2022年7月31日日曜日

2022.07.31 わが友に贈る

「心の師とはなるとも、
心を師とせざれ」御聖訓。
障魔に紛動されない
確固たる自己を築こう!
これが人生勝利の真髄だ。
(新1481・全1088)

崇峻天皇御書 P1174
『一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ』

【通解】
釈迦一代の説法の肝心は法華経である。そして、法華経の修行という点で、その肝心をいえば、それは不軽品である。不軽菩薩が人ごとに敬ったということは、どういうことをいうのであろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことであった。穴賢穴賢。振舞いにおいて、賢いものを人といい、愚かなものを畜生というのである。

【先生の指導から】
家庭をつつがなく守りぬいていくためにも、職場において自らの力量をぞんぶんに発揮していくためにも、まず自在の活躍をしていくための基礎となる身体を、強靱に鍛えぬき、生命力を満々とたたえていくことが肝要である。
そこにこそ"人間それ自体"を一切の原点にすえ、仏法の極理、真髄を昇華させゆく、もっとも基本的なあり方がある。
法華経方便品には「是の法は法位に住して、世間の相常住なり」とある。これは「信心即生活」「仏法即社会」の原理を示したものである。
内面に脈打つ清冽な信仰の奔流を、社会という現象次元にいかに発現させていくかが、仏教という人間宗教の本来の使命であり、目的でもある。
そのためにも「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」との御文どおり、偏狭を排しつつ、油断を戒め合いながら、あくまでも賢明にして自在闊達の人生道を悠々と歩みぬいていってほしい。
ゆえに、信仰しているからなんとかなるにちがいないと考えるのは、慢心であり、正信こそ、最高の良識であることを銘記されたい。

名字の言 希望輝く光の方へ心を向けて 2022年7月31日
ルソーの教育小説『エミール』に、こんな趣旨の記述がある。子どもは横方向から光が差すと、そちらを見る。その際、顔を光の方へ向けさせないと斜めに物を見る習慣がつく。また、暗闇に慣れさせないと、いざ暗い所に置かれたら泣き叫ぶ、と▼これは身体的な話だが、それを"心構え"に置き換えることもできよう。希望輝く光の方へ心が向かないと卑屈になる。未来が暗い影に閉ざされるほどの試練にも耐える力を養うことが大事だ——と▼実家から上京し、就職した男子部員は、コロナ禍の影響で2度の失職。無理がたたって体調も崩し、全てを悲観していた。そんな時、池田先生の書籍に、先師・牧口先生の言葉を見つけた▼「人生、あきらめなくてすむことが、たった一つある。それが信心である」。心に勇気の光が差し込んだ。彼は奮起し、信心と真っすぐに向き合って、再就職と健康を勝ち取った▼光に背を向けているうちは、足元から伸びる暗い影ばかりに目がいく。だが、光の方へ向き直れば、自分の前に影はない。創価の友にとって、最大の光は「信心」である。その後、彼の父親は、わが子の成長ぶりに驚き、喜んで入会した。今や、彼自身が光り輝く存在となり、明るい幸の裾野を広げている。

寸鉄 2022年7月31日
「父母の成仏は、即ち子の成仏」御聖訓。親の成長が未来開く。後継の手本に(新1130・全813)
心の眼磨くのが信心を基調とした教学—戸田先生 求道の心で研鑽の日々を
隠れた所に咲く花は何と美しい事か—詩人キーツ。陰の労苦が幸の大輪育む土壌
不規則な生活で熱中症のリスクが増加—医師。聡明なリズム刻み健康人生
旧友への久々の連絡。相手の喜びは想像より大—研究。友情に勝る宝なし

☆Switch——共育のまなざし 未来部と任用試験
◇「育む」ことは「思い出をつくる」こと
「試験」という言葉の響き。中学・高校生だった頃に、学校で受けたテストの"大変だった"記憶を思い起こしませんか? それがなぜか「教学試験」だと、"楽しかった"思い出がよみがえる——今回訪ねたのは、そんな未来部員や担当者がいる新潟・上越北圏です。

◇教学って何?
今月から「教学部任用試験(仏法入門)」の申し込みが始まりました。コロナ禍の影響もあって、実に4年ぶりの実施となります。
上越平和会館に集った女子高等部員の中には「中学時代に受けました」と懐かしそうに振り返る友も。未来部担当者の一人が「勉強してみて、どうだった?」と尋ねると、「そもそも『教学って何?』っていうところから始まって……正直、学んだことを全部覚えてはいないんですけど、勉強会でみんなとおしゃべりしたこととか、一緒に受験した同級生と仲良くなったこととかは、よく覚えているんですよね」と笑います。
「分かるー!」と、総新潟女子未来部長の金子薫さんが合いの手を入れました。「私は高校1年の時に受けたんだけど……その時はまだ、信心している自覚もなかったの」
当時、家族の中で信心に励んでいたのは母のイツ子さん(地区女性部長)、ただ一人。父・信幸さんは未入会で、「君(イツ子さん)がやる分には構わないよ」というスタンスだったそうです。
女子未来部担当者が「薫ちゃん。今度、任用試験っていうのがあるんだけど……」と自宅まで訪ねてくれた時、薫さん自身が挑戦を決意し、さらに信幸さんも娘の受験を承諾してくれたのは、母の人知れず重ねてきた祈りが通じたからかもしれません。
当の薫さんはというと「別に教学を勉強したいと思ったわけじゃなくて(苦笑い)」。関わってくれた女子部(当時)のお姉さんがいつも明るくて優しくて、たくさん褒めてくれて、「その人柄に引かれたから」だといいます。
薫さんが理解しやすいように、創意工夫を重ねてくれたのでしょう。法華経で地涌の菩薩が登場する場面を"おとぎ話"のように楽しく表現してくれたり、生命の状態・境涯を10種に分類した「十界論」を説明した後で、勉強会の終了後にお菓子やジュースを一緒に味わいながら「これは、まさに『天界』(努力の結果、欲望が満たされた時に感じる喜びの境涯)だねえ!」と、ユーモアを交えて話してくれたり。
「『教学を教えてあげよう』みたいな姿勢では全然なくて……『楽しい思い出をつくってあげたい』っていう真心が伝わってくる勉強会でした」。そう薫さんは振り返ります。
薫さんが任用試験に合格した時の、その先輩の喜びようは言うまでもありません。
「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」「自他共に智慧と慈悲と有るを、『喜』とは云うなり」(新1061・全761)——この御聖訓のままの温かな世界が、そこにはありました。


◇哲学好きの父
薫さんはその後、新潟の短期大学に進学。1人暮らしを始め、「任用試験を通して大好きになったあの先輩と一緒に信心がしたい」と、自ら御本尊を受持したのです。
卒業後、地元の上越市に戻って保育士に。女子部の活動にも積極的に取り組むようになりました。
父・信幸さんとの日常にも変化が生まれます。家の中で"哲学談議"を交わすようになったのです。信幸さんは、もともと大の哲学好き・読書好き。生まれは岐阜・郡上市です。仏教行事が盛んな地域で育った影響もあって、若い頃から諸宗派の教義を独学。洋の東西を問わず、思想書も次々と読破してきたそうです。
そんなお父さんですから、娘の切り出す「本当の仏教っていうのはね……」との話にも、そう簡単に納得した顔は見せません。しかし1年、2年、3年と学会活動を生き生きと重ね、青年部教学試験も3級、2級、1級と合格していく薫さんの成長の姿に、少しずつ、感じるものがあったのでしょう。ついに2015年、学会に入会したのです。
「婦人部(当時)の方まで、わざわざ話に来てくださってね。学会の人たちの一生懸命さと誠実さに胸を打たれたというか、根負けしたというか(笑い)」(信幸さん)
哲学者である父の心を動かしたのは理論でも理屈でもなく、信仰の歓喜ゆえに自然と現れる「人の振る舞い」(新1597・全1174)だったのかもしれません。
一方の薫さん自身、信心のみずみずしい息吹を持ち続けてこられたのは「未来部員と一緒に、任用試験を通して学び合うことができたおかげ」と言います。
勉強会を担当するたび思い返したのは、お世話になった先輩の姿でした。"今度は自分が、あの人のように"と。
上越北圏女子未来部長を務めていた時、任用試験の内容を共に学んだ高校1年生がいました。岡沢実樹さん。現在の同圏女子未来部長です。

◇郷里のために
どうして任用試験を受けるのか。そう未来部員から聞かれた時、岡沢さんは自身の経験を踏まえて、こう答えるそうです。「なぜ信心をするのか。どうして親は学会活動を頑張っているのか。その答えがきっと見つかるよ」と。
薫さんと一緒に研さんの汗を流した高校時代の、あの日あの時。仏法の教義や創価三代会長の歴史を学ぶことで、「そうだったのか」と得心することは、もちろんありました。けれどそれ以上に、みんなと学び合うことで生まれる楽しさや、先輩から励ましてもらった時の喜びを通して、「ああ、この"温かな創価家族の世界"を広げるために、みんな学会活動をしているんだ」と、自然と胸に込み上げるものがあったと言います。
「こんな素敵な世界を築いた池田先生のことを、もっと知りたい」。岡沢さんは創価女子短期大学へ進学。卒業後は「郷里のために」とUターン就職を決めたのです。
上越北圏の未来部リーダーたちには、実感していることがあります。「私たちが未来部員に教学を教えているようで、実は私たちの方が学ばせてもらっているんだ」
世代も感性も言葉の感覚も違う未来部員に、教学を説明するのは、簡単なことではないかもしれません。けれど、そこで「どうすれば楽しく分かりやすく、学んでもらえるか」と祈りを重ね、知恵と言葉を尽くす中で、新しい「伝え方」「表現の仕方」が生まれます。
何より、任用試験の勉強を通して「私にも仏界があるんだ!」「使命があるんだ!」と純粋に感動を覚える未来部員の姿に触れて、「教学の知識をたくさん知っていることよりも、教学を学ぶ喜びにあふれているかどうか——これが一番大事なことなんだ」と気付かされると言います。
勉強会では素っ気ない対応しかしてくれなかった女子未来部員が、任用試験を終えた後、「これ、教えてくれたお礼に」と、得意の裁縫でつくったティッシュケースを笑顔で薫さんにプレゼントしてくれたこともありました。
「思い出を築いてもらっているのも、やっぱり私たち担当者の方なんですよね」

◇挑戦しよう!
任用試験特集号である「大白蓮華」8月号に掲載された連載「世界を照らす太陽の仏法」の中で、池田先生は今秋の任用試験に挑戦する友に、こうエールを送っています。
「至高の生命の法理を学ぶことは、歓喜があり、必ず大きな人生の転機となる。そして、学んでいく人も、教えてくれる人も皆共に、栄光凱歌の人間学の博士となっていくのです」「さあ、人生の羅針盤たる仏法を、木陰で涼風に吹かれながら語らうように、心広々と学んでいきましょう」
迎えた未来部躍進月間。薫さんも岡沢さんも、地域の未来部員たちに「挑戦してみよう!」と呼び掛けています。後継の宝を「育む」ことは、信心の「思い出をつくる」ことと確信して——。
そうそう。薫さん自身も、挑戦していることがあるようです。それは2015年に入会した父・信幸さんに、任用試験を受けてもらうこと。
その話を愛娘から持ち掛けられた"哲学好き・読書好き"の父は、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』が収められた分厚い全集3冊をドンとテーブルの上に出し、にっこり笑って一言、放ったそうです。「薫も、この本の読了に挑戦してほしいな」
共に学び、共に育つ、熱い夏が始まりました。

2022年7月30日土曜日

2022.07.30 わが友に贈る

海・山・川での
事故が増える時季。
「心にふかき
ようじんあるべし」
安全第一の行動を!
(新1600・全1176)

本尊供養御書 P1536
『法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず』

【通解】
法華経を受持するならば、八寒地獄の水にもぬれることなく、また八熱地獄の大火にも焼けることもない。

名字の言 「子どもの権利条約」を巡って 2022年7月30日
「皆さんとの関係は、『子ども』を中心に始まりました」。1990年7月、創価学会が広島で開催した「世界の子どもとユニセフ展」。元国連事務次長のチョウドリ博士が学会と出合う"縁"となった▼同展で博士が感銘を受けたのは、「子どもの権利条約」に光を当てていたこと。同条約は89年に国連で採択され、博士はその推進に奔走した。94年4月の日本の批准にも尽力している▼条約の特徴は、子どもを「保護の対象」とするだけでなく、「権利を持つ主体」と位置付けた点にある。「親の監督権限」などを弱めるとの意見もあったが、博士は対話を重ねていく。粘り強い行動が、反対派の国を賛成へと変えていった▼アフリカのシエラレオネで「子ども兵士」として従軍した経験を持つある人は、条約の存在を知った衝撃を語る。"私たちの生命の価値と人間性を改めて呼び覚ますものであった"と。この言葉に象徴されるように、条約は自らの尊厳を気付かせる契機となる▼創価学会女性平和委員会が、中高生世代を対象とした「子どもの権利条約」に関するオンラインアンケートを推進している(8月31日まで)。こうした取り組みを通して、子どもと一緒に、人権と人間の尊厳を学び合う夏としたい。

寸鉄 2022年7月30日
世界中に励ましを広げているのがSGI—ブラジル博士。仏法の人間主義こそ希望
国連「国際友情デー」。平和の近道は一対一の対話と絆の拡大に。弛まず
親が本をよく読むほど子も読書する傾向—調査。成長の夏へ。一緒に挑戦
昨年の豪雨は7月下旬〜8月上旬に集中と。最新情報に注意。備え怠らず
子を車内に残して外出、3割が経験と。夏はわずかな時間でも命の危険が

〈社説〉 2022・7・30 明後日からNPT再検討会議
◇核兵器の先制不使用の議論を
8月1日から、ニューヨークの国連本部で核不拡散条約(NPT)の第10回再検討会議が始まる。
最終文書に合意できなかった前回(2015年)の会議から7年——。この間、新しい条約が誕生する一方で、核兵器を巡る国際情勢は険しさを増している。
核兵器の製造と保有から使用と威嚇に至るまで全面的に禁止する「核兵器禁止条約」が17年に採択され、昨年1月に発効。本年6月には第1回締約国会議が行われ、同条約が、核軍縮の誠実な交渉義務を課したNPT第6条と補完し合う関係にあることが強調された。「核兵器のない世界」の実現に向けて、核保有国や核の傘に頼る核依存国をはじめ、各国がどのような行動を起こすかが問われている。
何より今回の再検討会議は、核使用のリスクに対する懸念が強まる情勢下で開催される。締約国が建設的な議論を交わし、具体的な合意を導くことができるよう、市民社会が声を上げ、核軍縮に向けた取り組みを後押しすべきだ。
池田大作先生は今回のNPT再検討会議に寄せて、緊急提案を発表(26日付掲載)。「核兵器の先制不使用」の原則について核兵器国が誓約を行うとともに、全ての核保有国・核依存国の安全保障政策として普遍化を目指すことを、最終文書に盛り込むよう訴えた。
これまでも先生は「SGIの日」記念提言で、先制不使用の制度化をはじめ核兵器に依存しない安全保障への転換を呼び掛けてきた。核兵器使用のリスクが「冷戦後で最も危険なレベル」にまで高まる今こそ、危機のエスカレートを未然に防ぐ先制不使用の原則の確立を図り、核廃絶に向けた軍縮の流れを力強く生み出す必要がある。
SGIは核禁条約の第1回締約国会議で関連行事を共催したことに続き、今回の再検討会議にも市民社会の一員として参加して、積極的に議論形成に努める予定だ。戸田城聖先生の「遺訓の第一」である核兵器の禁止と廃絶を目指し、池田先生のリーダーシップのもと邁進してきたSGIにとって、現在の核兵器を巡る危機の深まりを見過ごすことはできない。
緊急提案の結びでは、「危機を危機だけで終わらせず、そこから立ち上がって新たな時代を切り開くことに、人間の真価はある」とつづられている。今こそ市民社会の声を結集し、核問題の解決へのうねりを巻き起こす時である。

☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から わが子の勉強のことで悩む親御さんへ
◇「学ぼう」という心を持ち続ける人が偉い
1学期の終業式を終え、わが子が持ち帰った通知表を見て、一喜一憂……多くの家庭で見られる光景ではないでしょうか。子どもの成績のことで悩んでいる保護者は少なくありません。今回は「学ぶ心、学ぶ意味」をテーマに、池田先生が親御さんたちに向けて送った励ましの言葉を、『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)

◇命令調の言葉が嫌い
<「子どもが、いくら言っても勉強しないんです」「どうしたら勉強させられるでしょうか」。そんな相談が、多くの親から寄せられました。また、近年、日本では子どもの基礎的な学力の低下を指摘する声も……。池田先生は語りました>

日本全体の学力も大きな問題かもしれませんが、お母さんたちにとっては、「わが子」の学力が最大の心配ごとでしょう(笑い)。
以前、創価学会青年部の難民視察団が、カンボジアに行った時のことです。たいへん印象的だったらしく、報告してくれました。
悲惨な戦争を逃れてきた多くの避難民が、水や食糧の確保もままならないような、ぎりぎりの状況で生活していました。青年部員は、そこにいる子どもたちに、「今、いちばん、何をしたい?」と聞いてみた。すると、子どもたちは、輝く瞳で答えました。「早く学校に行って、勉強がしたい!」と——。
子どもは本来、「学ぼう!」「伸びよう!」「吸収しよう!」という意欲を持っているものです。
終戦直後の日本を振り返れば、よく分かります。生活は苦しく、皆、お腹をすかせていたが、青少年にとって、食べ物と同じくらい必要だったのは、精神の栄養でした。皆、「学ぶ」ことに飢えていました。一冊の本を手に入れるために、長い行列に並んだものです。
◆◇◆
要は、子どもの「やる気」を、どう引き出すかだね。「勉強しなさい」と一方的にいくら言っても、子どもはかえって反発することが多い。とくに子どもは、「〜しなさい」といった命令調の言葉が嫌いなのです。

◇人生に勝つために
<確かに、親がいくら「ちゃんと勉強しなさい」と言っても、子ども本人がその気にならないかぎり、逆効果だったという話は、よく耳にします>

お母さん方にしても、自分の子ども時代を振り返れば、そんなに「勉強しなさい」とは言えないはずでしょう(笑い)。
「勉強ができる」からといって、「幸福になる」とはかぎらない。「いい学校を出た」からといって、「立派な人間」とはかぎらない。この当たり前のことを、皆、忘れている。それを混同するから、多くの問題も生まれているのです。
「人間の偉さ」と「成績」は、関係ありません。
ではなぜ、勉強するのか。
「知は力なり」です。勉強は、自分に力をつけるためにするのです。「人生に勝つため」に学ぶのです。その力で社会に貢献するのです。
勉強していないと、将来、いざという時に、力を発揮できない。夢を持った時に、夢が実現できない。勉強も、努力もしないで、立派になった人はいません。

◇引き出す 励ます
<マスメディアの影響なのか、努力や忍耐を要する地味なことよりも、華やかな面ばかりに目を向ける人も少なくないのが実情です>

どんな世界であれ、勉強と努力なくして一流にはなれません。華やかに見えるスポーツや、音楽といった世界でも同じです。
もちろん、学校の勉強だけが、勉強ではない。人それぞれ、得意や不得意もある。しかし「学ぼう」「勉強しよう」という心を持ち続けることが大切です。「勉強ができる人」が偉いのではない。「勉強しようという心」を持ち続ける人こそ、偉いのです。
ですから、お母さんは、子どもの成績に一喜一憂するよりも、子どもの「学ぼうとする心」を引き出し、たたえてあげてほしい。「お前はだめだ」とか、「どうして、こんなことも分からないの」などと、絶対に言ってはいけません。
大事なのは、「やる気」を引き出すこと。「やればできる」という自信をつけさせることです。「お母さんがしっかり見守って、祈っていてあげるから、あなたは安心して勉強しなさい」と、あたたかく包容し、励ましていくことが大事です。
「押しつけ」てはいけない。「引き出す」のです。「命令」はいけない。「励ます」のです。

◇持続は力なり
<ある女性リーダーが、青年時代に池田先生から「『決意』が『実践』になり、『実践』が『習慣』になった人は強い」と励ましてもらった思い出を述懐しました>

「持続は力なり」です。何ごとであれ、苦労も、辛抱もしないで、いきなり伸びるようなことは、ありません。そんなのは幻です。
途中の困難を避けて、成果だけ得ようとするのは怠惰であり、要領です。「どうせ、分からないから」と、あきらめてしまうのは弱さです。
ときには、負けそうになることもあるでしょう。投げだしたくなったり、あきらめたくなることもある。挫折することもある。しかし、途中で少々、止まってしまったとしても、もう一度、決意を新たにして、粘り強く進んでいけばよいのです。それが本当の強さです。
お母さんにも、辛抱が必要です。じっと見守りながら、子どもの「前へ進もうとする心」を励ましてあげるのです。少しでも、一歩でも前進したら、「頑張ったね」「よくやったね」「さすがだね」と大いにほめてあげるのです。

◇本に親しむ習慣を
<ここで話題は「読書」に移ります。子どもの「学び」をより豊かなものにするために、池田先生は、「良書に触れることの大切さ」を訴えます>

私は、現在の活字離れの風潮を深刻に考えている一人です。今はコンピューターも発達したし、本以外にも、情報を得るには、いろいろと便利なものはある。しかし、じっくり本を読むことによって、頭が鍛えられる。批判力もつくし、想像力も豊かになっていきます。また、「読書によって、学力の基本が身につく」と指摘する識者は多い。
社会人として生活するために必要な「読み書き」の力もしぜんに備わっていきます。ですから、お子さんには、本に親しむ「習慣」をつけてほしい。何も、むずかしく、かたくるしいだけの本を子どもに読ませる必要はない。子どもが「おもしろい」と感じられるような本を、子どもと一緒になって読み、聞かせていけばよいのです。
忙しい毎日だと思いますが、子どもばかりでなく、お母さんも読書に挑戦してほしい。その姿から、子どもは何かを感じ取っていくでしょう。

◇限りない向上
<自ら学ぶことの大切さは、母親に限らず、父親も、さらには子どもと関わる全ての大人にも、共通するものでしょう。「生き生きと学んでいる大人の姿」から、子どもたちも「学びへの興味・関心」を自然と抱いていくに違いありません。先生は呼び掛けました>

戸田先生は、最後の最後まで「勉強せよ。勉強しない者は私の弟子ではない」と厳しく言われていました。先生の教えどおり、今も私は、学び続けています。
戸田先生の事業が、いちばん苦境にあったころ、それを支える私は、大学に行きたくても行けなかった。しかし先生は、「心配するな。ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな。勉強は、ぼくにまかしておけ」と言われ、毎日曜日、ご自身の休養もさしおいて、ありとあらゆる学問を個人教授してくださった。日曜だけでは足りず、会社の始業時間前の早朝もです。
生命を削ってでも、ご自身の持てるすべてを、私に伝えきっておこうという気迫であられた。ありがたい師匠でした。私は「戸田大学」の卒業生です。それがいちばんの誇りです。
◆◇◆
「学は光」「無学は闇」——学び続ける人は美しい。学ぶ姿は、すがすがしい。一歩、深い人生を生きることができる。
親も、子も、ともに学びながら、限りない向上の人生を歩んでいこうではありませんか。

2022年7月29日金曜日

2022.07.29 わが友に贈る

「ありがとう」は
笑顔広げる希望の言葉。
家族や地域・職場など
身近な人にこそ
感謝の言葉を伝えよう!

