2021年7月24日土曜日

2021.07.24 わが友に贈る

人材育成の王道は
共に広布に動くことだ。
友の幸福と勝利を願う
真心は必ず通じる。
誠実に関わり続けよう!

立正安国論 P24
『如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』

【通解】
災難を根絶するには、かの千万の祈りを修めるよりは、この一凶を禁じなければならない。

名字の言 未来っ子と良書に挑もう 2021年7月24日
「一般に若い頃に旺盛だった読書熱というものを、年をとっても持ちつづけている人はまことに少い」。批評家の小林秀雄氏は論じた▼本を読む暇がないことは、誰でも気が付く。だが、本を読もうとする心がなくなったことに、人は気付かない、と氏は述べる。だからこそ、「自ら進んで読み方の工夫をしなければならぬ」と▼例えば、一流作家の全集を読んでみる。すると、代表作以外にも、"こんな言葉があったのか"との驚きがある。その感動が、作者との新たな出あいになる。氏は、作者の思想を少しでも吸収しようとする姿勢から、読書の工夫が生まれると指摘した(『読書について』中央公論新社)▼現代は"夜がなくなった"といわれる。携帯やパソコン、ゲームなど、夜の時間を消費できるものが幾つもある。子どもたちの周囲に娯楽があふれる時代だからこそ、大人が読書の喜びを伝え、率先して本に触れることが大切だろう▼少年少女部「きぼう作文コンクール」、中・高等部「読書感想文コンクール」の応募が始まった。池田先生は「栄養を与えるほど、木は大きく育つ。同じように、魂にも『滋養』を与えることである。そのためには読書である」と。未来っ子と共に、良書に挑む夏としたい。

寸鉄 2021年7月24日
生きている事が楽しい、これ信心の極致—恩師。生命力満々と今日も前へ
拡大の旋風起こす男子部大学校生頼もし。自分に勝ったと言える歴史残せ
「孝養の人を世尊となづけ給へり」御書。信心を貫く事が真の親孝行なり
小中学生が夏休み。勉強、読書、スポーツに楽しく挑戦!健康第一で大成長
平成生まれ初の横綱誕生不撓不屈の勇姿が人々に感動を。我らの人生劇も

〈社説〉 2021・7・24 子どもの"スマホ依存"に注意
◇親子の語らい深める夏休みに
多くの学校で夏休みが始まっている。期間が短縮された昨年とは違い、今年はコロナ禍前と同等の日数となる。行事の中止や日常生活の制約などで我慢を重ねる子どもたちのためにも、価値的で有意義な期間にしたい。
昨日、東京五輪が開幕した。在宅時間が増える夏休み中、一流アスリートの熱戦を伝えるテレビ中継と共に、若い世代を"くぎ付け"にするのはスマートフォン(スマホ)かもしれない。
東京都の調査によると、小中高生を持つ保護者の約半数が、コロナ禍の中で「子どものインターネット利用時間が増えた」と回答。特に動画視聴やメッセージアプリ、オンラインゲームに割く時間が増加したという。また、「トラブルが増えた」と答えた保護者に具体的に聞くと、「注意しても長時間使用するようになった」との回答が最も多かった。
利便性が年々向上するスマホだが、何に使うにも子どもが"依存状態"に陥らないよう、「使用時間を決める」「生活リズムを乱さない」など、親子で明確なルールを話し合うことが大切だろう。
さらに、子どもが会員制交流サイト(SNS)のトラブルに巻き込まれないよう注意を払いたい。
警察庁によると、昨年1年間にSNSで犯罪被害に遭った18歳未満の子どもは1891人。有害サイトの閲覧を防ぐ「フィルタリング」の利用の有無が分かった人のうち、9割弱が機能を設定していなかったという。政府広報は保護者に対して、フィルタリングとともに、スマホの機能を管理・制限できる「ペアレンタルコントロール」の活用も呼び掛けている。
特に、小学生の被害は2017年に比べて約2倍に増えており、看過できない。子どもの被害を防ぐためにも、保護者がネットリテラシー(インターネットを使いこなす力)を身に付け、日頃から家族でSNSに潜む危険性を学び合い、安全対策に取り組みたい。
池田先生は、情報化社会の負の側面として、「情報量の増大とは裏腹の言葉の空洞化、(中略)そこから必然的にもたらされる、人間を人間たらしむる対話力の衰退」を挙げ、警鐘を鳴らしている。
夏休みは親子の語らいを深め、楽しい思い出をつくる絶好機だ。知恵と工夫を凝らしながら、地域の創価家族も一体となって"未来の宝"を育もう。

