2022年8月7日日曜日

2022.08.07 わが友に贈る

◇今週のことば
「題目の光無間に至って
即身成仏せしむ」
日々の勤行・唱題こそ
最極の追善回向なり。
生も歓喜・死も歓喜と!
(新991・全712)
2022年8月7日

上野殿御消息 P1527
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度二十度来れる人なりとも千里二千里来れる人の如く思ふて礼儀いささかをろかに思うべからず』

【通解】
友にあったら礼儀正しくあれということは、友達で一日に十度・二十度訪ねてくる人であっても、千里・二千里も離れている遠方から訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀を欠くようなことがあってはならない、という事である。

名字の言 人間にも四季がある——きょうは立秋 2022年8月7日
朝起きるや、せみの大合唱が耳に入る。せみ時雨だ。そんな中に、ツクツクボウシの鳴き声が交じっていた。せみの多くは夏の季語だが、ツクツクボウシは秋の季語▼数年を地中で過ごしたせみは、成虫になった後、数週間から1カ月、地上で生活するという。大音量の鳴き声は、今を全力投球する命の叫びにも聞こえる▼春に穀物の種をまき、夏に成長し、秋に収穫し、冬に貯蔵するように、人間にも四季がある——こう言ったのは明治維新の源流・吉田松陰。10歳で亡くなる人には10歳の中に、100歳の人には100歳の中に四季があり、10歳の生涯が短いというのは「(命が短い)夏蝉を長生の霊木にしようと願うこと」である、と▼松陰は数え年30歳で亡くなるが、自身にも四季は備わっていると遺書に記した。「このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである」(古川薫訳)。彼の志は塾生たちに受け継がれ、維新回天の力となった▼きょうは立秋。酷暑が続くが、暦の上では秋が始まる。わが人生の実りへ、健康第一で、今を真剣に生きたい。

寸鉄 2022年8月7日
生命力の逞しき者は苦難の峠を楽しみ渡る—戸田先生。白馬の如き唱題で
「行学たえなば仏法はあるべからず」御書。青年時代に勇んで学び土台築け(新1793・全1361)
素晴らしき言葉は鉄の扉をも開ける—トルコ諺。友の心を軽くする激励の名手に
"酒気残り運転"に注意。深酒翌日は運転避けてと識者。油断排し無事故を
糖分多い飲料の飲み過ぎは脱水症になる危険も。水分の補給は適度に賢く

☆御書と未来へ 第30回 宝の後継に希望と安心の光を
〈御文〉
『「縁」とは、三因仏性は有りといえども、善知識の縁に値わざれば、悟らず知らず顕れず、善知識の縁に値えば、必ず顕るるが故に、縁と云うなり。』〈三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)、新728・全574〉

〈通解〉
「縁」とは、三因仏性(三種の仏性。仏性と、それをあらわす智慧と助縁)はあるといっても、善知識(善き友人・知人)の縁にあわなければ、これを悟らず、知らず、またあらわれることもない。善知識の縁にあえば必ずあらわれるゆえに、縁というのである。

〈池田先生が贈る指針〉
尊き仏性は、善知識に触れて輝き出でる。
未来部の友にとって、善き担当者との出会いが、地涌の生命を涌現させる力となる。「あの励ましあればこそ」等と生涯、感謝される人間教育の聖業だ。
妙法で結ばれた縁が、令法久住の道を開く。未来部躍進の夏、宝の後継者たちに、祈りを込めて希望と安心の光を!

☆対話のツボ 【問い】「教学部任用試験(仏法入門)」を受ける意義は?
任用試験は、人生の幸福を開きゆく、仏法哲理を学ぶ機会となります。
御書には、日蓮大聖人が仏法の極理を明かされた教理書や、門下に宛てられたお手紙が収められています。それは、決して"はるか昔の遺文"ではありません。現代に生きる私たちにとっても、苦悩や困難を乗り越えるための指針となっているのです。
例えば、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)、「諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)など、御書の一節を胸に、地域や社会で勝利の実証を示してきた学会員の体験談は、今や世界中で語られています。
ある女性は、次々と苦難に直面し、"なぜ、私ばかり"と、人生を悲観していました。その時、学会員の友人に勧められ、任用試験を受験。自身の人生を切り開く、「宿命転換」の原理を学び、感銘を受けたといいます。その後、その女性は自ら希望して入会し、現在は生き生きと人生を歩んでいます。
池田先生はつづっています。
「今や、地球規模で行われている教学試験は、挑戦すること自体が、人生勝利の智慧を磨き、生命の境涯を開き、心の財を無量無辺に積んでいく崇高な仏道修行です。受験された全員が、『生命尊厳の大賢者』となり、『幸福学の大博士』となっていかれることは、間違いありません」
まさに"幸福学の入門"といえる任用試験は、学び、挑戦すること自体に福徳が広がっていくのです。