2021年7月2日金曜日

2021.07.01 わが友に贈る

「いよいよ・
はりあげてせむべし」
正義の魂が刻まれた
師弟の月・7月を
感激の勝利劇で飾ろう!

太田入道殿御返事 P1012
『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』

【通解】
書では言葉を書き尽くすことはできない。言葉では心を尽くすことができない。さまざまな事柄については、お会いした時を期して話しましょう。

名字の言 「やってみせる!」と言い切る強靱な一念 2021年7月1日
D51形蒸気機関車(デゴイチ)と新幹線。それぞれの時代を象徴する二つの列車は、イメージに大きな差がある。漆黒の鋼鉄の塊が力いっぱいに客車を引っ張るD51。一方、流線形の新幹線は滑るように高速で駆け抜けていく▼見た目も全く違う両者を計画、設計、実現したのは同一人物である。その人、島秀雄氏に至言がある。「ひとつの手だてさえ見つければ、『出来ます』と言える。あらゆる筋道をツブさないと、『出来ない』とは断言できない」(�橋団吉『新幹線をつくった男 島秀雄物語』小学館)▼どんなに厳しい局面にあろうと、安易に「できない」などと口にせず、必ず勝利をたぐりよせてみせる、という不屈の心を感じてならない。強い責任感と使命感が言わせた言葉だろう▼道なき道を開き、今日の世界広布を実現させた池田先生はつづる。「困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされるのだ」と▼偉業であればあるほど、その実現の道が容易であるはずはない。"できるか、できないか"を迫られても、「やってみせる!」と言い切る。その強靱な一念が、不可能を可能にする。

寸鉄 2021年7月1日
さあ青年の月。先駆こそ後継の誉れ。縦横無尽に走れ!青春の凱歌を断固
豊島が勇猛果敢に反撃!全国から大声援で後押し空前の対話拡大で逆転を
中野も、もう一歩だ。限界の壁破る執念の猛攻を!異体同心の大連帯で応援
調布・狛江の凱旋が完勝の決定打!日本中の友が総立ちで最後の押し上げ
目黒が一気呵成の前進!勝負を決する正念場だ。皆で勇気の総攻撃今こそ

〈社説〉 2021・7・1 「桂冠詩人」称号40周年
◇"言葉の炎"で満天下に正義を
1981年(昭和56年)7月1日、世界芸術文化アカデミーは、池田先生に「桂冠詩人」称号の授与を決定した。本年で40周年。先生はこの時、ソ連(当時)、欧州、北米を回る旅路にあった。その2年前、先生は会長を辞任。"会合で指導するな、聖教新聞に出るな"——日本国内では、師弟の分断を画策する反逆者と宗門僧による陰険な圧力が続いていた。
「海外から日本を激励するんだ!」——81年の海外指導に懸けた思いを、先生はそうつづっている。どんな状況に置かれようが、広布の前進を決して諦めない。まさに「師子王の心」であった。
先生はSGI会長として、各国で指導者や識者らと友情を結び、同志を全力で励ました。「苦難多きが故に、真剣な祈りと唱題がある」「獅子のごとく雄々しく、獅子のごとく不屈に」等々、深き一念を込めた"言葉"は、聖教新聞を通じて日本の同志に伝わり、最大の喜びとなり、力となった。図らずも、「桂冠詩人」称号の決定は、そのさなかのことであった。
思えば、先生は激務の合間を縫い、トルストイ、ゲーテ、ダンテ、ユゴー、ホイットマンらの縁の地を訪れていた。皆、不屈の心で信念を叫び抜いた詩人・作家たちだ。帰国後、先生は、正義と勇気の"言葉の炎"を燃え上がらせ、いよいよ反転攻勢に打って出たのである。
同年11月に発表された「紅の歌」は「桂冠詩人」として最初の作詞である。「邪悪の徒には 栄えなし」の一節には「断じて、弱い正義ではいけない。正義が勝って、歴史を変えるのだ!」との魂を込めた。翌月、最初の長編詩となった「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」では「いかなる苦衷の最中に入っても/希望を失うな!/希望は無限の力である/これこそ信心であるからだ!」と呼び掛けた。
正義に燃え立つ詩人の言葉は、闇を切り裂く太陽となって輝く。先生の詩に触れた全国の同志一人一人の胸中にもまた、希望の太陽は赤々と昇った。第1次宗門事件という未曽有の困難の突破口が、ここに開かれたのである。
先生は、詩心とは「精神の剣」と表現したことがある。正義のため、友のため、そして師のために戦う時、私たちの言葉には必ず、相手の心を揺り動かす力が宿る。さあ、声の限りに語り抜こう。「正義の師子」はここにありと、満天下に示そうではないか!

