日蓮仏法は
人間尊敬の宗教なり!
「宝塔即ち一切衆生」だ。
万人の生命の尊厳を開く
大哲理を地域へ世界へ!
(新1111・全797)
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
【通解】
この曼陀羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
名字の言 結果を出すには過程が大切——女子バスケ日本代表の信念 2022年8月31日
来月22日、オーストラリアで開幕する女子バスケットボール・ワールドカップ。昨年の東京五輪で銀メダルの快挙を成し遂げた女子日本代表は、初の金メダル獲得に挑む▼東京五輪でキャプテンを務めた高田真希選手は、結果を出すためには「過程が何よりも大切」と語る。例えば、2人がかりで相手のボールを奪いにいく際には、足を出す角度が1ミリでもずれないよう、何度も練習を繰り返したという▼そうした細かい改善を続け、厳しいトレーニングに耐え抜いてつかんだメダルだった。だが、それ以上に「つらいことを乗り越えてきたという過程は、結果以上に価値がある」と(『苦しいときでも、一歩前へ!』KADOKAWA)▼勝敗が分かれるスポーツでは、どれだけ努力を重ねても、最後まで勝ち残れるとは限らない。優勝者以外、いつかは「負け」を経験するものだ。その時に、それまでの過程を支えに再び立ち上がり、次の一歩を踏み出す。この積み重ねから未来の勝利の因はつくられる▼「たくさん失敗したということは、たくさん挑戦したということである。『失敗の数』を誇るべきなのである」と池田先生は教える。失敗を恐れず、前へ前へ——「前進」そして「挑戦」の下半期を共々に!
寸鉄 2022年8月31日
「『大願』とは、法華弘通なり」御聖訓。地涌の誇り胸に前へ!飛躍の日々を(新1027・全736)
「学生部の日」60周年。師の御義口伝講義が源流。君よ行学錬磨の英才たれ
社会の最前線で平和行動起こしているのがSGI—識者。共生の未来必ず
夏の疲労が出やすい時。食事・睡眠・適度な運動が基本。聡明に充実の秋へ
ゲーム依存症が低年齢化と。脳機能低下の原因に。新学期の今、規則決めて
〈社説〉 2022・8・31 子どもの目線で寄り添おう
◇"未来からの使者"守る社会を
かつて家庭が経済的に厳しく、学用品にも困っていたという壮年部員が語っていた。小学校時代のある日、友達が自宅に来た。少し仲良くなっていた子だったが、彼の家に着くなり、「ぼろい」と言って笑った。家庭の貧困を突き付けられたような衝撃だった。
その後、彼は努力を重ね、奨学金を得て大学に進学。今は社会の第一線で活躍している。しかし、あの日の出来事を今も、ふと思い出すという。
子どもの貧困は、自尊心や将来への希望をも踏みにじる。内閣府の貧困調査資料にも、「バイトするような奴はいらないと先生に部活動を辞めさせられた」など、悲痛な声が見られる。もっと学びたい、もっと学校生活を楽しみたいという子どもたちの願いが押しつぶされている現実がある。
聖教電子版連載「駒崎弘樹の『半径5メートルから社会を変える』」で同氏は、授業料の無償化が進んだ一方、"隠れ教育費"が存在すると指摘。今後は部活の用品費や修学旅行費用などについても国や行政が支援し、経済格差によって子どもたちの体験格差が生まれないような社会にしなくては、と語る(今月4日付)。
体験格差は進学や就職にも影響し、大人になっても貧困から抜け出せず、その子どももまた貧困環境に置かれることがある。日本の貧困は「相対的貧困」とされ、所得が国民所得の中央値の半分未満である世帯を指す。18歳未満の子どもの「7人に1人」となる。
公明党が進めた政策の一つに、「ひとり親自立促進パッケージ」(厚生労働省)がある。一定の家賃を1年間無利子で貸し付け、就業訓練後に1年間勤めると返還を免除する仕組み等だ。貧困率の高いひとり親世帯への支援である。
池田先生は子どもの人権を守る要件について、元国連事務次長のチョウドリ博士の言葉を引き、「子どもを一個の人格として敬愛し、相手の発達段階に合わせて伸びやかに意見を引き出しながら、その思いを受け止め、理解し、できる限り反映しようと努めること」を挙げていた(「随筆 『人間革命』光あれ」)。
子どもの目線で、その子を思いやり、その苦しみに寄り添っていけるか。全てはここから始まる。"未来からの使者"である子どもたちを全力で守る社会を、一丸となって構築していきたい。
☆第10回本部幹部会への池田先生のメッセージ
◇報恩の大道に恐れなし 人間革命の地涌の舞を
一、それは25年前、仏教源流の天地インドで、各界の識者を前に、私は21世紀を「ニュー・ヒューマニズムの世紀」へと展望する講演を行いました。〈1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部での講演〉
その折、宗教が独善に陥らないためには、どうすればいいか。それには、「教育」という知性と普遍性の翼を持つことであると申し上げました。子どもたちを伸びやかに幸福へ導き、青年を聡明に育て、人と人を平和に結ぶことこそ、「人間のための宗教」の要件であると提起したのであります。
うれしいことに、今、インドをはじめ全世界で、地涌の若人が生き生きと躍動し、新たな英知と希望の波また波を起こしてくれています。
一、創価の父・牧口先生は、常々、「行き詰まったら原点に戻れ」と叫ばれました。今、人類が立ち返る原点は何か。それは、「生命」そのものでありましょう。
この「生命」に本源的な智慧の光を当てている哲理が、法華経の肝要であり、日蓮仏法の真髄である「御義口伝」であります。
戸田先生と師弟して、まさしく日蓮大聖人から直々に口伝を拝する覚悟で、一文一文、心肝に染め、実践してきた御書です。
そして、私が学生部の英才たちと「御義口伝」の研鑽を開始して、この8月で60年となります。瞳も凜々しき受講生の心を受け継ぎ、今の学生部・青年部が真剣に「行学の二道」に励む姿が、誠に頼もしい。
◇御義口伝 「宝塔即ち一切衆生、一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり」
「御義口伝」の「生命観」「生死観」「社会観」「宇宙観」が、どれほど深遠であり、どれほど壮大であるか。
例えば、「妙法蓮華経を見れば、宝塔即ち一切衆生、一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり」(新1111・全797)と仰せであります。
つまり、一人一人の生命の妙法蓮華経を見るならば、法華経で涌出した巨大にして荘厳なる宝塔は即ち一切衆生のことであり、一切衆生は即ち南無妙法蓮華経の全体なのである、と示されております。
ゆえに、「今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る」我らは、わが心は本来の仏なりと「歓喜の中の大歓喜」(新1097・全788)を漲らせ、人間尊敬の対話で、最極の生命尊厳の宝塔を「二人・三人・百人」と林立させていくのであります。
そして、「千草万木(千差万別のあらゆる草木)も地涌の菩薩でないものはない」(新1047・全751、通解)と仰せのように、この大宇宙に遍満する、命を育む妙なる慈悲の力用を、我らの題目の響きで一段と強め、地球民族の幸福と平和へ、全てを生かしながら価値創造していくのであります。
◇創価の師弟は「哲学界の王者」 人間尊敬の対話を 慈悲の価値創造を
一、確固たる精神の指標が求められてやまない現代にあって、誰もが人間革命し得る真の民衆仏法であり、人類の宿命を転換し得る真の世界宗教である「太陽の仏法」の極理を、創価の師弟は「哲学界の王者」の誇りも高く、いよいよ語り、いよいよ広めてまいりたい。
この秋には、仏法入門の任用試験が行われます。
私も多くの求道の友からの要請に応え、「大白蓮華」の11月号から、新たに「御義口伝」の要文の講義を開始したいと思っております(大拍手)。
一、ここで、私の入信75周年を真心から祝賀してくれた全宝友に感謝を込めて、以前に書き留めた一書を披露させていただきます。
「法恩」、そして「師恩」であります。
あいがたき妙法に巡りあえた大恩は天空よりも高く、慈折広宣流布の師弟に生き抜ける大恩は大海よりも深い。そして、異体同心の同志と共に、この恩を知り、この恩に報いんとする一念には、何ものをも勝ち越える勇気と未来の友の道を開く力が尽きることなく湧いてくる。これが、わが不退の75星霜を貫く大確信であります。
最後に「御義口伝」の一節を拝したい。「『心無所畏(心に畏るるところ無し)』とは、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と呼ばわるところの折伏なり」(新1066・全765)と。
この恐れなき折伏精神、威風堂々の学会精神を燃え上がらせ、新時代の山本伸一たちを旗頭に、「人間革命」即「生命ルネサンス」の地涌の舞を誓い合って、メッセージとします。皆、健康第一であれ!
☆御書と未来へ 第34回 生命に響く信念の対話を
〈御文〉
『南無妙法蓮華経は、自行・化他に亘るなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり。』〈御義口伝、新1042・全747〉
〈通解〉
南無妙法蓮華経は自行・化他にわたるのである。今、日蓮およびその門下は、南無妙法蓮華経を勧めて、一切衆生に持たしめているのである。
〈池田先生が贈る指針〉
妙法を「勧めて持たしむる」ことこそ一人一人を永遠の幸福へ導く道である。今、「二人・三人・百人」と地涌の連帯を広げているのが、わが誉れの男子部大学校生だ。
人間革命の自転と広宣流布の公転という自行・化他に生きゆく創価の若人に、突破できない壁はない。勇気凜々と、友の生命に響く信念の対話を!
2022年8月31日水曜日
2022年8月30日火曜日
2022.08.30 わが友に贈る
一対一の語らいこそ
広宣流布の直道だ!
友の仏性を信じ抜き
徹底して励ます中で
幸の連帯は築かれる!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
【通解】
露が集まって河となり、河が集まって大海となるように、塵が積もって山となり、山が重なって須弥山となるように、小事が積もって大事となるのである。
名字の言 ある少女部員の夏休みの思い出 2022年8月30日
小学校の夏休みの宿題である「絵日記」の内容が変化しているとニュース番組で見た。コロナ禍の影響もあり、家族旅行や海水浴などの記述が少ないという▼それでも児童らは「自宅で料理に挑戦した」「父と一緒に勉強机を手作りした」など、楽しい思い出を残しているとも。先日、ある少女部員からも充実の夏休みの様子を聞いた▼その少女は父親が長期出張のため、夏休みを伯母の家で過ごした。一人っ子で、数年前に母を亡くしていた。ある日、勤行を終えた伯母に少女が質問した。「勤行は何のためにするの?」。伯母は池田先生のスピーチを引いた。「御本尊を母と思い、父と思い、うれしいことも、苦しいことも、全部、話していけばよい。ぶつけていけばよい。必ず、全部、通じていく」。そして優しく励ました。「どこにいても、お母さんとお父さんはいつも見守っているよ」▼その晩から少女は伯母と勤行を始めた。終えると「おばちゃんは向こうに行ってて」とせかし、その後、御本尊の前で1日の出来事を、胸中の母と出張中の父に報告していたという▼少女の純粋な心に、本当の幸せを教わった。御本尊に向かい、「今度は算数を頑張るね」とも語っていた少女は、もうすぐ新学期を迎える。
寸鉄 2022年8月30日
「凡夫は勇気で人を救っていくのだ」戸田先生。我らの対話こそ慈悲の行
「人の邪見を申しとどむるこそ智者」御書。青年よデマは一つも逃さず喝破(新1573・全1156)
自己否定は脳の活動低下を招く—医師。楽観主義こそ力を引き出す鍵なり
「防災週間」開始。災害時の持ち物、避難経路等を要確認。まずは自助から
国税庁を装い納付求める詐欺メールに警戒。無視が一番だ。安易に開くな
☆欧州で青年教学研修会 34カ国900人の求道の友が参加
◇池田先生がメッセージ贈る
欧州青年教学研修会が27、28の両日(現地時間)、オンラインで開催された。
これには、欧州34カ国から代表900人が参加。
池田大作先生が祝福のメッセージを贈り、生命尊厳の哲理を掲げ、強盛に平和を祈り、草の根の励ましの対話を広げる若き連帯こそ、混迷の時代を照らす希望の太陽であると強調。「勇んで『行学の二道』に励み、共々に切磋琢磨し合いながら、使命深き人生と家族のため、さらに広布と社会のために勝ち光っていってください」と呼び掛けた。
欧州社会は今、感染症や気候変動の問題、長引く紛争など、危機に直面している。欧州青年部の友は研修会に向けて、"小さな自分には何もできない"と嘆き、傍観するのではなく、"自他共の幸福の実現こそ地涌の菩薩の使命である"との確信に立って対話拡大に挑んだ。問題解決の糸口を師匠の平和の心が凝縮した小説『新・人間革命』に見いだそうと研さんに励んだ。
その思いが今回の研修会のテーマに込められている。「新・人間革命世代、共に平和のために!」
一人一人が"新時代の山本伸一"との自覚で善の連帯を広げ、臨んだ研修会。
集いでは、『新・人間革命』執筆に込められた池田先生の思い、世界広布の大闘争について研さん。西方SGI(創価学会インタナショナル)男子部長、大串同女子部長がオンラインであいさつした。
代表4人が信心根本に勝利の実証を示した信仰体験を披露。質疑応答、SDGs(持続可能な開発目標)に関する研究発表、ミニ座談会も行われた。
欧州青年委員会のヨシコ・ソサ・スギサワ委員長が「皆が希望の太陽と輝こう」と訴え、タカハシ欧州議長、プリチャード同女性部長が求道の友を励ました。
欧州の若人は、師との共戦の誓いを胸に、心新たに出発した。
「同世代の友が人類の幸福のために行動する姿に勇気をもらいました」(オランダ・女子部)
「『新・人間革命』を人生の指針として、師匠に勝利を届けます!」(ポーランド・男子部)
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第23回 平和の旗を高く掲げて �反戦出版
全ての国の民衆に生きる権利がある
それは誰にも侵されてはならない
◇沖縄決議
1973年は、創価学会が仏法を基調とした社会建設へ船出した年である。その開幕を控えた72年11月、池田大作先生は東京・日本武道館での本部総会で講演した。
「世界のあらゆる国の民衆が、生きる権利をもっている。それは、人間として、誰にも侵されてはならない権利である。その生存の権利に目覚めた民衆の運動が、今ほど必要な時はない」
「その運動を青年部に期待したい」
師の提案に、青年部は検討を開始した。そして、3カ月後の73年2月の男子部総会で「生存の権利を守る青年部アピール」を採択する。
アピールを受けて、全国各地で、平和構築のための具体的な取り組みについて、協議が重ねられた。最も早く計画をまとめたのが沖縄だった。
同年5月19日、沖縄青年部は「戦争体験記を発刊する」との項目が入った「沖縄決議」を採択する。戦争体験記の発刊は、74年6月23日の出版を目指すことに。「6月23日」は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日である。
編纂委員長に三盛洲洋さん、副委員長に桃原正義さんが就いた。
2人が池田先生と初めて出会ったのは、64年12月2日。沖縄本部(当時)で行われた学生部員会である。
席上、先生は「沖縄の歴史は、悲惨であった。宿命の嵐のごとき歴史であった。だからこそ、ここから、幸福の風が吹かねばならない。平和の波が起こらねばならない」と訴えた。
64年12月2日は、先生が沖縄で小説『人間革命』を起稿した日でもある。だからこそ、2人は編纂委員の友や出版に協力してくれる仲間と共に、反戦の書の完成に全精魂を注いだ。
◇人骨が残る壕で
桃原さんが編纂委員のメンバーと共に戦争体験を聞いた一人に、石川幸子さんがいる。石川さんは学会員ではなかったが、依頼に快く応じた。
沖縄師範学校女子部の生徒だった石川さんは、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる学徒看護隊の一員だった。配属された陸軍病院では、兵士のし尿を取ることや、亡くなった患者の遺体を運ぶことが、主な仕事だった。
45年5月末、米軍が間近に迫り、病院を移動することになった。後になって、"歩けない患者は、衛生兵によって青酸カリ入りのミルクを飲まされた"という衝撃的なことを聞いた。
石川さんは、看護隊の仲間と壕に隠れた。壕の中は風通しが悪く、多くの人がいたため、大変な暑さになった。
水を求めて、壕から出た。海辺へ移動し、アダンの葉の下で生活した。だが、その場所にも米軍は容赦なく攻撃を仕掛ける。岩の陰に隠れたり、波にさらわれる危険を承知で、海に逃げたりしたこともあった。
やがて、食べ物も底をついた。食料が残っているという壕に行くと、たくさんの骨があった。その壕は、現在の「ひめゆりの塔」が立つ場所である。
石川さんは、同じ学徒隊の人骨が残る壕にとどまった。日本の降伏が信じられず、8月22日まで壕の中で身を潜め続けた。
戦争とは、これほどまでに、むごいものか——桃原さんは身を震わせながら、石川さんの話を聞いた。
74年6月23日、沖縄の方々の戦争体験をまとめた『打ち砕かれしうるま島』(第三文明社)が発刊された。それは、創価学会青年部による反戦出版シリーズの第1巻となった。
◇日本軍の残虐行為
『打ち砕かれしうるま島』が発刊される4カ月前の1974年2月、沖縄を訪問した池田先生は、名護会館へ。そこに集った未来部のメンバーに率直な思いを語った。
「平和のために、"沖縄の心"を伝えるために、戦争体験の証言集を残してほしいというのが、私の願いです」
その場にいた上原春樹さん。沖縄戦を生きた祖母のシゲさんに話を聞くことにした。だが、シゲさんは強烈な拒否反応を示した。普段の優しい祖母からは想像もつかない表情だった。
シゲさんは未入会だった。その祖母に、春樹さんは戦争体験を聞く意義を何度も語った。
ある時、沖縄に二度と戦争を経験させないための取り組みであることを伝えた。シゲさんは「沖縄に戦争を起こさせないためか」と聞き返し、自らの戦争体験を語り始めた。
——沖縄戦が悲惨な様相を見せていた45年5月21日、シゲさんは長女を出産。しかし、複雑な心境だった。
「食糧難に加え、いつ敵の砲弾にやられるかもしれない不安……」「味方と信じていた日本軍は、敵に発見されるからといって泣きじゃくる赤ちゃんを殺してしまう。そのような信じられないことが私の周囲にはあった」
長女は手のひらに包まれるくらいの小さな姿で生まれた。だが、元気な泣き声をあげ始めた。
「私はうれしくてうれしくて、飛びあがって喜びました」「戦争の犠牲にさせてなるものか——と、私は心に強く決意した」
その後、シゲさんは米軍の捕虜になった。当時、それは恥とされた。それでも恥より生きることを選んだ。
収容所はマラリアやチフスなどの病気が大流行していた。シゲさんは収容所で、こんな言葉をよく耳にした。
「昨日は他人の死体をかつぎ、今日は自分がかつがれる」
収容所も悲惨だった。その中を、シゲさんは生き抜き、戦後を迎えた。
春樹さんの熱意によって残されたシゲさんの証言は、76年6月23日に発刊された、反戦出版の第17巻『血に染まるかりゆしの海』に収録された。
◇戦争体験を絵に
沖縄戦の実態を残すために、沖縄青年部が反戦出版と共に取り組んだのが「沖縄戦の絵」の収集である。
沖縄戦の写真は、多くが米軍が撮影したもの。沖縄の人々が、どれだけ悲惨な思いをしたかという視点での記録は、皆無に等しかった。
戦争体験を持つ人に、過去の記憶を絵にしてもらう——。それは、容易ではなかった。事実、取り組みを始めてから数カ月が経過しても、絵は一枚も収集できなかった。
沖縄の青年たちは、戦争体験者のもとを訪ねては、平和継承の思いを訴えた。その叫びが体験者の心を動かし、約700枚の絵が集まった。
85年に「沖縄戦の絵」展が始まり、全国で巡回。一部は複製パネルを作成し、平和教育の資料として貸し出され、今も県内の学校等で活用されている。
さらに今年、沖縄戦体験者への聞き取りをもとに制作した「沖縄戦の紙芝居」の貸し出しもスタートさせた。
◇編纂の苦闘
1980年12月5日、「婦人平和委員会」(現・女性平和委員会)の設置が発表された。活動の柱の一つとして掲げられたのが、「戦争体験の証言集の編纂」である。
翌81年8月、第1巻『あの星の下に』が発刊。以来、91年までの10年間で計20冊の証言集が世に送り出された。
小林昌子さんは、長崎の婦人平和委員会の委員長として、長崎の被爆をテーマにした第13巻『終わりはいつですか』の編纂に携わった。夫の喜丸さんは、青年部の反戦出版シリーズ第3巻『ピース・フロム・ナガサキ』の編纂委員長だった。
反戦出版の取り組みが決まった時、長崎の平和委員会として、被爆2世に焦点を当てることにした。
ただ、そこには大きな壁があった。「誰が被爆2世なのか」が分からないのである。
そもそも、社会的な差別もあり、被爆者の中に、自身が被爆した事実を語る人はほとんどいなかった。自分の子どもに、被爆の苦悩や不安を抱かせたくないと、被爆者たちは固く口を閉ざした。
平和委員会の友は、まず自分たちが被爆2世なのかを確認した。編纂作業は、親に話を聞くことから始まった。
すると、平和委員会のメンバーに、被爆2世が多い事実が判明した。彼女たちは、親の体験や被爆2世としての自身の思いを語りながら、証言をしてくれる人たちを探した。
時には、「なぜ、人の気持ちをえぐり出すようなことをするのか」との率直な意見もあった。委員会の友は、原爆の恐ろしさを後世に伝え残す決意を誠実に語っていった。
一つ一つの困難を乗り越え、85年8月9日、『終わりはいつですか』は出版された。
81年12月8日、婦人平和委員会による反戦出版シリーズの第2巻『白衣を紅に染めて』、第3巻『雑草のうた』の2冊が発刊された。
この日、池田先生は大分へ出発する前に、創価婦人会館(現・信濃文化会館)を訪問。2冊の書籍に揮毫した。
『白衣を紅に染めて』には、「此の反戦出版は 母の悲願なり 母の勝利の証なり」と記した。そして、『雑草のうた』には、こうペンを走らせた。
「戦争ほど 残酷なものはない。 昭和十六年十二月八日、 大東亜戦争の開始を 大本営発表として 聞きしは、京浜蒲田駅附近の 朝の路上でありしを 回顧しながら記す。 此の書を 作りし学会婦人部に 感謝しつつ」
広宣流布の直道だ!
友の仏性を信じ抜き
徹底して励ます中で
幸の連帯は築かれる!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
【通解】
露が集まって河となり、河が集まって大海となるように、塵が積もって山となり、山が重なって須弥山となるように、小事が積もって大事となるのである。
名字の言 ある少女部員の夏休みの思い出 2022年8月30日
小学校の夏休みの宿題である「絵日記」の内容が変化しているとニュース番組で見た。コロナ禍の影響もあり、家族旅行や海水浴などの記述が少ないという▼それでも児童らは「自宅で料理に挑戦した」「父と一緒に勉強机を手作りした」など、楽しい思い出を残しているとも。先日、ある少女部員からも充実の夏休みの様子を聞いた▼その少女は父親が長期出張のため、夏休みを伯母の家で過ごした。一人っ子で、数年前に母を亡くしていた。ある日、勤行を終えた伯母に少女が質問した。「勤行は何のためにするの?」。伯母は池田先生のスピーチを引いた。「御本尊を母と思い、父と思い、うれしいことも、苦しいことも、全部、話していけばよい。ぶつけていけばよい。必ず、全部、通じていく」。そして優しく励ました。「どこにいても、お母さんとお父さんはいつも見守っているよ」▼その晩から少女は伯母と勤行を始めた。終えると「おばちゃんは向こうに行ってて」とせかし、その後、御本尊の前で1日の出来事を、胸中の母と出張中の父に報告していたという▼少女の純粋な心に、本当の幸せを教わった。御本尊に向かい、「今度は算数を頑張るね」とも語っていた少女は、もうすぐ新学期を迎える。
寸鉄 2022年8月30日
「凡夫は勇気で人を救っていくのだ」戸田先生。我らの対話こそ慈悲の行
「人の邪見を申しとどむるこそ智者」御書。青年よデマは一つも逃さず喝破(新1573・全1156)
自己否定は脳の活動低下を招く—医師。楽観主義こそ力を引き出す鍵なり
「防災週間」開始。災害時の持ち物、避難経路等を要確認。まずは自助から
国税庁を装い納付求める詐欺メールに警戒。無視が一番だ。安易に開くな
☆欧州で青年教学研修会 34カ国900人の求道の友が参加
◇池田先生がメッセージ贈る
欧州青年教学研修会が27、28の両日(現地時間)、オンラインで開催された。
これには、欧州34カ国から代表900人が参加。
池田大作先生が祝福のメッセージを贈り、生命尊厳の哲理を掲げ、強盛に平和を祈り、草の根の励ましの対話を広げる若き連帯こそ、混迷の時代を照らす希望の太陽であると強調。「勇んで『行学の二道』に励み、共々に切磋琢磨し合いながら、使命深き人生と家族のため、さらに広布と社会のために勝ち光っていってください」と呼び掛けた。
欧州社会は今、感染症や気候変動の問題、長引く紛争など、危機に直面している。欧州青年部の友は研修会に向けて、"小さな自分には何もできない"と嘆き、傍観するのではなく、"自他共の幸福の実現こそ地涌の菩薩の使命である"との確信に立って対話拡大に挑んだ。問題解決の糸口を師匠の平和の心が凝縮した小説『新・人間革命』に見いだそうと研さんに励んだ。
その思いが今回の研修会のテーマに込められている。「新・人間革命世代、共に平和のために!」
一人一人が"新時代の山本伸一"との自覚で善の連帯を広げ、臨んだ研修会。
集いでは、『新・人間革命』執筆に込められた池田先生の思い、世界広布の大闘争について研さん。西方SGI(創価学会インタナショナル)男子部長、大串同女子部長がオンラインであいさつした。
代表4人が信心根本に勝利の実証を示した信仰体験を披露。質疑応答、SDGs(持続可能な開発目標)に関する研究発表、ミニ座談会も行われた。
欧州青年委員会のヨシコ・ソサ・スギサワ委員長が「皆が希望の太陽と輝こう」と訴え、タカハシ欧州議長、プリチャード同女性部長が求道の友を励ました。
欧州の若人は、師との共戦の誓いを胸に、心新たに出発した。
「同世代の友が人類の幸福のために行動する姿に勇気をもらいました」(オランダ・女子部)
「『新・人間革命』を人生の指針として、師匠に勝利を届けます!」(ポーランド・男子部)
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第23回 平和の旗を高く掲げて �反戦出版
全ての国の民衆に生きる権利がある
それは誰にも侵されてはならない
◇沖縄決議
1973年は、創価学会が仏法を基調とした社会建設へ船出した年である。その開幕を控えた72年11月、池田大作先生は東京・日本武道館での本部総会で講演した。
「世界のあらゆる国の民衆が、生きる権利をもっている。それは、人間として、誰にも侵されてはならない権利である。その生存の権利に目覚めた民衆の運動が、今ほど必要な時はない」
「その運動を青年部に期待したい」
師の提案に、青年部は検討を開始した。そして、3カ月後の73年2月の男子部総会で「生存の権利を守る青年部アピール」を採択する。
アピールを受けて、全国各地で、平和構築のための具体的な取り組みについて、協議が重ねられた。最も早く計画をまとめたのが沖縄だった。
同年5月19日、沖縄青年部は「戦争体験記を発刊する」との項目が入った「沖縄決議」を採択する。戦争体験記の発刊は、74年6月23日の出版を目指すことに。「6月23日」は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日である。
編纂委員長に三盛洲洋さん、副委員長に桃原正義さんが就いた。
2人が池田先生と初めて出会ったのは、64年12月2日。沖縄本部(当時)で行われた学生部員会である。
席上、先生は「沖縄の歴史は、悲惨であった。宿命の嵐のごとき歴史であった。だからこそ、ここから、幸福の風が吹かねばならない。平和の波が起こらねばならない」と訴えた。
64年12月2日は、先生が沖縄で小説『人間革命』を起稿した日でもある。だからこそ、2人は編纂委員の友や出版に協力してくれる仲間と共に、反戦の書の完成に全精魂を注いだ。
◇人骨が残る壕で
桃原さんが編纂委員のメンバーと共に戦争体験を聞いた一人に、石川幸子さんがいる。石川さんは学会員ではなかったが、依頼に快く応じた。
沖縄師範学校女子部の生徒だった石川さんは、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる学徒看護隊の一員だった。配属された陸軍病院では、兵士のし尿を取ることや、亡くなった患者の遺体を運ぶことが、主な仕事だった。
45年5月末、米軍が間近に迫り、病院を移動することになった。後になって、"歩けない患者は、衛生兵によって青酸カリ入りのミルクを飲まされた"という衝撃的なことを聞いた。
石川さんは、看護隊の仲間と壕に隠れた。壕の中は風通しが悪く、多くの人がいたため、大変な暑さになった。
水を求めて、壕から出た。海辺へ移動し、アダンの葉の下で生活した。だが、その場所にも米軍は容赦なく攻撃を仕掛ける。岩の陰に隠れたり、波にさらわれる危険を承知で、海に逃げたりしたこともあった。
やがて、食べ物も底をついた。食料が残っているという壕に行くと、たくさんの骨があった。その壕は、現在の「ひめゆりの塔」が立つ場所である。
石川さんは、同じ学徒隊の人骨が残る壕にとどまった。日本の降伏が信じられず、8月22日まで壕の中で身を潜め続けた。
戦争とは、これほどまでに、むごいものか——桃原さんは身を震わせながら、石川さんの話を聞いた。
74年6月23日、沖縄の方々の戦争体験をまとめた『打ち砕かれしうるま島』(第三文明社)が発刊された。それは、創価学会青年部による反戦出版シリーズの第1巻となった。
◇日本軍の残虐行為
『打ち砕かれしうるま島』が発刊される4カ月前の1974年2月、沖縄を訪問した池田先生は、名護会館へ。そこに集った未来部のメンバーに率直な思いを語った。
「平和のために、"沖縄の心"を伝えるために、戦争体験の証言集を残してほしいというのが、私の願いです」
その場にいた上原春樹さん。沖縄戦を生きた祖母のシゲさんに話を聞くことにした。だが、シゲさんは強烈な拒否反応を示した。普段の優しい祖母からは想像もつかない表情だった。
シゲさんは未入会だった。その祖母に、春樹さんは戦争体験を聞く意義を何度も語った。
ある時、沖縄に二度と戦争を経験させないための取り組みであることを伝えた。シゲさんは「沖縄に戦争を起こさせないためか」と聞き返し、自らの戦争体験を語り始めた。
——沖縄戦が悲惨な様相を見せていた45年5月21日、シゲさんは長女を出産。しかし、複雑な心境だった。
「食糧難に加え、いつ敵の砲弾にやられるかもしれない不安……」「味方と信じていた日本軍は、敵に発見されるからといって泣きじゃくる赤ちゃんを殺してしまう。そのような信じられないことが私の周囲にはあった」
長女は手のひらに包まれるくらいの小さな姿で生まれた。だが、元気な泣き声をあげ始めた。
「私はうれしくてうれしくて、飛びあがって喜びました」「戦争の犠牲にさせてなるものか——と、私は心に強く決意した」
その後、シゲさんは米軍の捕虜になった。当時、それは恥とされた。それでも恥より生きることを選んだ。
収容所はマラリアやチフスなどの病気が大流行していた。シゲさんは収容所で、こんな言葉をよく耳にした。
「昨日は他人の死体をかつぎ、今日は自分がかつがれる」
収容所も悲惨だった。その中を、シゲさんは生き抜き、戦後を迎えた。
春樹さんの熱意によって残されたシゲさんの証言は、76年6月23日に発刊された、反戦出版の第17巻『血に染まるかりゆしの海』に収録された。
◇戦争体験を絵に
沖縄戦の実態を残すために、沖縄青年部が反戦出版と共に取り組んだのが「沖縄戦の絵」の収集である。
沖縄戦の写真は、多くが米軍が撮影したもの。沖縄の人々が、どれだけ悲惨な思いをしたかという視点での記録は、皆無に等しかった。
戦争体験を持つ人に、過去の記憶を絵にしてもらう——。それは、容易ではなかった。事実、取り組みを始めてから数カ月が経過しても、絵は一枚も収集できなかった。
沖縄の青年たちは、戦争体験者のもとを訪ねては、平和継承の思いを訴えた。その叫びが体験者の心を動かし、約700枚の絵が集まった。
85年に「沖縄戦の絵」展が始まり、全国で巡回。一部は複製パネルを作成し、平和教育の資料として貸し出され、今も県内の学校等で活用されている。
さらに今年、沖縄戦体験者への聞き取りをもとに制作した「沖縄戦の紙芝居」の貸し出しもスタートさせた。
◇編纂の苦闘
1980年12月5日、「婦人平和委員会」(現・女性平和委員会)の設置が発表された。活動の柱の一つとして掲げられたのが、「戦争体験の証言集の編纂」である。
翌81年8月、第1巻『あの星の下に』が発刊。以来、91年までの10年間で計20冊の証言集が世に送り出された。
小林昌子さんは、長崎の婦人平和委員会の委員長として、長崎の被爆をテーマにした第13巻『終わりはいつですか』の編纂に携わった。夫の喜丸さんは、青年部の反戦出版シリーズ第3巻『ピース・フロム・ナガサキ』の編纂委員長だった。
反戦出版の取り組みが決まった時、長崎の平和委員会として、被爆2世に焦点を当てることにした。
ただ、そこには大きな壁があった。「誰が被爆2世なのか」が分からないのである。
そもそも、社会的な差別もあり、被爆者の中に、自身が被爆した事実を語る人はほとんどいなかった。自分の子どもに、被爆の苦悩や不安を抱かせたくないと、被爆者たちは固く口を閉ざした。
平和委員会の友は、まず自分たちが被爆2世なのかを確認した。編纂作業は、親に話を聞くことから始まった。
すると、平和委員会のメンバーに、被爆2世が多い事実が判明した。彼女たちは、親の体験や被爆2世としての自身の思いを語りながら、証言をしてくれる人たちを探した。
時には、「なぜ、人の気持ちをえぐり出すようなことをするのか」との率直な意見もあった。委員会の友は、原爆の恐ろしさを後世に伝え残す決意を誠実に語っていった。
一つ一つの困難を乗り越え、85年8月9日、『終わりはいつですか』は出版された。
81年12月8日、婦人平和委員会による反戦出版シリーズの第2巻『白衣を紅に染めて』、第3巻『雑草のうた』の2冊が発刊された。
この日、池田先生は大分へ出発する前に、創価婦人会館(現・信濃文化会館)を訪問。2冊の書籍に揮毫した。
『白衣を紅に染めて』には、「此の反戦出版は 母の悲願なり 母の勝利の証なり」と記した。そして、『雑草のうた』には、こうペンを走らせた。
「戦争ほど 残酷なものはない。 昭和十六年十二月八日、 大東亜戦争の開始を 大本営発表として 聞きしは、京浜蒲田駅附近の 朝の路上でありしを 回顧しながら記す。 此の書を 作りし学会婦人部に 感謝しつつ」
2022年8月29日月曜日
2022.08.29 わが友に贈る
◇今週のことば
「いよいよ道心堅固にして、
今度仏になり給え」
仏法入門は「幸福の門」。
多くの友と希望に燃えて
任用試験に挑みゆこう!
(新1606・全1184)
2022年8月29日
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
【通解】
生命は三千大千世界をもっても買うことのできないものである。
名字の言 沖縄の発展に尽くした2代目県令・上杉茂憲 2022年8月29日
明治政府による琉球処分後の1881年、2代目沖縄県令に就いた上杉茂憲。山形・米沢藩最後の藩主だった彼は、県令としてわずか2年の任期で沖縄発展への足跡を残した▼就任後、県内をくまなく回った上杉は、困窮する人々の実態を目の当たりにし、政府に窮状を報告。粘り強く働き掛け、小学校設立の奨励や若者の本土留学など教育に力を入れた。道半ばで退任するが、やがて新聞社、銀行の創業者や政治家が誕生。彼の志を継ぐ者たちが近代沖縄の道を開いた(『上杉茂憲』祥伝社新書)▼1988年2月、沖縄を訪問した池田先生は「沖縄池田青年塾」の開所式に出席。福沢諭吉が論じた「自我作古(我より古をなす)」に言及した。未聞の分野で自らが原点となって道を築き、後進のための礎になるとの意だ▼この精神で広布草創を切り開いた同志の奮闘をたたえつつ、先生は青年たちに訴えた。「諸君もまた、万年にわたる妙法広布の先覚者である」「諸君から大河は始まる。"自分自身が原点である"との自覚と実践を」と▼万代の広布の流れから見れば、今を生きる私たちもまた草創の先覚者であり、大河の出発点である。希望と勝利の未来へ、皆が若々しい気概で未聞の歴史を開いていきたい。
寸鉄 2022年8月29日
大目的が確立してこそ中小の目的も明確に—牧口先生。師弟の大願へ前進
国際部の日。人格と語学で世界広布に献身する友次代開く世界市民と輝け
毅然として力強いのは民衆だけ—文豪ドストエフスキー。草の根の対話益々。堂々と語ろう
SDGsに積極的な企業5割超。"自分事"の意識が未来を創る。足元から
国連「核実験に反対する国際デー」。"絶対悪"との恩師の遺訓を我らが拡大
〈社説〉 2022・8・29 31日は「学生部の日」
◇信心の歓喜つかむ勇気の挑戦を
明後31日は「学生部の日」。本年は、その淵源となった1962年の池田先生による学生部の代表に対する「御義口伝講義」開始から60周年を迎える。英知の人材輩出へ、講義は約5年間続いた。
そして池田先生は、67年の学生部総会で沖縄の本土復帰提言を、68年の同総会では歴史的な日中提言を発表する。新時代の平和創出へ、学生部への期待がいかに大きいかを象徴する事実である。
昨日、各地で学生部教学実力試験が実施された。多くの友が御義口伝をはじめ、夏の教学研さんの成果を発揮したことだろう。
御義口伝には「『疑いなきを信と曰う』の釈、これを思うべし云々」(新1047・全751)と。"疑わない"のではなく、"疑いがない"ことを「信」というと説かれている。
"なぜ信仰が必要なのか"——学会2世、3世、4世にとって、学会活動は疑問の連続かもしれない。学生部では、同じような悩みに直面してきた先輩と、共に祈り、学び、実践する中で、さまざまな疑問を解きほぐしながら「信」を深めている。
昨年、東南アジアから四国へ留学してきた学生部員も学会2世。努力すれば祈る必要はないと思っていたが、留学先が地方都市になったことに不満を抱いていた。
心情を学生部の先輩に打ち明けると「今、ここにいるのは意味がある。題目根本に努力すれば、必ず使命の道をつかめるよ」と励まされた。彼は目先の課題だけでなく、"社会に貢献できる使命の道を見つけたい"と、真剣な唱題に挑戦。その中で、自身の学ぶ環境や縁する友人が、自分の成長にとって最高の存在だと感じ、「四国に来られて良かった」と心から思えるようになった。
この春には、学会の人間主義の思想に共感した学友が入会。今、日々の唱題を通して生き生きと変わる友人の姿と、互いの夢を祈り合える同志となれた喜びに、御義口伝の「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)の一節を実感している。
下半期を、弘教拡大と人材拡大で飾ろうと、広布に走る学生部。次代を担う一人一人が勇気の対話で友に寄り添い、「僕は信心でこんなに変われた」「私は学会活動で本当に成長できた」と、信心の歓喜と確信をつかめるように、温かなエールを送りたい。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:介護に携わって
◇御文
『苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。』(四条金吾殿御返事、新1554・全1143)
◇通解
苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。
◇苦楽を見下ろす境涯に 難病の母、認知症の父
若き池田先生が、山口県を舞台に弘教拡大の指揮を執った「山口開拓指導」。有田久子さん(58)=西山口牧口総県女性部長=の両親が創価学会に入会したのも、その仏縁の広がりから。以来、信心一筋。有田さんは親の背を見て師弟を学んできた。「そんな両親の介護で、悩む日が来るなんて……」
◇
有田さんは夫・忠彦さん(60)=支部長=を入会に導き、28歳で結婚。長男・一彦さん(27)=男子部員=を授かった。
2005年(平成17年)、未入会の義父を友人葬で見送ったことがきっかけで、義母は学会理解を深め、御本尊を受持した。2年後、義母の最期をみとる。
「それから間もなく、私の両親も70歳を超えていたので、同居を始めることになって。ちょうど、わが家を新築した頃でした」
家事を手助けしてもらえる。そんな期待もあったという。
「けれど、一緒に暮らし始めてすぐ、母の様子がおかしくなってきたんです。しょっちゅう、こけたり、物忘れが頻繁になったり」
病院を転々としたが、「認知症でしょう」と繰り返されるばかり。母の認知症状は次第に進行し、うつや幻覚などの症状も現れた。さらに、有田さんが学会活動から帰宅するたび、母から怒鳴られ、暴言を浴びせられるようにもなった。
「優しくて信心強盛だった母が、まるで別人のようで。暴言もそうですが、そんな母の姿を見るのが一番つらかったです」
有田さんが帰ると、家中が排せつ物だらけになっていたこともあったという。やがて母は、食事から下の世話まで、全面的な介護が必要になっていった。
「もう家族総出での介護でしたね」
その後、母は嚥下機能の低下により、胃ろうの手術を受けた。また、大学病院での検査を経て、大脳に強い萎縮が見られる難病の「大脳皮質基底核変性症」だと判明した。
暴言や幻覚といった症状が難病のせいだと分かり、「半分は安心した」と有田さん。とはいえ、「根本的な治療法はなく、進行すれば寝たきりにもなる。もう半分は、落ち込みました」と明かす。
医師とも相談し、在宅での介護は困難と判断されたため、入院させることになった。
そんな中、今度は父が心筋梗塞で倒れた。以来、父は入退院を繰り返す中、次第に認知症も進んでいった。
「二人は別々の病院に入院したので、着替えやらタオルやらを持って、毎日、あっち行ったりこっち行ったり」
退院した父を在宅で介護している間は、夜間の徘徊もあった。家族で捜し回り、血だらけの父を保護したことも。両親の介護に尽くしながら、有田さんは学会で総県の中心者として、広大な地域を同志の激励に走る日々。
文字通り、無我夢中だった。
「外でええこと言っても、家に帰ったら壮絶な状態。"しんどいな""なんでわが家ばっかり"って、思わず涙が込み上げた時、目に飛び込んだのが『苦をば苦とさとり……』という御書の一節でした」
苦しい時もうれしい時も、ありのまま妙法を唱え抜く。その先に、「自受法楽」(自ら法楽を受く)という、人生の一切を仏界の大境涯から悠々と見下ろしていけるような、強い自分自身を築いていける——。
信仰の醍醐味を示された御聖訓を拝して、有田さんは「介護も人生も、きれい事だけでは済まないのが現実。悩み、葛藤しながら、それでも信心を貫くから、本当の宿命転換ができる」と自らを鼓舞したという。「そう思ったら、苦労できること自体に感謝の心が少しずつ湧いて」
有田さんは、母を13年間、父を8年間、それぞれ介護した末に最期をみとった。
「あの経験があったからこそ、人の苦悩に心から同苦できるようになれた。私に信心を教えてくれた父母は、最後まで身をもって、信心の深さを教えてくれたんだと思います」
「とはいえ、現実には"いつまでこの状況が続くんだろう"って、何度も思いました。そのたびに御本尊に祈って、生命力をたぎらせて、目の前のことに精いっぱい尽くす。両親の介護に向き合ってきたようで、実は、自分自身の命に一番向き合ったのかもしれません」
学会草創期から広布に駆けてきた両親。
認知症を患う中でも、有田さんの父は毎日、唱題だけは欠かさなかったそうだ。
「夜中に起きてきて、『今日一日、池田先生・奥さま、お元気で!』って宣言して、朗々と唱題を始めるんです。『お父さん、もう先生・奥さまも寝る時間やけん』って言い聞かせましたけど。師と共に戦い抜いてきた"信心の闘魂"は衰え知らずでしたね」
両親の葬儀に参列した大勢の同志の姿を見て、改めて、信心一筋を貫いた親の生きざまが胸に迫ったという。
「そんな両親の世話ができて良かったなって。今では、感謝の気持ちでいっぱいです」
池田先生はつづっている。
「大いなる境涯の人は幸福である。広々とした心で、毎日を生き抜いていける。
強き境涯の人は幸せである。苦しみにも負けることなく、悠々と一生を楽しんでいける。
深き境涯の人は幸せである。人生の深き味わいをかみしめながら、永遠にも通じゆく有意義な価値の歴史をつくりゆくことができる。
清らかな境涯の人は幸せである。その人のまわりには、つねにさわやかな喜びが広がっていく。(中略)
こうした、生命の大境涯を建設することに、仏道修行の目的もある」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
有田さんは取材の終わり際に話していた。
「両親の夫婦愛は最後まですごかったです。やっぱり、広宣流布のために一緒に戦った思い出というのは、心の奥底にしっかり刻まれるんでしょうね」
[教学コンパス]
"もっとやれることがあったのでは"。大切な人との死別に際し、そうした後悔が募ったという人は少なくないだろう。記者も親族をみとる経験の中で、例えようもない喪失感を抱いたことがある。
日蓮大聖人は伊豆流罪の赦免後、文永元年(1264年)、故郷の安房国(現在の千葉県南部)に足を運んで病床の母を見舞い、快癒を祈念。母の寿命を4年も延ばすことができた。それでも、大聖人は母を亡くした後、「母に先立たれた今になって、強い後悔の思いにかられています」(新2074・全1401、趣旨)と述べられている。もっと親孝行をしたかった——率直なお言葉に、大聖人の母を思う深いお心が伝わってくる。
御聖訓には「題目の光無間に至って即身成仏せしむ」(新991・全712)と仰せだ。私たちが唱える自行化他の題目は、必ず故人に届く。生死を超えて、共に妙法の光明に包まれる。この信心の実践を貫く中にこそ、「生も歓喜、死も歓喜」という大境涯を開きゆく、最高の追善があるのだ。
「いよいよ道心堅固にして、
今度仏になり給え」
仏法入門は「幸福の門」。
多くの友と希望に燃えて
任用試験に挑みゆこう!
(新1606・全1184)
2022年8月29日
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
【通解】
生命は三千大千世界をもっても買うことのできないものである。
名字の言 沖縄の発展に尽くした2代目県令・上杉茂憲 2022年8月29日
明治政府による琉球処分後の1881年、2代目沖縄県令に就いた上杉茂憲。山形・米沢藩最後の藩主だった彼は、県令としてわずか2年の任期で沖縄発展への足跡を残した▼就任後、県内をくまなく回った上杉は、困窮する人々の実態を目の当たりにし、政府に窮状を報告。粘り強く働き掛け、小学校設立の奨励や若者の本土留学など教育に力を入れた。道半ばで退任するが、やがて新聞社、銀行の創業者や政治家が誕生。彼の志を継ぐ者たちが近代沖縄の道を開いた(『上杉茂憲』祥伝社新書)▼1988年2月、沖縄を訪問した池田先生は「沖縄池田青年塾」の開所式に出席。福沢諭吉が論じた「自我作古(我より古をなす)」に言及した。未聞の分野で自らが原点となって道を築き、後進のための礎になるとの意だ▼この精神で広布草創を切り開いた同志の奮闘をたたえつつ、先生は青年たちに訴えた。「諸君もまた、万年にわたる妙法広布の先覚者である」「諸君から大河は始まる。"自分自身が原点である"との自覚と実践を」と▼万代の広布の流れから見れば、今を生きる私たちもまた草創の先覚者であり、大河の出発点である。希望と勝利の未来へ、皆が若々しい気概で未聞の歴史を開いていきたい。
寸鉄 2022年8月29日
大目的が確立してこそ中小の目的も明確に—牧口先生。師弟の大願へ前進
国際部の日。人格と語学で世界広布に献身する友次代開く世界市民と輝け
毅然として力強いのは民衆だけ—文豪ドストエフスキー。草の根の対話益々。堂々と語ろう
SDGsに積極的な企業5割超。"自分事"の意識が未来を創る。足元から
国連「核実験に反対する国際デー」。"絶対悪"との恩師の遺訓を我らが拡大
〈社説〉 2022・8・29 31日は「学生部の日」
◇信心の歓喜つかむ勇気の挑戦を
明後31日は「学生部の日」。本年は、その淵源となった1962年の池田先生による学生部の代表に対する「御義口伝講義」開始から60周年を迎える。英知の人材輩出へ、講義は約5年間続いた。
そして池田先生は、67年の学生部総会で沖縄の本土復帰提言を、68年の同総会では歴史的な日中提言を発表する。新時代の平和創出へ、学生部への期待がいかに大きいかを象徴する事実である。
昨日、各地で学生部教学実力試験が実施された。多くの友が御義口伝をはじめ、夏の教学研さんの成果を発揮したことだろう。
御義口伝には「『疑いなきを信と曰う』の釈、これを思うべし云々」(新1047・全751)と。"疑わない"のではなく、"疑いがない"ことを「信」というと説かれている。
"なぜ信仰が必要なのか"——学会2世、3世、4世にとって、学会活動は疑問の連続かもしれない。学生部では、同じような悩みに直面してきた先輩と、共に祈り、学び、実践する中で、さまざまな疑問を解きほぐしながら「信」を深めている。
昨年、東南アジアから四国へ留学してきた学生部員も学会2世。努力すれば祈る必要はないと思っていたが、留学先が地方都市になったことに不満を抱いていた。
心情を学生部の先輩に打ち明けると「今、ここにいるのは意味がある。題目根本に努力すれば、必ず使命の道をつかめるよ」と励まされた。彼は目先の課題だけでなく、"社会に貢献できる使命の道を見つけたい"と、真剣な唱題に挑戦。その中で、自身の学ぶ環境や縁する友人が、自分の成長にとって最高の存在だと感じ、「四国に来られて良かった」と心から思えるようになった。
この春には、学会の人間主義の思想に共感した学友が入会。今、日々の唱題を通して生き生きと変わる友人の姿と、互いの夢を祈り合える同志となれた喜びに、御義口伝の「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)の一節を実感している。
下半期を、弘教拡大と人材拡大で飾ろうと、広布に走る学生部。次代を担う一人一人が勇気の対話で友に寄り添い、「僕は信心でこんなに変われた」「私は学会活動で本当に成長できた」と、信心の歓喜と確信をつかめるように、温かなエールを送りたい。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:介護に携わって
◇御文
『苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。』(四条金吾殿御返事、新1554・全1143)
◇通解
苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。
◇苦楽を見下ろす境涯に 難病の母、認知症の父
若き池田先生が、山口県を舞台に弘教拡大の指揮を執った「山口開拓指導」。有田久子さん(58)=西山口牧口総県女性部長=の両親が創価学会に入会したのも、その仏縁の広がりから。以来、信心一筋。有田さんは親の背を見て師弟を学んできた。「そんな両親の介護で、悩む日が来るなんて……」
◇
有田さんは夫・忠彦さん(60)=支部長=を入会に導き、28歳で結婚。長男・一彦さん(27)=男子部員=を授かった。
2005年(平成17年)、未入会の義父を友人葬で見送ったことがきっかけで、義母は学会理解を深め、御本尊を受持した。2年後、義母の最期をみとる。
「それから間もなく、私の両親も70歳を超えていたので、同居を始めることになって。ちょうど、わが家を新築した頃でした」
家事を手助けしてもらえる。そんな期待もあったという。
「けれど、一緒に暮らし始めてすぐ、母の様子がおかしくなってきたんです。しょっちゅう、こけたり、物忘れが頻繁になったり」
病院を転々としたが、「認知症でしょう」と繰り返されるばかり。母の認知症状は次第に進行し、うつや幻覚などの症状も現れた。さらに、有田さんが学会活動から帰宅するたび、母から怒鳴られ、暴言を浴びせられるようにもなった。
「優しくて信心強盛だった母が、まるで別人のようで。暴言もそうですが、そんな母の姿を見るのが一番つらかったです」
有田さんが帰ると、家中が排せつ物だらけになっていたこともあったという。やがて母は、食事から下の世話まで、全面的な介護が必要になっていった。
「もう家族総出での介護でしたね」
その後、母は嚥下機能の低下により、胃ろうの手術を受けた。また、大学病院での検査を経て、大脳に強い萎縮が見られる難病の「大脳皮質基底核変性症」だと判明した。
暴言や幻覚といった症状が難病のせいだと分かり、「半分は安心した」と有田さん。とはいえ、「根本的な治療法はなく、進行すれば寝たきりにもなる。もう半分は、落ち込みました」と明かす。
医師とも相談し、在宅での介護は困難と判断されたため、入院させることになった。
そんな中、今度は父が心筋梗塞で倒れた。以来、父は入退院を繰り返す中、次第に認知症も進んでいった。
「二人は別々の病院に入院したので、着替えやらタオルやらを持って、毎日、あっち行ったりこっち行ったり」
退院した父を在宅で介護している間は、夜間の徘徊もあった。家族で捜し回り、血だらけの父を保護したことも。両親の介護に尽くしながら、有田さんは学会で総県の中心者として、広大な地域を同志の激励に走る日々。
文字通り、無我夢中だった。
「外でええこと言っても、家に帰ったら壮絶な状態。"しんどいな""なんでわが家ばっかり"って、思わず涙が込み上げた時、目に飛び込んだのが『苦をば苦とさとり……』という御書の一節でした」
苦しい時もうれしい時も、ありのまま妙法を唱え抜く。その先に、「自受法楽」(自ら法楽を受く)という、人生の一切を仏界の大境涯から悠々と見下ろしていけるような、強い自分自身を築いていける——。
信仰の醍醐味を示された御聖訓を拝して、有田さんは「介護も人生も、きれい事だけでは済まないのが現実。悩み、葛藤しながら、それでも信心を貫くから、本当の宿命転換ができる」と自らを鼓舞したという。「そう思ったら、苦労できること自体に感謝の心が少しずつ湧いて」
有田さんは、母を13年間、父を8年間、それぞれ介護した末に最期をみとった。
「あの経験があったからこそ、人の苦悩に心から同苦できるようになれた。私に信心を教えてくれた父母は、最後まで身をもって、信心の深さを教えてくれたんだと思います」
「とはいえ、現実には"いつまでこの状況が続くんだろう"って、何度も思いました。そのたびに御本尊に祈って、生命力をたぎらせて、目の前のことに精いっぱい尽くす。両親の介護に向き合ってきたようで、実は、自分自身の命に一番向き合ったのかもしれません」
学会草創期から広布に駆けてきた両親。
認知症を患う中でも、有田さんの父は毎日、唱題だけは欠かさなかったそうだ。
「夜中に起きてきて、『今日一日、池田先生・奥さま、お元気で!』って宣言して、朗々と唱題を始めるんです。『お父さん、もう先生・奥さまも寝る時間やけん』って言い聞かせましたけど。師と共に戦い抜いてきた"信心の闘魂"は衰え知らずでしたね」
両親の葬儀に参列した大勢の同志の姿を見て、改めて、信心一筋を貫いた親の生きざまが胸に迫ったという。
「そんな両親の世話ができて良かったなって。今では、感謝の気持ちでいっぱいです」
池田先生はつづっている。
「大いなる境涯の人は幸福である。広々とした心で、毎日を生き抜いていける。
強き境涯の人は幸せである。苦しみにも負けることなく、悠々と一生を楽しんでいける。
深き境涯の人は幸せである。人生の深き味わいをかみしめながら、永遠にも通じゆく有意義な価値の歴史をつくりゆくことができる。
清らかな境涯の人は幸せである。その人のまわりには、つねにさわやかな喜びが広がっていく。(中略)
こうした、生命の大境涯を建設することに、仏道修行の目的もある」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
有田さんは取材の終わり際に話していた。
「両親の夫婦愛は最後まですごかったです。やっぱり、広宣流布のために一緒に戦った思い出というのは、心の奥底にしっかり刻まれるんでしょうね」
[教学コンパス]
"もっとやれることがあったのでは"。大切な人との死別に際し、そうした後悔が募ったという人は少なくないだろう。記者も親族をみとる経験の中で、例えようもない喪失感を抱いたことがある。
日蓮大聖人は伊豆流罪の赦免後、文永元年(1264年)、故郷の安房国(現在の千葉県南部)に足を運んで病床の母を見舞い、快癒を祈念。母の寿命を4年も延ばすことができた。それでも、大聖人は母を亡くした後、「母に先立たれた今になって、強い後悔の思いにかられています」(新2074・全1401、趣旨)と述べられている。もっと親孝行をしたかった——率直なお言葉に、大聖人の母を思う深いお心が伝わってくる。
御聖訓には「題目の光無間に至って即身成仏せしむ」(新991・全712)と仰せだ。私たちが唱える自行化他の題目は、必ず故人に届く。生死を超えて、共に妙法の光明に包まれる。この信心の実践を貫く中にこそ、「生も歓喜、死も歓喜」という大境涯を開きゆく、最高の追善があるのだ。
2022年8月28日日曜日
2022.08.28 わが友に贈る
さあ新たな広布の峰へ
清新なる決意で出発だ!
