子どもは「世界の宝」
「未来からの使者」なり。
一個の人格として尊重し
誠実に謙虚に関わろう!
共に学び共に育つのだ。
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
【通解】
そのうえ、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
名字の言 池田先生が愛読した『三太郎の日記』 2022年8月21日
池田先生が青春時代に愛読した書物の一つに、作家・阿部次郎の『三太郎の日記』がある。末尾に「常に『師』に照らして自己を発見する途を進むことである」と書かれている(角川書店)▼阿部は大学在学中、外国人教師として招かれたケーベル博士を師と仰ぐ。自宅を訪ね、交流を重ねた。博士との触れ合いは、知的触発の機会となった。その喜びが先の言葉に結び付いたのだろう。阿部は次のようにも記している。「『師』を持つとは一人の人の生涯の著作を通じて、その人の内面的経験に参することである」▼鳥取県のある女性部員は苦労が絶えない半生だった。戦争の惨禍、弟の早世、夫の介護……。そんな彼女が4年前に入会。理由は義理の娘の勧めで小説『新・人間革命』全30巻を2回読了し、「池田先生に魅了されたから」。その3カ月後には「教学部任用試験」を受験する▼教学を研さんする中で「私の人生の"答え合わせ"ができた」と。願兼於業の哲理に触れ、過去の悲哀は幸福な未来を築く糧だと気付いた。合格の翌年、妹に弘教も実らせた。既に御書新版を読了し、91歳の今も先生の著作をひもとく日々だ▼師に学び、挑戦を重ねる人は、いつまでも若い。その人には無限の成長が約束されている。
寸鉄 2022年8月21日
学会は"人材で築かれた大城"—戸田先生。青年よ勇んで行学に励み己磨け
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし」御聖訓。信心は人生を勝ち開く力(新1346・全992)
善行は決して損する事のない唯一の投資—哲人ソロー。広布への献身に福徳燦然
失敗を恐れぬ挑戦が脳を活性化—専門家。幾つになっても若々しい心で!
頼れる人が近くにいれば人は前を向ける—識者。友に耳傾け、共助の絆を
☆御書と未来へ 第32回 師弟の大道を威風堂々と
〈御文〉
『法華経の法理を教えん師匠も、また習わん弟子も、久しからずして法華経の力をもって、ともに仏になるべし』〈聖愚問答抄、新580・全499〉
〈通解〉
法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も、ただちに法華経の力でともに仏になる。
〈池田先生が贈る指針〉
師弟の道は無窮だ。「万人成仏」の妙法も、師弟あればこそ伝わり広まる。仏意仏勅の通り一閻浮提広宣流布を断行してきたのは、創価の師弟にほかならない。
恩師とお会いして75星霜。地涌の「正しい人生」に、従藍而青の宝友が全世界で続いてくれている。幸福と平和を創り開く師弟の大道を、共々に威風堂々と!
☆大慈悲の心音 門下への便り 第6回 四条金吾�
「極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人」(新1309・全986、通解)——日蓮大聖人が、このように最大の賛辞を送られた門下が四条金吾です。
剛毅で一本気、短気で不器用なところもある。そんな人間味あふれる金吾に、親近感を抱く人も少なくないのではないでしょうか。
金吾は、大聖人が鎌倉で弘教を始められた早い時期から、大聖人に帰依したと伝えられています。生没年には諸説があり、詳しいことは分かっていません。金吾の正式な名乗りは、「四条中務三郎左衛門尉頼基」。名字は四条、実名は頼基です。鎌倉幕府の執権・北条家の支流である江間家に、父親の代から仕えた武士でした。
「頼基陳状」には、父の主君・江間光時が執権の怒りに触れて処罰された時、数百人の一族の家臣らが翻心した中で、金吾の父だけが、ただ一人、主君への奉公を貫いたと記されています(新1579・全1161、趣意)。
金吾も父に似て、人一倍忠義に厚い武士でした。さらに、武術に秀でているのみならず、医術にも通暁し、主君からの信頼も厚かったことが御書の各所からうかがえます。
妻の日眼女と共に、金吾夫妻が大聖人から頂いたお手紙は30通以上。その中で、大聖人が鎌倉におられる時期に送られた書状の一つが、文永8年(1271年)、前年に亡くなった金吾の母親の追善に際して送られたお手紙(「四条金吾殿御書」)です。
そもそも盂蘭盆と申すは、源、目連尊者の母・青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道におち給いて候を、目連救いしより、事起こりて候。しかりといえども、仏にはなさず。その故は、我が身いまだ法華経の行者ならざる故に、母をも仏になすことなし。(四条金吾殿御書、新1513・全1111)
そもそも盂蘭盆というのは、源は、目連尊者の母・青提女という人が慳貪の業によって五百生の間、餓鬼道に堕ちたのを目連が救ったことから起こったのである。しかしながら、その時は母を成仏させることはできなかった。そのわけは目連自身が、まだ法華経の行者でなかったために母を成仏させることができなかったのである。
日本人になじみ深い「お盆」。学会でも、7月15日や旧盆の8月15日を中心に、追善の法要を行い、大切な故人を偲び、冥福を祈念してきました。その由来は、先祖や故人を供養するための儀礼である「盂蘭盆会」にあります。
文永8年(1271年)7月、四条金吾は、最愛の母の追善回向のために、盂蘭盆の供養の品々を、大聖人にお届けしました。大聖人はそのことへの御返事を、盂蘭盆の由来から書き起こされます。
すなわち、釈尊の十大弟子である目連でも、亡くなった母を成仏させることはできなかった。それは目連がまだ法華経を知らなかったから——。
続く御文では、目連が「法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い、この時、母も仏になり給う」と。
どこまでも、万人成仏を明かした法華経を信受した人の祈りこそが、故人を救う最高の追善となります。
日蓮仏法は"常盆"です。日々、信心に励み、広布に尽くす福徳は、無量の光となって、自分だけでなく、先祖代々、子孫末代までを照らしていくのです。
妙法聖霊は法華経の行者なり、日蓮が檀那なり、いかでか餓鬼道におち給うべきや、定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん。(四条金吾殿御書、新1515・全1112)
妙法聖霊(四条金吾の母)は法華経の行者です。日蓮を支えた檀那です。どうして餓鬼道に堕ちることがありましょうか(堕ちるはずがありません)。きっと釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前におられるでしょう。
「妙法聖霊」——なんと美しく、気高い名でしょうか。大難に屈せず法華経を弘める大聖人の弟子として、強盛な信心を貫いた四条金吾の母は、「法華経の行者」であり、餓鬼道に堕ちることなど決してない。御本仏の御断言です。
さらに御文では、仏たちが、「これこそ四条金吾のお母さんですよ、お母さんですよ」と、みな同じ慈愛の心で、お母さまの頭をなで、よろこび、ほめておられることでしょう。お母さんは、「ああ私は、なんと素晴らしい子をもったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう——と。
"ここまで"と思うほど、母子を温かく包み込む大聖人の大慈悲がしのばれます。金吾の胸に熱いものが込み上げ、"母のためにも、広宣流布に生き抜こう"との決意がみなぎったことでしょう。
池田先生は語っています。
「自分自身が生き生きと『行学の二道』に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、限りなく広がっていくのである。法華経に照らし、御書に照らして、学会員の皆さま方こそ、もっとも深く追善供養を行じ、一家眷属に、無量の福徳と威光勢力を送っていることは、絶対に間違いない」