日蓮大聖人の仏法は
混迷の時代を照らす
民衆救済の大哲理だ。
自他共の幸福を祈り
新たな未来を開こう!
刑部左衛門尉女房御返事 P1400
『仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり等云云』
【通解】
釈尊はご自身を責めて、こう言われている。「(法華経を知りながら説かなければ)自分は慳貪(物惜しみし、貪ること)の罪に堕ちてしまう。それは、全く良くないことである。」
名字の言 決めつけないことの大切さ 2021年7月16日
心理学で長く研究されてきた「バイアス」。人間が持っている認知のゆがみのことで、古くは300年以上前の文献にも使われているという▼社会心理学の藤田政博博士は、「バイアス」を防ぐことは難しいが、「対策が必要なことに気づくだけでも大きな違いを生み出す」と語る。例えば「一貫性バイアス」。自分は、状況や相手に応じて行動を変えているのに、自分以外の人は性格をもとに一貫して行動すると見るゆがみのことだ▼だが、よく知っている家族同士であっても、職場や学校において、家庭では見せない振る舞いや一面がある。つまり「人は状況によってある程度柔軟に行動を変えている」と考えることが大切となる(『バイアスとは何か』ちくま新書)▼つい"あの人は○○だから"と人を判断してしまいがち。だがどんな人にも、こちらが"知らない一面"は必ずある。自分の一時の記憶や印象などに惑わされて、相手を決めつけてしまわないよう心掛けたい▼池田先生は、法華経について「あらゆる人びとに幸福の可能性を開いた経王」であり、「『この人は駄目だ』とは、絶対に決めつけなかった経典」と語っている。"皆が人材"との祈りを根本に、きょうも励ましの語らいを広げよう。
寸鉄 2021年7月16日
「立正安国論」提出の日。安穏の社会へ。蓮祖直結の正義の対話を勇敢に!
沖縄原点の日。憧れの幸福島の同志は健在!広宣流布即世界平和へ堂々と
幹部は会合に集えない友に激励を。心の結合強め活動者増。これ勝利の道
日本の高齢男性は友人が少なく—国際調査。地域に絆を紡ぐ多宝会は希望
座りっぱなしは死亡リスク高める。小まめな運動忘れず。健康は積み重ね
〈社説〉 2021・7・16 「立正安国論」提出の日
◇「矛盾」を乗り越える宗教
詩人・谷川俊太郎氏に「三つのイメージ」と題する詩がある。詩人が詠んだのは、火、水、人間の三つが、それぞれに抱える矛盾だ。
火について、そのイメージを「火は平和へのたいまつとなり/戦いへののろしとなり」と描く。水、人間についても、同じように矛盾を浮かび上がらせる。詩はこう締めくくられる。
「あなたに/火と水と人間の/矛盾にみちた未来のイメージを贈る/あなたに答は贈らない/あなたに ひとつの問いかけを贈る」
「矛盾」には「現実のうちにある両立しがたい、相互に排斥しあうような事物・傾向・力などの関係」(広辞苑)との意味もある。
私たちの社会は、いつの時代にも矛盾がある。特に現在のコロナ禍は、感染対策への注力と経済活動の両立に苦闘するなど、あらゆる分野で矛盾が広がる。そこに、今日の危機の核心があろう。
冒頭の詩は、矛盾に満ちた社会の中で、"あなたはどう生きるか"との問いのように思える。社会の新しい在り方が模索される今、改めて問われているのは、「人間の生き方」である。
それを考える上で、大きな示唆となるのが、日蓮大聖人が761年前の7月16日、時の為政者に提出された「立正安国論」だ。正嘉の大地震、疫病の大流行など、打ち続く惨禍に心を痛め、民衆を救いたいとの一心からしたためられた。大聖人は記されている。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)——あなたは、一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである、と。
一人の人間が安心して生活するには、実は、自然や社会も、平穏でなければなるまい。他国が感染症の危機にある限り、自国の安全もない。これは、コロナ禍で誰もが痛感したことであろう。
だからこそ、「一身の安堵」を求めるのなら、小さな自身のエゴを乗り越えて、自他共の幸福、世界の安穏を祈り、励まし合っていく行動の連帯が求められる。
池田先生は「仏法は平等です。矛盾に彩られた現実社会で、どのような立場の人も必ず、永遠に崩れない幸福境涯を築いていくことができる法則を教えている」と。
人間を磨き高めゆく宗教は、時代の要請といえよう。私たちの信仰は、「矛盾」を乗り越え、幸福を勝ち取る根幹の力である。
☆御書の旭光を 第42回 「丈夫の心」で不屈の言論を
〈御文〉
『法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし』(御衣並単衣御書、971ページ)
〈通解〉
法華経を説く人は、法華経法師品にある「柔和忍辱の衣」という衣を着るべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
法華経を説けば、必ず反発が生ずる。故に、柔和忍辱という最極の人間性の衣を着て戦うのだ。
信念が強いから耐え忍べる。境涯が深いから柔軟に包める。友の心の奥底を動かすのは、正義と慈愛の言論の力だ。
忍難弘通の大闘争を継ぐ本門の男子部よ、不屈の勇気で忍耐強く語り抜け! 時代を変える「丈夫の心」の大連帯を!
