2021年7月2日金曜日

2021.07.02 わが友に贈る

「日蓮が一門は
師子の吼るなり」
破邪顕正の言論戦こそ
日蓮仏法の真髄だ。
堂々と真実を叫び抜け!

月水御書 P1202
『仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし』

【通解】
仏法の中の隨方毘尼という戒の法門がこれにあたる。
この戒(随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである。

名字の言 破竹の勢いは「必死の一人」から 2021年7月2日
東京・目黒区の住宅街を歩いていると、美しい竹林が目に飛び込んできた。碑文谷の「すずめのお宿緑地公園」。風が竹林を吹き抜けると、サラサラという心地よい音に包まれた▼案内板によると、目黒は昭和初期まではタケノコの里だった。園内には江戸時代の古民家があり、農村だった頃の雰囲気を伝える。竹林にはたくさんのスズメがすみ、朝早くどこへとなく飛び立ち、夕方に群れをなして戻るので、「すずめのお宿」と呼ばれた▼竹はしなやかで強い。強風にも負けない。節が強度を高めているからだ。ある文豪は一本の竹を人の一生、連続する竹の節を人生の出来事に例えた。逆境という節目を勝ち越えた人は確かに強い▼竹の強さは目に見えない土の中にもある。地上では、竹は一本一本が独立して生えているように見えるが、地下の根っこ(地下茎)で全てつながっている。「信心の世界も同じです。根っこの部分——心が同じであり、目的が同じであってこそ、一人一人が天を突く勢いでまっすぐに伸びていける」と池田先生は語る▼広布も人生も、破竹の勢いで進みたい。御書に「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(1046ページ)と。破竹の勢いは「必死の一人」から生まれる。

寸鉄 2021年7月2日
いまはただ前進あるのみ闘争あるのみ—戸田先生栄光のゴールへ全力疾走
大田よ猛然と攻め切れ!最後に勝つのがわれらの真骨頂!全同志がエール
王者・足立が更に猛追!勝負の決め手は勢いだ。総力の対話で連続勝利を
荒川が勇戦!最強の民衆パワーで怒濤の進撃を!大空に響け。感激の凱歌
墨田・新宿・品川が反転攻勢!執念の拡大が急務。逆転へ押し上げ断じて!

〈社説〉 2021・7・2 全国安全週間がスタート
◇油断排し「深き用心」忘れまい
毎年7月1日から7日は「全国安全週間」。職場での安全に対する意識を高め、安全を維持する活動の定着を目的として実施され、本年で94回目となる。
労働災害を防止するため、産業界を中心に自主的な活動を推進。今年は「持続可能な安全管理 未来へつなぐ安全職場」と掲げて、意識啓発を進めている。
厚生労働省のまとめでは、2020年の労働災害による死亡者数は、3年連続で過去最少だったという。
一方で、休業4日以上の死傷者数は13万人を超え、2002年以降で最多に。職場での新型コロナ感染症の罹患も、その数を押し上げている。
陸上貨物運送業では、常に交通安全は課題であるが、コロナ禍で宅配便の利用などの増加に伴い、荷役作業中の墜落や転倒も増えている。転倒事故は、小売業や社会福祉施設でも増加している。
こうした"労災"を防ぐ努力は、決して職場だけの問題ではない。
安全に働ける労働環境を整えることは、安心して暮らせる社会をつくることに通じる。
安全性を高める意識は、日常生活でも不可欠だ。
一つは交通事故の防止である。過労や睡眠不足等の状態で、車を運転しても、させてもならない。
いわゆる「ながらスマホ」も厳禁だ。不注意が重大事故につながることは統計的にも明白である。
次に、健康維持も注意点だ。
夏本番を迎え、特に留意したいのは熱中症である。
コロナ禍でマスク着用は当たり前となったが、マスクなしの場合より、心拍数や呼吸数、体感温度が上昇するなど身体に負担がかかるという。
高温や多湿の環境下では、熱中症のリスクも高まる。喉が渇いていてもいなくても、小まめな水分補給を心掛けよう。
夏場となれば、食中毒にも厳重注意だ。食事を準備する際、細菌を「つけない」「増やさない」、加熱などで「やっつける」を意識して防いでいきたい。
御書には「心にふかき・えうじん(用心)あるべし」(1176ページ)とある。
池田先生は、この御文を通し、「無事故は即、勝利である。油断しないことが、事故を起こさない根本だ。『深き用心』を忘れてはいけない」と強調した。
私たちは強盛な祈りで、「事故を起こさない」「事故に巻き込まれない」と一念を定め、自他共の幸福勝利へ勇んで前進しよう。

☆御書の旭光を 第38回 幸福の拡大はブロックから
〈御文〉
『寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき』(持妙法華問答抄、467ページ)

〈通解〉
寂光の都(=仏国土)でないならば、どこも皆、苦の世界である。仏の覚りの住処(=境地)を離れて、どんなことが楽しみとなるだろうか。

〈池田先生が贈る指針〉
苦悩の渦巻く社会に「寂光の都」を築く聖業が広宣流布だ。その最前線を担う尊きリーダーこそ、ブロック長であり、白ゆり長である。
御本仏は最も地道にして最も偉大な実践を全て御照覧である。「本覚の栖」たる胸中の仏界を涌現する人生に、行き詰まりはない。わがブロックの同志と「今生人界の思出」を共々に!

☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:言葉の暴力
登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。

◇草の根の対話で人権教育を推進
ミライ ツイッターやLINEなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をはじめ、インターネット上での誹謗中傷が社会問題になっているね。

ホープ 匿名による書き込みが、脅迫や殺害予告に発展するなど、相手を精神的に追い込み、命を奪ってしまう事例もある。指(キーボード)による行為から、「指殺人」とも呼ばれているんだ。
「言葉の暴力」は、身体的な暴力以上に子どもの脳に大きいダメージを与える、との研究もあるんだよ。子どもへの「ネットいじめ」は、2019年度、過去最多の1万7924件(文部科学省調査)に上り、5年間で約2倍にも増えているんだ。けれども、その全容はうかがい知れないといわれているんだ。

ミライ 誰もが手軽に情報を発信できて、ネットは便利だけど、言葉は、時に「凶器」のように人の心を傷付けてしまう。

ホープ 日本では今年の4月、被害者を救うために、インターネットで誹謗中傷を行った人を特定しやすくする法律が成立するなど、対策が進められているんだ。

◇憎悪の根を絶つ
ミライ 去年、コロナ禍の不安に便乗して、世界各地でデマや差別的言動が広まったよね。私は特に、アジア系市民への偏見から、直接的な暴力にエスカレートしていった事件報道を見て、胸が痛んだよ。

ホープ 日本でも近年、特定の人種や民族などに対するヘイトスピーチ(憎悪表現)が問題視されているね。こうした憎悪に基づく表現が、どんなに危険なことか。
「憎悪のピラミッド」論を知っているかな。段階的に問題が過熱する構図を示したもので、�偏見による態度�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)と、憎悪が増大する中で、事態は深刻の度を増すというんだ。「言葉の暴力」とは、いわばピラミッドの下層——偏見による態度や行為に結び付いているから、厄介なんだよ。

ミライ 他者に対して、自分がどんな偏見を持っているか、なかなか気付けない。無意識にひどい言葉を口にしてしまうこともあるね。これは、自分と異なる存在に、どう向き合うかが問われているのかな。

ホープ 世界人権宣言の第2条では、人種、皮膚の色、性、言語、宗教などに基づく差別を禁じているよ。誰人にも、何ものによっても侵されてはならない「尊厳性」があるとうたわれているんだね。

ミライ 「表現の自由」「言論の自由」の名の下に、他者の尊厳を侵害してはいけないということね!

◇差異を超えて
ホープ 日蓮大聖人は、「災いは、口から出て身を破る。幸いは、心から出て自身を飾る」(御書1492ページ、通解)と仰せだよ。
仏法では、自分の行いの報いは必ず自分が受ける、と生命の因果を説き明かしているんだ。だから言葉の暴力は、他者だけでなく自分をも傷付ける行為なんだよ。
さらに、自ら気付かないうちに抱く偏見によって、言葉の暴力に加担する危険性が私たちにもあることを真摯に見つめる必要があるんだ。

ミライ なるほど。自分自身を省みない姿勢に、問題の根があるようだね。コロナ禍で現れた「自粛警察」が、その例だね。歪んだ正義感が過激になって、結果的に人を追い詰めてしまう——。どうやったら、人権を尊重できる社会になるのだろう?

ホープ 池田先生は次のように述べているよ。
「ある集団の中に排他的で暴力的な志向を強める人々がいたとしても、集団全体を敵視することは憎悪の連鎖を招くだけであり、あくまで大切なのは、"いかなる排他的で暴力的な行為にも明確に反対する人々の連帯"を堅固にする努力を、あらゆる差異を超えて社会全体で押し上げていくことではないでしょうか」(第39回「SGIの日」記念提言)
こうした視座を養うためにも、国連では2005年(平成17年)から「人権教育のための世界プログラム」を進めているよ。ここでは現在、「青少年」に焦点を当て、「ヘイト(憎悪)及び差別」と戦うことなどを目指しているんだ。SGI(創価学会インタナショナル)も長年、このプログラムの推進に参加しているよ。

ミライ SNSが当たり前の現代の子どもたちにとって、人権教育はとても大切だね。大人の私たちも学ばないといけないよね。

ホープ 戸田記念国際平和研究所のケビン・クレメンツ所長は、「異なる集団のメンバーが頻繁に交流を行うと、信頼が築かれて協力をしやすくなる傾向があり、相手に暴力的な行為をする可能性が低くなるとの結果が示された」と語っているよ。
相互理解・尊重・信頼を育む、草の根レベルの多様な結び付きが求められるんだね。その意味で、胸襟を開いて言葉を交わし合う「対話」が、一段と重要になってくるんだ。

◇御文
『わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる』(十字御書、1492ページ)

◇メモ
心ない言葉は、人の心を傷付けてしまいます。それは、他者の尊厳を軽視する「傲り」によるものです。仏法では、他者を傷付けることは、自らの生命に悪業として刻印されるので、"身を破る"と説かれています。
反対に、真心からの励ましの言葉は、人の心を軽やかにし、希望の灯をともします。そして、自身の生命に善根として刻まれ、幸福の果報をもたらすのです。

[コラム:"いま"を知る]手書きの魅力
"会いたくても会えない家族や友人に、心を込めた手紙を書きたい"——コロナ禍の「巣ごもり需要」で、ペン字の練習用書籍の売れ行きが好調のようだ。
メールやSNSが全盛の今、気持ちを伝える工夫ができているか考えさせられた。手書きの文字には、パソコンなどでは出せない個性がある。手間も掛かる。だからこそ、相手の心にも届く。
御書には、「文字というのは一切衆生の心法が表れた姿なのである。それゆえに人の書いたものをもって、その人の心根を知って判断することがある」(380ページ、通解)とある。この一節では、「色心不二」の法理から文字を捉えている。現象(色法)は、心の働き(心法)と密接不可分と見るので、文字は書く人の境涯を投影していると見るのだ。
仏法では、文字や言葉、声を重んじている。なぜなら、人と人を結び、幸せにする力があるからだ。この一点に、創価の「励まし運動」の原点がある。