2022年7月10日日曜日

2022.07.10 わが友に贈る

"仏の如く互に敬うべし"
皆が使命ある人材だ。
宝の一人一人と共に
金剛不壊の団結で
幸福勝利を開きゆこう!
(新1989・全1383)

諸経と法華経と難易の事 P992
『仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり、幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり』

【通解】
仏法がこのように次第次第に顛倒したので、世間もまた濁り乱れてしまった。仏法は本体であり世間法はその影のようなものである。体が曲がれば影は斜めになる。幸に我が一門は仏の御本意に随って自然に涅槃の海に入ることができるが、世間の学者達は随他意の経を信じて苦海に沈むことになる。

名字の言 難病を患った妻に夫が告げた言葉 2022年7月10日
ある壮年から聞いた話。4年前、妻が進行性の難病を患った。体中の機能が弱まり、車いす生活に。やがて声も出せなくなった。医師から治療の難しさを伝えられた▼昨日できたことが今日はできない。今日できても、明日はどうなるか……。一日一日、不安や恐怖に耐えながら、笑顔で「だいじょうぶ。わたしはふじみ」と口を動かす妻に向かって、彼は告げた。「俺の祈りと戦いで、絶対に病魔を吹き飛ばしてやるから!」▼懸命に祈り、妻のリハビリに寄り添う日々。その中で弘教も実らせた。程なく妻に劇的な変化が。治療薬が功を奏し、車いすなしで歩けるようになった。会話もできるようになり、以前よりおしゃべりに。夫妻は信仰の功力を確信。二人して固く誓う。「かけがえのない命と時間。私たちは広布のために燃焼させます!」▼仏法では「一日の命は宇宙の全ての財宝よりも優れている」と説く。それを理屈ではなく、生き抜く姿そのもので教えてくれる友がたくさんいる。その方々こそ宝の存在だ▼1日あれば、数時間でもあれば、どれほど声を、言葉を交わし合えるか。どれだけの人と心を結び合えるか——。「今日」「今」に全力を尽くそう。必ず、「永遠」に輝く勝利の歴史を築こう。

寸鉄 2022年7月10日
真の弟子ならば最後の最後まで戦い続けよ—戸田先生。栄光山を共に登攀
「心はこれ身の主なり」御書。真心は絶対通ず。強き祈りと誠実な振舞で(新1320・全979)
正しい努力が成功しない例はない—哲人エマソン。地道に今日も前へ!挑戦王たれ
参院選の投票日。前進か後退か—国の命運決める一票。実績等、賢く見極め
大学生の就職内定率83%と高水準。感染前にほぼ回復。更なる若者支援を

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 御書とともに 2022年7月4日
◇決めて祈り、行動する時、道は開く!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で引用された御文と、折々の励ましの言葉を紹介します。

【御文】
『いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。』(新1539・全1132)

◇リーダーが原動力に
これが、流罪の地・佐渡にあって、門下を厳然と守りゆかれる大聖人の「祈り」であられた。
人ではない。自分である。広布のリーダーは、まずみずからが祈ることである。
人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
とくに青年は、求めてみずからを鍛えなければならない。
若いときからお金もある、何の苦労もない——では人物はできない。民衆を守る偉大な指導者になれるわけがない。
苦労に苦労を重ねて、何があろうとも微動だにしない王者の自分自身を築きあげていただきたい。
(『池田大作全集』第87巻、86ページ)

【御文】
『各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。』(新2145・全1300)

◇試練と戦う地涌の舞
師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。(中略)
ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。
(『御書と師弟』第3巻、50ページ)

【御文】
『今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。』(新2085・全1451)

◇「今ここ」こそ正念場
私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。
大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
私にとって、この一節は「"まさか"が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である——こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、76ページ)

【御文】
『始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし。さなくして、後悔やあらんずらん。譬えば、鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成って歩みをさしおきては、何として都の月をば詠め候べき。』(新2063・全1440)

◇「本当に楽しかった」
いざという時に「やらんかな!」と勇み立つ生命は、金剛不壊の仏の大境涯を開くことができる。
大変だからこそ、大きく「心の財」が積まれるのだ。
戸田先生は、「広布の戦いは、皆が最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやり通すのだ」と教えてくださった。
何事も、中途半端では喜びはない。一念を定めて祈り切り、ベストを尽くして走り切る中で、人間革命できるのだ。
「始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし」「信心の歩みを運ぶべし」(新2063・全1440)である。
社会のため、未来のため、楽しく朗らかに動き語り、共々に栄光の峰を登攀しよう!
(創価新報「池田大作先生が贈る 青春勝利の大道」第25回)