健康は一切の基盤。
睡眠・食事・運動等
生活リズムを整え
心身の休息も賢明に!
快活な毎日を送ろう!
諸法実相抄 P1360
『ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』
【通解】
ともかく法華経の行者となって、名をたて身命を賭していきなさい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩が虚空にあって、釈迦・多宝の二仏がうなずき合い、定められたのは別のことではない。ただ、ひとえに末法における令法久住のためである。
名字の言 「日本を今一度せんたくいたし申候」 2022年7月14日
動乱の幕末を駆けた坂本龍馬。その桁外れの発想や闊達な行動力などの人間性は、現存する手紙からも想像できる。姉の乙女に宛てた私信にある「日本を今一度せんたくいたし申候」との有名な文も、その一つであろう▼"一国を丸ごと、きれいに洗ってしまおう"とは夢のような話だ。だが、龍馬の言葉となれば単なる夢物語ではなく、身命を賭してでも実現する覚悟を行間に見る思いがする。こうした"本気の夢"の大きさは、それを描く"人間の心"の大きさを表している▼かつて、池田先生は創価学園生から質問された。「先生の夢は何ですか?」。先生は「戸田先生の夢を実現することです」と答えた。後に先生は、この出来事を述懐しつつ、恩師である戸田先生の夢はどれも大きかったこと、そして、その全てをかなえたことをつづった▼さらに、今、夢の実現に挑戦する未来部の友にエールを送り続ける理由をこう述べた。「みなさんの勝利もまた、私の夢だからです」と▼他者の幸福に尽くした分、自身の境涯は広がっていく。今月16日に未来部躍進月間が始まる(8月31日まで)。心に大きな夢を描き、努力を重ねる後継の友を最大限に励ましたい。共々に一歩前進の成長を刻む夏とするために。
寸鉄 2022年7月14日
人生の価値高める創価の哲学は社会発展に寄与—韓国教授。共生の道、皆で
「岩手の日」50周年。団結で築いた希望の人材城。開拓魂で新たな勝利史を
石川女性部の日。愛する郷土に友情の花は爛漫。誓いの連帯固く対話拡大
私の最大の楽しみは若い人を育てる事—戸田先生 後継の友を地域で大応援
猛暑の車内、携帯や電池の放置に注意。発熱・発火の危険も。油断せず確認
〈社説〉 2022・7・14 友と心結ぶ「暑中見舞い」
◇思いを文字に託して届けよう
7月も半ばとなり、"いよいよ夏本番"と書きたいところだが、今年は梅雨明けが早かったうえ、既に一夏過ごしたくらいの酷暑が続いている。東京でも、6月25日から今月3日まで、実に9日間連続で猛暑日を経験した。
こうなってくると、真夏のあいさつ状の「暑中見舞い」も出遅れ感がないか気になってしまうが、相手の健康を気遣う気持ちには、季節外れなどあるまい。最近は、はがきに限らず、メールやSNS(交流サイト)を使うなど、その方法も多様化している。手にした便りから相手の気持ちを察して、"一服の涼"も感じられよう。
一般的に、暑中見舞いの時期は、二十四節気でいう小暑(7月7日ごろ)から立秋(8月7日ごろ)前までとされている。立秋を過ぎると「残暑見舞い」とすることが通例となっている。
本紙10日付では、「らくらくすてきに暑中見舞い」として、筆ペンで書く文字を使ったおしゃれなはがきの書き方を紹介していた。
書き方を説明している書道家の杉本健爾さんは、字に自信がない人には上手に書こうという気負いを捨て、遊び心を発揮して楽しみながら書くことを勧めている。また、薄墨の筆ペンで、贈りたい思いをそのまま大きく一文字書くことで、美しいはがきにできるとも。
水色の蛍光ペンで涼を演出するなど、工夫をこらしてみてもいい。そこに書かれた一文字一文字に心を込めて送りたいものだ。
日蓮大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(新762・全153)と、仏が文字に思いを込め、衆生を救っていくことを説かれている。もちろん次元は違うが、私たちも、友の幸福を願う心情を文字に託していきたい。真心を込めた便りであれば、心と心を結ぶ使者となろう。
池田先生は未来部の友に、友だちをつくる「秘訣」として「『自分から声をかける』ことです。"人類の教師"といわれ、仏教を説いた『釈尊』も、仏のふるまいとして、自分の方から先に話しかける人でした」と、自分から積極的に声を届けていく大切さをつづった。
"自分発"で友好を深める行動として、「暑中見舞い」などの季節のあいさつで、会う機会の少ない友や、日頃お世話になっている人へも思いを文字に託して届けてみてはどうだろうか。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:仏法の時代観 2022年7月3日
連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためにキーワードとなる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回のテーマは「仏法の時代観」。混迷の時代に創価の思想を語り広げる使命を考察します。
◇池田先生の指導から
私たちの住む地球は、グローバル化の一面、悲惨と不幸が拡大し、世界中が濁劫(時代の濁り)悪世の様相を見せております。人間に対する根本的な不信が増長している現代は、いわば世界規模で「末法」の実態が広がっているともいえる。
