで発明されたことを聞いたガリレオは、その構造の説明をもとに自ら製作に着手。やがて約30倍の高倍率へと改良し、天体観測を開始する。
そして、月の表面のクレーターをはじめ、木星の衛星や金星の満ち欠けなどを発見。それまで定説とされていた、太陽や星が地球の周りを回る「天動説」は誤りであり、太陽の周りを地球が回る「地動説」が正しいことを確信したのである。
ガリレオの偉業は多くの大衆から支持されたが、先駆者の宿命ともいうべき迫害の嵐が彼を襲う。嫉妬に狂った人々が、地動説は聖書の教えに反するという言いがかりをつけ、ガリレオを異端審問所に告発。地動説を捨てるよう命じられたのだ。
だがその2年後、空に三つの彗星が現れ、再び天動説と地動説を巡る論争が巻き起こる。彼は言論の力で地動説を証明することを決意。「われわれはもはや、暗黒も、真っ向から吹つけてくる嵐をも、恐れる必要はありません」——大病を抱えながら、約6年かけて大著『天文対話』を書き上げたのである。
発刊後、ガリレオは宗教裁判にかけられる。判決は終身刑。翌年には彼を支え続けてきた最愛の娘が病で急死してしまう。
相次ぐ苦難は彼を絶望の闇に突き落とした。しかし、失意の底にいながらもガリレオは絶対にくじけなかった。その原動力となったのは、真実への飽くなき探究心であり、不正への激しい憤怒であった。
「もう沢山のことが発見されたが、これから発見できることはまだ山ほどある。だから新しい世代の人間にもやることはいくらでも出てくる」「無知とは、もろもろの悪意、嫉妬、瞋恚の母であり、他のすべての悪の中で、最も卑劣で醜い罪悪である」
厳しい監視にも耐え、ガリレオは命が燃え尽きるまで真理を追い求めた。亡くなったのは42年1月、77歳の時。遺骸は礼拝堂から離れた場所に葬られる。
ガリレオには愛弟子のヴィヴィアーニがいた。死後も続く冷遇に怒った弟子は、師匠の伝記を刊行し、全集を編さん。礼拝堂への改葬と記念碑の設置を願い、生涯を閉じた。
この弟子の悲願が成就したのは、約30年後のことである。
今年はガリレオの没後380年の節目に当たる。
〈ガリレオを語る池田先生〉
歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動している。
何があってもくじけずに、努力を続けた人が最後に勝つ。
「挑戦の人」「信念の人」たれ!
1994年5月、イタリアを訪問した池田先生は「ピサの斜塔」へ。見学するのは81年5月、同志と共に訪れて以来、2度目であった。
この2年前の92年、当時のローマ教皇がガリレオの裁判は誤りであったことを認め、謝罪を表明。先生は8階建て、高さ約55メートルの斜塔を見つめつつ、逝去から350年後の名誉回復という勝利劇に思いをはせた。
さらに、ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年に当たる2009年。国連等が「世界天文年」と定めたこの年、先生は折あるごとに、次代を担う未来部の友へガリレオの人生を通してエールを送っている。
「彼はつねに実験を重んじる『行動の人』でした。何度失敗しても、ねばり強くチャレンジし続ける『挑戦の人』でした。そして、どこまでも真実を叫び抜く『信念の人』だったのです。歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動しています。何があってもくじけずに、努力を続けた人が、最後は必ず勝利するのです」(「小学生文化新聞」<当時>09年1月号の新春メッセージ)
「良き弟子を持ったゆえに、ガリレオは幸福でした。勝利しました。私も、永遠の師匠である戸田先生、牧口先生を、全世界に宣揚し抜いてきました。そして私には、未来部がいます。絶対に信頼できる君たちがいます。(中略)
どんなに迫害されようとも、広宣流布という、この世で最も尊い『正義』の旗は、必ずや後継の君たちが受け継いでくれる。そして、未来永遠に師弟勝利の歴史を打ち立ててくれる。だから、私は幸せであります」(同年5月5日「創価学会後継者の日」記念の未来部総会へのメッセージ)
さあ、心を宇宙大に広げ、努力と挑戦の日々を! 創価の夏は後継の友と共に成長する躍進の夏である。