四条金吾殿御返事 P1180
『度度の仰せをかへしよりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』

【通解】
さらにあなたはたびたびの主君の仰せに背き、折々の御心にそわなかったから、どれほど多くの讒言があったであろう。ところが、主君からたびたびいただいた所領を返上して、今また所領を給わったということは、これ程不思議なことはない。全く陰徳あれば陽報ありとはこのことである。

名字の言 長崎大水害で両親を失った壮年を支えたもの 2022年7月29日
「過去は変えられませんが、今をどう生きるかで、過去の意味はつくっていけます」。1982年7月、「長崎大水害」で最愛の両親を失った壮年が語っていた▼悲報を受けた時の衝撃は、どれほど大きかったか。"うそだ。信じたくない"。現実を受け止めきれず苦しむ彼を、地域の学会員が懸命に支えた。「一人になんか絶対にさせんけん」と通ってくれた男子部の先輩。両親の笑顔の写真を大きく引き伸ばして持ってきてくれた壮年は「ほら、こがんして見守ってくれとーぞ」と▼そうした友の慈愛に包まれ、少しずつ未来を見つめられるように。今、壮年リーダーとなった彼は力強く語る。「自分がつらい思いをした何倍も、人を元気づける励ましを広げます。父母の分まで頑張る使命がありますから」▼日蓮大聖人は、災害や戦火に苦しむ人、病気で家族を亡くした人に同苦し、涙する人間愛にあふれたお方だった。御書には「どうして他人のことと思えようか」(新1474・全1084、趣意)、「心の内を思うと涙が止まりません」(新1839・全1509、趣意)と▼悩みや試練と戦っている人、不安や孤独に耐えている人に寄り添い、共に歩む私たちでありたい。全てを幸福への価値に転じるために。

寸鉄 2022年7月29日
「出世の本懐は人の振る舞い」御書。友好の夏に。短い時間でも誠実尽くし(新1597・全1174)
あすから創大OPキャンパス。世界市民が学ぶ英知の城。OLでも参加可
未来部の各種コンクールを応援。学び挑んだ分、全てが力に。成長の好機
RSウイルス感染増加。乳幼児が触れるおもちゃや手すりの消毒が重要と
世界各地で記録的熱波。急変しやすい天気。災害への備えは気付いた時に

〈社説〉 2022・7・29 深刻化する児童虐待
◇SOSが出しやすい環境を
昨年3月、内閣府が公表した「男女間における暴力に関する調査報告書」によると、これまでに配偶者からの暴力の被害経験があったと答えた人が22・5%に。警察に寄せられた配偶者からの暴力事案等の相談件数も、2021年は8万3042件と、01年の配偶者暴力防止法施行以降、最多となった。
加えて、深刻化が問題となっているのが児童虐待だ。厚生労働省は毎年、相談対応件数を公表。その数は年々増加を続け、20年度は20万件を超えており、死亡事例も年間70件を超えている。
気掛かりなのは、児童虐待のうち半数以上は「心理的虐待」、すなわち暴言を浴びせたり、無視したり、子どもの面前で誰かに暴力行為をしたりすること。
親は"虐待などしていない"と思っていても、その行為が子どもを傷つけていることもある。親が自分自身を見つめ直してほしい。
認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんは「一見、問題がないように見える家庭もリスクが高まっている」と指摘。
DV(家庭内暴力)や児童虐待を未然に防ぐため、当事者が一人で抱え込まず周囲に助けを求める「ヘルプシーキング」の大切さを訴えている。
子どもへの虐待の通報や相談を受け付ける全国共通ダイヤル「189」は、24時間365日対応。最寄りの児童相談所につながる仕組みだ。通報に限らず、子育てに関する悩み相談も可能なので活用してほしい。通話は無料で、相談は匿名で行うこともできる。
DVや児童虐待増加の背景にあるのが、新型コロナウイルスの感染拡大によるストレスとの指摘も。いまだ収束が見通せないコロナ禍の中にあって、外出自粛や他者との交流減による社会的孤立のリスクも考慮することが大切だ。
孤立している当事者は自らSOSを出せないことが多い。親子が共に過ごす時間が比較的多い夏休みの今は特に、周囲が注意深く見守る視点が早期発見の第一歩となるだろう。
子どもだけでなく親の表情や行動など、ささいな変化を気に掛けていきたい。SOSを出しやすい環境を整えることも喫緊の課題である。
未来の担い手である子どもたちは、社会の希望であり、宝の存在である。何げない声掛けからでいい。地域一体となって育んでいきたい。

☆池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ 壮大な人間触発の大地を 2022年7月22日
1951年(昭和26年)の7月、男女青年部の結成に引き続いて、22日には、創価学会常住御本尊を初めて掲げ、意義深き臨時総会が行われた。
戸田先生は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の御前に、功労の老若男女を招き、日蓮大聖人がどれほどお褒めになられているか、素晴らしいご褒美をくださるに違いないと讃えられた。
総会の最後には、壇上に並んだ若人たちを笑顔で見守り、宣言されたのである。
「この青年たちがいる限り、学会は絶対に盤石であります」と。
本年「青年・飛躍の年」の上半期、わが創価家族は「慈折広宣流布」へ、「立正安国」へ、異体同心の団結で走り抜いてくれた。
まさしく御本仏の御照覧はいかばかりか。戸田先生も、さぞかし、お喜びであろう。
* *
あの「大阪の戦い」を終えた直後、師と私は展望した。
——学会は目先の毀誉褒貶を超え、広く社会を潤し、壮大な人間触発の大地を耕そう! そこから、人類の新しい未来を開くのだ、と。
今や、あらゆる分野に、民衆奉仕の衆望の人材を送り出す時代に入った。
これこそ、勝利の実像だ。
この夏も、大いに人材を見つけ、励まし、育てたい。
「未来部躍進月間」も始まっている。
男子部は、凜々しき大学校生を先頭に、弘教拡大へ勢いよく出陣した。
学生部は「行学の二道」の実践に挑み、伝統の教学実力試験を行う。
華陽の乙女たちは、桜梅桃李のスクラムを朗らかに輝かせている。
きょう7月22日、平和の天使・鼓笛隊は、結成記念の日を迎えた。
広布の楽雄・音楽隊と共に、出身者たちの活躍も、世界中で光る。
誇らかな青春錬磨の舞に皆で大拍手を送りたい。
* *
60年前の夏、天高く響かせた、忘れ得ぬ歌声がある。
沖縄本部の落成式の折、屋上で私が指揮を執り、会場に入り切れなかった場外の方々と歌い上げた「沖縄健児の歌」である(1962年7月18日)。
この折、約し合った通り、わが愛する沖縄の同志は、万里の波濤を乗り越えて、「全ての人が、最後は必ず幸福になれる」との仏法の法理を証明しつつ、広布の先駆の宝土を築いてきた。
使命の献身を貫く沖縄をはじめ日本と世界の宝友の健康・和楽・福徳を、私も妻もひたぶるに祈っている。
「白馬のなくは我らが南無妙法蓮華経のこえなり」(新1447・全1065)
朗々たる題目の音律で、自他共の色心に大生命力を漲らせ、諸天の威光勢力を倍増しながら、誓願の国土に希望と安穏を奏でよう!

2022年7月28日木曜日

2022.07.28 わが友に贈る

幸・不幸を決めるのは
周囲の状況ではない。
わが境涯であり一念だ。
艱難を断固と越えゆく
「絶対的幸福」の人生を!

法華経題目抄 P943
『妙と申す事は開と云う事なり』

【通解】
妙ということは「開」ということである。

名字の言 原爆で亡くなられた方々への「本当の供養」 2022年7月28日
この時期、広島市内の掲示板などに名簿が貼り出される。「遺族を捜しています」——。原爆で亡くなられた方々のうち、遺骨の引き取り手が見つかっていない814人の名前が記されている▼遺族が見つかるまで、遺骨は平和記念公園内の原爆供養塔に安置されている。名前も分からない遺骨を含めると約7万体。その事実に、核兵器の残虐性を感じずにはいられない▼先日、学会の「ヒロシマ『い×ま×こ=そ』フェスタ」が開催された。「い(祈る)」「ま(学ぶ)」「こ(行動する)」ことが「そ(創価哲学の体現者)」につながるとの趣旨で、青年・未来部員が平和記念公園を訪れた▼彼らが向かったのが原爆供養塔。ガイドを務める女性は「7万人の中に、それぞれの生活、家族、未来があった。原爆の悲劇は単純な数だけでは分かりません」と力を込めた。ある未来部員は「供養塔の意味や思いを初めて知った。今回学んだことを忘れず、周囲に語っていきたい」と感想を述べた▼特攻隊員だった作家・神坂次郎氏は「本当の供養は『忘れないこと』だと思う」と。被爆者のために"不忘の誓い"を新たにすること。その青年たちの"意志"によって、核兵器に命を奪われた方々の"遺志"は受け継がれる。

寸鉄 2022年7月28日
仏法を耳にする人は「これを種として必ず仏に」御書。青年よ堂々と語れ(新697・全552)
苦難に真正面からぶつかり祈り抜くのだ—恩師。宿命転換の劇を勇敢に!
人は溌剌たる者に好意を寄せる—文豪ゲーテ。近隣への友好も爽やかな挨拶から
消毒やマスクは「サル痘」予防にも有効—専門家。感染対策を引き続き励行
公明の若者政策の実現力は群を抜いている—識者 声を形に。更に尽力せよ

〈社説〉 2022・7・28 海や山の事故に注意
◇油断大敵! 安全第一で夏を楽しく
いよいよ夏休みが本格的にスタート。コロナ禍で迎える3度目の夏になるが、家族で各地に出掛ける場合もしっかりと感染対策を行っていきたい。
楽しく、開放的な気持ちになる季節である。それだけに、例年多発する海・川や山での事故に特に注意を払い、「無事故」の意識を強く持つことが大切だろう。
水難事故は毎年、海水浴や川遊びのシーズンの7月から8月に集中している。警察庁の報告によると、昨年のこの時期の水難事故の発生件数は451件、水難者は565人で、死者・行方不明者は212人に上った。事故発生場所は海が約52%、川が約36%という。
なお、水難者のうち、中学生以下の子どもは110人で、死者・行方不明者は16人であった。また、子どもたちが流されたサンダルやモノを追い掛けて溺れてしまう水難事故も毎年起きている。なんとも痛ましい限りだ。
こうした中、NPO法人「AQUAkids safety project」が、水辺の事故から命を守るために「サンダルバイバイおやこ条約証書」を公開している。これは、子どもたちはサンダルを無くしたら怒られてしまうと思わず、流されたものとはバイバイすることを約束し、大人は流されて無くしても怒らないことを約束するものである。水難事故を防ぐ具体的な取り組みとして注目されているという。
一方、山岳事故は昨年の同時期で533件、遭難者は597人で、死者・行方不明者は46人。遭難者は50歳代・60歳代がそれぞれ123人で最も多かった。山岳遭難の多くは、天候に関する不適切な判断や、不十分な装備、さらには、体力的に無理な計画を立てるなど、知識・経験・体力等の不足が原因で発生しているという。
楽しい黄金の時間を、決して暗転させてはならない。
池田先生は「さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし」(新1590・全1169)との御文を通し、次のように呼び掛けている。「油断大敵である。前進の勢いが増している時ほど、絶対に事故を起こしてはならない。無事故を祈り抜き、細心の注意を払い抜いていくことだ」
"事故に遭わない、起こさない"との強き祈りと、安全を意識した具体的な行動で、飛躍の下半期へ、英気を養う有意義な夏を!

☆御書と未来へ 第29回 報恩の心が成長の力
〈御文〉
『仏は法華経をさとらせ給いて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備え給えり。この仏の御功徳をば、法華経を信ずる人にゆずり給う。』〈法蓮抄、新1420・全1046〉

〈通解〉
仏は法華経を覚られて、さまざまに出生する一切の父母への孝養の功徳を身に備えられている。この仏の御功徳を、法華経を信じる人に譲られるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
恩を知り、恩に報いる人生は、尊く強い。妙法は、父母をはじめ一切衆生を永遠の幸福へ導き、真の報恩を果たせる哲理である。この最極の孝養の功徳を譲り受けた人こそ、未来部の宝友だ。
ゆえに、今は伸び伸びと学び鍛えゆけ! 皆さんが成長した分、明日の地球は明るく栄える。健康・無事故で、楽しく充実の夏を!

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:生死と向き合う
◇御文
『我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』(開目抄、新117・全234)

◇通解
(難にあっても疑う心がなければ成仏すると)私の弟子に朝夕、教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。
拙い者の習性として、約束したことを、いざという時には忘れてしまうものである。

◇「今」を広布に尽くす
亡き夫と命を通わせる祈り
2014年(平成26年)7月7日、吉崎いずみさん(59)=東京・渋谷総区女性部書記長=の夫・伸一さんは、闘病の末に霊山へ旅立った。「あれから8年。今なお寂しさはあります。それでも、私は前を向いています」。配偶者との死別という悲哀。吉崎さんはどう向き合ってきたのだろうか。
      ◇
東京都内の大手出版社で働いていた伸一さんが、ステージ4の下咽頭がんと診断されたのは、13年の桜が咲く頃だった。地区部長を務めていた時だ。
すぐに夫妻で信心の先輩のもとへ。「確信を込めて祈ること」との激励に二人は奮起し、"信心で乗り越えてみせる!"と一念を定めたという。
「不安がなかったと言えばうそになります。けれど、祈れば祈るほど"負けるものか"という気持ちが強くなりました。夫も『大丈夫。頑張るよ』って」
伸一さんは入院し、抗がん剤と放射線での治療に臨んだ。
当時、小学5年生だった長女・真奈美さん(19)=華陽リーダー=と吉崎さんは、毎朝、病床の夫と時間を合わせて一緒に祈った。
その後、伸一さんは、つらい副作用を耐え抜き、11月の検査では腫瘍が消えていた。家族で喜び合った。しかし、14年4月、病院の精密検査で、がんの再発が判明する。
「もう治療の手だてはないと言われて……。ぼうぜんとしました」
5月初旬、伸一さんは都内の緩和ケア病棟へ移ったが、がんは脳に転移。徐々に衰弱していく中、夫は一日一日、懸命に命の灯をともし続けた。
やがて、吉崎さんたち家族は医師に促され、7月5日から伸一さんの病室に泊まった。7日の早朝、ふいに真奈美さんが「今、勤行しよう」と言った。
静かに眠る夫の横で、家族皆で題目を唱え始めた。
しばらくして、伸一さんの寝息が聞こえなくなった。51歳。家族の祈りに包まれながらの、安らかな旅立ちだった。
葬儀から四十九日までは忙しなかったが、日常に戻ると、吉崎さんは底知れない寂寥感に襲われたという。
"あの時、もっとやれることはあったのでは"——生前の夫を思い出しては、何度も自責の念にかられたそうだ。
「地域の同志が温かく励ましてくれました。でも、ふとした瞬間に涙があふれ、心が感傷に流されてしまうんです」
この時に拝したのが、「開目抄」の「我ならびに我が弟子」(新117・全234)から始まる一節だった。
日蓮大聖人は、難に遭っても疑う心がなければ成仏すると述べられた上で、「つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし」(同)と示されている。
吉崎さんは、「心のどこかで"私の祈りが足りなかったからだ"という思いが、実はあって」と明かす。
「自らの祈りに確信を持てない迷いの命を、乗り越えなければならない。私にとっての『まことの時』は『今』だ、自分の弱さに引っ張られてはだめだと、そう御聖訓を拝しました」
吉崎さんは御本尊の前に座り直し、学会活動のど真ん中に身を置いた。その中で、ある確信を深めていったという。
「病魔に立ち向かい、最期まで信心を貫いた夫は、間違いなく大勝利の人生だったと、心から思えるようになったんです。祈ったからこそ勝てたんだ、と。その証しとして、遺された私たち母娘が誰よりも幸せになろうって、心が定まりました」
夫は病気に負けたわけではない。病魔に挑み抜いた強い人だった。そう吉崎さんは、夫の死の意味を見いだしたのだ。
「夫のことを思って涙は流しても、感傷に浸ることは、もうなくなりました。後ろを振り返るのではなく、心の中にいる夫と共に『今』を広布に尽くし、福運あふれる人生を開いていく。それが、私の使命ですから。私にとっての『まことの時』は、常に『今この瞬間』なんです」
「そうは言っても」と吉崎さん。「本当の意味で前を向くまでに、3年はかかりました」
今でも、伸一さんが最期を迎えたこの時期が巡り来ると、胸が詰まることがあるという。
「大切な家族を失った悲しみは消えません。けれど、私たち家族はその中で前に進んでいます。そういう私たちだからこそ励ませる人が、きっといるはずだと思うんです」
吉崎さんが大切にしている御聖訓がもう一つある。大聖人が、亡夫の追善に励む妙心尼御前に送られた一節だ。
——故人を思って南無妙法蓮華経と唱題すれば、「妙」の文字が使いとなって娑婆世界のことを告げ、故人の心を慰め、心を通わせていけるのです。(新1972・全1484、趣意)
この御文を拝しながら、吉崎さんは語る。
「この信心は、故人とも生命を通わせることができると教えられています。私も娘もその確信で、毎日、御本尊に祈りながら、何でも夫に報告しているんです。だからずっと一緒です」
池田先生はつづっている。
「広宣流布に生き抜いてきた人は、地涌の菩薩です。仏の眷属です。
生命は永遠であり、妙法の原理のうえから、その地涌の菩薩が、仏の眷属が、救われないわけがないではありませんか!
後に残ったご家族も、必ず守られます。
信心を貫いていくならば、広布のために献身されたご主人の、福運、功徳をも身に受け、誰よりも幸福になれることは、絶対に間違いないと、私は宣言しておきます」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
吉崎さんは女性部のリーダーとして、広布の最前線で同志に寄り添う。真奈美さんは創価女子短期大学で勉学に励み、夢を追う。
そんな二人のことを、伸一さんは今日も、そばで見守っているに違いない。母娘の朗らかな笑顔に、そう確信せずにはいられなかった。

◇[教学コンパス]
「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)」——昨今のコロナ禍で改めて注目されている概念だ。19世紀、イギリスの詩人キーツが、「ポジティブ・ケイパビリティ」に対する造語として使った言葉で、その意味を、作家・精神科医の帚木蓬生氏は「答えの出ない事態に耐える能力」のことだとする。
複雑化する現代社会には、感染症に限らず、単純な答えを見いだしにくい問題は数多い。同様に、私たちの人生においても、思わず"なぜ私が"と嘆いてしまうような「割り切れない現実」に直面することは多々ある。
仏法では、菩薩が人を救うため、あえて宿業を背負い、願って悪世に生まれてくる「願兼於業」の法理を説く。自身の不条理な苦しみを「業」と捉えるだけでは前を向けない。しかし、「それを信心で乗り越えようと、あえて自ら誓願した」と深い次元で捉え、確信する時、宿命は大いなる使命に変わる。
「一念」を転換した人の強さ。本企画の取材に当たった記者が迫ろうとしているのは、まさにそこだ。

2022年7月27日水曜日

2022.07.27 わが友に贈る

人と人のつながりが
安心の社会の基盤だ。
電話や手紙等も活用し
友に励ましの声を!
希望の連帯を足元から!

曾谷入道殿許御書 P1039
『既に之を謗る者に大罰有り之を信ずる者何ぞ大福無からん』

【通解】
すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか。

名字の言 桜島の噴火。一日も早い終息を祈る 2022年7月27日
鹿児島県の桜島で24日夜、爆発的噴火が発生。大きな噴石は火口からおよそ2・5キロまで達し、同島の噴火警戒レベルは最も高い5(避難)に引き上げられた。避難者をはじめ全ての関係者に、お見舞いを申し上げたい▼同日の深夜、気象庁は記者会見で「1914年の大正大噴火のような大規模な噴火は想定していない」と発表した。一方、噴火後も山体の膨張は解消されず、一日も早い終息を祈るばかりだ▼地元の消防団で分団長を務める壮年は、出動要請に備えつつ、支部長として会員の安否確認にも奔走。「22時過ぎの避難指示に、電話で初めて知った方もいました。連絡・確認の大切さを改めて実感しました」▼レジリエンス(困難を乗り越える力)が強いとされる地域コミュニティーの特徴の一つに、「人々を結び付ける」リーダーの存在が挙げられている。多様な人々と意思疎通を図り、交流の橋渡しの役割を担う——壮年もまた、そうした存在の一人である▼近年の頻発する自然災害で、励まし支え合う連帯こそが、困難を乗り越える力であることを、私たちは学んだ。その力を育みたい。先の壮年は語った。「命を守る行動を最優先に、皆で心を合わせ、この災害を乗り越えていきます」

寸鉄 2022年7月27日
広布は信頼と友情の対話から—恩師。思いやりと真実の言葉は必ず通じる
「中部の日」。輝く堅塁の人材城。師弟の「この道」歩み勝利の人生共々に!
「金はやけば真金となる」御書。試練は飛躍のバネ。青年は艱難に喜び勇んで(新1474・全1083)
若い世代の「スマホ老眼」増加。目の酷使原因と。定期的な休憩等、賢く利用
「子どもの事故防止週間」夏場は水難、転落が急増。まず親が注意・声掛けを

〈社説〉 2022・7・27 未来部 夏のコンクール
◇後継の宝の友と成長の夏を
今月16日から「未来部躍進月間」がスタートした。未来部伝統の各種コンクールの推進が各地で行われている。
1970年6月、池田先生は未来部の友に「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい」と語った。これを受けて、未来部の成長を図るために、同年から「作文コンクール」が開始。以来、先生はコンクールを通じて、メンバーの努力を最大にたたえ、見守り続けてきた。
絵画や作文、英語が苦手なメンバーもいるだろう。学校の宿題もある。ゆえに本人任せではなく、家族や地域の同志が一緒に考え、サポートしながら、絆を強める機会にしたい。
7月22日付「未来部育成のページ」では、少年少女希望絵画展に挑戦する大阪の少年部員のエピソードが紹介されていた。彼は近年、大阪の名所を題材にし、その場所を家族で訪れてきたという。今年は中之島に立つ大阪市中央公会堂。自分のイメージに合う構図を話し合ったり、建物の造りなどをじっくり観察したり、帰りにはショッピングを楽しむなど、思い出のひとときを刻んだ。絵画制作を通して、対象への観察力や集中力も培われているという。
また、昨年E—1グランプリに挑戦したあるチームは、2年ぶりの開催に心が躍った。"コロナ禍に負けない取り組みを"と、オンライン形式での応募に挑戦。「離れていても、心はいつもそばにいる」という思いをチーム名に込めた。受験への不安や、学校に行けない悩みなど、一人一人が自身の壁と向き合いながら、題目に挑戦。"私たちの勇気の姿を通して、希望を届けたい"と練習に取り組んだ結果、全国でトップクラスの成績を収めることができた。
コンクールを通して、子どもは自分の考えや感性を伸ばすことができる。そして、同世代の仲間と触れ合う中で、"自分も頑張ろう"と触発を受け、成長するきっかけとなるだろう。
池田先生は、コンクールに挑戦する未来部の友につづっている。「何より『応募してみよう』『やってみよう』との心自体が尊い。チャレンジする一人一人の頭に、私は"青春勝利の月桂冠"をかぶせてあげたいんです」
各部が一体となって、後継の宝の友と一緒に"挑戦の夏""成長の夏"を送りたい。

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 未来を育む人へ� 2022年7月20日
◇誠実に! 真剣に!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は「未来を育む人へ�」(全2回)。未来部育成に携わる友へ贈った、折々の励ましの言葉を紹介します。

◇真心が成長の源泉に
子どものころにきざんだ思い出は、生涯、鮮烈に心に残り、光を放っていく。その後の人生、生き方にも、深く、大きな影響を及ぼしていくものだ。
ゆえに私は、未来部の担当者の方々がどれほど大切であるか、と申し上げておきたい。高・中等、少年部の若き友に対しては、くれぐれも真心からの指導・激励をお願いしたい。
少年少女の心は、まことに多感である。それだけに、一時の感情で叱ったり、ウソをついたり、心にキズをつけてしまえば、取り返しのつかないことになる。反対に、多感な心にきざまれた真心の励ましが、どれほど生涯の成長の源泉となるか。後継の育成にあたる方々は、この点を強く銘記していただきたい。
(『池田大作全集』第71巻、147ページ)

◇信心こそ育成の根本
未来部の育成は、信心が根本である。そしてまた、「勉学第一」「友情第一」「読書第一」「健康第一」「親孝行第一」である。
すべてをやりきるのは大変なことだが、信心をがっちりと固めていったとき、勉強も、スポーツも、あらゆる努力が全部、いかされていく。仏法に一切、ムダはないのである。
家庭にあっても、後継の子どもたちに、しっかりと「信心の宝」を継承していくことだ。その地道な実践のなかに、広宣流布の前進があり、令法久住の確かな道が開けるのである。
(『池田大作全集』第96巻、323ページ)

◇まず大人が成長を!
学校の先生もそうだろうが、子どもたちを育てる上で大切なのは、大人自身の人間性である。魅力である。
「教員は学生の僕であれ」と言われる。ますます「教員の質」や「学生へのサービス」が問われている時代だ。
まず大人が成長!——これを心に刻まなければならない。
そして若き友の努力を讃え、よい点を見つけ、ほめて伸ばすことだ。時には「漫才」をするようなつもりで皆を楽しませながら、また、深き「哲学者」として大確信を語りながら、正義の心、正しい価値観を教えていくことだ。心から信頼される存在となっていくことである。
(『池田大作全集』第98巻、432ページ)

未来のために残すべき最高の財宝は、人材である。
その人材を見つけ、育てる人こそが、真の人材である。
そして、人を育てることによって、自分自身が磨かれ、成長していくのである。
「随筆 新・人間革命」

◇若き生命は感じ取る
学会には、一人ひとりが自身の可能性に目を開き、確かな自信と安心と希望を得ていくための豊かな励ましがある。
そして、人間として生きていく上で、最高の誇りと自覚をもつことができる哲理がある。
「生命とは」「使命とは」「師弟とは」——担当者が真剣に語る言葉は、たとえその時は全てが理解できずとも、若き心の大地に成長の種として植わり、信心の根を深く広げていくものだ。
何より、子どもたちが鋭敏な生命で感じ取っているのは、大人たちの「自他共の幸福を目指す真剣な生き方」であり、「正義の道を貫く勇気と信仰の喜び」であろう。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』、53ページ)

◇無名の英雄に最敬礼
どんな有名人よりも、華やかな立場の人よりも、未来部のために、陰で支えてくださっている方々が尊いのです。
高等部の諸君も、そういう先輩を尊敬できる人になってもらいたい。
創価学会は、そういう人たちがつくったのです。愚直のような先輩たちや両親であるかもしれない。しかし、その人たちが、人のため、社会のため、平和のために何十年も活動してきたから、今の世界的な創価学会がある。その無名の英雄を、日蓮大聖人は菩薩と言って、讃えておられる。
社会的に成功し、名声を得ることは、一つの現象としてはよいことです。しかし、無名であっても、人々のために尽くす人生が尊い。自分自身で「だれも評価はしてくれないが、自分は満足した」と言える自分をつくれた人が、本当の大勝利者なのです。
(『青春対話1』〈普及版〉、27ページ)

◇子どもたちのために
子どもたちは皆、かけがえのない「可能性」をもった「宝の人々」です。一人一人が、「希望」の存在です。生命には「希望」が、いっぱい詰まっている。
もしも、子どもたちの中に息づく「希望」を、傷つけたり、窒息させたりするようなことがあれば、それは大人の責任ではないだろうか。
私は、そういう現代の社会を見るにつけ、心が強く痛みます。
子どもたちの瞳が、恐怖や、悲しみの涙で曇るのを見たくない。そういう社会は、絶対に変えていかねばならない。
(『池田大作全集』第62巻、507ページ)

◇陰徳が無量の福徳と
自身も、仕事や生活の課題を抱える中での奮闘は、言うに言われぬ苦労の連続であろう。しかし、その真剣な姿を、未来部員はじっと見ている。誠実の言葉は、必ず命の根底に刻まれていくものである。
私のもとにも、「あの先輩の励ましがあればこそ、今の自分があります」等と感謝の声が寄せられる。派手な喝采など、なくとも構わない。人に尽くした「陰徳」は、必ず「陽報」となって、汝自身の生命を荘厳し、一家一族を無量の福徳で包んでいくからだ。
(『随筆 対話の大道』、95ページ)

2022年7月26日火曜日

2022.07.26 わが友に贈る

挑戦と成長の夏。
苦手なこと新しいことに
チャレンジしよう!
決意の一歩こそ
可能性の扉を開く鍵だ!

