2021年7月28日水曜日

2021.07.28 わが友に贈る

朝に勝てば一日に勝つ!
清々しい勤行・唱題から
生命力満々に出発しよう。
聡明な生活リズムこそ
充実の人生を歩む鍵だ!

四条金吾殿御返事 P1193
『何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時既に相模の国竜の口にて頚切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをばいつの世にか思い忘るべき』

【通解】
なにはともあれ、あなたの未来世の幸福境涯は間違いない。なによりも、文永8年のあの御勘気の時、相模の国の竜の口で私の頸が切られようとした時にも、あなたは馬のロにとりついて、はだしで供をし、泣き悲しまれた。そして、私が頸を切られることが現実となってしまったならば、自分も腹を切ろうとの様子であったことを、いつの世にも思い忘れることができようか。

名字の言 「さわる」と「ふれる」の違い 2021年7月28日
日本語の「さわる」と「ふれる」——英語ではどちらも「touch」と訳されるが、微妙に意味が異なる▼広辞苑を引くと、「さわる」には「感触を確かめる」とあり、「ふれる」には「ちょっとさわる」とある。「さわる」が一方的なのに対し、「ふれる」は気持ちや意思を確認する意味合いが含まれているととれよう。「ふれる」の方が控え目だが豊かな関わりだ▼文学博士の伊藤亜紗氏は、現在のコロナ禍にあって、「さわる」を避けようとして、「ふれる」まで捨ててしまうことを危惧する(『手の倫理』講談社選書メチエ)。対面であれ電話であれ、人との心の触れ合いがあってこそ、日常の生活に希望や歓喜が生まれる▼ある男子部員は一昨年10月、部長の任命を受けた。"全員とつながろう"と決め、感染予防を徹底しながら訪問激励に歩いた。会うことが難しい時期には、自筆のメモを残すなど"心をつなぐ"ことに力を注いだ。オンラインを活用して毎週、会合を行い、先月は対面で10人のメンバーが笑顔で集い合った▼御書に「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(1072ページ)と。信あるところ智慧は無限に湧いてくる。工夫を凝らし、心と心が「触れ合う」機会をつくりたい。

寸鉄 2021年7月28日
青年育てる学会には未来を開く力がある—議長。わが地域に後継の大河を
「弥信心をはげみ」御書。仏法は常に今ここから!新たな目標を定めて前へ
未来部の各種コンクールを応援!鳳雛の成長こそ希望。挑戦の思い出皆で
やる気を出すには「まず始める」こと—精神科医。決意即行動で鍛えの夏に
台風による河川の増水や土砂災害等に警戒。無冠の皆様も決して無理せず

☆全国女子部大会 池田先生ご夫妻のメッセージ
◇最極の哲理で和楽の園を
広宣流布と立正安国の新しい時代の門を勢いよく開いて、晴ればれと結成70周年の記念の大会、誠におめでとう!
御本仏・日蓮大聖人が、健気なる創価の女子部の大健闘を、いかばかりお喜びであられるか。皆、本当にありがとう!
御聖訓には「民の愁い積りて国を亡す」(御書1004ページ)と喝破されております。
だからこそ、民衆一人一人の愁いを晴らして、生きる希望と喜びを広げゆく生命尊厳の哲理がどれほど大切であるか。
大聖人は、女性の門下へ送られた「法華経題目抄」で「妙の三義」を示されました。
すなわち——
第一に「妙と申す事は開と云う事なり」(同943ページ)
第二に「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同944ページ)
第三に「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947ページ)
若くして妙法を唱え行ずる皆さんの生命それ自体が、この「開く力」「具足・円満の力」そして「蘇生の力」の当体です。
ゆえに、どんなに厳しい人生と社会の局面にあっても、断じて行き詰まりません。必ず必ず自他共に打開していけるのです。
どうか、苦しい時も楽しい時も、大宇宙の最極の幸福のリズムである題目を忘れず、自らの仏の生命を勇敢に開き、身近な足元から聡明に和楽と平和を創り広げて、あの友もこの友も、あの地もこの地も歓喜あふれる蘇生へと導いていってください。
私と妻の心から離れることのない、戸田先生の師子吼に、「人類は、『女性の幸福』に焦点を定めて、歩みを変えていかねばならない。そのためにも、若き女性が確固たる哲学を持つことだ。いかなる宿命にも負けない、強き生命力を持つことだ」と。
恩師の願われた、この「女性の幸福革命」を、これからの十年、いよいよ、わが本門の華陽姉妹が世界の友と旭日のスクラムで、明るく仲良く朗らかに成し遂げてくれることを祈り確信して、メッセージとします。
一人ももれなく健康と福運と勝利の青春であれと祈りつつ。

☆全国女子部大会 「7・19」に寄せて——池田先生が認めた書・句・和歌
・1978年の7・19「女子部結成記念日」を祝賀して、池田先生がしたためた「青春桜」の書
・1978年の7・19「女子部結成記念日」を祝賀して、池田先生がしたためた「女子部の日 十年先は 女王かな」の句
・女子部結成40年となる1991年の「7・19」を記念し、池田先生が詠み贈った和歌。「女子部の日 この日は広布と 学会の 誓い込めたる 師弟の日なるか」

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第6回「大阪の戦い〈下〉」 信心と団結でしか勝てぬことを忘れるな
【大逆転劇への心得】
一、執念で勝つ
一、喜び勇んで勝つ
一、団結で勝つ
(「随筆 希望の大道」<庶民の勝利が学会精神>から)

