2021年7月23日金曜日

2021.07.23 わが友に贈る

健康な人生のため
運動の習慣を大切に。
比較的涼しい時間帯の
散歩や体操など
無理せず聡明に工夫を!

窪尼御前御返事 P1479
『ねふかければはかれずいづみに玉あれば水たえずと申すやうに御信心のねのふかくいさぎよき玉の心のうちにわたらせ給うか、たうとしたうとし』

【通解】
根が深ければ葉は枯れず、泉に玉があれば水が絶えないというように、あなたのご信心の根は深く、あなたの心の清らかな玉があるのでしょうか。まことに尊いことです。

名字の言 東京五輪が開幕 2021年7月23日
きょう、東京五輪が開幕する。安全対策は当然として、世界のアスリートによる熱戦に期待したい▼日本人初の五輪金メダリストは織田幹雄さん。故郷の広島・海田町には、偉業を顕彰する複合施設「織田幹雄スクエア」がある。入り口脇のガラスには、アムステルダム五輪で優勝した三段跳びの飛距離である「15.21m」と、織田さんのシルエットが描かれる▼織田さんは三段跳びの前に走り高跳び、走り幅跳びに出場するが、力を出せずに終わった。そこで五輪開会直後に書いた日記を見返した。「真剣になって闘う時にはコンディションも何もあるものか、最後の死力を尽すあるのみ」(『織田幹雄 わが陸上人生』日本図書センター)▼100分の1秒を縮めるため、1センチを伸ばすため、選手はトレーニングを積み重ねる。一方、競技は一瞬で終わる。数年の努力をたった一瞬で測られる——無情であり、不条理でさえある。だからこそ、最後は自分を信じるしかない。極限まで研ぎ澄まされた肉体と精神が結合し、昇華する時、震えるような感動が舞い降りる▼多くのアスリートが目指してきたオリンピック。コロナ禍の中、東京に集ってくれた選手への敬意と称賛だけは、ホスト国として忘れないでいたい。

寸鉄 2021年7月23日
「友にあふて礼あれ」御書人を敬い称える—日々の学会活動が最極の菩薩道
「三重蘇生の日」45周年。師弟の道ゆく友は晴れやか!対話拡大の一番星に
ネットの犯罪が過去最多と。見知らぬ相手のメールは開かない等、対策を
感染巡る嘘に惑わされるな。「ワクチンで不妊」は根拠なし—専門家の学会
きょう東京五輪開会式。熱戦に期待。努力の英雄たる全選手の大健闘祈る

☆不二の旅 第15回 池田先生と四国
◇紅燃ゆる志国の天地
池田先生と各方面の同志の絆を紹介する「不二の旅」。第15回は、「紅の歌」誕生から40周年を迎える志の国・四国を掲載する。

・香川・四国研修道場に立つ「紅の歌」の歌碑。1981年(昭和56年)11月、池田先生は四国研修道場で「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と宣言。本格的な反転攻勢が開始された。2005年と16年には、歌詞に加筆・修正がなされ、新たな命が吹き込まれた

・香川の四国池田文化会館で行われた第4回四国総会。席上、池田先生は「『日本一の四国』『最高の四国』を、皆さまが必ず築いてくださると、私は期待したい」と語った(1993年12月)

・高知文化会館での第1回四国総会の折に未来部員を励ます。総会で、高知から"歴史回天"の船出をした坂本龍馬のごとく、新しき"広布の回天"で人類史に希望の夜明けをと望んだ(1990年11月)

・愛媛の大洲会館で、不退の信心を貫き、障魔の嵐を乗り越えた同志を激励。"仏法は勝負である。仏と魔との戦いに、皆さんは信心で勝った。まぎれもなく勝利した"と訴えた(1985年2月)

・徳島青年平和文化祭であいさつ。同志の熱演を心からたたえ、"堅実こそ人生の栄冠を勝ち取り、人生を歩みゆくべき方途である"と呼び掛けた(1985年4月、徳島市立体育館で)

◇四国の友に贈った指針
四国で「紅の歌」が誕生したのは昭和56年。たくさんの同志に愛され、歌われてきた歌である。
当時、会長を勇退していた私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。

・「紅の歌」の歌詞を推敲する池田先生。移動の車中など寸暇を惜しんで歌詞を紡いだ(1981年11月、四国婦人会館〈当時〉で)

・「紅の歌」3番の直筆原稿。同歌は今年の11月で、誕生から40周年を迎える。師弟共戦の闘魂が一節一節、一語一語に込められている

その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
21世紀の勝利の暁鐘もまた、四国から全日本に、晴ればれと乱打していただきたい。

何事も勝つことである。勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。負けるような人間は、人を幸せにする力がない。
激しき社会の中で、正義を貫き、人格を磨きながら、戦い、勝つ人間。強い人間。力ある人間。そういう人間にならねばならない。

信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(第2回本部幹部会・第1回四国総会<2001年1月>でのスピーチから抜粋)