可延定業書 P986
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり』

【通解】
命というものはわが身にとって第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさるのである。

名字の言 環境が大きく変化する40代 2022年7月26日
以前、数人の同志と懇談した。当時の彼らは男子部から壮年部に移行したばかり。各人の社会的立場や学会組織の役職は異なるものの、皆が同じく40歳だった▼40代は健康状態、家庭状況、仕事の職責など、環境が大きく変化する時。厳しい現実に直面し、未来への希望を見いだしにくい場合も少なくない。話題に上った友の悩みはそれぞれだった。だが、どれも人生の岐路に差し掛かった年代ならではの内容に、皆が共感し、奮闘を誓い合った▼戦国武将・武田信玄が"勝負の心得"を教えた言葉がある。「四十歳以前は勝つように、四十歳から先には負けぬように」(『甲陽軍鑑』、現代表記に改めた)。当時と今の"40歳"の持つ意味は違うだろうが、文の本意は現在にも通じよう▼池田先生は、この信玄の思考に、目先の勝敗よりも将来の勝利を第一とする"将の大局観"を見た。そして、こう語った。「ただ現在のみ勝てばよいというのでは意味がない。現在も大事だが、将来はもっと大事である。将来、勝つために、今をどうするか」と▼広布の旅路は長い。最強の「法華経の兵法」を根本に、未来を見つめ"今"を悔いなく生きる。それが、人生の総仕上げという究極の勝利の大道を切り開いていく。

寸鉄 2022年7月26日
「世間の法が仏法の全体」御書。現実社会で実証示し人格と行動光る賢者に(新2053・全1597)
長野県女性部の日。広布の人材山脈は堂々。太陽の励ましで幸の連帯拡大
創価の対話で広がる正しい平和認識に期待—韓国識者。青年を先頭に前進
乳幼児や高齢者は熱中症危険大。水分・塩分補給と空調活用。換気も忘れず
感染の抑制のカギは若者の接種と。重い後遺症を防ぐ効果も。賢明に対策

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第19回 荒川の「夏季ブロック指導」 苦悩があるから"功徳の花"は咲く
【地域広布の要諦】
一、会う勇気
一、語る勇気
一、励まし続ける誠実さ
(「随筆 人間世紀の光」〈創価三代の城・大東京〉から)

◇民衆勝利の大絵巻
"庶民の縮図ともいうべき荒川から、民衆勝利の波を起こそう。いかなる権力にも屈せぬ、正義の城を、ここに築こう"——1957年(昭和32年)8月、池田先生は東京・荒川で新たな広布拡大の戦いを開始した。
その1カ月前の7月3日、先生は、無実の選挙違反の容疑で不当逮捕・勾留された。「大阪事件」である。学会という民衆勢力の台頭を恐れた権力による迫害であった。15日間の獄中闘争を経て、17日に釈放された。
9日後の26日、本部幹部会の席上で、「夏季ブロック指導」の実施大綱が発表された。当時、学会の組織は、折伏による人間関係でできた「タテ線」が中心だったが、新しい広布推進のため、地域ごとの「ブロック」組織の強化が、重要なテーマになっていた。
ブロックの充実を図るため、8月8日から14日の1週間、「夏季ブロック指導」が行われることになったのである。先生は、荒川区の最高責任者に就いた。
8月7日、先生は荒川の個人会場に足を運び、主要メンバーとの打ち合わせに臨んだ。勝利を期して皆で祈りを合わせた後、あいさつした。「このたびの大阪の事件では、大変にご心配をおかけいたしました」
先生は「大阪事件」について語り、こう呼び掛けた。「民衆を守るためには、学会が強くなるしかない。その突破口を開くのが今回の戦いなんです。学会の縮図であり、庶民の縮図である荒川で、大折伏戦を展開し、広宣流布の東の錦州城をつくろうではありませんか。永遠なる民衆勝利の大絵巻を、私と共につづりましょう!」
「常勝不敗の荒川」の建設の幕が上がった瞬間だった。
わずか1週間の短期決戦。この日、区内を5地域に分けて担当者を決め、座談会の日程などが決められた。
先生は、人情と活気にあふれる下町を駆け巡りながら、一対一の対話に力を注いだ。日暮里へ、尾久へ、町屋へ、南千住へ——先生の温かい励ましを受けた荒川の友は、一人また一人と、地涌の使命に立ち上がっていった。

【「若き日の日記」1957年(昭和32年)12月4日から】
先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、
私の人生はない。師ありて、われあるを知る。

◇ホトトギスの鳴き声
拡大の主戦場は座談会だった。どの会場も新来者であふれ、熱気に包まれた。
ホトトギスの鳴き声は、何回聞いても良い声だと思う——池田先生は、ある会場で語った。
「ホトトギスの声は、体験談と同じなんです。何回話しても、まだ聞いていない人は、たくさんいます。だから体験談は、何回話しても、何度でも言っていくんです」
入会からまだ日の浅い友も多かった。先生は、教学も交えながら分かりやすく仏法について教えた。
"生命のなかに四菩薩の働きがある。どういう世界でも負けない生命の働きが「上行菩薩」、自由自在の生命の働きが「無辺行菩薩」、「安立行菩薩」は確信のある崩れない生命の働きです。清らかな自身の生命が「浄行菩薩」の働きです。題目をあげ切り四菩薩の働きを涌現させながら、生きることが楽しいという、金剛不壊の自身を確立することです"
先生は、友との語らいで、疑問や悩みに耳を傾け、励ましを送った。
対話に挑戦するものの、うまくいかない同志がいた。"聖教新聞は、信心したら良いということしか書いてなくて、信じることができない"と言われ、返す言葉がなかった。先生は語った。
「答えられなくてもいいんだよ。ただ、一つだけ大事なことがあります。聖教新聞にはウソは一つも書いていません。そのことだけは自信をもってください」
自信を失いかけていた友は、心の底から勇気が湧くのを実感した。
先生の激励は、駅前のベンチや、電車のホームでも繰り広げられた。
荒川で一日の闘争を終え、電車で帰宅する際、同乗していた男子部リーダーに、"戦いの要諦"を教えた。
「戦いというのは策ではないんだ。御本尊に対する強盛な祈りなんだ」
当時、経済苦や病苦で悩み、自分の住む地域に誇りが持てなかったメンバーもいた。先生は、使命の天地で花を咲かせることを訴えた。
「仏法は『如蓮華在水』です。蓮華の花は泥の中から美しい花を咲かせるのです。ですから、苦悩があればあるほど功徳の花を咲かせていけるのです。私は荒川が大好きです」
両親が離婚し、父と離れて暮らす女性が、父に信心の話をした。だが、ものすごい剣幕で追い返された。先生はそのことを聞くと、「心配はいらないよ。家族の中で一人が仏になればいいのです。それが大事なのです」と。
包み込むような励ましに、女性は新たな決意で対話に向かった。
先生の確信と真心は、荒川に"地域広布の明かり"をともしていった。

◇日本一の人材の城に
荒川での拡大戦の終盤、池田先生は戸田先生が滞在する長野・軽井沢を訪れた。
戸田先生は第2代会長就任の折、会員75万世帯の達成を宣言。1957年(昭和32年)6月末の時点で、約60万世帯になっていた。池田先生は、この57年に75万世帯を実現し、衰弱する恩師に安心してもらおうと心に期していた。
同年8月の「夏季ブロック指導」は、まさにその総仕上げの真っただ中での戦いであった。
池田先生は戸田先生との軽井沢での懇談で、荒川で二百数十世帯の同志が誕生したことを報告。恩師は「そうか」と、にっこりほほ笑んだ。この弘教は、当時の荒川の会員世帯の、優に1割を超える拡大であった。
8月14日、先生は長野から帰京。荒川へ向かった。先生は御書を拝しながら、待ち合わせをしていた友を待った。少し遅れて到着したその友は、寸暇を惜しんで御書研さんに励む先生の姿を、深く心に刻んだ。
その後、先生は座談会に出席。入会を決意するメンバーが続出した。夏季ブロック指導は、拡大の歓喜で総仕上げを飾ったのである。
14日のある会合に、頭に白い包帯を巻いた壮年がいた。先生は持っていた扇子に、次のように記し、壮年に贈った。
「波浪は 障害に遇う毎に 頑固の度を増す」
その言葉は、壮年の指針となった。いかなる障魔が競い起ころうとも、信心を貫く生涯を歩み抜いた。
この日、先生は「黒田節」を舞った。"荒川を日本一の人材の城に"との気迫がこもった舞は、同志を感動で包んだ。
「大阪事件」での15日間の獄中闘争から、わずか1カ月——東京の下町に民衆勝利の凱歌が轟いた。大阪拘置所から出獄した翌日、先生は「必ずや、われらは、真実が勝利する時代を創らん」(『若き日の日記』、1957年7月18日)と記した。荒川での戦いは、「真実が勝利する時代」を創る出発点だった。
また、「夏季ブロック指導」は、今日の世界広布の源流でもあった。同年8月8日、日暮里駅に到着した先生を迎えに行った青年がいる。その青年は後に、ブラジルSGIのリーダーとなった。同SGIの目覚ましい広布伸展の一つの淵源は、荒川にあった。
今夏、荒川の「夏季ブロック指導」から65周年の佳節を刻む。8月8日は「荒川広布原点の日」である。先生は、共戦の荒川の同志に、こう呼び掛けている。
「近隣友好の広がり、信頼の拡大、地域と一体になっての発展——"友"が増えること自体が"広布の発展"なのである。どうか、荒川から、新しい広宣流布の"聖火"を赤々と炎上させていただきたい。『東京の前進は荒川から』を合言葉に!」

☆勝ちゆく君へ 第31回 「師弟不二」が仏法の魂
◇一生を勝利の笑顔で
わが地涌の若人たちが、幾多の障壁を飛び越え、青春の栄光の旗を翻してくれています。
戦い切った一人一人の陰徳陽報は絶対であり、厳然です。
日蓮大聖人は、「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり」「師弟相違せば、なに事も成すべからず」(新1211・全900)と仰せです。
師弟不二こそ仏法の魂です。
戸田先生と出会って75年。大確信の師子吼が蘇ります。
「創価の師弟に一生を賭けてごらん。後悔は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾っていけるよ」と。
正しい人生を勝ち進みゆく「師弟のバトン」を、深き宿縁で結ばれた皆さんに託します。

◇共に励まし 共々に躍進
師弟の「共戦」。同志との「共進」——「共に」という一点に、人間革命の真髄が光ります。
共に祈り学び、共に語り動く。その先輩・同志が、何より大切な善知識なのです。
この夏、男子部大学校生や新入会の友など、新たな力が飛躍する翼も、ここにあります。
「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」「自他共に智慧と慈悲と有るを、『喜』とは云うなり」(新1061・全761)です。
夢や希望に向かって励まし合い、苦楽を分かち合う信心の絆は、三世永遠です。
縁深き宝友を尊敬し、讃え合いながら、共々に一歩を踏み出す、充実と躍進の日々を!

2022年7月25日月曜日

2022.07.25 わが友に贈る

新聞休刊日

開目抄下 P236
『設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずばいかでか生死を離るべき』

【通解】
たとえ山林の奥深くに端座して一念三千の観念観法をこらすとも、静かな場所にあって、三密相応の油をこぼさずに修行しようとも、いまの時代がいかなる時代かを知らず、いかなる機根の衆生であるかを知らず、摂受と折伏の立て分けを知らなければ、どうして生死を離れるべきができようか。

☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第22回 あの日あの時の7月
◇力いっぱいに振ったハンカチ
1968年7月3日の夜。多田時子さんは、"きょうは、戸田先生が出獄された日であり、池田先生が入獄された日だ"と思いながら、自宅で唱題を重ねていた。
電話が鳴った。「池田先生から書籍をいただきました」との連絡だった。届いた書籍の表紙を開くと、こう記されていた。
「今日は 僕の入獄記念日だ。/あの時、大阪地検の二階で/見守ってくれた姿は 生涯/忘れぬであろう。/共に学会っ子だ。誇り高く生きよう。/七月三日」
11年前の57年7月3日、池田先生は事実無根の容疑で、大阪府警に不当逮捕された。"池田先生はお元気なのか"——先生の勾留中、多田さんは居ても立ってもいられず、東京から大阪に駆け付けた。
取り調べが行われる大阪地検は、民間人もある程度、出入りができた。多田さんが地検の2階を歩いていると、先生の姿が見えた。「池田先生!」と叫びたい衝動を必死に抑え、持っていたハンカチを、その場で力いっぱいに振った。多田さんには、先生がうなずいたように見えた。
先生は出獄後、地検の2階での出来事を口にすることはなかった。多田さんは、全国女子部長などの役職を歴任し、激闘の日々を送る中で、ハンカチを振った記憶も薄れつつあった。
だが、先生の胸には、あの一瞬の出来事が、11年の歳月を経ても克明に刻まれていた。そして、"あなたの恩は忘れない"と感謝を伝えたのである。先生から書籍が届いた68年7月、多田さんは全国婦人部長に就任した。

◇「戦いはこれからだ」
15日間の獄中闘争を終え、池田先生が大阪拘置所から出獄したのは、1957年7月17日の正午過ぎ。この日の午前10時ごろ、山田徹一さんは釈放直前の先生と、大阪地検の一室で面会している。
これからどうなるのか——山田さんの表情には、不安がありありと浮かんでいた。だが、先生はすさまじい気迫で「戦いはこれからなんだよ」と。部屋には検事もいたが、先生は師子王のごとく堂々とした姿だった。
山田さんの不安は、一瞬にして吹き飛んだ。その後、拘置所の門の前で、多くの同志と先生の出獄を待った。
出所した池田先生は、来阪する戸田先生を迎えるため、伊丹空港(大阪国際空港)へ。関西本部に戻ると、「ただいま!」「みんな、元気か!」と声を掛け、御本尊の前に座った。
題目を三唱した後、仏間の畳をなでながら、「"家"はいいなあ。本部はいいなあ」としみじみと口にした。その言葉を聞いた関西の同志は、池田先生の獄中闘争の、想像を絶する過酷さを感じずにはいられなかった。
この日の夜、それまでの2週間とは打って変わって、関西本部は「大切な人を取り戻した喜び」に包まれ、活気に満ちた。本部内には、戸田先生の豪快な笑い声が響いた。
同年10月18日、「大阪事件」の裁判が開始される。先生は23回、法廷に立ち、初公判から4年3カ月後の62年1月25日、「無罪」が言い渡された。判決後、先生は関西本部に戻ると、その場にいた関西の同志たちに、出獄前と同じ言葉を語った。
「戦いはこれからだ」

◇本質を見極める眼
1969年から92年まで24年連続、約四半世紀にわたって、池田先生が7月に必ず出席した行事がある。創価学園の「栄光祭」(現在は「栄光の日」記念の集い)だ。
「毎日が勉強で忙しいだろうから、夏休み前の一日、お祭りのようなことをやってみてはどうか」——創立者・池田先生の提案で、栄光祭は誕生した。
第1回の開催は、68年7月14日。栄光祭の一環として、先生は寮生と下宿生を信濃町に招き、映画を観賞した。
翌69年7月17日、先生は第2回の栄光祭に出席。「諸君は21世紀の指導者です」と期待を語り、「決勝点として、西暦2001年7月17日の日に、健康で世界に輝く存在として集まっていただきたい」と呼び掛けた。
5期生として創価高校に入学した久保康之さん。人生の原点の一つが、72年7月17日の第5回「栄光祭」だ。
この時、先生は「それぞれ個性に応じ、自分自身の道を伸び伸びと着実に歩んでもらいたい」と語った。創立者のエールに、久保さんは"何かで1番を目指そう"と決める。
その"何か"を見つけようと、がむしゃらに勉強した。1年の浪人を経て、京都大学農学部に進学する。
大学院の修士課程の時、3本の論文を執筆した。久保さんが発見し、最初の論文で発表した内容は、今では定説となり、植物病理学の教科書に掲載されている。
85年、農学博士号を取得した。しかし、大学のポストは狭き門。アルバイトをしながら、研究に励む生活が続いた。募る焦りと不安に耐え、88年、大学助手に。
3年間の苦労は、大きな意味があった。第5回「栄光祭」の時、創立者は大阪事件での人権闘争を通して、「本質というものを見ていける人に」と語った。久保さんは、研究もまた「本質を見極める眼」があってこそ、新たな価値の創造につながると気付いた。
創立者が「決勝点」として示した2001年、久保さんは教授に昇進。18年から1年間、日本植物病理学会の会長として活躍した。この時、同学会の編著で、『植物たちの戦争』(ブルーバックス)と題する著書が出版された。久保さんも執筆陣の一人に加わった。
現在、摂南大学農学部で学部長を務める。社会では「SDGs(持続可能な開発目標)」が叫ばれる。農学が果たす役割は大きい——そのことを感じつつ、研究と教育に力を注いでいる。

◇「あなたには、学園生がいます」
1979年7月17日、池田先生は創価大学の第8回「滝山祭」、創価学園の第12回「栄光祭」の合同記念集会に出席した。
この年の4月、先生は創価学会の会長を辞任。ある時、香峯子夫人に"嫉妬うず巻く日本を去ろう。世界が待っている"と。すると、夫人は語った。
「あなたには、学園生がいます。学園生は、どうするのですか」
本紙に動向が報道されない日々。その中で、先生は栄光祭実行委員のメンバーに励ましを送った。邪知の陰謀が吹き荒れていた時、最も信頼する学園生との絆を強めたのである。
先生は記念集会で、学園生たちと肩を組み、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」、創価大学学生歌を合唱した。
この日、香峯子夫人は大阪にいた。2日前の15日、大阪入りした夫人は、関西戸田記念講堂で行われた関西記念合唱祭に出席。さらに、代表のメンバーと懇談のひとときを持った。
この時、流田睦子さんは、6月から飲食店を始めたことを伝えた。香峯子夫人は「『石の上にも三年』という言葉があります。大変でしょうが頑張ってください」と。夫人の激励を胸に、流田さんは90歳まで店に立ち続けた。
16日には「常勝の母」と慕われた矢追久子さん宅を訪問した。矢追さんの家にはエアコンがなかった。義娘の裕子さんは"暑い中、奥さまをお迎えするのは……"と気をもんでいた。
矢追宅に到着すると、夫人は開口一番、「クーラーがないと聞いていましたので、涼しい服装で来ました」と。その一言に、相手を真心で包み、和ませようとする夫人の深い慈愛を、裕子さんは感じた。
17日、夫人は奥谷チエさん宅へ。奥谷さんは「大阪事件」の時、夫人のことを思い、手紙をつづった。夫人は次のような返信を送った。
「主人は前々より覚悟の上の事。私も常々何時の日か必ずある事は申され続けて居りましたので、非常に元気でございます」「唯最后の最后迄、戸田先生の御意志にそった行動をと、取越苦労とは思ひながら、念じて居る次第でございます」
このやり取りから22年の時を経た出会いだった。夫人は「主人の代理で来ました」と語り、集った同志に励ましを送った。

7・17「大阪大会」から35周年を刻んだ92年7月17日、先生は詠んだ。
「忘れまじ この日 この時 戦いし 歴史絵巻の あの友 この友」
苦楽を共にしてきた同志を、いつまでも忘れない——。
この深き慈悲の指導者が、私たちの師匠・池田大作先生である。

2022年7月24日日曜日

2022.07.24 わが友に贈る

◇今週のことば
「朝々仏とともに起き
夕々仏とともに臥す」
妙法のリズムに則り
健康第一の前進を!
価値創造の開拓を!
(新1027・全737)
2022年7月24日

四条金吾殿御返事 P1186
『敵と申す者はわすれさせてねらふものなり、是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ』

【通解】
敵というものは、その存在を忘れさせて狙うものである。今後もし旅に出られる際は、馬を惜しんではなりません。よい馬にお乗りなさい。

名字の言 野球部の主将に選ばれた男子高等部員 2022年7月24日
ある男子高等部員が、学校で野球部の次期主将に選ばれた。彼は"自分にはリーダーの資質などないのに……"と困惑した。主将に相談すると、「部内の最上級生たちで協議し、皆で決めた」と言われた▼主将は、選んだ理由も話してくれた。毎回の練習後、皆が帰った部室で、彼が自分のグラブとスパイクの手入れをしている姿を、何度も目にしたという。「"野球への向き合い方"を見て、君になら任せられると思った」とのこと。彼は決意を固め、新しい主将に就いた。その後、彼を中心にチームはまとまり、実力も備えた屈指の強豪校へと躍進した▼どの分野であれ、偉業は「まず、人ありき」である。中心となる、また先頭に立つ人の"信念に生きる姿勢"。目標を達成するための努力と真剣な行動。そこから信頼、団結、勝利の力は育まれていくに違いない▼池田先生は語っている。「諸天の加護といっても、自身の人間としての生き方と無縁のところで"タナからボタモチ"のように働くものではない。(中略)自身の人間革命と連動して、初めて環境は変わっていく」▼中心軸がぶれてしまえば、力強い回転は生まれない。地涌の生命をわが一念に脈動させることで、環境は変革できる。組織も人も。

寸鉄 2022年7月24日
真実の言葉は不滅で最上—仏典。正義は語り抜いてこそ。青年よ力の限り
功徳の宝庫を開けるのは「信」以外ない—戸田先生 逆境の時こそ強き祈りで
志を守り譲らぬ者が世を創るのだ—文豪ゲーテ。一人の人間革命から偉大な変革
旅行や帰省時の感染予防—車や部屋の窓開けての換気が有効。基本を厳守
子の努力知り言葉掛ける事がやる気を引き出す—医師。親子で成長の夏に

☆勝ちゆく君へ 第30回 仏法は勝負 正義は勝つ
◇対話の力で時代を変えゆけ
わが学生部は、誉れの結成65周年。先駆の対話で拡大する俊英を頼もしく見つめています。
若き日、あらゆる思想を学び抜かれた日蓮大聖人は、民衆の幸福と安穏のため、「立正安国論」を著し、諫暁されました。
「ただひとえに、国のため、法のため、人のためにして、身のためにこれを申さず」(新49・全35)と。
真の知性とは、行動の人です。
正義の若人は黙してはならない。苦悩や不安が渦巻く時代だからこそ、仏の仕事を為す「声の力」で、人間革命のスクラムを広げ、未来を開こう!
戸田先生の言葉を贈ります。
「確信ある青年の声の響きこそが、新たな革命の力である」

◇たゆまぬ挑戦・開拓を
御聖訓に「仏法と申すは勝負をさきとし」(新1585・全1165)と仰せです。
人生で、社会で、勝つために、仏法はあります。誰もが、自身の行き詰まりとの戦いです。強盛に祈り、眼前の戦いに一歩踏み出すのです。
前に進めば、分厚い壁が立ちはだかります。その時に、祈りを深め、負けじ魂で、再び挑戦するのです。勇気ある信心で、必ず道は開かれます。
「竹の節を一つ破りぬれば、余の節また破るるがごとし」(新1420・全1046)
一つ一つ課題を突破し、一人一人を大切に、わが広布の新記録を飾っていただきたい。
いざ師弟の7月へ、青年凱歌の暁鐘を打ち鳴らしゆけ!

☆質問BOX 恥ずかしくて、親に感謝を伝えられません。
◇答え
普段から接している親や家族だからこそ、感謝の気持ちを伝えるのは、"照れくさい"と思うかもしれません。
"ありがとう"と、言葉にして伝えることができなくても、"感謝の伝え方"はさまざまあります。例えば、日蓮大聖人は、「親に良い物を贈ろうと思っても、何もできない時は、せめて日に二度、三度、笑顔を見せてあげなさい」(新1850・全1527、通解)と仰せです。
"親に笑顔を向けるのも恥ずかしい"という人もいるかと思います。池田先生は「何か特別なことをするのが親孝行とは限らない」とつづっています。
行動に移すことが難しいと感じたならば、親に対する感謝の心で題目を唱えていくことから始めましょう。思いを込めた祈りは、普段の何気ない一つ一つの行動に現れていくからです。

☆随筆 人間世紀の光106『「勤行」は勝利の源泉』 2006.2.10
◇元初の太陽よ わが胸中に昇れ!
昭和三十五年七月、私は、男子部の精鋭グループ「水滸会」とともに、太平洋を望む千葉県・銚子の犬吠埼を訪れていた。いまだに忘れ得ぬ、懐かしい天地である。
あの水平線の彼方に、赫々として昇りゆく太陽を思い描く時、私の胸は常に躍る。
その日、恩師・戸田先生は、私たちの前に姿を見せることはなかった。
先生は、生涯の願業を成就され、二年前に、五十八歳で逝去されたのだ。
しかし、弟子である私の胸中には、生き生きと、恩師の指揮とる姿、弟子を励ます力強い声が、いつも、またいつも、「師弟不二」の実像として輝いていた。
先生がいらっしゃらない「水滸会」は、本当に寂しかった。
けれども私は、広宣流布の「真の後継者の道」、創価の「真の師弟の道」をば、決然と、また正々堂々と歩みゆく「水滸会」の成長を祈り念じ、その訓練を、絶対に忘れたことはなかった。
この中から、ありとあらゆる分野で広宣流布のために指揮をとり、厳然と活躍しゆく「人材」が立ち上がり、誇り高く、また力強く生き抜いていくと確信していたからだ。
ここに、学会の「希望」があった。
ここに、同志の「希望」があった。
ここに、未来の勝利の「希望」があった。

わが"旭日の千葉"の有志が、太平洋に昇る「初日の出」の写真を送ってくださった。私たち夫妻は、いつも嬉しく拝見している。

◇日の出を見よ
それは同時に、"汝自身の胸に旭日を昇らせよ"——という呼びかけの如く、私は感じとっていた。
日蓮大聖人は、妙法を唱える偉大さを"日の出"に譬えられ、「太陽が東の空に現れれば、世界の空はみな明るい。大光を具えておられるからである」(御書八八三ページ、通解)と仰せだ。
仏道修行の根幹として、私たちが実践している勤行は、いわば、「仏の生命」という元初の太陽を、日々、わが心の大空に赫々と昇らせゆく儀式なのである。
御義口伝には、「朝朝ちょうちょう・仏と共に起き夕夕せきせき仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」という、深遠なる金言が引かれている。
朝な夕な御本尊に向かい、朗々と勤行していく我らは、常に「仏と共に」生きていると、仏法は説くのだ。
そして、瞬間また瞬間、久遠の仏の大生命力が目覚め、厳然と顕れていくのである。
(中略)
ともかく、大事なことは、「勤行しよう」「題目をあげよう」「祈っていこう」という「心」であり、「挑戦」であり、「持続」である。

2022年7月23日土曜日

2022.07.23 わが友に贈る

朝の清々しい
勤行・唱題から
きょうも出発しよう!
豊かな生命力で
充実と向上の日々を!

寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』

【通解】
「志」を抱いて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい。

【先生の指導から】
妙法を信じ、広宣流布への"志"を抱いて進む人たちは、たがいに集いあって進んでいくべきである。
一人ぼっちでは、どうしても弱くなり、惰性や臆病に負ける。ゆえに皆で集まって、励まし、支えあっていく。そこに組織の大切さがあり、会合の意義もある。
生き生きと会合に集い、勝利のため、発展のために、裏も表もなく、皆で自由に協議し、心を一つに前進していく。これが学会の伝統である。

名字の言 「未来」を考えて「今」を行動する 2022年7月23日
ヒノキ素材(丸太)生産量日本一を誇る岡山県で、毎日のように山に入り、木と共に生きる青年がいる。家では米や野菜を作り、林業と農業の"二刀流"で地域に貢献する▼ヒノキは伐採できるまで60年かかるという。青年が伐採している木は、戦後間もなく植林されたもの。「私は伐採する時、この木を植えた先人たちを思い、感謝しながら作業します。伐採後は植林をしますが、自分が植えた木が大きく成長し、やがて伐採される時、未来の伐採者から感謝される自分でありたいですね」▼60年といえば2世代である。自分が生きる時代だけでなく、孫子の代が活躍する時代を考えて「今」を行動する——持続可能な社会をつくる鍵の一つが、ここにあろう▼青年は過疎化が進む地域にあって、林業では現場のリーダーとして、地域では自治会の区長や消防団員として、学会では未来部担当者として人材育成に力を注ぐ。「焦点は人材です。新しい人を見つけ、育てなければ、後が続きません。希望の未来が開けません」▼人材育成は時間がかかる。だが人材の盤石な流れあればこそ、持続可能な未来は約束される。この夏、わが地域から「法華経の命を継ぐ人」(新1590・全1169)の流れを築こう。

寸鉄 2022年7月23日
絶大な確信があれば乱世でも悠々—恩師。どんな時も法華経の兵法で前進
三重蘇生の日。不撓不屈の挑戦で築いた人材の城 誓願の"この道"を共々に
統監に携わる友に感謝。陰の労作業ありて広布の土台は盤石。福徳は厳然
夏の友好期間。計画と目標定め価値創造と成長の黄金譜を。健康・無事故で
SNSでの投資勧誘等のトラブル増。簡単に儲かるとの囁きに騙されるな

☆御書根本の大道 第15回 大いなる使命
◇諸法実相抄
いかにも、今度、信心をいたして、法華経の行者にてとおり、日蓮が一門となりとおし給うべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。
(新1791・全1360)

◇勇気の指標
この妙法を持った皆さん方に、どれだけの力と可能性が秘められていることか。それを、現実に限りなく発揮していくためのスイッチが「信心」であり、「唱題」なのです。
◆◇◆
本物の信仰とは、何かにすがる、弱々しい"神だのみ"のようなものではありません。真剣に祈り、真面目に努力することで、本当の自分の力、本来の自分らしい可能性を存分に出し切っていくためにあるのです。
◆◇◆
地涌の菩薩は、仏に等しい偉大な菩薩ですが、あえて、悩みや苦しみに満ちた悪世に生まれてきます。だから、世の中の人々と同じ悩みや苦しみを持っています。しかし地涌の菩薩の境涯は違うのです。それは、大いなる使命を誇り高く自覚しているからです。
◆◇◆
今がどんなに大変でも、また、これから、いかなる試練があろうとも、「負けじ魂」で朗らかに進むことです。皆さんには、一人ももれなく偉大な使命があります。多くの人から、"あなたのお陰で幸せになれた"と言われるリーダーに成長していってほしい。目立たなくても、地味でもいい、どこまでも庶民のために、社会のために行動する創価の師弟の人生を、自分らしく歩み抜いてもらいたい。これが、私の願いです。

◇一切の挑戦が成長の糧と 山下勇人未来部長
ちょうど10年前、高等部の会合で、「諸法実相抄」を学ぶ機会がありました。
真新しい御書に線を引き、一生懸命に勉強しました。難しいことはなかなか分かりませんでしたが、未来への希望と決意が膨らんだのを覚えています。
今回は、池田先生が、「未来の希望『正義の走者』に贈る」と題して講義してくださった本抄を学び合い、"飛躍の夏"へと飛び出していきましょう。

◇失敗を恐れず
先生は、次のようにつづってくださっています。
「信心に励む人は、一切の挑戦を成長の糧、人生を開く鍵にできます。最後には、願った以上の人生となることは絶対に間違いないのです。ゆえに、一番大切なことは最後まで信仰を貫き通すことです」
徳島の地で野球に打ち込んでいた中学時代、未来部担当者の方が激励に。この時、池田先生の励ましの心に触れました。先生の温かさに、夢が大きく広がった私は、アメリカ創価大学(SUA)を目指すように。関西創価高校で勉強に励み、SUAに進学することができました。
希望に燃えて勉学に挑みましたが、学べば学ぶほど、社会課題の複雑さを突き付けられるような思いになり、"自分一人に何ができるんだろう。自分の使命とはいったい何なんだろう"と、思い悩むように。
そんな時でした。当時の学長から「Mistakes are great!(失敗することは素晴らしいこと)」と、励ましていただきました。
"そうだ! 自分がやりたいと思うことに思い切り挑戦しよう"——そう決意することができ、語学を伸ばそうとフランスの羊農家へホームステイに行ったり、メキシコやセネガルに短期で留学したりしました。
そうした経験をもとに、SUAで核兵器廃絶とSDGsについて学ぶサークルを設立。被爆者の方を招き、講演会を開くなど学びを深めました。卒業式では、思いがけず、池田先生がメッセージの中で、このサークルの活動について触れてくださり、師匠の温かさに心が震えました。

◇点と点が線に
皆さんも、進路に悩んだり、努力したものの思うような結果に結び付かないこともあると思います。先生は例えを通して講義されています。
「現実は、思い通りに進まないことも多々あります。祈って、すぐに叶わないこともあるでしょう。それは、例えれば、大地の深い所に埋まっている宝を取り出そうと必死に掘ったけれども、固い岩にぶつかって、たどりつかないようなものです。そこで諦めてしまえば、宝を掘り出すことはできません」
私自身、将来が見えずに悶々とした時期もありました。また、かつては海外で学ぶなんて考えたこともありませんでした。ですが、"先生にお応えできる自分に"と題目を唱え、その時その時の課題に全力で立ち向かっていく中で、やりたいことや将来の志望が定まっていきました。SUAで学んだことが今の仕事に存分に生かされています。
諦めずに行動し続けていけば、"点と点が線でつながっていく"ように、これまでの努力が全て生かされ、想像すらしなかった、壮大な人生が必ず開けていくと確信します。

◇さあ、挑戦の夏!
池田先生は今回の講義の中で、「広宣流布」や「地涌の菩薩」について教えてくださっています。
「広宣流布とは、分かりやすく表現すると、誰もが"生まれてきてよかった""生きているのがうれしい""毎日が楽しく充実し、友とは仲良く過ごしている"という幸福で平和な社会を実現していくことです」
「地涌の菩薩は、苦難に断じて負けません。自らも苦しみながら、悩みを抱えている人たちを励まし、希望を送る生き方を貫き通します」
コロナ禍が続き、社会の状況も混沌としています。学校でも、さまざまな制限があり、不自由なことも多いと思います。しかし先生は、皆さんには"人類の平和と幸福のために、この時を、あえて選んで生まれてきた深い使命があるんだよ"と教えてくださっています。
「今がどんなに大変でも、また、これから、いかなる試練があろうとも、『負けじ魂』で朗らかに進むことです。皆さんには、一人ももれなく偉大な使命があります」——この師匠のご期待に応えるためにも、今は勉学第一、健康第一で進んでいきましょう。
さあ、鍛えの夏! 希望に燃えて「新しい挑戦」を起こせば、「新しい可能性」が広がります。自分らしく、朗らかに、勇気の前進を開始していきましょう!

◇メモ
「諸法実相抄」は文永10年(1273年)5月、流罪地の佐渡で著され、最蓮房に与えられたとされるお手紙。最蓮房は、日蓮大聖人と同じ時期に佐渡に流罪されていた天台宗の学僧で、大聖人と出会って入信した。本抄は、この最蓮房が仏法の深い法門について大聖人にお尋ねしたことに対する御返事である。

2022年7月22日金曜日

2022.07.22 わが友に贈る

"善き友を持つことが
仏道修行の全て"仏典。
自らが良き友人となれば
尊き仏縁も必ず広がる。
わが心を磨いていこう!

兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』

【通解】
心の師となることはあっても、自分の心を師としてはいけない。

名字の言 世界陸上100メートルで歴史をつくったサニブラウン選手 2022年7月22日
"人類最速"を決めるステージに日本代表が立った! 陸上男子のサニブラウン・ハキーム選手が、米オレゴン州で行われている世界選手権の100メートルで、堂々の7位入賞を果たした▼同種目での決勝進出は日本勢初。五輪を含めると、90年ぶり2人目の快挙である▼サニブラウン選手は予選で自己ベストに迫る9秒98をマーク。これまで「10秒の壁」を破った日本人は4人いるが、主要国際大会で9秒台を記録した選手は初めて。「歴史をつくりに来ている。過去の自分を超えて前に進みたい」。そう語った通り、2度の準決勝敗退という過去を乗り越え、決勝の大舞台で輝きを放った▼スポーツの世界に「ピーキング」という言葉がある。目標とする本番に向けて、コンディションを最高の状態(ピーク)にもっていくことだ。だが、どんなに準備しても"ここ一番"で持てる力を出し切るのは容易ではない。「体が強い人でも、心が弱ければ多くの才能も役に立たない」(新1690・全1220、通解)——人間の能力を真に発揮させていくのは、強き「心」であろう▼人は誰もが、人生という名の競技場に立つ挑戦者。その勝負の舞台で、勝つための努力を惜しまない「心の強さ」こそ、最も偉大な才能である。

寸鉄 2022年7月22日
「師弟共に唱うるところの音声」御書。充実の夏へ師子吼の題目で日々出発(新1043・全748)
鼓笛隊結成の日。心潤す希望のマーチを地域に!朗らかに青春勝利の乱舞
世界を変革するのは青年—ペッチェイ博士。平和の大理想を抱き大いに学び語りゆけ
河川での子の死亡事故は海の2倍。"浅い"との先入観が悲劇生む。要注意
夏バテ予防の基本は栄養のある食事と良き睡眠。いつも以上に強く意識し

〈社説〉 2022・7・22 きょう鼓笛隊結成66周年
◇平和の世紀を照らす使命の青春
皆が見つめる先にさっそうと立つ鼓笛隊。一瞬の沈黙の後、演奏が始まる合図の笛が響き渡る。温かな音色の木管、きらびやかな金管、凜々しくリズムを刻むドラムが一つになり音楽を奏で、フラッグやバトンの華が舞う——。
創価学会・富士鼓笛隊は、きょう結成66周年を迎えた。"世界に響け! 未来をひらけ!"——。"若き正義の芸術家"の心には、結成以来、変わることのない鼓笛隊精神が光り続けている。
1956年7月、鼓笛隊はわずか33人で結成された。
歴史上では、戦場で軍隊の士気を上げるために存在した鼓笛隊。
池田先生は鼓笛の乙女らを「平和の天使」と呼び、「学会の鼓笛隊は、広宣流布のためにある。世界の平和と人々の幸福のためにある」と大きな使命を託した。
師の思いに応えるべく、鼓笛の友は、希望の舞と歓喜の曲で、尊き文化・平和運動の前進を鼓舞してきた。各地でのパレードやコンテストでは、爽やかな演技で観衆を魅了し、学会理解の輪を大きく広げている。
共に泣き、共に笑い、共に戦う"鼓笛姉妹"が奏でる旋律。信心から発する努力の先には、この上ない歓喜があふれる。簡単にはくじけない忍耐強さ、困難に挑みゆく勇気、希望に満ちた笑顔。
麗しきスクラムと薫陶の中で、どこまでも自分と向き合い、心を磨いているからこそ、鼓笛で青春を送る友らは強い。
ある池田華陽会のメンバーは"一家和楽を勝ち取りたい!"と未入会の父への折伏を決意。学会理解を得られずに悩んだ時こそ、諦めずに祈りを重ね、真心の対話を心掛けた。
そんな中、父が病に。不安に寄り添い、励まし続けた。「お父さんを絶対に幸せにするから、一緒に信心をしてほしい!」——娘の熱意が伝わり、父は本年春、入会した。
池田先生は「天使ほど美しく 天使ほど清らかで 天使ほど強く そして 天使ほど正しい存在はいない!」とつづる。
いかなる時代であれ、地域に、社会に、世界に、希望の音律を広げゆく「平和の天使」鼓笛隊。"全ての人に勇気と希望を届けよう"と奏でる一音一音、舞う一振り一振りが、生命尊厳の平和の世紀を明るく照らしゆく。
使命の青春を歩む鼓笛の友の、大いなる前進に期待したい。

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 第2総東京教育部長 島田金男
◇子どもの可能性の開花へ
【プロフィル】しまだ・かねお 創価大学を卒業後、公立小学校教諭、校長職を歴任。定年退職後、不登校児童・生徒の支援に当たっている。1960年(昭和35年)入会。62歳。東京・八王子市在住。副区長(支部長兼任)。

◇心の声に耳を傾ける
昨年、一通の手紙が届きました。差出人は、かつての教え子・Aさん。
Aさんは、家庭では普通に話せるのに、小学校では一切声を出せない、いわゆる「場面緘黙症」でした。
授業などで発言する番になると、Aさんの唇はかすかに動きます。"話したい気持ちはある"——だから、無理はさせません。周りの児童も理解し、日頃から優しく接してくれました。
Aさんの声を聞くことがないまま別れたので、ずっと気に掛かっていました。
30年ぶりに再会したAさんは、自らの声で、静かに胸の内を明かしてくれました。
——幼稚園に初登園した日、Aさんは先生からのあいさつに応えることができず、それ以来、声を出せなくなってしまったとのこと。高校進学を機に、"このままではいけない"と、声を発する挑戦を始め、努力を重ねる中で症状を克服し、現在は研究者の道を歩んでいるとのことでした。
どれほど、勇気を振り絞ったことでしょうか。困難を乗り越え、成長したAさんの姿に感動が込み上げました。
教育現場では、さまざまな課題のある子どもがいます。それでも、一人一人がAさんのように豊かな可能性を秘めた存在です。
仏法では、「一切衆生皆成仏道」(新704・全557等)を説き、あらゆる人の生命に仏性を見いだします。ゆえに、子どもは"未熟"でもなければ、劣った存在でもありません。幸福になる権利を持つ、一人の立派な人間なのです。
だから、子どもの可能性が花開くよう、どんな子どもにも尊敬の心をもって接してきました。この姿勢は、創価大学在学中、創立者・池田先生の振る舞いから学んだ、教育者としての原点です。

◇うまく表現できない
教員人生で最も悩んだのが、40歳の頃。担当する学年では、ほかの学校では起きないような問題が、毎日のように起きていました。
ある日、保護者から「子どもが帰ってこない」と連絡が。全教員で手分けして地域を捜しました。
幸い、午後9時すぎに自宅近くで無事、発見。後日、家庭内に居場所がない状況だと分かりました。
大人にとって"問題"と思える、子どもの行動には理由があるものです。子どもは、その理由をうまく表現できないだけなのです。
これを機に、児童一人一人の話をよく聞くことにしました。授業での発言を通して、その子の考え方を知る。給食を一緒に食べながら、興味・関心を知る。"聞いているふり"では、子どもは敏感に気付いてしまいます。
かつて池田先生は、"よく聞くこと"について、「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていくということです」と述べた上で、「教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のように慈愛の深みがあってこそ、可能となる」と教えてくださいました。
「慈愛の深み」の源泉こそ、日々の勤行・唱題です。子どもの顔を思い浮かべながら、成長と幸せを真剣に祈ることで、クラスの課題に正面から取り組むことができました。
私一人では対処できないことも、たくさんあります。教員同士で「子どものために」と確認し、団結する中で、徐々に学年の雰囲気も変わり始めました。
悩んだ分、"子どもを信頼し抜く"という教育者にとって一番大切な柱を定めることができたと思います。

◇桜梅桃李のごとく
昨年10月の文部科学省の発表によると、小・中学校における不登校の児童生徒数は約20万人と過去最多を更新しました。不登校が増えるタイミングは、長期の休み明けといわれています。もうすぐ迎える夏休みを心身共に健やかに過ごせるか、丁寧に見守ることが大切です。
2年前に定年退職してから、不登校の児童・生徒と関わっています。不登校の子をもつ保護者と接すると、心配する気持ちは痛いほど伝わってきます。
しかし、ちゃんと子どもに向き合うことなく、話を聞かないまま、学校に通わせようとするだけでは、かえって子どもを「型」にはめるだけで、反発を招きかねません。
仏法では、一人一人がありのままの姿で輝く生き方を教えています。その原理が、「桜梅桃李」です。桜も梅も桃も李も、花の形や見た目や香り、花が咲く時期は同じではありません。しかし、それぞれが趣深い、素晴らしい個性・特性を開花させます。
この原理に照らせば、子どもたちの個性や成長のスピードも違って当然といえます。
目の前の子ども一人一人がもっている、その子でなければ果たせない、かけがえのない使命を、大人が信じられるかどうかに懸かっています。
私は、仏法の教えを心に刻み、子どもたちが進みたい将来を一緒になって考えるようにしています。その道に向かって、子ども自らが学び続けていけるように、温かな励ましを送り続けていく——。生涯、教育者の使命を果たしていきます。

◇[視点]慈愛の施し
仏典には、財力などによらずに、慈愛をもって人に尽くす七つの方法が説かれています。第1に「眼の施し」——温かいまなざし。第2に「顔つきの施し」——にこやかな顔。第3に「言葉の施し」——優しい言葉遣い。第4に「身による施し」——尊敬の態度を示す、などです。
釈尊は、笑顔で自ら話し掛ける人でした。周囲に安心感を与え、和やかな雰囲気をつくり出したことでしょう。そして、釈尊のもとには、社会的な差別を超え、多彩な人材が集い、育っていきました。釈尊は"人類の教師"とも呼ばれています。
あの人がいれば、身も心も軽くなる。そう慕われる人間性を磨きながら、教育本部の友は子どもの可能性を伸ばそうと挑戦を重ねています。

2022年7月21日木曜日

2022.07.21 わが友に贈る

飛躍の夏に挑む
受験生よ頑張れ!
"一日一日が勝負"と
ベストを尽くしていく。
その持続に栄冠は輝く!

新池御書 P1443
『相構へていかにしても此の度此の経を能く信じて命終の時千仏の迎いに預り霊山浄土に走りまいり自受法楽すべし、信心弱くして成仏ののびん時某をうらみさせ給ふな』

【通解】
なんとしても、このたびの人生では、この経をよく信じて、臨終の時は千仏の迎えを受け、霊山浄土にすみやかに参り、みずから法楽を受けるべきである。
信心が弱くて成仏が延びた時に、私を恨んではなりません。

名字の言 決心する限り、必ず前途がある 2022年7月21日
中国の思想家・魯迅は、人間の可能性を信じ抜く人だった。厦門大学に「平民学校」(貧しい労働者や農民の子のための学校)がつくられた時のこと。子どもらを見下す権威的な教授もいたが、魯迅は違った▼開校式で彼は訴える。「あなたがたの貧しいのはお金だけです。聡明さと知恵ではありません」「決心するかぎり、奮闘するかぎり、かならず成功し、かならず前途がある」。皆の心に希望がともされ、会場は嵐のような拍手で揺れたという(石一歌著『魯迅の生涯』東方書店、金子二郎他訳)▼池田先生が指揮した昭和31年の「大阪の戦い」。当時、病苦や経済苦にあえぐ友が多くいた。周囲が反対する中、信心する人も。そうした人々の中に先生は飛び込んで、共に祈り、御書を拝し、座談の輪を広げた。一人一人の命に"希望の灯"をともし、歓喜の旋風を巻き起こした▼戦いに参加した友は述懐する。「先生は、どんな人とも同じ目線に立って語り、同苦し、広布の使命を気付かせてくださった。だから"一緒に頑張ろう!"と奮い立てた」▼世代や立場を超えて心を結び、師と、同志と共に進む。この連帯が、どれほど多くの庶民の人生を勝ち開いてきたことか。学会は"校舎なき総合大学"である。

寸鉄 2022年7月21日
師子の子は鍛えれば鍛えるほど逞しく—戸田先生 青年よ行学錬磨の日々を
「人の心かたければ、神のまぼり必ずつよし」御書。苦難の時こそ祈りを強く(新1689・全1220)
あらゆる物に宝石が隠されている—発明王エジソン。皆が人材と確信し共々に成長
20歳未満のゲーム課金の問題急増と。親子で話し規則決めを。未然に防止
携帯等の「ながら運転」は危険。自転車でも自動車でも事故発生。油断大敵

〈社説〉 2022・7・21 きょう「水滸の日」
◇広宣流布の闘魂を受け継ぐ一人に
きょうは「水滸の日」。1953年(昭和28年)7月21日、男子部の人材グループ「水滸会」が新出発した日である。
なぜ新出発なのか。前年の12月、第2代会長・戸田城聖先生のもとに結成され、会合を重ねていたが、その中で先生の話をただ聞いていればいいという安易な姿勢の者が現れてきた。それを察した先生は激怒し、席を立ってしまう。
メンバーの一人、若き池田大作先生は日記に記した。「夜、水滸会。先生、ひどく怒らる。我等悪し。全く、魂なく、意気地なきことを反省する」「この転換は、信心。信心の力以外に、解決と前進の道なし」(53年6月16日)
水滸会は何のために——必死の唱題と思索の中、池田先生は三つの誓いからなる「宣誓」を戸田先生に提出する。そこには「御本尊に対する誓い」「師匠に対する誓い」「会員同志の誓い」がうたわれ、師の心をわが心として、広宣流布の実現へ不惜身命で戦う決意が込められていた。それを見た戸田先生の様子が小説『人間革命』第7巻「水滸の誓」にこうある。「相変わらず戸田は厳しかった。しかし、伸一の申し出が『宣誓』という決意となって固まったことを、心では喜んでいるようだった」
仏法の上からは全員が自ら広布を誓って生まれてきた地涌の菩薩である。ゆえに誰かに頼まれたからやるのではない。広宣流布は、どこまでも誓願の実践であり、自発能動で立ち上がるものだ。この原点となる「宣誓」が発表されたのが「水滸の日」の歴史である。
水滸会は以後、3年にわたり、内外の名作文学を教材に行われ、戸田先生亡き後も、池田先生のもとで開催。『人間革命』『新・人間革命』には、折々の水滸会での指導がつづられ、現代の世界の青年たちへの貴重な指針となっている。
全30巻におよぶ小説『新・人間革命』の最終章のタイトルは「誓願」である。その最後の部分には水滸会の指導が引かれている。
「私は、戸田先生が『水滸会』の会合の折、こう言われたことが忘れられない。『中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる』。その『一人』とは誰であったか」「私は"その一人こそ、自分であった"との誇りと自負をもっています」。われ一人立つ——創価の師弟に脈打つ広宣流布の闘魂を受け継ぐ誓いの日としたい。

☆大慈悲の心音 門下への便り 第5回 日眼女
四条金吾の妻である日眼女は、夫と共に大聖人をお守りし、さまざまな苦難に屈せずに、師が立正安国の大闘争を繰り広げられた鎌倉の地で、純真な信仰を貫いた女性門下です。
日眼女が待望の子どもを身ごもったときには、大聖人は心から喜ばれ、「玉のような子が生まれるでしょう」(新1510・全1109、通解)と、激励のお手紙を送られています。
大聖人が佐渡へ流罪されると、多くの門下も弾圧に遭い、信心に疑いを起こして退転していきました。その中で金吾夫妻は、佐渡へ御供養の品々を送ったり、金吾自身が佐渡を訪れたりして、赤誠を尽くしました。
文永9年(1272年)に日眼女へ宛てて認められた「同生同名御書」では、夫をはるばる佐渡へ送り出した、日眼女の信心を最大に称賛されています。
文永11年(74年)、金吾は主君を折伏して不興を買い、同僚からもさまざまな圧迫を受けるようになります。日眼女の周囲にも、法華経の信仰に対する理解が不十分で、距離を置くようになった者がいたかもしれません。
そんな彼女に対して大聖人は、正法に無知な多くの人々にどれほど憎まれようとも、毅然たる信心を貫いて、諸仏・諸天に大切な人だと思われるならば、むしろ大いなる喜びではないか、と渾身の励ましを送られています。
けなげに信心に励み、夫を支え続ける日眼女を、大聖人は「日本第一の女人なり」(新1543・全1135)と称賛されています。

◇全ての奮闘が無量無辺の福徳に
『おのおの、わずかの御身と生まれて、鎌倉にいながら、人目をもはばからず、命をもおしまず、法華経を御信用あること、ただ事ともおぼえず。』(同生同名御書、新1518・全1115)

広宣流布のために、逆境にありながら、身命を惜しまず戦い抜く功徳がどれほどのものか。
"ただごとではない"との御本仏の御断言の通り、必ずや無量無辺の福徳となって自身を荘厳することは疑いありません。
大聖人がこのお手紙を送られた当時、鎌倉では極楽寺良観ら諸宗の悪僧らに唆された幕府要人によって、大聖人門下に激しい迫害が及んでいました。二月騒動(北条一族の内乱)による混乱もあったと考えられます。
お手紙では、そうした苦境に直面する中で、夫を佐渡へと送り出した日眼女を最大にたたえられています。
「このような乱れた世に、この殿(金吾)を佐渡の地まで遣わされた、あなたの真心は大地よりも厚いのです。必ず地神も知っていることでしょう。また、その真心は虚空よりも高いのです。きっと梵天・帝釈も知られていることでしょう」(新1519・全1115、通解)
長引くコロナ禍、厳しい経済状況など、乱れた世の中で、自他共の幸福のため、立正安国のために行動する友の真心は"ただごと"ではありません。「すでに天も知っていらっしゃることであろう」(同)と仰せの通り、人知れぬ奮闘も一切が必ず福徳となって輝きます。師と共に、偉大な広布の歴史の一ページを、今日もつづっていきましょう。

◇一切を動かす"師子吼の題目"を
『譬えば、頭をふればかみゆるぐ。心はたらけば身うごく。大風吹けば草木しずかならず。大地うごけば大海さわがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。』(日眼女造立釈迦仏供養事、新1610・全1187)

"必ず勝つ!"——広布も、人生も、分厚い困難の壁を突き破り、勝利を開く決め手は、大宇宙をも揺り動かすような、妙法の強盛な祈りにあります。
当時、人々が忌避する厄年に当たっていた日眼女に、人生勝利の要諦を御教示された一節です。
頭を振れば髪が揺れる。大地が動けば大海が荒れる——こうした譬えを通して、「教主釈尊」という根幹を揺り動かせば、諸天善神などの一切を動かしていくことができると教えられています。
ここでいう「教主釈尊」とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。"教主釈尊を動かす"とは、私たちの実践でいえば、御本尊を深く信じ、仏の大生命力を涌現させていくことです。
池田先生はつづっています。
「勝敗の分かれ目の時こそ題目だ。仏菩薩も、梵天・帝釈も、わが身に『入其身(其の身に入る)』させるのだ。信心が強ければ、周囲が自分の幸福の力になる。善の味方になる」
"自分に何ができるのか""今さらもう遅い"などといった無力感や諦めの命をたたき出し、絶対勝利の「師子吼の題目」に徹する時、いかなる状況も変えていけるのです。

2022年7月20日水曜日

2022.07.20 わが友に贈る

「御みやづかいを
法華経とおぼしめせ」
社会の中で力を発揮する。
そのための仏法だ。
信心即生活の勝利者に!
(新1719・全1295)

除病御書 P1298
『但し貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん』

【通解】
あなたが、この病気にかかった事を、ある人が報告しました。私は、日夜、朝暮に法華経に申し上げ、朝暮に青天に訴えておりました。病が治ったことを、きょう聞きました。これ以上、うれしいことはありません。

