喜び勇んで信心に励む。
そこに福徳の花は咲く。
感謝の心を忘れず
報恩の実践を貫き
人生勝利の実証を!
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
名字の言 「おむすび」に詰まっているもの 2022年8月23日
おむすびを題材にしたエピソードは多い。"おにぎりの影をたどると、一代記の材料になる"(幸田文)、"握り飯のうまさは、貧乏な母親につながってゆく"(吉川英治)と、著名な作家たちも思いをつづっている(『バナナは皮を食う』暮しの手帖社)▼呼称は違えど、共通するのは握った人の温かな心が詰まっていること。その愛情が人生の支えとなったのだろう。阪神・淡路大震災が起きた1月17日が「おむすびの日」に制定されたのも、ボランティアが被災者におむすびを配ったことが淵源だという▼2014年8月下旬に広島市を襲った記録的豪雨では、166カ所で土砂災害が発生した。ある女性部員が住む地域では、約半数の家屋が被災。道路も寸断される中、彼女は困っている人の力になりたいと、自宅でおむすびを握り、近隣に配り歩いた▼住民たちと一緒に1週間ほど炊き出しを続けた。「些細なこと」と謙遜しながら彼女は言う。「被災者同士で励まし、支え合った日々が、地域のつながりをより強くしました」▼おむすびは漢字で書くと「御結び」。「結」には、つないで一つにする意味もある。目立たなくとも、地道で温かな振る舞いこそが「人と人」「心と心」を結ぶ確かな力となる。
寸鉄 2022年8月23日
堂々と主義主張を貫け—牧口先生。破邪顕正の対話に先駆する青年頼もし
「因果倶時」の仏法だ。必ず勝つと決めて勇敢に進もう。強盛な祈りで!
民衆よ強くなれ!賢くなれ!—革命家リサール。われらは正義と平和の連帯を拡大
虚言は事実を隠せない—魯迅。デマは逃さず即座に破折。社会の毒許すな
携帯等の使用による交通事故が年々増加。ながら運転は厳禁。油断排して
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:仏法の世界観 2022年8月7日
◇池田先生の指導から
広布の活動は、一人から一人へと法を伝えていく着実な戦いが基本です。
私どもは、日々、どれほど壮大な、確かなる歴史を綴りゆく偉業に、邁進していることか。
今は、たとえどんなに目立たなくとも、また人々から誤解され、正しく評価されなくとも、まったく気にすることはない。永遠の生命観、歴史観からみれば、それらは一瞬の出来事にすぎないし、取るに足らないことです。
見る人は見ています。声をあげて賛同する識者も年々増えてきている。また、学会は世界が味方です。そういう時代に入った。いずれにしても、私どもの足跡を、大聖人が、さらに十方の仏・菩薩が最大に賛嘆されているに違いない。(中略)
すべて、「世界の平和」「民衆の幸福」が目的です。それが広宣流布です。私が開いた道を後継の青年が受け継ぎ、さらに広げ延ばしてもらいたい。そして、世界のすみずみまで、幸福の使者となって駆け巡っていただきたい。それが私の願いです。(『御書の世界』第1巻)
Q1:なぜ「一閻浮提」が「全世界」を意味するのか、教えてください。
仏典では「閻浮提の内に、広く流布せしめて、断絶せざらしめん」(法華経673ページ)と説かれるなど、仏法の世界宗教としての使命が厳然と示されています。
そもそも「閻浮提」とは、サンスクリットの「ジャンブードゥヴィーパ」を音写したもので、閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味しており、贍部ともいいます。
古代インドの世界観では、世界の中心に巨大な須弥山がそびえており、その周囲の東西南北にある四大洲のうち、南にあるのが閻浮提とされていました。「一閻浮提」とは、この閻浮提の全体を示しており、人間が住み、仏法が広まるべきところの全体のことをいいます。
仏典によれば、閻浮提は北が広く南が狭いという、台の形をしていると説かれています。その北方に雪山があり、四つの大河が流れるなど、もとはヒマラヤ山脈を望むインドの地を想定したものでしたが、やがて、私たちが住む世界全体をさすようになったといわれています。
また、須弥山を中心に、太陽や月、四大洲を包含するものを小世界として、小世界が1000集まったものを小千世界、それが1000集まったものを中千世界、それが1000集まったものを大千世界と呼びます。この3種を総称して三千大千世界といいます。
仏教では古来、こうした無数の世界が絶えず生滅を繰り返しているという、長遠で壮大なスケールの世界観、宇宙観を説いてきました。
Q2:一閻浮提への広宣流布について日蓮大聖人は、どう示されていますか。
御書では、全世界を意味する「一閻浮提」「南閻浮提」ならびに、その略称である「閻浮提」「閻浮」という言葉は、200カ所以上で用いられています。
日蓮大聖人は、妙法が「一閻浮提に広宣流布せんことも疑うべからざるか」(新173・全265)と仰せになるなど、日蓮仏法こそ、国や地域を超えて、全世界に広まりゆく普遍的哲理であるとの御確信を、御書の随所で示されています。鎌倉幕府の最高権力者を「わずかの小島のぬしら」(新1227・全911)と喝破されたように、大聖人は日本という国家の枠にとらわれず、広く「人間の幸福」を願われていたのです。
また、「一閻浮提広宣流布」の原理について、「顕仏未来記」には、こう仰せです。
「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法もまたもってかくのごとし。正像には西より東に向かい、末法には東より西に往く」(新610・全508)
大聖人は、月と太陽の動きに寄せて、釈尊の仏法が西のインドから東の中国、朝鮮半島、日本へと伝来してきた「仏法東漸」と、大聖人の仏法が東の日本から西のインドへ還り、世界に広がっていく「仏法西還」について御教示されています。
御書に、たびたび「月氏・漢土・日本」(新1533・全1128など)と仰せのように、当時の世界観では、日本から月氏(インド)までが全世界という認識でした。
御聖訓にある「仏法西還」の未来記を拝する時、まさに世界を覆う末法の闇を照らし晴らし、全人類を救済するのは、大聖人の「太陽の仏法」にほかならないという、御本仏の烈々たる大情熱が胸に迫ります。
Q3:私たちが、日々、仏法を語る使命がいかに大きいか。心が躍ります。
御聖訓には、「妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。わとうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし」(新1227・全910)とあります。
日蓮大聖人は、これまで誰も弘めることのなかった南無妙法蓮華経の大法を、末法において全世界に弘めゆく"先陣"を切られたのが御自身であると宣言されます。そして、弟子たちに「二陣、三陣と続いていきなさい」と呼び掛けられました。
師と同じ広宣流布の大願に立つ"後継"の弟子が陸続と躍り出てこそ、広宣流布の未来は開かれます。その大偉業に連なることで、一人一人が、仏教史に名を刻む迦葉や阿難、天台や伝教をも超えゆくほどの、偉大な妙法の勇者となっていくのです。
大聖人が仰せのごとく、不惜身命の闘争によって、日蓮仏法を現実の上で「世界宗教」としたのが、創価三代の師弟であり、創価学会です。
今や地涌の連帯は192カ国・地域に広がり、同志が唱える題目の音声が、常に地球を包み込む時代が到来しました。
池田先生はつづっています。
「三代の師弟は『さきがけ』の勇気で勝ちました。そして、これからも、『二陣三陣』の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、『風の前の塵』にすぎません」
今この時、師と共に世界広布の使命に生きる福徳が、どれほど大きいか。人類の幸福を開くという、前代未聞の創価の民衆運動。その主役は、私たち一人一人です。