自らの目標を明確に
強き祈りと行動で
一日一日を勝利しよう!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
【通解】
日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このような歪んだ心の者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない
【先生の指導から】
戸田先生は語っておられた。戦時中、牧口先生が投獄された時のことである。師のそばにいた大幹部が退転した。ある者は、大恩ある師匠を「牧口の野郎」と罵倒し、去っていった。
一番の弟子のような顔をしながら、大難を受けると、手の平を返すように師匠を誹謗する。恩を仇で返す。これこそ敵のなかの敵ではないか。
名字の言 "特別"と感じる母の手料理 2022年8月28日
「初帰郷 食べたい物は? 手料理と」——本紙19日付の「新・生き生き川柳」に載った句である。行動制限がなかった今夏、久方ぶりに帰省し、実家の食事に舌鼓を打った友もいるだろう▼なぜ多くの人が、母の手料理は"特別"と感じるのか。慣れ親しんだ味であったり、素材の良さや作り方に工夫があったりもしよう▼だが料理教室を主宰しているメンバーは言う。「そういった理由以上に、わが子を大切に思う親の愛情がいっぱい込められているからですよ。"お母さんの味"には私たちもかないません」▼それは料理に限らず、対話や文章にも通じること。新米記者だった頃、先輩から受けた助言がずっと心に残っている。「世界平和や人類愛といっても、一般論で書くだけでは読者の胸に届かない。たった一人でいい。悩んだり苦しんだりしている友のことを思い浮かべ、"その一人のために"と精魂込めてつづった記事が、万人の胸に響くんだ」▼「一は万が母」(新578・全498)との御聖訓を、よくよく拝したい。"あの友を元気づけよう""この人に希望を"と、具体的な「一人」のために祈り、尽くしていく。その一歩から広宣流布の万波が広がることを信じ、行動を開始しよう。
寸鉄 2022年8月28日
地道でなければ難攻不落の城築けぬ—戸田先生。幹部率先で足運び絆強く
東京・葛飾「広布師弟原点の日」65周年。共戦の炎は赤々と。皆で模範の拡大
学生部が教学実力試験。生命尊厳を時代精神に!頼もしき行学錬磨の俊英
何か掴もうとする思考が逆境力鍛える—心理士。負けじ魂胸に挑戦の日々
感染者の高止まり続く。3密回避や換気等、基本対策を再確認。油断せず
☆広宣流布大誓堂10周年の明年へ出発 第10回本部幹部会
◇池田先生が記念のメッセージ「生命尊厳こそ人類の原点」 原田会長、永石女性部長が各部代表と出席
「広宣流布大誓堂」完成10周年の明年へ出発を期す第10回本部幹部会が27日午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で盛大に開催された。
これには、原田会長、長谷川理事長、永石女性部長らが各部の代表と出席。
池田大作先生は記念のメッセージを贈り、行き詰まった時に人類が立ち返るべき原点は「生命」であり、この「生命」に本源的な智慧の光を当てている哲理こそが、「御義口伝」に説かれる「生命観」「生死観」「社会観」「宇宙観」であると強調。
「人間のための宗教」であり、人類の宿命を転換し得る「太陽の仏法」の極理を、創価の師弟は「哲学界の王者」の誇りも高く、いよいよ語り広めていきたいと呼び掛けた。
(全国配信は9月2日から5日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet会員サポート」でも視聴可能)
地球民族の幸福と平和へ「人間のための宗教」を語れ
池田先生の入信75周年の「8・24」から、創価学会創立記念日の「11・18」へ、満々たる折伏精神をみなぎらせて出発する本部幹部会。会場である東京戸田記念講堂には、新たな勝利の峰を目指し、広布拡大の決意に燃え立つ友が晴れやかに集った。
池田先生は幹部会に寄せたメッセージで、全宝友に感謝を込めて、以前に書き留めた一書を披露したいと述べた。
そして、壇上に墨痕鮮やかな大書が運ばれてきた。そこには、「法恩師恩」の文字。
先生が「あいがたき妙法に巡りあえた大恩は天空よりも高く、慈折広宣流布の師弟に生き抜ける大恩は大海よりも深い」と強調し、「この恩を知り、この恩に報いんとする一念には、何ものをも勝ち越える勇気と未来の友の道を開く力が尽きることなく湧いてくる。これが、わが不退の75星霜を貫く大確信であります」と烈々たる信念を語ると、参加者の瞳が一段と輝いた。
池田先生はメッセージの冒頭、25年前にインドで、「ニュー・ヒューマニズムの世紀」を展望する講演を行ったことに触れた。
同講演が行われた1997年当時も、世界は貧困と飢餓、資源の浪費、核兵器の拡散等の問題に直面していた。先生は同講演で"「新しい現実」はあるのに「新しい人間」がいない。「新しい生き方」「新しい哲学」が広がっていない"と強調。青年を陶冶する「教育」を柱とした、「人間のための宗教」の在り方などを縦横に論じた。
以来、四半世紀。インドをはじめ世界各地に今、人間主義の仏法を持ち、挑戦と成長の青春を歩む創価の若人たちが、澎湃と躍り出て、広宣流布の新たな潮流を起こしている。
日本では秋に向けて、求道の青年を先頭に「教学部任用試験(仏法入門)」による人材育成に全力を挙げ、生命尊厳の仏法の精髄を学ぶ。
男子部は8・9月を中心に「大学校生大会」、創価班・牙城会の「新時代生大会」を意気高く開催し、新たな力を糾合する。
池田華陽会は9月に第3回「華陽カレッジ」を実施。訪問・激励を軸に、華陽姉妹の連帯を広げる。
さらに11・12月には「SOKAユースフェスタ」を開催。男子部、学生部、女性部のヤング白ゆり世代・池田華陽会が、対話・人材拡大に取り組む。
さあ、頼もしき創価の若師子と共に、皆が青年の心で、「人間のための宗教」を学び、堂々と語りゆこう!——「青年・飛躍の年」の総仕上げを誓う幹部会では、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介した。
横井総合女子未来部長は、今月行われた未来部の夏季研修会の模様を報告。自身が創価高校、創価大学で学ぶ中で築いた創立者との原点を胸に、後継の友の励ましに走り抜く決意を述べた。
続いて、来月に結成記念日を迎える少年少女部を代表して「富士少年希望少女合唱団」が少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」のリモート合唱(事前収録)を披露した。
この日に向けて同合唱団のメンバーは、オンラインでの練習を積み重ねてきた。一人一人が"チャレンジノート"に目標を記し、勉学や唱題など自分の成長を目指して挑戦。ある友は、小説『新・人間革命』を読み進め、師匠の励ましの行動を学んだ。またある友は、未来部の各種コンクールにも取り組み、"獅子の心"を燃やした。全員が心を一つにして、"世界が大変な今、歌を通して多くの人に勇気と希望を送りたい"との決意を歌声に託した。
合唱映像を視聴した後、宮崎潤一郎さん(東京・杉並総区男子部長)が活動体験を発表した。学会一筋の父との死別を乗り越え、医学博士号を取得後、大手製薬会社に勤務。がん治療薬の開発に携わるなど、社会で実証を示しながら、リーダー率先の弘教を実らせた喜びを語った。
西方男子部長は、閉塞感が漂う社会にあって、今ほど真に人生の意味を与え、希望を送る哲学が求められている時はないと力説。教学部任用試験(仏法入門)を通じて万人尊敬の哲学を心肝に染め、破邪顕正の言論闘争に勇んで挑みゆく決意を述べた。
原田会長は池田先生が1974年に南米ペルーの「宗教裁判所博物館」を視察した折、宗教による差別や迫害を乗り越えるためには"人間"という原点に立ち返り、宗教間対話を展開していく以外にないと語ったことに言及した。そして、日蓮大聖人の仏法を掲げ、一人一人が人格の輝きを放ち、実証を示す中で、いわば"人間宗"として地域社会に共感を広げてきたのが創価学会であると強調。混迷の時代だからこそ"学会の素晴らしさを語る時"と定め、威風堂々と対話拡大にまい進しようと訴えた。
最後に、池田先生のスピーチ(1993年4月の全国青年部幹部会)を収録した、新しいVOD番組「利他の行動で自他共の幸福を」を視聴した。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第18回 嘆きから喜びへ
◇顕仏未来記
『法華経の第七に云わく「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむることなかれ」等云々。
予、一たびは歎いて云わく、仏の滅後既に二千二百二十余年を隔つ。いかなる罪業によって、仏の在世に生まれず、正法の四依、像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと。
また一たびは喜んで云わく、いかなる幸いあって、後の五百歳に生まれてこの真文を拝見することぞや。』(新606・全505)
◇勇気の指標
私はあらためて、今の高等部、中等部、少年少女部の皆さんの前進こそ、全世界の次代の黎明を告げる暁鐘であると宣言したいのであります。
◆◇◆
一見すると末法それ自体は、嘆くべき時代です。しかし、大聖人はむしろ、困難を打ち破り、真実の法が弘まる、広宣流布実現の「喜ぶべき時代」と捉え返されているのです。
まさしく、この「歎き」から「喜び」への大転換こそが重要です。それは大聖人御自身が、苦悩にあえぐ民衆を救い切るため、大難の中で、断じて正法を弘めてみせるとの強き覚悟に立たれているからです。
この原理を、私たちは深く学びたい。厳しい環境や境遇であったとしても、それをただ「嘆いて」いるのではなく、自身の一念を変革し、自らが主体者となっていけば、周りの状況を変えていくことができる。
そして、自分のためだけでなく、人のために、社会のためにと行動するからこそ、そこに真の「喜び」が湧くのです。これが「人間革命」の生き方です。
◆◇◆
未来部の皆さんこそ、この崇高な学会精神を受け継ぎ、21世紀の世界へ、「人間の宗教」の広宣流布という"現代の未来記"を掲げて勇敢に前進していただきたいのです。
◇夢や希望を大きく描いて 女子副未来部長 木下友里
8月も残りわずか。未来部の皆さんは、どんな日々を過ごしていますか? 自分らしい"挑戦の日記"をつづる夏にしていきたいですね。
今回は、池田先生の著作『未来の希望「正義の走者」に贈る』から、「顕仏未来記」を一緒に学んでいきましょう。
◇大変だからこそ
"世界が平和で、人々が笑顔にあふれた幸せな未来を築きたい"という、仏の願いが記された御書が、この顕仏未来記です。
日蓮大聖人はこの御書の中で、争いが絶えない「末法」という時代に生まれたために、法華経という最も大事な教えを説いた釈迦仏にも、正しい仏法を説いてきた偉大な人たちにも会えないことを、悲しみ、嘆いておられます。
ところがその後、"末法という、大変な世の中こそ、実は、仏の願いを実現する時なのだ"と、喜ばれているのです。
"どうして大聖人は、反対のことを言われているのかな"と思う人もいるでしょう。
池田先生は、この御文について、次のように講義してくださっています。
「厳しい環境や境遇であったとしても、それをただ『嘆いて』いるのではなく、自身の一念を変革し、自らが主体者となっていけば、周りの状況を変えていくことができる」
私は、この講義を学んで、"そうだ! 今、コロナなどで大変な状況が続いているけれど、こういう時こそ、心を大きく広げて、頑張る時なんだ"と改めて決意することができました。
◇将来、必ず恩返しを
私自身、小学生の頃、父の事業が傾き、経営していた会社を畳むことに。家庭の経済状況が厳しくなりました。勉強を重ね、創価大学に合格できたのですが、進学後、家計はさらに悪化。両親は必死になって働き、家計を支えてくれました。また、弟も働いて稼いだお金を家に入れてくれました。
"私だけ大学に行っていていいのかな"と悩みましたが、家族は、「あなたが創大生として学んでいることが誇りなんだよ」と背中を押してくれました。"将来、必ず家族に恩返ししよう"——そう決めて、勉学に励みました。
信心で家族が団結し、私も学会活動に一生懸命、挑戦する中で、大学4年の時、父は55歳で正社員となることができ、闘病していた祖母の手術も大成功しました。
そして、社会人になって数年後、思ってもみなかった形で環境が動き、負債を完済することができたのです。"苦しい時も、負けずに頑張ってきて本当に良かったね!"と、家族で一緒に喜び合いました。
◇皆さんの存在自体が
皆さんも、"どうして私だけ?"と思うようなことに直面することがあるかもしれません。そんな時こそ、今回の「一たびは喜んで云わく」という御文を思い出したいと思います。
投げ出したい、逃げ出したいと思うような出来事にぶつかった時こそ、"より大きな自分になって、使命を果たしていくためのチャンスだ!"——そんなふうに気持ちを前向きに切り替えて、目の前の課題に勇気を持って挑戦していけば、必ず未来が開かれていきます。私も体験を通して、このことを学ぶことができました。
「人類が、また地球全体が、大きな困難から力強く立ち上がろうとしているさなかにあって、皆さんの存在自体が、そして、健やかな成長そのものが、全世界の民衆の新たな希望」——池田先生は講義の中でつづってくださいました。
いろんなことがあって、心が揺れ動くこともありますが、自分の使命を信じて前進してほしいと思います。そのための信心です。未来部の仲間たちもいます。
将来の夢や希望という"私たち自身の未来記"を大きく描きながら、かけがえのない今この時を、2030年を開きゆく皆さんと共に、私も朗らかに進んでいきます。
◇メモ
「顕仏未来記」は、文永10年(1273年)閏5月11日、日蓮大聖人が、佐渡流罪中に一谷で著された書。大聖人の未来記が明かされている。宛名はないが、実質的には全門下に与えられた御書と言える。
清新なる決意で出発だ!
自らの目標を明確に
強き祈りと行動で
一日一日を勝利しよう!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
【通解】
日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このような歪んだ心の者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない
【先生の指導から】
戸田先生は語っておられた。戦時中、牧口先生が投獄された時のことである。師のそばにいた大幹部が退転した。ある者は、大恩ある師匠を「牧口の野郎」と罵倒し、去っていった。
一番の弟子のような顔をしながら、大難を受けると、手の平を返すように師匠を誹謗する。恩を仇で返す。これこそ敵のなかの敵ではないか。
名字の言 "特別"と感じる母の手料理 2022年8月28日
「初帰郷 食べたい物は? 手料理と」——本紙19日付の「新・生き生き川柳」に載った句である。行動制限がなかった今夏、久方ぶりに帰省し、実家の食事に舌鼓を打った友もいるだろう▼なぜ多くの人が、母の手料理は"特別"と感じるのか。慣れ親しんだ味であったり、素材の良さや作り方に工夫があったりもしよう▼だが料理教室を主宰しているメンバーは言う。「そういった理由以上に、わが子を大切に思う親の愛情がいっぱい込められているからですよ。"お母さんの味"には私たちもかないません」▼それは料理に限らず、対話や文章にも通じること。新米記者だった頃、先輩から受けた助言がずっと心に残っている。「世界平和や人類愛といっても、一般論で書くだけでは読者の胸に届かない。たった一人でいい。悩んだり苦しんだりしている友のことを思い浮かべ、"その一人のために"と精魂込めてつづった記事が、万人の胸に響くんだ」▼「一は万が母」(新578・全498)との御聖訓を、よくよく拝したい。"あの友を元気づけよう""この人に希望を"と、具体的な「一人」のために祈り、尽くしていく。その一歩から広宣流布の万波が広がることを信じ、行動を開始しよう。
寸鉄 2022年8月28日
地道でなければ難攻不落の城築けぬ—戸田先生。幹部率先で足運び絆強く
東京・葛飾「広布師弟原点の日」65周年。共戦の炎は赤々と。皆で模範の拡大
学生部が教学実力試験。生命尊厳を時代精神に!頼もしき行学錬磨の俊英
何か掴もうとする思考が逆境力鍛える—心理士。負けじ魂胸に挑戦の日々
感染者の高止まり続く。3密回避や換気等、基本対策を再確認。油断せず
☆広宣流布大誓堂10周年の明年へ出発 第10回本部幹部会
◇池田先生が記念のメッセージ「生命尊厳こそ人類の原点」 原田会長、永石女性部長が各部代表と出席
「広宣流布大誓堂」完成10周年の明年へ出発を期す第10回本部幹部会が27日午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で盛大に開催された。
これには、原田会長、長谷川理事長、永石女性部長らが各部の代表と出席。
池田大作先生は記念のメッセージを贈り、行き詰まった時に人類が立ち返るべき原点は「生命」であり、この「生命」に本源的な智慧の光を当てている哲理こそが、「御義口伝」に説かれる「生命観」「生死観」「社会観」「宇宙観」であると強調。
「人間のための宗教」であり、人類の宿命を転換し得る「太陽の仏法」の極理を、創価の師弟は「哲学界の王者」の誇りも高く、いよいよ語り広めていきたいと呼び掛けた。
(全国配信は9月2日から5日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet会員サポート」でも視聴可能)
地球民族の幸福と平和へ「人間のための宗教」を語れ
池田先生の入信75周年の「8・24」から、創価学会創立記念日の「11・18」へ、満々たる折伏精神をみなぎらせて出発する本部幹部会。会場である東京戸田記念講堂には、新たな勝利の峰を目指し、広布拡大の決意に燃え立つ友が晴れやかに集った。
池田先生は幹部会に寄せたメッセージで、全宝友に感謝を込めて、以前に書き留めた一書を披露したいと述べた。
そして、壇上に墨痕鮮やかな大書が運ばれてきた。そこには、「法恩師恩」の文字。
先生が「あいがたき妙法に巡りあえた大恩は天空よりも高く、慈折広宣流布の師弟に生き抜ける大恩は大海よりも深い」と強調し、「この恩を知り、この恩に報いんとする一念には、何ものをも勝ち越える勇気と未来の友の道を開く力が尽きることなく湧いてくる。これが、わが不退の75星霜を貫く大確信であります」と烈々たる信念を語ると、参加者の瞳が一段と輝いた。
池田先生はメッセージの冒頭、25年前にインドで、「ニュー・ヒューマニズムの世紀」を展望する講演を行ったことに触れた。
同講演が行われた1997年当時も、世界は貧困と飢餓、資源の浪費、核兵器の拡散等の問題に直面していた。先生は同講演で"「新しい現実」はあるのに「新しい人間」がいない。「新しい生き方」「新しい哲学」が広がっていない"と強調。青年を陶冶する「教育」を柱とした、「人間のための宗教」の在り方などを縦横に論じた。
以来、四半世紀。インドをはじめ世界各地に今、人間主義の仏法を持ち、挑戦と成長の青春を歩む創価の若人たちが、澎湃と躍り出て、広宣流布の新たな潮流を起こしている。
日本では秋に向けて、求道の青年を先頭に「教学部任用試験(仏法入門)」による人材育成に全力を挙げ、生命尊厳の仏法の精髄を学ぶ。
男子部は8・9月を中心に「大学校生大会」、創価班・牙城会の「新時代生大会」を意気高く開催し、新たな力を糾合する。
池田華陽会は9月に第3回「華陽カレッジ」を実施。訪問・激励を軸に、華陽姉妹の連帯を広げる。
さらに11・12月には「SOKAユースフェスタ」を開催。男子部、学生部、女性部のヤング白ゆり世代・池田華陽会が、対話・人材拡大に取り組む。
さあ、頼もしき創価の若師子と共に、皆が青年の心で、「人間のための宗教」を学び、堂々と語りゆこう!——「青年・飛躍の年」の総仕上げを誓う幹部会では、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介した。
横井総合女子未来部長は、今月行われた未来部の夏季研修会の模様を報告。自身が創価高校、創価大学で学ぶ中で築いた創立者との原点を胸に、後継の友の励ましに走り抜く決意を述べた。
続いて、来月に結成記念日を迎える少年少女部を代表して「富士少年希望少女合唱団」が少年少女部歌「Be Brave! 獅子の心で」のリモート合唱(事前収録)を披露した。
この日に向けて同合唱団のメンバーは、オンラインでの練習を積み重ねてきた。一人一人が"チャレンジノート"に目標を記し、勉学や唱題など自分の成長を目指して挑戦。ある友は、小説『新・人間革命』を読み進め、師匠の励ましの行動を学んだ。またある友は、未来部の各種コンクールにも取り組み、"獅子の心"を燃やした。全員が心を一つにして、"世界が大変な今、歌を通して多くの人に勇気と希望を送りたい"との決意を歌声に託した。
合唱映像を視聴した後、宮崎潤一郎さん(東京・杉並総区男子部長)が活動体験を発表した。学会一筋の父との死別を乗り越え、医学博士号を取得後、大手製薬会社に勤務。がん治療薬の開発に携わるなど、社会で実証を示しながら、リーダー率先の弘教を実らせた喜びを語った。
西方男子部長は、閉塞感が漂う社会にあって、今ほど真に人生の意味を与え、希望を送る哲学が求められている時はないと力説。教学部任用試験(仏法入門)を通じて万人尊敬の哲学を心肝に染め、破邪顕正の言論闘争に勇んで挑みゆく決意を述べた。
原田会長は池田先生が1974年に南米ペルーの「宗教裁判所博物館」を視察した折、宗教による差別や迫害を乗り越えるためには"人間"という原点に立ち返り、宗教間対話を展開していく以外にないと語ったことに言及した。そして、日蓮大聖人の仏法を掲げ、一人一人が人格の輝きを放ち、実証を示す中で、いわば"人間宗"として地域社会に共感を広げてきたのが創価学会であると強調。混迷の時代だからこそ"学会の素晴らしさを語る時"と定め、威風堂々と対話拡大にまい進しようと訴えた。
最後に、池田先生のスピーチ(1993年4月の全国青年部幹部会)を収録した、新しいVOD番組「利他の行動で自他共の幸福を」を視聴した。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第18回 嘆きから喜びへ
◇顕仏未来記
『法華経の第七に云わく「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむることなかれ」等云々。
予、一たびは歎いて云わく、仏の滅後既に二千二百二十余年を隔つ。いかなる罪業によって、仏の在世に生まれず、正法の四依、像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと。
また一たびは喜んで云わく、いかなる幸いあって、後の五百歳に生まれてこの真文を拝見することぞや。』(新606・全505)
◇勇気の指標
私はあらためて、今の高等部、中等部、少年少女部の皆さんの前進こそ、全世界の次代の黎明を告げる暁鐘であると宣言したいのであります。
◆◇◆
一見すると末法それ自体は、嘆くべき時代です。しかし、大聖人はむしろ、困難を打ち破り、真実の法が弘まる、広宣流布実現の「喜ぶべき時代」と捉え返されているのです。
まさしく、この「歎き」から「喜び」への大転換こそが重要です。それは大聖人御自身が、苦悩にあえぐ民衆を救い切るため、大難の中で、断じて正法を弘めてみせるとの強き覚悟に立たれているからです。
この原理を、私たちは深く学びたい。厳しい環境や境遇であったとしても、それをただ「嘆いて」いるのではなく、自身の一念を変革し、自らが主体者となっていけば、周りの状況を変えていくことができる。
そして、自分のためだけでなく、人のために、社会のためにと行動するからこそ、そこに真の「喜び」が湧くのです。これが「人間革命」の生き方です。
◆◇◆
未来部の皆さんこそ、この崇高な学会精神を受け継ぎ、21世紀の世界へ、「人間の宗教」の広宣流布という"現代の未来記"を掲げて勇敢に前進していただきたいのです。
◇夢や希望を大きく描いて 女子副未来部長 木下友里
8月も残りわずか。未来部の皆さんは、どんな日々を過ごしていますか? 自分らしい"挑戦の日記"をつづる夏にしていきたいですね。
今回は、池田先生の著作『未来の希望「正義の走者」に贈る』から、「顕仏未来記」を一緒に学んでいきましょう。
◇大変だからこそ
"世界が平和で、人々が笑顔にあふれた幸せな未来を築きたい"という、仏の願いが記された御書が、この顕仏未来記です。
日蓮大聖人はこの御書の中で、争いが絶えない「末法」という時代に生まれたために、法華経という最も大事な教えを説いた釈迦仏にも、正しい仏法を説いてきた偉大な人たちにも会えないことを、悲しみ、嘆いておられます。
ところがその後、"末法という、大変な世の中こそ、実は、仏の願いを実現する時なのだ"と、喜ばれているのです。
"どうして大聖人は、反対のことを言われているのかな"と思う人もいるでしょう。
池田先生は、この御文について、次のように講義してくださっています。
「厳しい環境や境遇であったとしても、それをただ『嘆いて』いるのではなく、自身の一念を変革し、自らが主体者となっていけば、周りの状況を変えていくことができる」
私は、この講義を学んで、"そうだ! 今、コロナなどで大変な状況が続いているけれど、こういう時こそ、心を大きく広げて、頑張る時なんだ"と改めて決意することができました。
◇将来、必ず恩返しを
私自身、小学生の頃、父の事業が傾き、経営していた会社を畳むことに。家庭の経済状況が厳しくなりました。勉強を重ね、創価大学に合格できたのですが、進学後、家計はさらに悪化。両親は必死になって働き、家計を支えてくれました。また、弟も働いて稼いだお金を家に入れてくれました。
"私だけ大学に行っていていいのかな"と悩みましたが、家族は、「あなたが創大生として学んでいることが誇りなんだよ」と背中を押してくれました。"将来、必ず家族に恩返ししよう"——そう決めて、勉学に励みました。
信心で家族が団結し、私も学会活動に一生懸命、挑戦する中で、大学4年の時、父は55歳で正社員となることができ、闘病していた祖母の手術も大成功しました。
そして、社会人になって数年後、思ってもみなかった形で環境が動き、負債を完済することができたのです。"苦しい時も、負けずに頑張ってきて本当に良かったね!"と、家族で一緒に喜び合いました。
◇皆さんの存在自体が
皆さんも、"どうして私だけ?"と思うようなことに直面することがあるかもしれません。そんな時こそ、今回の「一たびは喜んで云わく」という御文を思い出したいと思います。
投げ出したい、逃げ出したいと思うような出来事にぶつかった時こそ、"より大きな自分になって、使命を果たしていくためのチャンスだ!"——そんなふうに気持ちを前向きに切り替えて、目の前の課題に勇気を持って挑戦していけば、必ず未来が開かれていきます。私も体験を通して、このことを学ぶことができました。
「人類が、また地球全体が、大きな困難から力強く立ち上がろうとしているさなかにあって、皆さんの存在自体が、そして、健やかな成長そのものが、全世界の民衆の新たな希望」——池田先生は講義の中でつづってくださいました。
いろんなことがあって、心が揺れ動くこともありますが、自分の使命を信じて前進してほしいと思います。そのための信心です。未来部の仲間たちもいます。
将来の夢や希望という"私たち自身の未来記"を大きく描きながら、かけがえのない今この時を、2030年を開きゆく皆さんと共に、私も朗らかに進んでいきます。
◇メモ
「顕仏未来記」は、文永10年(1273年)閏5月11日、日蓮大聖人が、佐渡流罪中に一谷で著された書。大聖人の未来記が明かされている。宛名はないが、実質的には全門下に与えられた御書と言える。
2022年8月27日土曜日
2022.08.27 わが友に贈る
前進の息吹みなぎる
歓喜と和楽の座談会。
会場提供者への感謝
近隣への配慮を忘れず
心通い合う集いに!
四条金吾釈迦仏供養事 P1148
『このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめあるべからぬ事なり』
【通解】
近ごろは女も尼になって人をたぼらかし、男は入道になって大悪を犯している。決してそのようなことがあってはまりません。
名字の言 東北勢初の甲子園制覇を成し遂げた仙台育英 2022年8月27日
深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えた、熱戦の余韻が冷めやらない。夏の甲子園は、宮城・仙台育英高校が東北勢初の頂点に立った▼同校は厚みのある打線が最後まで好調を維持。全試合を好投手5人による継投で勝ち抜いた。悲願の全国制覇を成し遂げた背景には「日本一激しい」と自負するチーム内競争がある▼同校OBの須江航監督は高校時代、ずっと控え選手だった。どうすれば試合に出られるか悩んだ経験を育成に生かし、ベンチから外れた選手も含め、一人一人の能力を数値化。具体的な目標を明示して励ましを重ね、選手たちも期待に応えた。団結力と総合力も培われた。"誰にでもチャンスはある"——その心が反映された監督の優勝インタビューは、コロナ禍で"密な青春"を過ごせなかった全国の高校生へのエールとして、大きな反響を呼んだ▼励まし合い、切磋琢磨する仲間がいれば強くなれる。目標が大きければ、その分だけ大きな力が出せる。それが青春の生命の素晴らしさだろう▼打ち続く試練にも負けず、この夏、努力と挑戦の汗を輝かせた全ての若き友に拍手を送りたい。そして私たちもまた、共戦の同志と支え合い、生涯青春の心意気で"わが勝利の最高峰"へ挑み続けよう。
寸鉄 2022年8月27日
「題目を唱え奉る音は、十方世界に」御書。強き信が躍進の力。朝の祈りから(新1121・全808)
総秋田女性部の日。"安喜多"は桜梅桃李の人材城。一人が焦点。真心尽くし
信心をやり通していけば必ず功徳が出る—恩師。陰徳の賢者に陽報燦々と
夏休み明け直前は、子の不安が高まる時。小さな変化見逃さず寄り添いを
若い世代で急性内斜視が増加。携帯の長時間使用が原因と。意識して休憩
☆創大通教「学光祭」への池田先生のメッセージ
◇世界の光友と共に歴史拓け
今日も、私は一緒に参加している思いで、エールを送ります。
猛暑や大雨なども打ち続く中、毅然と向学の努力を貫く皆さんに最大の敬意を表したいのであります。
わが学光家族一人一人の「学びの大情熱」が、どれほど尊いか。それは、命から命へ燃え広がり、時代の闇を照らす希望の光源であり、まさしく「新たな歴史を拓く」熱源であります。
今年の誇り高き卒業生に、創大通教に学ばれていた愛娘を東日本大震災で亡くされ、その大情熱を受け継いで学び抜かれたお母さまがおられたことも思い起こされます。
今世紀の初め、私は、「インド近代農業の父」と謳われるスワミナサン博士と対談集を発刊しました。人類が「健康で幸福な人生」を生きるために、食糧危機を打開する永続的な「緑の革命」とともに、「心の革命」が絶対に必要であると対話を進めたのです。
どうか、わが信頼する皆さんは、世界が要請する「心の革命」の先駆者として、学びと創意工夫の挑戦を重ね、それぞれの使命の舞台で、いかなる困難も次の飛躍へと転ずる価値創造を断固と成し遂げていただきたいのであります。
スワミナサン博士は、一日の終わりに「今日の自分は昨日の自分より善くなれた」と言える変革を、と呼び掛けていました。
月々日々に粘り強く朗らかに、いよいよ学の光を増し、世界に広がる「光友」と共に、新たな歴史を拓こうではありませんか!
いつも、皆さんを応援し、支えておられるご家族・友人の方々にも、創立者の私から呉々もよろしくと、お伝えください。お元気で!
☆県長・県女性部長会での原田会長の指導(要旨)
◇創価の励ましこそ社会の希望 「人間のための宗教」を語ろう
一、8月24日は、池田先生の入信75周年でありました。この佳節を、衷心よりお祝い申し上げたいと思います。大変に、おめでとうございます!(拍手)
「8・24」75周年から、次なる指標と定めた明年の「11・18」広宣流布大誓堂完成10周年へ、勇躍の出発です。この下半期は、上半期に大きく広げた仏縁をより大切に育みながら、広布拡大と人材拡大に総力を挙げてまいりたい。
池田先生は20年前の「8・24」の随筆で、戸田先生の弟子として戦う誉れを、次のようにつづってくださいました。
「私は勝った。私は断じて負けなかった。断じて弟子が勝つ。これが、日蓮仏法の精髄であるからだ。そして、創価学会の真髄であり、師弟不二の根本であるからだ」と。さらに「この学会の組織で、広宣流布の拡大に戦うこと以外に『師弟直結』はありえない。あとは、観念論だ」とも教えてくださっています。
「師に捧ぐ 七十五歳の 入信日 閻浮に妙法 轟く誉れは」のお歌の通り、池田先生は真の弟子として、師匠の構想をことごとく実現され、世界広布を推し進めてこられました。その75年の大闘争に改めて感謝申し上げるとともに、私たちもまた、池田門下の師弟直結の戦いで、事実の上で組織を強化し、広布を拡大していきたい。
弘教拡大に力強く打って出て、明年の「11・18」を、全方面・全県が、「世帯増・部員増」そして「活動者増」で断固、勝ち飾る。この決意で出発しようではありませんか!(拍手)
◇核兵器廃絶へ行動
一、核兵器使用の危機が高まるなか、8月1日から26日までNPT(核兵器不拡散条約)の再検討会議が国連本部で行われ、SGIの代表団も参加してまいりました。それに先立つ7月26日に、池田先生は緊急提案として、リスク低減を図るために、核兵器の「先制不使用」の採択を含む重要事項を、国際社会に向けて発信されました。
緊迫した情勢のなか、議論は核保有国と非保有国の間をはじめ、さまざまな対立の中、何らかの最終文書が合意されるか、ぎりぎりまで交渉が続いているようです。この間、先制不使用の政策を保有国に求める文言が文書案に最後の最後まで残り、今日のリスクをいかにして低減させるかという議論に終始、影響を与えてきました。
その意味では、たとえ最終文書に残らなくとも、核軍縮への具体的な前進のために、今後もSGIとして国連と連携しながら先制不使用の議論を継続して推し進め、リスク低減の取り組みにも尽力していきたい。
具体的な提案をもって状況を開きゆく戦いに挑まれる先生の一念に呼応し、原水爆禁止宣言65周年の節目の本年、さらに国際社会への発信の努力を続けていきたい。
一、「大白蓮華」9月号の「世界を照らす太陽の仏法」で、池田先生は「人間のための宗教」について講義してくださっています。その中で先生は「人と人を結びゆく『対話』と、友の幸福を願う励ましの『行動』こそ、『人間のための宗教』の真髄」とされたうえで、戸田先生の次の言葉を教えてくださいました。
「一対一の折伏が、広宣流布達成の鉄則となる。これがまた、立派な民主主義のルールにかなった方程式ともいえるのだ。地道にみえる進み方だが、最も堅実である。この一波が二波になり、やがては千波、万波になっていって、初めて、広宣流布が達成されるのだ」
学会の広宣流布運動は、どこまでも一対一の対話です。そこにこそ納得と共感が生まれる。そして大事なことは「よし、自分が対話の波を起こそう」と決意することです。千波、万波になることを確信して、まず自らが波を起こす。この決意で拡大に打って出たい。
9月8日には『ワールド セイキョウ VOL.3』が発刊されます。聖教紙面も日々、充実しています。創価学会公式ホームページでも、新しいコンテンツが続々と発信予定です。さまざまなツールを活用し、対話の大波を起こしたい。内外共に困難の時だからこそ、創価の哲学、創価の励ましが希望の光となることは間違いありません。今こそ自信をもって、対話を広げ、「青年・飛躍の年」の総仕上げを弘教拡大・聖教拡大で飾っていきたい。
◇最重要の任用試験
一、11月6日には教学部任用試験(仏法入門)が行われます。今回の任用試験は、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊されて初めての教学試験です。約4年ぶりの開催となりますが、その分、受験対象の方も多くいらっしゃいます。この下半期の最重要行事として、一人でも多くの方が挑戦できるよう、共に学び、励ましを送りたい。
小説『新・人間革命』第8巻「布陣」の章には、任用試験が信心の転機となった、奄美の一女性の体験がつづられています。
彼女は、一人娘が学会に入会決意をした際、"娘を変な宗教に取られたら困る。自分がしっかり監視して娘を守ろう"との親心から一緒に入会した。活動に熱心なはずもなかった彼女の転機が、任用試験だった。
当時、鹿児島から毎週、船で20時間もかけて奄美に来てくれる先輩幹部の姿に感動を覚え、さらに教学を学んでいくなかで、宗教に対する認識が完全に覆された。宗教には正邪があり、日蓮仏法には確かな哲理の裏付けがあることを知った彼女は、任用試験に合格すると、勇んで活動を始め、以来、島から島へと妙法の火をともしていった——これが奄美総支部初代婦人部長の体験であります。
時代は違っても、人材育成の方程式は同じです。はじめは、自分のために足を運び、一緒に成長しようとしてくれる、信心の先輩の真心が、友の心を動かしていきます。そして、共に教学研さんを進めていくことで、理解が深まり、確信へと変わり、さらには実践へとつながっていく。
今回の任用試験についても、新入会の方をはじめ、まだ教学部員になっていない方が一人でも多く受験を決意できるよう、誰が誰を励ますかを明確に、声掛けを進めていきたい。
また、「信心の継承」という点でも、任用試験は非常に大切です。大聖人仏法を親子で一緒に学び、学会の歴史や真実の姿を親子で語れる絶好の機会です。
なかには祖父母と孫が一緒に、という場合もあるでしょう。今この時、正しい宗教とは何かを、家族で学び、語れる意義は深い。任用試験で「信心の継承」を進められるよう、青年部・未来部、その家族への励ましも進めてまいりたい。
折伏推進という点からも、任用試験は重要です。
近年、任用試験に合格してから入会する方も増えています。また、会友での受験には至らなかったとしても、「仏法入門を一緒に学んでみませんか」という会話から、また大白蓮華などの教材や教学関連番組に触れることから対話が始まり、折伏につながったというエピソードもあります。
未入会家族、また上半期に大きく交流を広げた友人に、学会理解を促進するためにも、任用試験を通して対話を広げていきたい。
会員・会友ともに一人でも多くの方が受験し、「人材育成の任用試験」「信心継承の任用試験」「折伏推進の任用試験」となるよう、10月2日までの申し込み推進に総力を挙げたい。
◇「世帯増」へ勇躍
一、財務の申し込みが始まりました。
御金言には「たといこうをいたせども、まことならぬことを供養すれば、大悪とはなれども善とならず。たとい、心おろかに、すこしきの物なれども、まことの人に供養すればこう大なり。いかにいわんや、心ざしありて、まことの法を供養せん人々をや」(新2047・全1595)と仰せです。大聖人が最大に賛嘆されているのは、信心から発する「心ざし」「真心」であります。そして重要なことは、「何のための供養」であるかです。
大聖人直結の信心を貫き、その御金言通りに世界広布を進める創価学会を守り支える。その「広宣流布のため」の真心の財務に、大福徳が積まれることは間違いありません。改めて御書を学び、信心を深めながら、最後まで絶対無事故で福徳あふれる財務となるよう、丁寧に進めてまいりたい。
一、戸田先生の言葉に「日蓮大聖人の仏法は、最高の民主主義である。座談会は、その究極の縮図である」とある通り、地道に座談会を重ねながら、皆で語り合い、皆で励まし合い、前進するのが創価の伝統です。毎月の座談会が充実しているか、そして参加者が増えているか。座談会を軸に、「11・18」へ勇躍、前進してまいりたい。
そのためにもリーダー自身が日々、「対話と励まし」を積み重ねられるか。まさに「月々日々につより給え」(新1620・全1190)の実践こそが広布拡大のカギであります。
明年の「11・18」への「世帯増・部員増」と「活動者増」を成し遂げるためにも、この下半期に、折伏と人材育成がどれだけ進むかが、極めて大事な試金石になります。
さあ「青年・飛躍の年」の総仕上げへ、「行学の二道をはげみ候べし」「行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(新1793・全1361)の御金言を今こそ実践し、広布拡大の大波を起こそうではありませんか!
歓喜と和楽の座談会。
会場提供者への感謝
近隣への配慮を忘れず
心通い合う集いに!
四条金吾釈迦仏供養事 P1148
『このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめあるべからぬ事なり』
【通解】
近ごろは女も尼になって人をたぼらかし、男は入道になって大悪を犯している。決してそのようなことがあってはまりません。
名字の言 東北勢初の甲子園制覇を成し遂げた仙台育英 2022年8月27日
深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えた、熱戦の余韻が冷めやらない。夏の甲子園は、宮城・仙台育英高校が東北勢初の頂点に立った▼同校は厚みのある打線が最後まで好調を維持。全試合を好投手5人による継投で勝ち抜いた。悲願の全国制覇を成し遂げた背景には「日本一激しい」と自負するチーム内競争がある▼同校OBの須江航監督は高校時代、ずっと控え選手だった。どうすれば試合に出られるか悩んだ経験を育成に生かし、ベンチから外れた選手も含め、一人一人の能力を数値化。具体的な目標を明示して励ましを重ね、選手たちも期待に応えた。団結力と総合力も培われた。"誰にでもチャンスはある"——その心が反映された監督の優勝インタビューは、コロナ禍で"密な青春"を過ごせなかった全国の高校生へのエールとして、大きな反響を呼んだ▼励まし合い、切磋琢磨する仲間がいれば強くなれる。目標が大きければ、その分だけ大きな力が出せる。それが青春の生命の素晴らしさだろう▼打ち続く試練にも負けず、この夏、努力と挑戦の汗を輝かせた全ての若き友に拍手を送りたい。そして私たちもまた、共戦の同志と支え合い、生涯青春の心意気で"わが勝利の最高峰"へ挑み続けよう。
寸鉄 2022年8月27日
「題目を唱え奉る音は、十方世界に」御書。強き信が躍進の力。朝の祈りから(新1121・全808)
総秋田女性部の日。"安喜多"は桜梅桃李の人材城。一人が焦点。真心尽くし
信心をやり通していけば必ず功徳が出る—恩師。陰徳の賢者に陽報燦々と
夏休み明け直前は、子の不安が高まる時。小さな変化見逃さず寄り添いを
若い世代で急性内斜視が増加。携帯の長時間使用が原因と。意識して休憩
☆創大通教「学光祭」への池田先生のメッセージ
◇世界の光友と共に歴史拓け
今日も、私は一緒に参加している思いで、エールを送ります。
猛暑や大雨なども打ち続く中、毅然と向学の努力を貫く皆さんに最大の敬意を表したいのであります。
わが学光家族一人一人の「学びの大情熱」が、どれほど尊いか。それは、命から命へ燃え広がり、時代の闇を照らす希望の光源であり、まさしく「新たな歴史を拓く」熱源であります。
今年の誇り高き卒業生に、創大通教に学ばれていた愛娘を東日本大震災で亡くされ、その大情熱を受け継いで学び抜かれたお母さまがおられたことも思い起こされます。
今世紀の初め、私は、「インド近代農業の父」と謳われるスワミナサン博士と対談集を発刊しました。人類が「健康で幸福な人生」を生きるために、食糧危機を打開する永続的な「緑の革命」とともに、「心の革命」が絶対に必要であると対話を進めたのです。
どうか、わが信頼する皆さんは、世界が要請する「心の革命」の先駆者として、学びと創意工夫の挑戦を重ね、それぞれの使命の舞台で、いかなる困難も次の飛躍へと転ずる価値創造を断固と成し遂げていただきたいのであります。
スワミナサン博士は、一日の終わりに「今日の自分は昨日の自分より善くなれた」と言える変革を、と呼び掛けていました。
月々日々に粘り強く朗らかに、いよいよ学の光を増し、世界に広がる「光友」と共に、新たな歴史を拓こうではありませんか!
いつも、皆さんを応援し、支えておられるご家族・友人の方々にも、創立者の私から呉々もよろしくと、お伝えください。お元気で!
