◇今週のことば
共に地より湧き出でんと
座談会から新出発だ。
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
幸と希望の対話の波を!
(新1793・全1361)
2022年8月22日
新池御書 P1444
『何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり』
【通解】
どんなに賎しい者であっても法華経を説く僧を生身の仏のように敬うべきである。これまさしく経文に説くところである。
名字の言 只見線の復活劇描いたドキュメンタリー 2022年8月22日
先月、全国公開された安孫子亘監督の映画「霧幻鉄道 只見線を300日撮る男」。豪雨被害で廃線の危機に瀕したローカル鉄道の復活劇を描いたドキュメンタリーだ▼主人公は沿線の風景を約30年、年間300日撮り続ける郷土写真家・星賢孝さん。写真をSNS等で発信する一方、県内外で講演活動を行い、鉄道存続の機運を高めてきた▼星さんは本紙で語った。「"ここ"には、世界のどこにも負けない四季折々の絶景があると確信してきました」。自分が今いる場所に"絶景"を見る——その心がつながり、只見線は今秋、11年ぶりの全線再開を迎える▼福島県のある女性部員は結婚した当初、旧習深い山村で信心への無理解に苦しんだ。何度も悔し涙を流しながら祈った。"この村を寂光土に"。小型バイクで野を越え山を越え、広布に駆けて半世紀。この間、原発事故で避難を強いられたが、結んだ友情は途絶えなかった。「どこにいても"心の財"は積み続けられるのだと分かりました」と避難先でも新たな信頼を広げる▼御聖訓に「心すなわち大地、大地則ち草木なり」(新2054・全1597)と。心が変われば、自分も環境も変わっていく。人間革命の本舞台は常に"今"であり"ここ"である。
寸鉄 2022年8月22日
さあ下半期!「自他・彼此の心なく」と御聖訓。信心の団結で栄光の扉開こう(新1775・全1337)
学会の青年は三人前の働きできる人に—牧口先生 社会と地域に信頼の旗を
行動の積み重ねが人生を完成に向け前進させる—哲人ローマ。地道な一歩、今日も
屋内外の寒暖差が疲労の原因に。聡明な食事、睡眠心掛け服装等も工夫して
「災害に備えていない」6割。高齢層ほど割合高く。もしもの準備、今確認
☆Switch——共育のまなざし 夏休み——大人から学び始める「子どもの権利」
◇末冨芳さん(日本大学文理学部教授)に聞く
【プロフィル】すえとみ・かおり 山口県生まれ。京都大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。学術博士(神戸大学大学院)。専門は教育行政学、教育財政学。大学院修了後、福岡教育大学准教授などを経て2016年から現職。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員、文部科学省中央教育審議会委員等を歴任。著作に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』(共著、光文社新書)等がある。
◇わが子の「意見」に耳を傾ける「対話」を
本年6月、国会で「こども基本法」が成立しました。全ての子どもが大人と同様の人権を持った「権利の主体」であること、大人が子どもの意見を聞いて尊重していくこと、そして子どもや若者の"最善の利益"を実現していくことが定められた法律です。とはいえ、「"子どもの権利を守る"といっても、具体的に何をすればいいのかピンとこない」「行政や学校で進める話であって、家庭は関係ないでしょ?」といった声が少なくないのも実情です。そこで今回は、長年にわたり「子どもの権利」の擁護・推進に尽力してきた末冨芳さん(日本大学文理学部教授)にインタビューしました。(聞き手=大宮将之)
◇こども基本法の意義
<そもそも「子どもの権利」とは、何でしょうか>
まず、最も大切な「4つの権利」というものがあります。これは、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」で定められたものです。簡単に言い換えると——�「安全安心に成長する権利」�「子どもにとって最も良いことが実現される権利」�「自分の意見を伝え、参画する権利」�「差別されない権利」ということになります。
