一人一人が主役と光る
喜びあふれる座談会を!
互いの奮闘を称え合い
功徳を語り合いながら
誓いも新たに進もう!
御講聞書 P808
『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり』
【通解】
題目を唱え奉る音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目という「大音」に入れて唱え奉るゆえに、大宇宙の中で到達しない所はない。たとえば小さな音でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである。
名字の言 雲は「空の旅人」 2021年7月20日
ニュースより先に、空が梅雨明けを教えてくれた。雨上がりの空に、入道雲が躍っている。本格的な夏の到来である▼雲は大まかに10種類に分類されるという。「巻雲」「高積雲」「積乱雲」……。だが春夏秋冬、千変万化の雲の姿を見ていると、もっと多彩ではと思えてならない。歌人・石川啄木に『雲は天才である』と題する小説がある。雲を表すに言い得て妙だ。雲は自在。形を自由に変え、何ものにも縛られない▼雲は一時も止まることがない。風に乗って山を越え、川を越え、街や国さえ越えていく。世界桂冠詩人の池田先生は、雲を「空の旅人」と表現した。「雲の旅には、国境がない。心の世界にも、国境はない。だから、大空のように広い広い心の世界で、人と人とを結んでいきたい」とつづっている▼御書に「仏は大雲の如く」(946ページ)と仰せだ。仏は誰も差別しない。千差万別の一切衆生を分け隔てなく慈しみ、平等に慈雨を降らして育んでいく▼「夏雲の湧きてさだまる心あり」(中村汀女)。夏の入道雲は上へ上へと勢いよく発達している。1秒間で約10メートル成長することもあるという。"わが心も空へと大きく大きく広げてみせる"と決めよう。「挑戦の夏」「成長の夏」を共々に!
寸鉄 2021年7月20日
広布の戦に自分から切り込め—戸田先生。青年よ拡大の夏の陣に先駆を!
鳥取県女性部の日。地域を照らす"山光の太陽"!決意即挑戦で凱歌の秋へ
「出世の本懐は人の振舞」御書。我らは行動で輝く。誠実の対話で人々結ぼう
RSウイルス感染、乳幼児に急増。肺炎の危険も。手洗い、早期受診で自衛
観戦で高齢者の鬱リスク減、TVでも効果—研究心に"わくわく"を忘れず
☆Switch—共育のまなざし 親子が共に育つ「家庭教育」とは
間もなくすると、子どもたちにとっての夏休みが始まります。家庭で親子が共に過ごす時間が増えるこの季節は、「家庭教育」の意味をあらためて考える大切な時期でもあるでしょう。今回の「Switch——共育のまなざし」では、池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、先生の励ましの言葉を抜粋して紹介します。
◇ささやかでも
〈夏休みを迎えるに当たり、池田先生は、女性リーダーたちの話に耳を傾けながら語りました〉
夏休みといえば、だれしも待ちどおしく、本当に楽しみなものです。私も、そうでした。今はお父さんも、お母さんも、そして子どもも、ずいぶんと忙しいね。
考えてみれば、戸田先生に師事して以来、私には「夏休み」など一日もなかった。(笑い)
戸田先生は、「広宣流布と信心に、休みはない。休むのは、墓に入ってからだ」と、眼鏡の奥の目を細めて、よくおっしゃっていた。私は戸田先生の弟子として、瞬時を惜しんで、学会のため、会員の方々のため、広宣流布の道を切り開いてきました。この人生に一点の悔いもありません。
ただ、子どもたちには、寂しい思いをさせたことがあったかもしれない。そうしたなかで、私なりに心がけてきたことは、わずかな時間を縫うようにして、子どもたちに「思い出」をつくってあげることだった。夏休みは、親が子どもとじっくりつきあい、子どもの生命に「宝の思い出」を刻んであげる機会にしたい。
幼い日に刻んだ思い出は「生涯の宝」であり、「心の糧」だ。孤独の時には友となり、苦難の時には支える力となります。
ささやかな思い出であっても、本当に心と心がふれあったものなら、年月を経ても朽ちない。思い出は、親子の絆の結晶とも言える。
◇自信を育むために
〈関西の女性リーダーが大阪のある母親のエピソードを紹介しました。中学生と小学生の3人の男の子がいるご家庭で、その母は毎年1学期の終業式の日には「たこ焼きパーティー」や「お好み焼きパーティー」の準備をして子どもたちの帰りを待っているそうです。これは1学期間、頑張ったことをたたえ合うとともに、夏休みの間に「何か一つ」やりぬこうと約束をするためだといいます。その約束とは「弟の面倒をみる」「靴を毎日、きちんとそろえる」などのお手伝いですが、あくまで子どもたちが自分で決めて、最後までやりぬくことを約束するのです〉
なるほど。夏休みは勉強も大事だが、家の手伝いなどに挑戦するのも大事なことだ。「あれもしよう」「これもしよう」と計画しても、計画倒れに終わることも多い。
「何か一つ」やりぬくことが、子どもの自信につながる。夏休みに家族で旅行して、思い出をつくるのもよいことだが、親子で一緒に何かに挑戦するのも尊い思い出になる。
何かに挑戦した思い出をつくる夏に!