☆県長・県女性部長会での原田会長の指導(要旨)
◇創価の励ましこそ社会の希望 「人間のための宗教」を語ろう
一、8月24日は、池田先生の入信75周年でありました。この佳節を、衷心よりお祝い申し上げたいと思います。大変に、おめでとうございます!(拍手)
「8・24」75周年から、次なる指標と定めた明年の「11・18」広宣流布大誓堂完成10周年へ、勇躍の出発です。この下半期は、上半期に大きく広げた仏縁をより大切に育みながら、広布拡大と人材拡大に総力を挙げてまいりたい。
池田先生は20年前の「8・24」の随筆で、戸田先生の弟子として戦う誉れを、次のようにつづってくださいました。
「私は勝った。私は断じて負けなかった。断じて弟子が勝つ。これが、日蓮仏法の精髄であるからだ。そして、創価学会の真髄であり、師弟不二の根本であるからだ」と。さらに「この学会の組織で、広宣流布の拡大に戦うこと以外に『師弟直結』はありえない。あとは、観念論だ」とも教えてくださっています。
「師に捧ぐ 七十五歳の 入信日 閻浮に妙法 轟く誉れは」のお歌の通り、池田先生は真の弟子として、師匠の構想をことごとく実現され、世界広布を推し進めてこられました。その75年の大闘争に改めて感謝申し上げるとともに、私たちもまた、池田門下の師弟直結の戦いで、事実の上で組織を強化し、広布を拡大していきたい。
弘教拡大に力強く打って出て、明年の「11・18」を、全方面・全県が、「世帯増・部員増」そして「活動者増」で断固、勝ち飾る。この決意で出発しようではありませんか!(拍手)
◇核兵器廃絶へ行動
一、核兵器使用の危機が高まるなか、8月1日から26日までNPT(核兵器不拡散条約)の再検討会議が国連本部で行われ、SGIの代表団も参加してまいりました。それに先立つ7月26日に、池田先生は緊急提案として、リスク低減を図るために、核兵器の「先制不使用」の採択を含む重要事項を、国際社会に向けて発信されました。
緊迫した情勢のなか、議論は核保有国と非保有国の間をはじめ、さまざまな対立の中、何らかの最終文書が合意されるか、ぎりぎりまで交渉が続いているようです。この間、先制不使用の政策を保有国に求める文言が文書案に最後の最後まで残り、今日のリスクをいかにして低減させるかという議論に終始、影響を与えてきました。
その意味では、たとえ最終文書に残らなくとも、核軍縮への具体的な前進のために、今後もSGIとして国連と連携しながら先制不使用の議論を継続して推し進め、リスク低減の取り組みにも尽力していきたい。
具体的な提案をもって状況を開きゆく戦いに挑まれる先生の一念に呼応し、原水爆禁止宣言65周年の節目の本年、さらに国際社会への発信の努力を続けていきたい。
一、「大白蓮華」9月号の「世界を照らす太陽の仏法」で、池田先生は「人間のための宗教」について講義してくださっています。その中で先生は「人と人を結びゆく『対話』と、友の幸福を願う励ましの『行動』こそ、『人間のための宗教』の真髄」とされたうえで、戸田先生の次の言葉を教えてくださいました。
「一対一の折伏が、広宣流布達成の鉄則となる。これがまた、立派な民主主義のルールにかなった方程式ともいえるのだ。地道にみえる進み方だが、最も堅実である。この一波が二波になり、やがては千波、万波になっていって、初めて、広宣流布が達成されるのだ」
学会の広宣流布運動は、どこまでも一対一の対話です。そこにこそ納得と共感が生まれる。そして大事なことは「よし、自分が対話の波を起こそう」と決意することです。千波、万波になることを確信して、まず自らが波を起こす。この決意で拡大に打って出たい。
9月8日には『ワールド セイキョウ VOL.3』が発刊されます。聖教紙面も日々、充実しています。創価学会公式ホームページでも、新しいコンテンツが続々と発信予定です。さまざまなツールを活用し、対話の大波を起こしたい。内外共に困難の時だからこそ、創価の哲学、創価の励ましが希望の光となることは間違いありません。今こそ自信をもって、対話を広げ、「青年・飛躍の年」の総仕上げを弘教拡大・聖教拡大で飾っていきたい。
◇最重要の任用試験
一、11月6日には教学部任用試験(仏法入門)が行われます。今回の任用試験は、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊されて初めての教学試験です。約4年ぶりの開催となりますが、その分、受験対象の方も多くいらっしゃいます。この下半期の最重要行事として、一人でも多くの方が挑戦できるよう、共に学び、励ましを送りたい。
小説『新・人間革命』第8巻「布陣」の章には、任用試験が信心の転機となった、奄美の一女性の体験がつづられています。
彼女は、一人娘が学会に入会決意をした際、"娘を変な宗教に取られたら困る。自分がしっかり監視して娘を守ろう"との親心から一緒に入会した。活動に熱心なはずもなかった彼女の転機が、任用試験だった。
当時、鹿児島から毎週、船で20時間もかけて奄美に来てくれる先輩幹部の姿に感動を覚え、さらに教学を学んでいくなかで、宗教に対する認識が完全に覆された。宗教には正邪があり、日蓮仏法には確かな哲理の裏付けがあることを知った彼女は、任用試験に合格すると、勇んで活動を始め、以来、島から島へと妙法の火をともしていった——これが奄美総支部初代婦人部長の体験であります。
時代は違っても、人材育成の方程式は同じです。はじめは、自分のために足を運び、一緒に成長しようとしてくれる、信心の先輩の真心が、友の心を動かしていきます。そして、共に教学研さんを進めていくことで、理解が深まり、確信へと変わり、さらには実践へとつながっていく。
今回の任用試験についても、新入会の方をはじめ、まだ教学部員になっていない方が一人でも多く受験を決意できるよう、誰が誰を励ますかを明確に、声掛けを進めていきたい。
また、「信心の継承」という点でも、任用試験は非常に大切です。大聖人仏法を親子で一緒に学び、学会の歴史や真実の姿を親子で語れる絶好の機会です。
なかには祖父母と孫が一緒に、という場合もあるでしょう。今この時、正しい宗教とは何かを、家族で学び、語れる意義は深い。任用試験で「信心の継承」を進められるよう、青年部・未来部、その家族への励ましも進めてまいりたい。
折伏推進という点からも、任用試験は重要です。
近年、任用試験に合格してから入会する方も増えています。また、会友での受験には至らなかったとしても、「仏法入門を一緒に学んでみませんか」という会話から、また大白蓮華などの教材や教学関連番組に触れることから対話が始まり、折伏につながったというエピソードもあります。
未入会家族、また上半期に大きく交流を広げた友人に、学会理解を促進するためにも、任用試験を通して対話を広げていきたい。
会員・会友ともに一人でも多くの方が受験し、「人材育成の任用試験」「信心継承の任用試験」「折伏推進の任用試験」となるよう、10月2日までの申し込み推進に総力を挙げたい。
◇「世帯増」へ勇躍
一、財務の申し込みが始まりました。
御金言には「たといこうをいたせども、まことならぬことを供養すれば、大悪とはなれども善とならず。たとい、心おろかに、すこしきの物なれども、まことの人に供養すればこう大なり。いかにいわんや、心ざしありて、まことの法を供養せん人々をや」(新2047・全1595)と仰せです。大聖人が最大に賛嘆されているのは、信心から発する「心ざし」「真心」であります。そして重要なことは、「何のための供養」であるかです。
大聖人直結の信心を貫き、その御金言通りに世界広布を進める創価学会を守り支える。その「広宣流布のため」の真心の財務に、大福徳が積まれることは間違いありません。改めて御書を学び、信心を深めながら、最後まで絶対無事故で福徳あふれる財務となるよう、丁寧に進めてまいりたい。
一、戸田先生の言葉に「日蓮大聖人の仏法は、最高の民主主義である。座談会は、その究極の縮図である」とある通り、地道に座談会を重ねながら、皆で語り合い、皆で励まし合い、前進するのが創価の伝統です。毎月の座談会が充実しているか、そして参加者が増えているか。座談会を軸に、「11・18」へ勇躍、前進してまいりたい。
そのためにもリーダー自身が日々、「対話と励まし」を積み重ねられるか。まさに「月々日々につより給え」(新1620・全1190)の実践こそが広布拡大のカギであります。
明年の「11・18」への「世帯増・部員増」と「活動者増」を成し遂げるためにも、この下半期に、折伏と人材育成がどれだけ進むかが、極めて大事な試金石になります。
さあ「青年・飛躍の年」の総仕上げへ、「行学の二道をはげみ候べし」「行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(新1793・全1361)の御金言を今こそ実践し、広布拡大の大波を起こそうではありませんか!
2022年8月26日金曜日
2022.08.26 わが友に贈る
「道理・証文よりも
現証にはすぎず」
地道に信心で挑戦し
積み重ねた体験こそ
仏法勝利の証しだ。
(新1941・全1468)
乙御前御消息 P1220
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし』
【通解】
これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。
名字の言 創立100周年まで、あと何日? 2022年8月26日
高校時代に駅伝選手だった友から聞いた話。走っている時は、最終盤まで中継地点が見えない。そこで"あの橋までペースを落とさないぞ""次はあの建物を目指して"と、先に見える建造物などを目標に、自身を奮い立たせたという▼かつて、学会は「2001年5月3日」を大いなる目標として広布にまい進した。そして、"その日"の目前に開催された集いで池田先生は"心新たに学会創立100周年へ前進しよう"と呼び掛けた▼9月1日から創立100周年を刻む2030年11月18日まで、あと「3000日」。100年という時間の長さを"箱根駅伝"に例えるなら、私たちは今、最終10区の走者として力走している▼想像してみよう。肩にかけたタスキには、広布に生き抜いた草創以来の先輩方の汗と涙が染み込んでいる。心には、苦楽を共にする多くの同志の声援が響く——そうした皆の思いを抱き、ゴールを目指す▼池田先生は語っている。「創立100周年へ、私たちは一人一人が、まだまだ秘められた地涌の菩薩の勇気を、智慧を、底力を思う存分に発揮して、『この世で果たさん使命』を成就してまいりたい」と。まずは広宣流布大誓堂完成10周年の明年11月を目指して加速しよう。
寸鉄 2022年8月26日
創価学会の座談会は人々が結び合う真の共同体—ドブラーレ博士。皆が主役の集いに
北陸の日。"希望の光源"たる人間主義のスクラム さあ励まし対話の大波を
未入会のご家族・親戚を大切に。身近な支えに心から感謝。誠実な振舞で
バイク事故死39%が胸・腹に致命傷。「胸部プロテクター」着用を—警視庁
睡眠中の熱中症に注意。就寝前に水分等を補給。室内を涼しく保つ工夫も
☆御書と未来へ 第33回 一家和楽の明るい行進曲を
〈御文〉
妙荘厳王と申せし王は、悪王なりしかども、御太子、浄蔵・浄眼の導かせ給いしかば、父母二人共に法華経を御信用有って、仏にならせ給いしぞかし。これもさにてや候らん。あやしく覚え候。〈浄蔵浄眼御消息、新2008・全1397〉
〈通解〉
妙荘厳王という王は悪王であったが、その太子の浄蔵・浄眼の二人が王を仏道に導かれたので、両親は共に法華経を信じ、ついには成仏されたのです。あなた方(松野殿夫妻)のことも、これと同じではなかろうかと、不思議に思っています。
〈池田先生が贈る指針〉
一家和楽の信心とは、法華経直伝の指針である。千差万別の家庭が、それぞれ妙法の功徳に荘厳され、必ず永遠の幸の軌道を進みゆける。
皆、深き宿縁で結ばれた家族だ。信仰の次元で争うことはない。何があっても題目の陽光で明るく大らかに照らすのだ。わが家から希望の行進曲を、地域へ社会へ響かせよう!
☆慈折広布を前へ、前へ 原田会長を中心に各部代表者会議 2022年8月23日
第19回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、猛暑や大雨の中、全国の墓地公園・納骨堂や研修道場等の運営に当たった同志らの真心の献身に感謝。常盆・常彼岸の意義から、亡くなられた功労の全同志、またご家族に毎日、追善の題目を送らせていただいていると述べた。
次いで、1950年(昭和25年)の8月22日、戸田城聖先生を囲んで職場の全体会議が行われ、事業の停止が決定した苦境の淵にあって、先生が「本当の戦いはこれからだ」と宣言したことを述懐。その恩師の心に応え、若き池田先生がこの日の日記に記した「再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」との一念を、不二の弟子である君たちに託したいと語った。
さらに、日蓮大聖人の御志に直結する聖教新聞の創刊を戸田先生と構想したのが、この2日後の8月24日であったことに言及。御聖訓「一切の諸人、これを見聞し、志有らん人々は、互いにこれを語れ」(新1303・全967)を拝読しつつ、「聖教新聞を一段と高らかに掲げ、地涌の若人を呼び出す慈折広宣流布を、団結固く、前へ、前へ、勝ち進めていこう!」「皆、師子奮迅の大生命力で!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、8月24日で池田先生の入信75周年を迎えることに触れ、先生が青年時代の師弟の誓いのままに戦い抜かれたからこそ、今日の学会の世界的発展はあると強調。
弟子の私たちは師の闘争に連なり、生涯、「青年の心」で進み、まずは目の前の座談会の成功から、勢いよく下半期を出発しようと望んだ。
さらに、9月8日が戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表から65周年であることに言及。「一閻浮提うちみだすならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」(新1969・全1467)を拝しつつ、日本社会と世界に不信と対立が渦巻く今こそ、平和と核兵器廃絶を実現し、広宣流布を進める「時」と捉え、人間主義の連帯を広げていこうと訴えた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、川原男子部大学校事務局長があいさつした。
現証にはすぎず」
地道に信心で挑戦し
積み重ねた体験こそ
仏法勝利の証しだ。
(新1941・全1468)
乙御前御消息 P1220
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし』
【通解】
これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。
名字の言 創立100周年まで、あと何日? 2022年8月26日
高校時代に駅伝選手だった友から聞いた話。走っている時は、最終盤まで中継地点が見えない。そこで"あの橋までペースを落とさないぞ""次はあの建物を目指して"と、先に見える建造物などを目標に、自身を奮い立たせたという▼かつて、学会は「2001年5月3日」を大いなる目標として広布にまい進した。そして、"その日"の目前に開催された集いで池田先生は"心新たに学会創立100周年へ前進しよう"と呼び掛けた▼9月1日から創立100周年を刻む2030年11月18日まで、あと「3000日」。100年という時間の長さを"箱根駅伝"に例えるなら、私たちは今、最終10区の走者として力走している▼想像してみよう。肩にかけたタスキには、広布に生き抜いた草創以来の先輩方の汗と涙が染み込んでいる。心には、苦楽を共にする多くの同志の声援が響く——そうした皆の思いを抱き、ゴールを目指す▼池田先生は語っている。「創立100周年へ、私たちは一人一人が、まだまだ秘められた地涌の菩薩の勇気を、智慧を、底力を思う存分に発揮して、『この世で果たさん使命』を成就してまいりたい」と。まずは広宣流布大誓堂完成10周年の明年11月を目指して加速しよう。
寸鉄 2022年8月26日
創価学会の座談会は人々が結び合う真の共同体—ドブラーレ博士。皆が主役の集いに
北陸の日。"希望の光源"たる人間主義のスクラム さあ励まし対話の大波を
未入会のご家族・親戚を大切に。身近な支えに心から感謝。誠実な振舞で
バイク事故死39%が胸・腹に致命傷。「胸部プロテクター」着用を—警視庁
睡眠中の熱中症に注意。就寝前に水分等を補給。室内を涼しく保つ工夫も
☆御書と未来へ 第33回 一家和楽の明るい行進曲を
〈御文〉
妙荘厳王と申せし王は、悪王なりしかども、御太子、浄蔵・浄眼の導かせ給いしかば、父母二人共に法華経を御信用有って、仏にならせ給いしぞかし。これもさにてや候らん。あやしく覚え候。〈浄蔵浄眼御消息、新2008・全1397〉
〈通解〉
妙荘厳王という王は悪王であったが、その太子の浄蔵・浄眼の二人が王を仏道に導かれたので、両親は共に法華経を信じ、ついには成仏されたのです。あなた方(松野殿夫妻)のことも、これと同じではなかろうかと、不思議に思っています。
〈池田先生が贈る指針〉
一家和楽の信心とは、法華経直伝の指針である。千差万別の家庭が、それぞれ妙法の功徳に荘厳され、必ず永遠の幸の軌道を進みゆける。
皆、深き宿縁で結ばれた家族だ。信仰の次元で争うことはない。何があっても題目の陽光で明るく大らかに照らすのだ。わが家から希望の行進曲を、地域へ社会へ響かせよう!
☆慈折広布を前へ、前へ 原田会長を中心に各部代表者会議 2022年8月23日
第19回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、猛暑や大雨の中、全国の墓地公園・納骨堂や研修道場等の運営に当たった同志らの真心の献身に感謝。常盆・常彼岸の意義から、亡くなられた功労の全同志、またご家族に毎日、追善の題目を送らせていただいていると述べた。
次いで、1950年(昭和25年)の8月22日、戸田城聖先生を囲んで職場の全体会議が行われ、事業の停止が決定した苦境の淵にあって、先生が「本当の戦いはこれからだ」と宣言したことを述懐。その恩師の心に応え、若き池田先生がこの日の日記に記した「再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」との一念を、不二の弟子である君たちに託したいと語った。
さらに、日蓮大聖人の御志に直結する聖教新聞の創刊を戸田先生と構想したのが、この2日後の8月24日であったことに言及。御聖訓「一切の諸人、これを見聞し、志有らん人々は、互いにこれを語れ」(新1303・全967)を拝読しつつ、「聖教新聞を一段と高らかに掲げ、地涌の若人を呼び出す慈折広宣流布を、団結固く、前へ、前へ、勝ち進めていこう!」「皆、師子奮迅の大生命力で!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、8月24日で池田先生の入信75周年を迎えることに触れ、先生が青年時代の師弟の誓いのままに戦い抜かれたからこそ、今日の学会の世界的発展はあると強調。
弟子の私たちは師の闘争に連なり、生涯、「青年の心」で進み、まずは目の前の座談会の成功から、勢いよく下半期を出発しようと望んだ。
さらに、9月8日が戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表から65周年であることに言及。「一閻浮提うちみだすならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」(新1969・全1467)を拝しつつ、日本社会と世界に不信と対立が渦巻く今こそ、平和と核兵器廃絶を実現し、広宣流布を進める「時」と捉え、人間主義の連帯を広げていこうと訴えた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、川原男子部大学校事務局長があいさつした。
2022年8月25日木曜日
2022.08.25 わが友に贈る
「八つのかぜにおかされぬ
を、賢人と申すなり」
障魔に紛動されない
信念強き人こそ勝利者!
嵐に動かぬ大樹たれ!
(新1565・全1151)
法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』
【通解】
わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。
名字の言 冒険家・三浦雄一郎氏の「人生で最高の瞬間」 2022年8月25日
「人生で最高の瞬間」はいつか。冒険家の三浦雄一郎氏は、それを「挑戦している時」と語る。5日付本紙・北海道版のインタビューだ。氏は80歳で世界最高齢のエベレスト登攀を成す。89歳の現在も、病と闘いながら来季の富士山登頂を目指して挑戦を重ねている▼北海道のある壮年は数年前、病気で体が不自由に。"年も年だし"と一度は家にこもった。だが入院中から励まし続けてくれた同志に「心で負けてはいけないよ」と言われ、ハッとする▼外に出て、車いすでまずは近所を回ることにした。それを決まった時間に毎日続けた。すると「頑張ってるね」「手伝いましょうか」と何人もの住民から声を掛けられた。何げない会話から友好対話の輪が広がり、今ではその多くが友人になった▼人生はよく山登りに例えられる。新たな決意で挑む"山"は、その人にとっての"最高峰"。まだ見ぬ自分の可能性を信じ、少しずつでも理想の頂上へと歩みを進められるかどうか。険難の山道を登り切ってこそ、新しい"景色"を見ることができる▼先のインタビューで、氏はこうも述べていた。「誰だって何かに挑戦できる。その一歩一歩に感動がある」。限界をつくるのも破るのも、全ては自分自身である。
寸鉄 2022年8月25日
青年は全世界を救おうとの理想を持て—戸田先生 平和と希望の連帯を拡大
「教主釈尊とは、我ら衆生のことなり」御書。全員に尊厳。民衆こそ主役!(新1723・全1446)
情熱は必ず人を承服させる雄弁家—文人ラ・ロシュフコー。真剣な声と熱意が友の心動かす
台風が発生しやすい時季「前々の用心」で万全の備えを。最新情報を確認
悪質な"副業詐欺"の問題相次ぐ。「簡単に儲かる」等の甘い話に騙されるな
〈社説〉 2022・8・25 今秋の任用試験に向けて
◇新しい心で新しい価値を!
今秋、4年ぶりに教学部任用試験(仏法入門)が行われる(11月6日。申し込みは10月2日まで)。下半期が始まり、御書と「大白蓮華」8月号(任用試験特集号)を開いて研さんに本腰を入れ始めた人も多い。範囲は御書3編と「教学入門」「世界広布と創価学会」。任用試験は、挑む人にとっても、教える人にとっても、「南無妙法蓮華経」「十界互具」などを通して、世界最高の生命哲学に触れる"大いなる精神の旅"である。そして末法の御本仏である日蓮大聖人と、創価三代の不屈の歴史を知る"時を超えた対話"でもある。
学会の創立記念日は1930年(昭和5年)11月18日。その4日前、首相の浜口雄幸が東京駅で狙撃された。同じ月、牧口常三郎先生が世に問うた「創価教育学」を高く評価した人物に、「憲政の神様」といわれた犬養毅がいる。戸田城聖先生が編集長をしていた雑誌「環境」に、「賛『創価教育学』」という一文を寄せ、新渡戸稲造らと共に創価教育の支援に名を連ねた。しかし犬養は1年半後、現職の首相として「五・一五事件」で凶弾に倒れる。
「創価」が産声を上げた時代。それはテロやクーデターの恐怖を伴い、「国家主義」という誤れる宗教が暴走し始めた時代だった。その渦中で、先師は言論戦に徹し「対話」の労を惜しまなかった。「創価」の二文字には、暴力ではなく対話こそが価値を生むのだ、という師弟の魂が刻み込まれている。今回の範囲である「創価学会の歴史」には、池田大作先生が世界広布の道を切り開いた経緯が記されている。その根本に、脈々と「師弟一体」「師弟共戦」の心が流れていることを確かめたい。
教学試験に取り組むカギもまた一対一の対話にある。ある副白ゆり長は4年前の受験の際、「同じマンションだった女性部の先輩に教わりました。共に勤行し、学んだ後、当時の悩みなどを聞いてくれました。週に2回ほどの勉強会は、とても良い思い出になっています」と語る(7月29日付、徳島版)。ここに学会教学の醍醐味があり、真髄があるといえよう。
慣れ親しんできた「異体同心」(新2054・全1463等)の一言も、コロナ禍で会えない友と心通わす挑戦を経てきた今、より深く"身で読む"ことができる。任用試験を、新しい心で、新しい価値を生み出す好機にしたい。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 平和案内人 平野大壽
◇被爆2世の使命を胸に
【プロフィル】ひらの・だいとし 長崎で被爆2世として生まれる。ボランティアガイド「平和案内人」4期生。1964年(昭和39年)入会。73歳。副圏長(地区部長兼任)。
◇核兵器の脅威を伝える
きょうは、"77回目"の8月9日。この日が巡り来るたびに、戦争で亡くなられた方々の冥福を祈り、恒久平和への決意を新たにします。
長崎を象徴する「平和祈念像」の両目が、軽く閉じられているのをご存じでしょうか。像も祈りをささげています。また、天に向けられた像の右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばされた左手は「平和」を表しているのです——。
私はこのように、長崎原爆資料館の展示や被爆遺構などを通して、平和の尊さを伝える「平和案内人」のボランティアを務めています。
海外の方を案内する時もありますが、平和を求める心に、国籍や人種の違いはないことを強く感じます。
日蓮大聖人が「立正安国論」で、「国土泰平・天下安穏は、一人より万民に至るまで好むところなり、楽うところなり」(新43・全31)と仰せのように、平和こそ人類の悲願です。
私の平和運動の原点は、原爆に苦しむ母の姿にありました。
◇生きる希望を抱く
母は27歳の時、爆心地から1・5キロの場所で被爆。奇跡的に無傷でした。近くの山から見下ろした町並みは火に覆われ、水を求める人々がさまよっていたようです。「地獄絵図だった」——幼い頃から、そう教わってきました。
小学校から帰宅したある日、私の目に飛び込んできたのは、洗面器を抱えて吐血する母の姿。"死んでしまうの?"——目の前の恐怖に身震いしたことが忘れられません。
年を経るごとに、母は衰弱し、黄だん症状が現れました。当時、被爆の後遺症への理解は浅く、周りから"なまけもの"とみなされ、非難や差別の対象でした。
母は、私たち5人の子どもの前で悲嘆に暮れるのです。
「飛行機のエンジン音を聞いたらパニックになる」「死んだらどんなに楽になるか……」
戦時中、父は徴兵で被爆こそ逃れたものの、家業の反物屋は焼失。懸命に働くも、貧しい暮らしでした。誰もが、戦争で人生を狂わされたのです。
そんなわが家の不遇を見かねて、親戚の学会員が仏法を教えてくれました。中学生だった私は、入会を拒みましたが、気持ちが変わるまで1年もかかりませんでした。信心を始めた母が、生きる希望を抱き、明るく変わったからです。
その後、容体が悪化した母は入院。原爆の影響による肝臓疾患や白血球の減少が判明し、余命1年を告げられます。すでに被爆から20年が経過していました。
この時、初めて原爆への激しい憤りを覚え、真剣に母の回復を祈りました。母の生命力はすさまじく、半年で退院。その姿を通し、私に被爆2世として、平和を希求する意思が芽生えたのです。
◇命の限り
1973年(昭和48年)、長崎青年部で、被爆証言集を出版することになり、私も一員に加わりました。
聞き取りを依頼しても、「あの日のことは、二度と思い出したくない」と口を閉ざすなど、心に深い傷を負った方も珍しくはありませんでした。
「被爆の実相を後世に伝えたいんです」——制作の意義を真剣に語りながら、一人一人に取材を重ねました。私たちは、本作りの素人です。毎年、8月9日を目指した編集作業は悪戦苦闘。仕事と学会活動を終えてから作業に当たります。先輩に原稿を出しても、原形をとどめないほど直される(苦笑)。
暑かった、疲れていた、眠かった——それでも、やめたいと思ったことは一度もありません。全ての労苦が平和へつながっているんだ、との使命感があったからです。
御書には、広宣流布という大目的に生きる覚悟について、「命限り有り、惜しむべからず。ついに願うべきは仏国なり」(新1283・全955)と示されています。
平和と繁栄の国土を築くという大理想を目指せば、困難は必定です。ゆえに、どんなことがあっても、命の限り、平和への挑戦をやめないことが、創価学会員としての信心の実践だと胸に刻んできました。
私は、5年間で6冊の反戦出版に携わりました。そして、今日の青年部・未来部にも、証言の聞き取りが継承されていることを、とても頼もしく思います。
母は入退院を繰り返しながらも、85歳まで生き抜きました。戦争と原爆という、不条理に翻弄された母でしたが、「信心して良かった。本当に幸せだった」——そう語っていました。母が語り残してくれた平和への願いは、私の子どもたちから、孫へと受け継がれています。
年を経るごとに被爆の実体験を語れる人は少なくなります。一方で、核兵器使用の脅威が高まる世界情勢が今も続いています。
同じ人間として思いやり、困難な課題に手を携えられたら、どれほど幸せなことでしょう。想像するだけで、心は躍り、いてもたってもいられません。命の限り、核兵器の脅威と平和の尊さを訴え抜いていきます。
◇[視点]後継を育む
時の経過とともに、戦争体験は風化していきがちです。平野さんは、「子どもの頃から、すでに戦争の風化は始まっていました」と語っていました。凄惨な過去を忘れて少しでも前に向かって生きたい、との思いがあったからだといいます。
戦争という過ちを絶対に繰り返してはいけない、との確たる意志を未来の世代にどう伝え残していくか。
日蓮大聖人は、後継の門下のことを「法華経の命を継ぐ人」(新1590・全1169)と大慈悲で包み、大切に育まれました。「法華経の命」とは、言い換えれば、法華経の説く「万人成仏」の教えです。創価学会は、この哲理を根本に、生命の尊厳を世代から世代へと託し、平和の連帯を広げているのです。
を、賢人と申すなり」
障魔に紛動されない
信念強き人こそ勝利者!
嵐に動かぬ大樹たれ!
(新1565・全1151)
法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』
【通解】
わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。
名字の言 冒険家・三浦雄一郎氏の「人生で最高の瞬間」 2022年8月25日
「人生で最高の瞬間」はいつか。冒険家の三浦雄一郎氏は、それを「挑戦している時」と語る。5日付本紙・北海道版のインタビューだ。氏は80歳で世界最高齢のエベレスト登攀を成す。89歳の現在も、病と闘いながら来季の富士山登頂を目指して挑戦を重ねている▼北海道のある壮年は数年前、病気で体が不自由に。"年も年だし"と一度は家にこもった。だが入院中から励まし続けてくれた同志に「心で負けてはいけないよ」と言われ、ハッとする▼外に出て、車いすでまずは近所を回ることにした。それを決まった時間に毎日続けた。すると「頑張ってるね」「手伝いましょうか」と何人もの住民から声を掛けられた。何げない会話から友好対話の輪が広がり、今ではその多くが友人になった▼人生はよく山登りに例えられる。新たな決意で挑む"山"は、その人にとっての"最高峰"。まだ見ぬ自分の可能性を信じ、少しずつでも理想の頂上へと歩みを進められるかどうか。険難の山道を登り切ってこそ、新しい"景色"を見ることができる▼先のインタビューで、氏はこうも述べていた。「誰だって何かに挑戦できる。その一歩一歩に感動がある」。限界をつくるのも破るのも、全ては自分自身である。
寸鉄 2022年8月25日
青年は全世界を救おうとの理想を持て—戸田先生 平和と希望の連帯を拡大
「教主釈尊とは、我ら衆生のことなり」御書。全員に尊厳。民衆こそ主役!(新1723・全1446)
情熱は必ず人を承服させる雄弁家—文人ラ・ロシュフコー。真剣な声と熱意が友の心動かす
台風が発生しやすい時季「前々の用心」で万全の備えを。最新情報を確認
悪質な"副業詐欺"の問題相次ぐ。「簡単に儲かる」等の甘い話に騙されるな
〈社説〉 2022・8・25 今秋の任用試験に向けて
◇新しい心で新しい価値を!
今秋、4年ぶりに教学部任用試験(仏法入門)が行われる(11月6日。申し込みは10月2日まで)。下半期が始まり、御書と「大白蓮華」8月号(任用試験特集号)を開いて研さんに本腰を入れ始めた人も多い。範囲は御書3編と「教学入門」「世界広布と創価学会」。任用試験は、挑む人にとっても、教える人にとっても、「南無妙法蓮華経」「十界互具」などを通して、世界最高の生命哲学に触れる"大いなる精神の旅"である。そして末法の御本仏である日蓮大聖人と、創価三代の不屈の歴史を知る"時を超えた対話"でもある。
学会の創立記念日は1930年(昭和5年)11月18日。その4日前、首相の浜口雄幸が東京駅で狙撃された。同じ月、牧口常三郎先生が世に問うた「創価教育学」を高く評価した人物に、「憲政の神様」といわれた犬養毅がいる。戸田城聖先生が編集長をしていた雑誌「環境」に、「賛『創価教育学』」という一文を寄せ、新渡戸稲造らと共に創価教育の支援に名を連ねた。しかし犬養は1年半後、現職の首相として「五・一五事件」で凶弾に倒れる。
「創価」が産声を上げた時代。それはテロやクーデターの恐怖を伴い、「国家主義」という誤れる宗教が暴走し始めた時代だった。その渦中で、先師は言論戦に徹し「対話」の労を惜しまなかった。「創価」の二文字には、暴力ではなく対話こそが価値を生むのだ、という師弟の魂が刻み込まれている。今回の範囲である「創価学会の歴史」には、池田大作先生が世界広布の道を切り開いた経緯が記されている。その根本に、脈々と「師弟一体」「師弟共戦」の心が流れていることを確かめたい。
教学試験に取り組むカギもまた一対一の対話にある。ある副白ゆり長は4年前の受験の際、「同じマンションだった女性部の先輩に教わりました。共に勤行し、学んだ後、当時の悩みなどを聞いてくれました。週に2回ほどの勉強会は、とても良い思い出になっています」と語る(7月29日付、徳島版)。ここに学会教学の醍醐味があり、真髄があるといえよう。
慣れ親しんできた「異体同心」(新2054・全1463等)の一言も、コロナ禍で会えない友と心通わす挑戦を経てきた今、より深く"身で読む"ことができる。任用試験を、新しい心で、新しい価値を生み出す好機にしたい。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 平和案内人 平野大壽
◇被爆2世の使命を胸に
【プロフィル】ひらの・だいとし 長崎で被爆2世として生まれる。ボランティアガイド「平和案内人」4期生。1964年(昭和39年)入会。73歳。副圏長(地区部長兼任)。
◇核兵器の脅威を伝える
きょうは、"77回目"の8月9日。この日が巡り来るたびに、戦争で亡くなられた方々の冥福を祈り、恒久平和への決意を新たにします。
長崎を象徴する「平和祈念像」の両目が、軽く閉じられているのをご存じでしょうか。像も祈りをささげています。また、天に向けられた像の右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばされた左手は「平和」を表しているのです——。
私はこのように、長崎原爆資料館の展示や被爆遺構などを通して、平和の尊さを伝える「平和案内人」のボランティアを務めています。
海外の方を案内する時もありますが、平和を求める心に、国籍や人種の違いはないことを強く感じます。
日蓮大聖人が「立正安国論」で、「国土泰平・天下安穏は、一人より万民に至るまで好むところなり、楽うところなり」(新43・全31)と仰せのように、平和こそ人類の悲願です。
私の平和運動の原点は、原爆に苦しむ母の姿にありました。
◇生きる希望を抱く
母は27歳の時、爆心地から1・5キロの場所で被爆。奇跡的に無傷でした。近くの山から見下ろした町並みは火に覆われ、水を求める人々がさまよっていたようです。「地獄絵図だった」——幼い頃から、そう教わってきました。
小学校から帰宅したある日、私の目に飛び込んできたのは、洗面器を抱えて吐血する母の姿。"死んでしまうの?"——目の前の恐怖に身震いしたことが忘れられません。
年を経るごとに、母は衰弱し、黄だん症状が現れました。当時、被爆の後遺症への理解は浅く、周りから"なまけもの"とみなされ、非難や差別の対象でした。
母は、私たち5人の子どもの前で悲嘆に暮れるのです。
「飛行機のエンジン音を聞いたらパニックになる」「死んだらどんなに楽になるか……」
戦時中、父は徴兵で被爆こそ逃れたものの、家業の反物屋は焼失。懸命に働くも、貧しい暮らしでした。誰もが、戦争で人生を狂わされたのです。
そんなわが家の不遇を見かねて、親戚の学会員が仏法を教えてくれました。中学生だった私は、入会を拒みましたが、気持ちが変わるまで1年もかかりませんでした。信心を始めた母が、生きる希望を抱き、明るく変わったからです。
その後、容体が悪化した母は入院。原爆の影響による肝臓疾患や白血球の減少が判明し、余命1年を告げられます。すでに被爆から20年が経過していました。
この時、初めて原爆への激しい憤りを覚え、真剣に母の回復を祈りました。母の生命力はすさまじく、半年で退院。その姿を通し、私に被爆2世として、平和を希求する意思が芽生えたのです。
◇命の限り
1973年(昭和48年)、長崎青年部で、被爆証言集を出版することになり、私も一員に加わりました。
聞き取りを依頼しても、「あの日のことは、二度と思い出したくない」と口を閉ざすなど、心に深い傷を負った方も珍しくはありませんでした。
「被爆の実相を後世に伝えたいんです」——制作の意義を真剣に語りながら、一人一人に取材を重ねました。私たちは、本作りの素人です。毎年、8月9日を目指した編集作業は悪戦苦闘。仕事と学会活動を終えてから作業に当たります。先輩に原稿を出しても、原形をとどめないほど直される(苦笑)。
暑かった、疲れていた、眠かった——それでも、やめたいと思ったことは一度もありません。全ての労苦が平和へつながっているんだ、との使命感があったからです。
御書には、広宣流布という大目的に生きる覚悟について、「命限り有り、惜しむべからず。ついに願うべきは仏国なり」(新1283・全955)と示されています。
平和と繁栄の国土を築くという大理想を目指せば、困難は必定です。ゆえに、どんなことがあっても、命の限り、平和への挑戦をやめないことが、創価学会員としての信心の実践だと胸に刻んできました。
私は、5年間で6冊の反戦出版に携わりました。そして、今日の青年部・未来部にも、証言の聞き取りが継承されていることを、とても頼もしく思います。
母は入退院を繰り返しながらも、85歳まで生き抜きました。戦争と原爆という、不条理に翻弄された母でしたが、「信心して良かった。本当に幸せだった」——そう語っていました。母が語り残してくれた平和への願いは、私の子どもたちから、孫へと受け継がれています。
年を経るごとに被爆の実体験を語れる人は少なくなります。一方で、核兵器使用の脅威が高まる世界情勢が今も続いています。
同じ人間として思いやり、困難な課題に手を携えられたら、どれほど幸せなことでしょう。想像するだけで、心は躍り、いてもたってもいられません。命の限り、核兵器の脅威と平和の尊さを訴え抜いていきます。
◇[視点]後継を育む
時の経過とともに、戦争体験は風化していきがちです。平野さんは、「子どもの頃から、すでに戦争の風化は始まっていました」と語っていました。凄惨な過去を忘れて少しでも前に向かって生きたい、との思いがあったからだといいます。
戦争という過ちを絶対に繰り返してはいけない、との確たる意志を未来の世代にどう伝え残していくか。
日蓮大聖人は、後継の門下のことを「法華経の命を継ぐ人」(新1590・全1169)と大慈悲で包み、大切に育まれました。「法華経の命」とは、言い換えれば、法華経の説く「万人成仏」の教えです。創価学会は、この哲理を根本に、生命の尊厳を世代から世代へと託し、平和の連帯を広げているのです。
2022年8月24日水曜日
2022.08.24 わが友に贈る
若き日の誓いを貫く人に
王者の栄冠が輝く。
黄金柱たる壮年部よ!
「生涯青春」の気概で
生き生きと進みゆこう!
弥三郎殿御返事 P1450
『心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候』
【通解】
心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)「私たちのためである」と思うべきである。もし「恩」を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか。それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなどとされるとは、まったく、どうしたわけであろうか。
【先生の指導から】
悪口罵詈され、怨嫉されるのは、法華経の行者の証である。大聖人の真実の弟子の証明である。
この証を打ち立てたのが、創価の三代の師弟の誉れであることを知っていただきたい。
名字の言 自分が盾となって師を守る——孔子の弟子・子路の誓い 2022年8月24日
作家・中島敦の短編小説「弟子」には、孔子に仕えた子路の潔い生きざまが描かれている(『山月記・李陵』岩波文庫)。孔子の「極めて高く汚れないその理想主義に至るまでの幅の広さ」という圧倒的な人間性に引かれ、子路は弟子となった▼常に体当たりで孔子に師事した子路は、どの弟子よりも叱られた。その一方で師を中傷する人間がいれば、徹底して戦う弟子だった。優秀な弟子は他にも数多くいた。その中でも、子路は心に決めていた。"濁世のあらゆる侵害に対し、自分が盾となって師匠を守り抜くのだ"と。孔子もまた、身命を賭して弟子の道を貫いている子路の心を誰より知っていた▼75年前のきょう8月24日、池田先生は入信した。以来、先生が歩んだ信仰の道について、宗教社会学の第一人者で上智大学の名誉教授だった安斎伸氏は次のように表現した▼牧口初代会長、戸田第2代会長という希有な指導者が賭けた信仰に、池田名誉会長も賭けられ、その初心、生き方を貫くことで信仰を深化させ、また深めていくことで揺るぎない信仰の基盤を築かれたのでしょう——と▼「師弟の精神」の真実は普遍、かつ不変である。この道を貫いた三代の歴史こそ、創価の誇りであり、宝である。
寸鉄 2022年8月24日
池田先生の入信記念日。世界広布の礎築いた75年感謝胸に師子の心で飛躍
「皆共に仏道を成ぜん」御書。自他共の幸福願い今日も地域に励まし拡大(新1895・全1561)
言葉は人を善へと変える—デンマーク詩人。希望紡ぐ紙面へ全力。本紙創刊原点の日
厳しい残暑続く。熱中症の搬送者もいまだ多く。水分・塩分補給小まめに
散歩は心を前向きにし、心身の不調予防—医師。習慣化めざし健康第一で
〈社説〉 2022・8・24 きょう、本紙「創刊原点の日」
◇生命尊厳の哲理を時代精神へ
かつて、米ハーバード大学名誉教授のモンゴメリー博士が、聖教新聞の特徴をこう語っていた。
——一般の新聞は、暴力などの否定的な側面をはらんだニュースも含め、"社会で起きている"出来事を報道する、という性格を持っている。しかし、聖教新聞は、"社会に起こるべき"価値についてのニュースを報道している、と。
本紙は創刊以来、仏法の生命観・社会観に基づいた勇気と希望の励ましの言葉を発信し、世界の平和・文化・教育の発展に寄与する「人間の機関紙」としての役割を貫いてきた。
ここで改めて、愛読者の皆さまをはじめ、無冠の友(配達員)、通信員、新聞長など本紙を支えてくださる方々に、心より感謝申し上げたい。
きょう24日は本紙の「創刊原点の日」である。
1950年(昭和25年)のこの日、第2代会長・戸田城聖先生は深刻な不況で事業の破綻に直面し、最も厳しい苦境に立たされる中、若き池田先生に語った。
「一つの新聞を持っているということは、実に、すごい力を持つことだ。学会も、いつか、新聞を持たなければならない」
そして、翌51年(同26年)4月20日に聖教新聞が誕生した。
池田先生は「最悪の状況」の中で構想され、究極の「希望の表現」として生まれた聖教の歴史に触れ、こう述懐している。
「戦う勇気があれば、いくらでも『変毒為薬』の智慧は湧き出てくる。いかなる状況にあろうとも、金剛の一念によって、危機を好機へと転ずることができる」
苦難を乗り越える師弟の闘争の中で生まれたことこそが、聖教の誉れの原点である。この誇りを胸に、人々を希望に導く言葉をこれからも紡ぎ続けていく。
今や海外の姉妹紙誌は90を数え、聖教電子版には世界213カ国・地域からアクセスがある。
紙面の内容としては、各界の識者インタビューや学術部員らの寄稿を掲載する「危機の時代を生きる」シリーズ、国内外の同志の奮闘を紹介する企画や体験談が充実。さらにSDGsをテーマにした記事も好評をいただいている。
世界はいまだコロナ禍が続き、自然災害、紛争など混迷の度を増している。
こうした中で、聖教は生命尊厳の哲理を時代精神に高めゆく論調を発信し、世界を平和と安穏に導く希望の光源として、さらなる飛躍を固く誓う。
☆きょう池田先生の入信75周年 「8・24」を記念し全同志に和歌
◇広布史伝える新連載がスタート
きょう8月24日、池田大作先生の入信75周年を迎えた。「8・24」は「聖教新聞創刊原点の日」であり、「壮年部の日」でもある。池田先生は恩師である第2代会長・戸田城聖先生と師弟不二の大闘争へ出発したこの日を記念し、全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った。
1947年(昭和22年)8月24日、19歳の池田先生は戸田先生を生涯の師と定め、世界広宣流布という未到の大闘争を開始した。
当時は占領下の混乱期。3年後の同日、事業の行き詰まりに直面した戸田先生は、学会の理事長を辞任する意向を発表した。この時、"これからは、新しい理事長が私の師匠になってしまうのですか"との池田先生の質問に戸田先生は答える。「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
多額の負債を抱え、給料も遅配。多くの同志が戸田先生のもとを去っていった。その中で池田先生は一人、恩師を支え続けた。そして、一切を勝ち越え、51年5月3日、戸田先生の第2代会長就任の道を開いたのである。
以来、池田先生は弘教の金字塔を築き、恩師の後を継いで平和・文化・教育の大道を世界に広げてきた。
そして今、先生と心を一つにした全国・全世界の宝友の闘争によって、学会は世界宗教として192カ国・地域に広がる民衆の連帯へと発展を遂げた。
先生は随筆につづっている。「八月二十四日! それは、創価の師弟が、偉大な『人間革命』の旅に出発する原点の日だ。決意新たに、広宣流布の戦いを奮い起こす日だ!」
次なる勝利の峰へ、師と共に新たな慈折広布の飛躍の歴史をつづっていきたい。
きょう24日から新連載「世界広布の源流 青年に語る創価の魂」がスタートします。
第1回は「池田先生の入信75周年」をテーマに、原田会長が青年・未来部のリーダーに語ります。
座談会は原田会長、長谷川理事長、池田主任副会長、谷川主任副会長が担当します。広宣流布大誓堂完成10周年の明2023年11月までの掲載予定。
〈池田先生の和歌〉
師に捧ぐ
七十五歳の
入信日
閻浮に妙法
轟く誉れは
民衆の
座談の園を
大地とし
嵐に動かぬ
正義の大樹と
地涌の義を
元初に誓いし
君なれば
二人・三人
唱え伝えよ
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 新たな力 2022年8月19日
◇君が慈悲の行動者に! 人に光を贈る太陽に!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は飛躍を期し、挑戦を続ける"新たな力"の友へ贈った、励ましの言葉を紹介します。
◇共に動いて共に喜ぶ
新会員の宝友を大切に育成していくために、私たちが先輩として心掛けたい点があります。それは、「共に」という一点です。
「共に」という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄があります。師弟の本質も「共戦」にあるのです。御書には「喜とは自他共に喜ぶ事なり(中略)自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(全761・新1061)と仰せです。
自分一人だけの喜びにとどまりません。自他共に喜び、智慧と慈悲を発揮することが、最高の喜びになるのです。
(『調和と希望の仏法』、89ページ)
◇幸福を「つかむ」信心
幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
そして、三世に崩れざる真の幸福境涯を、自他共の胸中に築き上げていく。それが、創価学会の信心の実践です。
(『創価学会永遠の五指針』、38ページ)
◇師弟とは弟子の共戦
最初は"自分のための祈り"だったものが、そのまま"師と同じ誓願の祈り"へと発展していく。
それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。
これは、「超越的絶対者に救済を求める宗教」とは異なります。
「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の行動者」になるというのが、仏教の根幹の原理なのです。
「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。
(『調和と希望の仏法』、24ページ)
◇一家和楽を築く直道
私自身の体験の上からも、未入会の家族を持った方々の苦労は痛いほどわかります。
だからこそ、信心のことで、感情的になって争ってはならないし、焦ってもならないと申し上げたい。
御書に仰せの通り、誰か一人でも「仏になる道」を貫いて信心に励んでいくならば、それが家族への真の孝養の道となります。
信心をしている一人が、どこまでも家族を愛し、大切にしていくことです。家族に希望の光を贈っていく光源へと、自分自身を磨き「人間革命」させていくことです。
自身が「一家の太陽」となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならないのです。
(『創価学会永遠の五指針』、17ページ)
時代は混迷を深めている。
「新しい人材」を育て、
「新しい力」すなわち「ニューパワー」を
糾合したところが勝つ。
『勝利の人間学』
◇現実に人を救えるか
どんなに歴史や伝統があっても、現実に多くの人々を救う力がなければ、それは、"生きた宗教"とは言えません。
現実に自他共の幸福を願い、周囲からの信頼を積み上げながら、人々の中へ、社会の中へ、わが信念と体験を生き生きと伝え広めていく「行動力」にこそ、「人間の宗教」の生命線があるのではないでしょうか。
(『調和と希望の仏法』、32ページ)
◇御書は生命を輝かす
たとえ難解に感じたとしても、広布の実践に励む中で、"分かろう""分かりたい"と肉薄することによって、自身の境涯を開いていくことができるのです。
一節でもいい、一行でもいい、日々、御書を拝することで、自身の生命を最高に輝かせていくことができるのです。
たとえ絶望の淵に立たされても、御書を拝すれば、胸中に希望の太陽が昇ります。行き詰まった時にこそ御書を繙けば、何ものをも恐れぬ師子王の心を取り出すことができます。
(『信仰の基本「信行学」』、75ページ)
◇すがる信仰ではない
日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません。
不撓不屈の信念で希望を引き出すのが、日蓮仏法の祈りです。この仏の智慧と力の源泉が、南無妙法蓮華経の唱題行なのです。大生命力を引き出せるかどうかは、どこまでも信心によるのです。
(『調和と希望の仏法』、71ページ)
◇「善縁」と繋がろう!
忙しくて、なかなか会合に出られない時や、思うように題目があげられない時こそ、気後れしたり、遠慮したりしないで、同志と連絡を取り合っていくことである。
少しでもつながっていこう! その心をもって、同志という善縁にふれていく中で、生命力が増す。ここに、何ものにも負けずに、成長と向上の青春を謳歌しゆく道がある。
新入会の友のニューパワーで、広宣流布、すなわち世界の平和と人類の幸福へ、朗らかにニューウエーブを起こしてくれ給え!
(『勝利の人間学』、203ページ)
王者の栄冠が輝く。
黄金柱たる壮年部よ!
「生涯青春」の気概で
生き生きと進みゆこう!
弥三郎殿御返事 P1450
『心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候』
【通解】
心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)「私たちのためである」と思うべきである。もし「恩」を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか。それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなどとされるとは、まったく、どうしたわけであろうか。
【先生の指導から】
悪口罵詈され、怨嫉されるのは、法華経の行者の証である。大聖人の真実の弟子の証明である。
この証を打ち立てたのが、創価の三代の師弟の誉れであることを知っていただきたい。
名字の言 自分が盾となって師を守る——孔子の弟子・子路の誓い 2022年8月24日
作家・中島敦の短編小説「弟子」には、孔子に仕えた子路の潔い生きざまが描かれている(『山月記・李陵』岩波文庫)。孔子の「極めて高く汚れないその理想主義に至るまでの幅の広さ」という圧倒的な人間性に引かれ、子路は弟子となった▼常に体当たりで孔子に師事した子路は、どの弟子よりも叱られた。その一方で師を中傷する人間がいれば、徹底して戦う弟子だった。優秀な弟子は他にも数多くいた。その中でも、子路は心に決めていた。"濁世のあらゆる侵害に対し、自分が盾となって師匠を守り抜くのだ"と。孔子もまた、身命を賭して弟子の道を貫いている子路の心を誰より知っていた▼75年前のきょう8月24日、池田先生は入信した。以来、先生が歩んだ信仰の道について、宗教社会学の第一人者で上智大学の名誉教授だった安斎伸氏は次のように表現した▼牧口初代会長、戸田第2代会長という希有な指導者が賭けた信仰に、池田名誉会長も賭けられ、その初心、生き方を貫くことで信仰を深化させ、また深めていくことで揺るぎない信仰の基盤を築かれたのでしょう——と▼「師弟の精神」の真実は普遍、かつ不変である。この道を貫いた三代の歴史こそ、創価の誇りであり、宝である。
寸鉄 2022年8月24日
池田先生の入信記念日。世界広布の礎築いた75年感謝胸に師子の心で飛躍
「皆共に仏道を成ぜん」御書。自他共の幸福願い今日も地域に励まし拡大(新1895・全1561)
言葉は人を善へと変える—デンマーク詩人。希望紡ぐ紙面へ全力。本紙創刊原点の日
厳しい残暑続く。熱中症の搬送者もいまだ多く。水分・塩分補給小まめに
散歩は心を前向きにし、心身の不調予防—医師。習慣化めざし健康第一で
〈社説〉 2022・8・24 きょう、本紙「創刊原点の日」
◇生命尊厳の哲理を時代精神へ
かつて、米ハーバード大学名誉教授のモンゴメリー博士が、聖教新聞の特徴をこう語っていた。
——一般の新聞は、暴力などの否定的な側面をはらんだニュースも含め、"社会で起きている"出来事を報道する、という性格を持っている。しかし、聖教新聞は、"社会に起こるべき"価値についてのニュースを報道している、と。
本紙は創刊以来、仏法の生命観・社会観に基づいた勇気と希望の励ましの言葉を発信し、世界の平和・文化・教育の発展に寄与する「人間の機関紙」としての役割を貫いてきた。
ここで改めて、愛読者の皆さまをはじめ、無冠の友(配達員)、通信員、新聞長など本紙を支えてくださる方々に、心より感謝申し上げたい。
きょう24日は本紙の「創刊原点の日」である。
1950年(昭和25年)のこの日、第2代会長・戸田城聖先生は深刻な不況で事業の破綻に直面し、最も厳しい苦境に立たされる中、若き池田先生に語った。
「一つの新聞を持っているということは、実に、すごい力を持つことだ。学会も、いつか、新聞を持たなければならない」
そして、翌51年(同26年)4月20日に聖教新聞が誕生した。
池田先生は「最悪の状況」の中で構想され、究極の「希望の表現」として生まれた聖教の歴史に触れ、こう述懐している。
「戦う勇気があれば、いくらでも『変毒為薬』の智慧は湧き出てくる。いかなる状況にあろうとも、金剛の一念によって、危機を好機へと転ずることができる」
苦難を乗り越える師弟の闘争の中で生まれたことこそが、聖教の誉れの原点である。この誇りを胸に、人々を希望に導く言葉をこれからも紡ぎ続けていく。
今や海外の姉妹紙誌は90を数え、聖教電子版には世界213カ国・地域からアクセスがある。
紙面の内容としては、各界の識者インタビューや学術部員らの寄稿を掲載する「危機の時代を生きる」シリーズ、国内外の同志の奮闘を紹介する企画や体験談が充実。さらにSDGsをテーマにした記事も好評をいただいている。
世界はいまだコロナ禍が続き、自然災害、紛争など混迷の度を増している。
こうした中で、聖教は生命尊厳の哲理を時代精神に高めゆく論調を発信し、世界を平和と安穏に導く希望の光源として、さらなる飛躍を固く誓う。
☆きょう池田先生の入信75周年 「8・24」を記念し全同志に和歌
◇広布史伝える新連載がスタート
きょう8月24日、池田大作先生の入信75周年を迎えた。「8・24」は「聖教新聞創刊原点の日」であり、「壮年部の日」でもある。池田先生は恩師である第2代会長・戸田城聖先生と師弟不二の大闘争へ出発したこの日を記念し、全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った。
1947年(昭和22年)8月24日、19歳の池田先生は戸田先生を生涯の師と定め、世界広宣流布という未到の大闘争を開始した。
当時は占領下の混乱期。3年後の同日、事業の行き詰まりに直面した戸田先生は、学会の理事長を辞任する意向を発表した。この時、"これからは、新しい理事長が私の師匠になってしまうのですか"との池田先生の質問に戸田先生は答える。「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
多額の負債を抱え、給料も遅配。多くの同志が戸田先生のもとを去っていった。その中で池田先生は一人、恩師を支え続けた。そして、一切を勝ち越え、51年5月3日、戸田先生の第2代会長就任の道を開いたのである。
以来、池田先生は弘教の金字塔を築き、恩師の後を継いで平和・文化・教育の大道を世界に広げてきた。
そして今、先生と心を一つにした全国・全世界の宝友の闘争によって、学会は世界宗教として192カ国・地域に広がる民衆の連帯へと発展を遂げた。
先生は随筆につづっている。「八月二十四日! それは、創価の師弟が、偉大な『人間革命』の旅に出発する原点の日だ。決意新たに、広宣流布の戦いを奮い起こす日だ!」
次なる勝利の峰へ、師と共に新たな慈折広布の飛躍の歴史をつづっていきたい。
きょう24日から新連載「世界広布の源流 青年に語る創価の魂」がスタートします。
第1回は「池田先生の入信75周年」をテーマに、原田会長が青年・未来部のリーダーに語ります。
座談会は原田会長、長谷川理事長、池田主任副会長、谷川主任副会長が担当します。広宣流布大誓堂完成10周年の明2023年11月までの掲載予定。
〈池田先生の和歌〉
師に捧ぐ
七十五歳の
入信日
閻浮に妙法
轟く誉れは
民衆の
座談の園を
大地とし
嵐に動かぬ
正義の大樹と
地涌の義を
元初に誓いし
君なれば
二人・三人
唱え伝えよ
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 新たな力 2022年8月19日
◇君が慈悲の行動者に! 人に光を贈る太陽に!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は飛躍を期し、挑戦を続ける"新たな力"の友へ贈った、励ましの言葉を紹介します。
◇共に動いて共に喜ぶ
新会員の宝友を大切に育成していくために、私たちが先輩として心掛けたい点があります。それは、「共に」という一点です。
「共に」という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄があります。師弟の本質も「共戦」にあるのです。御書には「喜とは自他共に喜ぶ事なり(中略)自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(全761・新1061)と仰せです。
自分一人だけの喜びにとどまりません。自他共に喜び、智慧と慈悲を発揮することが、最高の喜びになるのです。
(『調和と希望の仏法』、89ページ)
◇幸福を「つかむ」信心
幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
そして、三世に崩れざる真の幸福境涯を、自他共の胸中に築き上げていく。それが、創価学会の信心の実践です。
(『創価学会永遠の五指針』、38ページ)
◇師弟とは弟子の共戦
最初は"自分のための祈り"だったものが、そのまま"師と同じ誓願の祈り"へと発展していく。
それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。
これは、「超越的絶対者に救済を求める宗教」とは異なります。
「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の行動者」になるというのが、仏教の根幹の原理なのです。
「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。
(『調和と希望の仏法』、24ページ)
◇一家和楽を築く直道
私自身の体験の上からも、未入会の家族を持った方々の苦労は痛いほどわかります。
だからこそ、信心のことで、感情的になって争ってはならないし、焦ってもならないと申し上げたい。
御書に仰せの通り、誰か一人でも「仏になる道」を貫いて信心に励んでいくならば、それが家族への真の孝養の道となります。
信心をしている一人が、どこまでも家族を愛し、大切にしていくことです。家族に希望の光を贈っていく光源へと、自分自身を磨き「人間革命」させていくことです。
自身が「一家の太陽」となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならないのです。
(『創価学会永遠の五指針』、17ページ)
時代は混迷を深めている。
「新しい人材」を育て、
「新しい力」すなわち「ニューパワー」を
糾合したところが勝つ。
『勝利の人間学』
◇現実に人を救えるか
どんなに歴史や伝統があっても、現実に多くの人々を救う力がなければ、それは、"生きた宗教"とは言えません。
現実に自他共の幸福を願い、周囲からの信頼を積み上げながら、人々の中へ、社会の中へ、わが信念と体験を生き生きと伝え広めていく「行動力」にこそ、「人間の宗教」の生命線があるのではないでしょうか。
(『調和と希望の仏法』、32ページ)
◇御書は生命を輝かす
たとえ難解に感じたとしても、広布の実践に励む中で、"分かろう""分かりたい"と肉薄することによって、自身の境涯を開いていくことができるのです。
一節でもいい、一行でもいい、日々、御書を拝することで、自身の生命を最高に輝かせていくことができるのです。
たとえ絶望の淵に立たされても、御書を拝すれば、胸中に希望の太陽が昇ります。行き詰まった時にこそ御書を繙けば、何ものをも恐れぬ師子王の心を取り出すことができます。
(『信仰の基本「信行学」』、75ページ)
◇すがる信仰ではない
日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません。
不撓不屈の信念で希望を引き出すのが、日蓮仏法の祈りです。この仏の智慧と力の源泉が、南無妙法蓮華経の唱題行なのです。大生命力を引き出せるかどうかは、どこまでも信心によるのです。
(『調和と希望の仏法』、71ページ)
◇「善縁」と繋がろう!