名字の言 温かなつながりを家庭や地域へ 2022年7月20日
亡き父の墓参に行ったという男子部員と語らった。結婚し、離れて暮らす兄弟と久しぶりに再会。彼は「皆が日々、胸中の父と対話をして奮闘していることを知り、うれしかった」と笑顔で話した▼日蓮大聖人は「妙一尼御前御消息」で、夫を亡くした妙一尼を励まされた。「ご主人は月の中か、太陽の中か、天の鏡の中に妻子の姿を浮かべて、一日中、見守っておられることでしょう」(新1696・全1254、趣意)▼さらに「あなたがたは凡夫ですから、これを見ることも聞くこともありません。(中略)しかし、決して疑ってはなりません」(同)とも。仏法を持つ家族の絆は永遠と確信するのが信心、との教えである▼心は見えない。心の絆も、目には見えないが、人と人とを確かにつないでいる。日常生活の中で、誰もが家族や友人との絆を実感したことがあるだろう。温かなつながりを家庭や地域など、社会の隅々に広げていくことに、私たちの運動の目的もある▼池田先生は「妙法で結ばれた絆ほど、尊く強いものはありません。三世の生命観からみる時、共に永遠の幸福の軌道へと入っていける、素晴らしい縁となる」と。これまでの絆を強くし、新たな絆を結ぶ——その行動を積み重ねる夏に。

寸鉄 2022年7月20日
「下るは登らんがためなり」御書。逆境は人間革命の好機。喜び勇んで前進(新1652・全1264)
鳥取県女性部の日。山光に広がる模範の励ましの連帯。今日も希望を拡大
平和希求する今こそ池田思想に学ぶべき—識者。共生哲学を今こそ世界へ
熱中症搬送、昨年の2倍超と。"私は大丈夫"の過信禁物。水分・塩分補給を
大雨が続く西日本。最新情報の注視を。無事故へ避難は早め早めを心掛け

〈社説〉 2022・7・20 きょう人類初の月面着陸の日
◇大宇宙を包む平和の祈りを
天空に輝く月へ、人類が新たな一歩を踏み出そうとしている。
アポロ計画以来の有人月面着陸を目指す「アルテミス計画」が、アメリカ航空宇宙局(NASA)主導で進んでいる。名称のアルテミスはギリシャ神話の月の女神で、アポロ計画の由来となった太陽神アポロンとは双子だという。
計画にはイギリスやカナダなどに加えて、日本も参加しており、日本人宇宙飛行士が月面に降り立つ日は、そう遠くないだろう。
世界初の有人宇宙飛行から60年余。この間、月面に人類が降り立ったのは6度だけ。最初の有人月面着陸は、53年前(1969年)のきょう、米宇宙船アポロ11号によって成し遂げられた。
NASAでアポロ計画の理論的中心者だったのがジャストロウ博士だ。"池田SGI会長に、仏法哲学に基づいた宇宙論を伺いたい"と要請し、1993年(平成5年)、アメリカ・ロサンゼルスで会談が実現した。
当時、世界では、冷戦後の新たな国際秩序が模索され、"文明の衝突"の脅威も喧伝されていた。池田先生は、各国を歴訪するとともに、世界の指導者・識者と次々に対話。人類共生と平和へ行動を重ねる中での会談となった。
先生は博士に語った。「大宇宙を仰ぐことは、心を大きく広げ、視野を広げ、平和の尊さが教えられる。なかんずく青年たちには、大いなる人生への目を開かせる」と。
博士は1枚の大きな写真を先生に贈った。それは、アポロ11号が月へ向かう途中に撮影した、宇宙に浮かぶ地球の姿だった。
そこに写っている地球に、国と国の境はない。私たちは一つの惑星で共生する「地球民族」であるとの思いが一層込み上げてくる。
コロナ禍やウクライナ危機などに直面し、多くの人々が分断や対立の不安に陥っている今、"我らは共通の地球民族"と気づかせ、人類を結ぶ、宇宙的ヒューマニズムともいうべき哲学が求められているのではないだろうか。
仏典には正法を持つ人を守る諸天善神として日天子、月天子が登場する。日蓮大聖人は「日月天の四天下をめぐり給うは、仏法の力なり」(新1557・全1146)と。太陽や月の運行も、妙法のリズムにのっとっているのだ。
大宇宙をも包み込む平和の祈りと立正安世界の対話で、民衆が安穏に暮らせる世の中を築きたい。

☆創価学園「栄光の日」記念の集いへの池田先生のメッセージ
◇「新たな学び」「英知の発見」「価値創造の献身」を!
「青春の栄光」とは、何か?
それは「挑戦・チャレンジ」です。また「友情の共鳴」です。そして「正義の負けじ魂」です。
尊き金の汗光る「栄光の日」、おめでとう! この1学期も、皆、本当によく頑張りました。互いに健闘を讃え合ってください。
今月で、歴史的な「核兵器禁止条約」の採択から5年になります。
わが師・戸田城聖先生の悲願でもあった核兵器の廃絶へ、共に尽力している私たちの大切な友人に、デイビッド・クリーガー博士がいます。若き日から、平和の行動を貫いてきた信念の闘士です。
東西の学園生と交流を結ばれている博士は、最大の信頼を込めて、詩を贈ってくださいました。
そこには——
「君は、はるか元初の原子でできた奇跡なんだ」
「君がここにいることが尊いんだ/そして君は世界を変えていくんだよ!」
とあります。
君たち一人一人が、大宇宙から地球の未来を託されて躍り出で、これからの世界を希望と栄光へ変えゆく「奇跡」の生命なのです。
博士は、青年の哲学として「三つのC」を挙げられています。
すなわち、「Compassion(思いやり)」「Courage(勇気)」、そして「Commitment(献身)」であります。
この夏、尊き父母をはじめ家族や友人への思いやりを深めるとともに、読書等を通し、地球民族を思いやる心も広げてください。
そして、勇気を持って新たな学びと英知の発見に挑み、今、自分ができることから、「人のために」と、焦らず聡明に価値創造の献身を起こしていただきたいのです。そこから平和が生まれます。
さあ、大変な時こそ、「よし、かかってこい」と負けじ魂朗らかに、粘り強く進みゆこう!
皆の健康第一と絶対無事故、そして快活な前進の一日一日を、私はいつもいつも祈り抜いています。

2022年7月19日火曜日

2022.07.19 わが友に贈る

全てを幸福の方向に
転換できる信心だ。
宿命を使命に!
逆境を前進の力に!
逞しき楽観主義で前へ!

千日尼御前御返事 P1316
『法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄餓鬼畜生等の百獣に恐るる事なし』

【通解】
法華経の師子王を持つ女人は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐れることはない。

名字の言 志一つで未来は変わる 2022年7月19日
明治初期、戊辰戦争で焼け野原となった長岡藩に、米百俵の支援が届けられた。藩の大参事・小林虎三郎は、あえてそれを人材育成の元手とした。「(窮状)だからこそ、いま学校を建てて将来を期したいのだ」と(『国を興すは教育にあり』麗澤大学出版会)▼創設された国漢学校からは数多の英才が巣立ち、戦後の復興をけん引した。米俵に"藩の希望"を見いだした先人のように、試練の中でも志一つで、全てを未来を開く糧にできる▼ある女性部員は結婚し、2人の子宝に恵まれたが、厳しい経済苦に直面した。家計は火の車で、頭の中は金策ばかり。大病も患った。その惨めさは言いようもなかった▼それでも、同志の励ましを受け、必ず幸せになれると信じ、学会活動に挑んだ。薄紙をはぐように生活は安定。乗り越えた宿命は全て、友に寄り添う使命に変わった。母の背中を見て育った子どもたちも後継の人材に。「苦労にさえ感謝できる自分になれた。それが最高の功徳です」▼白米一俵御書に「凡夫は志と申す文字を心えて仏になり候なり」(新2053・全1596)とある。その時、その瞬間にどう決意し、行動するかで未来はいくらでも変えられる。清新な息吹で、新たな挑戦を開始しよう。

寸鉄 2022年7月19日
本当の決意を込めた題目をあげよ!—戸田先生。誓願の祈りで日々、勝利
「仏になるみちは善知識にはすぎず」御書。新たな友を皆で応援!共に成長(新1940・全1468)
最初の一歩は最後の一歩に繋がる—イタリア登山家。勇気の対話で飛躍の因の夏を
人との強い絆が心臓病の抑制に—アメリカ研究。心を結ぶ学会活動は健康の源泉に
各地で過去最多の感染が相次ぐ。換気等、基本対策を再確認。油断を排して

☆御書と未来へ 第28回 生命の凱歌に胸張り前進!
〈御文〉
『法華の行者をやしなうは、慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし。一切衆生を利益するなればなり。』〈高橋殿御返事(米穀御書)、新1953・全1467〉

〈通解〉
法華経の行者を養うのは、慈悲の中の大慈悲の米である。一切衆生を利益するものだからである。

〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人に直結する「法華経の行者」の陣列こそ、学会である。立正安国という「一切衆生を利益する」大闘争に連なる功徳は広大無辺だ。
「慈悲の中の大慈悲」の行動ゆえに、永遠の宝聚(宝の集まり)となって自身と眷属を荘厳する。
"私は勝った""我らは勝った"と生命の凱歌に胸張り、朗らかに仏法中道の智慧を光らせよう!

☆みんなで学ぶ教学 第30回 親孝行
◇感謝の気持ちを伝えよう
親を大切にすることは、自身の人間革命への第一歩となります。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「親孝行」がテーマです。母への誕生日プレゼントに悩んでいる新入会者のカツヤさんと、ユタカ支部長が話しています。

ユタカ 難しい顔でスマートフォンを見て、どうしたんだい?

カツヤ あ、ユタカ支部長。実は、もうすぐ母の誕生日なので、プレゼントを贈ろうと思ったのですが……。何がいいか考えているうちに、どんなものなら喜んでくれるか、分からなくなってしまいました。

ユタカ そうやってお母さんのために悩むこと自体が、「親孝行」になっているんじゃないかな。

カツヤ 池田先生は、よく「親孝行しなさい」と教えられていますよね。だからぼくも"親孝行しよう"と思ったんです。

ユタカ 偉い! その心に感動したよ。

カツヤ そういえば、一般的に親孝行が大切だということは分かるのですが、学会では一段と強調しているように感じます。なぜでしょうか?

ユタカ 学会には"親孝行しよう"という伝統があるんだ。
日蓮大聖人は「成人して仏教を信じるようになれば、まずこの父と母との恩を報ずべきである。父の恩の高いことは須弥山(全ての山の中で一番高いとされる山)さえもなお低いほどであり、母の恩の深いことは大海もかえって浅いほどである。心して父母の恩を報ずべきである」(新1851・全1527、通解)と、父母の恩がいかに大きいかを示され、父母への孝養が仏法者としての道であることを教えられている。

カツヤ "大海が浅い"と感じるほど……。すごいですね。

ユタカ 第2代会長の戸田先生は、「青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」とつづられているんだ。
厳しいようだけれど、創価の青年には、世界に真の平和を築く使命があるんだ。そのためにも、親孝行は大切なことなんだね。

カツヤ なるほど。

ユタカ 池田先生は「親子の縁は不思議であり、深い意味がある。みんな、偉大な使命を果たさんがために、自分の親を選んで生まれてきたんだ。だからこそ、親を大切にすることは、生まれてきたこと、生きることへの感謝の表れです。親孝行しようという心は、自身の生命を大きく開くことになるのです」と教えられているんだ。

カツヤ 深い意味があったんですね。

ユタカ そうなんだよ。一方で、親から見れば、最大の願いは、子どもの成長と幸福なんだ。
大聖人は「法華経を持つ人は、父と母との恩を報ずることができるのである」(新1852・全1528、通解)とも仰せになっている。
信心を貫く中で、幸福境涯を開いていくことが、最高の親孝行となるんだよ。

カツヤ ぼくが信心に励み、人間的に成長していくことが、最高の親孝行になるんですね。分かりました! じゃあ、誕生日のプレゼントはいいかな……。

ユタカ ちょっと待って(笑)。
誕生日の贈り物だって、すてきな親孝行だよ。感謝の気持ちは、心で思っていても行動に移さないとなかなか伝わらないものなんだ。カツヤくんの思いが込められているんだから、どんなものでも必ず喜んでくれるよ。
ぜひ、"ありがとう"という言葉といっしょに渡してあげようよ。

カツヤ 分かりました。ちょっと照れくさいけど、"人間革命の挑戦"だと思って頑張ります。

2022年7月18日月曜日

2022.07.18 わが友に贈る

◇今週のことば
創価の励ましの大地から
人材を育て伸ばす夏だ!
「祈り」「学び」「挑む」
人間革命の新たな挑戦で
朗らかに生命の触発を!
2022年7月18日

兵衛志殿御返事 P1093
『念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う』

【通解】
(北条重時殿は)念仏者らにたぶらかされて日蓮を怨まれたので、わが身といい、その一門といい、皆、滅んでしまわれたのである。



☆栄光の共戦譜 第7回 1966年(昭和41年)「黎明の年」
◇常勝こそ「師弟不二」の結実
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第7回は、「黎明の年」と銘打たれた1966年(昭和41年)を掲載する。

◇「3・5」壮年部が結成
「壮年が立つんだね。これで、本格的な広宣流布の時代が幕を開けるぞ」
1966年(昭和41年)3月5日、壮年部結成の日を迎え、池田先生は嬉しそうに語った。婦人部、男女青年部の結成から15年後のことであった。
この日、東京・信濃町の学会本部に代表750人が集い、結成式が行われた。
席上、先生は壮年部の使命を訴えた。
「私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたい」
広布の途上で嵐が吹き荒れた時、創価の「黄金柱」として、学会を支え、同志を守ったのが壮年部であった。
69年(同44年)3月16日、東京・日本武道館で開催された第1回壮年部総会。
先生は、歴史的な総会で、創価後継の「広宣流布記念の日」の意義に言及し、"絶対に臆さず、最後まで戦うぞ!——この広宣流布に対する大感情が大事である"と力説した。この年、「言論問題」が起きた。壮年部の友は、師の心をわが心として烈風に立ち向かった。
90年(平成2年)暮れに勃発した第2次宗門事件。12月16日、東京・大田池田文化会館で、本部幹部会を兼ねた壮年部総会が行われた。「わが『生命の弓』を満々と引き絞り、あらゆる障害を突き破る『勝利の矢』を勢いよく放っていきたい」——師の呼び掛けに、正義の炎は燃え盛ったのである。
壮年部の歩みは、師と共に幾多の風雪を越え、地域・社会の柱として光り輝く"師弟の黄金譜"である。
「どんなに辛いことがあっても、一家一族を、わが組織を、絶対に守り抜くという、鋼のような強い柱に」——壮年部に寄せる師の変わらぬ思いである。

◇「5・3」七つの鐘の展望
1966年(昭和41年)5月3日、池田先生は、東京・日大講堂で行われた本部総会で「七つの鐘」について確認した。
「七つの鐘」とは、学会創立を起点として、7年ごとに前進を期す広布の指標である。58年(同33年)5月3日、池田先生が本部総会で発表した。戸田先生が亡くなった翌月のことである。
恩師の逝去後、一部のマスコミは、学会への猛烈な批判を開始し、学会の「空中分解」を予測する評論家もいた。その中で、「七つの鐘」の指標は、全国の同志の胸中に希望をともしたのである。
「七つの鐘」の「第一の鐘」は、学会創立(1930年)から、創価教育学会の正式な発足の年(37年)まで。その後、牧口先生の殉教の年(44年)までの「第二の鐘」、戸田先生の第2代会長就任の年(51年)までの「第三の鐘」と続いていく。
「第四の鐘」は、会員75万世帯を成就し、戸田先生が亡くなった年(58年)まで。「第五の鐘」(58年〜65年)は、恩師の七回忌へ、300万世帯の達成を目標に掲げ、62年(同37年)に達成される。
「第六の鐘」(65年〜72年)では、750万世帯を成就。そして、79年(同54年)、「七つの鐘」が鳴り終わった。
66年5月3日の本部総会で、池田先生は、21世紀以降の広布の展望についても言及。未来を担う青年部に、「二十一世紀の新しい『七つの鐘』を、決然と打ち鳴らしていただきたい」と呼び掛けた。
2001年(平成13年)、第2の「七つの鐘」が打ち鳴らされた。この鐘が鳴り終わる2050年は、学会創立120周年である。先生は、学生部・未来部のメンバーに思いを馳せ、こう述べた。
「青年を育てることは、未来を育てることだ。縦横に活躍する姿が、本当に楽しみである」

◇「9・18」雨の関西文化祭
兵庫の阪神甲子園球場で"雨の関西文化祭"が始まったのは、1966年(昭和41年)9月18日午後3時15分だった。
この日、雨が断続的に降り注ぎ、文化祭の中止が検討される。だが、同志の強盛な祈りに包まれ、ほぼ雨は上がり、時間を繰り上げて決行された。
しかし、再び雨が降り始めた。その中で、高等部の徒手体操や婦人部による民謡の踊り、女子部のバレエなどの演技が続いた。男子部の体操メンバー2400人による、小説『人間革命』をテーマにしたマスゲームでは、泥だらけになりながら四段円塔が築き上げられた。
2万余の出演者が勢ぞろいしての圧巻のフィナーレ。男子部員の"人間タワー"を取り巻くように、幾重にも人の輪が描かれ、グラウンドは、一つの大きな花のようになった。外野スタンドには、「勝利」の人文字が浮かび上がった。
その演目は、一人一人が師弟の魂を胸に壁を破り、「大阪の戦い」から10周年を刻む"雨の関西文化祭"を勝利で飾った姿そのものであった。
終了後、池田先生は、出演者の奮闘を大きくたたえた。「百点満点だ。いや、百二十点だ」「今日を"常勝関西"の新しいスタートにしようよ」
最悪の状況下で披露された最高の演技は、約2千人の来賓を感動で包んだ。ある来賓は、「信仰することは偉大な力を出すものだ」と述べている。2日後の本紙に「雨中に"関西魂"貫く」との見出しが躍った。
"雨の関西文化祭"から40周年の折、先生はこう寄せた。「『常勝』こそ『師弟不二』の結実である。次の十年、さらに新しき五十年もまた、関西は勝ちまくってくれるであろう。世界の全同志の『勝利の太陽』として!」

◆年表◆ 1966年
〈1月3日〉
全国の高・中等部、少年部の代表3300人と記念撮影。全国高等部員会で5年後の再会を約す(静岡)

〈1月8日〉
高等部の代表に「諸法実相抄」を講義(東京)

〈1月14日〉
ハワイ訪問(〜17日)
ハワイ会館入仏式(14日)

〈3月5日〉
壮年部結成式で"創価の城を支えゆく黄金柱に"と語る(東京)

〈3月6日〉
北・南米訪問(〜23日。アメリカ、ブラジル、ペルー)
ブラジル・サンパウロで第2回南米文化祭(13日)

〈4月2日〉
関西指導(〜3日。大阪、和歌山)

〈4月16日〉
四国指導(〜17日。香川、愛媛)

〈5月3日〉
第29回本部総会で21世紀の新しい「七つの鐘」の展望を示す(東京)

〈5月7日〉
九州指導(〜9日。大分、熊本、福岡)

〈5月17日〉
月刊誌「主婦の友」の企画で作家・有吉佐和子氏と会談(東京)

〈5月21日〉
東北指導(〜22日。山形、宮城)

〈6月11日〉
高等部の代表に「如説修行抄」を講義。1月からの受講メンバーで鳳雛会(男子)・鳳雛グループ(女子)を結成(東京)

〈7月1日〉
聖教新聞の配達員の機関紙を「無冠」と命名し、創刊号に祝辞を贈る

〈7月8日〉
女子部の整理班を「白蓮グループ」と命名

〈7月16日〉
鳳雛会・鳳雛グループの第1回野外研修(〜17日。神奈川)

〈8月20日〉
ハワイ訪問(〜22日)

〈8月30日〉
第1回御書講義録編纂委員会(東京)

〈9月17日〉
民音が招へいしたソ連の「ノボシビルスク・バレエ団」の公演を鑑賞(東京)

〈9月18日〉
関西文化祭(兵庫・甲子園球場)
雨による悪条件を不屈の関西魂で乗り越えた見事な演技が披露される

〈11月3日〉
第15回男女青年部総会で、ベトナム和平について講演し、即時停戦などを提言(東京)

〈12月25日〉
第80回本部幹部会(東京)
600万世帯の達成を報告

2022年7月17日日曜日

2022.07.17 わが友に贈る

近隣との友好こそ
安心と繁栄の礎だ。
日頃の挨拶を大切に
周囲に希望の涼風を!
地域の幸福創造者たれ!

松野殿御返事 P1382
『愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり』

【通解】
愚者が持っている金も、智者の持っている金も、また愚者がともす火も、智者がともす火も、何等差別、相違がないのと同じ道理である。但しこの法華経の心にそむいて題目を唱えた場合には、差別はあるのである。

名字の言 最期まで戦い続けた壮年 2022年7月17日
文豪ゲーテが亡くなったのは、190年前のこと。その人生は、絶え間なく仕事を続けた生涯だった。命が燃え尽きる最期まで、文豪は訪問客と対話をし、執筆も続けた▼亡くなる5日前の手紙には、こう記している。「私が失わずにもっているものをできるだけ高め、私の固有な持ち物を純化することを最大の関心事としたい」(小栗浩訳)。ゲーテが偉大なゆえんの一つは、現状に甘んじることなく、最後まで自身を高めようとしたことにあろう▼「慧光照 寿命無数の 命なば なにおか恐れむ 此の世生きぬけ」。1996年7月17日、池田先生がある壮年に詠んだ和歌だ。壮年は「大阪の戦い」「山口開拓指導」などに馳せ参じた功労者である▼この時、肺がんを患い闘病生活を送っていた。翌97年、容体が悪化し、家族が病室に集まった。家族での語らいの途中、壮年は脈を測りにきた看護師と仏法の話を始めた。対話を終えると、家族に「最後の折伏ができた」と。翌日、壮年は霊山へ旅立った▼生老病死という人間の宿命を前に、地位も財産も空しい。志という「心の財」だけが最後まで戦う力を人間に与えてくれる。ゲーテは述べた。「宇宙に帰りゆく迄、たゆまず活動を続けよう」

寸鉄 2022年7月17日
「大阪大会」65年。大関西の同志の胸に正義の炎は赤々と!常勝不敗の道を
学会は、世界平和へ戦う王者なのだ—戸田先生。地球結ぶ民衆の連帯拡大
我らの唱題は常楽我浄の「四徳の香を吹く」と御書 広布の人生に福徳は爛漫(新1031・全740)
任用試験の申込始まる。信心の基盤を築く絶好の好機。共に学び共に成長
中学生の裸眼視力が過去最悪—文科省調査。端末は目から30センチ以上離そう

☆四季の励まし 庶民こそ偉大な歴史の主人公 2022年7月10日
◇池田先生の言葉
安逸に流されても一生。
激流と戦い切っても一生。
同じ生きるならば、
悔いなく、
最高の充実と
誇りの人生を飾り、
永遠に消えざる
福運を残していきたい。
そのための信仰である。

悔いなく戦い切った時、
考えてもみなかった
人間革命のドラマが
待っている。
わが地域に、
功徳の華花が
咲き薫ることだろう!
創価の同志よ、
誇り高く前進しよう!
目の前の一人から、
朗らかに永遠の
勝利の道を開きゆくのだ。

自らの幸福だけを
追い求めても、
結局、崩れざる幸福を
つかむことはできない。
自他共の幸福を祈り、
他者の幸福のために
尽くして行動する。
そこに真の充実があり、
自ずと幸福がついてくる。

希望がなければ、
希望をつくればよい。
光がなければ、
自分が太陽になればよい。
一人の人間が、
わが生命に
「希望の太陽」を
輝かせていくならば、
その光彩は、わが家族、
わが地域、わが国土を
照らしながら、
必ずや大いなる変革を
可能にする。

私たちの信心の根本は
題目である。
広宣流布へ、
師弟が心を合わせて祈る。
同志が異体同心で祈る。
そこから
新しい前進が始まる。
戦いの勢いも生まれる。
功徳も大きく広がる。

偉大な歴史の主人公は、
誠実な庶民だ。
誰が見ていなくとも、
愚痴もこぼさず、
広宣流布の大理想に
生き抜かれる
第一線の皆様方こそ、
第一に尊貴な
人間の英雄なのである。

【写真説明】シンガポールをたつと、爽快な天空の劇が待っていた。王者の太陽。コバルトブルーの空。湧き上がる白雲。2000年(平成12年)11月、池田大作先生はマレーシアへ向かう機中でシャッターを切った。
シンガポールでは、ナザン大統領と会見。豪シドニー大学から名誉博士号を授与され、シンガポール創価幼稚園を訪問した。マレーシアでは、国立プトラ大学の名誉学位を受け、マレーシア創価幼稚園を訪れた。生命尊厳の地球を築く、先生の"平和旅"は今も続いている。
師と共に、我らも世界を変えゆく壮大な旅を続けよう! きょう一日を悔いなく挑みながら——。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第28回 【妙法のための行動こそ】
◇自分自身の幸福のため
学会活動は、自分自身の幸福のためである。
動いた人が勝つ。妙法のために動いた分だけ、功徳につながる。その行動が本末究竟して、子孫にも福運を広げていく。これが仏法の因果である。法華経であり、日蓮大聖人の教えである。私も、これを信じてやってきた。
(本紙2007年8月30日付、北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修会でのスピーチ)

◇人の心を動かすのは「誠実」
人の心をつかむ。心を動かす。そのためには何が大事か。
「誠実」の二字である。格好でもない。頭でもない。「誠実の力学」こそが人間を動かすのだ。
(中略)
冷たい理屈だけでは人間は動かない。
励ましがある。温かみがある。生き生きしている。
魅力がある。心配りがある。
あの人が来ると、ぱっと花が咲いたように盛り上がる。元気が出る。
こう言われるような、名リーダーであっていただきたい。
(『池田大作全集』第96巻、全国最高協議会でのスピーチ)

◇信心が破られないかぎり、負けない
人生に、乗り越えられない困難はない。
打ち勝てない試練は、絶対にない。
人間には、はかりしれない力が備わっている。大きな苦しみに耐え、勝利してこそ、偉大なる一生を生きることができるのだ。
いわんやわれわれには、無敵の信仰がある。信心が破られないかぎり、人生に負けることは、断じてない。
(『池田大作全集』第94巻、東京・東海道・東北代表協議会でのスピーチ)

◇祈れば、千倍、万倍の力が
皆さまに、お題目を送ります。
皆も祈っていただきたい。
「悪鬼入其身」の反対で、自身の生命に「梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」「全学会員に、わが地域のすべての同志の方々の生命に、梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」——こう祈れば、千倍、万倍の力が出る。これが生命変革の「祈り」である。「信仰」である。人間革命への"秘伝"である。
(『池田大作全集』第91巻、本部幹部会でのスピーチ)

2022年7月16日土曜日

2022.07.16 わが友に贈る

躍進の夏を送る未来部に
皆で温かなエールを!
全員が尊き使命の人。
創価家族の慈愛の陽光で
若き生命を照らそう!

