2021年7月15日木曜日

2021.07.15 わが友に贈る

広布の戦いに挑む上で
「何のため」という目的観
を持つことが大切だ。
自らの人間革命ありて
最高の歓喜が生まれる。

上野殿後家尼御返事 P1506
『いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよとをしへ給うことわりにもや候らん』

【通解】
いかにも、いかにも追善供養を心の限り励まれるのがよいでしょう。古徳の言葉にも「心地は九識の清浄の心におき、修行をば六識にせよ」と教えていますが、いかにも道理です。

名字の言 "じしん"に満ちた少女部員 2021年7月15日
ある小学生の「じしん」という題名の詩がほほ笑ましい。「おかあさんに/『こたえがわかったときは じしんをもって/しっかりてをあげなさい』/といわれました/これからは/じしんをもってこたえようとおもいました/せんせい じしんてなんですか」(『一年一組せんせいあのね』理論社)▼地元で少女部員の活躍を聞いた。少女も先の小学生と同様、"自信"の意味は理解していなかっただろうが、少女の言動は自信に満ちたものだった▼学会の会合が大好きな少女は一昨年、地区総会で歌と踊りを披露してほしいと頼まれた。こんなチャンスを独り占めするのはもったいないと、少女は大切な級友3人を誘い、共演することにした。未入会の父は「娘のために」とピアノ伴奏を買って出た。そして皆で練習を重ねた▼総会当日、晴れ舞台の応援に級友の母たちも出席。少女たちの熱演が花を添えた総会の雰囲気、会場の学会員との触れ合いを通し、母たちは学会理解を深めた。少女の父は後日、入会した。ただただ純粋な少女の心が、周囲に共感を広げ、広布を前進させた話に胸が熱くなった▼17日から未来部躍進月間が始まる。後継の人材を育むとともに、大人たちも学び、一緒に成長を刻みたい。

寸鉄 2021年7月15日
一歩の前進なくして千里の道は到達しない—恩師今日も勇気の炎燃やして
青葉の誓いは永遠!池田先生の東北初訪問70周年さあ師弟勝利の新章節を
新潟女性部の日。希望の励まし広げる創価の連帯立正安国の祈り強く前へ
人生の幸福とは他人のために生きること—文豪最も尊貴な我らの菩薩道
高齢者の転倒、住み慣れた自宅でも多く発生と。危険箇所の点検しっかり

〈社説〉2021・7・15 18日、ネルソン・マンデラ国際デー
◇"敵も味方に"の大誠実に学ぶ
18日は国連が制定した「ネルソン・マンデラ国際デー」。南アフリカ共和国元大統領で、ノーベル平和賞受賞者のマンデラ氏の誕生日であり、「行動を起こし、変革を呼び込もう」をテーマに、平和で持続可能な、かつ公平な世界の構築に力を合わせることの重要性を訴える(国連広報センター)。
氏と池田大作先生との会見は2度。最初は、氏が27年半もの獄中闘争を経て釈放されてから8カ月後の1990年10月。先生は「百年先、二百年先という未来を展望するとき、国家の発展の因を何に求めるか。それは『教育』である」「一本の高い樹だけではジャングルはできない」と信条を語った。氏は「きょう、ここで得た最大の"収穫"は、名誉会長の英知の言葉」と。会見での提案は、反アパルトヘイト(人種隔離政策)の闘争を伝える「ヒューマン・ライツ写真展」、同国団体の民音公演等で次々と実現した。
しかし同国で、全人種に等しく投票権が与えられた史上初の総選挙が行われるまでに、会見からさらに3年半を待たなくてはならなかった。マンデラ氏はこの間、内戦勃発も辞さない各種勢力に、命懸けで説得を試みている。
彼にとっての"教育"とは——。
「たとえ敵であっても教育するというのがANC(アフリカ民族会議)の方針だ。人は誰でも変わることができる。刑務所の看守であっても」。誠実さは一貫していた。支持者には、残虐な迫害に遭っても「君たちの任務は和解することだ」と説いた。極右勢力の白人将軍には、あえて彼ら迫害者の使用言語を用いて協力を訴えた。94年5月の大統領就任後には、主導権を得るため黒人同士の対立をあおった黒人リーダーを、大臣に任命。さらに、かつて自身に死刑を求刑した検察官までも、官邸での昼食会に招待している。
翌年、同国でのラグビー・ワールドカップ決勝戦では、黒人たちの憎しみの象徴だった白人チームのジャージと帽子を身に着けて登場。スタジアムには爆発的な「ネルソン」コールが鳴り響いた(ジョン・カーリン著、新田享子訳『二人のマンデラ』潮出版社)。
圧倒的な人格の力で世の中を変え、国をまとめたマンデラ氏。生涯の夢を達成するには、敵との対話による交渉しかないとの信念で突き進んだ。不可能を可能にした彼の大誠実に、大いに学びたい。

