2021年7月26日月曜日

2021.07.26 わが友に贈る

◇今週のことば
「無冠の友」の皆様の
尊き奮闘に心から感謝!
健康・無事故を祈ります。
希望の泉・聖教と共に
皆が価値創造の日々を!
2021年7月26日

生死一大事血脈抄 P1336
『天地陰陽日月五星地獄乃至仏果生死の二法に非ずと云うことなし』

【通解】
天地、(古来、中国で説かれる)陰陽、日月、五つの惑星、地獄から仏界までの十界の衆生は、生死の二法でないものはない。

名字の言 東北青年部の"一歩前進"の挑戦 2021年7月26日
有名な「千里の道も一歩から」とのことわざ。"非常に遠い距離"を意味する「千里」の道のりを実際に歩いたとしたら……▼約4000キロ(1里=約4キロ)を、歩幅50センチで踏破するには、実に「800万歩」を要する計算になる。はるかな遠征に踏み出す"第一歩"の重みを感じずにはいられない▼1951年(昭和26年)7月、当時23歳の池田先生が東北を初めて訪問。誕生間もない仙台支部の座談会では、先生の折伏によって8人の新来者が入会を希望した。この拡大の"第一歩"が、東北広布の目覚ましい伸展につながった▼それから70星霜を刻むこの7月、第2回「東北青年音楽祭」が開催された。音楽祭のために設けられた専用ウェブサイトには連日、多くの友からメッセージが寄せられた。出演する子や孫の奮闘に感化された両親や祖父母たちも、自身の成長を誓っていた。第1回の音楽祭を見て感動し、今回は出演者となった未来部員も決意をつづっていた。東北青年部の、自身の壁を破る"一歩前進"の挑戦の姿が、多くの同志に清新な決意の息吹を送っていた▼私たちの地道な一歩一歩の足跡が、偉大な創価の大道を築いていく——。そう確信して、"生涯青年"の気概で勇躍の日々を歩もう。

寸鉄 2021年7月26日
本当に偉大な人生は広布に尽くすこと—戸田先生立正安国の使命に胸張り
長野女性部の日。幸福の太陽はわが胸中に輝く!さあ朗らかに友情を拡大
勝利の一歩は信頼できる同志の核をつくること—博士。地道な激励、今日も
表情や声のトーンは言葉以上に重要—心理学者。出会い一つも漲る生命で
台風6号に続いて8号が接近の恐れ。気象情報等に意識を。備えも忘れず

〈社説〉 2021・7・26 名著に光る先人の知恵と経験
◇「生きる力」を育む読書を
「読書って、何でも人ごとではなく自分事にできる感性を養う上で、とても大切」とは、出版科学研究所所長・加藤真由美さんの言葉だ(本紙7月7日付)。これは「相手の身になって考えられること」にも通じるという。
作家の吉岡忍氏は、コロナ禍を生きる現代人は「時間の尺度が変わっている」と指摘する(同5月5日付)。疫病の災厄と奮闘する故に、先人たちの辛苦の経験を<自分事>として学べるのだ。
氏は、史書『続日本紀』の内容を踏まえつつ、天然痘の大流行による政治と社会の大混乱を、仏教を根底に超克しようとした聖武天皇の治世(奈良時代)を解説。「千年以上も前の出来事を生々しく読み解けるなんて、めったにない状況にいるのです」と語っていた。
また「今こそ実感を伴って」読める西洋の古典として、ペストが猛威を振るった14世紀の名作、ボッカチオ著『デカメロン』を推奨。
この小説は、ペスト禍を逃れて郊外の館にこもった男女10人が語る物語である。描かれる疫病下の凄惨さ、聖職者を筆頭とする当時の乱倫の活写も、世の混迷と破壊から立ち上がるのに必要な総括といえまいか。そう捉えれば、コロナ禍の今、大災厄からの脱却と再生への希望を託した文学として読めるのである。
吉岡氏は、「暮らしや生き方の糧にする読書」こそ「危機の時代における、まっとうな本の読み方」とも強調していた。今こそ、優れた古典作品を味読したい。
創価学会の第2代会長・戸田城聖先生は、「古今東西の名作を読むということは、古今東西の得がたい経験を積むことと同じです」と、青年たちに語った。『水滸伝』を教材に、<人物を見抜く力>について指導した際、人生経験で自然に身に付けるだけでなく、小説を深く読んで、人物に対する眼を開くことの大切さを教えた。さらには、作者の思想と作品の時代背景を見極めることが、小説をよく読むということだ、とも。
古今東西の名著には、先人たちの豊かな知恵と経験があふれている。だが、それを汲み出せるかどうかは、今を生きる私たちが、自分自身の人生と社会に、どう向き合うかにかかっている。
目前の課題に挑み、向上を目指すからこそ、琴線に触れる一書と出あえる。爽快に学び、自身の生きる力を育む夏にしよう。