立正安国論 P21
『悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや』

【通解】
悪い坊主を誡めなければ、どうして善い事を成し遂げることができようか。絶対にできない。

【先生の指導から】
きょう七月十六日は何の日か?
ご存じのとおり、文応元年、すなわち西暦一二六〇年のこの日、日蓮大聖人は、「立正安国論」をもって、邪悪な坊主と結託した権力者の狂いを戒め、正された。その最も大切な記念の日である。日蓮仏法の「立正安国」─ここに永遠にわたる、慈悲と正義と平和の理念が明快に示されている。
創価学会の精神も「立正安国」が根本である。
「立正安国」という大いなる正義の戦いを決然と開始されたからこそ、大聖人は悪辣きわまる迫害を受けた。
もう少し違った方向へ、うまくごまかして、世間から「とてもいい人だな」「いい話をするな」と思われるよう、ゆるやかな、賢げな話だけをしていれば、迫害など受けなかった。
民衆の不幸をなくすため、日本の国全体を変えるために、悪い権力者と宗教を正すんだ!
こう、まっこうから訴えれば、当然、怒りを買う。しかし抜本的な改革は、これしかない。

名字の言 「雲の上 太陽常に 心にも」 2022年7月16日
遠方の友人を訪ねるため、飛行機を利用した。曇り空の空港を飛び立ち、雲を突き抜けた、はるか上空は見事に晴れ渡っていた▼"雲の上は、いつも青空"ということを知識として理解しているのと、実際に目で見た体験とでは、感動がまるで違う。その後、着陸した目的地も曇天だったが、心は晴れ晴れと、その日を過ごせた▼本紙の読者投稿欄「新・生き生き川柳」に、これまで数々の力作が掲載された女性部員。「雲の上 太陽常に 心にも」「太陽が 生命に昇れば すべて勝つ」など、"太陽"がよく登場する。「広布第一線で奮闘し、皆に元気を届ける人」とは周囲の評▼一方で波乱の半生だった。3児を育てる中、自営業が傾き、多額の負債を抱えたことも。20年前には壮年部リーダーだった夫が急逝した。それでも唱題を重ねる中で誓った。"何があっても信心の喜びを持って生き抜こう"と。現在、後継の子らは立派に成長し、変毒為薬の実証を示した彼女は感謝の日々を送る▼池田先生は語る。「苦難があればあるほど、それを喜んでいける深い心境をもてることが、どれほど幸せなことか。それは妙法への信心が深まれば深まるほど分かってくる」と。太陽の仏法は無限の希望の光源である。

寸鉄 2022年7月16日
「立正安国論」提出の日。烈々たる民衆救済の魂と広布の誓願は学会に脈々
沖縄原点の日。美しき天地を永遠平和の要塞に。地涌の底力で連続勝利を
互いの健闘をたたえ合う座談会。桜梅桃李のスクラムを強め次なる峰へ!
青年よ行学二道を進め!御書を学び正義を語る—不惜の闘争に真金の輝き
電動自転車の交通事故が増加と。乗り始めの急加速に要注意。安全第一で

〈社説〉 2022・7・16 「立正安国論」提出の日
◇世界平和と対話の一書を胸に
御書新版に新たに収録された御抄に、「故最明寺入道見参御書」がある。その中で、日蓮大聖人が北条時頼と会見し、禅宗を破折したことが記されている。
「天魔の所為たるの由、故最明寺入道殿に見参の時、これを申す」(新2141)
第5代執権を務めた北条時頼は、北条長時に執権職を譲って出家したものの、その後も幕府の実権を握っていた。「立正安国論」提出に先立つと思われる時期、大聖人はこの時頼と対面し、直接、宗教の正邪を訴えられたのである。
当時、大地震や洪水等の自然災害が相次いでいた。疫病や飢饉で多くの人命が失われ、正嘉元年(1257年)8月には、「正嘉の大地震」が鎌倉一帯を襲う。
暗い世相にあって、人々の間に無気力の風潮が広がり、「厭世主義」が蔓延していった。
"現実逃避""諦め"——人間を不幸に陥れるそういった弱さの根が、誤った思想にあることを蓮祖は知悉されていた。
「言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず」(新25・全17)——大聖人は民衆救済の大願に立ち、文応元年(60年)7月16日、「国主諫暁の書」である「立正安国論」を時頼に提出されたのである。
「『立正安国論』を拝すると、日蓮の『勇気の心』とその並々ならぬ『大願』がよく分かります」
フランスの著名な神学者、仏教の専門家であるデニス・ジラ博士は述べている。博士はフランス語版「御書」の総合監修も務めた。
「日蓮は、民衆の心に巣くう『恐れ』『諦め』と戦ったのだと考えます。御書を通して、『恐れるな!』とのメッセージを伝えようとしたのではないでしょうか。それは『師子王の心』であるともいえます」
どんな環境であれ、「心」さえ負けなければ、困難を克服する道はある。日蓮仏法は、苦難の時こそ、"師子王の心"で現実に立ち向かうことを教えている。
池田先生は「立正安国論」について、民衆の安穏を実現するための「世界平和の一書」であり、「対話の一書」と記した。
感染症、戦禍等——今、人類は大きな危機に直面し、不安の暗雲に覆われている。"世界平和の祈り"と"正義の対話"で立正安国の精神を体現し、無明の闇を晴らしゆく創価の友の使命は深い。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第21回 エンリケ航海王子
〈エンリケ航海王子〉
恐れなく航海を続け、岬越えを達成せよ!

水平線のかなたに広がる"新世界"を求めて、人間が未知の領域へと乗り出していった「大航海時代」。その歴史は15世紀、ヨーロッパ西端の国から始まった。
当時、ヨーロッパは東西を結ぶシルクロードを遮断され、文化的・経済的な孤立を深めていた。
その中で「陸」から「海」へ目を転じ、東洋への新たな道を開こうとする若き指導者が現れた。ポルトガルのエンリケ航海王子(1394—1460年)である。
国王ジョアン1世の三男として生まれたエンリケ王子は、21歳の時、北アフリカのイスラム世界に触れ、大ポルトガル建設への志を強くする。自ら宮廷生活を捨て、イベリア半島の西南端にあるサグレス岬へ移住。探検事業家として航海者たちを支援・指導した。
だが十数年にわたってアフリカ西海岸を探索するも、なかなか新航路は見つからない。なぜか。船乗りたちが、ある地点以上に進もうとしなかったからである。
その地点とはボジャドール岬。ここから先は怪物が住み、海は煮えたぎり、滝となって落下する。中世以来、「不帰の岬」として恐れられてきたことから、船乗りたちは王子の命に背き続けたのだ。
ある日、王子は彼らに告げた。
「もしかりに、世界でいわれているような噂が、すこしでも根拠のあるものならば、わたしもおまえたちをこれほどまでに責めはしない。しかしおまえたちの話を聞いていると、ごくわずかの航海者たちの意見に過ぎないではないか。しかもその連中というのは(中略)羅針盤も航海用の海図も使い方がわからない連中ばかりなのだ」
恐れなく航海を続け、岬越えを達成せよ!——王子の叫びに、一人の航海士が立ち上がった。そして1434年、ついに岬越えは成し遂げられたのである。
いわばそれは、何世紀もの間、船乗りたちがおびえ続けた"恐怖の岬"という"臆病の壁"を越えた瞬間だったと言える。"見えない敵"の向こう側には、穏やかな海が広がっていた。
ここから、歴史の歯車は大きく動きだした。王子亡き後、先駆者の遺志は後継の航海者に受け継がれ、アフリカの喜望峰への到達、インドへの新航路の発見などに結実するのである。

〈ポルトガルの歴史を語る池田先生〉
臆病では、前進も勝利もない。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」である。
広布の新航路を開くのは勇気だ。
自身の心の"臆病の岬"を越えることだ。

池田先生は折々に、波濤を乗り越えた勇者から学ぶ"勝利の要諦"を共戦の同志に伝えてきた。
小説『新・人間革命』第10巻の「新航路」の章には、1965年10月27日、ポルトガルに第一歩をしるした山本伸一が、エンリケ航海王子の逸話を通して同行の友に語る場面が描かれている。
「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(新1675・全1282)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の"臆病の岬"を越えることだ」
思えば、初代会長・牧口常三郎先生の少年時代は、海と共にあった。第2代会長・戸田城聖先生と池田先生も、海の近くで育った。
池田先生が戸田先生の前で何度も歌った曲の一つに、旧・東京高等商船学校の寮歌「白菊の歌」がある。
ある時、関西の会長室で、歌を聴き終えた戸田先生が「この歌の心は何だと思う」と池田先生に尋ねた。
池田先生は即座に答えた。
「この歌は、海軍の士官学校ではなく、もともと民間の航海士と機関士を養成する、商船学校の歌です。"戦争のためではなくして、平和のために、七つの海へ! 小さな島国の権威がなんだ! 我らは真の海の英雄として、世界と友情を結びゆくのだ!"——そうした心意気が伝わってきます」
こう語った当時の心情は、関西そして兵庫の友に贈った「随筆 新・人間革命」〈民衆の歓喜の港 友情の街〉につづられている。
その中で先生は、こうも記した。
「広宣流布とは、民衆の幸福のため、世界の平和のための正義の大航海である。航海には『港』が必要だ。わが創価の大船団が『完勝』の大海原へ船出する港は、どこであろうか。その重要な母港こそが、大兵庫であることは、議論の余地はない」(本紙2003年10月27日付)
今、その兵庫をはじめ神奈川、愛知、埼玉、福岡など各地で、正義の大航海を進めゆく創価の大船団——波濤を越えた先には、凱歌の大海原が洋々と広がっている。

2022年7月15日金曜日

2022.07.15 わが友に贈る

仏法は希望の哲学。
毎日少しずつでも
御聖訓を拝し
確固たる自分を築こう!
勝利の人生のために!

五人所破抄 P1613
『西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し』

【通解】
インドの仏法が次第に東方につたわった時、すでに梵語を翻訳して中国・日本に伝えられたのと同様に、日本の大聖人の金言も広宣流布する時には、また仮名文字を翻訳して、インド・中国に流通すべきである。

名字の言 「一人」に寄り添い、「一人」の幸福のために 2022年7月15日
日蓮大聖人のもとに、富木常忍が母を亡くした報告に訪れた。常忍の夫人がずっと献身的に介護してくれたという。それを聞かれた大聖人は、すぐさま夫人宛てに筆を執られた。「ご主人が『母の臨終が安らかだったことと、あなたが手厚く看病してくれた真心は、いつまでも忘れられない』と喜んでおられましたよ」(新1316・全975、趣意)▼常忍は鎌倉幕府の御家人に仕える武士。妻への日頃の感謝を素直に示せずにいた。そんな夫の心の内を伝えてもらった夫人は、どれほどうれしかったか。夫妻のために心を砕かれた大聖人のご配慮のこまやかさに感動する▼大聖人が門下にしたためたお手紙を拝すると、一人一人が悩みや試練を乗り越えゆくよう、人生相談や生活指導があり、時には弱気を打ち破る激励も。現実に即した具体的なご指南が多い▼仏教学者の中村元博士は言う。「『法華経』が特殊な哲学を述べていないという点に、かえってこの経典の重大な哲学的立場を読み取ることができる」(『インド思想の諸問題』春秋社)▼仏法は、人間を離れ、実生活を離れた理論などではない。現実に生きる「一人」に寄り添い、「一人」の幸福のために祈り尽くす振る舞いこそ、仏法の真髄である。

寸鉄 2022年7月15日
「幸福の第一条件は健康」牧口先生。張りのある勤行で今日も活力を満々と
池田先生の東北初訪問の日。青葉の誓いも新たに広布旅。励まし拡大更に
「心の財第一なり」御書 信心で築く福徳は壊されない。多宝の同志が証明(新1596・全1173)
書類の廃棄は常に「捨て方」を意識。情報管理は現代の社会で益々重要に
いよいよ夏本番へ。水の事故に注意。子どもの水遊びなどは大人が一緒に

〈社説〉 2022・7・15 15日を中心に追善の祈りを
◇「深き生命の次元で」共に歩む
「霊山浄土に旅立つ」とは、どういったことでしょうか——。
先日、読者から質問のはがきを頂いた。近しい方を亡くされたのだろうか。
身近な人と死別して悲嘆に暮れる人を支える「グリーフケア」を研究してきた、東京大学名誉教授の島薗進氏は、「死んだ人は、残された人にとっては、ある意味ではたいへんリアルに存在している」(『グリーフケアの時代』弘文堂)という。便りを頂いた読者の心情に思いをはせつつ考えたい。
霊山とは、法華経の説法が行われたとされる古代インド・マガダ国の霊鷲山を指す。その仏法上の意義から、久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける浄土とされる。それは、永遠に仏が働く宇宙そのものともいえる。
私たちにとって、亡くなった人が「霊山浄土に旅立つ」とは、インドの霊鷲山や、西方極楽浄土などの別世界に行くことではない。
日蓮大聖人の仏法では、生と死は断絶したものではなく、永遠に生と死を繰り返していくという「三世の生命」を説く。戸田先生はその生命観から、「われわれの生命は、死後、大宇宙に溶け込むんだ」と表現された。
大聖人は、光日尼の最愛のわが子・弥四郎を失った悲しみに寄り添うように、「今、光日上人は、わが子を思うあまり法華経の行者となられました。母と子は必ず共に霊山浄土に参ることができるでしょう。その時のご対面はどんなにかうれしいことでしょう」(新1267・全934、通解)と仰せになられた。
池田先生は、「『霊山浄土』は、信心を貫き通して、一生成仏を果たした人が、等しく到達できる大境涯の仏の世界である。したがって、そこでは、深き生命の次元で、師弟が出会い、親子・夫婦・兄弟が出会い、わが同志たちが出会うことができる」と語っている。
創価学会では例年、お盆の7月15日(地域によっては旧盆の8月15日)を中心に「諸精霊追善勤行法要」を行い、亡くなられた家族や同志の福徳と安穏を祈念してきた。今年も感染防止の観点から、各会館等では行わず、各家庭で故人の冥福を祈る。
信心に励むことは「深き生命の次元で」亡き家族や同志と共に歩んでいくことになる——。そう確信し、広布への誓いを新たに前進したい。

☆輝きの瞬間 7月の広布史
◇1979年7月 「正義」の神奈川を舞台に
「詩人は/海を見ていた/埠頭に立って/夜明けを待った」——池田先生が1988年6月に、神奈川の友に贈った長編詩「正義の旗 平和の心」の冒頭である。
先生は神奈川で、何度も海を見つめてきた。第3代会長を辞任した79年も、太平洋につながる海を望みつつ、同志を励まし、広布新時代の夜明けを開いた。
当時、宗門の悪僧らは先生に、"会合で指導してはいけない"などと制約をつけた。だが、先生の行動は、小賢しい邪知に縛られることなどなかった。広布功労の友の激励を開始した。
神奈川でも、数多くの功労者のもとへ。79年7月2日には、横浜市金沢区の同志宅を訪問した。
「やあ、来たよ!」と、先生は家族一人一人と握手を交わし、懇談。駆け付けてきた、かつての文京支部保土ケ谷地区のメンバーや近隣の友にも励ましを送った。
第1次宗門事件の嵐の中で、功労者の激励とともに、池田先生が力を注いだのは、世界の識者との語らいだった。神奈川文化会館でも、海外の文化人や大学教授らと会談を重ねている。
7月13日には同会館で、世界詩歌協会を設立したインドの詩人・スリニバス博士と初めての出会いを結んだ。2人の詩人は、光輝満つ横浜の海を見つめながら、縦横無尽に語り合った。
語らいの途中、博士が突然、英訳された先生の詩を暗唱する場面もあった。それほど、博士は先生の詩に感動し、神奈川での出会いで先生の人格に魅了された。
神奈川での対談から、2年後の81年、博士が事務総長を務める世界芸術文化アカデミーは、先生に「桂冠詩人」の称号を贈った。
かつて池田先生は詠んだ。「真の詩心とは/正義の闘魂の異名なるか」。学会が最大の苦境にあった時、先生が不屈の闘争劇を繰り広げた舞台こそ「正義」の神奈川であった。
その魂の原点は今、師弟の大叙事詩として、同志の心の中に深く刻まれている。

◇1967年7月10日 広布の堅塁・中部たれ
「いざや起て いざや築けと 金の城 中部の堅塁 丈夫勇みて」
1957年2月、池田先生は、中部の発展を展望し、一首の和歌を戸田先生にささげた。中部の友の合言葉「堅塁」の淵源である。
この月、愛知の豊橋地区が前月に続き、全国一の弘教を成し遂げた。恩師は即座に返歌を認めた。
「いざや征け 仏の軍は 恐れなく 中部の堅塁 立つは楽しき」。中部に難攻不落の広布城を築くことは、若き池田先生の恩師への誓いだった。
それから10年後の67年7月10日、池田先生は、愛知・名古屋市の金山体育館(当時)で開かれた中部本部幹部大会に出席。「広布の堅塁・中部たれ」との指針を贈った。この日は後に「愛知の日」となった。席上、先生は訴えた。
「中部とは、中心部ということです。まさに現実問題として、日本の中心であり、世界の中心となるわけであります」
この頃、日本は高度経済成長の真っただ中。中部地域は東海道新幹線や高速道路などの交通網が整えられ、日本の産業・経済を担う中心地となっていくことが期待されていた。
先生は中部こそ、最も模範的な立正安国、広宣流布の仏国土でなければならないと強調。さらに、万感の思いを語った。
「日本の、また世界の広宣流布といっても、詮ずるところは、この中部が、画竜点睛となります」
渾身の40分間にわたるスピーチ。その一言一句に、"中部こそ広布を決する急所"との期待があふれていた。大会の最後、先生は扇子を手にした。1万人の参加者の歌声が場内に響いた。
「堅塁」の「堅」の字には、どんな試練にも揺るがない「堅固」、どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」、どんな変化にも勝ち抜く「堅実」という意義がある。
師が指針を示した、あの「7月10日」から55周年。進む道がどんなに険しくとも、断じて広布勝利の"金星"を!——友の闘魂が、いよいよ燃える。

◇1967年7月9日 常に先駆の九州たれ
本州の南岸に停滞していた梅雨前線の活発な活動が続いていた。1967年7月9日、福岡にも猛烈な雨が降り続いた。豪雨は、約1万2000人の九州の友の熱き求道心を燃え立たせた。
この日、池田先生が出席し、福岡スポーツセンター(当時)で九州本部幹部大会が行われた。大会が幕を開ける頃、諸天が寿ぐかのように雨はやみ、青空がのぞき始めた。先生は「九州の祈りが届いたね」と語った。
同センターは、60年5月29日、先生が第3代会長就任後に初めて九州を訪問した折、総支部幹部会が開催された会場である。先生は幹部会で、「東洋広布の先駆たれ」と力説した。
総支部幹部会から5カ月後の10月2日、先生は初の海外平和旅へ。この月、福岡支部(当時)は全国一の弘教を達成する。福岡は全国の先駆を切り、師の世界広布の第一歩を、広布拡大の証しで荘厳したのだ。
池田先生の九州に寄せる変わらぬ思いは「先駆」である。九州本部幹部大会では、「常に先駆の九州たれ」との指針が発表された。
席上、先生は"皆さんの、その決意、自覚、戦いが、日本を守り、世界を救う道となる"と述べ、"「九州ここにあり」という先駆の模範を"と呼び掛けた。さらに、「東洋広布の歌」の指揮を執り、友の心を鼓舞した。
永遠の指針が示されてから50周年の佳節を迎えた2017年。7月3日から、小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「雄飛」の章に、1980年の九州の広布史がつづられ始めた。第1次宗門事件の渦中、「反転攻勢の助走」は九州から開始された。
2018年1月、九州広布65周年記念の代表幹部会が九州池田講堂で行われた。池田先生は万感の思いをメッセージに記した。
「わが大九州は、これからも創価の三代と不二の心で、全世界の『地涌の拡大』の『さきがけ』を頼みます。今再び、私は全幅の信頼を込めて『永遠に先駆の大九州たれ!』と叫びたいのであります」

◇1973年7月1日 鉄桶の団結・埼玉
埼玉の「鉄桶の団結」との永遠の指針が示されたのは、1973年7月1日、東京・信濃町で行われた埼玉最高会議の席上だ。
「こんにちは! みんな、元気かい」——30人ほどの参加者が振り返った。池田先生が会場の後方から入場したのだ。そのまま後ろに座り、会議は懇談的に始まった。
東京の隣県として人口が急増していた埼玉。先生は、埼玉が信心の上でも模範的な天地として、東京、全国を牽引しゆくことに期待を寄せた。そして、そのためにも、「埼玉は『鉄桶の団結』を合言葉に進もう!」と呼び掛けた。「鉄桶」——水も漏らさない鉄の桶のように、堅固な埼玉の異体同心の団結を、師は心から願った。
最後列の青年リーダーらを前にして、師が訴えた「鉄桶の埼玉」の魂を、参加者は生命に刻んだ。翌2日付の聖教新聞には、1面トップで最高会議の模様が報じられ、「埼玉、関東の電源地として立つ!」との見出しが躍った。
先生はそれまでも一貫して、埼玉の友に「団結」の重要性を強調してきた。この年の2月には、川越の地で、「団結と雄弁の埼玉たれ!」と指針を贈り、5年前の68年4月には、上尾で、「"一人立つ"ということと、団結とは、一見違うように思えるが、実は全く同じものである。自分が責任をもって一人立つところに、団結は自ずから築かれていくのだ」と指導している。
最高会議から約1カ月後、熊谷で県幹部会が行われた。先生は、「『団結』の二字の実践が、わが創価学会を世界的にしたのである。この原理を生涯、忘れないでほしい」「埼玉の勝利が日本の未来の縮図の勝利なり」とメッセージを贈った。そして9月12日、先生を再び上尾に迎え、埼玉県幹部総会を開催。会場には「鉄桶の団結」との巨大なパネルが掲げられた。「埼玉の日」の淵源である。
後に先生は埼玉の友に語っている。「異体同心でなければならない。その根幹が師弟である」と。師匠を中心とした埼玉の団結は今、世界広布の模範と輝く。

2022年7月14日木曜日

2022.07.14 わが友に贈る

健康は一切の基盤。
睡眠・食事・運動等
生活リズムを整え
心身の休息も賢明に!
快活な毎日を送ろう!

諸法実相抄 P1360
『ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』

【通解】
ともかく法華経の行者となって、名をたて身命を賭していきなさい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩が虚空にあって、釈迦・多宝の二仏がうなずき合い、定められたのは別のことではない。ただ、ひとえに末法における令法久住のためである。

名字の言 「日本を今一度せんたくいたし申候」 2022年7月14日
動乱の幕末を駆けた坂本龍馬。その桁外れの発想や闊達な行動力などの人間性は、現存する手紙からも想像できる。姉の乙女に宛てた私信にある「日本を今一度せんたくいたし申候」との有名な文も、その一つであろう▼"一国を丸ごと、きれいに洗ってしまおう"とは夢のような話だ。だが、龍馬の言葉となれば単なる夢物語ではなく、身命を賭してでも実現する覚悟を行間に見る思いがする。こうした"本気の夢"の大きさは、それを描く"人間の心"の大きさを表している▼かつて、池田先生は創価学園生から質問された。「先生の夢は何ですか?」。先生は「戸田先生の夢を実現することです」と答えた。後に先生は、この出来事を述懐しつつ、恩師である戸田先生の夢はどれも大きかったこと、そして、その全てをかなえたことをつづった▼さらに、今、夢の実現に挑戦する未来部の友にエールを送り続ける理由をこう述べた。「みなさんの勝利もまた、私の夢だからです」と▼他者の幸福に尽くした分、自身の境涯は広がっていく。今月16日に未来部躍進月間が始まる(8月31日まで)。心に大きな夢を描き、努力を重ねる後継の友を最大限に励ましたい。共々に一歩前進の成長を刻む夏とするために。

寸鉄 2022年7月14日
人生の価値高める創価の哲学は社会発展に寄与—韓国教授。共生の道、皆で
「岩手の日」50周年。団結で築いた希望の人材城。開拓魂で新たな勝利史を
石川女性部の日。愛する郷土に友情の花は爛漫。誓いの連帯固く対話拡大
私の最大の楽しみは若い人を育てる事—戸田先生 後継の友を地域で大応援
猛暑の車内、携帯や電池の放置に注意。発熱・発火の危険も。油断せず確認

〈社説〉 2022・7・14 友と心結ぶ「暑中見舞い」
◇思いを文字に託して届けよう
7月も半ばとなり、"いよいよ夏本番"と書きたいところだが、今年は梅雨明けが早かったうえ、既に一夏過ごしたくらいの酷暑が続いている。東京でも、6月25日から今月3日まで、実に9日間連続で猛暑日を経験した。
こうなってくると、真夏のあいさつ状の「暑中見舞い」も出遅れ感がないか気になってしまうが、相手の健康を気遣う気持ちには、季節外れなどあるまい。最近は、はがきに限らず、メールやSNS(交流サイト)を使うなど、その方法も多様化している。手にした便りから相手の気持ちを察して、"一服の涼"も感じられよう。
一般的に、暑中見舞いの時期は、二十四節気でいう小暑(7月7日ごろ)から立秋(8月7日ごろ)前までとされている。立秋を過ぎると「残暑見舞い」とすることが通例となっている。
本紙10日付では、「らくらくすてきに暑中見舞い」として、筆ペンで書く文字を使ったおしゃれなはがきの書き方を紹介していた。
書き方を説明している書道家の杉本健爾さんは、字に自信がない人には上手に書こうという気負いを捨て、遊び心を発揮して楽しみながら書くことを勧めている。また、薄墨の筆ペンで、贈りたい思いをそのまま大きく一文字書くことで、美しいはがきにできるとも。
水色の蛍光ペンで涼を演出するなど、工夫をこらしてみてもいい。そこに書かれた一文字一文字に心を込めて送りたいものだ。
日蓮大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(新762・全153)と、仏が文字に思いを込め、衆生を救っていくことを説かれている。もちろん次元は違うが、私たちも、友の幸福を願う心情を文字に託していきたい。真心を込めた便りであれば、心と心を結ぶ使者となろう。
池田先生は未来部の友に、友だちをつくる「秘訣」として「『自分から声をかける』ことです。"人類の教師"といわれ、仏教を説いた『釈尊』も、仏のふるまいとして、自分の方から先に話しかける人でした」と、自分から積極的に声を届けていく大切さをつづった。
"自分発"で友好を深める行動として、「暑中見舞い」などの季節のあいさつで、会う機会の少ない友や、日頃お世話になっている人へも思いを文字に託して届けてみてはどうだろうか。

☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:仏法の時代観 2022年7月3日
連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためにキーワードとなる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回のテーマは「仏法の時代観」。混迷の時代に創価の思想を語り広げる使命を考察します。

◇池田先生の指導から
私たちの住む地球は、グローバル化の一面、悲惨と不幸が拡大し、世界中が濁劫(時代の濁り)悪世の様相を見せております。人間に対する根本的な不信が増長している現代は、いわば世界規模で「末法」の実態が広がっているともいえる。
だからこそ、心ある人々は、いかなる困難に遭遇しても、蘇生と前進を促す希望の宗教を、そして、人間の内なる可能性を開く哲学を待望しているのです。〈釈尊——法華経——日蓮大聖人——創価学会〉という地涌の人間主義の系譜を持つ仏教を世界が希求しています。
学会員が地涌の本領を発揮する時代を迎えました。末法の「長き闇を照す」人間群が誕生することを、多くの人々が祝福して求めています。(中略)
「太陽の仏法」を持った私たちは、いやまして「人間革命の光」を社会へ、世界へ、未来へ放ちゆくことを決意し合って、師弟共戦の新たな広布の旅を力強く出発しようではありませんか。(『世界広布新時代の指針』)

◇Q1:釈尊滅後、徐々に仏法の力が衰える——末法思想について教えてください。
仏法では、釈尊入滅から正法・像法と時代を下るほど仏法の力が衰微していき、末法に至るという「三時」を説きます。大集経では、時代の推移を500年ごとに区切って論じています。末法は、その五番目の時代に当たる、闘諍言訟・白法隠没(仏教の争いが絶えず、正しい教えが見失われる時代)とされます。
日本で「末法到来」と考えられていたのは、永承7年(1052年)です。その後、平安後期に、貴族の世から武士の世へと、転換期を迎えていきます。
既存の価値観が揺らぎ、飢饉や疫病、戦乱や自然災害が頻発していた混迷の時代。当時を生きた鴨長明の「方丈記」には、「変はりゆくかたちありさま、目もあてられぬこと多かり」と、騒然とした状況が記されています。
こうした中、仏教の末法思想が一種の"終末観"として人々の心を捉え、社会全体に不安や絶望感がまん延していきました。法然が説いた念仏信仰が現実逃避の厭世主義として流行したのも、この頃です。思想界も「雑乱」していたのです。
とりわけ、日蓮大聖人が教えを説かれた鎌倉時代は、仏教諸宗派が入り乱れ、正しい教えが見失われて、争いや災禍が絶えず、苦悩にあえぐ民衆の姿は酸鼻を極めていました。
御聖訓には「今、末法に入って二百二十余年、五濁強盛にして三災しきりに起こり」(新1396・全1030)と仰せです。人々は今まさに末法という五濁悪世を生きている——大聖人はその感を強くされていたことでしょう。
しかし大聖人は、決して現実を悲観するだけではありませんでした。

◇Q2:日蓮大聖人は当時の状況を、どのように捉えていたのでしょうか。
日蓮大聖人は「顕仏未来記」で、末法という時に生まれた御心情を、「一たびは歎いて云わく」(新606・全505)と述べられています。ところが、続く御文では一転して、「喜んで云わく、いかなる幸いあって、後の五百歳に生まれてこの真文を拝見することぞや」(同)と仰せになり、悪世末法に生まれ合わせたことを最大に喜ばれています。
それはなぜか。
法華経薬王品第23には「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無かれ」(法華経601ページ、趣意)とあります。
大聖人はこの一節を踏まえ、法滅の危機を迎える「第五の五百歳」の悪世末法こそ、世界広宣流布の時であり、妙法を弘め、一切衆生を幸福にすべきことを仏は命じていると、深く確信されていたのです。ゆえに、「法華経の大白法が、日本だけでなく全世界に広宣流布することは疑いない」(新173・全265、通解)と断言されています。
正法が失われ、災禍が続く"嘆き"の時代から、真実の大法が開花し、世界広宣流布が実現しゆく"喜び"の時代へ——大聖人は、「苦悩の民衆を真に救済する法は何か」という視座から末法を深く捉え返し、時代の意味を大きく転換されました。
そこには、民衆自身の中に、悪世の苦難にも屈せず、困難に打ち勝つことができる無限の力があるという、尊極の生命を直視する慈愛の"まなざし"もあったに違いありません。

◇Q3:現実を嘆くのではなく、現実を変革する仏法なのですね。
「夫れ、仏法を学せん法は、必ずまず時をならうべし」(新160・全256)、「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし」(新478・全439)——日蓮大聖人は御書の中で、繰り返し「時を知る」ことの重要性を強調されています。
今が、いかなる時か。今、どのような戦いを起こすべきか。
時を知り、時に応じて立ち上がり、自らの戦いで新たな時代を切り開いていく。これこそ、末法における広布の使命に立ち上がられた御本仏の誇りです。
御聖訓には、「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙ってこの土に生まれけるこそ時の不祥なれ」(新600・全501)と、悪世末法に仏の命を受けて生まれたことは、まさに時の不運であると仰せです。
これは決して、現実を悲観されているわけではありません。むしろ、悪世の試練を覚悟の上で、御自身の妙法弘通の使命を宣言されるとともに、弟子たちに共戦の決意を促されていると拝すことができるでしょう。
この生き方に連なることで、私たち自身の境涯も大きく広がることは間違いありません。
新型コロナウイルスの世界的な流行や、不安定な国際情勢。気候変動やエネルギー問題など、山積する地球的問題群の数々。
先が見通せない危機の時代ともいわれる現代にあって、希望の哲理を語り広げ、時代の閉塞感を打ち破るのは、大聖人直結で進む私たちの使命です。
立正安国の誓いに燃える一人一人の対話によって、民衆が真に輝く未来は創られるのです。

2022年7月13日水曜日

2022.07.13 わが友に贈る

感染症対策を万全に!
手洗い・消毒・換気等の
基本を徹底しよう。
油断することなく
賢く価値創造の日々を!

上野殿御消息 P1527
『劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし』

【通解】
劣った者に慈悲を持てとあるのは、自分より弱い人には、我が子のように思ってすべてをいとおしみ、慈悲をそそぐべきであるということである。

名字の言 『大漢和辞典』の諸橋轍次博士が再起した理由 2022年7月13日
『大漢和辞典』は、"世界最大の漢和辞典"として名高い。その完成までに、漢学者の諸橋轍次博士は30年以上の歳月を費やした。この間、博士は何度も苦境に立たされる▼1945年2月、東京への空襲により、1万5千ページ分の版と資料が一瞬にして灰となった。追い打ちをかけるように、右目を失明。編纂を共に進めていた4人の友が亡くなった。妻も失い、編纂事業から一時、距離を置いた▼博士が再び編纂を開始する力となったのは、友の存在だった。大修館書店を創業した鈴木一平氏は、会社を挙げて事業に取り組む決心を博士に伝えた。写真植字の技術を発明した石井茂吉氏も、協力を申し出た。こうした人々の支えによって、辞典は完成した(『私の履歴書24』日本経済新聞社)▼大望を抱く者には必ず、それを共に進める友の存在がある。御聖訓に「異体同心なればかちぬ」(新2054・全1463)と。大きな理想の実現は、一人ではできない。創価の運動も、幾多の同志の献身によって、地域・社会へと大きく広がってきた▼この上半期、誰しもお世話になった人がいるに違いない。たとえ一本の電話でも、その人へ心からの御礼を伝えたい。感謝の心から、新たな前進の力は生まれる。

寸鉄 2022年7月13日
「仏法は、皆、師より習い伝え給えり」御書。我らは偉大な師と共に勇躍前進(新1710・全1240)
妙法を信じ、行動する人に不幸はない—戸田先生 確信の祈りで今日も出発
足をしっかり大地につけていけ—文豪ゲーテ。わが地域に信頼の根を深く、広く
豪雨など天気急変に注意を。外出前には最新予報を確認。「前々の用心」で
夏の省エネ運動期間。熱中症に十分注意し、不要な照明などを聡明に節電

〈社説〉 2022・7・13 大学は可能性の扉を開く場所
◇今夏はオープンキャンパスへ
作家の佐藤優氏は大学で講義を行った際、あるテレビドラマを学生に見せたという。
大学卒業後の就職に失敗し、仕方なく大学院に進学する主人公。その後、勤めた職場からは"派遣切り"に遭ってしまうという内容だ。
何のために大学で学んだのか——この問いを学生に考えさせるためである。
大学教育の役割とは何か。『大学の使命』(井上正訳)を著したスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットが、最も重視したのは「各時代における諸理念の生きた体系」、すなわち「教養」だった。
それは密林の中に道を見いだそうと努力するもので、生の難破を防ぐものであり、いかに知識を蓄えても、教養なき人間は"新しい野蛮人"にすぎないと結論づけている。
人間の幸福につながる哲学がなければ、高度な知識があっても迷走しかねない。ゆえに大学の真価は、教養を備えた社会貢献の人材を、いかに輩出できるかにある。
どの大学も目指すべき人材像を掲げる。これは受験生にとっては、自らが描く未来との結び付きを吟味し、志望校を選ぶうえで重要になるだろう。
本年度の京都大学の入学式の席上、同大学の湊長博総長は、新入生の出発を「『自己発見』と『自己表現』に向けての本格的な旅立ち」と形容した。
新たな出会いや気付き、努力の積み重ねによる思いがけない可能性の扉を開くチャンスが、大学には転がっている。
だが、数ある大学の中から自身に合う場所を見つけるのは容易ではない。
加えてコロナ禍の影響で、受験生が各大学に関する情報を得にくくなっており、最近では名前の知られた有名大学や地元大学への志向がより一層強まっているという。
進学後のイメージを膨らませるためにも、大学での学びを入学前に体感できるオープンキャンパスは貴重な機会だ。まさに「百聞は一見にしかず」である。
この夏、各大学とも、バーチャルツアーなどオンラインでの企画に工夫を凝らす。さらに足を運ぶ来場型の開催も増えている。
自身で直接触れ、肌で感じるキャンパスの雰囲気や学生の熱意が、進学の決め手になることも少なくない。それは「百考は一行にしかず」とも言えようか。
未来を思い描く夏。自らの目と足を使って、"一日大学生"を体験してみてはいかがだろうか。

☆御書と未来へ 第27回 「叶わざるなし」の壮大な祈りを
〈御文〉
『日月天の四天下をめぐり給うは、仏法の力なり。』〈四条金吾釈迦仏供養事、新1557・全1146〉

〈通解〉
日天(太陽)と月天(月)が、この世界を巡るのは、仏法の力によるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法広布に生きゆく我らは、大宇宙の運行のリズムに則り、壮大なる生命力を涌現できる。ゆえに「祈りとして叶わざるなし」なのだ。
民衆の幸福と社会の繁栄を願う立正安国の祈りと行動は、宇宙の本源の慈悲と合致している。わが色心を日月天のごとく冴え光らせ、地球をも照らす一念で大きく明るく連帯拡大を!

☆7月度座談会拝読御書 四条金吾殿御返事(世雄御書)
◇御文
『日蓮は少きより今生のいのりなし。ただ仏にならんとおもうばかりなり。されども、殿の御事をば、ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。その故は、法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。』(御書新版1590ページ14行目〜15行目、御書全集1169ページ8行目〜9行目)

◇[池田先生の指針から]妙法の「師弟の道」を
皆、今世に妙法の力を涌現して宿命転換し、幸福の大境涯を開いて、活躍する使命がある。皆、広宣流布の誓願のままに、悪世末法に生まれてきた地涌の菩薩である。その人でなければ果たせぬ尊極の使命があるのだ。
良き友人となり、温かく接し、見守っていくことだ。自らが受けた恩と励ましを何倍にも変え、後輩に注いでいくことだ。手作りで「法華経の命を継ぐ人」を育てていくのである。
学会員に尽くすことは、広宣流布に尽くすことであり、仏に尽くすことだ。
まず、自ら一人立て! そして人材を育て、人材と共に進みゆけ!
君が開きゆく勇敢な勝利劇の舞台にこそ、一人また一人と、頼もしき人材が陸続と躍り出てゆくのだ!(『随筆 我らの勝利の大道』)
◇ ◇ ◇
人生の勝負は、長い目で見なければ分からない。ましてや、仏法という永遠の次元から見れば、移ろいゆく、さまざまな評価など、どれも、はかないものである。
我らの広宣流布は、人類の幸福の大道を開きゆく永遠の大事業である。この広布に生き抜く創価の師弟こそ、永遠の栄光と福徳に包まれる、生命の大勝利者なのである。(中略)
一日一日、生まれ変わったように生きる。その人生には感傷もない。愚痴もない。堅実な一歩一歩が、必ず偉大な使命の人生となっていく。これが「創価の道」であり、妙法の「師弟の道」である。(2009年9月、新時代第32回本部幹部会でのスピーチ)

◇信心を貫き通し幸福勝利の人生に
[キーワード�]大願に生き抜く
本抄が送られる直前の建治3年(1277年)6月、四条金吾は、周囲からの讒言や中傷を信じた、主君の江間氏から"法華経の信仰を捨てなければ、所領を没収する"と命じられました。
今回の拝読御文の直前で、日蓮大聖人は、門下が大弾圧を受けた時も、一歩も引かずに戦い続けた金吾に、あえて「以前よりも、百千万億倍、用心していきなさい」(新1590・全1169、通解)と、所領を惜しむのではなく、強盛な信心に立つように教えられています。
信心を貫き通すことで、ものごとの道理として、必ず勝利していくことができるからです。
「ただ仏にならんとおもうばかりなり」とは、どこまでも万人の成仏を願われた、大聖人の誓願です。
目先の毀誉褒貶にとらわれず、師と同じ広宣流布の大願に立つならば、自身の悩みや願いなど「今生のいのり」も全て包み込むように叶えていくことができる——。弟子である金吾のために、呼び掛けられていると拝することができます。
池田先生は「自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です。最後に勝つ人です。ここに信心の極意があります」とつづっています。
師の教えの通りに仏法の実践を貫いた金吾は、「仏法は勝負」と仰せの通り、主君からの信頼を回復し、新たな所領を得ることになるのです。

[キーワード�]皆が"宝の存在"
どんな時も信じてくれる壮年部、女性部の同志が支えになった——。
未来部・青年部時代に、そういった経験をした学会員は、多いのではないでしょうか。
日蓮大聖人は本抄で、苦闘する四条金吾のことを"絶えず祈っている"と仰せです。何があっても弟子の勝利を信じ、祈ってくださる師匠の存在に、金吾はどれほど感動し、心強く思ったことか、計り知れません。
末法に妙法を弘め、一切衆生の成仏の道を開かれた大聖人は、万人の幸福を実現するという"仏の願い"をよみがえらせました。その大聖人のお心を拝していく時、仏法に縁するだれもが、「法華経の命を継ぐ人」であるといえます。
大聖人の御精神に連なる創価三代の師弟も、"だれもが宝の存在"と、眼前の一人を大切にし、世界中に地涌の連帯を広げてきました。どこまでも「一人」の可能性を信じ、励まし、見守り続けることが大切です。
真心を込めた祈りは、たとえ時間がかかったとしても、必ず伝わります。その思いに立ち上がった同志の体験は、枚挙にいとまがありません。
池田先生は「たとえ諸君が、自分なんかダメだと思っても、私はそう思わない。私は信じている。私は諸君を尊敬している。必ず、あなたにしかできない使命をもった人だと信じている」と語っています。
師の心をわが心とし、未来部・青年部をはじめとした後継の友が、"自分自身が宝の存在"と、希望の前進ができるよう、励ましを送っていきましょう。

2022年7月12日火曜日

2022.07.12 わが友に贈る

地域・職場など
身近な人たちとの絆を
大切にしていこう!
誠実な振る舞いで
信頼の輪を幾重にも。

上野殿御返事 P1544
『まことやらむいえの内にわづらひの候なるはよも鬼神のそゐには候はじ、十らせち女の信心のぶんざいを御心みぞ候らむ』

【通解】
たとえ、あなたの家の中に病人があったとしても、それは、(一家を不幸にしようとする)鬼神のしわざではない。十羅刹女が、あなたの信心の強さを試しておられるのでしょう。

【先生の指導から】
妙法の大良薬を持った一家に、打開できない問題など、絶対にない。強い信心を貫けば、すべて変毒為薬していける。要は、「一人」が立ち上がることである。一人が立てば、一家、一族を、すべて救いきっていけるのである。

名字の言 わずかなしぐさに思いを馳せる 2022年7月12日
近代看護の母・ナイチンゲールの言葉に、良い看護師は「患者に向かって、どう感じているか、どうして欲しいか、といった質問などめったにしない」と。ゆえに「患者の顔に現われるあらゆる変化、態度のあらゆる変化、声の変化のすべてについて、その意味を理解《すべき》なのである」と訴えた(『ナイチンゲール言葉集』現代社)▼これは看護の世界に限らないだろう。胸の内を言葉にするのが苦手な人のわずかなしぐさを見逃さず、心に寄り添うことは大きな励ましになる▼病で足の不自由な女性部員。周囲の心ない態度に傷ついたことも。それでも青年時代、何度も弘教に挑戦した。しかし、対話は実らず、"私なんか……"と落胆した▼そんな中、女子部合唱団の一員として参加した集いで池田先生との出会いがあった。彼女は気後れし、団員の後方に下がってしまった。その行動を先生は見逃さなかった。すぐに彼女のそばへ歩み寄ると、包み込むように励ましを。彼女は"私らしく広布に生き抜く"と誓った▼彼女は今、1人暮らしの高齢者や、多忙で会合に参加できない友の激励に歩く日々。相手がふと見せる表情やしぐさにも心を配り、"何としても幸せになってほしい"と慈愛を届けている。

寸鉄 2022年7月12日
「信心するは随喜なり」御書。戦い抜いた喜びを皆に語ろう。感動は伝播(新1163・全835)
総東京の「女性部 幸福・勝利の日」「青年部の日」。永遠に師弟共戦で広布へ
激闘の中で新たな人材が陸続と!励まし絶やさず同志のスクラムがっちり
会場提供の皆様、ご家族に感謝の言葉を。仏子が集う"誉れの宝城"を厳護
基本守らなければ流行は悪化の一途に—WHO。感染対策、心を引き締め

☆御書と未来へ 第26回 一人一人が伸び伸びと善縁を
〈御文〉
『殷の紂王は、七十万騎なれども、同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は、八百人なれども、異体同心なればかちぬ。』〈異体同心事、新2054・全1463〉

〈通解〉
殷の紂王は、70万騎であったが同体異心であったので戦いに負けてしまった。周の武王は、わずか800人であったが、異体同心であったので勝ったのである。

〈池田先生が贈る指針〉
創価の団結は「同体」ではなくして、「異体」の「同心」ゆえに強い。一人一人が多彩な持ち味を生かし、広布の大願へ心一つに、誠実な善縁を結ぶ。その重なりが、勝利の力を生む。
険しい坂も、「自他・彼此の心なく」励まし合って、越え征こう! 我らが広げる「異体同心」の連帯こそ、人類共生の希望のモデルなのだ。

☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第14回 無上の人生劇
◇報恩抄
『仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。
この大恩をほうぜんには、必ず仏法をならいきわめ智者とならで叶うべきか。』(新212・全293)

◇勇気の指標
報恩は、人間性の証明です。そのうえで仏法における報恩とは、主君や両親という特定の人に限定的に向けられるものではありません。知恩報恩の人生は、そのまま、「一切衆生への報恩」に通じていくのです。(中略)多くの人々に感謝の思いを伝え、真に報いていくために、大いなる自分自身を築こうとするのが、仏法の報恩です。日蓮仏法の報恩とは、そのまま民衆救済の誓願に立つことです。
◆◇◆
広宣流布の正しき師匠とめぐりあい、人間革命と宿命転換のドラマを幾重にも織り成していく人生が、いかに気高く、またいかに尊いか。私たちは無上の人生劇を築いているのです。
師匠はどこまでも弟子の成長を願う。弟子はどこまでも師匠への報恩を誓う。師弟は人間の魂の交響の極致です。(中略)最高の人の振る舞いである師弟の生き方が、青年を照らし、人類の境涯を高め導いていくのです。
◆◇◆
仏の「慈悲曠大」を体現するゆえに「創価学会仏」です。偉大な仏の力と福徳が、わが同志の一人一人に漲っていかないわけがありません。
◆◇◆
創価の前進は、希望の光です。
創価の団結は、勝利の力です。
創価の凱歌は、平和と繁栄の源です。
わが創価の報恩の人生を、いやまして力強く歩み抜きましょう! さあ、賑やかな新時代の行進を世界の友と!

◇今こそ師恩に報いる時! 大野木文子 総兵庫女性部長
"師匠は弟子のことをお忘れにならないよ。忘れるのは弟子の方だよ"——女子部時代、師匠を求めて戦う中で、尊敬する先輩から言われた言葉です。ハッとしました。
そして、「報恩抄」の今回学ぶ一節を教えていただいたのです。
"師はいつも私たちのことを祈り、勝利を待っていてくださる。師の大恩に報いていく生涯を"と固く誓いました。
阪神・淡路大震災からの復興をはじめ、兵庫は、どれほど池田先生に励ましていただいたことか。今こそ、師恩に報いる時!——同志の皆さんはこの誓いで走りに走っています。

◇何があっても
「日蓮仏法の出発点は、どこまでいっても報恩にあります」——先生は、こう明快に講義されています。
高校時代、母ががんを患い、悲しくて苦しい日々が続いていました。そんな折、姫路文化会館を訪問された先生と初めてお会いしました。慈愛あふれるお姿に触れ、"何があっても先生と共に生きていこう"と決意することができました。その後、母は亡くなりましたが、病と闘い抜く姿を通して、信心の偉大さを教えてくれました。
同志の励ましに支えられ、創価大学へ。在学中、先生との懇談の機会に恵まれ、地元・兵庫のことを、聞いていただいたこともありました。"大好きな関西で、兵庫で恩返しの人生を"との思いが募り、地元へ戻って就職。仕事と学会活動に全力で挑戦しました。
震災の時は、結婚し、長男がまだ生後3カ月の頃でした。長男は倒れた家具の隙間で九死に一生を得ました。悲惨な現実を前に、希望を送ってくださったのも先生でした。直後に「大白蓮華」誌上で開始された「法華経の智慧」の連載でも、三世を貫く生命論を語ってくださり、真剣に学びました。
"亡くなられた同志の分も、広宣流布に生き抜こう"——そう決意して地域を駆ける中、出会った2人の方を入会に導くこともできました。

◇創価の看板を掲げ
池田先生は、講義の中で「日蓮仏法の報恩とは、そのまま民衆救済の誓願に立つことです」と教えてくださっています。
今年に入り、広布の最前線に飛び込もうと決めて、兵庫各地の地区の皆さまと語らいを。その中で、先生の講義の通りの誓願と行動を貫かれる皆さまの生き方に、何度も何度も感動してきました。
東神戸総県の、ある支部副女性部長は、5年前にご主人を亡くされました。さらに昨年、どこへ行くにもいつも一緒に活動してきた同志が病で倒れ、落ち込む日々が続きました。それでも必死に信心を奮い起こし、少しずつ学会活動へ。友人との対話に挑戦する中で、元気を取り戻し、「創価学会の看板を掲げて生き抜くんや!」と覚悟が定まったといいます。
"近隣の方々の幸福責任者は自分"と決め、折に触れて声を掛け、関わってこられました。誠実の対話を広げる中で、"壁をつくっているのは自分。友人は待ってくれている"と感じたそうです。彼女は声を弾ませます。「今年のスローガンは『勇気の前進』。今、広布のために尽くせることに感謝し、喜び勇んで戦っていきます!」

◇地域を楽土に
私自身も、広布の法戦のたびに、"必ず兵庫の地を楽土へと変えていこう。それには学会員が、そして地域の方々が幸せになっていくことだ"と勇気の対話に挑戦してきました。
大事なことは、「あの人はこうだから」等と、"自分から諦めない"ことではないでしょうか。一回一回の語らいを大切に、目の前の方を、掛け替えのない縁のある方だと心に決めて、誠意を尽くし抜く。そうした積み重ねの中で、友人のご家族の方とも友情を結べるなど、"一歩先の信頼"を築くこともできました。
先生は兵庫の友に呼び掛けてくださいました。
「兵庫が勝てば/関西が勝つ!/関西が勝てば/世界が勝つ!」
弟子の勝利が、師匠の勝利です。今こそ、「報恩の道」を貫き、常勝兵庫の新しい歴史を勝ち開いてまいります!

