「よし、やろう!」
自発・能動の行動に
真の歓喜と躍動がある。
自ら定めた目標に向け
自らが誇れる一日を!
開目抄上 P189
『一念三千は十界互具よりことはじまれり、法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや』
【通解】
一念三千は十界互具からはじまる。しかるに法相宗と三論宗とは、八界を立てて十界を知らない。いわんや十界具を知るよしもないではないか。
名字の言 沖縄で交通方法が変わった日 2021年7月30日
"沖縄730"——1978年7月30日、米国統治以来、沖縄で続いていた車の右側通行が、日本式の左側通行へ変わった。この対策の中心を担った久高弘氏は"準備で泣いて本番で笑え"と、2年前から徹底した準備を行った▼国内初の事業に、氏は独自の方式を考案。新たな左側用の信号機や道路標識・標示を設置後、カバーなどで覆い、前夜から当日朝までの8時間で一斉に切り替える方法である。雨天でも可能な万全の態勢を整えた▼ところが、台風接近による悪天候で当日の作業は難航する。時間が迫る中、氏は責任者を励まし、現場の作業員を信じた。"県民の命に関わる事業を必ずやり遂げる"と挑んだ彼らの不休の努力で切り替え工事は完了した▼いかなる分野であれ、未聞の偉業を可能にするのは中心者の不屈の心であり、団結の力である。日蓮大聖人は「城の主剛ければ守る者も強し」(御書979ページ)、「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし」(同1135ページ)など、広宣流布の戦いはリーダーの一念によって決することを繰り返し教えられている▼広布や人生の途上には、行く手を阻む困難が必ずある。日々の祈りという準備と覚悟、試練に立ち向かう勇気で、勝利の道を開きたい。
寸鉄 2021年7月30日
宗教というのは体験する以外に分からない—牧口先生。実践が仏法の生命
創価の励まし運動は進むべき社会の道標—博士。試練の今、人間の絆固く
飲食節ならざる故に病む—御書。賢き食と正しきリズムで猛暑乗り切ろう
勇敢であれ!そうすれば自然に道は開ける—首相若師子よ勇み広布拡大へ
五輪・パラ「公式HP」の類似サイト多数と。ウイルス感染も。呉々も注意
〈社説〉 2021・7・30 国際フレンドシップ・デー
◇世界平和は目の前の一人から
先日、感染症対策を十分に講じた上で、友人としばし懇談することができた。いまだマスク無しで会うことはかなわないが、やはり友と過ごす時間は、何ものにも代えがたく大切な瞬間だ。
きょう(30日)は、「国際フレンドシップ・デー」。人、国、文化の間で育まれる友情が、平和を促進し、人と人とを結び付けてくれることを再認識する日として、国連によって制定され、今年で10年を迎えた。友達に感謝を伝えることや、さらに友情を広げるのも良いだろう。また友情について考える機会にもしたい。
友達とは——。青春時代に誰しも少なからず悩むことがあるだろう。その上で、一口に友達といっても、その考え方は多様化してきている。
ネット上のみでコミュニケーションを取る友達が「いる」と回答した未成年者が4割にのぼるという民間調査もあるほど、直接会ったことのない友人の存在が一般的になりつつある。「いつも一緒にいる」「よく会う」ことが、友人の条件とは限らない。
また、友達が少ないこともネガティブ(否定的)なものとせず、むしろ一種のステータス(社会的地位)と考える風潮も昨今では目立つようになってきた。
価値観が揺れ動く現代だが、「友情」とは何かと改めて考えるとき、それは時代の変化で色あせたりするものではないはずだ。
池田先生は、偉大な友情の模範として革命小説『永遠の都』のロッシとブルーノの関係を挙げる。『青春対話』では、さらに「上中下の友情」を語っている。下の友情は、いわば"一緒に楽しんでいこう"という友情。中の友情は、目的を共有した"励ましの友情"。そして上の友情は、"同志のつながり"であり、「たがいに命をかけていく友情」であると。
また、「小さな世界の中の友情であったとしても、全世界の友情につながる。同じ『友情』であり、違いはない。『一人』の本当の友人をつくることが、『世界』の平和へと通じている」とし、深い友情を積極的に結んでいく積み重ねが平和をつくっていくことを示している。
仏典には釈尊が「自ら話し掛ける人」だったとある。目の前の一人と友情の絆を結ぼう。その勇気の一歩、真心の一声が世界平和につながると希望を持って。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第7回「札幌・夏の陣」 「もう一歩」との前進が勝利を呼ぶ
【短期決戦の要諦】
一、団結
一、スタートダッシュ
一、中心者の鋭き一念
(「随筆 勝利の光」<「札幌・夏の陣」から50年>)
◇万端の事前準備
1955年(昭和30年)8月16日、北海道の札幌駅。青年室長の池田大作先生を中心とする、派遣隊一行が列車で到着した。
"戦いは勝ったよ!"
