"善き友を持つことが
仏道修行の全て"仏典。
自らが良き友人となれば
尊き仏縁も必ず広がる。
わが心を磨いていこう!
兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』
【通解】
心の師となることはあっても、自分の心を師としてはいけない。
名字の言 世界陸上100メートルで歴史をつくったサニブラウン選手 2022年7月22日
"人類最速"を決めるステージに日本代表が立った! 陸上男子のサニブラウン・ハキーム選手が、米オレゴン州で行われている世界選手権の100メートルで、堂々の7位入賞を果たした▼同種目での決勝進出は日本勢初。五輪を含めると、90年ぶり2人目の快挙である▼サニブラウン選手は予選で自己ベストに迫る9秒98をマーク。これまで「10秒の壁」を破った日本人は4人いるが、主要国際大会で9秒台を記録した選手は初めて。「歴史をつくりに来ている。過去の自分を超えて前に進みたい」。そう語った通り、2度の準決勝敗退という過去を乗り越え、決勝の大舞台で輝きを放った▼スポーツの世界に「ピーキング」という言葉がある。目標とする本番に向けて、コンディションを最高の状態(ピーク)にもっていくことだ。だが、どんなに準備しても"ここ一番"で持てる力を出し切るのは容易ではない。「体が強い人でも、心が弱ければ多くの才能も役に立たない」(新1690・全1220、通解)——人間の能力を真に発揮させていくのは、強き「心」であろう▼人は誰もが、人生という名の競技場に立つ挑戦者。その勝負の舞台で、勝つための努力を惜しまない「心の強さ」こそ、最も偉大な才能である。
寸鉄 2022年7月22日
「師弟共に唱うるところの音声」御書。充実の夏へ師子吼の題目で日々出発(新1043・全748)
鼓笛隊結成の日。心潤す希望のマーチを地域に!朗らかに青春勝利の乱舞
世界を変革するのは青年—ペッチェイ博士。平和の大理想を抱き大いに学び語りゆけ
河川での子の死亡事故は海の2倍。"浅い"との先入観が悲劇生む。要注意
夏バテ予防の基本は栄養のある食事と良き睡眠。いつも以上に強く意識し
〈社説〉 2022・7・22 きょう鼓笛隊結成66周年
◇平和の世紀を照らす使命の青春
皆が見つめる先にさっそうと立つ鼓笛隊。一瞬の沈黙の後、演奏が始まる合図の笛が響き渡る。温かな音色の木管、きらびやかな金管、凜々しくリズムを刻むドラムが一つになり音楽を奏で、フラッグやバトンの華が舞う——。
創価学会・富士鼓笛隊は、きょう結成66周年を迎えた。"世界に響け! 未来をひらけ!"——。"若き正義の芸術家"の心には、結成以来、変わることのない鼓笛隊精神が光り続けている。
1956年7月、鼓笛隊はわずか33人で結成された。
歴史上では、戦場で軍隊の士気を上げるために存在した鼓笛隊。
池田先生は鼓笛の乙女らを「平和の天使」と呼び、「学会の鼓笛隊は、広宣流布のためにある。世界の平和と人々の幸福のためにある」と大きな使命を託した。
師の思いに応えるべく、鼓笛の友は、希望の舞と歓喜の曲で、尊き文化・平和運動の前進を鼓舞してきた。各地でのパレードやコンテストでは、爽やかな演技で観衆を魅了し、学会理解の輪を大きく広げている。
共に泣き、共に笑い、共に戦う"鼓笛姉妹"が奏でる旋律。信心から発する努力の先には、この上ない歓喜があふれる。簡単にはくじけない忍耐強さ、困難に挑みゆく勇気、希望に満ちた笑顔。
麗しきスクラムと薫陶の中で、どこまでも自分と向き合い、心を磨いているからこそ、鼓笛で青春を送る友らは強い。
ある池田華陽会のメンバーは"一家和楽を勝ち取りたい!"と未入会の父への折伏を決意。学会理解を得られずに悩んだ時こそ、諦めずに祈りを重ね、真心の対話を心掛けた。
そんな中、父が病に。不安に寄り添い、励まし続けた。「お父さんを絶対に幸せにするから、一緒に信心をしてほしい!」——娘の熱意が伝わり、父は本年春、入会した。
池田先生は「天使ほど美しく 天使ほど清らかで 天使ほど強く そして 天使ほど正しい存在はいない!」とつづる。
いかなる時代であれ、地域に、社会に、世界に、希望の音律を広げゆく「平和の天使」鼓笛隊。"全ての人に勇気と希望を届けよう"と奏でる一音一音、舞う一振り一振りが、生命尊厳の平和の世紀を明るく照らしゆく。
使命の青春を歩む鼓笛の友の、大いなる前進に期待したい。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 第2総東京教育部長 島田金男
◇子どもの可能性の開花へ
【プロフィル】しまだ・かねお 創価大学を卒業後、公立小学校教諭、校長職を歴任。定年退職後、不登校児童・生徒の支援に当たっている。1960年(昭和35年)入会。62歳。東京・八王子市在住。副区長(支部長兼任)。
◇心の声に耳を傾ける
昨年、一通の手紙が届きました。差出人は、かつての教え子・Aさん。
Aさんは、家庭では普通に話せるのに、小学校では一切声を出せない、いわゆる「場面緘黙症」でした。
授業などで発言する番になると、Aさんの唇はかすかに動きます。"話したい気持ちはある"——だから、無理はさせません。周りの児童も理解し、日頃から優しく接してくれました。
