◇今週のことば
「信心しきった者が勝つ」
全てを味方に変える祈り。
勇気凜々と語り抜く声。
心一つに共戦する団結。
皆で広布と人生の万歳を!
2022年7月4日
御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』
【通解】
今、南無妙法蓮華経と唱える日蓮と門下は、「如来とともに宿する」者である。傅大士の釈には「朝に夕に仏と共に起き臥し、時々に仏道を成じ、本地を顕す」とある。
名字の言 "リサイクル率日本一"の陰に 2022年7月4日
環境省が先日、公表した2020年度の自治体別・一般廃棄物リサイクル率で、鹿児島県の大崎町が2年連続14度目の日本一になった。リサイクル率は全国平均の20%を大きく上回る83・1%である▼それを支えるのが、家庭ごみを出す全世帯で構成する「衛生自治会」。今春、会長になった壮年部員は、副会長を8年務め、外国人のために母国語のリサイクル表を作るなど、こまやかな対応を続けてきた▼壮年は19歳の時、結核で左肺の半分を取り除いた。45歳でがんを患い、胃の4分の3を切除。相次ぐ病苦を信心と周囲の励ましで乗り越えた。今度は自分が人のために尽くす番だと心に決めたという。「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)との一節が壮年の胸に深く響いた▼現在、衛生自治会の会長をはじめ、10以上の地域役職を担っている。学会では県総合長。「人の何倍もの生きている充実感があります」と元気いっぱいだ▼人生は戦い。思いもよらぬ試練はつきものである。だが、使命を自覚することで希望を自ら創り出し、力を湧かせ、何度でも前に進める。苦難の時こそ「まことの時」と決め、勝利の飛躍台にしていくのが学会魂である。
寸鉄 2022年7月4日
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」御書。誓願の友に破れぬ壁なし(新1675・全1282)
大兵庫が重大局面。もう一歩、あと一押し!皆も大応援で常勝の新章節を
情勢緊迫の神奈川。攻めに攻め抜き勝機を掴め!感激の同志も総力で援軍
正念場の愛知。必勝の炎赤々と!民衆の大連帯で一丸の対話拡大を今日も
公明、選挙区も比例も猛攻が急務。政策と実績を全力の訴え。支援も加速
☆ONE GOSHO この一節とともに! 生死一大事血脈抄 2022年6月26日
◇団結固く勇気の拡大を
7月に結成記念日を迎える男子部は今、立正安国の使命を胸に、勇気の対話拡大にまい進している。今回は、広宣流布の勝利の要諦である「異体同心の団結」について学ぶ。
◇御文
『総じて、日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり。しかも、今、日蓮が弘通するところの所詮これなり。』(新1775・全1337)
◇通解
総じて日蓮の弟子たちが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように互いに親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを「生死一大事の血脈」というのである。しかも今、日蓮が弘通する所詮はこれである。
◇背景
本抄は、文永9年(1272年)2月11日、日蓮大聖人が流罪地の佐渡・塚原で認められ、最蓮房に与えられたとされている。
最蓮房は、元は天台宗の学僧だったが、大聖人と同時期に何らかの理由で佐渡に配流され、大聖人と出会って弟子になったとされる。本抄は最蓮房が「生死一大事の血脈」という仏法の極理について、大聖人に質問したことに対する御返事である。
「生死一大事」とは、生死の苦悩を解決するための根本の大事、すなわち万人成仏の法を意味する。
また「血脈」とは、仏から衆生へ、師から弟子へと法門が伝えられるさまを表している。
◇解説
本抄の冒頭で日蓮大聖人は、生死一大事の血脈——すなわち、生死の苦悩を解決する根本の法とは「妙法蓮華経」であると結論されている。
この生死一大事の血脈である妙法を、いかにして門下の生命に継承させていくか——。
本抄では、私たちがその血脈を受け継ぐために重要となる信心の姿勢を3点、示されている。
第一に、仏、法、衆生の生命の三つに差別がないと信じること。つまり、自身の胸中に仏の生命が具わっていると"確信"して題目を唱えることである。
第二に、三世にわたって妙法を持ち抜く"不退の信心"。
そして第三に、"異体同心の団結"である。
「自他・彼此の心なく」とは、自分と他人の間に、差別や対立の心を持たないこと。つまり、自己中心の心を乗り越えていく挑戦であると言える。
「水魚の思いを成して」とは、水と魚が切り離すことができない関係であるように、互いに尊重し合っていくことである。
そして「異体同心」とは、性格や立場などが違っても(=異体)、同じ目的観、価値観を持つこと(=同心)。私たちでいえば、多彩な人材が互いの個性を認め合いながら、一人一人の可能性を最大限に発揮し、広宣流布を目指していくことである。
大聖人は、この異体同心の団結で南無妙法蓮華経と唱えていくところにこそ、生死一大事の血脈が流れ通うとされている。
そして、「日蓮が弘通するところの所詮これなり」と仰せである。広宣流布に向かって異体同心で団結する姿、それ自体が、目指すべき人類の平和の縮図と言えよう。この御文の後で、異体同心の団結があれば、広宣流布の大願が成就するだろうと述べられている。
この「異体同心」と対極にあるのが「同体異心」だ。表面的には同じ行動をしているように見えても、一人一人の心がバラバラの状態である。
大聖人は「異体同心事」の中で、「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」(新2054・全1463)と述べられた。「周の武王」率いる800の諸侯の軍が、70万騎の「殷の紂王」の軍勢を打ち破った古代中国の故事を挙げられ、勝負は人数の大小ではなく、"戦う心"が一致しているかどうかで決まると示されている。
では、どうすれば「異体」を「同心」にできるのか。
池田先生は、異体同心という無敵の団結をつくり上げていく肝要について「まず、師匠の掲げる広宣流布という大理想を我が誓いとし、師弟共戦の祈りと行動を貫くことだ」と教える。
そして、「友の悩みを自らの悩みとし、一緒に祈り、一緒に立ち向かう、同苦の精神を最前線まで脈打たせていくことだ」と。
師の心をわが心として、広布への祈りを深め、自らが率先して正義を語り、周囲に励ましを送っていく——その一人一人の行動の結合が、異体同心の団結となるのだ。その力は単なる足し算ではなく、掛け算となって増し、千倍、万倍にもなる。
師との「同心」の祈りも強く、一人一人が今いる場所で決然と一人立ち、限界を打ち破る勇気の拡大で、勝利の決定打を放ちゆこう!