だからこそ、心ある人々は、いかなる困難に遭遇しても、蘇生と前進を促す希望の宗教を、そして、人間の内なる可能性を開く哲学を待望しているのです。〈釈尊——法華経——日蓮大聖人——創価学会〉という地涌の人間主義の系譜を持つ仏教を世界が希求しています。
学会員が地涌の本領を発揮する時代を迎えました。末法の「長き闇を照す」人間群が誕生することを、多くの人々が祝福して求めています。(中略)
「太陽の仏法」を持った私たちは、いやまして「人間革命の光」を社会へ、世界へ、未来へ放ちゆくことを決意し合って、師弟共戦の新たな広布の旅を力強く出発しようではありませんか。(『世界広布新時代の指針』)
◇Q1:釈尊滅後、徐々に仏法の力が衰える——末法思想について教えてください。
仏法では、釈尊入滅から正法・像法と時代を下るほど仏法の力が衰微していき、末法に至るという「三時」を説きます。大集経では、時代の推移を500年ごとに区切って論じています。末法は、その五番目の時代に当たる、闘諍言訟・白法隠没(仏教の争いが絶えず、正しい教えが見失われる時代)とされます。
日本で「末法到来」と考えられていたのは、永承7年(1052年)です。その後、平安後期に、貴族の世から武士の世へと、転換期を迎えていきます。
既存の価値観が揺らぎ、飢饉や疫病、戦乱や自然災害が頻発していた混迷の時代。当時を生きた鴨長明の「方丈記」には、「変はりゆくかたちありさま、目もあてられぬこと多かり」と、騒然とした状況が記されています。
こうした中、仏教の末法思想が一種の"終末観"として人々の心を捉え、社会全体に不安や絶望感がまん延していきました。法然が説いた念仏信仰が現実逃避の厭世主義として流行したのも、この頃です。思想界も「雑乱」していたのです。
とりわけ、日蓮大聖人が教えを説かれた鎌倉時代は、仏教諸宗派が入り乱れ、正しい教えが見失われて、争いや災禍が絶えず、苦悩にあえぐ民衆の姿は酸鼻を極めていました。
御聖訓には「今、末法に入って二百二十余年、五濁強盛にして三災しきりに起こり」(新1396・全1030)と仰せです。人々は今まさに末法という五濁悪世を生きている——大聖人はその感を強くされていたことでしょう。
しかし大聖人は、決して現実を悲観するだけではありませんでした。
◇Q2:日蓮大聖人は当時の状況を、どのように捉えていたのでしょうか。
日蓮大聖人は「顕仏未来記」で、末法という時に生まれた御心情を、「一たびは歎いて云わく」(新606・全505)と述べられています。ところが、続く御文では一転して、「喜んで云わく、いかなる幸いあって、後の五百歳に生まれてこの真文を拝見することぞや」(同)と仰せになり、悪世末法に生まれ合わせたことを最大に喜ばれています。
それはなぜか。
法華経薬王品第23には「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無かれ」(法華経601ページ、趣意)とあります。
大聖人はこの一節を踏まえ、法滅の危機を迎える「第五の五百歳」の悪世末法こそ、世界広宣流布の時であり、妙法を弘め、一切衆生を幸福にすべきことを仏は命じていると、深く確信されていたのです。ゆえに、「法華経の大白法が、日本だけでなく全世界に広宣流布することは疑いない」(新173・全265、通解)と断言されています。
正法が失われ、災禍が続く"嘆き"の時代から、真実の大法が開花し、世界広宣流布が実現しゆく"喜び"の時代へ——大聖人は、「苦悩の民衆を真に救済する法は何か」という視座から末法を深く捉え返し、時代の意味を大きく転換されました。
そこには、民衆自身の中に、悪世の苦難にも屈せず、困難に打ち勝つことができる無限の力があるという、尊極の生命を直視する慈愛の"まなざし"もあったに違いありません。
◇Q3:現実を嘆くのではなく、現実を変革する仏法なのですね。
「夫れ、仏法を学せん法は、必ずまず時をならうべし」(新160・全256)、「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし」(新478・全439)——日蓮大聖人は御書の中で、繰り返し「時を知る」ことの重要性を強調されています。
今が、いかなる時か。今、どのような戦いを起こすべきか。
時を知り、時に応じて立ち上がり、自らの戦いで新たな時代を切り開いていく。これこそ、末法における広布の使命に立ち上がられた御本仏の誇りです。
御聖訓には、「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙ってこの土に生まれけるこそ時の不祥なれ」(新600・全501)と、悪世末法に仏の命を受けて生まれたことは、まさに時の不運であると仰せです。
これは決して、現実を悲観されているわけではありません。むしろ、悪世の試練を覚悟の上で、御自身の妙法弘通の使命を宣言されるとともに、弟子たちに共戦の決意を促されていると拝すことができるでしょう。
この生き方に連なることで、私たち自身の境涯も大きく広がることは間違いありません。
新型コロナウイルスの世界的な流行や、不安定な国際情勢。気候変動やエネルギー問題など、山積する地球的問題群の数々。
先が見通せない危機の時代ともいわれる現代にあって、希望の哲理を語り広げ、時代の閉塞感を打ち破るのは、大聖人直結で進む私たちの使命です。
立正安国の誓いに燃える一人一人の対話によって、民衆が真に輝く未来は創られるのです。