2022年7月28日木曜日

2022.07.28 わが友に贈る

幸・不幸を決めるのは
周囲の状況ではない。
わが境涯であり一念だ。
艱難を断固と越えゆく
「絶対的幸福」の人生を!

法華経題目抄 P943
『妙と申す事は開と云う事なり』

【通解】
妙ということは「開」ということである。

名字の言 原爆で亡くなられた方々への「本当の供養」 2022年7月28日
この時期、広島市内の掲示板などに名簿が貼り出される。「遺族を捜しています」——。原爆で亡くなられた方々のうち、遺骨の引き取り手が見つかっていない814人の名前が記されている▼遺族が見つかるまで、遺骨は平和記念公園内の原爆供養塔に安置されている。名前も分からない遺骨を含めると約7万体。その事実に、核兵器の残虐性を感じずにはいられない▼先日、学会の「ヒロシマ『い×ま×こ=そ』フェスタ」が開催された。「い(祈る)」「ま(学ぶ)」「こ(行動する)」ことが「そ(創価哲学の体現者)」につながるとの趣旨で、青年・未来部員が平和記念公園を訪れた▼彼らが向かったのが原爆供養塔。ガイドを務める女性は「7万人の中に、それぞれの生活、家族、未来があった。原爆の悲劇は単純な数だけでは分かりません」と力を込めた。ある未来部員は「供養塔の意味や思いを初めて知った。今回学んだことを忘れず、周囲に語っていきたい」と感想を述べた▼特攻隊員だった作家・神坂次郎氏は「本当の供養は『忘れないこと』だと思う」と。被爆者のために"不忘の誓い"を新たにすること。その青年たちの"意志"によって、核兵器に命を奪われた方々の"遺志"は受け継がれる。

寸鉄 2022年7月28日
仏法を耳にする人は「これを種として必ず仏に」御書。青年よ堂々と語れ(新697・全552)
苦難に真正面からぶつかり祈り抜くのだ—恩師。宿命転換の劇を勇敢に!
人は溌剌たる者に好意を寄せる—文豪ゲーテ。近隣への友好も爽やかな挨拶から
消毒やマスクは「サル痘」予防にも有効—専門家。感染対策を引き続き励行
公明の若者政策の実現力は群を抜いている—識者 声を形に。更に尽力せよ

〈社説〉 2022・7・28 海や山の事故に注意
◇油断大敵! 安全第一で夏を楽しく
いよいよ夏休みが本格的にスタート。コロナ禍で迎える3度目の夏になるが、家族で各地に出掛ける場合もしっかりと感染対策を行っていきたい。
楽しく、開放的な気持ちになる季節である。それだけに、例年多発する海・川や山での事故に特に注意を払い、「無事故」の意識を強く持つことが大切だろう。
水難事故は毎年、海水浴や川遊びのシーズンの7月から8月に集中している。警察庁の報告によると、昨年のこの時期の水難事故の発生件数は451件、水難者は565人で、死者・行方不明者は212人に上った。事故発生場所は海が約52%、川が約36%という。
なお、水難者のうち、中学生以下の子どもは110人で、死者・行方不明者は16人であった。また、子どもたちが流されたサンダルやモノを追い掛けて溺れてしまう水難事故も毎年起きている。なんとも痛ましい限りだ。
こうした中、NPO法人「AQUAkids safety project」が、水辺の事故から命を守るために「サンダルバイバイおやこ条約証書」を公開している。これは、子どもたちはサンダルを無くしたら怒られてしまうと思わず、流されたものとはバイバイすることを約束し、大人は流されて無くしても怒らないことを約束するものである。水難事故を防ぐ具体的な取り組みとして注目されているという。
一方、山岳事故は昨年の同時期で533件、遭難者は597人で、死者・行方不明者は46人。遭難者は50歳代・60歳代がそれぞれ123人で最も多かった。山岳遭難の多くは、天候に関する不適切な判断や、不十分な装備、さらには、体力的に無理な計画を立てるなど、知識・経験・体力等の不足が原因で発生しているという。
楽しい黄金の時間を、決して暗転させてはならない。
池田先生は「さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし」(新1590・全1169)との御文を通し、次のように呼び掛けている。「油断大敵である。前進の勢いが増している時ほど、絶対に事故を起こしてはならない。無事故を祈り抜き、細心の注意を払い抜いていくことだ」
"事故に遭わない、起こさない"との強き祈りと、安全を意識した具体的な行動で、飛躍の下半期へ、英気を養う有意義な夏を!

