2022年7月26日火曜日

2022.07.26 わが友に贈る

挑戦と成長の夏。
苦手なこと新しいことに
チャレンジしよう!
決意の一歩こそ
可能性の扉を開く鍵だ!

可延定業書 P986
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり』

【通解】
命というものはわが身にとって第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさるのである。

名字の言 環境が大きく変化する40代 2022年7月26日
以前、数人の同志と懇談した。当時の彼らは男子部から壮年部に移行したばかり。各人の社会的立場や学会組織の役職は異なるものの、皆が同じく40歳だった▼40代は健康状態、家庭状況、仕事の職責など、環境が大きく変化する時。厳しい現実に直面し、未来への希望を見いだしにくい場合も少なくない。話題に上った友の悩みはそれぞれだった。だが、どれも人生の岐路に差し掛かった年代ならではの内容に、皆が共感し、奮闘を誓い合った▼戦国武将・武田信玄が"勝負の心得"を教えた言葉がある。「四十歳以前は勝つように、四十歳から先には負けぬように」(『甲陽軍鑑』、現代表記に改めた)。当時と今の"40歳"の持つ意味は違うだろうが、文の本意は現在にも通じよう▼池田先生は、この信玄の思考に、目先の勝敗よりも将来の勝利を第一とする"将の大局観"を見た。そして、こう語った。「ただ現在のみ勝てばよいというのでは意味がない。現在も大事だが、将来はもっと大事である。将来、勝つために、今をどうするか」と▼広布の旅路は長い。最強の「法華経の兵法」を根本に、未来を見つめ"今"を悔いなく生きる。それが、人生の総仕上げという究極の勝利の大道を切り開いていく。

寸鉄 2022年7月26日
「世間の法が仏法の全体」御書。現実社会で実証示し人格と行動光る賢者に(新2053・全1597)
長野県女性部の日。広布の人材山脈は堂々。太陽の励ましで幸の連帯拡大
創価の対話で広がる正しい平和認識に期待—韓国識者。青年を先頭に前進
乳幼児や高齢者は熱中症危険大。水分・塩分補給と空調活用。換気も忘れず
感染の抑制のカギは若者の接種と。重い後遺症を防ぐ効果も。賢明に対策

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第19回 荒川の「夏季ブロック指導」 苦悩があるから"功徳の花"は咲く
【地域広布の要諦】
一、会う勇気
一、語る勇気
一、励まし続ける誠実さ
(「随筆 人間世紀の光」〈創価三代の城・大東京〉から)

◇民衆勝利の大絵巻
"庶民の縮図ともいうべき荒川から、民衆勝利の波を起こそう。いかなる権力にも屈せぬ、正義の城を、ここに築こう"——1957年(昭和32年)8月、池田先生は東京・荒川で新たな広布拡大の戦いを開始した。
その1カ月前の7月3日、先生は、無実の選挙違反の容疑で不当逮捕・勾留された。「大阪事件」である。学会という民衆勢力の台頭を恐れた権力による迫害であった。15日間の獄中闘争を経て、17日に釈放された。
9日後の26日、本部幹部会の席上で、「夏季ブロック指導」の実施大綱が発表された。当時、学会の組織は、折伏による人間関係でできた「タテ線」が中心だったが、新しい広布推進のため、地域ごとの「ブロック」組織の強化が、重要なテーマになっていた。
ブロックの充実を図るため、8月8日から14日の1週間、「夏季ブロック指導」が行われることになったのである。先生は、荒川区の最高責任者に就いた。
8月7日、先生は荒川の個人会場に足を運び、主要メンバーとの打ち合わせに臨んだ。勝利を期して皆で祈りを合わせた後、あいさつした。「このたびの大阪の事件では、大変にご心配をおかけいたしました」
先生は「大阪事件」について語り、こう呼び掛けた。「民衆を守るためには、学会が強くなるしかない。その突破口を開くのが今回の戦いなんです。学会の縮図であり、庶民の縮図である荒川で、大折伏戦を展開し、広宣流布の東の錦州城をつくろうではありませんか。永遠なる民衆勝利の大絵巻を、私と共につづりましょう!」
「常勝不敗の荒川」の建設の幕が上がった瞬間だった。
わずか1週間の短期決戦。この日、区内を5地域に分けて担当者を決め、座談会の日程などが決められた。
先生は、人情と活気にあふれる下町を駆け巡りながら、一対一の対話に力を注いだ。日暮里へ、尾久へ、町屋へ、南千住へ——先生の温かい励ましを受けた荒川の友は、一人また一人と、地涌の使命に立ち上がっていった。

【「若き日の日記」1957年(昭和32年)12月4日から】
先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、
私の人生はない。師ありて、われあるを知る。