ほかにも「遊ぶ権利」「休む権利」「教育を受ける権利」「子どもの権利について、子どもたち自身が知る権利」なども条約に位置付けられているんです。日本はこの条約を94年に批准(条約を守り実現することを国会で決めること)しました。
しかし、どうでしょう? 皆さんの地域や学校では、こうした権利が「大切にされているな」と感じていますか。それぞれのご家庭で、お子さんに尋ねてみたら、どんな答えが返ってくるでしょうか。
子どもたちの権利を実現するために、大人たちは子どもや若者の意見にしっかり耳を傾けて尊重し、社会の中に反映していかなければならない——今回成立した「こども基本法」は、この理念がハッキリと位置付けられたということで、とても大きな意義があるんです。国も地方自治体も、この「こども基本法」の理念に基づいて、具体的な施策を行うことが強く求められるわけですから。
◇自治体の先進事例
<国や自治体の"本気度"が試されることになる、とも言えますね>
ええ。先進的な自治体も少なくありません。神奈川の川崎市は2001年に「川崎市子どもの権利に関する条例」を施行しています。子どもと大人が一緒になって考え、何度も話し合いをしてできた条例なんですね。これをもとに2003年、野外公園「子ども夢パーク」がつくられました(敷地面積は約1万平方メートル)。子どもが自分の責任で自由に遊び、学び、つくり続けていける「居場所・活動拠点」になっています。
東京都でも昨年、公明党の主導で「東京都こども基本条例」が制定されました。コロナ禍で子どもたちの「幸福を追求する権利」がおびやかされていることを憂慮して、条例制定への議論が加速されたんですよね。条例の基本事項の中に「こどもの遊び場、居場所づくり」「こどもの意見表明と施策への反映」などが盛り込まれたことは、素晴らしい。
ほかにも山形県の、人口約1万3000人の町・遊佐町では2003年から「少年議会」を開いています。町の中学・高校生の中から実際の投票で選ばれた「少年町長」と「少年議員」で構成されるもので、ちゃんと予算も割り当てられるんですよ。生徒たち自らが議論を重ね、政策を立案し、実現していくんです(本年6月に行われた選挙では、少年町長〈定員1人〉に2人、少年議員〈定員10人〉に16人が立候補した)。
◇問い掛けを重ねて
<子どもが自分の意見を表明できる。それが地域や社会の仕組みに反映されていく。こうした体験の積み重ねは「自分は決して無力じゃない」といった自己有用感を高めていくことにも、つながりそうですね>
その通りです。そしてそれは、子どもたちにとって最も身近な居場所である、「家庭」の中から始められる取り組みでもあるんです。
例えば夏休みの旅行の行き先を決める時、親が勝手に進めないで、子どもに「どこに行きたい?」って意見を求めることだったり、晩ご飯のメニューについても「何が食べたい?」って尋ねてみたり。もちろん思春期のお子さんであれば「どこでもいい」「別に」といった素っ気ない答えしか返ってこないことも多いでしょう。その時に「何、その態度は?」とケンカしたら本末転倒です(笑い)。大事なことは、「あなたの意見を尊重しているよ」というメッセージを伝え続けることですから。
お子さんがまだ言葉をうまく使えない年頃であっても、「子どもの意見を尊重する」関わりはできます。子どもが幼いうちは、親から見て、「この子は、これがしたいんだな。あれが欲しいんだな」というのが、表情やそぶりで何となく分かることがありますよね。その時に親が"先回り"して動いてしまうのではなくて、必ず「あなたは、どうしたい? これ欲しいかな?」と問い掛けるんです。答えをせかすような聞き方ではなく、温かな声で、笑顔で。
こうした「問い掛け」を幼いうちから重ね続けること、「自分の意見を、親は聞いてくれるんだ」という安心感を育むこと——そんな小さな積み重ねがあってこそ、子どもは、「自分の意見を表明できる人」になっていくのではないでしょうか。これは、私自身が子育てを通して意識してきたことでもあります。
◇ワガママになる!?
