誰もが悩む時はある。
一人で抱え込まずに
信頼する同志に相談を。
新たな決意が生まれ
前進の力が漲る!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
【通解】
二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよりも過ぎたことである。
名字の言 多宝会の女性部員が人生の支えとした"力" 2022年8月18日
今年は詩人・島崎藤村の生誕150周年。仙台駅近くの藤村広場には彼の功績をたたえる「日本近代詩発祥の地」の碑が立つ▼藤村にとって仙台は教師としての赴任先であり、苦悩から立ち直らせてくれた場所だった。詩友の死や生家の没落などの悲哀を抱えながらも詩作を重ね、詩集を刊行。人間の思想や感情を自由に表現する作風で近代詩の夜明けを開いた。藤村はうたう。「生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり」(『島崎藤村全集1』筑摩書房)▼東北のある多宝会の女性部員には、人生の支えとなった"力"がある。結婚する際、兄から「何があっても手放すな」と渡された御書全集だ▼彼女が住む農村地域は旧習の壁が厚かった。試練が襲うたび御書を開き、日蓮大聖人の誓願と激闘に勇気を得ながら、信心を貫くこと60年余。幾多の宿命を勝ち越えた今、"新たな人生の幕開け"との思いで、御書新版の全編を拝読し、学会活動に励む▼池田先生は「御書を拝せば、人類の生命が具えている宇宙大の可能性への自覚と信頼が込み上げてくる」と。偉大な生命からほとばしる言葉には、人の生き方さえも変える力がある。御書と共に、負けない人生を歩み続けよう。
寸鉄 2022年8月18日
この信心は師子をつくるのだ—戸田先生。勇敢に広布と人生の勝利史刻め
栃木県青年部の日。正義の闘魂で対話の旋風を!平和と幸福の連帯を拡大
確固たる目的を持たない精神は自分を失う—哲人モンテーニュ 大願に立つ人は常に向上
未来部の各種コンクールが大詰め。次代担う鳳雛の成長は希望。皆で応援
手のひらの冷却が熱中症予防に有効—医師。水分・塩分補給も欠かさず励行
☆共戦の旅立ちの日「8・14」
◇我、この師に続かん
◇我、この道を進まん
人間の一生には、久遠からの約束かのような運命的な邂逅がある。戸田城聖先生と池田大作先生とのそれも、深き縁で結ばれた必然的なものだったに違いない。両先生が初めて出会ったのは、1947年(昭和22年)8月14日。明後日は75周年の佳節である。この日から広宣流布即世界平和の「時」が動き始めた。今、師弟の誓願に呼応して躍り出た地涌の青年が各地で乱舞し、人間主義の哲理の大光が地球を包む時代を迎えている。ここでは、共戦の旅立ちの日「8・14」に刻まれた歴史と、その精神を確認する。
�1947年(昭和22年)
生涯の原点 師弟の出会い
戦後の混乱が続いていた1947年(昭和22年)。多くの青年が、旧来の価値観が崩れ去った空虚感の中で、精神の糧を欲した。池田先生も、その一人だった。
「正しい人生」を求めてやまなかった先生が、小学校時代の同級生に誘われて、創価学会の座談会に参加した。同年8月14日のことである。
大田区の会場に到着すると、戸田先生が「立正安国論」の講義をしていた。戸田先生は事前に、新来者である池田先生のことを聞いていた。戦争で兄が亡くなったこと、空襲で家が焼かれたこと——。
講義を終えると、戸田先生は旧知のような親しみを込めて、「いくつになったね」と尋ねた。池田先生は「19歳です」と応じ、率直に質問した。「正しい人生とは、一体、どういう人生をいうのでしょうか」
青年の真剣な問いに、戸田先生は誠実に答えつつ、「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか」と語った。
戸田先生は仏法の理論をもてあそぶのではなく、簡明に答えた。権威ぶる態度など微塵もなかった。
若き池田先生が深く感銘を受けたのは、戸田先生が日本の軍国主義と戦い、獄中闘争を貫いたこと。それが"この人なら信じられる"と感じる決定的な要因となった。
座談会の場で、池田先生は戸田先生への謝意を込めて、即興の詩を詠じた。
「旅びとよ いずこより来り いずこへ往かんとするか……嵐に動かぬ大樹求めて われ 地より湧き出でんとするか」
当時の池田先生には、法華経に説かれる「地涌の菩薩」という言葉は、知るよしもなかった。「地より湧き出でんとするか」は、戦後の廃虚に生い出ずる草木の生命力に対する感動を表現したものである。
10日後の8月24日、池田先生は入信する。信仰の道に進むことに、少なからず不安はあった。しかし、戸田城聖という偉大な人格から受けた衝撃にも似た感動に、池田先生は師に学び、共に進むことを誓った。
後に池田先生は、当時の心境をつづっている。
「私は決めた。我、この師に続かむ。我、この道を進まむ」
◇即興詩「地湧」
旅びとよ
いずこより来り
いずこへ往かんとするか
月は 沈みぬ
日 いまだ昇らず
夜明け前の混沌に
光 もとめて
われ 進みゆく
心の 暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より湧き出でんとするか
(戸田先生と出会った、その感動と感謝を込めて、池田先生が披露した詩)
�1952年(昭和27年)
関西の地に第一歩をしるす
1951年(昭和26年)5月3日、戸田先生が第2代会長に就任。それから間もなく、池田先生は進言した。「日本の広宣流布の未来を考えた時、庶民の都・大阪にこそ、最も早く支部を建設するべきです」