忙しくて、なかなか会合に出られない時や、思うように題目があげられない時こそ、気後れしたり、遠慮したりしないで、同志と連絡を取り合っていくことである。
少しでもつながっていこう! その心をもって、同志という善縁にふれていく中で、生命力が増す。ここに、何ものにも負けずに、成長と向上の青春を謳歌しゆく道がある。
新入会の友のニューパワーで、広宣流布、すなわち世界の平和と人類の幸福へ、朗らかにニューウエーブを起こしてくれ給え!
(『勝利の人間学』、203ページ)
2022年8月23日火曜日
2022.08.23 わが友に贈る
喜び勇んで信心に励む。
そこに福徳の花は咲く。
感謝の心を忘れず
報恩の実践を貫き
人生勝利の実証を!
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
名字の言 「おむすび」に詰まっているもの 2022年8月23日
おむすびを題材にしたエピソードは多い。"おにぎりの影をたどると、一代記の材料になる"(幸田文)、"握り飯のうまさは、貧乏な母親につながってゆく"(吉川英治)と、著名な作家たちも思いをつづっている(『バナナは皮を食う』暮しの手帖社)▼呼称は違えど、共通するのは握った人の温かな心が詰まっていること。その愛情が人生の支えとなったのだろう。阪神・淡路大震災が起きた1月17日が「おむすびの日」に制定されたのも、ボランティアが被災者におむすびを配ったことが淵源だという▼2014年8月下旬に広島市を襲った記録的豪雨では、166カ所で土砂災害が発生した。ある女性部員が住む地域では、約半数の家屋が被災。道路も寸断される中、彼女は困っている人の力になりたいと、自宅でおむすびを握り、近隣に配り歩いた▼住民たちと一緒に1週間ほど炊き出しを続けた。「些細なこと」と謙遜しながら彼女は言う。「被災者同士で励まし、支え合った日々が、地域のつながりをより強くしました」▼おむすびは漢字で書くと「御結び」。「結」には、つないで一つにする意味もある。目立たなくとも、地道で温かな振る舞いこそが「人と人」「心と心」を結ぶ確かな力となる。
寸鉄 2022年8月23日
堂々と主義主張を貫け—牧口先生。破邪顕正の対話に先駆する青年頼もし
「因果倶時」の仏法だ。必ず勝つと決めて勇敢に進もう。強盛な祈りで!
民衆よ強くなれ!賢くなれ!—革命家リサール。われらは正義と平和の連帯を拡大
虚言は事実を隠せない—魯迅。デマは逃さず即座に破折。社会の毒許すな
携帯等の使用による交通事故が年々増加。ながら運転は厳禁。油断排して
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:仏法の世界観 2022年8月7日
◇池田先生の指導から
広布の活動は、一人から一人へと法を伝えていく着実な戦いが基本です。
私どもは、日々、どれほど壮大な、確かなる歴史を綴りゆく偉業に、邁進していることか。
今は、たとえどんなに目立たなくとも、また人々から誤解され、正しく評価されなくとも、まったく気にすることはない。永遠の生命観、歴史観からみれば、それらは一瞬の出来事にすぎないし、取るに足らないことです。
見る人は見ています。声をあげて賛同する識者も年々増えてきている。また、学会は世界が味方です。そういう時代に入った。いずれにしても、私どもの足跡を、大聖人が、さらに十方の仏・菩薩が最大に賛嘆されているに違いない。(中略)
すべて、「世界の平和」「民衆の幸福」が目的です。それが広宣流布です。私が開いた道を後継の青年が受け継ぎ、さらに広げ延ばしてもらいたい。そして、世界のすみずみまで、幸福の使者となって駆け巡っていただきたい。それが私の願いです。(『御書の世界』第1巻)
Q1:なぜ「一閻浮提」が「全世界」を意味するのか、教えてください。
仏典では「閻浮提の内に、広く流布せしめて、断絶せざらしめん」(法華経673ページ)と説かれるなど、仏法の世界宗教としての使命が厳然と示されています。
そもそも「閻浮提」とは、サンスクリットの「ジャンブードゥヴィーパ」を音写したもので、閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味しており、贍部ともいいます。
古代インドの世界観では、世界の中心に巨大な須弥山がそびえており、その周囲の東西南北にある四大洲のうち、南にあるのが閻浮提とされていました。「一閻浮提」とは、この閻浮提の全体を示しており、人間が住み、仏法が広まるべきところの全体のことをいいます。
仏典によれば、閻浮提は北が広く南が狭いという、台の形をしていると説かれています。その北方に雪山があり、四つの大河が流れるなど、もとはヒマラヤ山脈を望むインドの地を想定したものでしたが、やがて、私たちが住む世界全体をさすようになったといわれています。
また、須弥山を中心に、太陽や月、四大洲を包含するものを小世界として、小世界が1000集まったものを小千世界、それが1000集まったものを中千世界、それが1000集まったものを大千世界と呼びます。この3種を総称して三千大千世界といいます。
仏教では古来、こうした無数の世界が絶えず生滅を繰り返しているという、長遠で壮大なスケールの世界観、宇宙観を説いてきました。
Q2:一閻浮提への広宣流布について日蓮大聖人は、どう示されていますか。
御書では、全世界を意味する「一閻浮提」「南閻浮提」ならびに、その略称である「閻浮提」「閻浮」という言葉は、200カ所以上で用いられています。
日蓮大聖人は、妙法が「一閻浮提に広宣流布せんことも疑うべからざるか」(新173・全265)と仰せになるなど、日蓮仏法こそ、国や地域を超えて、全世界に広まりゆく普遍的哲理であるとの御確信を、御書の随所で示されています。鎌倉幕府の最高権力者を「わずかの小島のぬしら」(新1227・全911)と喝破されたように、大聖人は日本という国家の枠にとらわれず、広く「人間の幸福」を願われていたのです。
また、「一閻浮提広宣流布」の原理について、「顕仏未来記」には、こう仰せです。
「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法もまたもってかくのごとし。正像には西より東に向かい、末法には東より西に往く」(新610・全508)
大聖人は、月と太陽の動きに寄せて、釈尊の仏法が西のインドから東の中国、朝鮮半島、日本へと伝来してきた「仏法東漸」と、大聖人の仏法が東の日本から西のインドへ還り、世界に広がっていく「仏法西還」について御教示されています。
御書に、たびたび「月氏・漢土・日本」(新1533・全1128など)と仰せのように、当時の世界観では、日本から月氏(インド)までが全世界という認識でした。
御聖訓にある「仏法西還」の未来記を拝する時、まさに世界を覆う末法の闇を照らし晴らし、全人類を救済するのは、大聖人の「太陽の仏法」にほかならないという、御本仏の烈々たる大情熱が胸に迫ります。
Q3:私たちが、日々、仏法を語る使命がいかに大きいか。心が躍ります。
御聖訓には、「妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。わとうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし」(新1227・全910)とあります。
日蓮大聖人は、これまで誰も弘めることのなかった南無妙法蓮華経の大法を、末法において全世界に弘めゆく"先陣"を切られたのが御自身であると宣言されます。そして、弟子たちに「二陣、三陣と続いていきなさい」と呼び掛けられました。
師と同じ広宣流布の大願に立つ"後継"の弟子が陸続と躍り出てこそ、広宣流布の未来は開かれます。その大偉業に連なることで、一人一人が、仏教史に名を刻む迦葉や阿難、天台や伝教をも超えゆくほどの、偉大な妙法の勇者となっていくのです。
大聖人が仰せのごとく、不惜身命の闘争によって、日蓮仏法を現実の上で「世界宗教」としたのが、創価三代の師弟であり、創価学会です。
今や地涌の連帯は192カ国・地域に広がり、同志が唱える題目の音声が、常に地球を包み込む時代が到来しました。
池田先生はつづっています。
「三代の師弟は『さきがけ』の勇気で勝ちました。そして、これからも、『二陣三陣』の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、『風の前の塵』にすぎません」
今この時、師と共に世界広布の使命に生きる福徳が、どれほど大きいか。人類の幸福を開くという、前代未聞の創価の民衆運動。その主役は、私たち一人一人です。
そこに福徳の花は咲く。
感謝の心を忘れず
報恩の実践を貫き
人生勝利の実証を!
立正安国論 P31
『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』
【通解】
あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。
名字の言 「おむすび」に詰まっているもの 2022年8月23日
おむすびを題材にしたエピソードは多い。"おにぎりの影をたどると、一代記の材料になる"(幸田文)、"握り飯のうまさは、貧乏な母親につながってゆく"(吉川英治)と、著名な作家たちも思いをつづっている(『バナナは皮を食う』暮しの手帖社)▼呼称は違えど、共通するのは握った人の温かな心が詰まっていること。その愛情が人生の支えとなったのだろう。阪神・淡路大震災が起きた1月17日が「おむすびの日」に制定されたのも、ボランティアが被災者におむすびを配ったことが淵源だという▼2014年8月下旬に広島市を襲った記録的豪雨では、166カ所で土砂災害が発生した。ある女性部員が住む地域では、約半数の家屋が被災。道路も寸断される中、彼女は困っている人の力になりたいと、自宅でおむすびを握り、近隣に配り歩いた▼住民たちと一緒に1週間ほど炊き出しを続けた。「些細なこと」と謙遜しながら彼女は言う。「被災者同士で励まし、支え合った日々が、地域のつながりをより強くしました」▼おむすびは漢字で書くと「御結び」。「結」には、つないで一つにする意味もある。目立たなくとも、地道で温かな振る舞いこそが「人と人」「心と心」を結ぶ確かな力となる。
寸鉄 2022年8月23日
堂々と主義主張を貫け—牧口先生。破邪顕正の対話に先駆する青年頼もし
「因果倶時」の仏法だ。必ず勝つと決めて勇敢に進もう。強盛な祈りで!
民衆よ強くなれ!賢くなれ!—革命家リサール。われらは正義と平和の連帯を拡大
虚言は事実を隠せない—魯迅。デマは逃さず即座に破折。社会の毒許すな
携帯等の使用による交通事故が年々増加。ながら運転は厳禁。油断排して
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:仏法の世界観 2022年8月7日
◇池田先生の指導から
広布の活動は、一人から一人へと法を伝えていく着実な戦いが基本です。
私どもは、日々、どれほど壮大な、確かなる歴史を綴りゆく偉業に、邁進していることか。
今は、たとえどんなに目立たなくとも、また人々から誤解され、正しく評価されなくとも、まったく気にすることはない。永遠の生命観、歴史観からみれば、それらは一瞬の出来事にすぎないし、取るに足らないことです。
見る人は見ています。声をあげて賛同する識者も年々増えてきている。また、学会は世界が味方です。そういう時代に入った。いずれにしても、私どもの足跡を、大聖人が、さらに十方の仏・菩薩が最大に賛嘆されているに違いない。(中略)
すべて、「世界の平和」「民衆の幸福」が目的です。それが広宣流布です。私が開いた道を後継の青年が受け継ぎ、さらに広げ延ばしてもらいたい。そして、世界のすみずみまで、幸福の使者となって駆け巡っていただきたい。それが私の願いです。(『御書の世界』第1巻)
Q1:なぜ「一閻浮提」が「全世界」を意味するのか、教えてください。
仏典では「閻浮提の内に、広く流布せしめて、断絶せざらしめん」(法華経673ページ)と説かれるなど、仏法の世界宗教としての使命が厳然と示されています。
そもそも「閻浮提」とは、サンスクリットの「ジャンブードゥヴィーパ」を音写したもので、閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味しており、贍部ともいいます。
古代インドの世界観では、世界の中心に巨大な須弥山がそびえており、その周囲の東西南北にある四大洲のうち、南にあるのが閻浮提とされていました。「一閻浮提」とは、この閻浮提の全体を示しており、人間が住み、仏法が広まるべきところの全体のことをいいます。
仏典によれば、閻浮提は北が広く南が狭いという、台の形をしていると説かれています。その北方に雪山があり、四つの大河が流れるなど、もとはヒマラヤ山脈を望むインドの地を想定したものでしたが、やがて、私たちが住む世界全体をさすようになったといわれています。
また、須弥山を中心に、太陽や月、四大洲を包含するものを小世界として、小世界が1000集まったものを小千世界、それが1000集まったものを中千世界、それが1000集まったものを大千世界と呼びます。この3種を総称して三千大千世界といいます。
仏教では古来、こうした無数の世界が絶えず生滅を繰り返しているという、長遠で壮大なスケールの世界観、宇宙観を説いてきました。
Q2:一閻浮提への広宣流布について日蓮大聖人は、どう示されていますか。
御書では、全世界を意味する「一閻浮提」「南閻浮提」ならびに、その略称である「閻浮提」「閻浮」という言葉は、200カ所以上で用いられています。
日蓮大聖人は、妙法が「一閻浮提に広宣流布せんことも疑うべからざるか」(新173・全265)と仰せになるなど、日蓮仏法こそ、国や地域を超えて、全世界に広まりゆく普遍的哲理であるとの御確信を、御書の随所で示されています。鎌倉幕府の最高権力者を「わずかの小島のぬしら」(新1227・全911)と喝破されたように、大聖人は日本という国家の枠にとらわれず、広く「人間の幸福」を願われていたのです。
また、「一閻浮提広宣流布」の原理について、「顕仏未来記」には、こう仰せです。
「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法もまたもってかくのごとし。正像には西より東に向かい、末法には東より西に往く」(新610・全508)
大聖人は、月と太陽の動きに寄せて、釈尊の仏法が西のインドから東の中国、朝鮮半島、日本へと伝来してきた「仏法東漸」と、大聖人の仏法が東の日本から西のインドへ還り、世界に広がっていく「仏法西還」について御教示されています。
御書に、たびたび「月氏・漢土・日本」(新1533・全1128など)と仰せのように、当時の世界観では、日本から月氏(インド)までが全世界という認識でした。
御聖訓にある「仏法西還」の未来記を拝する時、まさに世界を覆う末法の闇を照らし晴らし、全人類を救済するのは、大聖人の「太陽の仏法」にほかならないという、御本仏の烈々たる大情熱が胸に迫ります。
Q3:私たちが、日々、仏法を語る使命がいかに大きいか。心が躍ります。
御聖訓には、「妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。わとうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし」(新1227・全910)とあります。
日蓮大聖人は、これまで誰も弘めることのなかった南無妙法蓮華経の大法を、末法において全世界に弘めゆく"先陣"を切られたのが御自身であると宣言されます。そして、弟子たちに「二陣、三陣と続いていきなさい」と呼び掛けられました。
師と同じ広宣流布の大願に立つ"後継"の弟子が陸続と躍り出てこそ、広宣流布の未来は開かれます。その大偉業に連なることで、一人一人が、仏教史に名を刻む迦葉や阿難、天台や伝教をも超えゆくほどの、偉大な妙法の勇者となっていくのです。
大聖人が仰せのごとく、不惜身命の闘争によって、日蓮仏法を現実の上で「世界宗教」としたのが、創価三代の師弟であり、創価学会です。
今や地涌の連帯は192カ国・地域に広がり、同志が唱える題目の音声が、常に地球を包み込む時代が到来しました。
池田先生はつづっています。
「三代の師弟は『さきがけ』の勇気で勝ちました。そして、これからも、『二陣三陣』の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。師弟不二なる創価の師子吼の前には、いかなる誹謗・中傷も、『風の前の塵』にすぎません」
今この時、師と共に世界広布の使命に生きる福徳が、どれほど大きいか。人類の幸福を開くという、前代未聞の創価の民衆運動。その主役は、私たち一人一人です。
2022年8月22日月曜日
2022.08.22 わが友に贈る
◇今週のことば
共に地より湧き出でんと
座談会から新出発だ。
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
幸と希望の対話の波を!
(新1793・全1361)
2022年8月22日
新池御書 P1444
『何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり』
【通解】
どんなに賎しい者であっても法華経を説く僧を生身の仏のように敬うべきである。これまさしく経文に説くところである。
名字の言 只見線の復活劇描いたドキュメンタリー 2022年8月22日
先月、全国公開された安孫子亘監督の映画「霧幻鉄道 只見線を300日撮る男」。豪雨被害で廃線の危機に瀕したローカル鉄道の復活劇を描いたドキュメンタリーだ▼主人公は沿線の風景を約30年、年間300日撮り続ける郷土写真家・星賢孝さん。写真をSNS等で発信する一方、県内外で講演活動を行い、鉄道存続の機運を高めてきた▼星さんは本紙で語った。「"ここ"には、世界のどこにも負けない四季折々の絶景があると確信してきました」。自分が今いる場所に"絶景"を見る——その心がつながり、只見線は今秋、11年ぶりの全線再開を迎える▼福島県のある女性部員は結婚した当初、旧習深い山村で信心への無理解に苦しんだ。何度も悔し涙を流しながら祈った。"この村を寂光土に"。小型バイクで野を越え山を越え、広布に駆けて半世紀。この間、原発事故で避難を強いられたが、結んだ友情は途絶えなかった。「どこにいても"心の財"は積み続けられるのだと分かりました」と避難先でも新たな信頼を広げる▼御聖訓に「心すなわち大地、大地則ち草木なり」(新2054・全1597)と。心が変われば、自分も環境も変わっていく。人間革命の本舞台は常に"今"であり"ここ"である。
寸鉄 2022年8月22日
さあ下半期!「自他・彼此の心なく」と御聖訓。信心の団結で栄光の扉開こう(新1775・全1337)
学会の青年は三人前の働きできる人に—牧口先生 社会と地域に信頼の旗を
行動の積み重ねが人生を完成に向け前進させる—哲人ローマ。地道な一歩、今日も
屋内外の寒暖差が疲労の原因に。聡明な食事、睡眠心掛け服装等も工夫して
「災害に備えていない」6割。高齢層ほど割合高く。もしもの準備、今確認
☆Switch——共育のまなざし 夏休み——大人から学び始める「子どもの権利」
◇末冨芳さん(日本大学文理学部教授)に聞く
【プロフィル】すえとみ・かおり 山口県生まれ。京都大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。学術博士(神戸大学大学院)。専門は教育行政学、教育財政学。大学院修了後、福岡教育大学准教授などを経て2016年から現職。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員、文部科学省中央教育審議会委員等を歴任。著作に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』(共著、光文社新書)等がある。
◇わが子の「意見」に耳を傾ける「対話」を
本年6月、国会で「こども基本法」が成立しました。全ての子どもが大人と同様の人権を持った「権利の主体」であること、大人が子どもの意見を聞いて尊重していくこと、そして子どもや若者の"最善の利益"を実現していくことが定められた法律です。とはいえ、「"子どもの権利を守る"といっても、具体的に何をすればいいのかピンとこない」「行政や学校で進める話であって、家庭は関係ないでしょ?」といった声が少なくないのも実情です。そこで今回は、長年にわたり「子どもの権利」の擁護・推進に尽力してきた末冨芳さん(日本大学文理学部教授)にインタビューしました。(聞き手=大宮将之)
◇こども基本法の意義
<そもそも「子どもの権利」とは、何でしょうか>
まず、最も大切な「4つの権利」というものがあります。これは、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」で定められたものです。簡単に言い換えると——�「安全安心に成長する権利」�「子どもにとって最も良いことが実現される権利」�「自分の意見を伝え、参画する権利」�「差別されない権利」ということになります。
ほかにも「遊ぶ権利」「休む権利」「教育を受ける権利」「子どもの権利について、子どもたち自身が知る権利」なども条約に位置付けられているんです。日本はこの条約を94年に批准(条約を守り実現することを国会で決めること)しました。
しかし、どうでしょう? 皆さんの地域や学校では、こうした権利が「大切にされているな」と感じていますか。それぞれのご家庭で、お子さんに尋ねてみたら、どんな答えが返ってくるでしょうか。
子どもたちの権利を実現するために、大人たちは子どもや若者の意見にしっかり耳を傾けて尊重し、社会の中に反映していかなければならない——今回成立した「こども基本法」は、この理念がハッキリと位置付けられたということで、とても大きな意義があるんです。国も地方自治体も、この「こども基本法」の理念に基づいて、具体的な施策を行うことが強く求められるわけですから。
◇自治体の先進事例
<国や自治体の"本気度"が試されることになる、とも言えますね>
ええ。先進的な自治体も少なくありません。神奈川の川崎市は2001年に「川崎市子どもの権利に関する条例」を施行しています。子どもと大人が一緒になって考え、何度も話し合いをしてできた条例なんですね。これをもとに2003年、野外公園「子ども夢パーク」がつくられました(敷地面積は約1万平方メートル)。子どもが自分の責任で自由に遊び、学び、つくり続けていける「居場所・活動拠点」になっています。
東京都でも昨年、公明党の主導で「東京都こども基本条例」が制定されました。コロナ禍で子どもたちの「幸福を追求する権利」がおびやかされていることを憂慮して、条例制定への議論が加速されたんですよね。条例の基本事項の中に「こどもの遊び場、居場所づくり」「こどもの意見表明と施策への反映」などが盛り込まれたことは、素晴らしい。
ほかにも山形県の、人口約1万3000人の町・遊佐町では2003年から「少年議会」を開いています。町の中学・高校生の中から実際の投票で選ばれた「少年町長」と「少年議員」で構成されるもので、ちゃんと予算も割り当てられるんですよ。生徒たち自らが議論を重ね、政策を立案し、実現していくんです(本年6月に行われた選挙では、少年町長〈定員1人〉に2人、少年議員〈定員10人〉に16人が立候補した)。
◇問い掛けを重ねて
<子どもが自分の意見を表明できる。それが地域や社会の仕組みに反映されていく。こうした体験の積み重ねは「自分は決して無力じゃない」といった自己有用感を高めていくことにも、つながりそうですね>
その通りです。そしてそれは、子どもたちにとって最も身近な居場所である、「家庭」の中から始められる取り組みでもあるんです。
例えば夏休みの旅行の行き先を決める時、親が勝手に進めないで、子どもに「どこに行きたい?」って意見を求めることだったり、晩ご飯のメニューについても「何が食べたい?」って尋ねてみたり。もちろん思春期のお子さんであれば「どこでもいい」「別に」といった素っ気ない答えしか返ってこないことも多いでしょう。その時に「何、その態度は?」とケンカしたら本末転倒です(笑い)。大事なことは、「あなたの意見を尊重しているよ」というメッセージを伝え続けることですから。
お子さんがまだ言葉をうまく使えない年頃であっても、「子どもの意見を尊重する」関わりはできます。子どもが幼いうちは、親から見て、「この子は、これがしたいんだな。あれが欲しいんだな」というのが、表情やそぶりで何となく分かることがありますよね。その時に親が"先回り"して動いてしまうのではなくて、必ず「あなたは、どうしたい? これ欲しいかな?」と問い掛けるんです。答えをせかすような聞き方ではなく、温かな声で、笑顔で。
こうした「問い掛け」を幼いうちから重ね続けること、「自分の意見を、親は聞いてくれるんだ」という安心感を育むこと——そんな小さな積み重ねがあってこそ、子どもは、「自分の意見を表明できる人」になっていくのではないでしょうか。これは、私自身が子育てを通して意識してきたことでもあります。
◇ワガママになる!?
<一方で、「子どもの意見を聞いてばかりいたら、ワガママに育ってしまうのではないか」と懸念する大人の声もありますが……>
ええ、私もよく耳にします(苦笑い)。まずハッキリとお答えしておきますが、「そんなことは絶対にありません」。むしろ「自分の意見を表明する権利」を学んだ子どもたちは、ワガママになるどころか、相手の意見を尊重できる人に育ちます。なぜなら、「自分の意見を尊重してもらえた」実感とともに、「だからこそ、相手の意見も尊重することが大事なんだ」という気づきや学びを得ていくからです。
「子どもの意見を聞く」といっても、何でもかんでも全て受け入れる——という意味では、ありません。親は親としての考えを言う。それとともに、ちゃんと子どもの声にも耳を傾ける。意見が違ったら、どうすれば歩み寄っていけるかを、また話し合う。そう、「対話」です。
親子の豊かな対話を生み出すポイントは、親自身が悩んだり迷ったりしていることを子どもに「伝える」「開示する」ことでしょう。例えばスマートフォンの使い方。初めて子どもにスマホを持たせた親が、SNSのやりとりなどを逐一、無断でチェックすることについて賛否両論ありますよね。私はこれが、子どもの「プライバシー権」「自己決定権」の侵害に当たると考えているんです。
もちろん「いじめに遭っていないか」「性被害につながるようなことはないか」と心配する親心は、よく分かります。であれば、その「不安」をちゃんと子どもに伝えればいい。そして「もし、いじめにつながりそうなやりとりがあったり、性被害に遭いそうなことがあったりしたら、その時はスマホを見せてほしい」と対話を重ねながら、一緒にルールを作っていけばいいんです。
そこには親から子どもへの「信頼」があり、子どもの尊厳を大切にしようという姿勢があります。そんな親の心を感じ取った子どももまた、親への信頼感を増していくに違いありません。こうした「信頼関係」の中で育った子どもが、はたして"ワガママな子"に育つでしょうか。
◇共に成長しなければ
<現在、創価学会女性平和委員会が12〜17歳の子どもを対象に進めているオンラインアンケート「クイズで考える『子どもの権利条約』」の中にも、「家や学校などで、自分の意見を『聞いてもらえない』と感じることはありますか?」といった質問が設けられています。条約の啓発と、子どもの考えや気持ちを尋ねることを目的としたものです(こちらから、オンラインアンケートにアクセスできます)>
大事な取り組みですね。創価学会の皆さんが「教育」と「子どもの権利」を一貫して大切にしてこられたことは、よく存じ上げています。
日本は長らく「大人が子どもの意見を聞かない国」だったと思うんです。子どもが大人と等しく権利を持った主体であることを認めず、「未熟な存在」と見なして、「対話」をしてこなかった社会だったとも言えるでしょうか。
そんな社会の中で子ども時代を過ごし、親・大人になった人たちであれば、「子どもの権利」といわれてもピンとこないのは、無理のないことでしょう。親から信頼されず、自分の意見を聞いてもらえず、傷ついた経験のある人も少なくないかもしれません。けれど、だからこそ、そんな人たちに問い掛けたいんです。「同じような経験を、未来を生きていく子どもたちにさせたいと思いますか」と。
「こども基本法」に命を吹き込むことができるかどうか。その鍵を握っているのは子どもだけではなく、私たち大人もです。「子どもの権利」について学び、成長しなければならないのは、むしろ大人のほうです。
「子どもの権利」を大切にする社会は、子どもたちだけが大切にされる社会ではありません。互いの意見を尊重し、子どもも大人も愛し愛される幸せな社会を築いていく根幹をなすものだと、私は確信しています。
奇麗事と片付けるのは簡単です。けれど同じ生きるなら、そんな社会のほうがいいと思いませんか。今いる家庭や地域から、その社会を築く一歩を——そう願ってやみません。
共に地より湧き出でんと
座談会から新出発だ。
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
幸と希望の対話の波を!
(新1793・全1361)
2022年8月22日
新池御書 P1444
『何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり』
【通解】
どんなに賎しい者であっても法華経を説く僧を生身の仏のように敬うべきである。これまさしく経文に説くところである。
名字の言 只見線の復活劇描いたドキュメンタリー 2022年8月22日
先月、全国公開された安孫子亘監督の映画「霧幻鉄道 只見線を300日撮る男」。豪雨被害で廃線の危機に瀕したローカル鉄道の復活劇を描いたドキュメンタリーだ▼主人公は沿線の風景を約30年、年間300日撮り続ける郷土写真家・星賢孝さん。写真をSNS等で発信する一方、県内外で講演活動を行い、鉄道存続の機運を高めてきた▼星さんは本紙で語った。「"ここ"には、世界のどこにも負けない四季折々の絶景があると確信してきました」。自分が今いる場所に"絶景"を見る——その心がつながり、只見線は今秋、11年ぶりの全線再開を迎える▼福島県のある女性部員は結婚した当初、旧習深い山村で信心への無理解に苦しんだ。何度も悔し涙を流しながら祈った。"この村を寂光土に"。小型バイクで野を越え山を越え、広布に駆けて半世紀。この間、原発事故で避難を強いられたが、結んだ友情は途絶えなかった。「どこにいても"心の財"は積み続けられるのだと分かりました」と避難先でも新たな信頼を広げる▼御聖訓に「心すなわち大地、大地則ち草木なり」(新2054・全1597)と。心が変われば、自分も環境も変わっていく。人間革命の本舞台は常に"今"であり"ここ"である。
寸鉄 2022年8月22日
さあ下半期!「自他・彼此の心なく」と御聖訓。信心の団結で栄光の扉開こう(新1775・全1337)
学会の青年は三人前の働きできる人に—牧口先生 社会と地域に信頼の旗を
行動の積み重ねが人生を完成に向け前進させる—哲人ローマ。地道な一歩、今日も
屋内外の寒暖差が疲労の原因に。聡明な食事、睡眠心掛け服装等も工夫して
「災害に備えていない」6割。高齢層ほど割合高く。もしもの準備、今確認
☆Switch——共育のまなざし 夏休み——大人から学び始める「子どもの権利」
◇末冨芳さん(日本大学文理学部教授)に聞く
【プロフィル】すえとみ・かおり 山口県生まれ。京都大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。学術博士(神戸大学大学院)。専門は教育行政学、教育財政学。大学院修了後、福岡教育大学准教授などを経て2016年から現職。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員、文部科学省中央教育審議会委員等を歴任。著作に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』(共著、光文社新書)等がある。
◇わが子の「意見」に耳を傾ける「対話」を
本年6月、国会で「こども基本法」が成立しました。全ての子どもが大人と同様の人権を持った「権利の主体」であること、大人が子どもの意見を聞いて尊重していくこと、そして子どもや若者の"最善の利益"を実現していくことが定められた法律です。とはいえ、「"子どもの権利を守る"といっても、具体的に何をすればいいのかピンとこない」「行政や学校で進める話であって、家庭は関係ないでしょ?」といった声が少なくないのも実情です。そこで今回は、長年にわたり「子どもの権利」の擁護・推進に尽力してきた末冨芳さん(日本大学文理学部教授)にインタビューしました。(聞き手=大宮将之)
◇こども基本法の意義
<そもそも「子どもの権利」とは、何でしょうか>
まず、最も大切な「4つの権利」というものがあります。これは、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」で定められたものです。簡単に言い換えると——�「安全安心に成長する権利」�「子どもにとって最も良いことが実現される権利」�「自分の意見を伝え、参画する権利」�「差別されない権利」ということになります。
ほかにも「遊ぶ権利」「休む権利」「教育を受ける権利」「子どもの権利について、子どもたち自身が知る権利」なども条約に位置付けられているんです。日本はこの条約を94年に批准(条約を守り実現することを国会で決めること)しました。
しかし、どうでしょう? 皆さんの地域や学校では、こうした権利が「大切にされているな」と感じていますか。それぞれのご家庭で、お子さんに尋ねてみたら、どんな答えが返ってくるでしょうか。
子どもたちの権利を実現するために、大人たちは子どもや若者の意見にしっかり耳を傾けて尊重し、社会の中に反映していかなければならない——今回成立した「こども基本法」は、この理念がハッキリと位置付けられたということで、とても大きな意義があるんです。国も地方自治体も、この「こども基本法」の理念に基づいて、具体的な施策を行うことが強く求められるわけですから。
◇自治体の先進事例
<国や自治体の"本気度"が試されることになる、とも言えますね>
ええ。先進的な自治体も少なくありません。神奈川の川崎市は2001年に「川崎市子どもの権利に関する条例」を施行しています。子どもと大人が一緒になって考え、何度も話し合いをしてできた条例なんですね。これをもとに2003年、野外公園「子ども夢パーク」がつくられました(敷地面積は約1万平方メートル)。子どもが自分の責任で自由に遊び、学び、つくり続けていける「居場所・活動拠点」になっています。
東京都でも昨年、公明党の主導で「東京都こども基本条例」が制定されました。コロナ禍で子どもたちの「幸福を追求する権利」がおびやかされていることを憂慮して、条例制定への議論が加速されたんですよね。条例の基本事項の中に「こどもの遊び場、居場所づくり」「こどもの意見表明と施策への反映」などが盛り込まれたことは、素晴らしい。
ほかにも山形県の、人口約1万3000人の町・遊佐町では2003年から「少年議会」を開いています。町の中学・高校生の中から実際の投票で選ばれた「少年町長」と「少年議員」で構成されるもので、ちゃんと予算も割り当てられるんですよ。生徒たち自らが議論を重ね、政策を立案し、実現していくんです(本年6月に行われた選挙では、少年町長〈定員1人〉に2人、少年議員〈定員10人〉に16人が立候補した)。
◇問い掛けを重ねて
<子どもが自分の意見を表明できる。それが地域や社会の仕組みに反映されていく。こうした体験の積み重ねは「自分は決して無力じゃない」といった自己有用感を高めていくことにも、つながりそうですね>
その通りです。そしてそれは、子どもたちにとって最も身近な居場所である、「家庭」の中から始められる取り組みでもあるんです。
例えば夏休みの旅行の行き先を決める時、親が勝手に進めないで、子どもに「どこに行きたい?」って意見を求めることだったり、晩ご飯のメニューについても「何が食べたい?」って尋ねてみたり。もちろん思春期のお子さんであれば「どこでもいい」「別に」といった素っ気ない答えしか返ってこないことも多いでしょう。その時に「何、その態度は?」とケンカしたら本末転倒です(笑い)。大事なことは、「あなたの意見を尊重しているよ」というメッセージを伝え続けることですから。
お子さんがまだ言葉をうまく使えない年頃であっても、「子どもの意見を尊重する」関わりはできます。子どもが幼いうちは、親から見て、「この子は、これがしたいんだな。あれが欲しいんだな」というのが、表情やそぶりで何となく分かることがありますよね。その時に親が"先回り"して動いてしまうのではなくて、必ず「あなたは、どうしたい? これ欲しいかな?」と問い掛けるんです。答えをせかすような聞き方ではなく、温かな声で、笑顔で。
こうした「問い掛け」を幼いうちから重ね続けること、「自分の意見を、親は聞いてくれるんだ」という安心感を育むこと——そんな小さな積み重ねがあってこそ、子どもは、「自分の意見を表明できる人」になっていくのではないでしょうか。これは、私自身が子育てを通して意識してきたことでもあります。
◇ワガママになる!?
<一方で、「子どもの意見を聞いてばかりいたら、ワガママに育ってしまうのではないか」と懸念する大人の声もありますが……>
ええ、私もよく耳にします(苦笑い)。まずハッキリとお答えしておきますが、「そんなことは絶対にありません」。むしろ「自分の意見を表明する権利」を学んだ子どもたちは、ワガママになるどころか、相手の意見を尊重できる人に育ちます。なぜなら、「自分の意見を尊重してもらえた」実感とともに、「だからこそ、相手の意見も尊重することが大事なんだ」という気づきや学びを得ていくからです。
「子どもの意見を聞く」といっても、何でもかんでも全て受け入れる——という意味では、ありません。親は親としての考えを言う。それとともに、ちゃんと子どもの声にも耳を傾ける。意見が違ったら、どうすれば歩み寄っていけるかを、また話し合う。そう、「対話」です。
親子の豊かな対話を生み出すポイントは、親自身が悩んだり迷ったりしていることを子どもに「伝える」「開示する」ことでしょう。例えばスマートフォンの使い方。初めて子どもにスマホを持たせた親が、SNSのやりとりなどを逐一、無断でチェックすることについて賛否両論ありますよね。私はこれが、子どもの「プライバシー権」「自己決定権」の侵害に当たると考えているんです。
もちろん「いじめに遭っていないか」「性被害につながるようなことはないか」と心配する親心は、よく分かります。であれば、その「不安」をちゃんと子どもに伝えればいい。そして「もし、いじめにつながりそうなやりとりがあったり、性被害に遭いそうなことがあったりしたら、その時はスマホを見せてほしい」と対話を重ねながら、一緒にルールを作っていけばいいんです。
そこには親から子どもへの「信頼」があり、子どもの尊厳を大切にしようという姿勢があります。そんな親の心を感じ取った子どももまた、親への信頼感を増していくに違いありません。こうした「信頼関係」の中で育った子どもが、はたして"ワガママな子"に育つでしょうか。
◇共に成長しなければ
<現在、創価学会女性平和委員会が12〜17歳の子どもを対象に進めているオンラインアンケート「クイズで考える『子どもの権利条約』」の中にも、「家や学校などで、自分の意見を『聞いてもらえない』と感じることはありますか?」といった質問が設けられています。条約の啓発と、子どもの考えや気持ちを尋ねることを目的としたものです(こちらから、オンラインアンケートにアクセスできます)>
大事な取り組みですね。創価学会の皆さんが「教育」と「子どもの権利」を一貫して大切にしてこられたことは、よく存じ上げています。
日本は長らく「大人が子どもの意見を聞かない国」だったと思うんです。子どもが大人と等しく権利を持った主体であることを認めず、「未熟な存在」と見なして、「対話」をしてこなかった社会だったとも言えるでしょうか。
そんな社会の中で子ども時代を過ごし、親・大人になった人たちであれば、「子どもの権利」といわれてもピンとこないのは、無理のないことでしょう。親から信頼されず、自分の意見を聞いてもらえず、傷ついた経験のある人も少なくないかもしれません。けれど、だからこそ、そんな人たちに問い掛けたいんです。「同じような経験を、未来を生きていく子どもたちにさせたいと思いますか」と。
「こども基本法」に命を吹き込むことができるかどうか。その鍵を握っているのは子どもだけではなく、私たち大人もです。「子どもの権利」について学び、成長しなければならないのは、むしろ大人のほうです。
「子どもの権利」を大切にする社会は、子どもたちだけが大切にされる社会ではありません。互いの意見を尊重し、子どもも大人も愛し愛される幸せな社会を築いていく根幹をなすものだと、私は確信しています。
奇麗事と片付けるのは簡単です。けれど同じ生きるなら、そんな社会のほうがいいと思いませんか。今いる家庭や地域から、その社会を築く一歩を——そう願ってやみません。
2022年8月21日日曜日
2022.08.21 わが友に贈る
子どもは「世界の宝」
「未来からの使者」なり。
一個の人格として尊重し
誠実に謙虚に関わろう!
共に学び共に育つのだ。
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
【通解】
そのうえ、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
名字の言 池田先生が愛読した『三太郎の日記』 2022年8月21日
池田先生が青春時代に愛読した書物の一つに、作家・阿部次郎の『三太郎の日記』がある。末尾に「常に『師』に照らして自己を発見する途を進むことである」と書かれている(角川書店)▼阿部は大学在学中、外国人教師として招かれたケーベル博士を師と仰ぐ。自宅を訪ね、交流を重ねた。博士との触れ合いは、知的触発の機会となった。その喜びが先の言葉に結び付いたのだろう。阿部は次のようにも記している。「『師』を持つとは一人の人の生涯の著作を通じて、その人の内面的経験に参することである」▼鳥取県のある女性部員は苦労が絶えない半生だった。戦争の惨禍、弟の早世、夫の介護……。そんな彼女が4年前に入会。理由は義理の娘の勧めで小説『新・人間革命』全30巻を2回読了し、「池田先生に魅了されたから」。その3カ月後には「教学部任用試験」を受験する▼教学を研さんする中で「私の人生の"答え合わせ"ができた」と。願兼於業の哲理に触れ、過去の悲哀は幸福な未来を築く糧だと気付いた。合格の翌年、妹に弘教も実らせた。既に御書新版を読了し、91歳の今も先生の著作をひもとく日々だ▼師に学び、挑戦を重ねる人は、いつまでも若い。その人には無限の成長が約束されている。
寸鉄 2022年8月21日
学会は"人材で築かれた大城"—戸田先生。青年よ勇んで行学に励み己磨け
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし」御聖訓。信心は人生を勝ち開く力(新1346・全992)
善行は決して損する事のない唯一の投資—哲人ソロー。広布への献身に福徳燦然
失敗を恐れぬ挑戦が脳を活性化—専門家。幾つになっても若々しい心で!
頼れる人が近くにいれば人は前を向ける—識者。友に耳傾け、共助の絆を
☆御書と未来へ 第32回 師弟の大道を威風堂々と
〈御文〉
『法華経の法理を教えん師匠も、また習わん弟子も、久しからずして法華経の力をもって、ともに仏になるべし』〈聖愚問答抄、新580・全499〉
〈通解〉
法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も、ただちに法華経の力でともに仏になる。
〈池田先生が贈る指針〉
師弟の道は無窮だ。「万人成仏」の妙法も、師弟あればこそ伝わり広まる。仏意仏勅の通り一閻浮提広宣流布を断行してきたのは、創価の師弟にほかならない。
恩師とお会いして75星霜。地涌の「正しい人生」に、従藍而青の宝友が全世界で続いてくれている。幸福と平和を創り開く師弟の大道を、共々に威風堂々と!
☆大慈悲の心音 門下への便り 第6回 四条金吾�
「極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人」(新1309・全986、通解)——日蓮大聖人が、このように最大の賛辞を送られた門下が四条金吾です。
剛毅で一本気、短気で不器用なところもある。そんな人間味あふれる金吾に、親近感を抱く人も少なくないのではないでしょうか。
金吾は、大聖人が鎌倉で弘教を始められた早い時期から、大聖人に帰依したと伝えられています。生没年には諸説があり、詳しいことは分かっていません。金吾の正式な名乗りは、「四条中務三郎左衛門尉頼基」。名字は四条、実名は頼基です。鎌倉幕府の執権・北条家の支流である江間家に、父親の代から仕えた武士でした。
「頼基陳状」には、父の主君・江間光時が執権の怒りに触れて処罰された時、数百人の一族の家臣らが翻心した中で、金吾の父だけが、ただ一人、主君への奉公を貫いたと記されています(新1579・全1161、趣意)。
金吾も父に似て、人一倍忠義に厚い武士でした。さらに、武術に秀でているのみならず、医術にも通暁し、主君からの信頼も厚かったことが御書の各所からうかがえます。
妻の日眼女と共に、金吾夫妻が大聖人から頂いたお手紙は30通以上。その中で、大聖人が鎌倉におられる時期に送られた書状の一つが、文永8年(1271年)、前年に亡くなった金吾の母親の追善に際して送られたお手紙(「四条金吾殿御書」)です。
そもそも盂蘭盆と申すは、源、目連尊者の母・青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道におち給いて候を、目連救いしより、事起こりて候。しかりといえども、仏にはなさず。その故は、我が身いまだ法華経の行者ならざる故に、母をも仏になすことなし。(四条金吾殿御書、新1513・全1111)
そもそも盂蘭盆というのは、源は、目連尊者の母・青提女という人が慳貪の業によって五百生の間、餓鬼道に堕ちたのを目連が救ったことから起こったのである。しかしながら、その時は母を成仏させることはできなかった。そのわけは目連自身が、まだ法華経の行者でなかったために母を成仏させることができなかったのである。
日本人になじみ深い「お盆」。学会でも、7月15日や旧盆の8月15日を中心に、追善の法要を行い、大切な故人を偲び、冥福を祈念してきました。その由来は、先祖や故人を供養するための儀礼である「盂蘭盆会」にあります。
文永8年(1271年)7月、四条金吾は、最愛の母の追善回向のために、盂蘭盆の供養の品々を、大聖人にお届けしました。大聖人はそのことへの御返事を、盂蘭盆の由来から書き起こされます。
すなわち、釈尊の十大弟子である目連でも、亡くなった母を成仏させることはできなかった。それは目連がまだ法華経を知らなかったから——。
続く御文では、目連が「法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い、この時、母も仏になり給う」と。
どこまでも、万人成仏を明かした法華経を信受した人の祈りこそが、故人を救う最高の追善となります。
日蓮仏法は"常盆"です。日々、信心に励み、広布に尽くす福徳は、無量の光となって、自分だけでなく、先祖代々、子孫末代までを照らしていくのです。
妙法聖霊は法華経の行者なり、日蓮が檀那なり、いかでか餓鬼道におち給うべきや、定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん。(四条金吾殿御書、新1515・全1112)
妙法聖霊(四条金吾の母)は法華経の行者です。日蓮を支えた檀那です。どうして餓鬼道に堕ちることがありましょうか(堕ちるはずがありません)。きっと釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前におられるでしょう。
「妙法聖霊」——なんと美しく、気高い名でしょうか。大難に屈せず法華経を弘める大聖人の弟子として、強盛な信心を貫いた四条金吾の母は、「法華経の行者」であり、餓鬼道に堕ちることなど決してない。御本仏の御断言です。
さらに御文では、仏たちが、「これこそ四条金吾のお母さんですよ、お母さんですよ」と、みな同じ慈愛の心で、お母さまの頭をなで、よろこび、ほめておられることでしょう。お母さんは、「ああ私は、なんと素晴らしい子をもったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう——と。
"ここまで"と思うほど、母子を温かく包み込む大聖人の大慈悲がしのばれます。金吾の胸に熱いものが込み上げ、"母のためにも、広宣流布に生き抜こう"との決意がみなぎったことでしょう。
池田先生は語っています。
「自分自身が生き生きと『行学の二道』に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、限りなく広がっていくのである。法華経に照らし、御書に照らして、学会員の皆さま方こそ、もっとも深く追善供養を行じ、一家眷属に、無量の福徳と威光勢力を送っていることは、絶対に間違いない」
「未来からの使者」なり。
一個の人格として尊重し
誠実に謙虚に関わろう!
共に学び共に育つのだ。
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
【通解】
そのうえ、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。
名字の言 池田先生が愛読した『三太郎の日記』 2022年8月21日
池田先生が青春時代に愛読した書物の一つに、作家・阿部次郎の『三太郎の日記』がある。末尾に「常に『師』に照らして自己を発見する途を進むことである」と書かれている(角川書店)▼阿部は大学在学中、外国人教師として招かれたケーベル博士を師と仰ぐ。自宅を訪ね、交流を重ねた。博士との触れ合いは、知的触発の機会となった。その喜びが先の言葉に結び付いたのだろう。阿部は次のようにも記している。「『師』を持つとは一人の人の生涯の著作を通じて、その人の内面的経験に参することである」▼鳥取県のある女性部員は苦労が絶えない半生だった。戦争の惨禍、弟の早世、夫の介護……。そんな彼女が4年前に入会。理由は義理の娘の勧めで小説『新・人間革命』全30巻を2回読了し、「池田先生に魅了されたから」。その3カ月後には「教学部任用試験」を受験する▼教学を研さんする中で「私の人生の"答え合わせ"ができた」と。願兼於業の哲理に触れ、過去の悲哀は幸福な未来を築く糧だと気付いた。合格の翌年、妹に弘教も実らせた。既に御書新版を読了し、91歳の今も先生の著作をひもとく日々だ▼師に学び、挑戦を重ねる人は、いつまでも若い。その人には無限の成長が約束されている。
寸鉄 2022年8月21日
学会は"人材で築かれた大城"—戸田先生。青年よ勇んで行学に励み己磨け
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし」御聖訓。信心は人生を勝ち開く力(新1346・全992)
善行は決して損する事のない唯一の投資—哲人ソロー。広布への献身に福徳燦然
失敗を恐れぬ挑戦が脳を活性化—専門家。幾つになっても若々しい心で!