☆心に刻む御書 2021年の要文�——御義口伝
【御文】
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御義口伝、748ページ)

【通解】
師子吼の「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟が共に唱える音声をいう。「作」とは「おこす」と読む。末法で南無妙法蓮華経をおこすことをいう。

【池田先生の指針】
〈山本伸一は、青年たちに仏法で説く「師子の道」について教える〉
「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。
この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。
そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります。
戸田先生は、よく言われていた。
『伸一がいれば、心配ない!』『君がいれば、安心だ!』と。
私も今、師子の道を歩む皆さんがいれば、世界広布は盤石である、安心であると、強く確信しています」
(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)

☆励まし御書—人間革命の光で 何があっても前へ!—挑戦する一歩一歩に「心の財」が
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「何があっても前へ!」です。夢や目標に向かい努力する日々には充実がありますが、ときに目標に近づいているのか不安になったり、結果を焦る気持ちになったりすることもあります。しかし題目を唱え、挑戦する一歩一歩には「心の財」が積まれ、また、最後まで粘り強く前進してこそ、勝利も勝ち取ることができます。この"何があっても祈り前進する"信心の姿勢を、御書と小説『新・人間革命』を通して学んでいきたいと思います。(創価新報2021年6月16日付から)

◇御文
『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(四条金吾殿御返事<此経難持御書>、1136ページ)

◇通解
(妙法の信仰を)「受ける」ことは易しく、「持つ」ことは難しい。そうであるから、成仏は持ち続けることにある。

◇解説
「四条金吾殿御返事」は、文永12年(1275年)3月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の四条金吾に送られました。
この前年、金吾は主君を折伏したことで、主君から疎まれるようになり、その状況につけこんだ同僚から、卑劣な迫害が加えられました。
"信仰を貫いてきたのに、なぜ大難が雨のように降りかかるのか"——金吾の中に、こうした信仰の迷いが生じていることを聞かれた大聖人は、本抄で、法華経に説かれる「此経難持(此の経は持ち難し)」との文を示されます。
そして、掲げた御文の冒頭、妙法は「信受する」ことにもまして、「持ち続ける」ことが、さらに難しいと仰せです。
悪世の末法で正しい仏法を実践すれば、必ず難が競い起こります。ゆえに、妙法を持ち続けることは至難です。
しかし、いかなる困難にも"負けない心"で前進するところに、本当の仏の生命の輝きがあります。日蓮仏法において成仏とは、この仏の境涯を、一人一人が現実の生活の中で現していくことにほかなりません。
御文に仰せの「持つ」とは、広宣流布と人間革命の誓願を胸に、日々、仏法を"実践"していくことであり、大聖人は「持つ」、すなわち、何があっても仏法の実践を貫くことが、成仏の道であることを述べられました。
どんな時も、前へ前へと、信心の実践に励む「勇猛精進」の挑戦の中で、生命は躍動し、希望も勇気も智慧も、限りなく湧き出していくことができます。
信行学のたゆまぬ挑戦で、幸福勝利を築いていきましょう。

