2022年7月7日木曜日

2022.07.07 わが友に贈る

御聖訓「このことに
あわんためなりけり」
ここが広布の"勝負所"と
覚悟を定め全力を尽くす。
そこから活路が開ける!
(新2085・全1451)

乙御前御消息 P1221
『いかなる男をせさせ給うとも法華経のかたきならば随ひ給うべからず、いよいよ強盛の御志あるべし』

【通解】
どのような男性を夫とされても、法華経に敵対するならば従ってはいけません。ますます強い信心を貫いていきなさい。

名字の言 少女部員が七夕の短冊に書いたこと 2022年7月7日
昨年、学校行事の「七夕祭り」を終えて帰宅した少女部員が母に言った。「『おばあちゃんの足のけがが早くよくなりますように』って短冊に書いたよ。かなうといいな」と。「じゃあ、一緒にかなえてみる?」と母。少女は、その日から母と一緒に勤行を始めた▼少女の祖母の家は近所にある。先のやりとりを伝え聞き、「うれしいね。必ず治してみせるよ」と涙を流した。勇気をもらった祖母は見る見る回復し、数日後、元気に少女の自宅まで歩いて行った▼1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽、それぞれの節句を合わせて「五節句」という。日蓮大聖人は、五節句は「妙法蓮華経」の五字に由来する祭りであると門下に教え、「五節供の時もただ南無妙法蓮華経と唱えて悉地成就せしめ給え」(新1456・全1070)と示された▼仏法では、仏の生命を開く因も果も同時に具わる「因果倶時」を説く。七夕の日に、祖母の全快を願う子や孫の祈りが、確かな"因"となり、祖母は早期回復という"果"を勝ち取ったように思えてならない▼私たちもまた、悔いなき一日一日の行動を「現在の因」とし、晴れやかな「未来の果」を断固、勝ち開いていこう。

寸鉄 2022年7月7日
「法華経の信心をとおし給え」御書。戦いは最後の瞬間まで。強き祈りで(新1522・全1117)
汗水たらし懸命になるから不可能も可能に—恩師 皆で立正安国の勝利劇を
一人立つ者が一番強い—劇作家イプセン。青年よ勇将たれ。率先の姿が全軍へ波動!
悪質な「送りつけ商法」の相談が感染禍で増加と。身に覚えのない品は拒否
公明の迅速な提言で物価抑制策が進展した—教授 「実行力」で他党を圧倒

☆御書と未来へ 第25回 「難こそ誉れ」の師子王の心で
〈御文〉
『かえすがえす、人のせいしあらば、心にうれしくおぼすべし。』〈上野殿御返事(大難必定の事)、新1843・全1512〉

〈通解〉
くれぐれも申し上げるが、人から制止されたならば(正しい法を受持している故の難なのだから)、かえって、うれしく思いなさい。

〈池田先生が贈る指針〉
"難こそ誉れ"だ。苦難の時に師子王の心で戦い切れば、必ず大果報を得る。大聖人は、この法理を若き門下に示された。
反発も圧迫も、勝利の瑞相である。地涌の青春は全てを打ち返し、飛躍の力に変える。大変であればあるほど、「心にうれしく」勇み立つのだ。
創価の若人よ、華陽の姉妹よ、"青年の月・7月"を勝ち飾れ!

☆明日を照らす テーマ:いよいよの信心 2022年6月28日
いかなる逆境にあっても、妙法への信仰を貫くならば、必ず仏界の生命を開いていくことができる——。日蓮大聖人は、共に戦う門下たちに、ことあるごとに教えられています。
池田先生は「何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「いよいよの信心」をテーマに学んでいきましょう。

◇聖人御難事
『月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし。』(新1620・全1190)

◇一日一日を悔いなく
【通解】月々日々に、信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がその隙に、付け込んでくるであろう。

ここまで頑張ったのだから……。魔は、そういった心の隙に付け入ってきます。魔に食い破られないためにも、一瞬一瞬、自身を完全燃焼させていくことが大切です。
本抄が認められたのは、弘安2年(1279年)10月1日。前月の9月には、駿河国(静岡県中央部)で農民門下20人が不当に逮捕されるなど、「熱原の法難」の渦中でした。
日蓮大聖人は、掲げた御文の直前で、「各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ」(新1620・全1190)とつづられています。「師子王の心」とは、最高の勇気です。大聖人は、あらゆる障魔を「師子王の心」で打ち破りました。"師である大聖人と同じ心で戦うならば、いかなる迫害にも負けることはない"と、門下に教えられているのです。
障魔は、油断や惰性など、"心の隙"を狙い、広布の歩みを止めさせようとします。だからこそ、大聖人は「月々日々につより給え」と呼び掛けられています。日々、師との誓いに立ち返り、共戦の決意を新たにする——。その繰り返しが信心を強め、障魔を打ち払うのです。
池田先生は「広布の遠征にあって、師弟共戦の生き方と菩薩の誓願とは、一体です。師弟に生き、地涌の誓願に生きる人生は、胸中の仏界の力強い生命を涌現させます」とつづっています。
「昨日より今日」「今日より明日」へ。師との誓いを胸に、一日一日を悔いなく戦い抜く、たゆまぬ挑戦が壁を破るのです。

◇兵衛志殿御返事
『夏と秋と、冬と春とのさかいには、必ず相違することあり。凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり。』(新1488・全1091)

◇「「賢者」の生き方を
【通解】夏と秋と、冬と春との季節の境目には、必ずそれまでとは相違することがある。凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という妨げが出てくるが、その時、賢者は喜び、愚者は退くのである。

"今こそ、信心で立ち向かおう"——奮起しようとする時、障魔はあらゆる働きとなって現れ、決意を砕こうとします。
日蓮大聖人は、四季の変わり目には必ず変化が起きるように、凡夫が仏になる時には、「三障四魔」が必ず競い起こると仰せです。
その時に心すべきは、"自分が呼び起こした障魔なのだ"と自覚することです。障魔が攻め込んでくるように思えるかもしれませんが、そうではありません。自らが勇んで広布に挑んだからこそ、競い起こってくるのです。
大聖人は、「賢者はよろこび愚者は退く」と仰せです。いざ、眼前に障魔が現れた時に、"信心しているのに、どうして"と、苦難の壁や宿命の嵐にひるみ、立ち止まってしまうのか。"いよいよ、宿命転換の時が来た"と捉えて立ち上がるのか。どちらの道を行くか、試されるというのです。
池田先生はつづっています。
「魔が競うのは、正法である証です。実践が正しいことの証明です。どこまでも、主体者は自分です。永遠の常楽我浄の幸福境涯を得るために避けて通ることのできない試練である——こう覚悟した者にとって、障魔と戦うことは最高の喜びとなるのです」
困難に遭うたび、"賢者の道"を選び、嬉々として信心に励んできたのが、三代会長と共に歩んできた、学会員の生き方なのです。