2022年8月9日火曜日

2022.08.09 わが友に贈る

「法華を識る者は
世法を得べきか」
先行きが不透明な時こそ
御書根本に進もう!
胸中に太陽を昇らせて!
(新146・全254)

上野殿御返事 P1555
『抑日蓮種種の大難の中には竜口の頚の座と東条の難にはすぎず、其の故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり、或はのりせめ或は処をおわれ無実を云いつけられ或は面をうたれしなどは物のかずならず、されば色心の二法よりをこりてそしられたる者は日本国の中には日蓮一人なり』

【通解】
思えば日蓮が受けた種々の大難のなかで、竜の口の頸の座と東条小松原の難ほどの大難はない。そのわけは、諸難の中でも身命を捨てるほどの大難はないからである。あるいは悪口され、あるいは処を追われ、讒言をされ、あるいは顔を打ちすえられたことなどは、この二つの大難に比べれば物の数ではない。したがって、色法と心法との二法から謗られた者は、日本国の中では日蓮ただ一人である。

名字の言 きょうは長崎原爆忌。核兵器なき未来へ 2022年8月9日
未来部員のために行われた「戦争体験を聞く集い」に参加した。語り部の壮年は広島の原爆で母と弟を失った。長年、後遺症と闘い、いわれなき偏見や差別にも耐え抜いてきた方である▼話を聞き、一人の少年が質問した。「平和のために僕たちができることは何でしょうか」。壮年は答えた。「身近な一人を大切にしてください。例えば、こちらが軽い気持ちで人をからかったとしても、相手は地獄と感じていることもある。だから、いじめや差別は"小さな戦争"なんです。皆さんは、弱い立場の人を思いやる優しい人になってくださいね」▼壮年の一言一言には、過酷すぎる試練を越えてきたゆえの優しさ、温かさがあった。会場を見渡すと、大きくうなずきながら聞き入る子、真剣にメモを取る子、目を潤ませている子もいた▼これまで多くの被爆者から貴重な証言を伺ってきた。そのたびに命が揺さぶられ、原爆への怒りが込み上げた。今、強く実感する。"懸命に生き抜いてきた方々の心を受け継ぎ、平和のために勇気をもって行動し続けなければならない"と▼きょう9日は長崎原爆忌。改めてヒロシマ、ナガサキと真剣に向き合いたい。若き世代と共に、核兵器なき未来へ新たな歩みを始めよう。

寸鉄 2022年8月9日
長崎「原爆の日」。核廃絶こそ世界の民衆の願い。平和へ草の根の対話拡大
人生には希望がなくてはならない—恩師。不屈の祈りが源。師子王の心で
「車のおもけれども油をぬりてまわり」御書。友に安心と勇気送る励ましを(新1918・全1574)
子が車内に残される事案後を絶たず。停止後15分で命の危機に。油断大敵
体が重い、食欲の減少は夏バテの兆候と。聡明な睡眠と食事で健康長者に

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 未来を育む人へ� 2022年8月5日
◇この夏、わが家の成長のドラマを!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は「未来を育む人へ�」。未来部育成に携わる友へ贈った、折々の励ましの言葉を紹介します。

◇子どもは学会の庭で
親から息子や娘へという、信心継承のドラマの中に、一家和楽の要諦もあるといって過言ではありません。そのためにも戸田先生は「子どもは、学会の庭で育てなさい」と繰り返し訴えられていました。
家族で一緒に会合に参加することにも大きな意味があります。子どもたちが、今は分からなかったとしても、信心の息吹を肌から感じることで、偉大なる仏縁を結んでいることは間違いないのです。
(『創価学会永遠の五指針』、29ページ)

◇互いに高めゆく家族
仏法の眼は、親子の関係を固定的に捉えたりしません。信仰の上で、子どもの方が先輩として縁する場合もあるでしょう。
子どもが成長する姿を通して親が発心したり、信心を深めたりしていくことは、実際によくあることです。
ともあれ、妙法の家族は、互いに成長家族であり、地域や社会に幸福の光を放つ創造家族です。家族の一人一人が偉大なる誓願を果たしゆく尊貴な存在です。一人ももれなく、人類を仏の境涯へと高めゆく崇高な広布への使命を帯びて、触発し合っていくのです。
(『わが「共戦の友」——各部の皆さんに贈る』、136ページ)

◇"一個の人格"として
若き生命を"下"に見てはならない。何よりも大切なことは、"一個の人格"として最大に尊重していくことである。
人づくりは真剣勝負だ。子どもの胸中には、立派な"大人"がいる。その"大人"に向かって語りかけていくことであろう。
「こんなことはわからないだろう」「これくらいでいいだろう」という見下した対応は、決してあってはなるまい。
(『随筆 幸福の大道』、144ページ)

◇テストでは測れない
ペーパーテストで判明する能力は、無限の可能性をはらんだ子供たちの素質、生命内在の"宝"のごく一部にすぎない。人の心の中には、たんなる記憶力、計算力などとは比較することもできない豊かな心情と、知恵と、創造をもたらす泉がひそんでいる。
その泉を、わが子の特質に応じて開発する心の教育にこそ、真実の愛情が注がれるべきではないであろうか。
(『池田大作全集』第20巻、232ページ)