出迎えた同志に対し、先生は高らかに宣言した。
この夏、全国45カ所で折伏活動が展開された。先生は札幌の派遣隊の主将として指揮を執り、札幌班は、8月16日からの約10日間で、388世帯という"日本一の弘教"を達成。燦然と輝く「札幌・夏の陣」の広布のドラマが刻まれたのである。
この闘争の勝利の要諦は、そのまま"短期決戦"の指針となっている。
その一つが、万端の事前準備である。6月末、札幌市担当の責任者として、先生の派遣が決定。先生は、札幌班の班長に手紙を送った。
「札幌は、全国に先駆け、三百世帯以上の本尊流布を」(7月9日)
「全員が、何十倍の下種を為して居く必要があると思います」(8月3日)
手紙の内容は、同志への温かい励ましと共に、目標の共有や、どうすれば目標を達成できるかとの具体的な方法、全体のスケジュールに及んだ。
札幌班では先生からの手紙を回覧し、着々と手を打っていった。札幌市を東・西・南・北・中央と五つの区域に分けて、幹部の担当を明確にした。詳細な日程表も作られた。
8月16日、先生に同行した派遣メンバーは、拠点となる会場に着いて目を丸くした。弘教の推進状況を分かりやすく書き込める棒グラフまで、きちんと用意されていたからである。先生の札幌駅での勝利宣言は、単なる"願望"や"決意"ではなかった。誰よりも心を砕いた準備によって、すでに勝っていたのである。
御聖訓には、「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(御書183ページ)とある。この御文を拝して、先生は強調した。「戦いを決するのは全軍の勢いである。それには、戦闘開始と同時に全力疾走できるだけの、万端の事前の準備、緻密な作戦が絶対に不可欠だ」
【「若き日の日記」1955年(昭和30年)9月25日から】
泥沼に咲く、
蓮華の花とは、
吾々のことである。
◇自ら友のもとへ
「札幌・夏の陣」の一日は、早朝の御書講義から始まった。「経王殿御返事」「上野殿御返事」等々——毎朝の勤行が終わると、池田先生が講義を行った。
「生死一大事血脈抄」の「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか」(御書1338ページ)の御文を引いて、こう語った。
「大闘争を展開する、待ち合わせの場所と時間が、昭和三十年八月の札幌だったんです。皆さんは、それぞれが貧乏や病の宿命を断ち切り、妙法の偉大さを証明するために、この法戦に集ってこられた。その強い自覚をもつならば、力が出ないわけがありません」
先生の講義によって、一人一人が、闘争の意義を心から納得し、意気軒高に対話に打って出ることができた。この"勝利のリズム"は、翌年の「大阪の戦い」の原型となった。
先生が短期決戦で示したのは、リーダーが、率先垂範で友のもとへ動くことだった。1分1秒も無駄にはできない。人を待つのではなく、自ら打って出て、北の大地を駆け巡った。その姿が、同志を奮い立たせた。
先生は、分かりやすい言葉で仏法の確信を語ってくれた。同志の対話が実らず、悔しさで身を震わせながら拠点に戻った時、先生が「お帰り」と温かく迎え入れてくれたこともあった。常に同志と同じ目線に立ち、励ましを送ってくれた。
先生は、移動している時も題目を唱えた。先生を案内した幹部は、事故を心配しているのかと勘違いし、こう言った。
「運転は確かですから大丈夫ですよ」
先生は答えた。
「私は、きょう会場に集まった人が皆、仏法に縁できるように祈っているのです」
先生の一念は、短期決戦にあって、"いかに仏縁を拡大できるか""皆が勝利と幸福をつかめるか"にあった。
「一分一秒が惜しかった」「移動中も、"札幌の同志に勝利を!"と題目を唱え続けた。短期決戦は、一日たりとも空費できない。一日一日が珠玉の時間である。一日一日が渾身の勝負だ」
◇これからが肝心
8月16日に火ぶたを切った「札幌・夏の陣」。一日一日と拡大の勢いを加速させ、20日には、目標としていた300世帯の弘教を達成した。一つの目標を完遂しても、札幌班の拡大の勢いは止まらなかった。
8月21日早朝、緊急幹部会を開催。夏季折伏の活動も後半戦に入り、先生は、同志の労苦をねぎらいながら語った。