◇リーダーが先頭に
大阪の名菓として知られる粟おこしは、米を細かく砕き、水あめで固めたお菓子だ。
1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」の折、池田先生は関西の同志と粟おこしを口にし、"粟おこしは団結の姿です"と、ユーモアたっぷりに語ったという。小さな一粒一粒も、一つにまとまったとき、名菓になることを団結に例えたのである。
「団結」こそが、広宣流布の短期決戦における最重要の勝利の要諦であることを、先生は何度も、関西の同志に訴えた。
ある時、一人の婦人が先生に悩みを吐露した。リーダーとして、どのように活動を進めていけばよいのかが分からない、と。先生は扇子を取り出した。
「扇子は、"要"が回転して開いていきますね。皆を動かそうとするのではなく、あなた自身が戦い、成長していけばいいのです」
団結とは、皆を動かすことではない。リーダー自らが先頭に立って、祈り、動き、語っていくことから生まれることを力説した。
先生は団結について記している。
「堅固な団結は、必ず各人の『境涯の拡大』をともなう。広宣流布の回転に心を合わせれば、自分中心の小さなエゴの殻を破っていけるからだ」
激戦の中、東京からの派遣幹部と地元幹部に感情的なもつれが生じた。「小さなエゴ」にとらわれていた。先生は、互いの言い分を聞いた後、厳しく諭した。
「意見の衝突はよい。しかし、感情の衝突は喧嘩です。これほど味方の戦力を潰すものはない」
組織の中で起こる非難・中傷は、ことごとく"魔の仕業"であることを強く説いた。
先生の指揮のもと、大阪が大躍進を遂げる一方、東京は苦戦を強いられていた。先生は、「信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな」「われは、断じて関西で指揮をとる。東京の闘争に栄光あれ」(『若き日の日記』、1956年4月10日)と、東京の同志に呼び掛けるかのように書きとどめた。

【「若き日の日記」1956年(昭和31年)4月22日から】
前途は多難あり、嵐あり。
その中に勝ちゆく「栄光」が、
真実の「栄光」か。

◇頑張る時は「今」
「特筆すべき事は、全くの信心したての人々が揃って折伏に励んでいる姿である」——1956年(昭和31年)5月6日付の本紙の記事。なぜ関西は躍進しているのか。その要因として、池田先生を中心とした強固な異体同心の団結とともに、「歓喜」を挙げている。
生活は苦しかった。入会から日も浅く、信心もよく分からなかった。しかし、とにかく楽しかった——。「大阪の戦い」を戦った友が、異口同音に語ることである。
その「歓喜」の源泉こそ、池田先生の激闘である。例えば、4月末から5月にかけての1週間だけでも、先生は大阪と東京を2往復。夜行列車の移動では、車中で原稿を書き、同志への激励の一文もしたためている。
戸田先生によって徹底して磨かれ、鍛えられた「常在戦場」の一念は、どんな時も同志の激励のために注がれたのである。
本紙が関西の圧倒的な勢いを報じた9日後の5月15日、6人の学会員が逮捕された。すでに個々別々で解決していた出来事を蒸し返し、組織的な暴力があったかのように見せる警察の思惑だった。大阪の新聞は夕刊で、学会が「暴力宗教」であると報じた。
翌日、先生は事件の善後策を講じるために奔走。17日、筆に墨を含ませて、「電光石火」と大書した。この日に行われた早朝の御書講義。先生は関西の友の動揺を吹き払う師子吼を放った。
「頑張る時は今です。信心の利剣で、魔を打ち破るのも今です!」「正しい仏法が、正しい信仰が、最後に必ず勝たないわけがない」
早朝講義の脈動は、この日の夜にかけ、大阪全域に一気に広がっていった。
暴力宗教というデマを信じる友人もいた。しかし、同志は「その宗教の座談会を見に来ませんか?」と切り返した。
先生は、「見方が変わる、つまり一念が変われば、全ての苦難が自身の人間革命の糧となる」と記している。関西の同志は、相手の学会に対する「見方」を変える言論によって、「味方」を広げていったのである。

◇敵も味方に変える勇気
法華経の文に「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」(御書1242ページ)とある。いかなる相手でも、自分の信心が強くあれば、広宣流布のために働く存在に変わっていく、との意味だ。この御文を、先生は「大阪の戦い」の中で、幾度も拝した。
敵をも味方に変えていく。その勇気の行動こそ、広布拡大の根本だ。
56年6月、参院選の公示の日、先生は、御本尊への祈りに、新たな祈念を加えた。「大阪のいかなる人であれ、このたびの戦列に加わって、味方となること」である。先生の祈りに呼応し、大阪各地で気迫と執念の対話拡大が展開されていった。
「大阪の戦い」の最終日、先生は早朝5時ごろに目を覚ました。一人のリーダーがそっと玄関のドアを開け、足早に同志のもとへ駆けていく姿を目にした。
この時、先生は"これでよし、勝てる!"と確信する。リーダーが最後の最後まで、緊張感を持続している姿勢が、そこにあったからである。その直後、電話が鳴った。戸田先生からだった。「関西はどうだい?」との問い掛けに、池田先生は「こちらは勝ちます!」と即答した。
「大阪の戦い」の出発の時、先生は関西の友に「今度の関西の戦いは勝った!」と宣言した。最終日には、師に勝利の確信を伝えた。そして、実際に「まさかが実現」と世間を驚嘆させる大逆転劇を飾ったのである。
先生は語っている。「今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく」「皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ」
「大阪の戦い」から65周年となる本年は、2030年の学会創立100周年へ向けての初陣の年。コロナ禍の中で、立正安国の実現のために、いかに動いたのか。未曽有の危機にあっても、広布の誓願を燃やし続けることができたのか。
私たちは折に触れて、「大阪の戦い」から法華経の将軍学を学ぶ。今の私たちの必死の激闘もまた、50年後、100年後の同志が、"コロナ禍でどう戦ったのか"を知る「後世の教科書」となるに違いない。