2021年7月29日木曜日

2021.07.29 わが友に贈る

親戚や故郷の友人と
旧交を温め合おう!
電話や手紙等も活用し
信頼と友情の絆を
一段と強める夏に!

聖人等御返事 P1455
『各にはおづる事なかれ、つよりもてゆかば定めて子細いできぬとおぼふるなり』

【通解】
あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず、正しい経緯が明らかになると思います。

名字の言 戦争のための正義など存在しない 2021年7月29日
「逃げ水を 先鋒にして 進軍す」。かつて中之島の大阪市中央公会堂で開催された「平和の一句・朗読会」で、俳人の黛まどかさんが詠んだ句だ▼「逃げ水」は、蜃気楼の一種。太陽に熱せられた舗装道路や草原の遠くに水たまりがあるように見える現象のこと。冒頭の句からは、暑い中を進軍する兵士が、喉の渇きを堪えている姿を想像する▼第2次世界大戦の時、軍部政府は「大東亜共栄圏」を掲げ、"平和のための戦争"と称した。その大義自体が幻影であった。戦争は人間の尊厳を踏みにじり、手段化する。戦争の現実を前に正義など存在しない。全て"蜃気楼"だ▼自己の欲望のためには、他者の犠牲も厭わない。この生命に潜む闇を、仏法では「元品の無明」と説く。人間の善性を薫発しながら、平和と共生の時代を築くことが宗教の使命。自身の人間革命を起点とする創価の民衆運動の目的も、ここにある▼御書に「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751ページ)と。戦争の悲劇を繰り返さないためには、制度面からの規制とともに、一人一人の胸中に生命尊厳の思想を打ち立てることが肝要である。私たちの立正安国の対話は、人類の宿命を転換する先駆の実践——その誇りで挑みたい。

寸鉄 2021年7月29日
外交を自分の一生の地盤とせよ—恩師。じっくり語る好機!心結ぶ対話へ
「衆流あつまりて大海と」御書。日々の積み重ねが歴史となる。今日も挑戦
創大・短大のオンライン見学会、事前予約受付中。世界市民の揺籃へと来れ
夏休みはSNSで犯罪被害に遭う子ども多しと。親子で携帯使用の規則を
水難の半数は死亡事故。甘く考えず。天候や体調に留意し遊泳区域も順守

〈社説〉 2021・7・29 未来部 夏のコンクール
◇"努力と挑戦の金メダリスト"に
未来部の各種コンクールの夏がやって来た。今年は2年ぶりに「E—1グランプリ」「E—1フェスティバル」も行われることとなり、絵画や作文と併せて、未来っ子たちの奮闘のドラマが、家庭や地域で繰り広げられる。
8月下旬まで緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置が取られている地域もあり、外出での思い出づくりが難しい家庭もあるかもしれない。だが今夏は、テレビで観戦する東京オリンピック・パラリンピックのアスリートたちの激闘の姿や歓喜の涙が、子どもたちの心にも響くものとなるだろう。
夏休みにおける各種コンクールへのチャレンジは、多忙な学期中では、なかなか持つことのできない自己表現や思索の機会である。
実際、小学生では8割以上が習い事をしており(2019年)、二つ以上掛け持ちしている子は5割を超えるという。中学・高校生になると部活動が始まり、7割以上が「練習は週5日以上」といわれる。さらに受験を見据えて早くから学習塾に通うことも珍しくない(学研教育総合研究所ほか調べ)。
ゆえに、学校が長期休暇となる夏休みこそ、自分の考えを深めたり、感じたことを文章や絵画に表現したりする時間をつくりたい。そのためにも、家族や担当者のサポートが欠かせない。
神奈川のある少女部員は、ダンス教室に通い、最近まで体操と水泳も習っていた。少年少女部の合唱団ではリーダーを務める。忙しい中でも、夏のコンクールに進んで取り組んできた。作文は決して得意ではなく、演技も苦手だという。「だけど苦手だから、頑張って上達した時はうれしいし、自分の気持ちを表現するのが楽しい」。彼女の家庭では小さい頃から家族で勤行し、忙しい中でも池田先生のことを語り合う時間をつくってきたという。
未来部伝統のコンクールの淵源は1970年6月、池田先生が未来部員との懇談の際に、「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい」と語ったことにある。コンクールへの挑戦は、未来っ子たちの「考える力」「表現する力」を養うものであり、それは、先が見えない時代に"自分なりの答え"を生み出す価値創造の源泉となる。
皆が自身の可能性を大きく開き、"努力と挑戦の金メダリスト"となれるよう応援したい。

