◇今週のことば
「朝々仏とともに起き
夕々仏とともに臥す」
妙法のリズムに則り
健康第一の前進を!
価値創造の開拓を!
(新1027・全737)
2022年7月24日
四条金吾殿御返事 P1186
『敵と申す者はわすれさせてねらふものなり、是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ』
【通解】
敵というものは、その存在を忘れさせて狙うものである。今後もし旅に出られる際は、馬を惜しんではなりません。よい馬にお乗りなさい。
名字の言 野球部の主将に選ばれた男子高等部員 2022年7月24日
ある男子高等部員が、学校で野球部の次期主将に選ばれた。彼は"自分にはリーダーの資質などないのに……"と困惑した。主将に相談すると、「部内の最上級生たちで協議し、皆で決めた」と言われた▼主将は、選んだ理由も話してくれた。毎回の練習後、皆が帰った部室で、彼が自分のグラブとスパイクの手入れをしている姿を、何度も目にしたという。「"野球への向き合い方"を見て、君になら任せられると思った」とのこと。彼は決意を固め、新しい主将に就いた。その後、彼を中心にチームはまとまり、実力も備えた屈指の強豪校へと躍進した▼どの分野であれ、偉業は「まず、人ありき」である。中心となる、また先頭に立つ人の"信念に生きる姿勢"。目標を達成するための努力と真剣な行動。そこから信頼、団結、勝利の力は育まれていくに違いない▼池田先生は語っている。「諸天の加護といっても、自身の人間としての生き方と無縁のところで"タナからボタモチ"のように働くものではない。(中略)自身の人間革命と連動して、初めて環境は変わっていく」▼中心軸がぶれてしまえば、力強い回転は生まれない。地涌の生命をわが一念に脈動させることで、環境は変革できる。組織も人も。
寸鉄 2022年7月24日
真実の言葉は不滅で最上—仏典。正義は語り抜いてこそ。青年よ力の限り
功徳の宝庫を開けるのは「信」以外ない—戸田先生 逆境の時こそ強き祈りで
志を守り譲らぬ者が世を創るのだ—文豪ゲーテ。一人の人間革命から偉大な変革
旅行や帰省時の感染予防—車や部屋の窓開けての換気が有効。基本を厳守
子の努力知り言葉掛ける事がやる気を引き出す—医師。親子で成長の夏に
☆勝ちゆく君へ 第30回 仏法は勝負 正義は勝つ
◇対話の力で時代を変えゆけ
わが学生部は、誉れの結成65周年。先駆の対話で拡大する俊英を頼もしく見つめています。
若き日、あらゆる思想を学び抜かれた日蓮大聖人は、民衆の幸福と安穏のため、「立正安国論」を著し、諫暁されました。
「ただひとえに、国のため、法のため、人のためにして、身のためにこれを申さず」(新49・全35)と。
真の知性とは、行動の人です。
正義の若人は黙してはならない。苦悩や不安が渦巻く時代だからこそ、仏の仕事を為す「声の力」で、人間革命のスクラムを広げ、未来を開こう!
戸田先生の言葉を贈ります。
「確信ある青年の声の響きこそが、新たな革命の力である」
◇たゆまぬ挑戦・開拓を
御聖訓に「仏法と申すは勝負をさきとし」(新1585・全1165)と仰せです。
人生で、社会で、勝つために、仏法はあります。誰もが、自身の行き詰まりとの戦いです。強盛に祈り、眼前の戦いに一歩踏み出すのです。
前に進めば、分厚い壁が立ちはだかります。その時に、祈りを深め、負けじ魂で、再び挑戦するのです。勇気ある信心で、必ず道は開かれます。
「竹の節を一つ破りぬれば、余の節また破るるがごとし」(新1420・全1046)
一つ一つ課題を突破し、一人一人を大切に、わが広布の新記録を飾っていただきたい。
いざ師弟の7月へ、青年凱歌の暁鐘を打ち鳴らしゆけ!
☆質問BOX 恥ずかしくて、親に感謝を伝えられません。
◇答え
普段から接している親や家族だからこそ、感謝の気持ちを伝えるのは、"照れくさい"と思うかもしれません。
"ありがとう"と、言葉にして伝えることができなくても、"感謝の伝え方"はさまざまあります。例えば、日蓮大聖人は、「親に良い物を贈ろうと思っても、何もできない時は、せめて日に二度、三度、笑顔を見せてあげなさい」(新1850・全1527、通解)と仰せです。
"親に笑顔を向けるのも恥ずかしい"という人もいるかと思います。池田先生は「何か特別なことをするのが親孝行とは限らない」とつづっています。
行動に移すことが難しいと感じたならば、親に対する感謝の心で題目を唱えていくことから始めましょう。思いを込めた祈りは、普段の何気ない一つ一つの行動に現れていくからです。
☆随筆 人間世紀の光106『「勤行」は勝利の源泉』 2006.2.10
◇元初の太陽よ わが胸中に昇れ!
昭和三十五年七月、私は、男子部の精鋭グループ「水滸会」とともに、太平洋を望む千葉県・銚子の犬吠埼を訪れていた。いまだに忘れ得ぬ、懐かしい天地である。
あの水平線の彼方に、赫々として昇りゆく太陽を思い描く時、私の胸は常に躍る。
その日、恩師・戸田先生は、私たちの前に姿を見せることはなかった。
先生は、生涯の願業を成就され、二年前に、五十八歳で逝去されたのだ。
しかし、弟子である私の胸中には、生き生きと、恩師の指揮とる姿、弟子を励ます力強い声が、いつも、またいつも、「師弟不二」の実像として輝いていた。
先生がいらっしゃらない「水滸会」は、本当に寂しかった。
けれども私は、広宣流布の「真の後継者の道」、創価の「真の師弟の道」をば、決然と、また正々堂々と歩みゆく「水滸会」の成長を祈り念じ、その訓練を、絶対に忘れたことはなかった。
この中から、ありとあらゆる分野で広宣流布のために指揮をとり、厳然と活躍しゆく「人材」が立ち上がり、誇り高く、また力強く生き抜いていくと確信していたからだ。
ここに、学会の「希望」があった。
ここに、同志の「希望」があった。
ここに、未来の勝利の「希望」があった。
わが"旭日の千葉"の有志が、太平洋に昇る「初日の出」の写真を送ってくださった。私たち夫妻は、いつも嬉しく拝見している。
◇日の出を見よ
それは同時に、"汝自身の胸に旭日を昇らせよ"——という呼びかけの如く、私は感じとっていた。
日蓮大聖人は、妙法を唱える偉大さを"日の出"に譬えられ、「太陽が東の空に現れれば、世界の空はみな明るい。大光を具えておられるからである」(御書八八三ページ、通解)と仰せだ。
仏道修行の根幹として、私たちが実践している勤行は、いわば、「仏の生命」という元初の太陽を、日々、わが心の大空に赫々と昇らせゆく儀式なのである。
御義口伝には、「朝朝ちょうちょう・仏と共に起き夕夕せきせき仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」という、深遠なる金言が引かれている。
朝な夕な御本尊に向かい、朗々と勤行していく我らは、常に「仏と共に」生きていると、仏法は説くのだ。
そして、瞬間また瞬間、久遠の仏の大生命力が目覚め、厳然と顕れていくのである。
(中略)
ともかく、大事なことは、「勤行しよう」「題目をあげよう」「祈っていこう」という「心」であり、「挑戦」であり、「持続」である。