「これからが肝心で、気を緩めることなく、全力を尽くして悔いのない闘争を展開し、有終の美を飾りたいものです。すべては、御本尊様がご存じです。皆さんが大功徳を受けることは間違いない」
この時、誰よりも疲労を重ね、体調が悪い中で奮闘していたのは先生自身であった。食欲がなく、水やジュース、ミカンの缶詰を口にする日々だった。
あるメンバーが、新来者を連れて会場に来たことがあった。先生は疲労のため休憩中だった。しかし、状況を聞いた先生は、さっそうと対話の場に入り、真心あふれる語らいの中、友人は入会を決意した。
「『一人くらいは』という油断と慢心から、破綻が始まる。一人を大切にし、『もう一歩』と前進し続ける所は、団結もより強固になり、それまでの労苦と困難を、すべて勝利と福徳に変えていくことができる」
8月24日夜、札幌班大会が行われ、388世帯の弘教が報告されると、歓声に包まれた。くしくも、この日は池田先生の入信記念日。戸田先生が出席した、この総会で札幌班は、晴れて地区に発展したのである。
恩師の故郷・北海道で師弟勝利の金字塔を打ち立てた翌月、池田先生は、さらなる弟子の決意を記す。「(戸田先生に)生涯、お供することこそ、吾が本望。これで、今世の使命達せられん」(『若き日の日記』、1955年9月27日)。"生涯、師と共に戦い抜く"——師弟の広布旅は、連続闘争である。
今夏、先生が「築こう難攻不落の三代城」との指針を北海道に贈ってから30年を刻む。三代城の地に、学会創立100周年に先駆ける、新たな師弟共戦の物語が始まる。
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第17回 貢献の人こそ勝利者
地域のために尽力する壮年部の存在こそ、広宣流布の原動力です。地域貢献の大切さについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集107ページから110ページを抜粋)。
〈壮年が地域広布の総仕上げを〉
(山本)伸一は、壮年部が地域に積極的に関わり、活躍する時こそ、地域広布の総仕上げの時代であると考えていた。
学会にあっては、草創の時代から、地域での活動の推進力は、主に婦人であった。家事や育児などに追われながら、学会活動に励むとともに、隣近所のために心を尽くし、交流を重ね、地域に信頼の基盤を広げてきた。
しかし、二十一世紀には、いよいよ壮年部が、本格的に地域へ躍り出る時代が到来するのだ。壮年の力で、学会の盤石な組織を築き上げ、さらに、地域社会のかかえるさまざまな問題の解決にも真っ向から取り組み、わが地域に人間共和の城を築き上げていくのだ。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」)
〈「地域」で頑張った人が王者〉
地域・郷土を大切にし、自分の心魂に植え付け、そこから離れない、忘れない。それが学会伝統の強さである。
「地域」である。どんなところでも、そこで頑張った人が王者である。今いるその場で、仏になるのである。(中略)
「地域」で勝つ人が、最も人間らしい、人生の本当の勝利者だと思うが、どうだろうか。
(『池田大作全集』第94巻、本部幹部会でのスピーチ)
〈「福徳の地盤」をつくる〉
職場も地域も学会の組織も、自分自身の大切な地盤であり、修行の場である。三世間でいえば、「国土世間」の「国土」にあたる。
この地盤の上に、自分の使命を開花させ、人材を育てゆくのである。その場を「わが本国土」として、人間の連帯を広げ、永遠に輝く広宣流布の歴史をつくっていくのである。
行ったところ、行ったところで、がっちりと根を張って、心血を注ぎ、揺るぎない地盤をつくる人は強い。その人は自分自身の永遠の「福徳の地盤」をつくっているのである。
(『池田大作全集』第87巻、男女青年部幹部会でのスピーチ)
〈皆が幸福の軌道に〉
三世の生命という鏡に照らせば、自分が会い、仏縁を結んだ人々は皆、生々世々、自分の眷属となっていく。面倒をみた人が皆、自分を守ってくれる諸天善神と変わる。
たくさんの人の面倒をみた人は、必ず生々世々、大指導者となっていく。自分だけでなく、その人々をも、幸福の軌道へと導くことができる。
また、広布のために歩き、行動した地域は、すべて自分自身の金剛不滅の幸福の地盤となっていく。
(『池田大作全集』第89巻、本部幹部会でのスピーチ)