飲食時の会話を控える等
マスクを外す場面には
改めて細心の注意を!
「これくらい大丈夫」との
油断と慣れを排そう!
千日尼御前御返事 P1314
『七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて尼ごぜんはいかにこう入道殿はいかにとまづといて候いつればいまだやまず』
【通解】
七月二十七日の午後四時頃に、阿仏房が来られたのを見て「尼御前はどうされたか、国府入道殿はどうか」とまず問うたところ、「まだ病気にかかっておりません。」
名字の言 "原爆の火"を世界へ 2021年7月27日
76年前に広島の焼け跡から持ち帰られ、福岡・八女市星野村で燃え続けている"原爆の火"。この火に平和の誓いを込めて世界に送る計画がある▼進めるのはNPO法人「SADAKO LEGACY」の佐々木雅弘理事長。広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルで被爆後に亡くなった少女の兄だ。「いくら正しいと思っても、自分の感情や主張を一方的にぶつけると人は心を閉ざします。まず相手を理解しようと努めることが心を結ぶ第一歩」と信念を語っていた▼日本への原爆投下を承認した米大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏と会った時のこと。「原爆によって戦争は最小の被害で終わった」と頑なな氏や家族もまた、戦争でつらい経験をした。そこに思いをはせ、誠実に粘り強く対話する佐々木さんの姿勢が、氏の心を動かした。「被爆の実態を知りたい」と広島・長崎を訪れ、「あなたと一緒に"原爆の火"を真珠湾にも届けたい」と協力者に▼「瞋りは善悪に通じる」(御書584ページ、趣意)。戦争や核兵器に対しては断固として怒る。大切なのは、その怒りを人と人、心と心を結ぶ対話のエネルギーにしていくことだ▼平和への祈りを根本に、友情と信頼を大きく広げる夏としたい。
寸鉄 2021年7月27日
正法を一字一句でも語る人は「教主釈尊の御使」御書。皆に偉大な使命が
「中部の日」45周年。列島の要に光る堅塁の人材城模範の団結で凱歌の秋へ
「攻勢は守勢にまさる」文豪。若人よ連帯拡大に全力を!折伏精神燃やし
水深10センチでも子どもは溺れる—研究。水路でも事故が。大人は目を離すな
日傘は熱中症対策に有効—環境省。猛暑の今こそ体感温度を下げる工夫を
☆「新・人間革命」は希望の光源 第10回
◇万人の幸福へ大理想に突き進む
〈1977年(昭和52年)10月、北海道・厚田に戸田城聖ゆかりの墓地公園が完成。その折、山本伸一は男子部結成式前夜、恩師と交わした師弟の語らいを紹介する〉
「あれは、昭和二十六年(一九五一年)七月の、男子部の結成式前夜だった。戸田先生は、東京の市ケ谷にあった大東商工の事務所で、私に言われた。
『いよいよ明日は、男子青年部の結成式だな。私は青年部に広宣流布を託す。青年は、その具体的な実践として、私が会長就任の日に発表した会員七十五万世帯を、全責任をもって達成してもらいたい。伸一、できるか!』」
(中略)
戸田は、伸一に語っていった。
「広布の旅は、遠く、長い。三十歳になっても、四十歳になっても、五十歳になっても、いや、七十歳、八十歳になっても、命ある限り、広宣流布に生き抜こうという志をもった人間を、私はつくりたいのだ。
(中略)
今後、いかに学会員が増えようが、皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない。いや、そうなれば、地涌の菩薩であるとの自覚も失われ、真実の幸福の道も見失ってしまうことになる。学会を、そうさせないために、青年が立つんだ。
伸一! 君は、その事実上の原動力になるんだ。模範になれ! 永遠にだ。
班長という一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!
いいな! できるな!」
「はい!」
決意を秘めた伸一の声が響いた。
(中略)
「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ。
今夜の二人の語らいが、事実上の男子青年部の結成式だよ」
戸田は、伸一と語り合った翌日、西神田の学会本部で行われた男子部結成式に出席した。あいさつに立った戸田は、強い確信を込めて話し始めた。
(中略)
「今日は、この席から、次の会長たるべき方にごあいさつ申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる」(第26巻「厚田」の章)
◇旧友と仲良く新たな友情広げる
〈1962年(昭和37年)2月、トルコを訪れた山本伸一は、第1次世界大戦後に連合国から祖国を守った、初代大統領・アタチュルクの姿を通し、同行の幹部と語り合った〉
「人間は、ともすれば、敵に対して幻影をいだき、その幻影に怯え、自ら敗北していく場合が多い。
ところが、彼には"絶対に勝つ"という決意があった。だから、敵の弱点もよくわかった。そして、最後の最後まで全力で戦い抜いた。そこに勝因があった。敵は恐れるに足りず——この確信が、困難な局面を切り開き、交渉を成功に導いたといってよい。
ところで、私が何よりも心引かれるのは、大統領としての彼の『古い友人と仲良くし、新しい友人をつくれ』というモットーだ。
この言葉の背景はともかく、人間は、ともすれば古い友人とは疎遠になりがちである。また、古い友人との交流があれば、新しい友人をつくろうとはしないものだ。しかし、人間を大切にし、人間関係を広げていくなかで、新たな世界が開かれていく」
古い友人と仲良くし、新しい友人をつくれ——伸一は、このアタチュルク大統領の言葉に、新時代を建設しゆく方程式を感じていた。だからこそ、彼は、この中東の訪問でも、出会った人びとが、すべて新しき友人となるよう、誠実に、真剣に、相手の幸福を願い、対話を交わし、友情を育もうとしてきたのである。(第6巻「遠路」の章)
◇執念と団結の先に勝利の金メダル
〈第18回オリンピック東京大会が行われた1964年(昭和39年)10月、日本の女子バレーボールチームが全戦全勝で金メダルを獲得したことを通して、山本伸一は女子部のリーダーに語った〉
「見事な勝利だったね。やはり、勝つことは嬉しいし、気持ちがいい。しかし、三対〇のストレート勝ちといっても、実力の差は紙一重でしょう。
また、選手一人ひとりの力からいえば、体力的にも、技量的にも、ソ連チームの方が上かもしれない。それなのに、日本チームが圧勝したのはなぜか——ここが大事なポイントだ。
もちろん、勝負の大前提として、大松監督のもとで徹底した訓練があったことはいうまでもない。そのうえで、今、試合を見ていて感じたのは、日本チームは、『絶対勝つ』という確信に燃えていたことだ。選手が皆、躍動しているし、しかも、チームワークがよい。
『どんな球でも、必ず拾う!』『決してあきらめない!』という、執念と攻撃精神にあふれていた。そして、勝利への強き一念で、皆が団結していた。
回転レシーブで、床に落ちる寸前のボールも巧みに受け、別の選手が、それをトスでつなぐ。さらに、次の選手が、力いっぱい打ち込む。調子が落ちると、『頑張ろう!』と声がかかり、『はい!』という、打てば響くような皆の声が返る。スポーツという一次元ではあるが、実に見事です。
あなたたちには、新しい時代を開くために、広布と人生の戦いに、勝ち続ける責任がある。その意味で、今の試合から学ぶべきことは多いよ」(第9巻「衆望」の章)