☆大白蓮華巻頭言2021年7月号 若き宝塔よ、一筋に光れ
若き日、病気との闘いが続いていた私に、恩師・戸田先生が御書を開いて、励ましてくださった一節がある。
「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり」(P716)
そして「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり」(同P)との「御義口伝」である。
先生は、「題目を唱える君自身の体が妙法の当体なのだ。
ゆえに病魔になど負けてはならない。若き生命の宝塔として、広布と社会のために勝ち光るのだ」と叱咤された。
今は感染症をはじめ青年が、幾重にも過酷な難題に直面する時代だ。希望を見出せず、自信を失い、孤独感に苛まれる若者も多いであろう。だからこそ、自他共の尊極なる生命の宝塔に目覚めてほしいのだ。
日蓮仏法は、青春を最高に光輝あらしめる哲理である。
大聖人は、若き南条時光に仰せになられた。
「此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし」(P1528)こと。
この御指南の通り、時光は、ただ「一筋に」信仰に励み、熱原の法難にも一歩も退かず、師匠と同志をお守りした。度重なる圧迫や経済の困窮、家族の不慮の死や自らの大病にも、断じて心を翻さず、堂々と正義の凱歌を飾った。今、全世界の地涌の友から鑑と仰がれているではないか。
大宇宙の根源の法則たる妙法を信受して、立正安国という最極の平和貢献に走る青春に、絶対に悔いはない。
悩みながら、もがきながら、それでも一筋に師弟の誓願を貫く時、一つ一つの辛労は生命の宝塔の輝きとなる。そして、その光彩が、道を求める青年層の心を動かし、一人また一人と新たな希望の宝塔を林立させゆくのだ。
青年部結成七十周年に巡り合わせた不思議な使命の君たちよ、「我らの団結は無敵なり」と誇らかに人間尊敬の連帯で、人類の幸福と安穏の大道を開いてくれ給え!

勝ち光れ
 若き宝塔
  一筋に
 スクラム強く
  師子の勇気で

☆7月の学会史 2021
◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日
1945年(昭和20年)7月3日は、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、投獄されていた戸田城聖先生(当時、理事長)が出獄した日。また57年の同日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田大作先生(当時、青年部の室長)を、大阪府警が選挙違反の容疑で不当逮捕。同月12日に東京・蔵前の国技館(当時)で「東京大会」、池田先生が釈放された同月17日に中之島の大阪市中央公会堂で「大阪大会」が開かれた。62年1月25日に無罪判決。
※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」/VOD【広布史】「信心しきった者が勝つ 常勝の原点 大阪大会」

◎7・3「東北の日」
1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源。また51年7月15日、先生が仙台を初訪問し、東北広布の第一歩をしるしてから本年で70周年。71年6月、青森・奥入瀬渓流を訪れた先生が「滝の如く 激しく」で始まる「滝」の詩を詠み、7月4日の東京での行事で発表してから50周年。

◎7・8「白蓮グループの日」55周年
1966年(昭和41年)、池田先生が自発の心で清掃などの作業に取り組む女子部の友に「白蓮グループ」との名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表されてから55周年。
※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」

◎7・11 男子部結成70周年
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。本年で70周年。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

◎7・19 女子部結成70周年
女子部の結成式は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部に74人が参加し、戸田先生のもと行われた。本年で70周年。
※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

◎7・22「鼓笛隊の日」65周年
1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成され、本年で65周年。
※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

◎7・27「中部の日」45周年
1976年(昭和51年)7月27日、池田先生は中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与した。本年で45周年。
※参考資料=『新・人間革命』第28巻「大道」

☆広布史 関西の「7・3」——"常勝不敗"の誓い
◇いかなる試練にも師と共に同志と共に
「関西の月」7月へ前進するにあたり、「7・3」の広布史を確認し合いたい。

師弟の大殿堂・関西池田記念大講堂の建設が発表された。
かつて池田先生が、「私が青春を捧げ、全身全霊で築いた、難攻不落の錦州城」と記した関西。その"常勝不敗"の礎は、試練の中で構築された。
1957年(昭和32年)6月末、学会の躍進を恐れた権力が池田先生に事実無根の選挙違反の嫌疑を掛け、出頭を要請。先生は7月3日、発刊されたばかりの恩師・戸田先生の小説『人間革命』を携え、大阪府警に赴いた。
「戸田先生は、師子であられた。なれば弟子であり、師子の子である私もまた、師子であらねばならない。いよいよ、まことの師子かどうかが、試される時が、遂に来たのだ!」(小説『人間革命』第11巻「大阪」)
同日午後7時ごろ、池田先生は逮捕・勾留された。くしくも45年(同20年)、軍部権力と戦い抜いた恩師が、2年に及ぶ獄中闘争の末に出獄したのと、同日のほぼ同時刻だった。
「いかなる試練にあおうとも、師と共に、同志と共に、広宣流布へ信念の闘争を貫き通していくことこそ、真の学会精神なのだ」(「随筆 人間世紀の光」)
池田先生の入獄は、瞬時に関西の同志に伝わった。皆が怒り、師の無事を昼夜、祈った。そして、「すべてに勝っていく関西を、必ず建設してみせます!」と誓い、励まし合った。
7月17日正午過ぎ、池田先生は釈放。戸田先生は、出獄した愛弟子に語った。
「関西の同志は、実によく戦った。君が難を受けたことを、他人事のように感じていた者は一人もいなかった」「これで関西は、ますます強くなるぞ。福運に満ち満ちた、大境涯への飛躍を遂げたといえる」(「随筆 我らの勝利の大道」)
池田先生が難と戦い抜いた誉れの天地・関西。今、先行きの見えない社会状況にあって、「関西の月」を広布の拡大で勝ち開き、希望の波動を起こそうと同志の心は燃える。
「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」