☆「新・人間革命」は希望の光源 第9回
◇「いまだこりず候」と走り抜く
〈1958年(昭和33年)7月、学会の全責任を担う、ただ一人の総務だった山本伸一は、新潟から佐渡に向かい、旧習深い地域で戦う友を励ました〉
伸一は、佐渡の同志の使命について言及していった。
「話は変わりますが、塚原の三昧堂があったとされる場所や、一谷など、大聖人ゆかりの地には、いずれも、大聖人の御精神に違背した、日蓮宗の寺院が立っております。
そこには、真実の日蓮仏法はありません。精神の廃墟にすぎない。大聖人が魂魄をとどめられたこの佐渡の地に、まことの日蓮仏法を、大聖人の大精神を復興させ、佐渡を最高の"幸福島"にしゆくことこそ、わが創価学会の使命であります。佐渡島の広宣流布があってこそ、日本の広宣流布があると、私は申し上げたいのであります。
佐渡が広宣流布の先駆となるために大切なことは、まず、皆さんの心のなかにある、"無理だろう""そんなことができるわけがない"といった、あきらめを打ち破ることです。大聖人は佐渡に流罪されるなどしても、『いまだこりず候』(御書1056ページ)と仰せになっているではありませんか。
また、力を出す要諦は団結です。反目があったり、心を一つにすることができなければ、本当の建設はできません。
さらに、大聖人が佐渡から広宣流布の指揮を執られたように、自分たちが日本の広宣流布を担うのだとの心意気で、広く島の外にも目を向けることです。ひとたび、広布の戦いとなれば、海を渡り、全国各地を走り回るんです。
そうした勢いがまた、地域広布の活力になっていきます」
(第11巻「躍進」の章)

◇相手の琴線に触れる智慧の対話
〈1957年(昭和32年)8月の夏季ブロック指導で、山本伸一は東京・荒川区の指揮を執り、1週間で区の会員世帯の1割を超える弘教を成し遂げる〉
「この一週間という短期間で、未曾有の拡大を成し遂げるには、まず、『智慧』が必要です。
皆さんは"先月だって、先々月だって、精いっぱい折伏をしてきた。もう限界だ。折伏する相手などなくなってしまった"と思っておられるでしょう。
実は、それを壁というんです。では、その壁は、どこにあるのか。皆さんの心のなかです。自分でつくったものなんです。
本来、私たちの周囲には、折伏すべき人はたくさんいます。ただ、話すきっかけがつくれなかったり、一歩踏み込んだ深い対話ができずにいる。そこで大切なのが、智慧です。
どうすれば仏法対話ができるのか。相手の琴線に触れる語らいができるのか——智慧を絞って考えるんです」
(中略)
「ともすれば一度ぐらい話をしただけで、"あの人はだめだ""この人は無理だ"と思い込んでしまう。でも、人の心は刻々と変わる。いや、執念の対話で、断じて変えていくんです。
それには自分の話し方に問題はないか、検討してみる必要もあります。
たとえば、家庭不和で悩んでいる人に、病気を克服することができると訴えても、関心は示さない。病気の人に商売がうまくいくと訴えても、共感はしません。
相手が納得できるように、いかに語るか——これも智慧なんです。
さらに、同志の方々のなかには、友人はたくさんいるのに、確信も弱く、うまく話すことができないという人もいるでしょう。そうした人と先輩が組んで、折伏にあたるという方法もあります。
ともかく、智慧は、本来、無尽蔵なんです。その智慧が不可能を可能にするんです。そして、智慧というのは、断じて成し遂げようという懸命な一念から生まれます。必死の祈りこそが、智慧を生む母なんです」
伸一はさらに、智慧がわいたら、それを行動に移す「勇気」が不可欠であることを訴えた。(第17巻「民衆城」の章)

◇勝負すべき時に戦ってこそ幹部
〈1975年(昭和50年)11月、諸行事に出席するため広島入りした山本伸一は、広島文化会館で全国の各部リーダーに語った〉
「広宣流布の活動を進めるうえで、大事なことは、幹部の率先垂範です。命令では人は動きません。全同志を心から包容しながら、自分の実践を通して、共に活動に励もうと、呼びかけていくことです。
実践の伴わない観念的、抽象的な話では、人の心は打たない。しかし、行動、体験に裏打ちされた話には、説得力があり、共感を覚えます。この"共感"が、勝利の大波を広げていくんです。ゆえに、幹部は、常に自らが、真っ先に動くことです。
また、戦いに臨んだならば、幹部には、勝利への執念と、自分が一切の責任をもつのだという気迫が、ほとばしっていなければならない。皆が一丸となって勝負すべき時に、幹部でありながら、本気になって戦おうとせず、事の成り行きを静観しているような態度は、最も卑怯だと、私は思う。
それは、皆のやる気を失わせ、師子身中の虫となるからです。大聖人が『日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し』(御書1337ページ)と仰せの姿です。その罪は重いと言わざるを得ない」(第22巻「命宝」の章)