☆御書と未来へ 第29回 報恩の心が成長の力
〈御文〉
『仏は法華経をさとらせ給いて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備え給えり。この仏の御功徳をば、法華経を信ずる人にゆずり給う。』〈法蓮抄、新1420・全1046〉

〈通解〉
仏は法華経を覚られて、さまざまに出生する一切の父母への孝養の功徳を身に備えられている。この仏の御功徳を、法華経を信じる人に譲られるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
恩を知り、恩に報いる人生は、尊く強い。妙法は、父母をはじめ一切衆生を永遠の幸福へ導き、真の報恩を果たせる哲理である。この最極の孝養の功徳を譲り受けた人こそ、未来部の宝友だ。
ゆえに、今は伸び伸びと学び鍛えゆけ! 皆さんが成長した分、明日の地球は明るく栄える。健康・無事故で、楽しく充実の夏を!

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:生死と向き合う
◇御文
『我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』(開目抄、新117・全234)

◇通解
(難にあっても疑う心がなければ成仏すると)私の弟子に朝夕、教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。
拙い者の習性として、約束したことを、いざという時には忘れてしまうものである。

◇「今」を広布に尽くす
亡き夫と命を通わせる祈り
2014年(平成26年)7月7日、吉崎いずみさん(59)=東京・渋谷総区女性部書記長=の夫・伸一さんは、闘病の末に霊山へ旅立った。「あれから8年。今なお寂しさはあります。それでも、私は前を向いています」。配偶者との死別という悲哀。吉崎さんはどう向き合ってきたのだろうか。
      ◇
東京都内の大手出版社で働いていた伸一さんが、ステージ4の下咽頭がんと診断されたのは、13年の桜が咲く頃だった。地区部長を務めていた時だ。
すぐに夫妻で信心の先輩のもとへ。「確信を込めて祈ること」との激励に二人は奮起し、"信心で乗り越えてみせる!"と一念を定めたという。
「不安がなかったと言えばうそになります。けれど、祈れば祈るほど"負けるものか"という気持ちが強くなりました。夫も『大丈夫。頑張るよ』って」
伸一さんは入院し、抗がん剤と放射線での治療に臨んだ。
当時、小学5年生だった長女・真奈美さん(19)=華陽リーダー=と吉崎さんは、毎朝、病床の夫と時間を合わせて一緒に祈った。
その後、伸一さんは、つらい副作用を耐え抜き、11月の検査では腫瘍が消えていた。家族で喜び合った。しかし、14年4月、病院の精密検査で、がんの再発が判明する。
「もう治療の手だてはないと言われて……。ぼうぜんとしました」
5月初旬、伸一さんは都内の緩和ケア病棟へ移ったが、がんは脳に転移。徐々に衰弱していく中、夫は一日一日、懸命に命の灯をともし続けた。
やがて、吉崎さんたち家族は医師に促され、7月5日から伸一さんの病室に泊まった。7日の早朝、ふいに真奈美さんが「今、勤行しよう」と言った。
静かに眠る夫の横で、家族皆で題目を唱え始めた。
しばらくして、伸一さんの寝息が聞こえなくなった。51歳。家族の祈りに包まれながらの、安らかな旅立ちだった。
葬儀から四十九日までは忙しなかったが、日常に戻ると、吉崎さんは底知れない寂寥感に襲われたという。
"あの時、もっとやれることはあったのでは"——生前の夫を思い出しては、何度も自責の念にかられたそうだ。
「地域の同志が温かく励ましてくれました。でも、ふとした瞬間に涙があふれ、心が感傷に流されてしまうんです」
この時に拝したのが、「開目抄」の「我ならびに我が弟子」(新117・全234)から始まる一節だった。
日蓮大聖人は、難に遭っても疑う心がなければ成仏すると述べられた上で、「つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし」(同)と示されている。