頼れる人が近くにいれば人は前を向ける—識者。友に耳傾け、共助の絆を
☆御書と未来へ 第32回 師弟の大道を威風堂々と
〈御文〉
『法華経の法理を教えん師匠も、また習わん弟子も、久しからずして法華経の力をもって、ともに仏になるべし』〈聖愚問答抄、新580・全499〉
〈通解〉
法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も、ただちに法華経の力でともに仏になる。
〈池田先生が贈る指針〉
師弟の道は無窮だ。「万人成仏」の妙法も、師弟あればこそ伝わり広まる。仏意仏勅の通り一閻浮提広宣流布を断行してきたのは、創価の師弟にほかならない。
恩師とお会いして75星霜。地涌の「正しい人生」に、従藍而青の宝友が全世界で続いてくれている。幸福と平和を創り開く師弟の大道を、共々に威風堂々と!
☆大慈悲の心音 門下への便り 第6回 四条金吾�
「極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人」(新1309・全986、通解)——日蓮大聖人が、このように最大の賛辞を送られた門下が四条金吾です。
剛毅で一本気、短気で不器用なところもある。そんな人間味あふれる金吾に、親近感を抱く人も少なくないのではないでしょうか。
金吾は、大聖人が鎌倉で弘教を始められた早い時期から、大聖人に帰依したと伝えられています。生没年には諸説があり、詳しいことは分かっていません。金吾の正式な名乗りは、「四条中務三郎左衛門尉頼基」。名字は四条、実名は頼基です。鎌倉幕府の執権・北条家の支流である江間家に、父親の代から仕えた武士でした。
「頼基陳状」には、父の主君・江間光時が執権の怒りに触れて処罰された時、数百人の一族の家臣らが翻心した中で、金吾の父だけが、ただ一人、主君への奉公を貫いたと記されています(新1579・全1161、趣意)。
金吾も父に似て、人一倍忠義に厚い武士でした。さらに、武術に秀でているのみならず、医術にも通暁し、主君からの信頼も厚かったことが御書の各所からうかがえます。
妻の日眼女と共に、金吾夫妻が大聖人から頂いたお手紙は30通以上。その中で、大聖人が鎌倉におられる時期に送られた書状の一つが、文永8年(1271年)、前年に亡くなった金吾の母親の追善に際して送られたお手紙(「四条金吾殿御書」)です。
そもそも盂蘭盆と申すは、源、目連尊者の母・青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道におち給いて候を、目連救いしより、事起こりて候。しかりといえども、仏にはなさず。その故は、我が身いまだ法華経の行者ならざる故に、母をも仏になすことなし。(四条金吾殿御書、新1513・全1111)
そもそも盂蘭盆というのは、源は、目連尊者の母・青提女という人が慳貪の業によって五百生の間、餓鬼道に堕ちたのを目連が救ったことから起こったのである。しかしながら、その時は母を成仏させることはできなかった。そのわけは目連自身が、まだ法華経の行者でなかったために母を成仏させることができなかったのである。
日本人になじみ深い「お盆」。学会でも、7月15日や旧盆の8月15日を中心に、追善の法要を行い、大切な故人を偲び、冥福を祈念してきました。その由来は、先祖や故人を供養するための儀礼である「盂蘭盆会」にあります。
文永8年(1271年)7月、四条金吾は、最愛の母の追善回向のために、盂蘭盆の供養の品々を、大聖人にお届けしました。大聖人はそのことへの御返事を、盂蘭盆の由来から書き起こされます。
すなわち、釈尊の十大弟子である目連でも、亡くなった母を成仏させることはできなかった。それは目連がまだ法華経を知らなかったから——。
続く御文では、目連が「法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い、この時、母も仏になり給う」と。
どこまでも、万人成仏を明かした法華経を信受した人の祈りこそが、故人を救う最高の追善となります。
日蓮仏法は"常盆"です。日々、信心に励み、広布に尽くす福徳は、無量の光となって、自分だけでなく、先祖代々、子孫末代までを照らしていくのです。
妙法聖霊は法華経の行者なり、日蓮が檀那なり、いかでか餓鬼道におち給うべきや、定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん。(四条金吾殿御書、新1515・全1112)
妙法聖霊(四条金吾の母)は法華経の行者です。日蓮を支えた檀那です。どうして餓鬼道に堕ちることがありましょうか(堕ちるはずがありません)。きっと釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前におられるでしょう。
「妙法聖霊」——なんと美しく、気高い名でしょうか。大難に屈せず法華経を弘める大聖人の弟子として、強盛な信心を貫いた四条金吾の母は、「法華経の行者」であり、餓鬼道に堕ちることなど決してない。御本仏の御断言です。
さらに御文では、仏たちが、「これこそ四条金吾のお母さんですよ、お母さんですよ」と、みな同じ慈愛の心で、お母さまの頭をなで、よろこび、ほめておられることでしょう。お母さんは、「ああ私は、なんと素晴らしい子をもったことでしょう」と、釈迦仏と語っておられることでしょう——と。
"ここまで"と思うほど、母子を温かく包み込む大聖人の大慈悲がしのばれます。金吾の胸に熱いものが込み上げ、"母のためにも、広宣流布に生き抜こう"との決意がみなぎったことでしょう。
池田先生は語っています。
「自分自身が生き生きと『行学の二道』に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、限りなく広がっていくのである。法華経に照らし、御書に照らして、学会員の皆さま方こそ、もっとも深く追善供養を行じ、一家眷属に、無量の福徳と威光勢力を送っていることは、絶対に間違いない」
2022年8月20日土曜日
2022.08.20 わが友に贈る
教学実力試験に挑む
英知の若鷲・学生部よ!
仏法の大哲理を学び抜き
揺るぎなき信仰の確信を
自らの手で掴み取ろう!
上野殿御消息 P1527
『一に父母に孝あれとはたとひ親はものに覚えずとも悪さまなる事を云うとも聊かも腹も立てず誤る顔を見せず親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり』
【通解】
第一に父母に孝行であれということは、たとえ親がものの道理をわきまえていなくても、また、ひどいことを言うことがあっても、少しも腹を立てたり、気分を悪くした顔を見せることもなく、親の言うことに一分も逆らわないことです。親に良いものを与えようと思いながら、何もできない時には、一日に二、三度は、笑顔を見せて、親に向かってあげなさい、ということです。
【先生の指導から】
親御さんから、口うるさく言われても、ともかく、まず、「はい」と返事をする。話を聞く。それだけでも、親は安心するものだ。子どものことを心配していない親はいないのだから。
もちろん、現実には、さまざまな場合があろう。大事なことは、争いがないように、聡明に生きることだ。
(中略)
親に贈るものが何もなければ、せめて、一日に二、三度、笑顔を投げかけてあげなさい─心に染みいる指針である。
「お父さん、近ごろ体は大丈夫?」「お母さん、いつもご苦労さま!」─こうニコッと笑って語りかける。それだけでも親は涙が出るほどうれしいものだ。
根本は、相手を思う心である。それが慈悲である。その慈悲から、無限の知恵が出る。希望が生まれる。
一家の問題だけではない。地域の友好も、大きくは、国と国との関係も、相手を思う心が根底にあってこそ、本当の信頼が結ばれる。
この仏法の根幹である"慈悲の精神"を、わが地域に、社会に、そして世界に、大きく広げているのが、私たちの広宣流布の運動なのである。
名字の言 世界的指揮者が若手演奏家に語ったこと 2022年8月20日
世界的指揮者のレナード・バーンスタイン氏が若手演奏家たちに「もし、音楽家になりたいなら……」と語り掛ける場面を、あるテレビ番組で見た。氏は続けた。「心から音楽家になりたいと思うことです」▼何よりもまず、心の底から"私はこうなる!"と決意すること。そこから信念の道を開いていける、という趣旨だった。今の自分の実力を周囲と比べて一喜一憂し、決心が揺らぐようでは一流にはなれない。これは、どの分野にも通じよう▼思わぬ試練に直面した際、「信心しているのに、なぜ?」と逡巡すれば、その弱い生命が因となって、さらに苦しみの状況をつくってしまう。信心、そして自身の無限の可能性を信じ切ることができなければ、絶対的幸福の境涯は築けない▼池田先生は青年部の友に呼び掛けた。「これから諸君の人生にあっても、大なり小なり、苦労と苦難は避けられない。しかし、すべては諸君を大樹へと育てゆく仏の慈悲と確信してもらいたい」▼"この苦難は仏の計らいである"と確信できるか否かは、全て自分自身にかかっている。他人や環境では決まらない。御聖訓に「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)と。一切は、わが心に始まり、わが心で決まる。
寸鉄 2022年8月20日
「仏のごとくに法華経の行者を敬う」御書。真心の激励が友の勇気と力に(新1086・全781)
一番辛い事を乗り越えた人が皆を救う—戸田先生 苦難の時こそ成長の時と
人柄で信頼される人こそ人望ある人物—福沢諭吉 青年よ振る舞いで実証を
核戦争なら50億人が死亡—アメリカ研究。煤煙が日光遮り飢饉に。廃絶の流れ断固
今年の豪雨、昨年比1・4倍の可能性—予測。最新情報を常に。災害は突然
〈社説〉 2022・8・20 新学期を迎える時期
◇子どもの「心の安全地帯」を広げよう
夏休みも終わりに近づき、間もなく新学期を迎える。友達との再会を心待ちにする子もいれば、宿題が残り、慌てている子もいるだろう。夜更かしが続き、生活のリズムが乱れている子もいるかもしれない。新学期に向けて、堅実に心身の調子を整えていこう。
今年は3年ぶりに「行動制限がない夏休み」となったが、新型コロナウイルスの感染が拡大したこともあり、帰省等を中止せざるを得なくなったり、手放しで休暇を楽しめなかった家庭もあるだろう。
夏休み明けは例年、心が不安定になり、不登校や自殺が増える傾向がある。ゆえに、子どもの不調やSOSを見逃さないよう注意を払っていきたい。
オンラインチャットによる悩みの相談窓口を運営するNPO法人「あなたのいばしょ」では、子どもの自殺が最も増える夏休み明け前後を「子ども優先対応期間」とし、子どもからの相談を優先的に受けている。通常時でも1日平均約1000件の相談のうち、約4割が10代の子どもからだという。
同法人の大空幸星理事長は、相談を受ける際、「話を聞く」姿勢に徹することを大切にしており、「もしもの時に話を聞いてもらえる場所がある——そうした安心感を与えることが、とても大きな力になる」と本紙で語っていた。
ある未来部担当者は、未来部員と日頃から直接会って話を聞くことを心掛けている。またメンバーの状況に合った本紙の記事を見つけてはSNSなどで共有する。そうした地道な積み重ねで心の絆を強める中、不登校を乗り越えたメンバーもいるという。
悩みを抱える子どもの状況は千差万別。親に相談できない場合もあるかもしれない。ゆえに、地域での温かなつながりを築き、子どもの「心の安全地帯」を広げていきたい。コロナ禍や紛争、自然災害など暗いニュースが影を落とす今こそ、社会全体で子どもを守る意識を高めることが重要だ。
池田大作先生は「未来部への励ましは次代を照らす光となる。若き魂に蒔いた希望の種が未来の大樹となる。地涌の命を呼び覚ますのは、地涌の触発しかない」と。
各地で開かれている創価ファミリー大会も、皆で支え合い、明るく楽しい集いとしたい。そして、宝の未来部が希望をもって新学期を出発できるよう、家庭・地域で心からのエールを送ろう。
☆栄光の共戦譜 第8回 1967年(昭和42年)「躍進の年」
◇師弟のモットー刻み前進!
「前進には、具体的な目標とともに、使命、決意を端的に表現した合言葉が必要である」——1967年(昭和42年)の6月から10月にかけて、池田先生は各地の会合に出席し、渾身の激励を重ねながら、活動の旗印となるモットーを八つの方面に贈った。各方面の「原点」「誇り」として刻まれたモットーとともに、新たな広布の幕が開かれていった。
〈関西〉常勝関西たれ
関西本部幹部大会(6月13日、大阪府立体育会館〈当時〉で)
〈九州〉つねに先駆の九州たれ
九州本部幹部大会(7月9日、福岡スポーツセンター〈当時〉で)
〈中部〉広布の堅塁・中部たれ
中部本部幹部大会(7月10日、愛知・金山体育館〈当時〉で)
〈東北〉人材の牙城・東北たれ
東北本部幹部大会(7月15日、宮城県スポーツセンター〈当時〉で)
〈北海道〉新しき時代の開拓者たれ
北海道本部幹部大会(8月21日、中島スポーツセンター〈当時〉で)
〈中国〉広布の新しき潮流たれ
中国本部幹部大会(8月26日、岡山県営体育館〈当時〉で)
〈四国〉楽土建設の革命児たれ
四国本部幹部大会(9月11日、香川・高松市の体育館で)
〈東京〉全国の模範・東京たれ
東京総合幹部大会(10月18日、日本武道館で)
1967年◆年表◆
<1月3日>
学生・高等・中等・少年部合同部員会。「令法久住の人材に育て」と激励(静岡)
<2月10日>
中部指導(〜11日。愛知)
<3月3日>
岐阜・中国指導(〜8日。岐阜、岡山、島根、山口、広島)
<4月1日>
鳳雛会・鳳雛グループの会合で激励(東京)
<5月3日>
会長就任7周年の第30回本部総会(東京)
<5月13日>
アメリカ・欧州訪問(〜29日。アメリカ、フランス、イタリア、スイス、オランダ)
アメリカを総合本部とすることを発表(16日)
フランスでパリ会館入仏式(20日)
<6月13日>
関西本部幹部大会で「常勝関西たれ」との指針を贈る(大阪)
<6月23日>
長野・松代会館の入仏式
松代地域は2年前から群発地震が続いており、"わが地域を模範の国土に"と激励。その際、会長就任以来、地震がないように、豊作であるようにと祈り続けている真情を語る
<7月9日>
九州本部幹部大会で「つねに先駆の九州たれ」との指針を贈る(福岡)
<7月10日>
中部本部幹部大会で「広布の堅塁・中部たれ」との指針を贈る(愛知)
<7月15日>
東北本部幹部大会で「人材の牙城・東北たれ」との指針を贈る(宮城)
<8月21日>
北海道本部幹部大会で「新しき時代の開拓者たれ」との指針を贈る
<8月24日>
第10回学生部総会。ベトナム戦争に言及し、米軍による北爆の停止を訴える。沖縄の施政権即時全面返還を提言(東京)
<8月26日>
中国本部幹部大会で「広布の新しき潮流たれ」との指針を贈る(岡山)
<9月1日>
創価文化会館の落成入仏式(東京)
<9月11日>
四国本部幹部大会で「楽土建設の革命児たれ」との指針を贈る(香川)
<9月15日>
九州指導(〜17日。佐賀、鹿児島、宮崎)
<10月15日>
東京文化祭(東京・国立競技場)
<10月18日>
東京総合幹部大会で「全国の模範・東京たれ」との指針を贈る(東京)
<10月30日>
"ヨーロッパ統合の父"リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と会談(東京)
語らいは後に対談集『文明・西と東』として結実し、世界の識者との対談集の第1号となる
<11月22日>
関西指導(〜24日。大阪、兵庫)
英知の若鷲・学生部よ!
仏法の大哲理を学び抜き
揺るぎなき信仰の確信を
自らの手で掴み取ろう!
上野殿御消息 P1527
『一に父母に孝あれとはたとひ親はものに覚えずとも悪さまなる事を云うとも聊かも腹も立てず誤る顔を見せず親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり』
【通解】
第一に父母に孝行であれということは、たとえ親がものの道理をわきまえていなくても、また、ひどいことを言うことがあっても、少しも腹を立てたり、気分を悪くした顔を見せることもなく、親の言うことに一分も逆らわないことです。親に良いものを与えようと思いながら、何もできない時には、一日に二、三度は、笑顔を見せて、親に向かってあげなさい、ということです。
【先生の指導から】
親御さんから、口うるさく言われても、ともかく、まず、「はい」と返事をする。話を聞く。それだけでも、親は安心するものだ。子どものことを心配していない親はいないのだから。
もちろん、現実には、さまざまな場合があろう。大事なことは、争いがないように、聡明に生きることだ。
(中略)
親に贈るものが何もなければ、せめて、一日に二、三度、笑顔を投げかけてあげなさい─心に染みいる指針である。
「お父さん、近ごろ体は大丈夫?」「お母さん、いつもご苦労さま!」─こうニコッと笑って語りかける。それだけでも親は涙が出るほどうれしいものだ。
根本は、相手を思う心である。それが慈悲である。その慈悲から、無限の知恵が出る。希望が生まれる。
一家の問題だけではない。地域の友好も、大きくは、国と国との関係も、相手を思う心が根底にあってこそ、本当の信頼が結ばれる。
この仏法の根幹である"慈悲の精神"を、わが地域に、社会に、そして世界に、大きく広げているのが、私たちの広宣流布の運動なのである。
名字の言 世界的指揮者が若手演奏家に語ったこと 2022年8月20日
世界的指揮者のレナード・バーンスタイン氏が若手演奏家たちに「もし、音楽家になりたいなら……」と語り掛ける場面を、あるテレビ番組で見た。氏は続けた。「心から音楽家になりたいと思うことです」▼何よりもまず、心の底から"私はこうなる!"と決意すること。そこから信念の道を開いていける、という趣旨だった。今の自分の実力を周囲と比べて一喜一憂し、決心が揺らぐようでは一流にはなれない。これは、どの分野にも通じよう▼思わぬ試練に直面した際、「信心しているのに、なぜ?」と逡巡すれば、その弱い生命が因となって、さらに苦しみの状況をつくってしまう。信心、そして自身の無限の可能性を信じ切ることができなければ、絶対的幸福の境涯は築けない▼池田先生は青年部の友に呼び掛けた。「これから諸君の人生にあっても、大なり小なり、苦労と苦難は避けられない。しかし、すべては諸君を大樹へと育てゆく仏の慈悲と確信してもらいたい」▼"この苦難は仏の計らいである"と確信できるか否かは、全て自分自身にかかっている。他人や環境では決まらない。御聖訓に「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)と。一切は、わが心に始まり、わが心で決まる。
寸鉄 2022年8月20日
「仏のごとくに法華経の行者を敬う」御書。真心の激励が友の勇気と力に(新1086・全781)
一番辛い事を乗り越えた人が皆を救う—戸田先生 苦難の時こそ成長の時と
人柄で信頼される人こそ人望ある人物—福沢諭吉 青年よ振る舞いで実証を
核戦争なら50億人が死亡—アメリカ研究。煤煙が日光遮り飢饉に。廃絶の流れ断固
今年の豪雨、昨年比1・4倍の可能性—予測。最新情報を常に。災害は突然
〈社説〉 2022・8・20 新学期を迎える時期
◇子どもの「心の安全地帯」を広げよう
夏休みも終わりに近づき、間もなく新学期を迎える。友達との再会を心待ちにする子もいれば、宿題が残り、慌てている子もいるだろう。夜更かしが続き、生活のリズムが乱れている子もいるかもしれない。新学期に向けて、堅実に心身の調子を整えていこう。
今年は3年ぶりに「行動制限がない夏休み」となったが、新型コロナウイルスの感染が拡大したこともあり、帰省等を中止せざるを得なくなったり、手放しで休暇を楽しめなかった家庭もあるだろう。
夏休み明けは例年、心が不安定になり、不登校や自殺が増える傾向がある。ゆえに、子どもの不調やSOSを見逃さないよう注意を払っていきたい。
オンラインチャットによる悩みの相談窓口を運営するNPO法人「あなたのいばしょ」では、子どもの自殺が最も増える夏休み明け前後を「子ども優先対応期間」とし、子どもからの相談を優先的に受けている。通常時でも1日平均約1000件の相談のうち、約4割が10代の子どもからだという。
同法人の大空幸星理事長は、相談を受ける際、「話を聞く」姿勢に徹することを大切にしており、「もしもの時に話を聞いてもらえる場所がある——そうした安心感を与えることが、とても大きな力になる」と本紙で語っていた。
ある未来部担当者は、未来部員と日頃から直接会って話を聞くことを心掛けている。またメンバーの状況に合った本紙の記事を見つけてはSNSなどで共有する。そうした地道な積み重ねで心の絆を強める中、不登校を乗り越えたメンバーもいるという。
悩みを抱える子どもの状況は千差万別。親に相談できない場合もあるかもしれない。ゆえに、地域での温かなつながりを築き、子どもの「心の安全地帯」を広げていきたい。コロナ禍や紛争、自然災害など暗いニュースが影を落とす今こそ、社会全体で子どもを守る意識を高めることが重要だ。
池田大作先生は「未来部への励ましは次代を照らす光となる。若き魂に蒔いた希望の種が未来の大樹となる。地涌の命を呼び覚ますのは、地涌の触発しかない」と。
各地で開かれている創価ファミリー大会も、皆で支え合い、明るく楽しい集いとしたい。そして、宝の未来部が希望をもって新学期を出発できるよう、家庭・地域で心からのエールを送ろう。
☆栄光の共戦譜 第8回 1967年(昭和42年)「躍進の年」
◇師弟のモットー刻み前進!
「前進には、具体的な目標とともに、使命、決意を端的に表現した合言葉が必要である」——1967年(昭和42年)の6月から10月にかけて、池田先生は各地の会合に出席し、渾身の激励を重ねながら、活動の旗印となるモットーを八つの方面に贈った。各方面の「原点」「誇り」として刻まれたモットーとともに、新たな広布の幕が開かれていった。
〈関西〉常勝関西たれ
関西本部幹部大会(6月13日、大阪府立体育会館〈当時〉で)
〈九州〉つねに先駆の九州たれ
九州本部幹部大会(7月9日、福岡スポーツセンター〈当時〉で)
〈中部〉広布の堅塁・中部たれ
中部本部幹部大会(7月10日、愛知・金山体育館〈当時〉で)
〈東北〉人材の牙城・東北たれ
東北本部幹部大会(7月15日、宮城県スポーツセンター〈当時〉で)
〈北海道〉新しき時代の開拓者たれ
北海道本部幹部大会(8月21日、中島スポーツセンター〈当時〉で)
〈中国〉広布の新しき潮流たれ
中国本部幹部大会(8月26日、岡山県営体育館〈当時〉で)
〈四国〉楽土建設の革命児たれ
四国本部幹部大会(9月11日、香川・高松市の体育館で)
〈東京〉全国の模範・東京たれ
東京総合幹部大会(10月18日、日本武道館で)
1967年◆年表◆
<1月3日>
学生・高等・中等・少年部合同部員会。「令法久住の人材に育て」と激励(静岡)
<2月10日>
中部指導(〜11日。愛知)
<3月3日>
岐阜・中国指導(〜8日。岐阜、岡山、島根、山口、広島)
<4月1日>
鳳雛会・鳳雛グループの会合で激励(東京)
<5月3日>
会長就任7周年の第30回本部総会(東京)
<5月13日>
アメリカ・欧州訪問(〜29日。アメリカ、フランス、イタリア、スイス、オランダ)
アメリカを総合本部とすることを発表(16日)
フランスでパリ会館入仏式(20日)
<6月13日>
関西本部幹部大会で「常勝関西たれ」との指針を贈る(大阪)
<6月23日>
長野・松代会館の入仏式
松代地域は2年前から群発地震が続いており、"わが地域を模範の国土に"と激励。その際、会長就任以来、地震がないように、豊作であるようにと祈り続けている真情を語る
<7月9日>
九州本部幹部大会で「つねに先駆の九州たれ」との指針を贈る(福岡)
<7月10日>
中部本部幹部大会で「広布の堅塁・中部たれ」との指針を贈る(愛知)
<7月15日>
東北本部幹部大会で「人材の牙城・東北たれ」との指針を贈る(宮城)
<8月21日>
北海道本部幹部大会で「新しき時代の開拓者たれ」との指針を贈る
<8月24日>
第10回学生部総会。ベトナム戦争に言及し、米軍による北爆の停止を訴える。沖縄の施政権即時全面返還を提言(東京)
<8月26日>
中国本部幹部大会で「広布の新しき潮流たれ」との指針を贈る(岡山)
<9月1日>
創価文化会館の落成入仏式(東京)
<9月11日>
四国本部幹部大会で「楽土建設の革命児たれ」との指針を贈る(香川)
<9月15日>
九州指導(〜17日。佐賀、鹿児島、宮崎)
<10月15日>
東京文化祭(東京・国立競技場)
<10月18日>
東京総合幹部大会で「全国の模範・東京たれ」との指針を贈る(東京)
<10月30日>
"ヨーロッパ統合の父"リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と会談(東京)
語らいは後に対談集『文明・西と東』として結実し、世界の識者との対談集の第1号となる
<11月22日>
関西指導(〜24日。大阪、兵庫)
2022年8月19日金曜日
2022.08.19 わが友に贈る
マスク着用・手指消毒
定期的な換気の励行など
感染予防の徹底を!
賢明に創意工夫を凝らし
希望の歩みを朗らかに!
治病大小権実違目 P998
『而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑えず日本一同に日蓮をあだみて国国郡郡郷郷村村人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり』
【通解】
しかるに、この三十余年の三災・七難の原因は、全くほかのことではなく、日本一同が日蓮を怨んで、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに、上一人から下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起こしているからである。
名字の言 796グラムで生まれた男児の成長の軌跡 2022年8月19日
2003年11月14日。この日の本紙に、当時連載していた池田先生の小説『新・人間革命』「創価大学」の章の第1回が掲載された▼同じ日、都内の病院で1人の男の子が生まれた。か細い産声を上げた彼の体重は796グラム。右手の指と右腕には障がいがあり、右の肺は気管支鏡でも確認できなかった。医師は両親に「2週間がヤマです」と告げた▼彼の生命力は、その"険難の峰"を越えた。ただ、その後も試練は続く。脳性まひの影響もあり、歩けるようになったのは3歳だった。小学生の時は、体育着の着替えや給食などで、級友に遅れまいと頑張りすぎて、体調を崩したこともある▼それでも両親の祈りと愛情に包まれた彼は、着実に成長していった。小学6年で少林寺拳法を始めた。後年、初段を勝ち取り、黒帯に金文字で「不撓不屈」と刺しゅうを。彼と両親は、この4文字を心に刻み、前に進んだ▼彼には夢があった。"創価大学で学びたい"——今春、その夢を実現した。創立者の池田先生は入学式にメッセージを贈った。「偉大な使命を自覚して勇敢に立ち向かうならば、艱難をも飛翔の力へ変えて、計り知れない高みへ上昇することができます」。その通りに生きてきた彼は、堂々と胸を張る。
寸鉄 2022年8月19日
さいわいを万里の外よりあつむべし—御書。各人が幸福をつかむ為の信心(新2037・全1492)
広宣流布とは人間のための社会の建設—戸田先生 一人への励まし絶やさず
出会いの一瞬から新たな人間関係、友情が始まる。挨拶一つに真心を込めて
世界人道デー。生命尊厳、万人平等の思潮を今こそ時代精神に。市民の声で
日頃から災害の備えを。ハザードマップはPCやスマホ等でも確認が可能
〈社説〉 2022・8・19 きょう「俳句の日」
◇短い言葉にも心動かす力が
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」。松尾芭蕉の「おくのほそ道」の一句で、彼の心象風景が鮮やかに浮かぶ名句だ。
きょう19日は、「俳句の日」。は(8)い(1)く(9)の語呂合わせが由来。
池田先生は「どんなに忙しくても、花を愛し、生命の神秘に感嘆し、自然の美しさに心和ませる精神の余裕を忘れてはいけない。また、音楽を聴き、文学に親しみ、詩や俳句を詠むぐらいのゆとりが必要だ」とつづっている。多忙な日々の中でも、ぜひ文化の薫りに触れていきたい。
俳句は近年、幅広い世代に広がり、愛好家の裾野を広げている。その立役者の一人が、17日付の本紙「幸齢社会」欄に登場した俳人・夏井いつきさん。彼女は長年、"俳句の種まき"運動を通じ、その魅力や面白さを発信している。
先月、教育誌「灯台」の夏井さんの連載を書籍化した『夏井いつきの<今日から一句>』(第三文明社)が発刊された。夏井さんが、読者からの投句を添削しながら、俳句作りのイロハを伝える同企画は、7年続く人気コーナーとなっている。
同書の中で、夏井さんは「苦しい出来事に直面するたびに、俳句によって救われてきました。(中略)俳句にすることで自分を俯瞰して、一歩前に踏み出すきっかけとなります。悲しみやつらさを客観視することで心の痛みを和らげてくれるのです。まさに、『俳句ある人生に退屈とムダはなし』なのです」と語る。
俳句が人々の心をより豊かにし、人生を前向きに捉える力を与えると信じる、夏井さんの強い思いが感じられる。
「言葉と、生きていく。」を標榜する弊紙も、日々、人々を励ます「言葉の力」を信じ、発信し続けている。学会の歴史は、目の前の一人に寄り添い、希望と励ましの言葉を投げ掛け、「言葉の力」を体現してきた活動の積み重ねともいえよう。
御書には「言と云うは、心の思いを響かして声を顕す」(新713・全563)とつづられている。
たとえ短くても真心こもる言葉は、心を動かすことができる。メールで、電話で、直接会話して……。心の思いを伝える手段はさまざまだ。残暑の季節、詩心を感じながら、励ましの言葉を送る充実の日々を送っていこう。
☆SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ
◇戸田先生「人間の生命には無限の可能性」 忍耐の挑戦で希望の未来を
一、人類を「希望の光」で照らしゆく22期生の皆さん、そしてまた、誇り高く大学院に進学する皆さん、晴れの門出、誠におめでとうございます。
送り出してくださったご家族にも、心より感謝と祝福を申し上げます。
打ち続くコロナ禍の困難な中で準備を重ね、新入生を迎えてくれた、教職員をはじめ大学関係者の皆さん、在学生の皆さんにも、深く御礼を申し上げます。
一、毎年、ここアリソビエホの丘に、最優秀の新入生を迎える8月は、私にとって、19歳で師と仰ぐ偉大な平和の民衆指導者・戸田城聖先生と初めて出会った月であります。今年で75年となります。
第2次世界大戦下、信念の獄中闘争を勝ち越えた戸田先生が、戦後の荒廃し切った社会で一貫して訴えられたのは、「人間の生命には最極にして無限の可能性がある」ということでした。尽きることのない希望も勇気も智慧の泉も、一人一人の生命の中にある。それを涌現させていくならば、個人の幸福も、社会の平和と繁栄も必ず実現できる、との信念であります。
私たちの大切な友人であり、SUAにゆかりの深い、アフリカの環境運動の母ワンガリ・マータイ博士も語っていました。
「希望は花のようである。どんな状況においても、誰が見ていようがいまいが、花は精一杯、咲き誇る。人間もまた同じである」と。
国家や民族、思想や宗教など、あらゆる差異を乗り越えて連帯を築き、全ての人の尊厳が保障される、持続可能な地球社会を創造していくことが、今ほど求められている時はありません。世界の各地から多彩な学生が集うSUAのキャンパスこそ、世界市民を育む「英知の大城」です。地球民族が切望してやまない「世界平和の揺籃」です。
どうか、「わが生命には宇宙大の可能性がある」と胸を張り、日々の地道にして忍耐強い一歩一歩の挑戦が、人類の希望の未来を開きゆくとの誇りに燃えて、朗らかにして不屈の楽観主義で堂々と進んでいってください。
敬愛してやまない皆さんの前途に、健康あれ! 栄光あれ! 勝利あれ! と祈りつつ、私のメッセージといたします。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第22回 ガリレオ・ガリレイ
〈ガリレオ・ガリレイ〉
ただ座って考えていても進歩はない。
他人の報告を信じるだけではなく、自分の眼で確かめることが大事だ。
夏の楽しみの一つといえば、天体観測だろう。暑い一日を終えた後、夜風に吹かれながら星空を見上げると、心も果てしなく広がっていく。
あす12日は満月。さらに、天候が良ければ、翌13日にかけて「ペルセウス座流星群」が見られるかもしれない。
その天体観測を、はるか400年以上も前に望遠鏡を使って始めた人物がいる。「近代科学の父」と仰がれる、イタリアのガリレオ・ガリレイである。
「ただすわって考えているだけでは、科学の進歩はありえない」「どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」——彼が残した言葉は、その人生が行動と探究に貫かれていたことを物語っている。
ガリレオは1564年、同国北部のピサに生まれる。父の方針で幼い頃から家庭教師に教育を受けた。経済的事情により修道院学校に通った時期もあったが、多彩な才能を磨き、17歳でピサ大学に入学。そこで宮廷数学者リッチの講義に魅了され、数学の道を志すようになる。
後に大学は中退するものの、働きながら研究を継続。その成果が認められ、25歳でピサ大学の数学教授に就任した。
ガリレオは講義の傍ら、自らの研究を進め、物体の運動と落下に関する本を執筆する。その際、「ピサの斜塔」で行ったとされる実験で、重い鉄球と軽い鉄球が同時に落ちることを確かめ、落下の速さは重さと無関係であるとの結論を示す。
当時のヨーロッパの科学は、2000年前から続く古代ギリシャの思想に支配されていた。しかし彼は、論理の応用だけで結論を導き出すという常識にとらわれず、実験と検証を重ねることで真実に迫り、近代科学の扉を開いていったのである。
〈ガリレオ・ガリレイ〉
これから発見できることはまだ山ほどある。
新しい世代の人間にも、やることはいくらでも出てくる。
1604年、夜空に突如、超新星が現れ、科学の世界に衝撃が走った。「宇宙は安定した不変のものである」との学説が揺らぐことになったからだ。
この5年後、望遠鏡がオランダで発明されたことを聞いたガリレオは、その構造の説明をもとに自ら製作に着手。やがて約30倍の高倍率へと改良し、天体観測を開始する。
そして、月の表面のクレーターをはじめ、木星の衛星や金星の満ち欠けなどを発見。それまで定説とされていた、太陽や星が地球の周りを回る「天動説」は誤りであり、太陽の周りを地球が回る「地動説」が正しいことを確信したのである。
ガリレオの偉業は多くの大衆から支持されたが、先駆者の宿命ともいうべき迫害の嵐が彼を襲う。嫉妬に狂った人々が、地動説は聖書の教えに反するという言いがかりをつけ、ガリレオを異端審問所に告発。地動説を捨てるよう命じられたのだ。
だがその2年後、空に三つの彗星が現れ、再び天動説と地動説を巡る論争が巻き起こる。彼は言論の力で地動説を証明することを決意。「われわれはもはや、暗黒も、真っ向から吹つけてくる嵐をも、恐れる必要はありません」——大病を抱えながら、約6年かけて大著『天文対話』を書き上げたのである。
発刊後、ガリレオは宗教裁判にかけられる。判決は終身刑。翌年には彼を支え続けてきた最愛の娘が病で急死してしまう。
相次ぐ苦難は彼を絶望の闇に突き落とした。しかし、失意の底にいながらもガリレオは絶対にくじけなかった。その原動力となったのは、真実への飽くなき探究心であり、不正への激しい憤怒であった。
「もう沢山のことが発見されたが、これから発見できることはまだ山ほどある。だから新しい世代の人間にもやることはいくらでも出てくる」「無知とは、もろもろの悪意、嫉妬、瞋恚の母であり、他のすべての悪の中で、最も卑劣で醜い罪悪である」
厳しい監視にも耐え、ガリレオは命が燃え尽きるまで真理を追い求めた。亡くなったのは42年1月、77歳の時。遺骸は礼拝堂から離れた場所に葬られる。
ガリレオには愛弟子のヴィヴィアーニがいた。死後も続く冷遇に怒った弟子は、師匠の伝記を刊行し、全集を編さん。礼拝堂への改葬と記念碑の設置を願い、生涯を閉じた。
この弟子の悲願が成就したのは、約30年後のことである。
今年はガリレオの没後380年の節目に当たる。
〈ガリレオを語る池田先生〉
歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動している。
何があってもくじけずに、努力を続けた人が最後に勝つ。
「挑戦の人」「信念の人」たれ!
1994年5月、イタリアを訪問した池田先生は「ピサの斜塔」へ。見学するのは81年5月、同志と共に訪れて以来、2度目であった。
この2年前の92年、当時のローマ教皇がガリレオの裁判は誤りであったことを認め、謝罪を表明。先生は8階建て、高さ約55メートルの斜塔を見つめつつ、逝去から350年後の名誉回復という勝利劇に思いをはせた。
さらに、ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年に当たる2009年。国連等が「世界天文年」と定めたこの年、先生は折あるごとに、次代を担う未来部の友へガリレオの人生を通してエールを送っている。
「彼はつねに実験を重んじる『行動の人』でした。何度失敗しても、ねばり強くチャレンジし続ける『挑戦の人』でした。そして、どこまでも真実を叫び抜く『信念の人』だったのです。歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動しています。何があってもくじけずに、努力を続けた人が、最後は必ず勝利するのです」(「小学生文化新聞」<当時>09年1月号の新春メッセージ)
「良き弟子を持ったゆえに、ガリレオは幸福でした。勝利しました。私も、永遠の師匠である戸田先生、牧口先生を、全世界に宣揚し抜いてきました。そして私には、未来部がいます。絶対に信頼できる君たちがいます。(中略)
どんなに迫害されようとも、広宣流布という、この世で最も尊い『正義』の旗は、必ずや後継の君たちが受け継いでくれる。そして、未来永遠に師弟勝利の歴史を打ち立ててくれる。だから、私は幸せであります」(同年5月5日「創価学会後継者の日」記念の未来部総会へのメッセージ)
さあ、心を宇宙大に広げ、努力と挑戦の日々を! 創価の夏は後継の友と共に成長する躍進の夏である。
定期的な換気の励行など
感染予防の徹底を!
賢明に創意工夫を凝らし
希望の歩みを朗らかに!
治病大小権実違目 P998
『而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑えず日本一同に日蓮をあだみて国国郡郡郷郷村村人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり』
【通解】
しかるに、この三十余年の三災・七難の原因は、全くほかのことではなく、日本一同が日蓮を怨んで、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに、上一人から下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起こしているからである。
名字の言 796グラムで生まれた男児の成長の軌跡 2022年8月19日
2003年11月14日。この日の本紙に、当時連載していた池田先生の小説『新・人間革命』「創価大学」の章の第1回が掲載された▼同じ日、都内の病院で1人の男の子が生まれた。か細い産声を上げた彼の体重は796グラム。右手の指と右腕には障がいがあり、右の肺は気管支鏡でも確認できなかった。医師は両親に「2週間がヤマです」と告げた▼彼の生命力は、その"険難の峰"を越えた。ただ、その後も試練は続く。脳性まひの影響もあり、歩けるようになったのは3歳だった。小学生の時は、体育着の着替えや給食などで、級友に遅れまいと頑張りすぎて、体調を崩したこともある▼それでも両親の祈りと愛情に包まれた彼は、着実に成長していった。小学6年で少林寺拳法を始めた。後年、初段を勝ち取り、黒帯に金文字で「不撓不屈」と刺しゅうを。彼と両親は、この4文字を心に刻み、前に進んだ▼彼には夢があった。"創価大学で学びたい"——今春、その夢を実現した。創立者の池田先生は入学式にメッセージを贈った。「偉大な使命を自覚して勇敢に立ち向かうならば、艱難をも飛翔の力へ変えて、計り知れない高みへ上昇することができます」。その通りに生きてきた彼は、堂々と胸を張る。
寸鉄 2022年8月19日
さいわいを万里の外よりあつむべし—御書。各人が幸福をつかむ為の信心(新2037・全1492)
広宣流布とは人間のための社会の建設—戸田先生 一人への励まし絶やさず
出会いの一瞬から新たな人間関係、友情が始まる。挨拶一つに真心を込めて
世界人道デー。生命尊厳、万人平等の思潮を今こそ時代精神に。市民の声で
日頃から災害の備えを。ハザードマップはPCやスマホ等でも確認が可能
〈社説〉 2022・8・19 きょう「俳句の日」
◇短い言葉にも心動かす力が
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」。松尾芭蕉の「おくのほそ道」の一句で、彼の心象風景が鮮やかに浮かぶ名句だ。
きょう19日は、「俳句の日」。は(8)い(1)く(9)の語呂合わせが由来。
池田先生は「どんなに忙しくても、花を愛し、生命の神秘に感嘆し、自然の美しさに心和ませる精神の余裕を忘れてはいけない。また、音楽を聴き、文学に親しみ、詩や俳句を詠むぐらいのゆとりが必要だ」とつづっている。多忙な日々の中でも、ぜひ文化の薫りに触れていきたい。
俳句は近年、幅広い世代に広がり、愛好家の裾野を広げている。その立役者の一人が、17日付の本紙「幸齢社会」欄に登場した俳人・夏井いつきさん。彼女は長年、"俳句の種まき"運動を通じ、その魅力や面白さを発信している。
先月、教育誌「灯台」の夏井さんの連載を書籍化した『夏井いつきの<今日から一句>』(第三文明社)が発刊された。夏井さんが、読者からの投句を添削しながら、俳句作りのイロハを伝える同企画は、7年続く人気コーナーとなっている。
同書の中で、夏井さんは「苦しい出来事に直面するたびに、俳句によって救われてきました。(中略)俳句にすることで自分を俯瞰して、一歩前に踏み出すきっかけとなります。悲しみやつらさを客観視することで心の痛みを和らげてくれるのです。まさに、『俳句ある人生に退屈とムダはなし』なのです」と語る。
俳句が人々の心をより豊かにし、人生を前向きに捉える力を与えると信じる、夏井さんの強い思いが感じられる。
「言葉と、生きていく。」を標榜する弊紙も、日々、人々を励ます「言葉の力」を信じ、発信し続けている。学会の歴史は、目の前の一人に寄り添い、希望と励ましの言葉を投げ掛け、「言葉の力」を体現してきた活動の積み重ねともいえよう。
御書には「言と云うは、心の思いを響かして声を顕す」(新713・全563)とつづられている。
たとえ短くても真心こもる言葉は、心を動かすことができる。メールで、電話で、直接会話して……。心の思いを伝える手段はさまざまだ。残暑の季節、詩心を感じながら、励ましの言葉を送る充実の日々を送っていこう。
☆SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ
◇戸田先生「人間の生命には無限の可能性」 忍耐の挑戦で希望の未来を
一、人類を「希望の光」で照らしゆく22期生の皆さん、そしてまた、誇り高く大学院に進学する皆さん、晴れの門出、誠におめでとうございます。
送り出してくださったご家族にも、心より感謝と祝福を申し上げます。
打ち続くコロナ禍の困難な中で準備を重ね、新入生を迎えてくれた、教職員をはじめ大学関係者の皆さん、在学生の皆さんにも、深く御礼を申し上げます。
一、毎年、ここアリソビエホの丘に、最優秀の新入生を迎える8月は、私にとって、19歳で師と仰ぐ偉大な平和の民衆指導者・戸田城聖先生と初めて出会った月であります。今年で75年となります。
第2次世界大戦下、信念の獄中闘争を勝ち越えた戸田先生が、戦後の荒廃し切った社会で一貫して訴えられたのは、「人間の生命には最極にして無限の可能性がある」ということでした。尽きることのない希望も勇気も智慧の泉も、一人一人の生命の中にある。それを涌現させていくならば、個人の幸福も、社会の平和と繁栄も必ず実現できる、との信念であります。
私たちの大切な友人であり、SUAにゆかりの深い、アフリカの環境運動の母ワンガリ・マータイ博士も語っていました。
「希望は花のようである。どんな状況においても、誰が見ていようがいまいが、花は精一杯、咲き誇る。人間もまた同じである」と。
国家や民族、思想や宗教など、あらゆる差異を乗り越えて連帯を築き、全ての人の尊厳が保障される、持続可能な地球社会を創造していくことが、今ほど求められている時はありません。世界の各地から多彩な学生が集うSUAのキャンパスこそ、世界市民を育む「英知の大城」です。地球民族が切望してやまない「世界平和の揺籃」です。
どうか、「わが生命には宇宙大の可能性がある」と胸を張り、日々の地道にして忍耐強い一歩一歩の挑戦が、人類の希望の未来を開きゆくとの誇りに燃えて、朗らかにして不屈の楽観主義で堂々と進んでいってください。
敬愛してやまない皆さんの前途に、健康あれ! 栄光あれ! 勝利あれ! と祈りつつ、私のメッセージといたします。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第22回 ガリレオ・ガリレイ
〈ガリレオ・ガリレイ〉
ただ座って考えていても進歩はない。
他人の報告を信じるだけではなく、自分の眼で確かめることが大事だ。
夏の楽しみの一つといえば、天体観測だろう。暑い一日を終えた後、夜風に吹かれながら星空を見上げると、心も果てしなく広がっていく。
あす12日は満月。さらに、天候が良ければ、翌13日にかけて「ペルセウス座流星群」が見られるかもしれない。
その天体観測を、はるか400年以上も前に望遠鏡を使って始めた人物がいる。「近代科学の父」と仰がれる、イタリアのガリレオ・ガリレイである。
「ただすわって考えているだけでは、科学の進歩はありえない」「どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」——彼が残した言葉は、その人生が行動と探究に貫かれていたことを物語っている。
ガリレオは1564年、同国北部のピサに生まれる。父の方針で幼い頃から家庭教師に教育を受けた。経済的事情により修道院学校に通った時期もあったが、多彩な才能を磨き、17歳でピサ大学に入学。そこで宮廷数学者リッチの講義に魅了され、数学の道を志すようになる。
後に大学は中退するものの、働きながら研究を継続。その成果が認められ、25歳でピサ大学の数学教授に就任した。
ガリレオは講義の傍ら、自らの研究を進め、物体の運動と落下に関する本を執筆する。その際、「ピサの斜塔」で行ったとされる実験で、重い鉄球と軽い鉄球が同時に落ちることを確かめ、落下の速さは重さと無関係であるとの結論を示す。
当時のヨーロッパの科学は、2000年前から続く古代ギリシャの思想に支配されていた。しかし彼は、論理の応用だけで結論を導き出すという常識にとらわれず、実験と検証を重ねることで真実に迫り、近代科学の扉を開いていったのである。
〈ガリレオ・ガリレイ〉
これから発見できることはまだ山ほどある。
新しい世代の人間にも、やることはいくらでも出てくる。
1604年、夜空に突如、超新星が現れ、科学の世界に衝撃が走った。「宇宙は安定した不変のものである」との学説が揺らぐことになったからだ。
この5年後、望遠鏡がオランダで発明されたことを聞いたガリレオは、その構造の説明をもとに自ら製作に着手。やがて約30倍の高倍率へと改良し、天体観測を開始する。
そして、月の表面のクレーターをはじめ、木星の衛星や金星の満ち欠けなどを発見。それまで定説とされていた、太陽や星が地球の周りを回る「天動説」は誤りであり、太陽の周りを地球が回る「地動説」が正しいことを確信したのである。
ガリレオの偉業は多くの大衆から支持されたが、先駆者の宿命ともいうべき迫害の嵐が彼を襲う。嫉妬に狂った人々が、地動説は聖書の教えに反するという言いがかりをつけ、ガリレオを異端審問所に告発。地動説を捨てるよう命じられたのだ。
だがその2年後、空に三つの彗星が現れ、再び天動説と地動説を巡る論争が巻き起こる。彼は言論の力で地動説を証明することを決意。「われわれはもはや、暗黒も、真っ向から吹つけてくる嵐をも、恐れる必要はありません」——大病を抱えながら、約6年かけて大著『天文対話』を書き上げたのである。
発刊後、ガリレオは宗教裁判にかけられる。判決は終身刑。翌年には彼を支え続けてきた最愛の娘が病で急死してしまう。
相次ぐ苦難は彼を絶望の闇に突き落とした。しかし、失意の底にいながらもガリレオは絶対にくじけなかった。その原動力となったのは、真実への飽くなき探究心であり、不正への激しい憤怒であった。
「もう沢山のことが発見されたが、これから発見できることはまだ山ほどある。だから新しい世代の人間にもやることはいくらでも出てくる」「無知とは、もろもろの悪意、嫉妬、瞋恚の母であり、他のすべての悪の中で、最も卑劣で醜い罪悪である」
厳しい監視にも耐え、ガリレオは命が燃え尽きるまで真理を追い求めた。亡くなったのは42年1月、77歳の時。遺骸は礼拝堂から離れた場所に葬られる。
ガリレオには愛弟子のヴィヴィアーニがいた。死後も続く冷遇に怒った弟子は、師匠の伝記を刊行し、全集を編さん。礼拝堂への改葬と記念碑の設置を願い、生涯を閉じた。
この弟子の悲願が成就したのは、約30年後のことである。
今年はガリレオの没後380年の節目に当たる。
〈ガリレオを語る池田先生〉
歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動している。
何があってもくじけずに、努力を続けた人が最後に勝つ。
「挑戦の人」「信念の人」たれ!