☆明日を照らす テーマ:励まし
御書をひもとけば、日蓮大聖人が門下に認められた、励ましの言葉があふれています。
池田先生は「励ましとは、その人を尊敬し、その人に学ぼうとする一念から出発すると、私は心に期してきた。人と人の絆が引き裂かれる『闘諍言訟』の悪世にあって、奇跡の如く、あらゆる差異を超えて、幸と平和の大連帯を広げゆくのが、創価の励ましである」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「励まし」をテーマに学んでいきましょう。
◇妙密上人御消息
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし』(御書1241ページ)
◇たたえ合う喜びの世界
【通解】金は、焼けばいよいよ色が良くなり、剣は、研げばいよいよ良く切れるようになる。(同じように)法華経の功徳をたたえるなら、ますます功徳が勝っていく。(法華経)28品は、法理の真髄を説くところは、わずかであるが、たたえる言葉こそ多くあることを、心得ていきなさい。
◇
創価学会には、世界中、どの国の会合に参加したとしても、信心に励む同志が、お互いの奮闘を、たたえ合う姿があります。
本抄は建治2年(1276年)閏3月、日蓮大聖人が55歳の時に身延で著され、妙密上人に送られたお手紙です。
金は精錬するほど輝きを増し、剣は研ぐほど鋭くなるように、法華経の功徳も称賛すればするほど、功徳が勝っていくと仰せです。自身の体験や信仰の喜びを語っていくことは、法華経をたたえていくことに、ほかなりません。
また、広宣流布に励む同志をたたえていくことも、妙法をたたえていくことに直結しています。ゆえに、功徳も輝いていくのです。
今、社会には、どんなことにも否定的で、人をけなし、おとしめるような言動があふれています。それでは、自分も他人も、生きる力を弱められてしまうのではないでしょうか。
それと対極にあるのが、大聖人直結の学会です。仏法を実践することで得た、信心の確信と歓喜があふれています。そして、人間革命を懸け、学会活動に励む同志を"わが事"のように応援し、喜び合う伝統が根付いています。
創価学会は、この"励ましの連帯"を広げることで、功徳にあふれ、世界宗教に飛躍していったのです。
◇千日尼御前御返事
『御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ』(御書1316ページ)
◇感謝と真心を大切に
【通解】あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています。仏に成る道もこれと同様です。私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です。
◇
たとえ遠く離れた佐渡にいても、あなたの心は、間違いなく私のところにきていますよ——。
本抄を与えられた千日尼は、"心はいつも、私と共にある"との大聖人の真心の励ましに、どれほど勇気づけられたか、計り知れません。
千日尼と夫の阿仏房は、佐渡流罪中の大聖人に帰依し、お護りした、佐渡の門下の中心的存在でした。大聖人が赦免され、身延に入られた後も、高齢の阿仏房は何度も御供養を携え、海を渡り大聖人のもとを訪ねます。大聖人は、留守を守る千日尼を思いやり、温かな励ましのお手紙を送られています。
「仏に成る道」も心が大切であると仰せです。大事なのは求道心です。師を求める心があれば、物理的な距離を超えて心を通わせることができるのです。
だからこそ大聖人は「御面を見てはなにかせん」と、会えるかどうかよりも、師弟不二の信心の大切さを教えられているのです。
池田先生はつづっています。「どんなに離れていても、心と心はつながる。たとえ会えなくとも、命と命は通い合う。一つになれる。これが、妙法の世界です。創価学会です」
師弟の心と心が織りなす励ましの世界。どこまでも師匠と共に、そして、師の心をわが心として、目の前の「一人」に感謝と励ましを送っていきましょう。