2022年7月5日火曜日

2022.07.05 わが友に贈る

「ただひとえに
思い切るべし」御聖訓。
戦いは勢いで決まる。
地涌の誇りを胸に
大胆に打って出よう!
(新2085・全1451)

松野殿御返事 P1386
『然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん、尤も後生を願はんには彼の雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ、誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。』

【通解】
したがって雪山童子の古を思えば、半偈のためにさえもなお命を捨てたのである。ましてやこの法華経の一品一巻を聴聞した恩徳に対しては、何をもってこれに報いたらよいであろうか。もっとも後世のことを願うならば、彼の雪山童子のように振舞うのが理想である。我が身が貧しくて布施する宝がないならば、そしてわが身命を捨てて仏法を得られる機会があったならば、身命を捨てて仏法を学ぶべきである。

名字の言 平和を願う民衆の声が世界を動かした 2022年7月5日
東京の「第五福竜丸展示館」で原水爆禁止署名を見たことがある。「○○町婦人会」「○○校区婦人会」など、体裁や文面は多種多様。署名運動の自発的な広がりを物語っていた▼1954年、米国による水爆実験で、遠洋漁業に出ていた第五福竜丸が被ばく。食卓から魚が消え、放射能汚染に強い不安を感じた女性たちが水爆反対の署名運動に立ち上がった。その声は全国に波及し、集まった署名は3000万以上に。世界を動かす平和のうねりとなった▼ある女性部のリーダーが広島で被爆したのは、小学4年生の時だった。爆心地から約3キロの自宅前を、焼けただれた人々が逃げ惑う"地獄絵図"を見た。その体験が平和を求める心となった▼転居した兵庫で入会し、66年の"雨の文化祭"に参加。関西の地で刻んだ池田先生との出会いを通して、平和の直道を知る。それは人間の生命に巣くう魔性と対峙し、対話によって友の仏性を輝かせること。入会60年を迎えた今も「平和は勝ち取らなあかん!」と意気軒高だ▼過日、初の締約国会議が開かれた「核兵器禁止条約」は、世界のヒバクシャの声が推進力となり、条約発効につながった。対話の力で民衆の善の連帯を広げる。そこに「立正安国」の直道がある。

寸鉄 2022年7月5日
御聖訓「平等大慧の智水乾くことなし」。題目第一の賢者に破れぬ壁はない(新1458・全1072)
埼玉が激戦。鉄桶の団結は烈風の中でこそ強く!一瀉千里で栄光の頂上へ
福岡が奮戦。新たな先駆の共戦譜を刻むのは今!大九州の底力を満天下に
大麻摘発8年連続増加、30歳未満が7割と。社会全体で注意喚起強め撲滅
子育て支援は経済成長と財政にも好影響—専門家 公明の役割は益々大きく

☆対話のツボ 【問い】友人に、自分の思いをうまく伝えることができません。
目には見えない自分の思いを言葉にすること自体、簡単なことではありません。時に、意図がうまく伝わらなかったり、誤解されてしまうこともあるかもしれません。
日蓮大聖人は、「言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである」(新713・全563、通解)と記されています。言葉には、心の思いが表れていくとの仰せです。
大切なことは、"うまく伝える"ことではなく、誠実に"真心"を伝えることではないでしょうか。
ある男子部員は、吃音に苦しみながらも、"なんとかして、悩む友人に仏法を伝えたい"と決意。対話を終えた時には、「うまく伝えられたか、分からない」と語っていました。
友人はその後、入会を決意。「自分のことを思う、"熱く感じるほど"の真心に感動した」と話す姿が印象的でした。
池田先生は「人の心を動かすのは、真剣にして誠実な対話である。燃えるような情熱に触れた時、人の心もまた燃え上がるのである」とつづっています。
日々の勤行・唱題の中で、友の幸福を真心込めて祈るならば、その思いは必ず伝わります。
そう確信しているからこそ、学会員は、たとえ一度の対話で伝わらなくとも、"何度でも"語っていくのです。

☆大学校生とナットクTALK テーマ:自身との戦い
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「自身との戦い」。中村団長が、御書を学ぶ田崎ニュー・リーダーから質問を受けます。

登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。35歳。
田崎ニュー・リーダー 男子部大学校5期生として入校した28歳。

Q.仏法における「勝負」とは?
A.自らの「弱い心」に打ち勝つこと555555555
田崎ニュー・リーダー 中村さん、この間、初めて御書を購入しました。ちょっと質問があるんですけれど、いいですか。

中村区男子部大学校団長 多忙な中でも、御書に触れていくことも、疑問をぶつけることも、本当に大事なことだよ。素晴らしいね! どんな質問かな?

田崎 実は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(新1585・全1165)という御文を拝読したんですが、字面だけ追うと、仏法って「勝利至上主義」みたいな考え方なのでしょうか。僕自身は、勝ち負けより、一生懸命さや、何かに挑戦すること自体が大切なのかなと思って……。

中村 なるほど(笑い)。その気持ち、よく分かるし、一理あるね。そもそも、仏法における勝負って、「何」と勝負しているんだろう?

田崎 えっ。そんなこと、考えもしませんでした。そうですね……。例えば、仕事の成果で同僚に負けないようにするとかですかね?

中村 なるほど。でもね、ここでの「勝負」というのは、「世間的な勝負」ではなく、「自分自身との勝負」ということだと、僕は思うんだ。なぜなら仏法は、どこまでも自身の生命を変革することに重きを置いている。そして、僕たちの生命は、時に困難の壁に直面して、挑む前に逃げ出そうとしてしまうことがある。その生命を変革するのが信心なんだ。つまり、信心における勝利とは、「諦め」「臆病」といった自分の弱い心に打ち勝つことなんだよ。

田崎 そう言われると、初めて拝読した時と御文の印象が変わりますね。

中村 この御文は、信心を真剣に実践し続ければ、その先に、必ず勝利の結果を示せることを教えられていると拝すことができる。田崎君も、ぜひ「必ず人間革命する」「職場で実証を示してみせる」と強盛に祈り、行動してみてほしい。真剣な祈りには、必ず結果が伴うよ。

田崎 ただ、ずっと強い気持ちで挑戦し続けるって、中村さんは、苦しい時はないんですか。

中村 そりゃあ、僕にだって苦しい時はあるよ。だからこそ、励まし合う同志の絆が何より大切なんだ。また、池田先生は「勝つことよりも負けないことのほうが、実は偉大な勝利なのです」と教えられている。自身の弱い心に負けないで、挑戦を貫くことそれ自体が、深い次元での「勝利」なんじゃないかな。信心も人生も「持続の人」に勝るものはない。「弱い自分には負けないぞ!」と気持ちを奮い立たせながら、一緒に、広布と人生の山を登攀していこう! 振り返れば、必ず成長の節を刻んでいるはずだから。