☆御書の旭光を 第44回 人間主義の光で地球を照らせ
〈御文〉
『日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり・多宝の証明も・なにかせん・十方の諸仏の御語も妄語となりなん』(単衣抄、1514ページ)

〈通解〉
日蓮が日本国に出現しなければ、仏の金言も虚言となり、多宝如来が「法華経は真実である」と言った証明も、何の役にも立たない。十方の諸仏の言葉も、うそとなるであろう。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏の忍難弘通の大闘争によって、法華経の真実は証明された。その直系として難を勝ち越え、御書に示された立正安国・世界広布を実現してきた創価学会の誇りは高い。
仏法の慈悲は大変な時にこそ光る。人類の危機の時代に仏勅の学会は出現した。不安と分断の闇を払い、平和と共生の地球社会を築きゆくのだ。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 介護に携わって 2021年7月20日
テーマ:介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」をテーマに、大阪府の婦人に話を聞いた。

◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(開目抄、234ページ)

◇通解
私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

◇生命の輝きは永遠に 認知症の二人の母
夫の母親と、自分の母親。阿部京子さん=吹田市、吹田摂津総県副女性部長=は、広布の草創期を担った"信心の先輩"でもある二人の認知症に向き合っている。
      ◇
同居していた義母が傘寿を迎える頃、物忘れが頻繁になり、診察した医師から認知症であることを告げられた。
「"まさか"でしたよ。おかあさんは教員を定年まで勤め上げた後も、友人との交流や学会活動に、活発に取り組むほどの人でしたから」
しばらく症状は穏やかだったものの、変化は急激に起こった。
阿部さんが県婦人部長(当時)として広布の活動に励んでいた、夏のある日。
「夜中にふと気付くと、家の中に、おかあさんがいないんです。慌てて、夫や子どもたち、家族総出で捜し回って。『老い』の現実を突き付けられたようで、ショックでした」
その後も徘徊は続き、24時間、目が離せないような状況に。どれだけ厳重に施錠しても家を出てしまう。時には、何キロも離れた隣の市まで行っていたこともあった。
次々と押し寄せる現実に「あれこれ考える余裕はなかった」と阿部さん。食事や排せつの介助など無我夢中で向き合った。
ある時、夜中に徘徊していた義母を公園で見つけ、「何をしているの?」と尋ねると、義母はとびきりの笑顔で「お花を摘んでいるの」。
「はっとしました。私は"おかあさんが幸福な晩年を送れるように"と祈っていたのですが、おかあさんの中には、すでに幸福な時間しか流れていなかったんだなあと思えて。認知症といっても、生命の輝きが失われるわけではないんですね」
その後、周囲のアドバイスもあり、義母は近くの介護施設に入所した。休む暇もなく、今度は、阿部さんの母の認知症にも向き合うことになる。
奈良で暮らしていた父が病を患い、母には軽度の認知症があったため、二人を吹田市へ迎え、父は近くの病院に入院。母はデイサービスを利用しながら在宅で介護することにした。
「母も、次第に『できないこと』は増えていくんですが、どんなに老いても"女性"なんですよね。きれいな服を着せたりすると、とても喜んでくれて」
数年後、父は85歳で他界。母も自力で歩くことが困難になっていき、認知症も徐々に進行。在宅での介護が難しくなったことから、やがて介護施設に入所することになった。
義母の時も、実母の時も「施設に入れて寂しい思いをさせてしまうのでは」と心苦しかったという。「でも母は、施設で知り合った方々に自然と仏法を語って、励ましているそうなんですよ。ケアマネジャーも『いつもニコニコしていて、皆の人気者ですよ』って。
おかあさん(義母)も、施設をわが家だと思っているみたいで、会った時には穏やかな笑顔を見せてくれます。
そんな二人を見ていると、人生の最終章には生命の中にあるものが全部、出るんやなあと思います。生命は磨き続けなあかんなあと」
大正生まれの義母と実母は今年、共によわい99を数える。過酷な戦渦を乗り越え、家族のために献身しながら、共に学会員として、池田先生と一緒に広宣流布に「わが人生」をささげてきた。今も共戦の歴史を織り成している。
そんな母たちに、介護を通して向き合ってきた阿部さんは、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)との御聖訓に、二人の姿を重ねる。
「何があっても御本尊を疑わず、地道に信心を貫いた人は必ず『仏界にいたる』——。母たちを見ていると、その確信が一段と強まるんです。私に信心を教えてくれた母たちに、介護で尽くせるのは、娘である私のせめてもの"恩返し"。母たちに笑顔の晩年を送ってもらうことは娘の務めだと思っています」