◇小説『新・人間革命』より
現実は、常に疾風怒濤である。順風満帆の人生などない。外から見ていてはわからなくとも、皆、何かしら深刻な悩みをかかえ、時に呻吟しながら生きているものだ。次から次へと、苦悩の怒濤は押し寄せて来る。
だからこそ、唱題なのだ! だからこそ、折伏なのだ!
地涌の菩薩の、仏の大生命を呼び覚まし、強い心で、大きな心で、豊かな心で、悠々といっさいを乗り越え、勝利していくのだ。(中略)
わが宿命は、わが使命となるのだ。ゆえに、信心で打開できない悩みなど、断じてない。叩きつける氷雨の激しさに、心が絶望の暗雲に覆われてしまうこともあるかもしれない。しかし、今日も、明日も、太陽は、燦々と輝き、昇っていることを忘れまい。大宇宙を貫く妙法に連なり、自らが太陽となるのだ。栄光と勝利の歓喜の輝きを放ち、幸の光彩をもって、一家を、さらに地域を、未来を照らし出していくのだ。
(第29巻「常楽」の章)

◇御文
『聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり』(阿仏房御書、1304ページ)

◇通解
あなたの身は、聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝によって飾られた宝塔なのです。

◇解説
「阿仏房御書」は、日蓮大聖人が、佐渡に住む阿仏房に与えられたお手紙です。
本抄で大聖人は、阿仏房から寄せられた「法華経に出てくる『宝塔』は、何を表しているのでしょうか」との質問に答えて、見宝塔品第11に登場する荘厳な「宝塔」こそが、南無妙法蓮華経と唱え、信心に励む、私たちの「一身」にほかならないことを教えられます。
一人の生命に、宇宙大の重みと輝きを見る——これが仏法の真髄です。
法華経に描かれる宝塔は、まわりを金・銀・瑠璃などの「七宝」で飾られています。宝塔を生命と見た時、経文上の「七宝」もまた、わが身に即した輝きとなります。
そのことを、掲げた御文で大聖人は"私たちの生命は「聞・信・戒・定・進・捨・慚」という七つの宝によって荘厳された宝塔である"と明かされました。
これは、仏法の修行における七つの要件を示したものです。すなわち、「聞」とは、妙法を聞くこと。「信」とは、妙法を信じること。「戒」とは、妙法の教えにより自らを律すること。「定」とは、妙法を根本に心を定めること。「進」とは仏道修行に励むこと。「捨」とは、信心を第一として"わがまま"を捨てること。「慚」とは、反省すべきは率直に反省し、たゆまず前進することをいいます。
私たちでいえば、これらは、信心根本に「人間革命」に挑みゆく、日々の学会活動にすべて具わっています。どこまでも、自らの心と実践が、わが生命を輝かせ、無限の可能性を開いていくのです。
華陽姉妹と共に、自身を磨き鍛える「福智の青春」を歩んでいきましょう。

◇小説『新・人間革命』より
(大阪・泉州での女子部総会の席上、山本伸一が語ります)
青春には、若さもあれば希望もある。それ自体が強さであり、特権です。ましてや皆さんは、自己の内面を磨き鍛え、最高に個性を輝かせていける信心という絶対的な法則を知り、実践している。ゆえに、他者に依存して幸福を求めるのではなく、自分に自信をもって、毅然と生き抜いていただきたい。女子部の年代は、生涯にわたる幸せの軌道を建設する時代といえます。その軌道をつくる力が信心であり、教学なんです。
生きることは、宿命との戦いです。宿命の問題を解決していく道は、生命の大法である仏法による以外にない。その意味からも、教学を学び、幸福への人生哲学を、しっかりと身につけていただきたい。また、自行化他にわたる信心で、友の幸せのために行動し、境涯を広げ、何があっても負けない生命の強さを培い、福運を積んでいってください。
(第29巻「常楽」の章)