◇ホトトギスの鳴き声
拡大の主戦場は座談会だった。どの会場も新来者であふれ、熱気に包まれた。
ホトトギスの鳴き声は、何回聞いても良い声だと思う——池田先生は、ある会場で語った。
「ホトトギスの声は、体験談と同じなんです。何回話しても、まだ聞いていない人は、たくさんいます。だから体験談は、何回話しても、何度でも言っていくんです」
入会からまだ日の浅い友も多かった。先生は、教学も交えながら分かりやすく仏法について教えた。
"生命のなかに四菩薩の働きがある。どういう世界でも負けない生命の働きが「上行菩薩」、自由自在の生命の働きが「無辺行菩薩」、「安立行菩薩」は確信のある崩れない生命の働きです。清らかな自身の生命が「浄行菩薩」の働きです。題目をあげ切り四菩薩の働きを涌現させながら、生きることが楽しいという、金剛不壊の自身を確立することです"
先生は、友との語らいで、疑問や悩みに耳を傾け、励ましを送った。
対話に挑戦するものの、うまくいかない同志がいた。"聖教新聞は、信心したら良いということしか書いてなくて、信じることができない"と言われ、返す言葉がなかった。先生は語った。
「答えられなくてもいいんだよ。ただ、一つだけ大事なことがあります。聖教新聞にはウソは一つも書いていません。そのことだけは自信をもってください」
自信を失いかけていた友は、心の底から勇気が湧くのを実感した。
先生の激励は、駅前のベンチや、電車のホームでも繰り広げられた。
荒川で一日の闘争を終え、電車で帰宅する際、同乗していた男子部リーダーに、"戦いの要諦"を教えた。
「戦いというのは策ではないんだ。御本尊に対する強盛な祈りなんだ」
当時、経済苦や病苦で悩み、自分の住む地域に誇りが持てなかったメンバーもいた。先生は、使命の天地で花を咲かせることを訴えた。
「仏法は『如蓮華在水』です。蓮華の花は泥の中から美しい花を咲かせるのです。ですから、苦悩があればあるほど功徳の花を咲かせていけるのです。私は荒川が大好きです」
両親が離婚し、父と離れて暮らす女性が、父に信心の話をした。だが、ものすごい剣幕で追い返された。先生はそのことを聞くと、「心配はいらないよ。家族の中で一人が仏になればいいのです。それが大事なのです」と。
包み込むような励ましに、女性は新たな決意で対話に向かった。
先生の確信と真心は、荒川に"地域広布の明かり"をともしていった。

◇日本一の人材の城に
荒川での拡大戦の終盤、池田先生は戸田先生が滞在する長野・軽井沢を訪れた。
戸田先生は第2代会長就任の折、会員75万世帯の達成を宣言。1957年(昭和32年)6月末の時点で、約60万世帯になっていた。池田先生は、この57年に75万世帯を実現し、衰弱する恩師に安心してもらおうと心に期していた。
同年8月の「夏季ブロック指導」は、まさにその総仕上げの真っただ中での戦いであった。
池田先生は戸田先生との軽井沢での懇談で、荒川で二百数十世帯の同志が誕生したことを報告。恩師は「そうか」と、にっこりほほ笑んだ。この弘教は、当時の荒川の会員世帯の、優に1割を超える拡大であった。
8月14日、先生は長野から帰京。荒川へ向かった。先生は御書を拝しながら、待ち合わせをしていた友を待った。少し遅れて到着したその友は、寸暇を惜しんで御書研さんに励む先生の姿を、深く心に刻んだ。
その後、先生は座談会に出席。入会を決意するメンバーが続出した。夏季ブロック指導は、拡大の歓喜で総仕上げを飾ったのである。
14日のある会合に、頭に白い包帯を巻いた壮年がいた。先生は持っていた扇子に、次のように記し、壮年に贈った。
「波浪は 障害に遇う毎に 頑固の度を増す」
その言葉は、壮年の指針となった。いかなる障魔が競い起ころうとも、信心を貫く生涯を歩み抜いた。
この日、先生は「黒田節」を舞った。"荒川を日本一の人材の城に"との気迫がこもった舞は、同志を感動で包んだ。
「大阪事件」での15日間の獄中闘争から、わずか1カ月——東京の下町に民衆勝利の凱歌が轟いた。大阪拘置所から出獄した翌日、先生は「必ずや、われらは、真実が勝利する時代を創らん」(『若き日の日記』、1957年7月18日)と記した。荒川での戦いは、「真実が勝利する時代」を創る出発点だった。
また、「夏季ブロック指導」は、今日の世界広布の源流でもあった。同年8月8日、日暮里駅に到着した先生を迎えに行った青年がいる。その青年は後に、ブラジルSGIのリーダーとなった。同SGIの目覚ましい広布伸展の一つの淵源は、荒川にあった。
今夏、荒川の「夏季ブロック指導」から65周年の佳節を刻む。8月8日は「荒川広布原点の日」である。先生は、共戦の荒川の同志に、こう呼び掛けている。
「近隣友好の広がり、信頼の拡大、地域と一体になっての発展——"友"が増えること自体が"広布の発展"なのである。どうか、荒川から、新しい広宣流布の"聖火"を赤々と炎上させていただきたい。『東京の前進は荒川から』を合言葉に!」

☆勝ちゆく君へ 第31回 「師弟不二」が仏法の魂
◇一生を勝利の笑顔で
わが地涌の若人たちが、幾多の障壁を飛び越え、青春の栄光の旗を翻してくれています。
戦い切った一人一人の陰徳陽報は絶対であり、厳然です。
日蓮大聖人は、「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり」「師弟相違せば、なに事も成すべからず」(新1211・全900)と仰せです。
師弟不二こそ仏法の魂です。
戸田先生と出会って75年。大確信の師子吼が蘇ります。
「創価の師弟に一生を賭けてごらん。後悔は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾っていけるよ」と。
正しい人生を勝ち進みゆく「師弟のバトン」を、深き宿縁で結ばれた皆さんに託します。

◇共に励まし 共々に躍進
師弟の「共戦」。同志との「共進」——「共に」という一点に、人間革命の真髄が光ります。
共に祈り学び、共に語り動く。その先輩・同志が、何より大切な善知識なのです。
この夏、男子部大学校生や新入会の友など、新たな力が飛躍する翼も、ここにあります。
「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」「自他共に智慧と慈悲と有るを、『喜』とは云うなり」(新1061・全761)です。
夢や希望に向かって励まし合い、苦楽を分かち合う信心の絆は、三世永遠です。
縁深き宝友を尊敬し、讃え合いながら、共々に一歩を踏み出す、充実と躍進の日々を!