人は誰しも「老い」を迎える。それは避けがたい事実だ。
しかし阿部さんは、「もともと元気だった母たちが、次第に衰えていくという現実は、なかなか受け入れられなかった」と明かす。
徘徊や下の世話、また、認知症状の進行で人が変わったようになるなど、今までにないことが立て続けに起こり、当初は戸惑いもあったそうだ。それでも——。
「宿縁深い『親』であり『同志』であることは、変わりません。義母も実母も、今世で信心に巡り合い、私たち子や孫に、師弟の精神を教えてくれました。そして最後に、正しい信心を貫き通した人が、どれほど幸福に人生を総仕上げしていけるのかを、『同志』として身をもって教えてくれている。そう思えたら、尽くせることに感謝しかないです」
池田先生は語っている。
「『第三の人生』で、周囲に何をあたえ、残していくか。それは、財産や名誉や地位などいっさいをはぎ取った後に、生死を超えて厳然と残る"人間としての生き方"しかないのです。(中略)大切なのは、生きているうちに、どれだけ『生命の質』を高めることができるかです。(中略)自行化他の修行に励み、南無妙法蓮華経と唱え抜いた思い出は、三世に永遠です。たとえ認知症になっても消えることはない。厳然と『魂の日記帳』に綴られているのです。人生の最高の誉れは、学会活動です。人のために祈り、動くことで、自分も幸福になる。これほどの価値ある人生はないのです」(池田先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
生身の体は老いていく。しかし、妙法を唱え抜いていくなら、三世永遠に崩れることのない幸福境涯を必ず築いていくことができる——。信心一筋に生きてきた阿部さんと母たちのドラマが、そのことを鮮烈に示していた。

[教学コンパス]
厚生労働省によると、2012年時点で国内における65歳以上の認知症有病率は15%に達しており、団塊世代が75歳以上になる2025年には高齢者の5人に1人が認知症になると推計される。誰もが長寿を喜び合えるような高齢社会を、いかにして築くか。
仏典で釈尊は、"老いや病の人を見た人々が、それがやがて自らも直面するものであるにもかかわらず「忌むべきもの」としている"と示している。釈尊のまなざしは、老いや病などを意図せず差別してしまう、人々の"心のおごり"を鋭く見つめていたのだ。
「法華経」に生命尊厳の象徴として登場する宝塔。その姿を通し、「御義口伝」には「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740ページ)と仰せだ。妙法の力によって、生老病死という四苦さえも、自身の生命の宝塔を輝かせていく糧へと昇華できるのである。人生のいかなる労苦も全て、自らを最高に飾っていく宝に——この「価値創造」の希望の哲理を広げることが「幸齢社会」の礎となろう。