◇確固たる信念を
〈一方で受験生にとって夏休みは、"天王山"ともいわれる季節。将来の進路について深く考えるタイミングでもあるでしょう。一人の女性リーダーが質問しました。「お子さんの進路の問題は、多くのお母さん方が悩まれている問題だと思うのですが、子どもに最も合った、その子らしい人生を歩ませるには、親としてどうすればよいでしょうか」〉
以前、ブラジル・パラナ連邦大学のファラコ総長ご夫妻と会談(1991年5月)した折に、17歳と15歳のお子さんをもつ夫人が語られていた言葉が忘れられません。
「進路に関しては、強制しないように心がけていますが、母として期待することは、何をやるにせよ『自分が満足できる、力を出しきれる人生であってほしい』、そして『社会に貢献できるように成長してほしい』と思います」——と。
大切なのは、親自身に、「社会のために何かしよう」「人のために何かしよう」という確固たる信念が、あるかどうかです。そのために行動しているかどうか、です。
そのうえで、お子さんが自分の手で人生を切り開き、その道で最高に輝いていけるように、最大に励ましながら支えてあげることです。私たちの信仰の世界で言えば、いっさいの根本となる信心の基本をきちんと身につけさせることです。そのうえで、本人の意思をできるかぎり尊重してあげることだと思います。
◇希望の方向へ
〈わが子の幸せを願うあまり、「できればこういう道に進んでほしい」と望んでしまうのもまた、親心というもの。しかし親の願う進路と、子が望む進路とが食い違うこともあるでしょう。池田先生は訴えました〉
世間でいう、いい学校、いい就職という、"成功のレール"を歩むことだけが人生ではありません。
仮に、そのレールどおりの人生を歩めたとしても、本当の充実感を味わえるかどうかは、まったく別問題でしょう。有名な大学を出ても、汚職に走ったりして、人生を台無しにしてしまう人も少なくない。
子どもというのは、自分自身で伸びる"芽"をもっているのです。
だからこそ、お子さんが進むべき道を見つけたら、しっかり話しあったうえで、全力で応援していく。親がたじろいだり、戸惑ったりしてはいけない。親が世間体を気にして、子どもを理解しなかったら、だれが理解してあげられるのか。
何があろうと、他人がどう言おうと、自分だけは、子どもの「絶対の味方」となり、「最大の支え」となってあげるのです。
◆ ◇ ◆
お子さんの心をくみとりながら、希望のもてる方向へ、向上していける方向へと励ましていく。可能性をどこまでも信じ、真剣に成長を祈ってあげるのです。家庭教育は、わが子を信頼することから始まるのです。
世間体や表面的な次元にとらわれた生き方では、いつまでたっても安心感は得られない。いつも何かに左右され、軸がなくなってしまう。すると、「困った」「どうしよう」と、グルグル回っているだけで前へ進まず、愚痴や心配が絶えなくなってしまう。
そうではなく、一念の"ハンドル"によって、すべてを幸福の方向へと、力強く回転させていく——これが信心の力なのです。
すべてはわが子を信頼することから
◇一個の人格として
〈頭では分かっていても、つい世間の目を気にしたり、他人の子とわが子とを比べたりしてしまう——そんな親御さんも少なくありません。池田先生は重ねて励ましを送ります〉
子どもというのは、一人一人違う。成長の度合いも、千差万別です。あまり神経質になって、一喜一憂すると、その不安が子どもに移って、悪循環におちいるということにもなりかねない。お母さんは、少々のことには動揺せずに、どっしりと構えていることが大事です。
心豊かな、広々とした境涯の母親のもとでこそ、子どもは伸び伸びと育っていくことができる。
あせりは禁物です。もちろん病気の心配がある場合などは、病院できちんと診てもらうことは必要でしょうが、体の発育や言葉の発達が多少、遅れていても、長い目で見てあげたほうがよい場合もある。あわてないで、子どもと一緒に歩んでいくのです。
◆ ◇ ◆
子育てには「忍耐」が必要です。
とりわけ人を育てることは、本当に手のかかるものです。すぐに思いどおりにいかなくて当たり前です。子育て、人材育成に関しては、「労少なくして功多し」ということはありえません。
◆ ◇ ◆
苦労を惜しんで、小手先でなんとかしようとしたり、子どもを「操作」しようとすれば、必ず行き詰まります。自分では意識していなくても、心のどこかに、「どうせ子どもだから」などという傲慢さがあれば、子どもはそれを感じ取る。子どもは敏感です。生命のレーダーで、大人の心を、そのまま写し取ってしまう。
いつも言っていることですが、子どもの中には立派な大人がある。一個の人格として尊重していくことです。逆に言えば、どこまでも真心をかたむけ、愛情をそそいでいけば、たとえそれが不器用であっても、子どもは必ず応えてくれる。
苦労があるからこそ、親が人間として成長できる。「育てる」ほうも、「育てられる」のです。