◇メモ
「報恩抄」は、建治2年(1276年)7月、日蓮大聖人が安房国(千葉県南部)清澄寺の旧師・道善房の逝去の知らせを受け、身延の地で認められた追善の書。御自身の修学時代の兄弟子で、後に大聖人に帰依した浄顕房・義浄房のもとへ送られた。人間として生きる道は「報恩」にあると示されている。

2022年7月11日月曜日

2022.07.11 わが友に贈る

◇今週のことば
「異体同心なればかちぬ」
金の汗光る宝友に最敬礼。
「心の財」は無辺なり!
生命尊厳の哲理の旗高く
幸と平和の更なる連帯を。
(新2054・全1463)
2022年7月11日

四信五品抄 P341
『問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す』

【通解】
問う、(妙法蓮華経の五字に法華経の道理が納まっているという)意義を知らず、ただ南無妙法蓮華経と唱える人が、一念三千の道理をわきまえる人と同じ功徳を得られるであろうか。
答える、子どもが母の乳を飲むのに、その味を知らないけれども自ずから育っていくようなものである。

名字の言 染色家として活躍する鹿児島の女性部員 2022年7月11日
鹿児島県の奄美大島で晩年を過ごし、孤高の日本画家といわれた田中一村。先日、彼が描いたとされる風景画など9点が、奄美市内で見つかった。大島紬の染色工として働きながら創作を続けた一村の家の近くには、染色を行う泥田が今も残る▼「昔の泥田は男性ばかり。私は端っこで染めていました」。同市に、染色家として活躍する女性部員がいる。結婚後、一度は染色から離れた。夫が会社勤めから農業に転職し、生活が一変したからだ▼不慣れな農作業、3人の子育て。不作で多額の借金も重なった。それでも"この信心で必ず幸せになってみせる"と、時間を工夫しては学会活動に励んだ▼家業が軌道に乗った20年ほど前から、再び染色の道に。人づてで評判が広がり、作品はふるさと納税の返礼品にもなった。島の文化を伝えたいと、保育所などで「染めもの教室」も行う。「楽しい時も苦しい時も題目。おかげで、いつも"今が一番幸せ"です」▼泥染めは、泥につけるほど色の深みが増すという。人の生き方も同じだろう。ぬかるみにはまるような苦難にも、負けない心で紡いだ人生行路は、時を追うごとに輝きを増していく。不屈の祈りと挑戦で、わが人生を"幸の色"に深く深く染め抜きたい。

寸鉄 2022年7月11日
歴史を残せることは人間として最大の名誉—戸田先生。共に次なる飛躍を
男子部結成の日。誓願に生きる誉れの青春。広布の責任胸に人材拡大の夏
「礼儀いささかおろかに思うべからず」御書。友への御礼は真心込め即座に(新1850・全1527)
SDGs認知度は拡大も協力意識が課題—調査。全員が共生社会の主人公
公明党よ支持者の献身を断固忘るな。ここからが勝負。大衆に尽くし働け

〈社説〉2022・7・11 きょう「男子部結成記念日」
◇広布の庭で生きた証しを
コロナ禍の中で社会の状況は激変し、「ニューノーマル(新しい普通)」という言葉も広まった。
しかし、独立研究者・著作家の山口周氏は「私たちがこれから生きていくのは『ノーマル=普通が溶解してしまった世界』」(『思考のコンパス』PHP研究所)と指摘する。つまり"普通"というもの自体がない「ノーノーマル」とも言える時代になっていくと。
コロナ禍は、働き方や生活スタイル、生き方にも影響を与えるような大きな変化をもたらした。従来のモデルケースがなくなり、誰もが当てはまる"普通"がなくなっていくとしたら、それぞれの複雑な状況において、その人らしく決断し、行動するしかない。その時こそ「一人を大切にする」という視点が重要になるだろう。
男子部の友は、社会の変化の最前線で、徹底して一人を大事にしてきた。コロナ禍の当初はオンラインを活用して励ましを広げ、現在は部員への訪問・激励、友人への対話に全力で打ち込んでいる。中には、働きながら仕事での新しい展望を抱いて、勉強を重ねる友がいる。パパとして子育てに全力で取り組みながら、学会活動に走るメンバーもいる。時には若者世代が直面する課題を語り合い、時には友の悩みに寄り添う。学会活動とは"目の前の一人"と真剣に関わり続けることに他ならない。この地道な活動を貫き、新しい時代を開くのが男子部の使命だ。
部の結成式が開かれた1951年(昭和26年)7月11日、戸田先生は参加した友に語った。
「近くは明治の革命をみても、その原動力となったのは当時の青年であり、はるか日蓮大聖人御在世の時も、活躍した御弟子のかたがたは、みな青年であった。つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです」
男子部は圧倒的な対話拡大に挑み、熱闘を繰り広げてきた。苦闘と挑戦の日々が、自分自身の歴史に刻まれると確信して——。
池田先生は語っている。「ひとたび、広布の戦の庭に立ったならば、『自分は、これだけやった!』と胸を張っていえる結果を厳然と示していくことだ。『これだけの歴史をつくった!』という生きた証しを残していくことだ。それでこそ、学会男子部である」
きょうは男子部結成記念日。一人一人が広布後継の誓いを胸に、平和と友情を広げていこう。

☆きょう男子部結成記念日 正義の師子の陣列を
◇8・9月を中心に大学校生大会を開催
正義の師子が新たな勝利へ勇み立つ!——きょう7・11「男子部結成記念日」を迎えた。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部での男子部結成式の席上、戸田城聖先生は語った。「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」
この日、班長として参加した池田大作先生は、恩師の叫びを命に刻んだ。後に当時の真情をつづっている。
「青年が師匠に付き従っていくのではない。青年が師匠と同じ責任を分かち合うのだ。青年が師の心を我が心とし、率先して遠大なる未来の道を開きゆくのだ」
先生は師の構想実現へ猛然と一人立った。そして、あらゆる険難の峰を勝ち越え、広布拡大の金字塔を打ち立てていったのである。
師の大願を継承し、弟子の闘争で勝利の証しを示す——これが、男子部の誉れの使命にほかならない。
今、混迷の闇を晴らす生命尊厳の哲理を掲げ、勇気の言論戦を展開する同部の友。その先駆を切るのが男子部大学校生である。
このほど、8・9月を中心に、各地で「大学校生大会」が開催されることが決定した。
本年の8月24日は、池田先生の入信75周年の佳節である。求道の心燃える5期生を先頭に、一人一人が今夏の決勝点を目指し、弘教拡大へと挑みゆく。
西方男子部長は誓う。「一人立つ弟子の陣列を幾重にも広げ、新たな広布飛躍の歴史を勝ち開きます!」

☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第11回 7・17「大阪大会」
◇勇敢に真実を叫び抜け!
昭和三十二年の七月三日。
まったく事実無根の
選挙違反の容疑で
私は不当に逮捕された。
それが「大阪事件」である。
奇しくも
わが師・戸田先生が出獄された
同じ七月の三日の
同じ夕刻七時であった。

権力の狙いは邪険にも
戸田先生の逮捕であった。
学会の壊滅であった。
既に衰弱の激しかった師が
再度の投獄となれば
死にもつながりかねない。

それゆえに
大阪拘置所の独房に囚われた
若獅子は一切の矢面に立った。
正義の師匠を護り抜くために
過酷な取り調べも
巌の如く耐え忍んだ。

この獄中の私と共に
関西中の同志が戦ってくれた。
悪口罵詈を浴びせられて
動揺する臆病者など
わが関西にはいなかった。

「室長は完璧に潔白や!」
「無実の室長を
一日も早く釈放せよ!」
民衆の憤怒は
十重二十重の大波の如く
傲慢なる権力の石壁を叩き
激しく震撼させた。

◆◇◆

五十年前の七月の十七日——
鎖から解き放たれた愛弟子は
師を伊丹空港でお迎えし
そして 横暴な権力を糾弾する
不滅の大阪大会へ向かった。

北大阪の中之島・中央公会堂には
全関西の尊き戦友が集った。
関西と一体で伸びてきた
中国からも 四国からも
そして
九州など西日本の全域から
さらにまた
東京など東日本からも
わが同志は駆けつけてくれた。
豪雨を物ともせぬ
この真正の同志と心一つに
「正義は必ず勝つ!」と
私は宣言したのである。

この日
戸田先生は師子吼なされた。
「破折すべきは
徹底して破折せよ!
黙っていれば敗北だ。
肉声こそ最大の言論である。
正義が嘘八百に
負けてたまるか!」

◆◇◆

正義の人々が
冤罪で陥れられてきた
暗黒の流転を断ち切るために
私は勇敢に真実を叫び抜いた。
厳正なる裁判長の審判を信じ
邪悪な虚偽を一つ一つ
完璧に打ち砕いていった。

昭和三十七年の一月二十五日。
判決公判のその日
裁判長の凜とした声が
大阪地裁の法廷に響いた。
「池田大作は無罪——」

それは
私一人の勝利ではなかった。
信念の殉教をなされた
牧口先生の勝利であった。
先師の仇討ちを誓った
戸田先生の勝利であった。
そして
私と恐れなく立ち上がった
関西の同志の勝利であった。

◆◇◆

我らの胸中にこだまするのは
「断じて」という
絶対勝利の執念しかない!

眼前の山また山を
断じて勝ち登れ!
断じて今日を勝ち切れ!
ほとばしる勇気と智慧で
この決戦を断じて勝ち抜け!

2022年7月10日日曜日

2022.07.10 わが友に贈る

"仏の如く互に敬うべし"
皆が使命ある人材だ。
宝の一人一人と共に
金剛不壊の団結で
幸福勝利を開きゆこう!
(新1989・全1383)

諸経と法華経と難易の事 P992
『仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり、幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり』

【通解】
仏法がこのように次第次第に顛倒したので、世間もまた濁り乱れてしまった。仏法は本体であり世間法はその影のようなものである。体が曲がれば影は斜めになる。幸に我が一門は仏の御本意に随って自然に涅槃の海に入ることができるが、世間の学者達は随他意の経を信じて苦海に沈むことになる。

名字の言 難病を患った妻に夫が告げた言葉 2022年7月10日
ある壮年から聞いた話。4年前、妻が進行性の難病を患った。体中の機能が弱まり、車いす生活に。やがて声も出せなくなった。医師から治療の難しさを伝えられた▼昨日できたことが今日はできない。今日できても、明日はどうなるか……。一日一日、不安や恐怖に耐えながら、笑顔で「だいじょうぶ。わたしはふじみ」と口を動かす妻に向かって、彼は告げた。「俺の祈りと戦いで、絶対に病魔を吹き飛ばしてやるから!」▼懸命に祈り、妻のリハビリに寄り添う日々。その中で弘教も実らせた。程なく妻に劇的な変化が。治療薬が功を奏し、車いすなしで歩けるようになった。会話もできるようになり、以前よりおしゃべりに。夫妻は信仰の功力を確信。二人して固く誓う。「かけがえのない命と時間。私たちは広布のために燃焼させます!」▼仏法では「一日の命は宇宙の全ての財宝よりも優れている」と説く。それを理屈ではなく、生き抜く姿そのもので教えてくれる友がたくさんいる。その方々こそ宝の存在だ▼1日あれば、数時間でもあれば、どれほど声を、言葉を交わし合えるか。どれだけの人と心を結び合えるか——。「今日」「今」に全力を尽くそう。必ず、「永遠」に輝く勝利の歴史を築こう。

寸鉄 2022年7月10日
真の弟子ならば最後の最後まで戦い続けよ—戸田先生。栄光山を共に登攀
「心はこれ身の主なり」御書。真心は絶対通ず。強き祈りと誠実な振舞で(新1320・全979)
正しい努力が成功しない例はない—哲人エマソン。地道に今日も前へ!挑戦王たれ
参院選の投票日。前進か後退か—国の命運決める一票。実績等、賢く見極め
大学生の就職内定率83%と高水準。感染前にほぼ回復。更なる若者支援を

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 御書とともに 2022年7月4日
◇決めて祈り、行動する時、道は開く!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」で引用された御文と、折々の励ましの言葉を紹介します。

【御文】
『いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。』(新1539・全1132)

◇リーダーが原動力に
これが、流罪の地・佐渡にあって、門下を厳然と守りゆかれる大聖人の「祈り」であられた。
人ではない。自分である。広布のリーダーは、まずみずからが祈ることである。
人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
とくに青年は、求めてみずからを鍛えなければならない。
若いときからお金もある、何の苦労もない——では人物はできない。民衆を守る偉大な指導者になれるわけがない。
苦労に苦労を重ねて、何があろうとも微動だにしない王者の自分自身を築きあげていただきたい。
(『池田大作全集』第87巻、86ページ)

【御文】
『各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。』(新2145・全1300)

◇試練と戦う地涌の舞
師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。(中略)
ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。
(『御書と師弟』第3巻、50ページ)

【御文】
『今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。』(新2085・全1451)

◇「今ここ」こそ正念場
私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。
大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
私にとって、この一節は「"まさか"が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である——こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻、76ページ)

【御文】
『始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし。さなくして、後悔やあらんずらん。譬えば、鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成って歩みをさしおきては、何として都の月をば詠め候べき。』(新2063・全1440)

◇「本当に楽しかった」
いざという時に「やらんかな!」と勇み立つ生命は、金剛不壊の仏の大境涯を開くことができる。
大変だからこそ、大きく「心の財」が積まれるのだ。
戸田先生は、「広布の戦いは、皆が最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやり通すのだ」と教えてくださった。
何事も、中途半端では喜びはない。一念を定めて祈り切り、ベストを尽くして走り切る中で、人間革命できるのだ。
「始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし」「信心の歩みを運ぶべし」(新2063・全1440)である。
社会のため、未来のため、楽しく朗らかに動き語り、共々に栄光の峰を登攀しよう!
(創価新報「池田大作先生が贈る 青春勝利の大道」第25回)

2022年7月9日土曜日

2022.07.09 わが友に贈る

「立正安国」とは
自他共の幸福を祈り
社会の安穏を築くため
互いに高め合う実践だ。
正義の連帯を広げよう!

経王御前御書 P1123
『経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし』

【通解】
あなた方も経王御前を儲けられたのであるから、現世には、必ず跡を継ぐ孝子である。また後生には、この子に導かれて仏に成られるであろう。

名字の言 良き出会いが幸福の土台に 2022年7月9日
岐阜県の小さな町に、人々が気軽に集い、「ここに来るとホッとする」と親しまれる飲食店がある。今は、コロナ禍での営業で少し寂しいが、店主の女性は至って意気軒高。「いろいろな方と出会えたのが私の財産です。友人の数だけは誰にも負けません」▼草創期に活躍した母の背中を見て育った。「自分の決めた道を真っすぐに貫く人でした。人間が本当に大好きで、相手のためなら何でもしてあげる人でした。自慢の母です」。親の心を受け継いだのだろう。地域の人から「お母さんと一緒だね」とよく言われると笑う▼彼女に大きな影響を与えた人がもう一人いる。兵庫県で飲食店を営む女性で、信心根本に進む不撓不屈の人。岐阜の女性は「その方の半生を伺いました。広布一筋に生きる人生の素晴らしさに感激し、ものすごい生命力に圧倒されました」▼この出会い以来、彼女は生まれ変わった。「私が創価学会」との自覚が一層、強くなり、何があっても微動だにしない自分に成長した。「あの人は何でも一生懸命だから、皆に好かれるんやろうね」と兵庫の女性▼池田先生は「人間関係には、その人の境涯が表れる」と語る。良き出会いを重ねた分だけ、境涯は広がる。人生の幸福の土台は構築される。

寸鉄 2022年7月9日
「月々日々につより給え」御書。さあ強盛なる信心で共戦譜綴る宝の一日を(新1620・全1190)
我らは誓う。あらゆる暴力を断固否定し平和行動貫く事を。輝く未来、共に
"喉が渇いた"は熱中症の危険サイン。水分・塩分の補給忘れず。声掛け合い
感染者数が増加傾向に。会話時のマスク着用など対策を確認。意識緩めず
公明、7選挙区とともに比例に総力の押し上げ。支援も全国に総当たりで

☆四季の励まし きょう「7・3」——常勝の金字塔を頼む 2022年7月3日
◇池田先生の言葉
七月三日とは、
真正の弟子が決然として、
また憤然として——
一人、立ち上がる
「師弟の日」だ!
勇気凜々と、
生まれ変わって
戦いを開始する日だ!

「誰か」ではない。
「自分」である。
自分が勝つことだ。
自分に勝つことだ。
その姿こそが、
皆に勇気を
波動させていく。

引っ込み思案になって、
臆病な生命に
縮こまってはつまらない。
同じ生きるのならば、
勇気を奮い起こすのだ。
愉快に、はつらつと
打って出るのだ!
大変な時こそ、
良き友と
励まし合いながら、
師子奮迅の
「信力」「行力」で、
無敵の「仏力」「法力」を
湧き出しながら
断固として勝ち進むのだ!

創価の師弟は、
一人も残らず師子である。
師子は臆さない!
師子は負けない!
師子は油断しない!
師子は攻め抜く!
師子は必ず勝つ!

関西は、
全世界の同志の
憧れの天地だ。
関西の前進を、
全世界が見つめている。
関西の勝利こそ、
学会の勝利、
世界の勝利なのだ。
ゆえに、関西よ、
わが大関西よ、
これからも
常勝の金字塔を、
断固と頼む!

世界広宣流布の前進は、
これからが本番だ。
胸を張って、
わが情熱を伝えよう!
声を大にして、
信念を語ろう!
そして、今こそ、
創価の師弟の正義を
満天下に
示しゆこうではないか!

【写真説明】きょうは7月3日。戸田城聖先生は1945年のこの日、軍部権力との獄中闘争を貫き出獄した。池田大作先生は57年のこの日、事実無根の選挙違反の容疑で逮捕され、入獄した。7月17日、池田先生は出獄し、大阪大会で師子吼した。"最後は信心しきった者が必ず勝つ"と。そして50年後の2007年11月、大会の舞台となった大阪市中央公会堂にカメラを向けた。
師弟の誓いの「7・3」。今再び常勝不敗の金字塔を築きゆけ!

2022年7月8日金曜日

2022.07.08 わが友に贈る

「今一重強盛に
御志あるべし」御聖訓。
広布の大願に立てば
無限の力が湧き上がる。
さあ今から!ここから!
(新1689・全1220)

四条金吾殿御返事 P1118
『貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』

【通解】
あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として多くの人に仏法を語られている。これこそ、法華経流通の義ではないか。法華経の信心を貫き通しなさい。火を起こすのに、途中で休んでしまえば火は得られないのである。強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。

【先生の指導から】
暗い世相である。変化も激しい。舵取りがむずかしい時代だ。自信を失い、指標を見いだせずにいる人も少なくない。そのなかにあって、日本中、世界中で、わが同志の健闘が、明るく朗らかに光っている。

名字の言 七色の友情のアーチを架けよう 2022年7月8日
北海道の女性が「愛知の友人と久しぶりの電話で、楽しく話ができました」と声を弾ませた。友人とは「ポルトガル」が縁で知り合ったという▼女性はかつて、家族でポルトガルに住んでいた。その時、日本でレストランを営む友人が、ポルトガルの家庭料理を学びたいと、つてをたどって、はるばる訪ねてきた。以来、彼女はその友人と親交を深めてきた▼女性は夫の仕事の関係で、海外を転々とした。その中で、国内の各地にも多くの友情を育んできた。先日、神奈川で本紙の購読推進が実った。一つ一つの友情は一朝一夕に築かれたものではない。一回の出会いを、その場限りで終わらせず、相手の幸福を祈り、真心を尽くしてきた▼仏の異名にはさまざまある。日蓮大聖人は仏を「大橋梁」(新53・全188)とも譬えられた。仏法者とは、人と人の間に心の「橋を架ける人」にほかならない。崩れない、確かな"橋"を築こうとすれば、時間もかかり、労も多い。しかし、だからこそ自らの境涯が大きく開かれる▼広宣流布といっても、どこか遠くにあるのではない。今いる場所で、地道に絆を育むことにある。一度結んだ縁を大切に!——この誠実な振る舞いで、七色に輝く友情のアーチを描きたい。

寸鉄 2022年7月8日
「ちかいし願いやぶるべからず」御書。自ら立てた誓いを貫く人生は尊し(新114・全232)
兵庫がラストスパート!常勝とは不撓不屈の異名 異体同心の大連帯で応援
神奈川が一進一退の激戦 悔いを残さず語り抜け!民衆勝利へ皆で押し上げ
土砂災害、大雨の数日後に発生も。崖から水が噴き出す等の前兆に注意を
公明比例、3千の議員が必死の訴え。全国で猛攻。支援も最後の一瞬まで!

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第18回「大阪事件〈下〉」 「最後は勝つ」——師の言葉胸に関西へ
【関西への指針】
 偉大なる
  大関西の
   わが弟子は
  正義の剣持ち
   断固と勝ちゆけ
(長編詩「永遠の常勝関西を讃う」から)

◆吠えてこそ師子◆
65年前の1957年(昭和32年)7月17日、29歳の池田大作先生は日記にしたためた。
「中之島の中央公会堂にて、臨時の大阪大会あり」「万雷の拍手に迎えられ、更に広布の前進を、決意す。生涯の、記念の日となる。諸天の加護に、感謝す」(『若き日の日記』、1957年7月17日)
この日、権力の横暴を糾弾する「大阪大会」が開催された。雷鳴轟く豪雨の下での、熱気に満ちた大会。その14日前、事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された先生は、獄中闘争の後、17日に釈放された。そして夕刻、大阪大会に出席したのである。
戸田城聖先生は、愛弟子を守るため、大阪に乗り込み、大会で力説した。「正義は勝つというが、必ずしも勝つとは限りません。戦わなければ正義も敗れる。学会は、正義なればこそ、負けるわけにはいかん。断じて勝たねばならない。だから戦っていくんです。師子はね、吠えてこそ師子なんです」
池田先生は、学会の正義を宣揚し抜くことを深く決意し、翌日、「必ずや、われらは、真実が勝利する時代を創らん」(同、同年7月18日)とつづった。
7月29日、先生は起訴された。検察が起訴した刑事事件の有罪率は、当時、99%を超えていた。いったん起訴されると、無罪を勝ち取るのは不可能に近かった。
初公判が行われたのは、3カ月後の10月18日。「裁判が十八日である。無罪を祈念し奉る」(同、同年10月13日)——先生は、裁判を通してえん罪を晴らすことを固く心に期していた。
大阪地方裁判所に初めて出廷した際、池田先生の頭を駆け巡ったのは、わが身の行く末でなく、戸田先生のことだった。恩師の衰弱は著しかった。
第2回の公判が行われた翌58年(同33年)3月6日は、恩師の逝去1カ月前である。この時、1カ月で20万人が集う大講堂落慶の祝賀行事が静岡で催され、「3・16」の式典も控えていた。その運営の全責任を担っていたのが、青年室長の池田先生だった。
公判の前日、池田先生は、裁判のため大阪に行くことを、病床に伏す恩師に告げた。

◆「俺も、戦うぞ」◆
戸田先生は、布団の上に身を起こすと、毅然と語った。
「裁判は、容易ならざる戦いになるだろう。いつまでも君を悩ませることになるかもしれぬ。しかし、最後は勝つ。金は金だ。いくら泥にまみれさせようとも、その輝きは失せるものか。真実は必ず明らかになる」
過酷な法廷闘争は、釈放から4年半にわたって続いた。84回の公判で、先生は23回出廷している。
裁判の初期、先生は危惧を記した。
「午前十時より午後四時まで、公判。一口もしゃべることなく、終わる。ただ、非常に不利の感じを受く」(『若き日の日記』、1958年〈昭和33年〉9月25日)
しかし、先生の勝利への確信が揺らぐことはなかった。「最後は勝つ」との恩師の言葉が心に刻まれていたのである。
裁判長が先生に対し、法廷に毎回出てこなくても結構であると、伝えた時のこと。先生は答えた。
「私の大事な大事な関西の同志がおりますから、まいります」
法廷闘争の渦中、先生が何よりも大切にしたのは、愛する関西の友への激励だった。裁判の前後、あの地この地で同志と出会いを結んだ。
57年(同32年)10月18日の初公判の日は、夜、神戸で開催された大会に参加し、同志を鼓舞した。この日の日記で、烈々たる共戦の思いをつづっている。「今こそ、信心の前進の秋と知れ。友よ、次の勝利に、断固進もう。俺も、戦うぞ」(同、57年10月18日)
翌19日には、京都の宇治方面に赴き、20日には神戸の同志と懇談。関西の友と絆を強めた。
61年(同36年)9月22日は、午後から出廷を控えていた。この6日前、第二室戸台風が高知の室戸岬に上陸し、近畿地方に甚大な被害をもたらした。先生は矢継ぎ早に手を打ち、関西創価学会は、迅速な救援活動を行っていた。そうした状況の中、22日午前、先生は被災した大阪・西淀川区に足を運んだ。
屋根まで浸水し、ぼうぜん自失の中で、泥だらけになった家屋を片付けていたある男性。先生が突然、激励に訪れ、家族で驚いた。「誰よりも先に立ち上がるんだよ」との温かい励ましに、困難を乗り越えようとの勇気が湧いた。
先生の来訪を耳にしたある女性は、信心反対の夫にそのことを伝えると、「(池田)会長がこんなところに来るはずはない」と一蹴された。
しかし、実際に激励に訪れた先生が、「おケガはありませんか」「災害に負けてはなりません。変毒為薬ですよ」と、集まった同志に真心の言葉を掛ける姿に、夫は深く感動。その後、入会を果たしたのである。
個人会場を訪問した先生は、帰る間際に言った。「裁判所にまいりますので、これで失礼させていただきます」
先生は、自らが大変な状況に置かれながらも、わが身を顧みることなく、"苦労する友のもとへ""大変な地域へ"と駆けていった。
勝ち負けは 人の生命の 常なれど
最後の勝をば 仏にぞ祈らむ
【「若き日の日記」1957年(昭和32年)12月22日から】

◆正義の逆転劇を!◆
裁判は重大な局面を迎えていた。
61年(同36年)9月22日、被災者たちを見舞った後に出廷した第76回公判で、池田先生が主任検事への証人尋問を行ったのである。
罪を認め、検察側の言う通りの調書に応じれば、学会本部の手入れや戸田先生の逮捕はない——主任検事が約束したことを、池田先生は、その時のやりとりから明確に示し、一つ一つ追及していった。すると主任検事は、「覚えていない」「記憶にない」と逃げ、裁判長の前で醜態をさらした。
11月1日の第80回公判で、先生に関する4通の検察調書は、強要による自白の疑いがあるとして、全部、却下になった。1%の逆転勝利へ、大きく状況が変化した瞬間だった。
12月16日、先生は最終陳述で力説した。「(戸田先生は)『裁判長に真実をわかってもらえれば、それでいいじゃないか』と言われ、やがて、亡くなりました。取り調べがいかに不当であっても、裁判が公正であれば、人びとは冤罪に泣かずにすみます」
翌62年(同37年)1月24日、「大阪事件」の無罪判決前夜、池田先生は、兵庫の尼崎市体育会館(当時)で開催された関西男子部幹部会に出席。「初めて裁判のことについて私は口をきる」と前置きし、大阪事件について語った。
善良な市民を苦しめる権力の魔性とは断固戦い抜くとの決意を披歴し、こう訴えた。
「日本国中の人びとが、安心して幸福に暮らしていける世の中を築き上げようではありませんか!」
法廷闘争の"正義の逆転勝利劇"は、一つの側面からいえば、57年10月18日の兵庫に始まり、62年1月24日の兵庫で結ばれた戦いだったともいえよう。
そして翌25日、最終公判となる第84回公判が大阪地方裁判所で行われ、無罪が言い渡されたのである。
大阪事件の本質とは何だったのか。
後年、先生は記している。
「なんら共通の目的も理念もなく、ただ利害と学会憎しの感情が生み出した、攻撃の包囲網といえよう。
これこそ、障魔の連合であり、現代における法難の形態ともいうべきものが、そこにあった。創価学会は、そのなかで戦い、勝つことを、永遠に宿命づけられているのである」
無罪判決の後、先生は旧関西本部へ向かった。「大法興隆所願成就」の関西常住の御本尊の前に端座し、感謝の祈りをささげた。さらに、その場にいた関西の同志の病気平癒を祈り、「大丈夫だよ」と万感の励ましを送った。
この日、先生は語った。
「戦いは終わったのではない。むしろ、これから始まるのだ」
大阪事件の勝利のドラマは、先生の不惜身命の"一対一の激励"とともにあった。その真心は関西中を包み、さらなる堅固な常勝の基盤を築き上げていったのである。
「最後は勝つ」——大阪事件の大闘争の折、恩師は愛弟子に語った。先生はその言葉を証明した。そして、愛する関西の同志に深き使命を託した。
「必ず勝つ! 最後は勝つ! この負けじ魂こそが、関西魂だ。常勝魂だ。そして、わが学会魂である」