1994年5月、イタリアを訪問した池田先生は「ピサの斜塔」へ。見学するのは81年5月、同志と共に訪れて以来、2度目であった。
この2年前の92年、当時のローマ教皇がガリレオの裁判は誤りであったことを認め、謝罪を表明。先生は8階建て、高さ約55メートルの斜塔を見つめつつ、逝去から350年後の名誉回復という勝利劇に思いをはせた。
さらに、ガリレオの望遠鏡による天体観測から400年に当たる2009年。国連等が「世界天文年」と定めたこの年、先生は折あるごとに、次代を担う未来部の友へガリレオの人生を通してエールを送っている。
「彼はつねに実験を重んじる『行動の人』でした。何度失敗しても、ねばり強くチャレンジし続ける『挑戦の人』でした。そして、どこまでも真実を叫び抜く『信念の人』だったのです。歴史上、偉大な人物はみな、勇気をもって行動しています。何があってもくじけずに、努力を続けた人が、最後は必ず勝利するのです」(「小学生文化新聞」<当時>09年1月号の新春メッセージ)
「良き弟子を持ったゆえに、ガリレオは幸福でした。勝利しました。私も、永遠の師匠である戸田先生、牧口先生を、全世界に宣揚し抜いてきました。そして私には、未来部がいます。絶対に信頼できる君たちがいます。(中略)
どんなに迫害されようとも、広宣流布という、この世で最も尊い『正義』の旗は、必ずや後継の君たちが受け継いでくれる。そして、未来永遠に師弟勝利の歴史を打ち立ててくれる。だから、私は幸せであります」(同年5月5日「創価学会後継者の日」記念の未来部総会へのメッセージ)
さあ、心を宇宙大に広げ、努力と挑戦の日々を! 創価の夏は後継の友と共に成長する躍進の夏である。
2022年8月18日木曜日
2022.08.18 わが友に贈る
誰もが悩む時はある。
一人で抱え込まずに
信頼する同志に相談を。
新たな決意が生まれ
前進の力が漲る!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
【通解】
二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよりも過ぎたことである。
名字の言 多宝会の女性部員が人生の支えとした"力" 2022年8月18日
今年は詩人・島崎藤村の生誕150周年。仙台駅近くの藤村広場には彼の功績をたたえる「日本近代詩発祥の地」の碑が立つ▼藤村にとって仙台は教師としての赴任先であり、苦悩から立ち直らせてくれた場所だった。詩友の死や生家の没落などの悲哀を抱えながらも詩作を重ね、詩集を刊行。人間の思想や感情を自由に表現する作風で近代詩の夜明けを開いた。藤村はうたう。「生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり」(『島崎藤村全集1』筑摩書房)▼東北のある多宝会の女性部員には、人生の支えとなった"力"がある。結婚する際、兄から「何があっても手放すな」と渡された御書全集だ▼彼女が住む農村地域は旧習の壁が厚かった。試練が襲うたび御書を開き、日蓮大聖人の誓願と激闘に勇気を得ながら、信心を貫くこと60年余。幾多の宿命を勝ち越えた今、"新たな人生の幕開け"との思いで、御書新版の全編を拝読し、学会活動に励む▼池田先生は「御書を拝せば、人類の生命が具えている宇宙大の可能性への自覚と信頼が込み上げてくる」と。偉大な生命からほとばしる言葉には、人の生き方さえも変える力がある。御書と共に、負けない人生を歩み続けよう。
寸鉄 2022年8月18日
この信心は師子をつくるのだ—戸田先生。勇敢に広布と人生の勝利史刻め
栃木県青年部の日。正義の闘魂で対話の旋風を!平和と幸福の連帯を拡大
確固たる目的を持たない精神は自分を失う—哲人モンテーニュ 大願に立つ人は常に向上
未来部の各種コンクールが大詰め。次代担う鳳雛の成長は希望。皆で応援
手のひらの冷却が熱中症予防に有効—医師。水分・塩分補給も欠かさず励行
☆共戦の旅立ちの日「8・14」
◇我、この師に続かん
◇我、この道を進まん
人間の一生には、久遠からの約束かのような運命的な邂逅がある。戸田城聖先生と池田大作先生とのそれも、深き縁で結ばれた必然的なものだったに違いない。両先生が初めて出会ったのは、1947年(昭和22年)8月14日。明後日は75周年の佳節である。この日から広宣流布即世界平和の「時」が動き始めた。今、師弟の誓願に呼応して躍り出た地涌の青年が各地で乱舞し、人間主義の哲理の大光が地球を包む時代を迎えている。ここでは、共戦の旅立ちの日「8・14」に刻まれた歴史と、その精神を確認する。
�1947年(昭和22年)
生涯の原点 師弟の出会い
戦後の混乱が続いていた1947年(昭和22年)。多くの青年が、旧来の価値観が崩れ去った空虚感の中で、精神の糧を欲した。池田先生も、その一人だった。
「正しい人生」を求めてやまなかった先生が、小学校時代の同級生に誘われて、創価学会の座談会に参加した。同年8月14日のことである。
大田区の会場に到着すると、戸田先生が「立正安国論」の講義をしていた。戸田先生は事前に、新来者である池田先生のことを聞いていた。戦争で兄が亡くなったこと、空襲で家が焼かれたこと——。
講義を終えると、戸田先生は旧知のような親しみを込めて、「いくつになったね」と尋ねた。池田先生は「19歳です」と応じ、率直に質問した。「正しい人生とは、一体、どういう人生をいうのでしょうか」
青年の真剣な問いに、戸田先生は誠実に答えつつ、「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか」と語った。
戸田先生は仏法の理論をもてあそぶのではなく、簡明に答えた。権威ぶる態度など微塵もなかった。
若き池田先生が深く感銘を受けたのは、戸田先生が日本の軍国主義と戦い、獄中闘争を貫いたこと。それが"この人なら信じられる"と感じる決定的な要因となった。
座談会の場で、池田先生は戸田先生への謝意を込めて、即興の詩を詠じた。
「旅びとよ いずこより来り いずこへ往かんとするか……嵐に動かぬ大樹求めて われ 地より湧き出でんとするか」
当時の池田先生には、法華経に説かれる「地涌の菩薩」という言葉は、知るよしもなかった。「地より湧き出でんとするか」は、戦後の廃虚に生い出ずる草木の生命力に対する感動を表現したものである。
10日後の8月24日、池田先生は入信する。信仰の道に進むことに、少なからず不安はあった。しかし、戸田城聖という偉大な人格から受けた衝撃にも似た感動に、池田先生は師に学び、共に進むことを誓った。
後に池田先生は、当時の心境をつづっている。
「私は決めた。我、この師に続かむ。我、この道を進まむ」
◇即興詩「地湧」
旅びとよ
いずこより来り
いずこへ往かんとするか
月は 沈みぬ
日 いまだ昇らず
夜明け前の混沌に
光 もとめて
われ 進みゆく
心の 暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より湧き出でんとするか
(戸田先生と出会った、その感動と感謝を込めて、池田先生が披露した詩)
�1952年(昭和27年)
関西の地に第一歩をしるす
1951年(昭和26年)5月3日、戸田先生が第2代会長に就任。それから間もなく、池田先生は進言した。「日本の広宣流布の未来を考えた時、庶民の都・大阪にこそ、最も早く支部を建設するべきです」
戸田先生は即座に「わかった。それなら、大作、君が行って、君の手でつくりたまえ」と返した。
広布の未来を展望する師弟の語らいは、翌52年(同27年)8月14日の夏季地方指導として結実する。
夕刻、池田先生を乗せた特急「つばめ」が大阪駅に到着。関西への第一歩がしるされた。先生は、大阪・堺の座談会に向かった。参加者は、24歳の青年の迫力に圧倒された。
先生は、戸田先生の偉大さを語り、自身の肺結核との闘病を通し、御本尊への大確信を訴えた。この座談会で、7人の新来者が入会を決意したという。
翌15日には、戸田先生を大阪の地に迎え、「仏教大講演会」が開催された。池田先生は、大阪の同志と共に、参加を呼び掛けるビラを路上で配り、自らも「本当の幸福とは何か」と題し、講演した。関西に折伏のうねりが広がった。
仏法に偶然はない。不思議な"時の一致"には意味がある。戸田先生と池田先生が出会った8月14日に、池田先生が関西を初めて訪問した——。この符合は池田先生と関西の縁、そして広宣流布における関西の深き使命を示していよう。
池田先生は語っている。
「関西における戦いの一こま一こまは、私自身の実践の歴史の一こま一こまであり、同時に私の人間革命の実践の場であったといっても過言ではない。換言すれば、今日の私があるのは、この関西という広い法戦場で皆さん方と共に仏道修行に励み、苦楽を共にしてきた結果である」
「私が第二の故郷として関西を愛し、皆さん方を守りたいと思うのも、こうした深い思い出の歴史があるからであります」
�1957年(昭和32年)
小説「人間革命」執筆の決意
1957年(昭和32年)8月13日、池田先生は戸田先生が滞在する長野の地へ向かった。
この月の8日から、池田先生は夏季ブロック指導における、東京・荒川の最高責任者として指揮を執っていた。先生は荒川での戦いを恩師に報告し、18日からの北海道の諸行事についても打ち合わせた。やがて、師弟の語らいは、戸田先生が執筆した小説『人間革命』に話題が移った。
池田先生は率直な感想を語った。事実無根の容疑で大阪府警へ出頭する際、大阪に向かう飛行機の中で読んだこと。読み終えると、使命に生きる勇気が体から湧いてきたこと——。恩師の小説『人間革命』は、池田先生が「大阪事件」での2週間の獄中闘争を貫く計り知れない力となった。
愛弟子の言葉をうれしそうに聞いた後、戸田先生は語った。
「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立って、できない」「信仰という人間の内面世界を語るためには、どうしても、小説という手法をとらざるを得ない面がある」
この夜、池田先生は、恩師の言葉を何度も思い返しながら思索を重ねた。戸田先生の『人間革命』には、自らの出獄後の戦いについて触れられていなかった。
「真剣な省察のなか、戸田先生のご生涯とご精神を誤りなく後世に伝え、創価学会の真実を永久に残すことは、師の私への記別なりと強く思われた」
「(戸田)先生に代わって『人間革命』を執筆することは、不二の弟子としての私の使命だと、固く心に誓った」
その決意をもって、池田先生は戸田先生との出会いから10周年となる57年8月14日を迎えた。
それから7年後の64年(同39年)12月2日、先生は沖縄の地で『人間革命』の執筆を開始。2018年(平成30年)の『新・人間革命』完結を迎えるまで、命を削る「ペンの大闘争」を続けた。今、世界の同志が、師が魂魄をとどめた一書に学び、挑戦と勝利のドラマをつづっている。
◆◇◆
池田先生は詠んでいる。
「久遠より この時 誓いし 縁かな 創価の師弟の 誇り忘るな」
師弟の宿縁に思いを馳せ、自らが師に誓い、新たな広布の戦いを開始する。「8・14」とは、その"永遠の出発の日"である。
☆創大通信教育部・夏期スクーリング開講への池田先生のメッセージ
◇危機は未来創造のチャンス 不撓不屈の「学光」の道を
日本全国・全世界から、向学の息吹満つ夏期スクーリング、誠に御苦労さまです。さまざまな苦難を「負けじ魂」で勝ち越えて学び続ける"学光家族"を、私は最大に讃えます。教員の先生方はじめ関係の方々にも心から御礼を申し上げます。
皆さんの進む「学の光」の道は、世界の最先端の良識と連帯しゆく道であります。私と妻の大切な友人であったアメリカの行動する未来学者、ヘイゼル・ヘンダーソン博士も、皆さんに心からのエールを送ってくださっていることでしょう。
博士が本格的な学問を開始したのは、母として子どもを育てながらでありました。博士にとっては、本があるところ、そこがキャンパスでした。読書し、分からないことがあったら、著者に直接、手紙を送り、その交流を通して知識と教養を深めていったのです。
後年、地球的課題に取り組んだ博士の信念は"危機や問題は新しい未来を創造するチャンスなり"でした。それはまさしく、半世紀にわたり"限界からの挑戦"を貫き通してきた、わが創大通教生の誇り高き不撓不屈のスピリットと深く強く響き合っているでありましょう。
「人生100年時代」にあって、「無形資産」——金銭等では表せない、豊かな学びや人間関係、また生き方の内実に注目が集まっています。皆さんこそ、まさに時代が希求する「心の財」のパイオニアの一人一人です。
この夏期スクーリングが、皆さんの人生とともに、人類の未来を潤す価値創造の希望の泉となりゆくことを、私は確信してやみません。
どうか、聡明に休憩を取りながら充実した探究の日々であってください。皆さんの健康幸福とご家族の安穏和楽を祈ります。
一人で抱え込まずに
信頼する同志に相談を。
新たな決意が生まれ
前進の力が漲る!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
【通解】
二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよりも過ぎたことである。
名字の言 多宝会の女性部員が人生の支えとした"力" 2022年8月18日
今年は詩人・島崎藤村の生誕150周年。仙台駅近くの藤村広場には彼の功績をたたえる「日本近代詩発祥の地」の碑が立つ▼藤村にとって仙台は教師としての赴任先であり、苦悩から立ち直らせてくれた場所だった。詩友の死や生家の没落などの悲哀を抱えながらも詩作を重ね、詩集を刊行。人間の思想や感情を自由に表現する作風で近代詩の夜明けを開いた。藤村はうたう。「生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり」(『島崎藤村全集1』筑摩書房)▼東北のある多宝会の女性部員には、人生の支えとなった"力"がある。結婚する際、兄から「何があっても手放すな」と渡された御書全集だ▼彼女が住む農村地域は旧習の壁が厚かった。試練が襲うたび御書を開き、日蓮大聖人の誓願と激闘に勇気を得ながら、信心を貫くこと60年余。幾多の宿命を勝ち越えた今、"新たな人生の幕開け"との思いで、御書新版の全編を拝読し、学会活動に励む▼池田先生は「御書を拝せば、人類の生命が具えている宇宙大の可能性への自覚と信頼が込み上げてくる」と。偉大な生命からほとばしる言葉には、人の生き方さえも変える力がある。御書と共に、負けない人生を歩み続けよう。
寸鉄 2022年8月18日
この信心は師子をつくるのだ—戸田先生。勇敢に広布と人生の勝利史刻め
栃木県青年部の日。正義の闘魂で対話の旋風を!平和と幸福の連帯を拡大
確固たる目的を持たない精神は自分を失う—哲人モンテーニュ 大願に立つ人は常に向上
未来部の各種コンクールが大詰め。次代担う鳳雛の成長は希望。皆で応援
手のひらの冷却が熱中症予防に有効—医師。水分・塩分補給も欠かさず励行
☆共戦の旅立ちの日「8・14」
◇我、この師に続かん
◇我、この道を進まん
人間の一生には、久遠からの約束かのような運命的な邂逅がある。戸田城聖先生と池田大作先生とのそれも、深き縁で結ばれた必然的なものだったに違いない。両先生が初めて出会ったのは、1947年(昭和22年)8月14日。明後日は75周年の佳節である。この日から広宣流布即世界平和の「時」が動き始めた。今、師弟の誓願に呼応して躍り出た地涌の青年が各地で乱舞し、人間主義の哲理の大光が地球を包む時代を迎えている。ここでは、共戦の旅立ちの日「8・14」に刻まれた歴史と、その精神を確認する。
�1947年(昭和22年)
生涯の原点 師弟の出会い
戦後の混乱が続いていた1947年(昭和22年)。多くの青年が、旧来の価値観が崩れ去った空虚感の中で、精神の糧を欲した。池田先生も、その一人だった。
「正しい人生」を求めてやまなかった先生が、小学校時代の同級生に誘われて、創価学会の座談会に参加した。同年8月14日のことである。
大田区の会場に到着すると、戸田先生が「立正安国論」の講義をしていた。戸田先生は事前に、新来者である池田先生のことを聞いていた。戦争で兄が亡くなったこと、空襲で家が焼かれたこと——。
講義を終えると、戸田先生は旧知のような親しみを込めて、「いくつになったね」と尋ねた。池田先生は「19歳です」と応じ、率直に質問した。「正しい人生とは、一体、どういう人生をいうのでしょうか」
青年の真剣な問いに、戸田先生は誠実に答えつつ、「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか」と語った。
戸田先生は仏法の理論をもてあそぶのではなく、簡明に答えた。権威ぶる態度など微塵もなかった。
若き池田先生が深く感銘を受けたのは、戸田先生が日本の軍国主義と戦い、獄中闘争を貫いたこと。それが"この人なら信じられる"と感じる決定的な要因となった。
座談会の場で、池田先生は戸田先生への謝意を込めて、即興の詩を詠じた。
「旅びとよ いずこより来り いずこへ往かんとするか……嵐に動かぬ大樹求めて われ 地より湧き出でんとするか」
当時の池田先生には、法華経に説かれる「地涌の菩薩」という言葉は、知るよしもなかった。「地より湧き出でんとするか」は、戦後の廃虚に生い出ずる草木の生命力に対する感動を表現したものである。
10日後の8月24日、池田先生は入信する。信仰の道に進むことに、少なからず不安はあった。しかし、戸田城聖という偉大な人格から受けた衝撃にも似た感動に、池田先生は師に学び、共に進むことを誓った。
後に池田先生は、当時の心境をつづっている。
「私は決めた。我、この師に続かむ。我、この道を進まむ」
◇即興詩「地湧」
旅びとよ
いずこより来り
いずこへ往かんとするか
月は 沈みぬ
日 いまだ昇らず
夜明け前の混沌に
光 もとめて
われ 進みゆく
心の 暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹求めて
われ 地より湧き出でんとするか
(戸田先生と出会った、その感動と感謝を込めて、池田先生が披露した詩)
�1952年(昭和27年)
関西の地に第一歩をしるす
1951年(昭和26年)5月3日、戸田先生が第2代会長に就任。それから間もなく、池田先生は進言した。「日本の広宣流布の未来を考えた時、庶民の都・大阪にこそ、最も早く支部を建設するべきです」
戸田先生は即座に「わかった。それなら、大作、君が行って、君の手でつくりたまえ」と返した。
広布の未来を展望する師弟の語らいは、翌52年(同27年)8月14日の夏季地方指導として結実する。
夕刻、池田先生を乗せた特急「つばめ」が大阪駅に到着。関西への第一歩がしるされた。先生は、大阪・堺の座談会に向かった。参加者は、24歳の青年の迫力に圧倒された。
先生は、戸田先生の偉大さを語り、自身の肺結核との闘病を通し、御本尊への大確信を訴えた。この座談会で、7人の新来者が入会を決意したという。
翌15日には、戸田先生を大阪の地に迎え、「仏教大講演会」が開催された。池田先生は、大阪の同志と共に、参加を呼び掛けるビラを路上で配り、自らも「本当の幸福とは何か」と題し、講演した。関西に折伏のうねりが広がった。
仏法に偶然はない。不思議な"時の一致"には意味がある。戸田先生と池田先生が出会った8月14日に、池田先生が関西を初めて訪問した——。この符合は池田先生と関西の縁、そして広宣流布における関西の深き使命を示していよう。
池田先生は語っている。
「関西における戦いの一こま一こまは、私自身の実践の歴史の一こま一こまであり、同時に私の人間革命の実践の場であったといっても過言ではない。換言すれば、今日の私があるのは、この関西という広い法戦場で皆さん方と共に仏道修行に励み、苦楽を共にしてきた結果である」
「私が第二の故郷として関西を愛し、皆さん方を守りたいと思うのも、こうした深い思い出の歴史があるからであります」
�1957年(昭和32年)
小説「人間革命」執筆の決意
1957年(昭和32年)8月13日、池田先生は戸田先生が滞在する長野の地へ向かった。
この月の8日から、池田先生は夏季ブロック指導における、東京・荒川の最高責任者として指揮を執っていた。先生は荒川での戦いを恩師に報告し、18日からの北海道の諸行事についても打ち合わせた。やがて、師弟の語らいは、戸田先生が執筆した小説『人間革命』に話題が移った。
池田先生は率直な感想を語った。事実無根の容疑で大阪府警へ出頭する際、大阪に向かう飛行機の中で読んだこと。読み終えると、使命に生きる勇気が体から湧いてきたこと——。恩師の小説『人間革命』は、池田先生が「大阪事件」での2週間の獄中闘争を貫く計り知れない力となった。
愛弟子の言葉をうれしそうに聞いた後、戸田先生は語った。
「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立って、できない」「信仰という人間の内面世界を語るためには、どうしても、小説という手法をとらざるを得ない面がある」
この夜、池田先生は、恩師の言葉を何度も思い返しながら思索を重ねた。戸田先生の『人間革命』には、自らの出獄後の戦いについて触れられていなかった。
「真剣な省察のなか、戸田先生のご生涯とご精神を誤りなく後世に伝え、創価学会の真実を永久に残すことは、師の私への記別なりと強く思われた」
「(戸田)先生に代わって『人間革命』を執筆することは、不二の弟子としての私の使命だと、固く心に誓った」
その決意をもって、池田先生は戸田先生との出会いから10周年となる57年8月14日を迎えた。
それから7年後の64年(同39年)12月2日、先生は沖縄の地で『人間革命』の執筆を開始。2018年(平成30年)の『新・人間革命』完結を迎えるまで、命を削る「ペンの大闘争」を続けた。今、世界の同志が、師が魂魄をとどめた一書に学び、挑戦と勝利のドラマをつづっている。
◆◇◆
池田先生は詠んでいる。
「久遠より この時 誓いし 縁かな 創価の師弟の 誇り忘るな」
師弟の宿縁に思いを馳せ、自らが師に誓い、新たな広布の戦いを開始する。「8・14」とは、その"永遠の出発の日"である。
☆創大通信教育部・夏期スクーリング開講への池田先生のメッセージ
◇危機は未来創造のチャンス 不撓不屈の「学光」の道を
日本全国・全世界から、向学の息吹満つ夏期スクーリング、誠に御苦労さまです。さまざまな苦難を「負けじ魂」で勝ち越えて学び続ける"学光家族"を、私は最大に讃えます。教員の先生方はじめ関係の方々にも心から御礼を申し上げます。
皆さんの進む「学の光」の道は、世界の最先端の良識と連帯しゆく道であります。私と妻の大切な友人であったアメリカの行動する未来学者、ヘイゼル・ヘンダーソン博士も、皆さんに心からのエールを送ってくださっていることでしょう。
博士が本格的な学問を開始したのは、母として子どもを育てながらでありました。博士にとっては、本があるところ、そこがキャンパスでした。読書し、分からないことがあったら、著者に直接、手紙を送り、その交流を通して知識と教養を深めていったのです。
後年、地球的課題に取り組んだ博士の信念は"危機や問題は新しい未来を創造するチャンスなり"でした。それはまさしく、半世紀にわたり"限界からの挑戦"を貫き通してきた、わが創大通教生の誇り高き不撓不屈のスピリットと深く強く響き合っているでありましょう。
「人生100年時代」にあって、「無形資産」——金銭等では表せない、豊かな学びや人間関係、また生き方の内実に注目が集まっています。皆さんこそ、まさに時代が希求する「心の財」のパイオニアの一人一人です。
この夏期スクーリングが、皆さんの人生とともに、人類の未来を潤す価値創造の希望の泉となりゆくことを、私は確信してやみません。
どうか、聡明に休憩を取りながら充実した探究の日々であってください。皆さんの健康幸福とご家族の安穏和楽を祈ります。
2022年8月17日水曜日
2022.08.17 わが友に贈る
「南無妙法蓮華経は
師子吼のごとし」
病魔と闘う友よ!
大生命力を奮い起こし
今こそ変毒為薬を!
(新1633・全1124)
四条金吾殿御返事 P1169
『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』
【通解】
剣などは大火に入れてもしばらくは溶けない。これは鍛えられているからである。
名字の言 サッカー指導者が選手から学んだこと 2022年8月17日
今年は4年に1度のサッカーW杯イヤー。本番のカタール大会が3カ月後に迫り、日本代表の活躍にいや増して期待が高まる▼競技の発展には選手の育成とともに、指導者の成長が欠かせない。日本サッカー協会で「キッズプロジェクト」に取り組む皆川新一氏には、それを痛感した出来事がある▼かつて中学校でコーチを務めていた時のこと。試合に敗れた怒りから"罰走"を命じるが、一人だけ走らない少年がいた。彼に"選手だけが走るのは納得できない"と言われ、勝敗はコーチにも責任があると感じた氏は、一緒に走るが途中でダウン。選手に押し付けるコーチング姿勢を見直すきっかけとなり、指導者として生きる上で大きな転機となった。その少年とは、後に日本代表で活躍する中田英寿氏だった(『山梨のサッカー』山梨日日新聞社)▼青年に学ぶ——信心の世界も同じだろう。池田先生は、晩年の戸田先生が「君たちのほうが私に教えてくれ」と語っていた姿を通し「"青年に学べ"は、学会の伝統です。そこに永遠の『進取』と『進歩』の軌道がある」と訴える▼立場や年齢を超えて、自ら"学ぼう""変わろう"とする人は無限に向上できる。そこに、わが境涯を拡大する「人間革命」の直道がある。
寸鉄 2022年8月17日
苦難の時こそ友情の手を差し伸べよ—戸田先生。悩める友を包む励ましを
文芸部結成の日。書き綴る真実は不朽の光放つ。正義のペンの闘士たれ!
民主主義の大いなる鍵は連帯である—文豪ユゴー。我らの運動こそ社会変革の柱
自分は詐欺に遭わないと思っていた—被害者の9割。手口は多様。油断せず
ベビーカーによる熱中症に注意。地面の近くは温度上昇し易く。常に確認
〈社説〉 2022・8・17 1人1台の端末時代
◇充実した個別最適な教育の機会に
テストで低得点が続く。忘れ物が多い。いつも黒板を書き写すのが遅い。——子どものこうした状況は、本人の「頑張りが足りない」と捉えられがちだった。しかし近年、個々の特性の理解が進み、適切な支援が足りていないことが原因との認識も広がっている。
知的障がいではないが同年齢の平均の8割程度の知能と考えられ、生活に困難を抱える「境界知能」の子どもが一定数いる。多くは通常の学級に在籍するが、認知機能などが弱いために授業を理解するのが難しい。立命館大学の宮口幸治教授によれば、小学2年生ごろから勉強に付いていけず友達からばかにされたり、不登校になったりする場合がある、という。
こうした特性のある子に限らず、本来、人は皆、個性的な存在で、学習の理解度やペースは異なる。学び方は各自に合うやり方が理想である。しかし、一人一人に合わせた教育は時間的にも空間的にも難しく、一律に教えざるを得ない面があった。
この学びの転換を図ったのが、文部科学省の打ち出したGIGAスクール構想だ。小・中学生に1人1台の端末を配る取り組みで、本格的にスタートして1年がたった。
構想を発表する際に文部科学大臣は「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するものであり、特別な支援が必要な子供たちの可能性も大きく広げるもの」と意義を語っている。実際、関東圏のある小学校では、発達障がいや学習に困難を抱えた児童がいる通常の学級で端末を活用した授業を行ったところ、普段よりも「集中しやすい」と高い評価だった。学習は、教員との一対一のきめ細かなコミュニケーションが基本だが、端末を使うことで自分に合った方法で学べる可能性が広がる。「分かった」との自信を得ることは子どもの幸福につながろう。
端末とネット環境がそろったから個別最適な学習ができる、というのは短絡的かもしれない。現場で奮闘する教員にとって、新しい授業スタイルの導入は試行錯誤を要し、負担も大きい。ただ、「分かる」ことを諦めざるを得なかった子どもたちの学習の充実に一層の力が注がれることは、多様性輝く社会につながる意味でも大いに期待したい。
☆創価大学通信教育部の第47回「学光祭」
◇池田先生が祝福のメッセージ「困難を飛躍へ転じる価値創造を」
創価大学通信教育部の第47回学光祭が16日、東京・八王子市の創大中央教育棟・ディスカバリーホールで行われ、動画投稿サイト「YouTube」で限定配信された。これには、創立者の池田大作先生が祝福のメッセージを贈り、学びと創意工夫の挑戦を重ね、いかなる困難も次の飛躍へと転ずる価値創造を成し遂げていただきたいと呼び掛けた。
通信教育部が産声を上げたのは、創価大学の開学から5年後の1976年5月16日。創立者・池田先生は、同部の開学式に寄せたメッセージで訴えた。
「教育の門戸は、年齢、職業、居住地のいかんを問わず、すべての人々に平等に開かれねばなりません」
以来、今日に至るまで、幾多の友が通教の門をたたき、向学の日々を送った。今や、卒業生の連帯は2万1000人を超えるまでになった。
通信教育で学業を全うすることが、どれほど大変か——。先生自身も働きながら夜学に通った経験を持つ。その苦労を身に染みて知るからこそ、折あるごとに、苦学を貫く通教生に万感の励ましを送り続けてきた。
いまだコロナ禍の試練の渦中にあって、先生の期待に奮い立ち、いや増して「学は光」の道を誇り高く歩み続ける一人に、野中秀晃さん(74)がいる。
20代の時に地元・三重から上京し、後に創価大学の警備に携わるように。全国・全世界からスクーリングに駆け付ける通教生の姿が忘れられず、定年後の2018年、開設されたばかりの通信教育部の文学部に入学した。
しかし、学問との格闘の日々は、想像以上に厳しいものだった。英語をはじめ、語学の習得がなかなか進まない。パソコンの操作も不慣れで、リポート作成に膨大な時間を費やし、途方に暮れることもあった。
支えとなったのは、綿密な連携で励ましを送ってくれる光友会(通教の在学生の集い)の存在。「一人では難しいけれど、触発を受ける仲間がいるから頑張れるんです!」
飽くなき向上心を燃やす野中さんの挑戦は続く。
自らの課題に挑み抜いた友が集い、学友との絆を強固に結ぶ節となってきた伝統の学光祭。「学びの大情熱で、新たな歴史を拓け!!」とのテーマを掲げた祭典では、今井光子さん(日本)、吉川薫さん(韓国)、チャールズ・エサオ・ウキスさん、ヒロコ・ミヤシタさん夫妻(カナダ)が活動報告。創価大学「池田大作記念創価教育研究所」客員研究員の塩原将行氏が、同大学の通信教育の歴史などについて講演した。
渡辺京子実行委員長のあいさつに続き、向学の誓いを込めたパフォーマンスが披露され、田代理事長が池田先生のメッセージを紹介した。
☆四季の励まし 師弟の出会いから75年 2022年8月14日
◇池田先生の言葉
偉大な人物を師匠と仰ぎ、
模範とする人生には、
正義がある。前進がある。
成長がある。充実がある。
師弟に生きる人は、
使命がわかる。
師を持つことほど、
大きな幸福はない。
師と共に戦えることほど、
気高い誉れはない。
その師への感謝こそが、
正しい人生を歩み続ける
源泉なのである。
恩を知る人生は美しい。
私にとって、
大恩ある師匠は、
戸田先生である。
寒風の日も、吹雪の時も、
先生と二人で築いてきた
学会だ。
殉難の魂を、
深き同志愛を、
勝利の力を、
平和への英知を、
先生は私に
打ち込んでくださった。
真実の創価学会の姿は、
先生と私の心の中にある。
牧口先生にとって、
戸田先生は、
よき弟子であった。
戸田先生にとって、
私は、よき弟子であった。
弟子によって、
師匠の価値が決まる。
師匠ではなく、
弟子で決まる——
御聖訓どおりの、
創価の三代の師弟である。
師弟は、
物理的距離ではない。
たとえ遠く離れていても、
心は瞬時に伝わる。
また、時代を超えて、
生命と生命は響き合う。
空間も、時間も、
師弟を阻む
壁にはならない。
麗しき師弟の絆にこそ、
人間としての
勝利の栄冠が輝くのだ。
創価の魂は、
世界の民衆の
崩れざる幸福と安穏を
築かんと立ち上がった
「師弟共戦の誓願」にある。
広宣流布という
永遠の大願に生きる、
我らの「師弟の絆」も
永遠なのだ。
【写真説明】高原は夏真っ盛り。かなたの浅間山も輝いて見える。2018年(平成30年)8月、池田大作先生が長野の地でカメラに収めた。
65年前の8月、池田先生は恩師・戸田城聖先生との最後の夏を軽井沢で過ごした。浅間山の鬼押出しを訪れ、広布の展望を語り合った。この時、池田先生は師の真実をつづり、永遠に残そうと決意する。小説『人間革命』を執筆し、続編の『新・人間革命』はこの地で起稿し、この地で脱稿した。
きょう14日は、池田先生と戸田先生の出会いから75年。世界広布の師弟旅は1947年(昭和22年)のこの日に始まった。報恩を胸に、人間革命の挑戦を開始しよう。
☆全国高等部研修会 池田先生のメッセージ
◇地涌の大生命力で人間革命の青春を
平和のフォートレスたる創価大学と、日本全国を結ぶ歴史的な研修会、おめでとう!
担当者の方々も、誠にありがとうございます。
私が戸田先生の弟子となり、「広宣流布」という民衆の幸福と世界の平和への大道を歩み始めて、この8月で75年になります。
今日この時に、かくも凜々しく集い合った君たち一人一人が、どれほど偉大な使命を抱き無量の福運に満ちた地涌の菩薩であるか。私は最敬礼して未来の一切を託したいのです。
日蓮大聖人は、地涌の菩薩たちは「まいをもまいぬべし」そして「大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか」(新2145・全1300)と仰せです。
大宇宙の根本の法則である妙法を唱えゆく皆さんは、何ものにも負けない、何ものをも乗り越える地涌の大生命力を躍動させて、人類に希望を送る「人間革命」の青春を学び開いてください。
さあ、英知光る正義の走者たちよ、新しい挑戦を開始しよう! 自分にしか果たせない誓願を果たすために!
みんなに題目を送ります。
師子吼のごとし」
病魔と闘う友よ!
大生命力を奮い起こし
今こそ変毒為薬を!
(新1633・全1124)
四条金吾殿御返事 P1169
『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』
【通解】
剣などは大火に入れてもしばらくは溶けない。これは鍛えられているからである。
名字の言 サッカー指導者が選手から学んだこと 2022年8月17日
今年は4年に1度のサッカーW杯イヤー。本番のカタール大会が3カ月後に迫り、日本代表の活躍にいや増して期待が高まる▼競技の発展には選手の育成とともに、指導者の成長が欠かせない。日本サッカー協会で「キッズプロジェクト」に取り組む皆川新一氏には、それを痛感した出来事がある▼かつて中学校でコーチを務めていた時のこと。試合に敗れた怒りから"罰走"を命じるが、一人だけ走らない少年がいた。彼に"選手だけが走るのは納得できない"と言われ、勝敗はコーチにも責任があると感じた氏は、一緒に走るが途中でダウン。選手に押し付けるコーチング姿勢を見直すきっかけとなり、指導者として生きる上で大きな転機となった。その少年とは、後に日本代表で活躍する中田英寿氏だった(『山梨のサッカー』山梨日日新聞社)▼青年に学ぶ——信心の世界も同じだろう。池田先生は、晩年の戸田先生が「君たちのほうが私に教えてくれ」と語っていた姿を通し「"青年に学べ"は、学会の伝統です。そこに永遠の『進取』と『進歩』の軌道がある」と訴える▼立場や年齢を超えて、自ら"学ぼう""変わろう"とする人は無限に向上できる。そこに、わが境涯を拡大する「人間革命」の直道がある。
寸鉄 2022年8月17日
苦難の時こそ友情の手を差し伸べよ—戸田先生。悩める友を包む励ましを
文芸部結成の日。書き綴る真実は不朽の光放つ。正義のペンの闘士たれ!
民主主義の大いなる鍵は連帯である—文豪ユゴー。我らの運動こそ社会変革の柱
自分は詐欺に遭わないと思っていた—被害者の9割。手口は多様。油断せず
ベビーカーによる熱中症に注意。地面の近くは温度上昇し易く。常に確認
〈社説〉 2022・8・17 1人1台の端末時代
◇充実した個別最適な教育の機会に
テストで低得点が続く。忘れ物が多い。いつも黒板を書き写すのが遅い。——子どものこうした状況は、本人の「頑張りが足りない」と捉えられがちだった。しかし近年、個々の特性の理解が進み、適切な支援が足りていないことが原因との認識も広がっている。
知的障がいではないが同年齢の平均の8割程度の知能と考えられ、生活に困難を抱える「境界知能」の子どもが一定数いる。多くは通常の学級に在籍するが、認知機能などが弱いために授業を理解するのが難しい。立命館大学の宮口幸治教授によれば、小学2年生ごろから勉強に付いていけず友達からばかにされたり、不登校になったりする場合がある、という。
こうした特性のある子に限らず、本来、人は皆、個性的な存在で、学習の理解度やペースは異なる。学び方は各自に合うやり方が理想である。しかし、一人一人に合わせた教育は時間的にも空間的にも難しく、一律に教えざるを得ない面があった。
この学びの転換を図ったのが、文部科学省の打ち出したGIGAスクール構想だ。小・中学生に1人1台の端末を配る取り組みで、本格的にスタートして1年がたった。
構想を発表する際に文部科学大臣は「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するものであり、特別な支援が必要な子供たちの可能性も大きく広げるもの」と意義を語っている。実際、関東圏のある小学校では、発達障がいや学習に困難を抱えた児童がいる通常の学級で端末を活用した授業を行ったところ、普段よりも「集中しやすい」と高い評価だった。学習は、教員との一対一のきめ細かなコミュニケーションが基本だが、端末を使うことで自分に合った方法で学べる可能性が広がる。「分かった」との自信を得ることは子どもの幸福につながろう。
端末とネット環境がそろったから個別最適な学習ができる、というのは短絡的かもしれない。現場で奮闘する教員にとって、新しい授業スタイルの導入は試行錯誤を要し、負担も大きい。ただ、「分かる」ことを諦めざるを得なかった子どもたちの学習の充実に一層の力が注がれることは、多様性輝く社会につながる意味でも大いに期待したい。
☆創価大学通信教育部の第47回「学光祭」
◇池田先生が祝福のメッセージ「困難を飛躍へ転じる価値創造を」
創価大学通信教育部の第47回学光祭が16日、東京・八王子市の創大中央教育棟・ディスカバリーホールで行われ、動画投稿サイト「YouTube」で限定配信された。これには、創立者の池田大作先生が祝福のメッセージを贈り、学びと創意工夫の挑戦を重ね、いかなる困難も次の飛躍へと転ずる価値創造を成し遂げていただきたいと呼び掛けた。
通信教育部が産声を上げたのは、創価大学の開学から5年後の1976年5月16日。創立者・池田先生は、同部の開学式に寄せたメッセージで訴えた。
「教育の門戸は、年齢、職業、居住地のいかんを問わず、すべての人々に平等に開かれねばなりません」
以来、今日に至るまで、幾多の友が通教の門をたたき、向学の日々を送った。今や、卒業生の連帯は2万1000人を超えるまでになった。
通信教育で学業を全うすることが、どれほど大変か——。先生自身も働きながら夜学に通った経験を持つ。その苦労を身に染みて知るからこそ、折あるごとに、苦学を貫く通教生に万感の励ましを送り続けてきた。
いまだコロナ禍の試練の渦中にあって、先生の期待に奮い立ち、いや増して「学は光」の道を誇り高く歩み続ける一人に、野中秀晃さん(74)がいる。
20代の時に地元・三重から上京し、後に創価大学の警備に携わるように。全国・全世界からスクーリングに駆け付ける通教生の姿が忘れられず、定年後の2018年、開設されたばかりの通信教育部の文学部に入学した。
しかし、学問との格闘の日々は、想像以上に厳しいものだった。英語をはじめ、語学の習得がなかなか進まない。パソコンの操作も不慣れで、リポート作成に膨大な時間を費やし、途方に暮れることもあった。
支えとなったのは、綿密な連携で励ましを送ってくれる光友会(通教の在学生の集い)の存在。「一人では難しいけれど、触発を受ける仲間がいるから頑張れるんです!」
飽くなき向上心を燃やす野中さんの挑戦は続く。
自らの課題に挑み抜いた友が集い、学友との絆を強固に結ぶ節となってきた伝統の学光祭。「学びの大情熱で、新たな歴史を拓け!!」とのテーマを掲げた祭典では、今井光子さん(日本)、吉川薫さん(韓国)、チャールズ・エサオ・ウキスさん、ヒロコ・ミヤシタさん夫妻(カナダ)が活動報告。創価大学「池田大作記念創価教育研究所」客員研究員の塩原将行氏が、同大学の通信教育の歴史などについて講演した。
渡辺京子実行委員長のあいさつに続き、向学の誓いを込めたパフォーマンスが披露され、田代理事長が池田先生のメッセージを紹介した。
☆四季の励まし 師弟の出会いから75年 2022年8月14日
◇池田先生の言葉
偉大な人物を師匠と仰ぎ、
模範とする人生には、
正義がある。前進がある。
成長がある。充実がある。
師弟に生きる人は、
使命がわかる。
師を持つことほど、
大きな幸福はない。
師と共に戦えることほど、
気高い誉れはない。
その師への感謝こそが、
正しい人生を歩み続ける
源泉なのである。
恩を知る人生は美しい。
私にとって、
大恩ある師匠は、
戸田先生である。
寒風の日も、吹雪の時も、
先生と二人で築いてきた
学会だ。
殉難の魂を、
深き同志愛を、
勝利の力を、
平和への英知を、
先生は私に
打ち込んでくださった。
真実の創価学会の姿は、
先生と私の心の中にある。
牧口先生にとって、
戸田先生は、
よき弟子であった。
戸田先生にとって、
私は、よき弟子であった。
弟子によって、
師匠の価値が決まる。
師匠ではなく、
弟子で決まる——
御聖訓どおりの、
創価の三代の師弟である。
師弟は、
物理的距離ではない。
たとえ遠く離れていても、
心は瞬時に伝わる。
また、時代を超えて、
生命と生命は響き合う。
空間も、時間も、
師弟を阻む
壁にはならない。
麗しき師弟の絆にこそ、
人間としての
勝利の栄冠が輝くのだ。
創価の魂は、
世界の民衆の
崩れざる幸福と安穏を
築かんと立ち上がった
「師弟共戦の誓願」にある。
広宣流布という
永遠の大願に生きる、
我らの「師弟の絆」も
永遠なのだ。
【写真説明】高原は夏真っ盛り。かなたの浅間山も輝いて見える。2018年(平成30年)8月、池田大作先生が長野の地でカメラに収めた。
65年前の8月、池田先生は恩師・戸田城聖先生との最後の夏を軽井沢で過ごした。浅間山の鬼押出しを訪れ、広布の展望を語り合った。この時、池田先生は師の真実をつづり、永遠に残そうと決意する。小説『人間革命』を執筆し、続編の『新・人間革命』はこの地で起稿し、この地で脱稿した。
きょう14日は、池田先生と戸田先生の出会いから75年。世界広布の師弟旅は1947年(昭和22年)のこの日に始まった。報恩を胸に、人間革命の挑戦を開始しよう。
☆全国高等部研修会 池田先生のメッセージ
◇地涌の大生命力で人間革命の青春を
平和のフォートレスたる創価大学と、日本全国を結ぶ歴史的な研修会、おめでとう!
担当者の方々も、誠にありがとうございます。
私が戸田先生の弟子となり、「広宣流布」という民衆の幸福と世界の平和への大道を歩み始めて、この8月で75年になります。
今日この時に、かくも凜々しく集い合った君たち一人一人が、どれほど偉大な使命を抱き無量の福運に満ちた地涌の菩薩であるか。私は最敬礼して未来の一切を託したいのです。
日蓮大聖人は、地涌の菩薩たちは「まいをもまいぬべし」そして「大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか」(新2145・全1300)と仰せです。
大宇宙の根本の法則である妙法を唱えゆく皆さんは、何ものにも負けない、何ものをも乗り越える地涌の大生命力を躍動させて、人類に希望を送る「人間革命」の青春を学び開いてください。
さあ、英知光る正義の走者たちよ、新しい挑戦を開始しよう! 自分にしか果たせない誓願を果たすために!
みんなに題目を送ります。
2022年8月16日火曜日
2022.08.16 わが友に贈る
友情は人生の宝だ。
親戚や旧友等とも
心温まる交流を!
電話・手紙なども活用し
励ましを届けよう!
寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』
【通解】
日蓮は、この(勧持品の)文の通り、悪口罵詈されている。汝らは、なぜ、この経文の通りになっていないのか。
【先生の指導から】
大聖人は、佐渡流罪等の大難にあわれた。そのとき、大聖人が難にあうのは、弘教のやり方が間違っているからだと、もっともらしく非難する者たちがいた。
それに対して、大聖人は、先ほどの勧持品の文を引きながら、こう述べておられる。
(中略)
私は、経文のとおりになっている。お前たちは、なぜ、悪口を言われないのか。なぜ、怨嫉され、難にあわないのか。お前たちは、経文のとおりに戦っていないからではないのか─こう烈々と叱咤されているのである。
名字の言 世界聖教会館の展示室を見学した夫婦が語ったこと 2022年8月16日
東京・信濃町の世界聖教会館に展示室がある。来館記念のオリジナル紙面を作成できるほか、本紙の配達に携わる「無冠の友」を顕彰するコーナーも▼先日、展示室で池田先生が撮影した雪柳の写真とそのエッセーに見入る夫婦がいた。エッセーの中に「悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ」との言葉を見つけた夫が妻に言った。「その通りだ」▼数々の労苦を乗り越えてきたのだろう。夫は野菜農家。今年は円安の加速などが原因で肥料や資材、燃料の価格高騰に加え、野菜の単価が思うように上がらない状況が続く。「それでも絶対に負けません。信心根本に現状を打開し、この地で農業をやり抜きます」。道の駅やネットでの新規販売も手掛け、活路を開く▼池田先生は先のエッセーで「雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている」「人間も、魂の根を張ったところが『自分の故郷』になる」と▼私たちが、友に届ける最大の贈り物は「言葉」——相手の幸福と勝利を祈る心を結晶させた一言一言だろう。言葉と生きていく本紙の使命もここにある。
寸鉄 2022年8月16日
真剣勝負で祈れば必ず功徳となって現れる—戸田先生。確信の題目で飛躍
創価班・牙城会メンバーが折伏弘教に率先の汗。希望と正義の哲理を語れ
交友豊かな高齢者ほど生きがい実感—調査。多宝の友が輝く秘訣はここに
平日と休日の睡眠の差は不調の原因に—専門家。賢明なリズムで日々前進
野菜をよく食べる人は認知症のリスク低く—研究 聡明な食習慣が健康の源
☆平和への讃歌 世界の識者の行動と軌跡(下)
池田先生は国家や民族、イデオロギーなどの違いを超え、世界の指導者や識者と文明間・宗教間対話を進めてきた。こうした行動に、ハーバード大学のドゥ・ウェイミン博士は、「現代世界における最も熟達した対話の達人」と称賛を惜しまない。ここでは、前回に続いて、先生と対談した世界各国の指導者・識者の平和への行動と軌跡を紹介する。
〈イギリスの歴史学者 トインビー博士〉
◇戦争が生むのは新たな戦争
歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士。自宅の暖炉の飾り棚に、十数点の写真が置かれていた。写っているのは、第1次世界大戦で戦死した学友たちである。
彼らは「戦争を終えるための戦争」と信じて、若い命を犠牲にした。だが、その戦争が引き金となり、第2次世界大戦が起こった。第1次世界大戦が始まった1914年、博士は一つの結論に達する。——「戦争は罪悪である」
博士にとって「戦争」は、歴史学の研究の対象である前に、国際間の冷酷な勢力争いゲームにすぎなかった。ゆえに、戦争に対して絶対反対の姿勢を鮮明にした。
著書『回想録』(社会思想社)に、こう記している。「戦争を廃止する方向に向かって私の生きている間にできるかぎりのことをする」
1972年と73年に行われた池田先生との対談は、「戦争」が主要なテーマの一つとなった。博士は強調した。
「戦争という手段による解決の代償は、常に広範な死と荒廃でした」
「そこから新たな問題が惹き起こされ、それらの問題はしばしば次の戦争によって処理され、そこからさらに多くの戦争が誘発されてきた」
戦争から生まれるのは新たな戦争であり、さらに多くの犠牲者——これが、「20世紀最大の歴史家」と称された人物が見る戦争の本質である。
〈南アフリカ共和国 マンデラ元大統領〉
◇「人間」の尊厳をかけた戦い
1990年10月、池田先生は、東京の旧聖教新聞本社でネルソン・マンデラ氏を迎え、固い握手を交わした。氏は笑みをたたえ応じた。
「日本に行ったら、ぜひお会いしなければと思っていました」
反アパルトヘイト(人種隔離)運動に身を投じ、64年、国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。
氏は獄中で、白人の言葉であるアフリカーンス語を習得する。白人の歴史や文学も学んだ。白人の"心"を知るには、言葉や文化を知る必要があると考えたからだ。
機会を見つけては、白人看守に話し掛けた。やがて、看守たちの方が、その不屈さに敬意を抱くようになる。氏は人格の力をもって、黒人への偏見に満ちた看守たちとの融和を実現したのだ。氏は述べている。
「人の誠実さというのは、誠実な人間にこそ引き出せる」(『信念に生きる』英治出版)
獄中生活は27年半にも及んだ。だが、全人種が仲良く暮らす「虹の国」の建設という理想を手放さなかった。90年2月11日に釈放されると、その実現へ向け、本格的な闘争を開始した。
池田先生は折々に、"マンデラ氏に学べ!"と呼び掛けてきた。氏の人権闘争について、こう記している。「私たち日本人もふくめた、すべての『人間』の尊厳をかけた戦いであった」
〈北アイルランドの平和活動家 ベティ・ウィリアムズ氏〉
◇憎悪の連鎖を断つ慈愛の心
1976年度のノーベル平和賞は、市民に贈られた。その共同受賞者の一人が、ベティ・ウィリアムズ氏である。
北アイルランドは長年、領土や宗教などの問題が絡み合い、紛争が続いた。60年代以降、その衝突は激化していた。
76年8月、氏は娘を車に乗せ、北アイルランドの中心地を走っていた。突然、市街地で銃撃戦が始まり、1台の車が暴走。母子連れに突っ込み、何の罪もない幼子3人の命が失われた。
この悲劇が、氏を平和の闘士へと変えた。
氏は、平和を求める署名運動を即座に開始。惨劇からわずか2日で、6000もの署名が集まった。その後、署名運動は「平和の行進」に発展する。あの日、命を落とした子たちの墓地まで、対立していた住民同士が手を取り合って行進するなど、運動は大きな広がりを見せた。
2006年11月、池田先生との対談で、氏は「いつの時代でも、どんなに嘘で塗り固めても、必ず、嘘は剥ぎ取られ、真実は浮かび上がってくるものです」と強調した。
さらに、先生が憎悪と復讐の連鎖を断ち切るため、何が必要かを尋ねると、氏は「相手に屈服しないで、なおかつ慈愛の心を示すことではないでしょうか」と応じた。
少しでも良い。平和のために前進を!——その大切さを確認する対談となった。
〈チリ共和国 エイルウィン元大統領〉
◇政治は人々のためにこそある
「彼の外見的な特徴といえば、厳しい現実の試練も消し去れなかった微笑であろう」
チリの新聞がそう書いた「彼」——軍政に声を上げたパトリシオ・エイルウィン氏である。
祖国に軍政の苦い歴史が刻まれたのは、1973年9月11日。ピノチェト将軍がクーデターを起こし、軍政批判を疑われた人は逮捕された。
だが、民衆は知恵を巡らせて抵抗した。決められたタイミングで一斉に鍋をたたく女性がいた。ベートーベンの"歓喜の歌"を口ずさむ人もいた。
エイルウィン氏は、民主化を目指す政党連合「ノーのための司令部」の代表として戦った。軍政に「シー(イエス)」か「ノー」か。氏は、わずかな時間のテレビ広告で「真の民主主義」を呼び掛けるなど、民衆に「ノー」を訴え抜いた。
迎えた88年、国民投票で「ノー」は大勝利を収めた。90年、大統領に就任した氏は、16年半の軍政支配に終止符を打ち、平和裏に民政移管を果たす。
92年11月、氏は池田先生と会見。15分ほどの予定だったが、先生が「民衆に奉仕する『民主のリーダー像』」に触れると、氏は「もう少し続けさせてください」と述べ、「政治とは人々のため、公益のためにこそある」と。
45分に及んだ語らいは終始、氏のトレードマークである"エイルウィン・スマイル"が弾けた。
親戚や旧友等とも
心温まる交流を!
電話・手紙なども活用し
励ましを届けよう!
寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』
【通解】
日蓮は、この(勧持品の)文の通り、悪口罵詈されている。汝らは、なぜ、この経文の通りになっていないのか。
【先生の指導から】
大聖人は、佐渡流罪等の大難にあわれた。そのとき、大聖人が難にあうのは、弘教のやり方が間違っているからだと、もっともらしく非難する者たちがいた。
それに対して、大聖人は、先ほどの勧持品の文を引きながら、こう述べておられる。
(中略)
私は、経文のとおりになっている。お前たちは、なぜ、悪口を言われないのか。なぜ、怨嫉され、難にあわないのか。お前たちは、経文のとおりに戦っていないからではないのか─こう烈々と叱咤されているのである。
名字の言 世界聖教会館の展示室を見学した夫婦が語ったこと 2022年8月16日
東京・信濃町の世界聖教会館に展示室がある。来館記念のオリジナル紙面を作成できるほか、本紙の配達に携わる「無冠の友」を顕彰するコーナーも▼先日、展示室で池田先生が撮影した雪柳の写真とそのエッセーに見入る夫婦がいた。エッセーの中に「悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ」との言葉を見つけた夫が妻に言った。「その通りだ」▼数々の労苦を乗り越えてきたのだろう。夫は野菜農家。今年は円安の加速などが原因で肥料や資材、燃料の価格高騰に加え、野菜の単価が思うように上がらない状況が続く。「それでも絶対に負けません。信心根本に現状を打開し、この地で農業をやり抜きます」。道の駅やネットでの新規販売も手掛け、活路を開く▼池田先生は先のエッセーで「雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている」「人間も、魂の根を張ったところが『自分の故郷』になる」と▼私たちが、友に届ける最大の贈り物は「言葉」——相手の幸福と勝利を祈る心を結晶させた一言一言だろう。言葉と生きていく本紙の使命もここにある。
寸鉄 2022年8月16日
真剣勝負で祈れば必ず功徳となって現れる—戸田先生。確信の題目で飛躍
創価班・牙城会メンバーが折伏弘教に率先の汗。希望と正義の哲理を語れ
交友豊かな高齢者ほど生きがい実感—調査。多宝の友が輝く秘訣はここに
平日と休日の睡眠の差は不調の原因に—専門家。賢明なリズムで日々前進
野菜をよく食べる人は認知症のリスク低く—研究 聡明な食習慣が健康の源
☆平和への讃歌 世界の識者の行動と軌跡(下)
池田先生は国家や民族、イデオロギーなどの違いを超え、世界の指導者や識者と文明間・宗教間対話を進めてきた。こうした行動に、ハーバード大学のドゥ・ウェイミン博士は、「現代世界における最も熟達した対話の達人」と称賛を惜しまない。ここでは、前回に続いて、先生と対談した世界各国の指導者・識者の平和への行動と軌跡を紹介する。
〈イギリスの歴史学者 トインビー博士〉
◇戦争が生むのは新たな戦争
歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士。自宅の暖炉の飾り棚に、十数点の写真が置かれていた。写っているのは、第1次世界大戦で戦死した学友たちである。
彼らは「戦争を終えるための戦争」と信じて、若い命を犠牲にした。だが、その戦争が引き金となり、第2次世界大戦が起こった。第1次世界大戦が始まった1914年、博士は一つの結論に達する。——「戦争は罪悪である」
博士にとって「戦争」は、歴史学の研究の対象である前に、国際間の冷酷な勢力争いゲームにすぎなかった。ゆえに、戦争に対して絶対反対の姿勢を鮮明にした。
著書『回想録』(社会思想社)に、こう記している。「戦争を廃止する方向に向かって私の生きている間にできるかぎりのことをする」
1972年と73年に行われた池田先生との対談は、「戦争」が主要なテーマの一つとなった。博士は強調した。
「戦争という手段による解決の代償は、常に広範な死と荒廃でした」
「そこから新たな問題が惹き起こされ、それらの問題はしばしば次の戦争によって処理され、そこからさらに多くの戦争が誘発されてきた」
戦争から生まれるのは新たな戦争であり、さらに多くの犠牲者——これが、「20世紀最大の歴史家」と称された人物が見る戦争の本質である。
〈南アフリカ共和国 マンデラ元大統領〉
◇「人間」の尊厳をかけた戦い
1990年10月、池田先生は、東京の旧聖教新聞本社でネルソン・マンデラ氏を迎え、固い握手を交わした。氏は笑みをたたえ応じた。
「日本に行ったら、ぜひお会いしなければと思っていました」
反アパルトヘイト(人種隔離)運動に身を投じ、64年、国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。
氏は獄中で、白人の言葉であるアフリカーンス語を習得する。白人の歴史や文学も学んだ。白人の"心"を知るには、言葉や文化を知る必要があると考えたからだ。
機会を見つけては、白人看守に話し掛けた。やがて、看守たちの方が、その不屈さに敬意を抱くようになる。氏は人格の力をもって、黒人への偏見に満ちた看守たちとの融和を実現したのだ。氏は述べている。
「人の誠実さというのは、誠実な人間にこそ引き出せる」(『信念に生きる』英治出版)
獄中生活は27年半にも及んだ。だが、全人種が仲良く暮らす「虹の国」の建設という理想を手放さなかった。90年2月11日に釈放されると、その実現へ向け、本格的な闘争を開始した。
池田先生は折々に、"マンデラ氏に学べ!"と呼び掛けてきた。氏の人権闘争について、こう記している。「私たち日本人もふくめた、すべての『人間』の尊厳をかけた戦いであった」
〈北アイルランドの平和活動家 ベティ・ウィリアムズ氏〉
◇憎悪の連鎖を断つ慈愛の心
1976年度のノーベル平和賞は、市民に贈られた。その共同受賞者の一人が、ベティ・ウィリアムズ氏である。
北アイルランドは長年、領土や宗教などの問題が絡み合い、紛争が続いた。60年代以降、その衝突は激化していた。
76年8月、氏は娘を車に乗せ、北アイルランドの中心地を走っていた。突然、市街地で銃撃戦が始まり、1台の車が暴走。母子連れに突っ込み、何の罪もない幼子3人の命が失われた。
この悲劇が、氏を平和の闘士へと変えた。
氏は、平和を求める署名運動を即座に開始。惨劇からわずか2日で、6000もの署名が集まった。その後、署名運動は「平和の行進」に発展する。あの日、命を落とした子たちの墓地まで、対立していた住民同士が手を取り合って行進するなど、運動は大きな広がりを見せた。
2006年11月、池田先生との対談で、氏は「いつの時代でも、どんなに嘘で塗り固めても、必ず、嘘は剥ぎ取られ、真実は浮かび上がってくるものです」と強調した。
さらに、先生が憎悪と復讐の連鎖を断ち切るため、何が必要かを尋ねると、氏は「相手に屈服しないで、なおかつ慈愛の心を示すことではないでしょうか」と応じた。
少しでも良い。平和のために前進を!——その大切さを確認する対談となった。
〈チリ共和国 エイルウィン元大統領〉
◇政治は人々のためにこそある
「彼の外見的な特徴といえば、厳しい現実の試練も消し去れなかった微笑であろう」
チリの新聞がそう書いた「彼」——軍政に声を上げたパトリシオ・エイルウィン氏である。
祖国に軍政の苦い歴史が刻まれたのは、1973年9月11日。ピノチェト将軍がクーデターを起こし、軍政批判を疑われた人は逮捕された。
だが、民衆は知恵を巡らせて抵抗した。決められたタイミングで一斉に鍋をたたく女性がいた。ベートーベンの"歓喜の歌"を口ずさむ人もいた。
エイルウィン氏は、民主化を目指す政党連合「ノーのための司令部」の代表として戦った。軍政に「シー(イエス)」か「ノー」か。氏は、わずかな時間のテレビ広告で「真の民主主義」を呼び掛けるなど、民衆に「ノー」を訴え抜いた。
迎えた88年、国民投票で「ノー」は大勝利を収めた。90年、大統領に就任した氏は、16年半の軍政支配に終止符を打ち、平和裏に民政移管を果たす。
92年11月、氏は池田先生と会見。15分ほどの予定だったが、先生が「民衆に奉仕する『民主のリーダー像』」に触れると、氏は「もう少し続けさせてください」と述べ、「政治とは人々のため、公益のためにこそある」と。
45分に及んだ語らいは終始、氏のトレードマークである"エイルウィン・スマイル"が弾けた。
2022年8月15日月曜日
2022.08.15 わが友に贈る
◇今週のことば
「いのちと申す物は、
一切の財の中に第一の財」
一人一人の生命の宝塔を
今こそ慈しみ輝かせよう。
世界不戦へ深き祈りで!
(新2052・全1596)
富木殿御書 P970
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』
【通解】
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生を空しく過ごして、万歳に悔いることがあってはならない。
名字の言 終戦77年。時が過ぎても消えない「心の痛み」 2022年8月15日
東日本大震災の被災者には"二重の時間"があると、社会学者の金菱清氏が本紙で語っていた(7月7日付)。震災で"止まったままの時間"と、今も進み続ける"現実という時間"である▼震災から5年後、氏はある母親に、6歳で亡くなった娘宛てに手紙を書いてほしいと依頼した。母親は当時の娘の年齢に合わせて「ひらがな」で書くべきか、生きていれば小学校高学年だから「漢字」も交えるべきか迷っているうちに苦しくなったという。時間とともに、心の痛みが増してしまうこともあると氏は指摘する▼きょうは「終戦記念日」。戦禍に苦しんだ人々も心の痛みを抱え、77年を生きてきた。広島のある壮年部員は爆心地から約4キロで被爆。3歳の妹の遺体を川で焼いた。「熱いじゃろうね」。そう語っていた5歳の弟も死去。兄も死んだ▼戦後、壮年は口を閉ざした。同じ被爆者の妻と結婚し、信心に出あってからも、自分だけ幸せになっていいのかと自責の念にかられ続けた。それでも戦争から77年を迎えた今、「人前では話せんが、亡き家族のために」と重い口を開き始めた▼流れゆく時間の中で今も心が癒えない方々がいる。その事実を受け止め、二度と戦争は起こさないと誓う「8月15日」でありたい。
寸鉄 2022年8月15日
終戦の日。今なお止まぬ地上の戦火。平和の叫びを市民社会から更に強く
賑わう学会の墓園。創価家族の福徳は三世に亘る同志の題目は最上の追善
一切を良く変えゆくのが妙法の無限の力用—戸田先生。日々、誓願の祈りで
安全に泳げる川ほぼない—専門家。遊ぶ時は膝下の水深までと。油断せず
手足口病が各地で流行。コロナと共に基本の対策怠らず。手洗い・嗽を励行
〈社説〉 2022・8・15 きょう「終戦の日」
◇生命尊厳の哲理を未来へ
公道を走る戦車、市街地で起こる爆発、肉親を奪われ涙に暮れる市民……。メディアに連日のように流れる映像は、決して映画やゲームの世界などではなく、今この瞬間に空の向こうで起こっている現実だ。本年2月に始まったウクライナ危機は、21世紀を生きる私たちに、戦争の脅威を痛烈に突き付ける出来事となった。
いまだ続く世界的な感染症の拡大や環境問題など、より強固な人類の結束が希求される時代。人間同士が命を奪い合う暴力の連鎖には、胸の痛みを禁じ得ない。戦火の一日も早い終息を祈り、平和構築への声を発し続けることを、決して止めてはならない。
総務省の人口推計によると、国内の戦後生まれの人口は、2019年(令和元年)10月時点で80%を超えている。戦争経験者の高齢化が進む今、当時を生きた方々の声を聞くことができる"最後の世代"として、その継承がますます重要となっている。
本紙の連載「いま願う 戦後77年」では、太平洋戦争の時代を生きた当事者や後継世代に当たる同志の体験に耳を傾け、不戦の世界の実現を願う"平和への叫び"を紙面にとどめてきた。
"玉砕の島"と呼ばれた、テニアン島の地上戦を生き延びた村上三郎さんは、なぜ戦争は起こるのかという質問に、こう答えてくれた。「他者より勝ろう、得してやろうという心が争いにつながる」。利己主義が生んだ、自国の繁栄だけを目指す生存競争と、その先に待っていた敗戦。当事者が赤裸々に語る記憶の数々は、遠い昔の歴史の一幕などではなく、これからを生きる人類が忘れてはならない教訓を示す、"道しるべ"であると確信する。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」(小説『人間革命』第1巻「黎明」の章)
他者の生命を脅かす行為が許されることなど、決してあってはならない。池田先生が示した生命尊厳の哲理を、後継の弟子として、今こそ世界中に広げていく時だ。
「願わくは、我が弟子等、大願をおこせ」(新1895・全1561)。いかに時代が移り変わっても、一人の幸福のために生きる私たち仏法者の使命は変わらない。
戦後77年。世界の「終戦」が来る日を願い、平和社会の実現を声高らかに訴え続けていきたい。
☆平和への讃歌 世界の識者の行動と軌跡(上)
「この地球上から悲惨の二字をなくしたい」——第2代会長・戸田先生の悲願を、池田先生は自らの誓願として、世界を駆け巡ってきた。国内外の識者との語らいは、公式なものだけでも1600回を超える。ここでは、「平和への讃歌」と題し、池田先生と対談した世界各国の指導者・識者の平和への行動と軌跡を紹介する。
〈アルゼンチンの人権の闘士 エスキベル博士〉
◇「青年の連帯」に人類の希望
"もう黙ってはいられない!"——アルゼンチン・ラプラタ大学の教授だったペレス=エスキベル博士は1974年、人権団体「平和と正義のための奉仕」を設立した。
当時、中南米諸国は軍事政権の弾圧に苦しんでいた。博士は権利を奪われた人々の救済のために立ち上がった。
76年、アルゼンチンにも軍事政権が発足。国民の抵抗に対して、軍部政府は誘拐や拷問など、徹底した弾圧を続けた。83年までの7年間で、犠牲者は3万人以上にも達したといわれる。
77年、博士も逮捕される。連行され、飛行機に乗せられた。生きたまま上空から投げ捨てられる「死のフライト」である。だが、寸前で中止となり、その代わりに投獄された。
激しい拷問にも、博士は屈しなかった。身は不自由でも、心は決して、縛られなかった。
14カ月間の獄中闘争を貫き、78年に釈放。その後、博士の運動は大きく広がっていく。そして80年、博士はノーベル平和賞を受賞した。
95年12月、博士は池田先生と出会いを結び、2018年には、共同声明「世界の青年へ レジリエンスと希望の存在たれ!」を発表。その中で、こう呼び掛けている。
「人類がいかなる重大な試練に直面しようと、それに立ち向かう『青年の連帯』がある限り、希望は失われることはない」
〈アフリカの環境の母 マータイ博士〉
◇「未来」は「今」にあるのです
環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ博士。
ケニアで生まれ、青春時代、米国へ留学した。帰国後、祖国の自然は大きく姿を変えていた。
商業用の耕作地を広げるため、森林が伐採された。地滑りが頻発し、飲み水の水源が乏しくなった。博士は決断する——"木を植えよう"。
1977年6月5日、博士は仲間たちと共に、ナイロビ郊外のカムクンジ公園に7本の苗木を植えた。「グリーンベルト運動」のスタートである。
運動の輪が広がる一方で、博士は中傷を浴びせられ、投獄までされた。それでも、"理想の火"は消えなかった。
博士たちの合言葉は、「ハランベー」(みんなの力を合わせよう)。運動はアフリカ全土で延べ10万人が参加し、4000万本以上の植樹を推進した。
「グリーンベルト運動」は、自分の無力さを感じていた人たちの心に、行動を起こす勇気を植える運動でもあった。
「『未来』は、『今』にあるのです」——2005年2月、博士は池田先生との対談で語った。
「将来、実現したい何かがあるなら、今、そのために行動しなければなりません」
博士が広めた言葉「MOTTAINAI」は、SDGs(持続可能な開発目標)の推進にも影響を与えている。
〈インドネシア共和国 ワヒド元大統領〉
◇互いを尊重する対話の道を
インドネシアは、世界で最もイスラム教徒が多い国。大統領を務めたアブドゥルラフマン・ワヒド氏は、同国最大のイスラム団体の指導者でもあった。イスラム社会を代表する人物と、仏教指導者である池田先生との対談が実現した。2002年4月のことである。
「全宗教は、平和という一点で、必ず協調できる」——この点で意見の一致を見た2人は、「寛容の精神」について縦横無尽に語り合った。
先生が、イスラムとキリスト教の対話において、最も大切なことは、と尋ねると、氏は「互いに尊重し合うことです」と即座に返した。
実際に氏は、国内でキリスト教徒とイスラム教徒との衝突が発生した際、対話での解決を模索し、キリスト教指導者との会談を実現している。
氏の祖父もイスラム指導者だった。第2次世界大戦中、日本兵によって殴られ、右腕の自由を失った。だが、ワヒド氏の日本への姿勢は、親愛の情にあふれていた。日本から来た創価大学の学生を自宅に招いたことも。一人一人と握手を交わす姿には、人間と人間の交流を大切にする氏の真心が表れていた。
氏と池田先生は、文明や宗教などの差異を超えた「対話」の重要性を繰り返し語り合った。「たとえ希望や理想の光を失うような苦難の夜があっても」対話を、それでも対話を、と。
〈パグウォッシュ会議名誉会長 ロートブラット博士〉
◇戦争は人間を愚かな動物に
"人間性を心にとどめよ!"——ジョセフ・ロートブラット博士は1995年、ノーベル平和賞の受賞講演で、「ラッセル=アインシュタイン宣言」を通し、訴えた。
博士は、核兵器と戦争の根絶を呼び掛ける同宣言に、著名な科学者らと共に署名。核兵器廃絶を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の中心者として、その生涯を平和闘争にささげた。
ポーランドで生まれ、2度の世界大戦の中を生きた。核物理学の研究に打ち込んだ博士を励まし、支えてくれた最愛の妻は、ナチスのホロコーストの犠牲者となった。
博士は、原爆開発を目指したアメリカの「マンハッタン計画」に参加。だが、ナチスが原爆製造を行っていない確証を得ると、途中で離脱した。スパイ容疑もかけられたが、核兵器開発の必要性に対する疑念と科学者としての良心が、博士を突き動かした。
戦争の残酷さ、科学者の責任の重大さを痛感した博士は、1989年10月、池田先生と最初の出会いを結んだ。
この時、博士は「『戦争』は人間を愚かな動物に変えてしまう力をもっている」「『野蛮』を憎んでいた人が、自ら『野蛮』な行為に走る。そこに戦争の『狂気』がある」と強調した。2人の対談集『地球平和への探究』は6言語に訳され、広く読み継がれている。
「いのちと申す物は、
一切の財の中に第一の財」
一人一人の生命の宝塔を
今こそ慈しみ輝かせよう。
世界不戦へ深き祈りで!
(新2052・全1596)
富木殿御書 P970
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』
【通解】
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生を空しく過ごして、万歳に悔いることがあってはならない。
名字の言 終戦77年。時が過ぎても消えない「心の痛み」 2022年8月15日
東日本大震災の被災者には"二重の時間"があると、社会学者の金菱清氏が本紙で語っていた(7月7日付)。震災で"止まったままの時間"と、今も進み続ける"現実という時間"である▼震災から5年後、氏はある母親に、6歳で亡くなった娘宛てに手紙を書いてほしいと依頼した。母親は当時の娘の年齢に合わせて「ひらがな」で書くべきか、生きていれば小学校高学年だから「漢字」も交えるべきか迷っているうちに苦しくなったという。時間とともに、心の痛みが増してしまうこともあると氏は指摘する▼きょうは「終戦記念日」。戦禍に苦しんだ人々も心の痛みを抱え、77年を生きてきた。広島のある壮年部員は爆心地から約4キロで被爆。3歳の妹の遺体を川で焼いた。「熱いじゃろうね」。そう語っていた5歳の弟も死去。兄も死んだ▼戦後、壮年は口を閉ざした。同じ被爆者の妻と結婚し、信心に出あってからも、自分だけ幸せになっていいのかと自責の念にかられ続けた。それでも戦争から77年を迎えた今、「人前では話せんが、亡き家族のために」と重い口を開き始めた▼流れゆく時間の中で今も心が癒えない方々がいる。その事実を受け止め、二度と戦争は起こさないと誓う「8月15日」でありたい。
寸鉄 2022年8月15日
終戦の日。今なお止まぬ地上の戦火。平和の叫びを市民社会から更に強く
賑わう学会の墓園。創価家族の福徳は三世に亘る同志の題目は最上の追善
一切を良く変えゆくのが妙法の無限の力用—戸田先生。日々、誓願の祈りで
安全に泳げる川ほぼない—専門家。遊ぶ時は膝下の水深までと。油断せず
手足口病が各地で流行。コロナと共に基本の対策怠らず。手洗い・嗽を励行
〈社説〉 2022・8・15 きょう「終戦の日」
◇生命尊厳の哲理を未来へ
公道を走る戦車、市街地で起こる爆発、肉親を奪われ涙に暮れる市民……。メディアに連日のように流れる映像は、決して映画やゲームの世界などではなく、今この瞬間に空の向こうで起こっている現実だ。本年2月に始まったウクライナ危機は、21世紀を生きる私たちに、戦争の脅威を痛烈に突き付ける出来事となった。
いまだ続く世界的な感染症の拡大や環境問題など、より強固な人類の結束が希求される時代。人間同士が命を奪い合う暴力の連鎖には、胸の痛みを禁じ得ない。戦火の一日も早い終息を祈り、平和構築への声を発し続けることを、決して止めてはならない。
総務省の人口推計によると、国内の戦後生まれの人口は、2019年(令和元年)10月時点で80%を超えている。戦争経験者の高齢化が進む今、当時を生きた方々の声を聞くことができる"最後の世代"として、その継承がますます重要となっている。
本紙の連載「いま願う 戦後77年」では、太平洋戦争の時代を生きた当事者や後継世代に当たる同志の体験に耳を傾け、不戦の世界の実現を願う"平和への叫び"を紙面にとどめてきた。
"玉砕の島"と呼ばれた、テニアン島の地上戦を生き延びた村上三郎さんは、なぜ戦争は起こるのかという質問に、こう答えてくれた。「他者より勝ろう、得してやろうという心が争いにつながる」。利己主義が生んだ、自国の繁栄だけを目指す生存競争と、その先に待っていた敗戦。当事者が赤裸々に語る記憶の数々は、遠い昔の歴史の一幕などではなく、これからを生きる人類が忘れてはならない教訓を示す、"道しるべ"であると確信する。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」(小説『人間革命』第1巻「黎明」の章)
他者の生命を脅かす行為が許されることなど、決してあってはならない。池田先生が示した生命尊厳の哲理を、後継の弟子として、今こそ世界中に広げていく時だ。
「願わくは、我が弟子等、大願をおこせ」(新1895・全1561)。いかに時代が移り変わっても、一人の幸福のために生きる私たち仏法者の使命は変わらない。
戦後77年。世界の「終戦」が来る日を願い、平和社会の実現を声高らかに訴え続けていきたい。
☆平和への讃歌 世界の識者の行動と軌跡(上)
「この地球上から悲惨の二字をなくしたい」——第2代会長・戸田先生の悲願を、池田先生は自らの誓願として、世界を駆け巡ってきた。国内外の識者との語らいは、公式なものだけでも1600回を超える。ここでは、「平和への讃歌」と題し、池田先生と対談した世界各国の指導者・識者の平和への行動と軌跡を紹介する。
〈アルゼンチンの人権の闘士 エスキベル博士〉
◇「青年の連帯」に人類の希望
"もう黙ってはいられない!"——アルゼンチン・ラプラタ大学の教授だったペレス=エスキベル博士は1974年、人権団体「平和と正義のための奉仕」を設立した。
当時、中南米諸国は軍事政権の弾圧に苦しんでいた。博士は権利を奪われた人々の救済のために立ち上がった。
76年、アルゼンチンにも軍事政権が発足。国民の抵抗に対して、軍部政府は誘拐や拷問など、徹底した弾圧を続けた。83年までの7年間で、犠牲者は3万人以上にも達したといわれる。
77年、博士も逮捕される。連行され、飛行機に乗せられた。生きたまま上空から投げ捨てられる「死のフライト」である。だが、寸前で中止となり、その代わりに投獄された。
激しい拷問にも、博士は屈しなかった。身は不自由でも、心は決して、縛られなかった。
14カ月間の獄中闘争を貫き、78年に釈放。その後、博士の運動は大きく広がっていく。そして80年、博士はノーベル平和賞を受賞した。
95年12月、博士は池田先生と出会いを結び、2018年には、共同声明「世界の青年へ レジリエンスと希望の存在たれ!」を発表。その中で、こう呼び掛けている。
「人類がいかなる重大な試練に直面しようと、それに立ち向かう『青年の連帯』がある限り、希望は失われることはない」
〈アフリカの環境の母 マータイ博士〉
◇「未来」は「今」にあるのです
環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ博士。
ケニアで生まれ、青春時代、米国へ留学した。帰国後、祖国の自然は大きく姿を変えていた。
商業用の耕作地を広げるため、森林が伐採された。地滑りが頻発し、飲み水の水源が乏しくなった。博士は決断する——"木を植えよう"。
1977年6月5日、博士は仲間たちと共に、ナイロビ郊外のカムクンジ公園に7本の苗木を植えた。「グリーンベルト運動」のスタートである。
運動の輪が広がる一方で、博士は中傷を浴びせられ、投獄までされた。それでも、"理想の火"は消えなかった。
博士たちの合言葉は、「ハランベー」(みんなの力を合わせよう)。運動はアフリカ全土で延べ10万人が参加し、4000万本以上の植樹を推進した。
「グリーンベルト運動」は、自分の無力さを感じていた人たちの心に、行動を起こす勇気を植える運動でもあった。
「『未来』は、『今』にあるのです」——2005年2月、博士は池田先生との対談で語った。
「将来、実現したい何かがあるなら、今、そのために行動しなければなりません」
博士が広めた言葉「MOTTAINAI」は、SDGs(持続可能な開発目標)の推進にも影響を与えている。
〈インドネシア共和国 ワヒド元大統領〉
◇互いを尊重する対話の道を
インドネシアは、世界で最もイスラム教徒が多い国。大統領を務めたアブドゥルラフマン・ワヒド氏は、同国最大のイスラム団体の指導者でもあった。イスラム社会を代表する人物と、仏教指導者である池田先生との対談が実現した。2002年4月のことである。
「全宗教は、平和という一点で、必ず協調できる」——この点で意見の一致を見た2人は、「寛容の精神」について縦横無尽に語り合った。
先生が、イスラムとキリスト教の対話において、最も大切なことは、と尋ねると、氏は「互いに尊重し合うことです」と即座に返した。
実際に氏は、国内でキリスト教徒とイスラム教徒との衝突が発生した際、対話での解決を模索し、キリスト教指導者との会談を実現している。
氏の祖父もイスラム指導者だった。第2次世界大戦中、日本兵によって殴られ、右腕の自由を失った。だが、ワヒド氏の日本への姿勢は、親愛の情にあふれていた。日本から来た創価大学の学生を自宅に招いたことも。一人一人と握手を交わす姿には、人間と人間の交流を大切にする氏の真心が表れていた。
氏と池田先生は、文明や宗教などの差異を超えた「対話」の重要性を繰り返し語り合った。「たとえ希望や理想の光を失うような苦難の夜があっても」対話を、それでも対話を、と。
〈パグウォッシュ会議名誉会長 ロートブラット博士〉
◇戦争は人間を愚かな動物に
"人間性を心にとどめよ!"——ジョセフ・ロートブラット博士は1995年、ノーベル平和賞の受賞講演で、「ラッセル=アインシュタイン宣言」を通し、訴えた。
博士は、核兵器と戦争の根絶を呼び掛ける同宣言に、著名な科学者らと共に署名。核兵器廃絶を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の中心者として、その生涯を平和闘争にささげた。
ポーランドで生まれ、2度の世界大戦の中を生きた。核物理学の研究に打ち込んだ博士を励まし、支えてくれた最愛の妻は、ナチスのホロコーストの犠牲者となった。
博士は、原爆開発を目指したアメリカの「マンハッタン計画」に参加。だが、ナチスが原爆製造を行っていない確証を得ると、途中で離脱した。スパイ容疑もかけられたが、核兵器開発の必要性に対する疑念と科学者としての良心が、博士を突き動かした。
戦争の残酷さ、科学者の責任の重大さを痛感した博士は、1989年10月、池田先生と最初の出会いを結んだ。
この時、博士は「『戦争』は人間を愚かな動物に変えてしまう力をもっている」「『野蛮』を憎んでいた人が、自ら『野蛮』な行為に走る。そこに戦争の『狂気』がある」と強調した。2人の対談集『地球平和への探究』は6言語に訳され、広く読み継がれている。
2022年8月14日日曜日
2022.08.14 わが友に贈る
夏休みもいよいよ後半へ。
目標や課題に向かって
努力する未来部の友を
真心で応援していこう!
挑戦こそ飛躍への土台だ。
兵衛志殿御返事 P1108
『二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし』
【通解】
二人が団結した姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの羽のようなものである。
名字の言 自分の信じる道で師のように生きる 2022年8月14日
SGIメンバーのハービー・ハンコック氏は、2008年に米音楽界の最高栄誉・グラミー賞の「最優秀アルバム賞」を受賞した。氏はその快挙を通して思ったことを、SGIの会合で同志に語り掛けた。「自分の信じる道で、池田先生のように生きていくべきです」▼氏は同賞の候補になった段階で誓ったという。「善」に貢献し、社会を変革しゆく人々に励ましを送る——先生が生きてきたこの"道"に私も連なろうと▼氏は"勝つためにどう祈るのか""どうやって心の無明を晴らせるのか""私利を超越した崇高な目的をいかに見つけるか"を、創価の師弟の道に見いだそうとした。同賞を獲得したとき、"人間が持つ無限の可能性を実際の生き方に変えていくのが仏法"と確信できたという▼1947年8月14日、池田先生は恩師となる戸田城聖先生と出会った。池田先生は語る。「あの日の出会いから、私は誓願の人生を進むことになりました。今、同じように、新しい時代を担う青年たちが日本中、世界中で陸続と立ち上がってくれています。それが何より嬉しく、頼もしい」▼師弟の出会いから75年。8月14日は、私たちが「弟子として、どう生きていくのか」を今一重深く心に決める日でもある。
寸鉄 2022年8月14日
戸田先生と池田先生との出会いから75星霜。世界広布の偉業。共戦の道を
関西・師弟原点の日。常勝の闘魂は友の胸に赤々。後継の連帯築く誓い新た
「根ふかければ枝しげし」御書。青年よ最高の生命哲学を学べ。錬磨の夏に(新261・全329)
日本の人口減少幅が過去最大と。更に一人が輝く社会へ。我らの使命は大
転売チケットの購入問題が相次ぐ。公式サイトの確認を。不正出品に警戒
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 自分をつくるのは自分自身!——青春時代の悔しさをバネに「19世紀最大の彫刻家」となったロダンの人生
●東京・関西 創価中学・高校の卒業式(1990年3月)
〈1990年(平成2年)3月16日、創価中学・高校の第20回卒業式と関西創価中学・高校の第15回卒業式が、中継で結んで行われた。東京校の会場に出席した創立者・池田先生は、式典に先駆けて除幕された獅子のブロンズ像に言及し、東西両校に"獅子の像"を贈った真情を語った〉
獅子の証は何か。仏法では「師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである」と説く。何ものをも恐れず、何ものにも屈しないのが獅子である。
皆さんのこれからの前途にも、"百獣"のようにさまざまな難問が襲いかかってくるかもしれない。とくに青春時代は、「疾風怒濤」ともいうべき、変化の激しい、心が揺れ動く季節である。しかし、私が創立したこの学園に集った人は、一人も残らず獅子の子である。
ゆえに断じて、「さあ、何でもこい」「何があっても大丈夫だ」という、たくましい自分自身をつくりあげていただきたい。どんなに才能があり、地位や立派そうな肩書があっても、臆病であれば真の力は出ない。臆病な人間が何人集まっても"獅子"の一人にはかなわない。
私は全員が「獅子の青春」「獅子の人生」を堂々と進みゆくことを、いつも祈り見守っていきたい。
〈続いて先生は、獅子の像にちなんで、「近代彫刻の父」とうたわれる、フランスのオーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の生涯を紹介した〉
ロダンは、「第二のルネサンス」と呼ばれる時代を、雄々しく戦い、生きた「芸術の獅子」であった。では、このロダンは、はじめから自信満々の天才だったか。決してそうではなかった。むしろ多感な青年期、人一倍、失意と挫折の連続だったのである。
彼の10代にこんなエピソードがある。(以下、ディヴィド・ウァイス『ロダンの生涯』榊原晃三訳、二見書房から引用・参照)
パリの庶民の街に生まれ、貧しい庶民の家庭に育ったロダンは、彫刻家を志し、当時、芸術家の登竜門であった官立美術学校に挑戦する。17歳前後——ちょうど諸君と同じ年代になろうか。ところが、彼の希望に反して失敗。それも得意の彫刻の試験で不合格であった。次の年も、またその次の年も、合格の報はロダンには届かなかった。3度目の落第で、彼は受験資格を失い、官立美術学校の門は永久に閉ざされてしまう。
「見込みがない」「まったく才能が見あたらない」という烙印が容赦なく押されたのである。
世間は矛盾だらけである。正しき"眼"を持っていないともいえる。問題は、その矛盾を突きぬけ、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
当時は、この美術学校の学位がなければ、芸術家としては認められないような時勢であったという。彼はまだ20歳前。激しい落雷のように、青春を襲った挫折であった。
ある伝記によれば、この時、落胆し、憔悴しきったロダンは、母校のボアボードラン先生のもとを訪ねた。ところが、その先生は彼を慰めるどころか、断固とした口調で言いきった。
「(=落第は)君にとってはこの上なくよいことだった」「君は、ミケランジェロが、《官立美術学校》を必要としたと思っているのかね?」
"この失敗は嘆くどころか、未来の大成のためにはかえって幸運であった。古ぼけた権威に認められなくともよい。君は君らしく、新しき勇者の道を切りひらけ"というのである。彼は奮起した。
もしロダンが、この師の励ましを受けず、彫刻をあきらめていれば、あの数々の世界的名作は生まれなかった。彼は、落第生と決めつけられた悔しさをバネとして、その後の全生涯をかけて「19世紀最大の彫刻家」たる自分をつくりあげていったのである。
◇「努力」即「幸福」
〈池田先生は、挫折を成長の糧に変えたロダンの不屈の心を通して、学園生にエールを送る〉
「自分なんかもうだめだ」と思うような瀬戸際の時が、諸君にもあるにちがいない。じつは、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。
「自分」という人間を決めるのは、だれか——。自分である。「自分」という人間をつくるのは、だれか。これも結局は自分以外にない。他人の目や言動に一喜一憂する弱さは、それ自体、敗北に通じる。
ロダンは、その後20年にもわたり、彫刻家の助手、建築彫刻、石膏取りなど下積みの仕事をかさねながら、徹底して勉強し、実力をつけていった。ほめてくれる人は、だれもいない。苦労して作った作品も、少しも売れない。貧しい身なりのため、図書館から本の貸し出しも制限されてしまう。
しかし、わが道を定め、行動に徹しゆく人の心は、どんな境遇に置かれても、きょうの青空のように晴れやかである。
下積みもなく、歯をくいしばるような辛苦もなく、かんたんに得られた名声や成功は、ホタル火のようにはかない。人間としての黄金の光を放つことはできない。労苦こそが自身の不滅の「人格」を磨くのである。
ロダンはのちに、こう振り返っている。「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。いつでも嬉しかった。私の熱心さは無限でした。休む間もなく勉強していました。勉強がいっさいを抱擁していたのです」(高田博厚・菊池一雄編『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波書店)と。
努力即幸福である。努力即勝利である。とともに、後年、ロダンは、弟子たちに"青年はあせってはならない"と繰り返し教えていたという。「一滴一滴、岩に喰ひこむ水の辛抱強さ」(『高村光太郎全集』第七巻〈ロダンの生涯〉、筑摩書房)を持たねばならない、と。これは芸術のみならず、万般にわたって、大事を成しゆくためのポイントであろう。
岩にきざむ忍耐で、鍛えの青春を送った人は、年とともに光ってくる。「人格」が輝き「知性」が輝く。「精神」の果実の豊かな味わいがでてくる。その人こそ、真の栄光の人である。
◇信じる道を
さて、ロダンが58歳の時に発表した文豪バルザックの像は、世間から悪評の集中砲火をあびる。しかし、だれに何といわれようとも、彼は10年近くの歳月、全魂をかたむけた自分の仕事に、満々たる「自信」と「誇り」をもっていた。
ロダンはこの時、"全世界が反対しようとも、あの作品に私は責任をもつ"(同前参照)と断言したという。その裏付けには、だれにも負けない血のにじみでるような「努力」の積みかさねがあった。自分の「努力」は、自分自身がいちばんよく知っている。
このロダンの言葉は、まことに味わい深い。どうか諸君も、この一生で何でもよい、いかなる分野であってもよい、"全世界が反対しようとも"と言いきれるものを、自分らしく成し遂げていただきたい。
時には、傲慢な権威のカベに押し返されることがあったとしても、くじけてはならない。むしろ、それ以上の勢いで、みずから信ずる道を、誠実に、粘り強く求めぬいていく。私は、そうした強き「獅子の心」で、この青春を勝ち取っていただきたいと切望する。
◇楽観主義で生き抜け
〈結びに池田先生は、名作『赤毛のアン』に話を移し、主人公アンの朗らかな生き方のように、楽観主義の人生を、と呼び掛けた〉
アンはどんなに不幸な運命に出あおうと、決して嘆かない、悲しまない、負けはしなかった。
"曲がり角をまがれば、きっとすばらしい景色がまた広がるにちがいない"と考え、明るく、伸び伸びと生きていった。そうした生き方ができること自体が幸福である。
何かあれば、すぐ嘆き、悲しみ、落ちこんでしまう。それは、決して獅子の子の生き方ではないし、不幸な人生である。
私は、アンの生き方をとおして、「君たちよ楽観主義で生きぬけ。長い人生を、悲観主義でいたずらに悲しんだり、苦しんだりしてはならない」と申し上げたい。
これから、新しき世紀、新しき世界の舞台にむかいゆく諸君である。どうか、何よりも健康であっていただきたい。また、お父さんお母さんをはじめ諸君とつながった人々を、世界旅行にでも連れていってあげられるような力をもち、幸福な生涯を築いていっていただきたい。諸君のことは、毎日祈っているが、本日も、どうかご多幸であれ、と心から祈り、記念のスピーチとしたい。
目標や課題に向かって
努力する未来部の友を
真心で応援していこう!
挑戦こそ飛躍への土台だ。
兵衛志殿御返事 P1108
『二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし』
【通解】
二人が団結した姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの羽のようなものである。
名字の言 自分の信じる道で師のように生きる 2022年8月14日
SGIメンバーのハービー・ハンコック氏は、2008年に米音楽界の最高栄誉・グラミー賞の「最優秀アルバム賞」を受賞した。氏はその快挙を通して思ったことを、SGIの会合で同志に語り掛けた。「自分の信じる道で、池田先生のように生きていくべきです」▼氏は同賞の候補になった段階で誓ったという。「善」に貢献し、社会を変革しゆく人々に励ましを送る——先生が生きてきたこの"道"に私も連なろうと▼氏は"勝つためにどう祈るのか""どうやって心の無明を晴らせるのか""私利を超越した崇高な目的をいかに見つけるか"を、創価の師弟の道に見いだそうとした。同賞を獲得したとき、"人間が持つ無限の可能性を実際の生き方に変えていくのが仏法"と確信できたという▼1947年8月14日、池田先生は恩師となる戸田城聖先生と出会った。池田先生は語る。「あの日の出会いから、私は誓願の人生を進むことになりました。今、同じように、新しい時代を担う青年たちが日本中、世界中で陸続と立ち上がってくれています。それが何より嬉しく、頼もしい」▼師弟の出会いから75年。8月14日は、私たちが「弟子として、どう生きていくのか」を今一重深く心に決める日でもある。
寸鉄 2022年8月14日
戸田先生と池田先生との出会いから75星霜。世界広布の偉業。共戦の道を
関西・師弟原点の日。常勝の闘魂は友の胸に赤々。後継の連帯築く誓い新た
「根ふかければ枝しげし」御書。青年よ最高の生命哲学を学べ。錬磨の夏に(新261・全329)
日本の人口減少幅が過去最大と。更に一人が輝く社会へ。我らの使命は大
転売チケットの購入問題が相次ぐ。公式サイトの確認を。不正出品に警戒
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 自分をつくるのは自分自身!——青春時代の悔しさをバネに「19世紀最大の彫刻家」となったロダンの人生
●東京・関西 創価中学・高校の卒業式(1990年3月)
〈1990年(平成2年)3月16日、創価中学・高校の第20回卒業式と関西創価中学・高校の第15回卒業式が、中継で結んで行われた。東京校の会場に出席した創立者・池田先生は、式典に先駆けて除幕された獅子のブロンズ像に言及し、東西両校に"獅子の像"を贈った真情を語った〉
獅子の証は何か。仏法では「師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである」と説く。何ものをも恐れず、何ものにも屈しないのが獅子である。
皆さんのこれからの前途にも、"百獣"のようにさまざまな難問が襲いかかってくるかもしれない。とくに青春時代は、「疾風怒濤」ともいうべき、変化の激しい、心が揺れ動く季節である。しかし、私が創立したこの学園に集った人は、一人も残らず獅子の子である。
ゆえに断じて、「さあ、何でもこい」「何があっても大丈夫だ」という、たくましい自分自身をつくりあげていただきたい。どんなに才能があり、地位や立派そうな肩書があっても、臆病であれば真の力は出ない。臆病な人間が何人集まっても"獅子"の一人にはかなわない。
私は全員が「獅子の青春」「獅子の人生」を堂々と進みゆくことを、いつも祈り見守っていきたい。
〈続いて先生は、獅子の像にちなんで、「近代彫刻の父」とうたわれる、フランスのオーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の生涯を紹介した〉
ロダンは、「第二のルネサンス」と呼ばれる時代を、雄々しく戦い、生きた「芸術の獅子」であった。では、このロダンは、はじめから自信満々の天才だったか。決してそうではなかった。むしろ多感な青年期、人一倍、失意と挫折の連続だったのである。
彼の10代にこんなエピソードがある。(以下、ディヴィド・ウァイス『ロダンの生涯』榊原晃三訳、二見書房から引用・参照)
パリの庶民の街に生まれ、貧しい庶民の家庭に育ったロダンは、彫刻家を志し、当時、芸術家の登竜門であった官立美術学校に挑戦する。17歳前後——ちょうど諸君と同じ年代になろうか。ところが、彼の希望に反して失敗。それも得意の彫刻の試験で不合格であった。次の年も、またその次の年も、合格の報はロダンには届かなかった。3度目の落第で、彼は受験資格を失い、官立美術学校の門は永久に閉ざされてしまう。
「見込みがない」「まったく才能が見あたらない」という烙印が容赦なく押されたのである。
世間は矛盾だらけである。正しき"眼"を持っていないともいえる。問題は、その矛盾を突きぬけ、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
当時は、この美術学校の学位がなければ、芸術家としては認められないような時勢であったという。彼はまだ20歳前。激しい落雷のように、青春を襲った挫折であった。
ある伝記によれば、この時、落胆し、憔悴しきったロダンは、母校のボアボードラン先生のもとを訪ねた。ところが、その先生は彼を慰めるどころか、断固とした口調で言いきった。
「(=落第は)君にとってはこの上なくよいことだった」「君は、ミケランジェロが、《官立美術学校》を必要としたと思っているのかね?」
"この失敗は嘆くどころか、未来の大成のためにはかえって幸運であった。古ぼけた権威に認められなくともよい。君は君らしく、新しき勇者の道を切りひらけ"というのである。彼は奮起した。
もしロダンが、この師の励ましを受けず、彫刻をあきらめていれば、あの数々の世界的名作は生まれなかった。彼は、落第生と決めつけられた悔しさをバネとして、その後の全生涯をかけて「19世紀最大の彫刻家」たる自分をつくりあげていったのである。
◇「努力」即「幸福」
〈池田先生は、挫折を成長の糧に変えたロダンの不屈の心を通して、学園生にエールを送る〉
「自分なんかもうだめだ」と思うような瀬戸際の時が、諸君にもあるにちがいない。じつは、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。
「自分」という人間を決めるのは、だれか——。自分である。「自分」という人間をつくるのは、だれか。これも結局は自分以外にない。他人の目や言動に一喜一憂する弱さは、それ自体、敗北に通じる。
ロダンは、その後20年にもわたり、彫刻家の助手、建築彫刻、石膏取りなど下積みの仕事をかさねながら、徹底して勉強し、実力をつけていった。ほめてくれる人は、だれもいない。苦労して作った作品も、少しも売れない。貧しい身なりのため、図書館から本の貸し出しも制限されてしまう。
しかし、わが道を定め、行動に徹しゆく人の心は、どんな境遇に置かれても、きょうの青空のように晴れやかである。
下積みもなく、歯をくいしばるような辛苦もなく、かんたんに得られた名声や成功は、ホタル火のようにはかない。人間としての黄金の光を放つことはできない。労苦こそが自身の不滅の「人格」を磨くのである。
ロダンはのちに、こう振り返っている。「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。いつでも嬉しかった。私の熱心さは無限でした。休む間もなく勉強していました。勉強がいっさいを抱擁していたのです」(高田博厚・菊池一雄編『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波書店)と。
努力即幸福である。努力即勝利である。とともに、後年、ロダンは、弟子たちに"青年はあせってはならない"と繰り返し教えていたという。「一滴一滴、岩に喰ひこむ水の辛抱強さ」(『高村光太郎全集』第七巻〈ロダンの生涯〉、筑摩書房)を持たねばならない、と。これは芸術のみならず、万般にわたって、大事を成しゆくためのポイントであろう。
岩にきざむ忍耐で、鍛えの青春を送った人は、年とともに光ってくる。「人格」が輝き「知性」が輝く。「精神」の果実の豊かな味わいがでてくる。その人こそ、真の栄光の人である。
◇信じる道を
さて、ロダンが58歳の時に発表した文豪バルザックの像は、世間から悪評の集中砲火をあびる。しかし、だれに何といわれようとも、彼は10年近くの歳月、全魂をかたむけた自分の仕事に、満々たる「自信」と「誇り」をもっていた。
ロダンはこの時、"全世界が反対しようとも、あの作品に私は責任をもつ"(同前参照)と断言したという。その裏付けには、だれにも負けない血のにじみでるような「努力」の積みかさねがあった。自分の「努力」は、自分自身がいちばんよく知っている。
このロダンの言葉は、まことに味わい深い。どうか諸君も、この一生で何でもよい、いかなる分野であってもよい、"全世界が反対しようとも"と言いきれるものを、自分らしく成し遂げていただきたい。
時には、傲慢な権威のカベに押し返されることがあったとしても、くじけてはならない。むしろ、それ以上の勢いで、みずから信ずる道を、誠実に、粘り強く求めぬいていく。私は、そうした強き「獅子の心」で、この青春を勝ち取っていただきたいと切望する。
◇楽観主義で生き抜け
〈結びに池田先生は、名作『赤毛のアン』に話を移し、主人公アンの朗らかな生き方のように、楽観主義の人生を、と呼び掛けた〉
アンはどんなに不幸な運命に出あおうと、決して嘆かない、悲しまない、負けはしなかった。
"曲がり角をまがれば、きっとすばらしい景色がまた広がるにちがいない"と考え、明るく、伸び伸びと生きていった。そうした生き方ができること自体が幸福である。
何かあれば、すぐ嘆き、悲しみ、落ちこんでしまう。それは、決して獅子の子の生き方ではないし、不幸な人生である。
私は、アンの生き方をとおして、「君たちよ楽観主義で生きぬけ。長い人生を、悲観主義でいたずらに悲しんだり、苦しんだりしてはならない」と申し上げたい。
これから、新しき世紀、新しき世界の舞台にむかいゆく諸君である。どうか、何よりも健康であっていただきたい。また、お父さんお母さんをはじめ諸君とつながった人々を、世界旅行にでも連れていってあげられるような力をもち、幸福な生涯を築いていっていただきたい。諸君のことは、毎日祈っているが、本日も、どうかご多幸であれ、と心から祈り、記念のスピーチとしたい。
2022年8月13日土曜日
2022.08.13 わが友に贈る
天候の急な変化に警戒!
大雨による河川の増水
土砂災害等に用心。
最新情報を確認し
油断せず迅速な対応を!
諸法実相抄 P1359
『されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり、是ほむる処の言よりをこり候ぞかし』
【通解】
あまりに人が自分をほめる時は、「どんなふうにでもなろう」という心が出てくるものである。これは、ほめる言葉から起こるのである。
名字の言 鍛錬を欠かさない76歳の声優・若本規夫さん 2022年8月13日
アニメ「サザエさん」の穴子さん役などで知られる若本規夫さんは、26歳で声優デビューして今年で50年。その特徴ある声で今も活躍を続けるが、かつて50歳を目前に壁にぶつかった▼新規の仕事がなくなり、レギュラーだけになったのだ。当初は事務所など周囲のせいにしていた。しかし状況は何も変わらない。そこで、声優として一から鍛錬し直そうと決めた▼大道芸や浪曲、声楽の発声を学び、歌のレッスンに励んだ。呼吸法も見直した。そうして50代半ばからナレーションなどの新しい仕事が入るように。「敵は外にではなく自分自身の中にある」と、76歳の現在も早朝から3時間の鍛錬を欠かさないという(『若本規夫のすべらない話』主婦の友インフォス)▼人は困難に直面すると、問題の原因を外に求めがちだ。だが、周りを変えることより、まず自分を変えることだ。その中で環境も変わっていく——口で言うほど簡単ではないが、その挑戦の先に、思ってもみなかった新しい世界が広がっている▼自身の置かれた環境の善しあしを決めるのは「我らが心の善悪による」(新317・全384)と御書に仰せである。全てを成長のチャンスと捉える強き一念で、自らを鍛え磨く夏にしたい。
寸鉄 2022年8月13日
創価学会はすでに世界的出来事—トインビー博士。五大州に共戦の同志。世紀の光源
葛飾総区女性部の日。友の心照らす希望の太陽!励ましの行動に福徳燦々
全国の被爆者の平均年齢85・5歳。平和の心継ぐ市民の連帯さらに強固に
エスカレーターでの転倒に注意。ベビーカーの乗り入れは危険。安全第一
食品衛生月間。「早めの消費」「十分な加熱」「手洗い徹底」等で食中毒防止
〈社説〉 2022・8・13 峻厳なる師弟の出会い75年
◇「偉大な人間革命」の原点
1947年(昭和22年)8月14日、19歳の池田先生は生涯の師・戸田先生と峻厳なる出会いを結んだ。あすで75周年の佳節を刻む。
終戦から2年。政治も経済も、そして思想・言論も、混乱のただ中にあった。戦前に国家が称揚した価値観は崩れ去り、雨後のたけのこのようにさまざまな主義・主張が現れたが、心ある青年たちは、人生を懸け、未来を託すに足る道を求めて、もがき続けていた。
19歳の池田先生も、そうした若者の一人だった。肺病に苦しみ、死の不安につきまとわれながらも、文学書や哲学書を手に取り、友と読書サークルをつくって、人生や社会について論じ合っていた。そんな中、生命哲学の話があると友から聞いて、東京・蒲田の座談会に参加したのである。そこで、「立正安国論」の講義をしていたのが、戸田先生であった。
池田青年は、"愛国者とは"等と質問した。中でも最も切実な問いは「正しい人生とは何か」——。
誠実に、飾らず、明快に答える戸田先生。その人格に池田青年は強く共鳴。そして戸田先生が戦時中、軍部政府の弾圧で投獄された事実が、入信の決め手となった。
池田先生に特別な仏教の素養や学問の蓄積があった訳ではない。戦時下には鉄工所で働き、空襲で家を焼かれ、肺病に苦しんだ。出征した長兄は戦死。戦後の混乱期、懸命に人生の道を模索していた。
その一青年が戸田先生の弟子として生きると決め、師匠の薫陶のままに実践を貫いた時、妙法の無量無辺の力用が涌現していった。
蒲田で、文京で、大阪で、山口で、池田先生は常に広布の急所に飛び込んで拡大の旋風を起こし、恩師の願業である弘教75万世帯への道を切り開いた。第3代会長に就任後は、師弟の誓願に生き抜き、世界へ妙法を広げ、友情を結び、192カ国・地域に平和・文化・教育の「民衆の連帯」を築いた。
小説『人間革命』と『新・人間革命』の主題である「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」——それを池田先生は、自らの人生で証明した。その原点に、師弟の出会いがあった。
この「人間革命の道」は、我々池田門下にも等しく開かれている。日本も世界も混沌とする今、弟子がこの希望の大道に生きる誓いに立つ75周年としたい。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第17回 輝く宝剣に
◇佐渡御書
『鉄は炎い打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。』(新1288・全958)
◇勇気の指標
人類全体がコロナ禍の困難に立ち向かう中、未来部の皆さんも、さまざまな苦労と忍耐を余儀なくされてきたことでしょう。(中略)長い目で見れば、青春時代の最も鋭敏な時期に、思いもよらぬ試練に出遭ったことには、きっと深い意味があります。その労苦の経験が、大きく役に立ち、生かされる時が必ず訪れます。
◆◇◆
未来部の皆さんこそ、2030年の創価学会創立100周年を担い立つ若き主人公です。人類の宿命転換に挑み、新しい「黎明」を告げゆく世代です。
◆◇◆
試練や苦難に遭うというのは、その人の生命の底力が試されているとも言えるのです。一番大変な時に歯を食いしばって忍耐を重ね、一歩も退かない。その時に培った強靱な魂こそが、人生の勝利の軌道を進む根本の力となるのです。そして信心とは、この「負けじ魂」の究極なのです。
◆◇◆
自分がつらい思いをした人は、友の心の痛みがわかり、励ましを送ることができます。つらいことを乗り越えた分、自分が大きくなり、青春の翼を強く大きく鍛えていけます。何一つムダなことはありません。
焦らず、臆さず、そして聡明に、良き先輩や友人などに相談しながら前へ進むことです。
大切なことは、生涯、不退の信仰を貫くことです。
◇信心は「負けじ魂」の究極 井上雄作 少年部長
暑い夏が続いていますが、少年少女部の皆さんは、元気に過ごしていますか?
今回は、『未来の希望「正義の走者」に贈る』の中から、池田先生がかつて、未来部メンバーに講義してくださった「佐渡御書」を学んでいきます。
いろんなことにチャレンジしていけば、壁にぶつかることもあります。その時に、「負けじ魂」を燃やして立ち向かっていくことの大切さを学んでいきましょう!
◇よく来たね!
