◇今週のことば
試練を越えた大勝利!
感激の全同志に深謝を。
大聖人が御賞讃なり。
陰徳陽報の誉れを胸に
幸と安穏の虹光る都を!
2021年7月5日
四条金吾殿御返事 P1180
『度度の仰せをかへしよりよりの御心にたがはせ給へばいくそばくのざんげんこそ候らんに、度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給うと云云、此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
【通解】
さらにあなたはたびたびの主君の仰せに背き、折々の御心にそわなかったから、どれほど多くの讒言があったであろう。ところが、主君からたびたびいただいた所領を返上して、今また所領を給わったということは、これ程不思議なことはない。全く陰徳あれば陽報ありとはこのことである。
名字の言 沖縄の三線工が胸に刻む詠歌 2021年7月5日
沖縄の三線工・又吉章盛氏は、この道50年以上。千丁を超える三線を手掛けてきた氏は言う。「今まで納得のいく作品ができたことは一度もない」▼国内外への普及の一方、外国製品の輸入で型の変化や質の低下が危惧される三線。妥協を排し、琉球王朝伝統の型を守る氏が胸に刻む詠歌がある。「幾年になても 歌の長道や 歩みわん奥の 果てや知らん」——歌の道に果てなし。努力を続けよ——との先人の言葉だ。80歳の今も、氏の精進は終わらない▼米国統治下の沖縄で入会し、広布一筋の壮年部員がいる。戦争で学ぶ機会を失った壮年は46歳で、創価大学通信教育部に入学。仕事、学会活動、勉学と全てに挑み、沖縄初の卒業生となった▼大病を経験し、24年前には愛妻を亡くした。壮年の苦闘を支えた原点は1960年7月、初来島した池田先生との出会いだ。以来61星霜。91歳となった壮年は、「"もうこれでいい"と思ったことは一度もない」と、今も同志の激励に歩く▼池田先生はかつて沖縄の友に語った。「『広宣流布』こそ、最高の望みである。この大理想に、まっしぐらに進むのが青年である」。「戦う心」に、年齢は関係ない。いよいよの決意で、わが人生の栄光道を力強く進みたい。
寸鉄 2021年7月5日
学会には民衆の力強さがある—識者。底力示した東京凱歌の共戦譜は永遠
宮城女性の日。さあ皆でわが地域に励ましの光を東北の創価の太陽は燦々
素早い反応は信頼を増し次の勝利の因に。御礼や激励は迅速に。これ一流
良質な睡眠・食事が疲労回復の基本。知恵と工夫で疲れ残さぬ自己管理を
都議会公明よ支持者の期待忘るな!本当の戦いはここから。大衆に尽くせ
〈社説〉 2021・7・5 親子で夜空を楽しむ「七夕」
◇宇宙に思いをはせる機会に
「七夕や雨ならZOOMで会うとしよう」
本紙の「聖教俳壇」に掲載された秀作である。
あさって7日は七夕。1年に1度、織り姫(=織女、こと座のベガ)とひこ星(=牽牛、わし座のアルタイル)が天の川を渡り、会うとされる。近くに見える二つの星は、実は光の速さで移動しても約14年半かかるほど離れている。
また、二人を隔てる天の川は、太陽系が属する銀河を内側から見た姿で、星の数は数千億にもなる。宇宙には、このような銀河が約1000億あるというから壮大なスケールに圧倒される。
天空に心を広げる機会ともなる七夕だが、7月7日は北海道や沖縄などを除いて毎年、梅雨の最中で星が見られない場合も多い。七夕はもともと旧暦の7月7日の風習で、太陰太陽暦にもとづく七夕は「伝統的七夕」と呼ばれ、今年は8月14日だ。この時期になると午後8時ごろには天の川も夜空高く上がり一番の見頃となる。
天気によっては、明後日の七夕は親子で笹飾りを作りながら、図鑑やインターネット、またはプラネタリウムなどで星の予習をしておき、伝統的七夕に備えるのもいいだろう。
岡山天文博物館の粟野諭美館長は、本物の星空を見る醍醐味を本紙で語っている。
「本物の星空を見ると、『もっと見ていたい』から、やがて『この星は何だろう』『なぜ光っているのだろう』『光の奥は、どうなっているのだろう』をはじめ、『なぜ』を考えることにつながっていきます」
仏法では、「外なる大宇宙」と、自分自身を指す「内なる小宇宙」は不離一体と説く。無窮の宇宙と向き合い、深遠なる夜空に思いをはせる時、それは自身の"内なる宇宙"の偉大さに目を向けることにも通じよう。
池田大作先生は、ロシアの宇宙飛行士のセレブロフ博士との対談を振り返って語っている。
「宇宙に眼を開くことは、人間自身を識ることであり、そして地球人としての意識に目覚めることにつながる。それは、『外なる宇宙』と『内なる宇宙』を貫く普遍の法則に迫りゆく契機となるのではないだろうか」
親子で星空を見上げながら、壮大で謎に満ちた宇宙を感じ、有意義な語らいを交わす夏にしたい。
☆御書の旭光を 第40回 普賢の声で未来を晴らせ
〈御文〉
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり』(御義口伝、780ページ)
〈通解〉
今、日蓮とその弟子のように、南無妙法蓮華経と唱える者は、普賢菩薩の守護を受けることができるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
「普く賢い」知性こそ世界広宣流布の推進力である。混迷の世に、尊き創価の賢者は仏法即社会の連帯を築き、安心と希望を広げている。
先頭を走るのが男女学生部だ。試練の中で学び鍛えゆく価値創造の英知は、新時代を開く光となる。若き普賢の声で快活に友情を広げ、地域と地球の未来を晴らしてくれ給え!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 佐渡御書
◇広布の使命に勇み立て!