◇共に育つことが教育
「教育」は、「共育(共に育つ)」です。
子どもは不思議です。子どもには、まぶしい生命の輝きがある。子どもの元気な姿を見れば、大人も元気になる。
にぎやかな子どもの声があるところ、そこには「希望」がある。「平和」がある。「生きる喜び」がわいてくる。
(『池田大作全集』第62巻、154ページ)

◇姿ではなく心が大切
幹部の家庭でも、お子さんや家族が、病気や、さまざまな課題を抱えている場合も当然あるだろう。それは、少しも恥ずかしいことではない。人間の社会であり、人間の集団だ。
「心こそ大切なれ」である。「姿こそ大切なれ」ではない。
いろいろなことがあっても、「心」が大事なのである。信心の姿勢が重要なのである。
(『池田大作全集』第67巻、357ページ)

◇どこまでも信じ抜く
親はどこまでも、子どもの可能性を信じていくべきだ。祈り続けていけばよい。たとえ今は発心していなくとも、立派な「広宣流布の闘士」へ成長する時は、必ず来るからだ。
偉大な妙法である。信仰は一生涯のものであり、三世永遠である。大切なのは、信心を持ち抜くことである。大らかな気概に立って、長い目で子どもの成長を祈り抜くことだ。
(『随筆 出発の光』、90ページ)

◇愛情は具体的に表す
活動にしろ、仕事にしろ、なんのために頑張っているのか、人々に尽くしているのかという思いを、自信をもって、きちんと話してあげることです。
「きっと分かってくれるだろう」「忙しいのだから、仕方がない」といった勝手な思いこみは、禁物です。愛情は具体的に表してあげないと、子どもは頭で分かっていても、なかなか納得できないものなのです。
(『池田大作全集』第62巻、26ページ)

後継の世代の育成は組織をあげて取り組むことです。
わが地域の未来部員は、わが子、わが弟・妹と思って励まし、育てていくんです。
小説『新・人間革命』第19巻「虹の舞」の章

☆きょう8・9長崎「原爆の日」 尊き平和のバトンを未来へ
◇被爆証言会をオンラインで開催
きょう8月9日は、長崎の「原爆の日」。1945年のこの日、長崎に原子爆弾が投下されてから77年を迎える。
1発の原爆で街は壊滅し、当時の長崎市の人口の3分の1に当たる、約7万4000人が犠牲になったとされる。現在、長崎県の被爆者は3万900人余(今年3月末時点)で、平均年齢は約84・5歳。戦争の惨禍を未来へと確かに伝えゆくことが、喫緊の課題となっている。
青年部や未来部の友に尊き平和のバトンを伝え、長崎を最後の被爆地にと誓い合う行事が開催された。
青年部主催の被爆証言会は7日、オンラインで配信。長崎市の牟田満子さんが自身の被爆体験を語った。
当時9歳だった牟田さんは爆心地から、わずか2・5キロの地点で被爆した。
補習授業を終えた後、突然、目の前に真っ黄色の光が広がり、爆風で床にたたきつけられたという。ガラスの破片を浴び、血だらけで防空壕に逃げて助かったが、母と1歳半の妹が自宅に戻ることはなかった。翌年には父も亡くなり、祖父母のもとで畑仕事を手伝うことに。学校にも、満足に通えなかった。
"どうして私だけがこんなに苦労するのか"。牟田さんは1957年、21歳の時に学会に入会する。生命尊厳の仏法を学び、心豊かな日々を送る中で「自分が生かされた意味」を感じるように。70歳を過ぎた頃、被爆者による合唱団に入り、アメリカで、不戦の願いを込めて合唱する機会もあった。「最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある」との指針を胸に、86歳の今も使命の人生を歩み続ける牟田さん。「私は今、本当に幸せ者だと思います」と述べ、話を締めくくった。(証言は後日詳報)

◇原爆追悼祈念館などで「ピースウオーク」
一方、長崎の未来部員とその保護者らが被爆遺構などを巡る「ピースウオーク」は6日、長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館などで行われた。これは"原爆投下の歴史を子どもたちと学び、伝える"ことを目指して2013年に始まった行事で、コロナ禍のため、3年ぶりの実施となった。
参加者は最初に同祈念館で千羽鶴を献呈。その後、「平和案内人」の説明で、隣接する長崎原爆資料館を見学し、被爆の実相を学んだ。
参加者の西村智美さん(小学6年)は「私よりも幼い子が原爆で亡くなったことに、胸を痛めました。私は困っている人の側に立ち、助けられる人になりたいと思います」と感想を述べた。
ガイドを務めた女性部員は「核兵器を世界で二度と使わせないために、まずは、戦争を起こさないこと。そして、"対話こそ平和への近道"であることを伝えたいとの思いで案内しました」と語った。