先生は、講義の中で、未来部の皆さんが、コロナ禍の中で、さまざまな困難に直面していることに触れて、次のように期待を寄せてくださっています。
「未曽有の災禍を経験しているからこそ、生命の大切さを深く心に刻んで、人の苦しみや痛みも分かっていく。困っている人のために行動していく。そうした人間として立派な民衆のリーダーへと育っていってほしい。そして、自身の使命の舞台で勝ち光ってもらいたい——ただただこの一心で、一人一人の健やかな成長と活躍を、妻と祈る毎日です」
私自身、関西創価小学校6年の時、修学旅行で訪れた創価大学で、池田先生と出会いを結ぶことができました。
「よく来たね!」「会えて、うれしい」「親孝行するんだよ」——先生は、一人一人に声を掛け、私たちと握手をしてくださいました。
私にも、ほほに手を当てて、「いい顔しているね」と。
先生の握手はとても力強かったのを覚えています。今振り返ると、"成長するんだ"という慈愛、厳愛だったと感じます。
"ここまで僕たちのことを、応援し、励ましてくれる方がいるんだ"——心からそう感動しました。この日の誓いを胸に、努力に努力を重ね、夢である医師になったメンバーをはじめ、同級生はそれぞれの使命の舞台で奮闘しています。
◇生命を鍛える
今回学ぶ御書の一節では、「剣」の譬えを通して苦難の意味を教えられています。
剣は、高温に熱せられた鉄を、何度も打ちつけることによって出来上がります。映像などで見たことがあるかもしれません。
先生はこのことを通し、「私たちも苦難と戦うことによってこそ、宝剣のごとく、生命が鍛えられるのです」と講義されています。
創大時代、周囲と自分を比べて悩んだ時期がありました。体調も崩してしまい、大学に通えない日々。学生部の先輩や同期の仲間たちが親身になって励ましてくれました。
お題目を唱える中で、さまざまなことが心に浮かびました。先生との出会い、友人たちとの切磋琢磨の思い出……。"こんなにも温かな励ましの世界は、どこにもない"という思いが、あるとき、胸にストンと落ちました。
そして、"学会員で良かった。今こそ、負けじ魂を燃やしてもう一度頑張ろう"と決意することができたのです。
体調も回復し、再び大学に通えるように。自分が感じた創価家族の温かさを、ありのまま語る中で、友人を初めて入会に導くこともできました。
◇創立100周年の主役
少年少女部の皆さんも、"信心しているのに、どうして"と思うような苦難に直面することもあるかもしれません。今まさに、人間関係の悩みや、病気などの苦難と闘っているメンバーもいると思います。でも、皆さんには、信心があります。励ましてくれる創価家族がいます。
つらい時こそ、お題目に挑戦し、池田先生が皆さんに贈ってくださった指針を学び、先輩や友達に相談しながら、前進していきましょう。
困難の壁を乗り越えるたびに、"光り輝く宝剣"のような皆さんになっていくことは間違いありません。先生が、「一番大変な時に歯を食いしばって忍耐を重ね、一歩も退かない。その時に培った強靱な魂こそが、人生の勝利の軌道を進む根本の力となるのです。そして信心とは、この『負けじ魂』の究極なのです」と教えてくださっている通りです。
未来部の皆さんは、創立100周年の主役です。その皆さんと一緒に、平和のため、世界のために頑張る未来に心躍らせながら、私も鍛えの夏を過ごします。
"僕たち・私たちが平和を創る主人公"との決意で、一歩踏み出す夏にしていきましょう!
◇メモ
「佐渡御書」は、文永9年(1272年)3月20日、佐渡・塚原で御述作になり、広く門下全員に与えられた。前年の竜の口の法難、佐渡流罪の渦中にあって、弟子の疑問を晴らし、信心を貫くよう指導・激励されている。
大雨による河川の増水
土砂災害等に用心。
最新情報を確認し
油断せず迅速な対応を!
諸法実相抄 P1359
『されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり、是ほむる処の言よりをこり候ぞかし』
【通解】
あまりに人が自分をほめる時は、「どんなふうにでもなろう」という心が出てくるものである。これは、ほめる言葉から起こるのである。
名字の言 鍛錬を欠かさない76歳の声優・若本規夫さん 2022年8月13日
アニメ「サザエさん」の穴子さん役などで知られる若本規夫さんは、26歳で声優デビューして今年で50年。その特徴ある声で今も活躍を続けるが、かつて50歳を目前に壁にぶつかった▼新規の仕事がなくなり、レギュラーだけになったのだ。当初は事務所など周囲のせいにしていた。しかし状況は何も変わらない。そこで、声優として一から鍛錬し直そうと決めた▼大道芸や浪曲、声楽の発声を学び、歌のレッスンに励んだ。呼吸法も見直した。そうして50代半ばからナレーションなどの新しい仕事が入るように。「敵は外にではなく自分自身の中にある」と、76歳の現在も早朝から3時間の鍛錬を欠かさないという(『若本規夫のすべらない話』主婦の友インフォス)▼人は困難に直面すると、問題の原因を外に求めがちだ。だが、周りを変えることより、まず自分を変えることだ。その中で環境も変わっていく——口で言うほど簡単ではないが、その挑戦の先に、思ってもみなかった新しい世界が広がっている▼自身の置かれた環境の善しあしを決めるのは「我らが心の善悪による」(新317・全384)と御書に仰せである。全てを成長のチャンスと捉える強き一念で、自らを鍛え磨く夏にしたい。
寸鉄 2022年8月13日
創価学会はすでに世界的出来事—トインビー博士。五大州に共戦の同志。世紀の光源
葛飾総区女性部の日。友の心照らす希望の太陽!励ましの行動に福徳燦々
全国の被爆者の平均年齢85・5歳。平和の心継ぐ市民の連帯さらに強固に
エスカレーターでの転倒に注意。ベビーカーの乗り入れは危険。安全第一
食品衛生月間。「早めの消費」「十分な加熱」「手洗い徹底」等で食中毒防止
〈社説〉 2022・8・13 峻厳なる師弟の出会い75年
◇「偉大な人間革命」の原点
1947年(昭和22年)8月14日、19歳の池田先生は生涯の師・戸田先生と峻厳なる出会いを結んだ。あすで75周年の佳節を刻む。
終戦から2年。政治も経済も、そして思想・言論も、混乱のただ中にあった。戦前に国家が称揚した価値観は崩れ去り、雨後のたけのこのようにさまざまな主義・主張が現れたが、心ある青年たちは、人生を懸け、未来を託すに足る道を求めて、もがき続けていた。
19歳の池田先生も、そうした若者の一人だった。肺病に苦しみ、死の不安につきまとわれながらも、文学書や哲学書を手に取り、友と読書サークルをつくって、人生や社会について論じ合っていた。そんな中、生命哲学の話があると友から聞いて、東京・蒲田の座談会に参加したのである。そこで、「立正安国論」の講義をしていたのが、戸田先生であった。
池田青年は、"愛国者とは"等と質問した。中でも最も切実な問いは「正しい人生とは何か」——。
誠実に、飾らず、明快に答える戸田先生。その人格に池田青年は強く共鳴。そして戸田先生が戦時中、軍部政府の弾圧で投獄された事実が、入信の決め手となった。
池田先生に特別な仏教の素養や学問の蓄積があった訳ではない。戦時下には鉄工所で働き、空襲で家を焼かれ、肺病に苦しんだ。出征した長兄は戦死。戦後の混乱期、懸命に人生の道を模索していた。
その一青年が戸田先生の弟子として生きると決め、師匠の薫陶のままに実践を貫いた時、妙法の無量無辺の力用が涌現していった。
蒲田で、文京で、大阪で、山口で、池田先生は常に広布の急所に飛び込んで拡大の旋風を起こし、恩師の願業である弘教75万世帯への道を切り開いた。第3代会長に就任後は、師弟の誓願に生き抜き、世界へ妙法を広げ、友情を結び、192カ国・地域に平和・文化・教育の「民衆の連帯」を築いた。
小説『人間革命』と『新・人間革命』の主題である「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」——それを池田先生は、自らの人生で証明した。その原点に、師弟の出会いがあった。
この「人間革命の道」は、我々池田門下にも等しく開かれている。日本も世界も混沌とする今、弟子がこの希望の大道に生きる誓いに立つ75周年としたい。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第17回 輝く宝剣に
◇佐渡御書
『鉄は炎い打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。』(新1288・全958)
◇勇気の指標
人類全体がコロナ禍の困難に立ち向かう中、未来部の皆さんも、さまざまな苦労と忍耐を余儀なくされてきたことでしょう。(中略)長い目で見れば、青春時代の最も鋭敏な時期に、思いもよらぬ試練に出遭ったことには、きっと深い意味があります。その労苦の経験が、大きく役に立ち、生かされる時が必ず訪れます。
◆◇◆
未来部の皆さんこそ、2030年の創価学会創立100周年を担い立つ若き主人公です。人類の宿命転換に挑み、新しい「黎明」を告げゆく世代です。
◆◇◆
試練や苦難に遭うというのは、その人の生命の底力が試されているとも言えるのです。一番大変な時に歯を食いしばって忍耐を重ね、一歩も退かない。その時に培った強靱な魂こそが、人生の勝利の軌道を進む根本の力となるのです。そして信心とは、この「負けじ魂」の究極なのです。
◆◇◆
自分がつらい思いをした人は、友の心の痛みがわかり、励ましを送ることができます。つらいことを乗り越えた分、自分が大きくなり、青春の翼を強く大きく鍛えていけます。何一つムダなことはありません。
焦らず、臆さず、そして聡明に、良き先輩や友人などに相談しながら前へ進むことです。
大切なことは、生涯、不退の信仰を貫くことです。
◇信心は「負けじ魂」の究極 井上雄作 少年部長
暑い夏が続いていますが、少年少女部の皆さんは、元気に過ごしていますか?
今回は、『未来の希望「正義の走者」に贈る』の中から、池田先生がかつて、未来部メンバーに講義してくださった「佐渡御書」を学んでいきます。
いろんなことにチャレンジしていけば、壁にぶつかることもあります。その時に、「負けじ魂」を燃やして立ち向かっていくことの大切さを学んでいきましょう!
◇よく来たね!
先生は、講義の中で、未来部の皆さんが、コロナ禍の中で、さまざまな困難に直面していることに触れて、次のように期待を寄せてくださっています。
「未曽有の災禍を経験しているからこそ、生命の大切さを深く心に刻んで、人の苦しみや痛みも分かっていく。困っている人のために行動していく。そうした人間として立派な民衆のリーダーへと育っていってほしい。そして、自身の使命の舞台で勝ち光ってもらいたい——ただただこの一心で、一人一人の健やかな成長と活躍を、妻と祈る毎日です」
私自身、関西創価小学校6年の時、修学旅行で訪れた創価大学で、池田先生と出会いを結ぶことができました。
「よく来たね!」「会えて、うれしい」「親孝行するんだよ」——先生は、一人一人に声を掛け、私たちと握手をしてくださいました。
私にも、ほほに手を当てて、「いい顔しているね」と。
先生の握手はとても力強かったのを覚えています。今振り返ると、"成長するんだ"という慈愛、厳愛だったと感じます。
"ここまで僕たちのことを、応援し、励ましてくれる方がいるんだ"——心からそう感動しました。この日の誓いを胸に、努力に努力を重ね、夢である医師になったメンバーをはじめ、同級生はそれぞれの使命の舞台で奮闘しています。
◇生命を鍛える
今回学ぶ御書の一節では、「剣」の譬えを通して苦難の意味を教えられています。
剣は、高温に熱せられた鉄を、何度も打ちつけることによって出来上がります。映像などで見たことがあるかもしれません。
先生はこのことを通し、「私たちも苦難と戦うことによってこそ、宝剣のごとく、生命が鍛えられるのです」と講義されています。
創大時代、周囲と自分を比べて悩んだ時期がありました。体調も崩してしまい、大学に通えない日々。学生部の先輩や同期の仲間たちが親身になって励ましてくれました。
お題目を唱える中で、さまざまなことが心に浮かびました。先生との出会い、友人たちとの切磋琢磨の思い出……。"こんなにも温かな励ましの世界は、どこにもない"という思いが、あるとき、胸にストンと落ちました。
そして、"学会員で良かった。今こそ、負けじ魂を燃やしてもう一度頑張ろう"と決意することができたのです。
体調も回復し、再び大学に通えるように。自分が感じた創価家族の温かさを、ありのまま語る中で、友人を初めて入会に導くこともできました。
◇創立100周年の主役
少年少女部の皆さんも、"信心しているのに、どうして"と思うような苦難に直面することもあるかもしれません。今まさに、人間関係の悩みや、病気などの苦難と闘っているメンバーもいると思います。でも、皆さんには、信心があります。励ましてくれる創価家族がいます。
つらい時こそ、お題目に挑戦し、池田先生が皆さんに贈ってくださった指針を学び、先輩や友達に相談しながら、前進していきましょう。
困難の壁を乗り越えるたびに、"光り輝く宝剣"のような皆さんになっていくことは間違いありません。先生が、「一番大変な時に歯を食いしばって忍耐を重ね、一歩も退かない。その時に培った強靱な魂こそが、人生の勝利の軌道を進む根本の力となるのです。そして信心とは、この『負けじ魂』の究極なのです」と教えてくださっている通りです。
未来部の皆さんは、創立100周年の主役です。その皆さんと一緒に、平和のため、世界のために頑張る未来に心躍らせながら、私も鍛えの夏を過ごします。
"僕たち・私たちが平和を創る主人公"との決意で、一歩踏み出す夏にしていきましょう!
◇メモ
「佐渡御書」は、文永9年(1272年)3月20日、佐渡・塚原で御述作になり、広く門下全員に与えられた。前年の竜の口の法難、佐渡流罪の渦中にあって、弟子の疑問を晴らし、信心を貫くよう指導・激励されている。
2022年8月12日金曜日
2022.08.12 わが友に贈る
仏法は生命の健康法だ。
「張りのある勤行」
「無理と無駄のない生活」
「献身の行動」
「教養のある食生活」を!
四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日蓮も又此の天を恃みてたてまつり日本国にたてあひて数年なり、既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず』
【通解】
日蓮もまたこの日天子を恃み奉り、日本国とはりあって数年になるが、すでに日蓮が勝ったという心地がする。このように利生のはっきりしていることは、ほかに求められない。
【先生の指導から】
打ち続く大難を乗り越えての勝利宣言と拝せよう。仏法は勝負である。断じて、勝利の証を示しきることだ。
名字の言 災いと幸いは表裏一体 2022年8月12日
試練は避けたいが、避け難いのが現実だ。病気になり、健康のありがたみを知る。貧困と戦い、真の豊かさを知る。災難に遭い、本当の幸せを知る——それが人生である▼御聖訓に「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)、「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え」(新1554・全1143)と。災いと幸いは表裏一体で、共に人生に不可欠なのだ▼東京のある女性は十数年前、一緒に和食店を営む夫と別離。一人で切り盛りする店は毎日、閑古鳥が鳴いた。ある日、客として来た女性部員に「冬は必ず春になるよ」と励まされ、後日、入会する▼人生も店の経営も上向く中、昨今のコロナ禍の打撃。加えて実母が体調を崩し、要介護4に。だが、女性は"今再び、春を呼び込む"と奮起。その後、店はテレビドラマのロケにも使われ、大繁盛に。実母も要支援2まで回復した▼池田先生は仏道修行の苦難の意味について「それらのすべては、光輝満つ"栄光の人生"の完成への滋養であり、屹立した"勝利の人生"の軌道を進むための推進力になっていく」と。それを実感する先の女性の言葉が素晴らしい。「きょうまでの苦闘の日々こそが、本当の功徳だと思います」
寸鉄 2022年8月12日
「他人を利していく生活こそ大善」牧口先生。自他共の幸福道をはつらつと
教育本部原点の日。家庭教育懇談会を地道に推進 希望の未来照らす大聖業
困苦に耐え偉業を遂げる人達は太陽のよう—文豪チェーホフ 広布貢献の庶民こそ英雄
夏のイベント3年ぶりの開催多く。適切な感染対策続け、有意義な一時を
花火の事故に注意。点火方法や持ち方を正しく。消毒液への引火にも警戒
〈社説〉 2022・8・12 きょう「教育本部原点の日」
◇子どもの声を「よく聞く」人に
「原点」という言葉の意味を辞書で調べると、「物事を改めて考えるときなどに立ち返るべき根源の点」等とある。その"点"に繰り返し立ち返ることを忘れない限り、行き詰まることはない。
そんな「原点」を持つ人は、どれほど強く、幸せなことか。
創価学会の教育本部が「原点の日」と定めているのは8月12日。1975年に教育部(当時)の夏季講習会が創価大学で行われた日である。
席上、池田先生は「私の人生における最終の事業は教育と決めております」との信念を表明した。
そして、教育にとって最も大事なことは、子どもたちの声を「よく聞く」ことであり、「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていく」ことだと強調したのである。
初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長・戸田城聖先生の師弟によって誕生した「創価教育」の原点とは、「子どもの幸福」という大目的だ。
大人の都合でも社会のためでもない。子どもが何を望んでいるのか、何に困っているのか——その思いを大人がくみ取り、応えてゆかなければならない。
そこに教育の本義があることを、創価教育の理念は示している。
折しも本年6月に国会で成立した「こども基本法」には、子どもの意見を表明する機会の確保がうたわれた。
「こどもの最善の利益」を図るため、大人は子どもの意見を形式的に聞くだけではなく、それを重んじて、教育現場の運営や社会の仕組みに反映していくことが重視されたのである。
その意味において、今ほど「よく聞く」ことが求められている時はない。
今夏も教育本部の友は各地で研修会を実施している。子どもたちの思いや意見を"よく聞く"ことができる自分になるには何が必要か。
池田先生は「教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のような慈愛の深みがあってこそ、可能となる」と訴える。
キャパシティーとは「境涯」と同義であろう。信心の実践を通して日々「境涯革命」「人間革命」に挑戦しゆく教育者でなければくみ取れない、子どもたちの"声なき声"があるはずだ。
子どもを主役に、子どもを幸福に——この創価教育の原点を、教育本部だけではなく、地域で社会で子どもたちに関わる全ての友が確認し合う日としたい。
☆8月度座談会拝読御書 妙密上人御消息
◇御文
『日本国の中にただ一人、南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり。二人・三人・十人・百人、一国・二国、六十六箇国、すでに島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人々も唱え給うらん。また上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品のごとく、一同に南無妙法蓮華経と唱え給うこともやあらんずらん。』(御書新版1711ページ12行目〜15行目、御書全集1241ページ2行目〜5行目)
◇[池田先生の指針から]"一対一"の伝統を継ぐ
「法」そのものは、無始無終の永遠の真理です。しかし、「法」を覚知した一人が立ち上がって伝え広めなければ、万人が「法」の利益に浴することは永久にあり得ません。
思えば、仏教の創始者である釈尊は、菩提樹の下で覚りを得た後、この法を説くべきか否かと逡巡しました。あまりにも未聞の法だからです。しかし、遂に決断し、民衆のために一人立ち、法を弘め始めました。「一人立つ精神」は、仏教の誕生から変わることのない、根幹であるといってよいでしょう。(中略)
全ての人には本来、仏性が具わっています。ですから、どこまでも堂々と、そして誠実に、この仏法の偉大さ、学会の素晴らしさを語り抜いていけばよい。仮に無理解からの非難があっても、やがては、相手の仏性が発動していくのです。(『わが「共戦の友」——各部の皆さんに贈る』)
◇ ◇ ◇
ある時、牧口先生は、座談会よりも講演会形式にしたほうがいいと語る青年に、鋭くこう語られました。
「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」
また、戸田先生も、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話によって成し遂げられる」とよく語っていました。
私も同じ信条で、常に一対一の対話を重ねてきました。どこまでも大切なのは、一対一の人間味ある励ましと信心の触発です。この伝統が継承される限り、学会は永遠に発展していくことは間違いありません。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)
◇「一人立つ」信心で新たな歴史を築く
[キーワード�]創価の誇りを胸に
「須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露」との譬えからは、日蓮大聖人が、末法の一切衆生を救いゆく、法華経の題目を弘める"最初の一人"となられた誇りと御確信を拝することができます。
そして現実に2人、3人と伝え広げ、当時の日本全国に妙法を弘通され、今日まで続く、世界広布の流れを開かれたのです。
創価学会は、この大聖人の妙法流布の御遺命と、"一人立つ誇り"を継承し、三代の会長と共に、あらゆる障魔に打ち勝ってきたのです。
草創期には、"貧乏人と病人の団体"と悪口されることもありました。そんな世間の風評などに紛動されることなく、何があっても大聖人に連なる"創価の誇り"を胸に、信心の炎を燃やしてきたのです。
戸田先生はかつて、「今、威張っている人間が、しまったと思う時が広宣流布だよ」と語られました。
その言葉を現実のものとするため、学会員は、世間をあっと言わせるような勝利の姿を示してきました。"必ず幸せになってみせる"と一人立ち、懸命に題目を唱え抜きながら、岩盤に爪を立てるようにして幸福境涯を開き、広布を前進させてきたのです。
一人一人の宿命転換の実証が積み重なり、須弥山のような人材山脈が築かれ、"七つの海"に創価の連帯が広がったことは、仏法史上、未聞の快挙であるといえます。
下半期も"創価の誇り"を胸に、一人立ち、自分自身の新たな歴史を築いていきましょう。
[キーワード�]真心は必ず伝わる
100人いれば、100通りの考え方があります。職場や地域において、時には意見が異なり、ぶつかることもあるでしょう。
その時、大切なことは、"あの人とは考え方が合わない"と決め付けないことです。そして、諦めずに対話を続けることではないでしょうか。
「あるいはののしられ、打たれ、あるいは傷を受け、あるいは流罪に二度遭い、死罪に一度定められた」(新1711・全1240、通解)——。日蓮大聖人は拝読御文の直前で、妙法流布に捧げられた二十数年間を振り返り、述懐されています。
それでも、大聖人は万人に具わる仏界の生命を信じ、大慈悲の御闘争を続けられます。その中で、「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」とあるように、敵をも味方に変えながら、一人、また一人と正法に目覚めさせていったのです。
広宣流布といっても、「一対一の対話」から始まります。心を込めて語っても、相手から反発されることもあるでしょう。その時こそ、相手の幸福を祈り、粘り強く対話しつづけることが大切です。
池田先生は「信心に反対であるという人に対しても、幸せを願い、大きな、広い心で、笑顔で包み込むように接して、友好に努めていくことが大事です。それが、仏縁を結び、広げていくことになるからです」とつづっています。
一人から一人へ——今がどうあれ、相手を思う真心は、必ず伝わります。地道な対話によって、自他共の幸福境涯が開かれるのです。
「張りのある勤行」
「無理と無駄のない生活」
「献身の行動」
「教養のある食生活」を!
四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日蓮も又此の天を恃みてたてまつり日本国にたてあひて数年なり、既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず』
【通解】
日蓮もまたこの日天子を恃み奉り、日本国とはりあって数年になるが、すでに日蓮が勝ったという心地がする。このように利生のはっきりしていることは、ほかに求められない。
【先生の指導から】
打ち続く大難を乗り越えての勝利宣言と拝せよう。仏法は勝負である。断じて、勝利の証を示しきることだ。
名字の言 災いと幸いは表裏一体 2022年8月12日
試練は避けたいが、避け難いのが現実だ。病気になり、健康のありがたみを知る。貧困と戦い、真の豊かさを知る。災難に遭い、本当の幸せを知る——それが人生である▼御聖訓に「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)、「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え」(新1554・全1143)と。災いと幸いは表裏一体で、共に人生に不可欠なのだ▼東京のある女性は十数年前、一緒に和食店を営む夫と別離。一人で切り盛りする店は毎日、閑古鳥が鳴いた。ある日、客として来た女性部員に「冬は必ず春になるよ」と励まされ、後日、入会する▼人生も店の経営も上向く中、昨今のコロナ禍の打撃。加えて実母が体調を崩し、要介護4に。だが、女性は"今再び、春を呼び込む"と奮起。その後、店はテレビドラマのロケにも使われ、大繁盛に。実母も要支援2まで回復した▼池田先生は仏道修行の苦難の意味について「それらのすべては、光輝満つ"栄光の人生"の完成への滋養であり、屹立した"勝利の人生"の軌道を進むための推進力になっていく」と。それを実感する先の女性の言葉が素晴らしい。「きょうまでの苦闘の日々こそが、本当の功徳だと思います」
寸鉄 2022年8月12日
「他人を利していく生活こそ大善」牧口先生。自他共の幸福道をはつらつと
教育本部原点の日。家庭教育懇談会を地道に推進 希望の未来照らす大聖業
困苦に耐え偉業を遂げる人達は太陽のよう—文豪チェーホフ 広布貢献の庶民こそ英雄
夏のイベント3年ぶりの開催多く。適切な感染対策続け、有意義な一時を
花火の事故に注意。点火方法や持ち方を正しく。消毒液への引火にも警戒
〈社説〉 2022・8・12 きょう「教育本部原点の日」
◇子どもの声を「よく聞く」人に
「原点」という言葉の意味を辞書で調べると、「物事を改めて考えるときなどに立ち返るべき根源の点」等とある。その"点"に繰り返し立ち返ることを忘れない限り、行き詰まることはない。
そんな「原点」を持つ人は、どれほど強く、幸せなことか。
創価学会の教育本部が「原点の日」と定めているのは8月12日。1975年に教育部(当時)の夏季講習会が創価大学で行われた日である。
席上、池田先生は「私の人生における最終の事業は教育と決めております」との信念を表明した。
そして、教育にとって最も大事なことは、子どもたちの声を「よく聞く」ことであり、「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていく」ことだと強調したのである。
初代会長・牧口常三郎先生、第2代会長・戸田城聖先生の師弟によって誕生した「創価教育」の原点とは、「子どもの幸福」という大目的だ。
大人の都合でも社会のためでもない。子どもが何を望んでいるのか、何に困っているのか——その思いを大人がくみ取り、応えてゆかなければならない。
そこに教育の本義があることを、創価教育の理念は示している。
折しも本年6月に国会で成立した「こども基本法」には、子どもの意見を表明する機会の確保がうたわれた。
「こどもの最善の利益」を図るため、大人は子どもの意見を形式的に聞くだけではなく、それを重んじて、教育現場の運営や社会の仕組みに反映していくことが重視されたのである。
その意味において、今ほど「よく聞く」ことが求められている時はない。
今夏も教育本部の友は各地で研修会を実施している。子どもたちの思いや意見を"よく聞く"ことができる自分になるには何が必要か。
池田先生は「教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のような慈愛の深みがあってこそ、可能となる」と訴える。
キャパシティーとは「境涯」と同義であろう。信心の実践を通して日々「境涯革命」「人間革命」に挑戦しゆく教育者でなければくみ取れない、子どもたちの"声なき声"があるはずだ。
子どもを主役に、子どもを幸福に——この創価教育の原点を、教育本部だけではなく、地域で社会で子どもたちに関わる全ての友が確認し合う日としたい。
☆8月度座談会拝読御書 妙密上人御消息
◇御文
『日本国の中にただ一人、南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり。二人・三人・十人・百人、一国・二国、六十六箇国、すでに島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人々も唱え給うらん。また上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品のごとく、一同に南無妙法蓮華経と唱え給うこともやあらんずらん。』(御書新版1711ページ12行目〜15行目、御書全集1241ページ2行目〜5行目)
◇[池田先生の指針から]"一対一"の伝統を継ぐ
「法」そのものは、無始無終の永遠の真理です。しかし、「法」を覚知した一人が立ち上がって伝え広めなければ、万人が「法」の利益に浴することは永久にあり得ません。
思えば、仏教の創始者である釈尊は、菩提樹の下で覚りを得た後、この法を説くべきか否かと逡巡しました。あまりにも未聞の法だからです。しかし、遂に決断し、民衆のために一人立ち、法を弘め始めました。「一人立つ精神」は、仏教の誕生から変わることのない、根幹であるといってよいでしょう。(中略)
全ての人には本来、仏性が具わっています。ですから、どこまでも堂々と、そして誠実に、この仏法の偉大さ、学会の素晴らしさを語り抜いていけばよい。仮に無理解からの非難があっても、やがては、相手の仏性が発動していくのです。(『わが「共戦の友」——各部の皆さんに贈る』)
◇ ◇ ◇
ある時、牧口先生は、座談会よりも講演会形式にしたほうがいいと語る青年に、鋭くこう語られました。
「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」
また、戸田先生も、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話によって成し遂げられる」とよく語っていました。
私も同じ信条で、常に一対一の対話を重ねてきました。どこまでも大切なのは、一対一の人間味ある励ましと信心の触発です。この伝統が継承される限り、学会は永遠に発展していくことは間違いありません。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)
◇「一人立つ」信心で新たな歴史を築く
[キーワード�]創価の誇りを胸に
「須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露」との譬えからは、日蓮大聖人が、末法の一切衆生を救いゆく、法華経の題目を弘める"最初の一人"となられた誇りと御確信を拝することができます。
そして現実に2人、3人と伝え広げ、当時の日本全国に妙法を弘通され、今日まで続く、世界広布の流れを開かれたのです。
創価学会は、この大聖人の妙法流布の御遺命と、"一人立つ誇り"を継承し、三代の会長と共に、あらゆる障魔に打ち勝ってきたのです。
草創期には、"貧乏人と病人の団体"と悪口されることもありました。そんな世間の風評などに紛動されることなく、何があっても大聖人に連なる"創価の誇り"を胸に、信心の炎を燃やしてきたのです。
戸田先生はかつて、「今、威張っている人間が、しまったと思う時が広宣流布だよ」と語られました。
その言葉を現実のものとするため、学会員は、世間をあっと言わせるような勝利の姿を示してきました。"必ず幸せになってみせる"と一人立ち、懸命に題目を唱え抜きながら、岩盤に爪を立てるようにして幸福境涯を開き、広布を前進させてきたのです。
一人一人の宿命転換の実証が積み重なり、須弥山のような人材山脈が築かれ、"七つの海"に創価の連帯が広がったことは、仏法史上、未聞の快挙であるといえます。
下半期も"創価の誇り"を胸に、一人立ち、自分自身の新たな歴史を築いていきましょう。
[キーワード�]真心は必ず伝わる
100人いれば、100通りの考え方があります。職場や地域において、時には意見が異なり、ぶつかることもあるでしょう。
その時、大切なことは、"あの人とは考え方が合わない"と決め付けないことです。そして、諦めずに対話を続けることではないでしょうか。
「あるいはののしられ、打たれ、あるいは傷を受け、あるいは流罪に二度遭い、死罪に一度定められた」(新1711・全1240、通解)——。日蓮大聖人は拝読御文の直前で、妙法流布に捧げられた二十数年間を振り返り、述懐されています。
それでも、大聖人は万人に具わる仏界の生命を信じ、大慈悲の御闘争を続けられます。その中で、「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」とあるように、敵をも味方に変えながら、一人、また一人と正法に目覚めさせていったのです。
広宣流布といっても、「一対一の対話」から始まります。心を込めて語っても、相手から反発されることもあるでしょう。その時こそ、相手の幸福を祈り、粘り強く対話しつづけることが大切です。
池田先生は「信心に反対であるという人に対しても、幸せを願い、大きな、広い心で、笑顔で包み込むように接して、友好に努めていくことが大事です。それが、仏縁を結び、広げていくことになるからです」とつづっています。
一人から一人へ——今がどうあれ、相手を思う真心は、必ず伝わります。地道な対話によって、自他共の幸福境涯が開かれるのです。
2022年8月11日木曜日
2022.08.11 わが友に贈る
雄大な山々は
大きな地殻変動でできる。
人間も激動の中でこそ
強い自分を築いていける。
試練を宝に変える勇者に。
内房女房御返事 P1421
『南無と申す字は敬う心なり随う心なり、故に阿難尊者は一切経の如是の二字の上に南無等云云、南岳大師云く南無妙法蓮華経云云、天台大師云く稽首南無妙法蓮華経云云』
【通解】
南無という字は敬う心をあらわし、また随順する心をあらわします。ゆえに阿難尊者は一切経の始めに如是我聞の如是の二字の上に南無等と書き、南岳大師云く南無妙法蓮華経といわれ、天台大師は稽首南無妙法蓮華経といわれたのもこのことによるのです。
名字の言 トウモロコシ畑でつくった「宝の思い出」 2022年8月11日
「すごく甘くておいしい!」「まるで果汁たっぷりの果物みたい!」。千葉県のトウモロコシ畑に子どもたちの輝く笑顔と歓声が広がった▼「もぎたては生で食べられるよ。さあ、皮をむいて食べてみよう」。農園主の提案で、生のトウモロコシに初めてかぶりつく子どもたち。あっという間に2本、平らげた子も。東京創価小学校のサマーセミナーでの収穫体験の一こま▼子どもたちに良い思い出をつくってあげたい——農園側は万全な態勢で迎えた。トウモロコシが一番おいしい状態で収穫できるよう調整したり、子どもたちが喜ぶ顔を思い浮かべながらお土産を用意したり……。相手を思う心は必ず伝わり、心の宝となる▼ある子どもは言った。「真心をいっぱい頂きました。私はトウモロコシが苦手でした。でも、畑で収穫して生で食べたら、甘くておいしくて好きになりました」。農場主は「農業の魅力は、手間をかけた分だけ自分に返ってくること。半面、中途半端は許されない厳しい仕事です。きょうはトウモロコシのおいしさを通して、このことを伝えることができました」と▼この夏、子どもも大人も宝の思い出をたくさんつくろう。黄金色の実がぎっしり詰まっているトウモロコシのように。
寸鉄 2022年8月11日
「仏道に入る根本は信」御書。唱題根本に、湧き立つ生命力で今日も前進(新532・全940)
創大通教生が夏期スクーリング。学びの人生には尽きせぬ希望が!尊き学友と挑戦
人と語るとは人格を懸けて戦うこと—戸田先生。真剣に語れば信頼が残る
山の日。低い山でも遭難事故多し。登山は十分な装備と余裕のある計画で
子の転落事故が多い時期と。窓付近やベランダ等で足場になるものは撤去
〈社説〉 2022・8・11 十分な体調管理で夏バテ予防を
◇充実の日々で健康を守ろう
列島各地、とりわけ関東甲信から沖縄にかけては記録的な猛暑が続いている。
気象庁からも、毎日のように「熱中症警戒アラート」が発令されているが、それを自分の行動への警鐘と捉えることが大切だ。やむを得ず外出する時は、携帯扇風機や首に巻く保冷剤などで体温を下げる、必ず適度な水分・塩分を取る、など十分注意していきたい。
消防庁の「熱中症予防のポイント」によると、部屋の温度をチェックし、室温が28度を超えないようにエアコンや扇風機を上手に使っていく。部屋に温度計を置くことを勧めている。喉が渇く前に、こまめに水分補給する。特に子どもは体温調節機能が未熟なため、遊んでいる際の休憩や様子を観察することを保護者へ促している。また、高齢者は体温を下げるための体の反応が弱くなっていることから、自覚がないまま熱中症になるケースがある。調子が悪いと感じたら、家族や近くの人に側にいてもらうようにするとよい。
一方、豪雨にも警戒が必要だ。各地で土砂崩れや浸水被害が相次いでいる。気象庁は、大雨をもたらす線状降水帯の予測情報を発表しているが、大雨などに関する情報には細心の注意を払いたい。
夏休み中の子どもたちは、帰省や行楽などから夜更かし、食べ過ぎ、冷たい飲み物の飲み過ぎといった、普段の生活とは異なった状況となることも多い。気付かないうちに生活が乱れ、「体がだるい」「食欲がない」など疲れがたまり、体調不良になる時季でもある。
賢明な食生活が、夏バテ予防には欠かせない。本紙掲載の「暮らしのアンテナ」によると、夏はビタミンやミネラルなどの栄養素が不足しがちになる。特にビタミンB1を多く含む、大豆や玄米、麦、豚肉、レバーなどを意識して摂取するとよい。さらに、ニンニクやニラ、ネギなどはビタミンB1の利用効率を高めるため、食事に上手に取り入れることで疲労回復につながると紹介されている。
池田先生は、「夏の健康管理」をテーマとした語らいの中で、「名パイロットのごとく、自分で自分の体調をうまく操縦しながら、"毎日が快調"の生活を送っていきたい」と述べている。
節度ある食生活や良質な睡眠など体調管理を心掛け、朝晩の勤行・唱題を根本として、価値的で充実した一日一日を送りたい。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第16回 可能性は無限
◇阿仏房御書
『末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。もししからば、貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。』(新1732・全1304)
◇勇気の指標
誰もが宝塔の輝きを持っている。全ての人が本来、尊極の存在なのだと心の底から実感する。「誰もが等しく尊い存在」——この大いなる真実に気づくことこそが法華経の真髄です。
◆◇◆
「すがた」とはありのままの現実のことです。男女を問わず、現実の人間以外に宝塔はないのです。何か特別な存在になるのではない。(中略)有名だとか、地位があるとか、お金持ちであるとか、そうしたことは一切関係ない、ということです。皆が、一人の人間として平等に尊い存在であることを教えている仏法こそ、人間尊敬の究極の思想なのです。
◆◇◆
唱題に徹する人は、一番、幸せになれるのです。しかも、その姿は、多くの人に希望と勇気を送っていく——最も苦しんでいた人が、最も幸福になるだけでなく、他の人をも幸せにしていく勇者になるのです。
◆◇◆
大事なことは、自分を信じ切ることです。
自分が強く賢くなることです。
自分自身を大切にすることです。
一度決めた信念の行動を貫き、悔いを残さないことです。それが真実の師弟の道です。
さあ、朗らかに希望と勇気の大道を歩み抜いていこう!
人間尊敬、生命尊厳の妙法の宝剣を掲げていこう!
地球の平和と安穏のために! 人類の新たな夜明けを開くために!
◇自身の宝塔を輝かせ 山口華 女子未来部長
先日、うれしいことに、池田先生の未来部の皆さんへ向けた御書講義を収めた『未来の希望「正義の走者」に贈る』が発刊されました。
今回はこの中から、皆が無限の可能性を持った尊い存在であることを教えられた「阿仏房御書」を研さんします。信心を根本に、勉学や部活などに自分らしくチャレンジし、成長の節を刻んでいきましょう!
◇卑下する必要などない
私たちが朝晩の勤行で読誦している「法華経」。
法華経には、釈尊が大勢の弟子たちを前に法を説いていた時、突然、光り輝く宝で飾られた巨大な塔が大地から現れたと説かれています。
"この宝塔には、どのような意義があるのでしょうか"——阿仏房の質問に、日蓮大聖人が答えられたのが、今回学ぶ「阿仏房御書」の御文です。池田先生は、この一節を講義されて、次のように教えてくださっています。
「他の誰でもない自分に、宝塔すなわち尊い仏の宇宙大の生命がもともと具わっていると覚ることです。これこそが宝塔涌出の本義なのです」
「宝塔は、南無妙法蓮華経です。この題目を真剣に唱える人は、自身の宝塔の生命を最大に輝かせていくことができるのです。自分が置かれている境遇を嘆いたり、周りと比べて自分を卑下したりする必要など一切ありません。むしろ、困難な状況にあれば、より一層、真剣に題目を唱えることができます」
◇"どう生きるか"が大事
夏は、受験生の皆さんにとっては"天王山"です。
私自身も中学の時、関西創価高校を受験しました。しかし結果は不合格。本当に進学したかっただけに、人生で初めて挫折を経験しました。"燃え尽きて"しまったのです。地元の高校に進みましたが、志望校へ進んだ中学時代の友達は、キラキラ輝いているようで、"それに比べて私は……"と、自分を卑下していました。
"思っていた高校生活と違うな"——やり場のない思いを抱いていた時、手に取った『青春対話2』の先生の言葉が目に留まりました。
「出た学校によって、自分の一生が、すべて決まるわけではない。むしろ、自分が『どのように生きるか』という強さ、深さが大事です。その強さ、深さの分だけ、満足と充実の人生を生きていけるものです」
「『出身校で決まる』のではない。『自分という人間』で決まる」
そうだ。いつまでもウジウジしていちゃいけない。"今""ここ"で頑張って、次こそは創価大学へ!——そう決意することができました。
未来部担当の女子部(当時)のお姉さんが何度も訪ねてくれ、私の話にじっくり耳を傾けて励まし続けてくれたことも、大きな支えになりました。お題目にも挑戦し、勉強に打ち込んだ結果、創価大学に合格することができました。
合格できたことも本当にうれしかったのですが、この経験を通して、何があろうと、投げ出さずに挑戦し続けること、それ自体が、自分の可能性を開いていく"創価の生き方"なんだと教えていただきました。
◇自分で自分を諦めない
周囲と比べて"私なんてだめだ"と思うような時があるかもしれません。コロナ禍で、目指してきた部活の大会が中止になるなど、つらい思いをされているメンバーもいると思います。
私も受験に失敗して落ち込みました。でも池田先生や学会家族の励ましを糧に、前を向くことができました。どんな状況になっても、自分で自分を諦めない。そのための信心なんだと強く思います。
また、この阿仏房御書に照らすなら、"自分が宝塔"であると同時に、"友人も宝塔"です。かけがえのない青春時代、大切な友人たちとの絆を大切に育んでいきたいと思います。
池田先生は、万感のエールを送ってくださっています。
「皆さんには、まさに自分にしか果たせない偉大な使命があります。その使命に向かって粘り強く努力を重ね、自身の特性を最大に発揮しながら、全員が偉大な宝塔として光を放つ存在になってほしいのです」
師匠の総仕上げの時に、生まれてきた使命深き皆さんです。何事にも、自分らしく、のびのびと挑戦し、青春の思い出をつづっていきましょう!
◇メモ
「阿仏房御書」は、佐渡の門下である阿仏房が、法華経の宝塔涌現の意義を質問したことに対する御返事である。
大きな地殻変動でできる。
人間も激動の中でこそ
強い自分を築いていける。
試練を宝に変える勇者に。
内房女房御返事 P1421
『南無と申す字は敬う心なり随う心なり、故に阿難尊者は一切経の如是の二字の上に南無等云云、南岳大師云く南無妙法蓮華経云云、天台大師云く稽首南無妙法蓮華経云云』
【通解】
南無という字は敬う心をあらわし、また随順する心をあらわします。ゆえに阿難尊者は一切経の始めに如是我聞の如是の二字の上に南無等と書き、南岳大師云く南無妙法蓮華経といわれ、天台大師は稽首南無妙法蓮華経といわれたのもこのことによるのです。
名字の言 トウモロコシ畑でつくった「宝の思い出」 2022年8月11日
「すごく甘くておいしい!」「まるで果汁たっぷりの果物みたい!」。千葉県のトウモロコシ畑に子どもたちの輝く笑顔と歓声が広がった▼「もぎたては生で食べられるよ。さあ、皮をむいて食べてみよう」。農園主の提案で、生のトウモロコシに初めてかぶりつく子どもたち。あっという間に2本、平らげた子も。東京創価小学校のサマーセミナーでの収穫体験の一こま▼子どもたちに良い思い出をつくってあげたい——農園側は万全な態勢で迎えた。トウモロコシが一番おいしい状態で収穫できるよう調整したり、子どもたちが喜ぶ顔を思い浮かべながらお土産を用意したり……。相手を思う心は必ず伝わり、心の宝となる▼ある子どもは言った。「真心をいっぱい頂きました。私はトウモロコシが苦手でした。でも、畑で収穫して生で食べたら、甘くておいしくて好きになりました」。農場主は「農業の魅力は、手間をかけた分だけ自分に返ってくること。半面、中途半端は許されない厳しい仕事です。きょうはトウモロコシのおいしさを通して、このことを伝えることができました」と▼この夏、子どもも大人も宝の思い出をたくさんつくろう。黄金色の実がぎっしり詰まっているトウモロコシのように。
寸鉄 2022年8月11日
「仏道に入る根本は信」御書。唱題根本に、湧き立つ生命力で今日も前進(新532・全940)
創大通教生が夏期スクーリング。学びの人生には尽きせぬ希望が!尊き学友と挑戦
人と語るとは人格を懸けて戦うこと—戸田先生。真剣に語れば信頼が残る
山の日。低い山でも遭難事故多し。登山は十分な装備と余裕のある計画で
子の転落事故が多い時期と。窓付近やベランダ等で足場になるものは撤去
〈社説〉 2022・8・11 十分な体調管理で夏バテ予防を
◇充実の日々で健康を守ろう
列島各地、とりわけ関東甲信から沖縄にかけては記録的な猛暑が続いている。
気象庁からも、毎日のように「熱中症警戒アラート」が発令されているが、それを自分の行動への警鐘と捉えることが大切だ。やむを得ず外出する時は、携帯扇風機や首に巻く保冷剤などで体温を下げる、必ず適度な水分・塩分を取る、など十分注意していきたい。
消防庁の「熱中症予防のポイント」によると、部屋の温度をチェックし、室温が28度を超えないようにエアコンや扇風機を上手に使っていく。部屋に温度計を置くことを勧めている。喉が渇く前に、こまめに水分補給する。特に子どもは体温調節機能が未熟なため、遊んでいる際の休憩や様子を観察することを保護者へ促している。また、高齢者は体温を下げるための体の反応が弱くなっていることから、自覚がないまま熱中症になるケースがある。調子が悪いと感じたら、家族や近くの人に側にいてもらうようにするとよい。
一方、豪雨にも警戒が必要だ。各地で土砂崩れや浸水被害が相次いでいる。気象庁は、大雨をもたらす線状降水帯の予測情報を発表しているが、大雨などに関する情報には細心の注意を払いたい。
夏休み中の子どもたちは、帰省や行楽などから夜更かし、食べ過ぎ、冷たい飲み物の飲み過ぎといった、普段の生活とは異なった状況となることも多い。気付かないうちに生活が乱れ、「体がだるい」「食欲がない」など疲れがたまり、体調不良になる時季でもある。
賢明な食生活が、夏バテ予防には欠かせない。本紙掲載の「暮らしのアンテナ」によると、夏はビタミンやミネラルなどの栄養素が不足しがちになる。特にビタミンB1を多く含む、大豆や玄米、麦、豚肉、レバーなどを意識して摂取するとよい。さらに、ニンニクやニラ、ネギなどはビタミンB1の利用効率を高めるため、食事に上手に取り入れることで疲労回復につながると紹介されている。
池田先生は、「夏の健康管理」をテーマとした語らいの中で、「名パイロットのごとく、自分で自分の体調をうまく操縦しながら、"毎日が快調"の生活を送っていきたい」と述べている。
節度ある食生活や良質な睡眠など体調管理を心掛け、朝晩の勤行・唱題を根本として、価値的で充実した一日一日を送りたい。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第16回 可能性は無限
◇阿仏房御書
『末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。もししからば、貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。』(新1732・全1304)
◇勇気の指標
誰もが宝塔の輝きを持っている。全ての人が本来、尊極の存在なのだと心の底から実感する。「誰もが等しく尊い存在」——この大いなる真実に気づくことこそが法華経の真髄です。
◆◇◆
「すがた」とはありのままの現実のことです。男女を問わず、現実の人間以外に宝塔はないのです。何か特別な存在になるのではない。(中略)有名だとか、地位があるとか、お金持ちであるとか、そうしたことは一切関係ない、ということです。皆が、一人の人間として平等に尊い存在であることを教えている仏法こそ、人間尊敬の究極の思想なのです。
◆◇◆
唱題に徹する人は、一番、幸せになれるのです。しかも、その姿は、多くの人に希望と勇気を送っていく——最も苦しんでいた人が、最も幸福になるだけでなく、他の人をも幸せにしていく勇者になるのです。
◆◇◆
大事なことは、自分を信じ切ることです。
自分が強く賢くなることです。
自分自身を大切にすることです。
一度決めた信念の行動を貫き、悔いを残さないことです。それが真実の師弟の道です。
さあ、朗らかに希望と勇気の大道を歩み抜いていこう!
人間尊敬、生命尊厳の妙法の宝剣を掲げていこう!
地球の平和と安穏のために! 人類の新たな夜明けを開くために!
◇自身の宝塔を輝かせ 山口華 女子未来部長
先日、うれしいことに、池田先生の未来部の皆さんへ向けた御書講義を収めた『未来の希望「正義の走者」に贈る』が発刊されました。
今回はこの中から、皆が無限の可能性を持った尊い存在であることを教えられた「阿仏房御書」を研さんします。信心を根本に、勉学や部活などに自分らしくチャレンジし、成長の節を刻んでいきましょう!
◇卑下する必要などない
私たちが朝晩の勤行で読誦している「法華経」。
法華経には、釈尊が大勢の弟子たちを前に法を説いていた時、突然、光り輝く宝で飾られた巨大な塔が大地から現れたと説かれています。
"この宝塔には、どのような意義があるのでしょうか"——阿仏房の質問に、日蓮大聖人が答えられたのが、今回学ぶ「阿仏房御書」の御文です。池田先生は、この一節を講義されて、次のように教えてくださっています。
「他の誰でもない自分に、宝塔すなわち尊い仏の宇宙大の生命がもともと具わっていると覚ることです。これこそが宝塔涌出の本義なのです」
「宝塔は、南無妙法蓮華経です。この題目を真剣に唱える人は、自身の宝塔の生命を最大に輝かせていくことができるのです。自分が置かれている境遇を嘆いたり、周りと比べて自分を卑下したりする必要など一切ありません。むしろ、困難な状況にあれば、より一層、真剣に題目を唱えることができます」
◇"どう生きるか"が大事
夏は、受験生の皆さんにとっては"天王山"です。
私自身も中学の時、関西創価高校を受験しました。しかし結果は不合格。本当に進学したかっただけに、人生で初めて挫折を経験しました。"燃え尽きて"しまったのです。地元の高校に進みましたが、志望校へ進んだ中学時代の友達は、キラキラ輝いているようで、"それに比べて私は……"と、自分を卑下していました。
"思っていた高校生活と違うな"——やり場のない思いを抱いていた時、手に取った『青春対話2』の先生の言葉が目に留まりました。
「出た学校によって、自分の一生が、すべて決まるわけではない。むしろ、自分が『どのように生きるか』という強さ、深さが大事です。その強さ、深さの分だけ、満足と充実の人生を生きていけるものです」
「『出身校で決まる』のではない。『自分という人間』で決まる」
そうだ。いつまでもウジウジしていちゃいけない。"今""ここ"で頑張って、次こそは創価大学へ!——そう決意することができました。
未来部担当の女子部(当時)のお姉さんが何度も訪ねてくれ、私の話にじっくり耳を傾けて励まし続けてくれたことも、大きな支えになりました。お題目にも挑戦し、勉強に打ち込んだ結果、創価大学に合格することができました。
合格できたことも本当にうれしかったのですが、この経験を通して、何があろうと、投げ出さずに挑戦し続けること、それ自体が、自分の可能性を開いていく"創価の生き方"なんだと教えていただきました。
◇自分で自分を諦めない
周囲と比べて"私なんてだめだ"と思うような時があるかもしれません。コロナ禍で、目指してきた部活の大会が中止になるなど、つらい思いをされているメンバーもいると思います。
私も受験に失敗して落ち込みました。でも池田先生や学会家族の励ましを糧に、前を向くことができました。どんな状況になっても、自分で自分を諦めない。そのための信心なんだと強く思います。
また、この阿仏房御書に照らすなら、"自分が宝塔"であると同時に、"友人も宝塔"です。かけがえのない青春時代、大切な友人たちとの絆を大切に育んでいきたいと思います。
池田先生は、万感のエールを送ってくださっています。
「皆さんには、まさに自分にしか果たせない偉大な使命があります。その使命に向かって粘り強く努力を重ね、自身の特性を最大に発揮しながら、全員が偉大な宝塔として光を放つ存在になってほしいのです」
師匠の総仕上げの時に、生まれてきた使命深き皆さんです。何事にも、自分らしく、のびのびと挑戦し、青春の思い出をつづっていきましょう!
◇メモ
「阿仏房御書」は、佐渡の門下である阿仏房が、法華経の宝塔涌現の意義を質問したことに対する御返事である。
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