大切な命を何に使うか。わが人生をいかに生きるか——。「使命」とは、「命を使う」と書く。今回は、日蓮大聖人が仏法者の使命を示された一節を学ぶ。
◇御文
『世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』(御書956ページ)
◇通解
世間の浅いことには、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。
◇背景
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から門下一同に与えられたお手紙である。
この前月に、「二月騒動(北条一族の内乱)」が発生。「立正安国論」で予言された「自界叛逆難」が的中する。本抄は、その知らせを受けて著されたものである。
本抄御執筆の前年9月、日蓮大聖人は「竜の口の法難」に遭われた。以降、権力による弾圧の手は門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などに直面する。
厳しい迫害を恐れて退転する者が続出する中、動揺する弟子を思い、大難が競い起こる今こそ、「大事の仏法」のために身命を惜しまない実践を貫くべきであると訴えられている。
◇解説
かけがえのない命を何のために使うのか。このことを教えられるために、大聖人は本抄を、生死という根本問題から説き起こされている。
大聖人の御在世当時は、思いがけない事故や災害だけでなく、戦乱に巻き込まれて命を落とすこともあった。
その上で大聖人は、誰もが自分の身命を惜しむものであると述べられる。
しかし一方で、世間の倫理観・価値観に従って、あえて自らの命を捨てることも少なくないと指摘。男性が自身の名誉のために命を懸け、女性が男性のために献身したことを挙げられている。と同時に、魚や鳥が餌にだまされて捕まり、命を落としてしまう習性になぞらえ、人間もまた、命を大切にしているつもりであっても、目先の利益などに突き動かされたりして、結果的に身を滅ぼしてしまう場合もあると御教示されている。
これに続くのが今回の拝読御文である。御文では、「世間の浅き事」ではなく、「大事の仏法」のために、最も大切な「身命」を使うべきであると教えられている。
御文にある、「身命」を「捨る」との表現は、命を軽んじたり、簡単に投げ出したりするといった、表面的な意味ではない。広宣流布のために、人々の幸福のために、自分の命を惜しまずにささげ、信心の実践を貫く「不惜身命」の重要性を訴えられていると拝することができる。そうした人こそ成仏できるのである。
では私たち男子部員にとって、「大事の仏法」のために身をささげるとは、どのようなことなのか。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田で行われた男子部結成式で、戸田先生は次のように語られた。
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であります。青年部の諸君も、各自が、その尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたい」「常に、青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。どうか、諸君の手で、この尊い大使命を、必ず達成していただきたい」
参加者の一人であった池田先生は、この日の真情を、後に次のようにつづっている。
「師の心を心として、『広宣流布』を断固として完遂することが、使命深き男子部一人ひとりの誓願であると、全生命に響きわたった」
当時、池田先生は23歳。役職は班長(現在のニュー・リーダー)であった。しかし、誰よりも深く、師の誓願をわが誓願と心に定めた。広布の大使命を自覚し、一人立った。そして、若師子の不惜身命の大闘争によって、学会は大発展を遂げ、今、世界宗教へと飛翔する新時代が開かれたのである。
創価の師弟の誓願を継ぎ、広宣流布を推し進め、時代を動かしゆくことこそ、私たち男子部が「大事の仏法」に身をささげることにほかならない。
役職でもない。年齢でもない。この時に集い合った男子部の一人一人が、今こそ、深き使命に勇み立ち、限界突破の対話拡大を貫いていきたい。
師弟の月・7月。立正安国の大闘争を勝ち抜き、男子部結成70周年の大佳節となる「7・11」を、師弟勝利の歴史で飾っていこう!
◎都議会公明党23名全員当選、おめでとうございます (^^♪