<一方で、「子どもの意見を聞いてばかりいたら、ワガママに育ってしまうのではないか」と懸念する大人の声もありますが……>
ええ、私もよく耳にします(苦笑い)。まずハッキリとお答えしておきますが、「そんなことは絶対にありません」。むしろ「自分の意見を表明する権利」を学んだ子どもたちは、ワガママになるどころか、相手の意見を尊重できる人に育ちます。なぜなら、「自分の意見を尊重してもらえた」実感とともに、「だからこそ、相手の意見も尊重することが大事なんだ」という気づきや学びを得ていくからです。
「子どもの意見を聞く」といっても、何でもかんでも全て受け入れる——という意味では、ありません。親は親としての考えを言う。それとともに、ちゃんと子どもの声にも耳を傾ける。意見が違ったら、どうすれば歩み寄っていけるかを、また話し合う。そう、「対話」です。
親子の豊かな対話を生み出すポイントは、親自身が悩んだり迷ったりしていることを子どもに「伝える」「開示する」ことでしょう。例えばスマートフォンの使い方。初めて子どもにスマホを持たせた親が、SNSのやりとりなどを逐一、無断でチェックすることについて賛否両論ありますよね。私はこれが、子どもの「プライバシー権」「自己決定権」の侵害に当たると考えているんです。
もちろん「いじめに遭っていないか」「性被害につながるようなことはないか」と心配する親心は、よく分かります。であれば、その「不安」をちゃんと子どもに伝えればいい。そして「もし、いじめにつながりそうなやりとりがあったり、性被害に遭いそうなことがあったりしたら、その時はスマホを見せてほしい」と対話を重ねながら、一緒にルールを作っていけばいいんです。
そこには親から子どもへの「信頼」があり、子どもの尊厳を大切にしようという姿勢があります。そんな親の心を感じ取った子どももまた、親への信頼感を増していくに違いありません。こうした「信頼関係」の中で育った子どもが、はたして"ワガママな子"に育つでしょうか。
◇共に成長しなければ
<現在、創価学会女性平和委員会が12〜17歳の子どもを対象に進めているオンラインアンケート「クイズで考える『子どもの権利条約』」の中にも、「家や学校などで、自分の意見を『聞いてもらえない』と感じることはありますか?」といった質問が設けられています。条約の啓発と、子どもの考えや気持ちを尋ねることを目的としたものです(こちらから、オンラインアンケートにアクセスできます)>
大事な取り組みですね。創価学会の皆さんが「教育」と「子どもの権利」を一貫して大切にしてこられたことは、よく存じ上げています。
日本は長らく「大人が子どもの意見を聞かない国」だったと思うんです。子どもが大人と等しく権利を持った主体であることを認めず、「未熟な存在」と見なして、「対話」をしてこなかった社会だったとも言えるでしょうか。
そんな社会の中で子ども時代を過ごし、親・大人になった人たちであれば、「子どもの権利」といわれてもピンとこないのは、無理のないことでしょう。親から信頼されず、自分の意見を聞いてもらえず、傷ついた経験のある人も少なくないかもしれません。けれど、だからこそ、そんな人たちに問い掛けたいんです。「同じような経験を、未来を生きていく子どもたちにさせたいと思いますか」と。
「こども基本法」に命を吹き込むことができるかどうか。その鍵を握っているのは子どもだけではなく、私たち大人もです。「子どもの権利」について学び、成長しなければならないのは、むしろ大人のほうです。
「子どもの権利」を大切にする社会は、子どもたちだけが大切にされる社会ではありません。互いの意見を尊重し、子どもも大人も愛し愛される幸せな社会を築いていく根幹をなすものだと、私は確信しています。
奇麗事と片付けるのは簡単です。けれど同じ生きるなら、そんな社会のほうがいいと思いませんか。今いる家庭や地域から、その社会を築く一歩を——そう願ってやみません。