Aさんの声を聞くことがないまま別れたので、ずっと気に掛かっていました。
30年ぶりに再会したAさんは、自らの声で、静かに胸の内を明かしてくれました。
——幼稚園に初登園した日、Aさんは先生からのあいさつに応えることができず、それ以来、声を出せなくなってしまったとのこと。高校進学を機に、"このままではいけない"と、声を発する挑戦を始め、努力を重ねる中で症状を克服し、現在は研究者の道を歩んでいるとのことでした。
どれほど、勇気を振り絞ったことでしょうか。困難を乗り越え、成長したAさんの姿に感動が込み上げました。
教育現場では、さまざまな課題のある子どもがいます。それでも、一人一人がAさんのように豊かな可能性を秘めた存在です。
仏法では、「一切衆生皆成仏道」(新704・全557等)を説き、あらゆる人の生命に仏性を見いだします。ゆえに、子どもは"未熟"でもなければ、劣った存在でもありません。幸福になる権利を持つ、一人の立派な人間なのです。
だから、子どもの可能性が花開くよう、どんな子どもにも尊敬の心をもって接してきました。この姿勢は、創価大学在学中、創立者・池田先生の振る舞いから学んだ、教育者としての原点です。
◇うまく表現できない
教員人生で最も悩んだのが、40歳の頃。担当する学年では、ほかの学校では起きないような問題が、毎日のように起きていました。
ある日、保護者から「子どもが帰ってこない」と連絡が。全教員で手分けして地域を捜しました。
幸い、午後9時すぎに自宅近くで無事、発見。後日、家庭内に居場所がない状況だと分かりました。
大人にとって"問題"と思える、子どもの行動には理由があるものです。子どもは、その理由をうまく表現できないだけなのです。
これを機に、児童一人一人の話をよく聞くことにしました。授業での発言を通して、その子の考え方を知る。給食を一緒に食べながら、興味・関心を知る。"聞いているふり"では、子どもは敏感に気付いてしまいます。
かつて池田先生は、"よく聞くこと"について、「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていくということです」と述べた上で、「教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のように慈愛の深みがあってこそ、可能となる」と教えてくださいました。
「慈愛の深み」の源泉こそ、日々の勤行・唱題です。子どもの顔を思い浮かべながら、成長と幸せを真剣に祈ることで、クラスの課題に正面から取り組むことができました。
私一人では対処できないことも、たくさんあります。教員同士で「子どものために」と確認し、団結する中で、徐々に学年の雰囲気も変わり始めました。
悩んだ分、"子どもを信頼し抜く"という教育者にとって一番大切な柱を定めることができたと思います。
◇桜梅桃李のごとく
昨年10月の文部科学省の発表によると、小・中学校における不登校の児童生徒数は約20万人と過去最多を更新しました。不登校が増えるタイミングは、長期の休み明けといわれています。もうすぐ迎える夏休みを心身共に健やかに過ごせるか、丁寧に見守ることが大切です。
2年前に定年退職してから、不登校の児童・生徒と関わっています。不登校の子をもつ保護者と接すると、心配する気持ちは痛いほど伝わってきます。
しかし、ちゃんと子どもに向き合うことなく、話を聞かないまま、学校に通わせようとするだけでは、かえって子どもを「型」にはめるだけで、反発を招きかねません。
仏法では、一人一人がありのままの姿で輝く生き方を教えています。その原理が、「桜梅桃李」です。桜も梅も桃も李も、花の形や見た目や香り、花が咲く時期は同じではありません。しかし、それぞれが趣深い、素晴らしい個性・特性を開花させます。
この原理に照らせば、子どもたちの個性や成長のスピードも違って当然といえます。
目の前の子ども一人一人がもっている、その子でなければ果たせない、かけがえのない使命を、大人が信じられるかどうかに懸かっています。
私は、仏法の教えを心に刻み、子どもたちが進みたい将来を一緒になって考えるようにしています。その道に向かって、子ども自らが学び続けていけるように、温かな励ましを送り続けていく——。生涯、教育者の使命を果たしていきます。
◇[視点]慈愛の施し
仏典には、財力などによらずに、慈愛をもって人に尽くす七つの方法が説かれています。第1に「眼の施し」——温かいまなざし。第2に「顔つきの施し」——にこやかな顔。第3に「言葉の施し」——優しい言葉遣い。第4に「身による施し」——尊敬の態度を示す、などです。
釈尊は、笑顔で自ら話し掛ける人でした。周囲に安心感を与え、和やかな雰囲気をつくり出したことでしょう。そして、釈尊のもとには、社会的な差別を超え、多彩な人材が集い、育っていきました。釈尊は"人類の教師"とも呼ばれています。
あの人がいれば、身も心も軽くなる。そう慕われる人間性を磨きながら、教育本部の友は子どもの可能性を伸ばそうと挑戦を重ねています。