戸田先生は即座に「わかった。それなら、大作、君が行って、君の手でつくりたまえ」と返した。
広布の未来を展望する師弟の語らいは、翌52年(同27年)8月14日の夏季地方指導として結実する。
夕刻、池田先生を乗せた特急「つばめ」が大阪駅に到着。関西への第一歩がしるされた。先生は、大阪・堺の座談会に向かった。参加者は、24歳の青年の迫力に圧倒された。
先生は、戸田先生の偉大さを語り、自身の肺結核との闘病を通し、御本尊への大確信を訴えた。この座談会で、7人の新来者が入会を決意したという。
翌15日には、戸田先生を大阪の地に迎え、「仏教大講演会」が開催された。池田先生は、大阪の同志と共に、参加を呼び掛けるビラを路上で配り、自らも「本当の幸福とは何か」と題し、講演した。関西に折伏のうねりが広がった。
仏法に偶然はない。不思議な"時の一致"には意味がある。戸田先生と池田先生が出会った8月14日に、池田先生が関西を初めて訪問した——。この符合は池田先生と関西の縁、そして広宣流布における関西の深き使命を示していよう。
池田先生は語っている。
「関西における戦いの一こま一こまは、私自身の実践の歴史の一こま一こまであり、同時に私の人間革命の実践の場であったといっても過言ではない。換言すれば、今日の私があるのは、この関西という広い法戦場で皆さん方と共に仏道修行に励み、苦楽を共にしてきた結果である」
「私が第二の故郷として関西を愛し、皆さん方を守りたいと思うのも、こうした深い思い出の歴史があるからであります」
�1957年(昭和32年)
小説「人間革命」執筆の決意
1957年(昭和32年)8月13日、池田先生は戸田先生が滞在する長野の地へ向かった。
この月の8日から、池田先生は夏季ブロック指導における、東京・荒川の最高責任者として指揮を執っていた。先生は荒川での戦いを恩師に報告し、18日からの北海道の諸行事についても打ち合わせた。やがて、師弟の語らいは、戸田先生が執筆した小説『人間革命』に話題が移った。
池田先生は率直な感想を語った。事実無根の容疑で大阪府警へ出頭する際、大阪に向かう飛行機の中で読んだこと。読み終えると、使命に生きる勇気が体から湧いてきたこと——。恩師の小説『人間革命』は、池田先生が「大阪事件」での2週間の獄中闘争を貫く計り知れない力となった。
愛弟子の言葉をうれしそうに聞いた後、戸田先生は語った。
「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立って、できない」「信仰という人間の内面世界を語るためには、どうしても、小説という手法をとらざるを得ない面がある」
この夜、池田先生は、恩師の言葉を何度も思い返しながら思索を重ねた。戸田先生の『人間革命』には、自らの出獄後の戦いについて触れられていなかった。
「真剣な省察のなか、戸田先生のご生涯とご精神を誤りなく後世に伝え、創価学会の真実を永久に残すことは、師の私への記別なりと強く思われた」
「(戸田)先生に代わって『人間革命』を執筆することは、不二の弟子としての私の使命だと、固く心に誓った」
その決意をもって、池田先生は戸田先生との出会いから10周年となる57年8月14日を迎えた。
それから7年後の64年(同39年)12月2日、先生は沖縄の地で『人間革命』の執筆を開始。2018年(平成30年)の『新・人間革命』完結を迎えるまで、命を削る「ペンの大闘争」を続けた。今、世界の同志が、師が魂魄をとどめた一書に学び、挑戦と勝利のドラマをつづっている。
◆◇◆
池田先生は詠んでいる。
「久遠より この時 誓いし 縁かな 創価の師弟の 誇り忘るな」
師弟の宿縁に思いを馳せ、自らが師に誓い、新たな広布の戦いを開始する。「8・14」とは、その"永遠の出発の日"である。
☆創大通信教育部・夏期スクーリング開講への池田先生のメッセージ
◇危機は未来創造のチャンス 不撓不屈の「学光」の道を
日本全国・全世界から、向学の息吹満つ夏期スクーリング、誠に御苦労さまです。さまざまな苦難を「負けじ魂」で勝ち越えて学び続ける"学光家族"を、私は最大に讃えます。教員の先生方はじめ関係の方々にも心から御礼を申し上げます。
皆さんの進む「学の光」の道は、世界の最先端の良識と連帯しゆく道であります。私と妻の大切な友人であったアメリカの行動する未来学者、ヘイゼル・ヘンダーソン博士も、皆さんに心からのエールを送ってくださっていることでしょう。
博士が本格的な学問を開始したのは、母として子どもを育てながらでありました。博士にとっては、本があるところ、そこがキャンパスでした。読書し、分からないことがあったら、著者に直接、手紙を送り、その交流を通して知識と教養を深めていったのです。
後年、地球的課題に取り組んだ博士の信念は"危機や問題は新しい未来を創造するチャンスなり"でした。それはまさしく、半世紀にわたり"限界からの挑戦"を貫き通してきた、わが創大通教生の誇り高き不撓不屈のスピリットと深く強く響き合っているでありましょう。
「人生100年時代」にあって、「無形資産」——金銭等では表せない、豊かな学びや人間関係、また生き方の内実に注目が集まっています。皆さんこそ、まさに時代が希求する「心の財」のパイオニアの一人一人です。
この夏期スクーリングが、皆さんの人生とともに、人類の未来を潤す価値創造の希望の泉となりゆくことを、私は確信してやみません。
どうか、聡明に休憩を取りながら充実した探究の日々であってください。皆さんの健康幸福とご家族の安穏和楽を祈ります。