吉崎さんは、「心のどこかで"私の祈りが足りなかったからだ"という思いが、実はあって」と明かす。
「自らの祈りに確信を持てない迷いの命を、乗り越えなければならない。私にとっての『まことの時』は『今』だ、自分の弱さに引っ張られてはだめだと、そう御聖訓を拝しました」
吉崎さんは御本尊の前に座り直し、学会活動のど真ん中に身を置いた。その中で、ある確信を深めていったという。
「病魔に立ち向かい、最期まで信心を貫いた夫は、間違いなく大勝利の人生だったと、心から思えるようになったんです。祈ったからこそ勝てたんだ、と。その証しとして、遺された私たち母娘が誰よりも幸せになろうって、心が定まりました」
夫は病気に負けたわけではない。病魔に挑み抜いた強い人だった。そう吉崎さんは、夫の死の意味を見いだしたのだ。
「夫のことを思って涙は流しても、感傷に浸ることは、もうなくなりました。後ろを振り返るのではなく、心の中にいる夫と共に『今』を広布に尽くし、福運あふれる人生を開いていく。それが、私の使命ですから。私にとっての『まことの時』は、常に『今この瞬間』なんです」
「そうは言っても」と吉崎さん。「本当の意味で前を向くまでに、3年はかかりました」
今でも、伸一さんが最期を迎えたこの時期が巡り来ると、胸が詰まることがあるという。
「大切な家族を失った悲しみは消えません。けれど、私たち家族はその中で前に進んでいます。そういう私たちだからこそ励ませる人が、きっといるはずだと思うんです」
吉崎さんが大切にしている御聖訓がもう一つある。大聖人が、亡夫の追善に励む妙心尼御前に送られた一節だ。
——故人を思って南無妙法蓮華経と唱題すれば、「妙」の文字が使いとなって娑婆世界のことを告げ、故人の心を慰め、心を通わせていけるのです。(新1972・全1484、趣意)
この御文を拝しながら、吉崎さんは語る。
「この信心は、故人とも生命を通わせることができると教えられています。私も娘もその確信で、毎日、御本尊に祈りながら、何でも夫に報告しているんです。だからずっと一緒です」
池田先生はつづっている。
「広宣流布に生き抜いてきた人は、地涌の菩薩です。仏の眷属です。
生命は永遠であり、妙法の原理のうえから、その地涌の菩薩が、仏の眷属が、救われないわけがないではありませんか!
後に残ったご家族も、必ず守られます。
信心を貫いていくならば、広布のために献身されたご主人の、福運、功徳をも身に受け、誰よりも幸福になれることは、絶対に間違いないと、私は宣言しておきます」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
吉崎さんは女性部のリーダーとして、広布の最前線で同志に寄り添う。真奈美さんは創価女子短期大学で勉学に励み、夢を追う。
そんな二人のことを、伸一さんは今日も、そばで見守っているに違いない。母娘の朗らかな笑顔に、そう確信せずにはいられなかった。

◇[教学コンパス]
「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)」——昨今のコロナ禍で改めて注目されている概念だ。19世紀、イギリスの詩人キーツが、「ポジティブ・ケイパビリティ」に対する造語として使った言葉で、その意味を、作家・精神科医の帚木蓬生氏は「答えの出ない事態に耐える能力」のことだとする。
複雑化する現代社会には、感染症に限らず、単純な答えを見いだしにくい問題は数多い。同様に、私たちの人生においても、思わず"なぜ私が"と嘆いてしまうような「割り切れない現実」に直面することは多々ある。
仏法では、菩薩が人を救うため、あえて宿業を背負い、願って悪世に生まれてくる「願兼於業」の法理を説く。自身の不条理な苦しみを「業」と捉えるだけでは前を向けない。しかし、「それを信心で乗り越えようと、あえて自ら誓願した」と深い次元で捉え、確信する時、宿命は大いなる使命に変わる。
「一念」を転換した人の強さ。本企画の取材に当たった記者が迫ろうとしているのは、まさにそこだ。