☆池田先生の指針——広布の山を一緒に登ろう
昭和31年(1956年)12月のことである。戸田先生は、仙台指導の折、東北のラジオ局のインタビューに応じられた。
インタビューのなかで、戸田先生は、「創価学会に青年が多いのはなぜか」について、こう答えられた。
「学会に青年が多いのは、哲学が深いからです」と。
端的に急所を突いた、鋭く、深い、鮮烈な答えであった。
指導者は、こうでなければならない。パッと聞かれたら、パッと明快に答える。歯切れよく、わかりやすく、「なるほど」と、印象に残る話をする。それが「力」である。
戸田先生は「若い青年は、それ(哲学)を究めようとする。究めようとすれば、ますます山が高くなってくる。だんだんと山に登りますから、楽しみも増えるというわけです。ですから、青年は、ついたら離れないのです」と。
仏法は、「宇宙」と「生命」の法則を完璧に説ききっている。人間の宿命、生死の問題を解決する大法である。観念ではなく、現実に根ざし、社会をリードしていく哲学である。仏法は、いかなる思想、哲学よりも奥が深い。
その仏法を実践する求道の青年を、戸田先生はだれよりも愛しておられた。青年への慈愛がほとばしるインタビューのやりとりをうかがいながら、私は戸田先生の偉大さをあらためて痛感した。
先生は「私も、自分自身も、その道を歩んでいるのです。ただ一歩先か、二歩先かの問題です。"山を究めた"と言っているのではないのです。"山をめざして一緒に歩こう"と言っているのです」と。
「山をめざして、一緒に歩こう」——これが戸田先生のお心であった。上から傲慢に見おろしたり、命令主義になることなど、まったくなかった。

仏法の世界は、皆、平等である。私も同じ精神である。
「広宣流布の山」も、一つの峰を踏破すれば、またさらに、大いなる展望が広がる。そして新たな峰をめざして、皆で朗らかに、上へ上へと登っていく。これが私どもの人生であり、最高に張り合いのある生き方である。

◇喜び勇んで苦難に挑め!
インタビューの最後に、戸田先生は、「いちばん大きな喜びは何ですか」との質問に対して、「どこにいても生きがいを感じ、喜んで生きていけることが、うれしい」と答えられた。
世間は無常であり、一時の栄誉も喜びも、すぐに変化してしまう。しかし、仏法の法則だけは、永遠に不変である。結局、自分の人生に、この「永遠にして最高の軌道」をもっているか否か——この一点こそが、最も重要となる。
大事な人生である。ただ空しく遊び暮らして、一生を終わらせてしまうのも自分。偉大な仕事に取り組み、幸福の充実感を得るのも自分しだいである。
先日、ある人が言っていた。「いよいよ夏。どうせ暑さに汗をかくのだから、私は偉大なことに汗を流そう」と。こうした張りのある人、喜びをもって生きる人は、いつも若々しい。
どうか、この最高に誇りある道を、広布の「山」へ向かって、一緒に進みぬいていただきたい。
日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せである。
広布の人生は、「大歓喜」の人生である。
さらに、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)——流罪の身ではあるが、喜悦は計り知れない——。
「御勘気をかほ(蒙)れば・いよいよ悦びをますべし」(同203ページ)——権力による処罰を受けたので、いよいよ喜びを増すのである——。 
「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)——大難が来れば強盛の信心(の人)は、いよいよ喜んでいくべきである——と。
また、竜の口の法難のさいにも、門下の四条金吾に「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)——これほど喜ばしいことではないか。笑いなさい——と仰せになっている。
苦難があれば「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)——これが大聖人の教えである。
挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。さっそうと戦っていく。これが仏法の真髄である。人生の究極の生き方である。
"喜べない人生"は不幸である。「また活動か」(笑い)、「またか」「たいへんだな」(笑い)などと、いつも下を向き、苦しい顔をして、文句や批判ばかり。これでは御書に反してしまう。
すべてに「喜び」を見いだしていける人。すべてを「喜び」に変えていける人。その人こそ「人生の達人」である。
「佐渡御書」には、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同958ページ)——賢人、聖人は罵って、本物かどうか試みるものである——と仰せである。
どんな批判をも耐えぬき、それでも悠々と喜びの人生を送っていけるかどうか——そこに本当に偉大な人かどうかの分かれ目がある。
すべてに喜びを見いだしていく——自分が喜べば、周囲もさわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。

◇"新しい夜明け"を開きゆけ
大聖人は、「種種御振舞御書」で仰せである。
「日蓮によ(依)りて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」(同919ページ)
——日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まる。たとえば、家に柱がなければ保てず、人に魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である——と。
「日本国の存亡は日蓮によって決まる」——大聖人直結の私どもは、この烈々たる御確信を忘れてはならない。
戸田先生は、この御文を講義されて、仏意仏勅のままに進む学会の誇りを語られた。
「この創価学会を倒したならば、日本の本当の繁栄はないのです。創価学会こそ日本の国の柱であり、眼目です」と。
これが戸田先生の確信であり、ご遺言である。
学会は、日本の動向を決する「柱」であり「魂」である。学会があればこそ、「新しき世紀の夜明け」を開くことができる。この大いなる確信と誇りに燃えて進んでいきたい。

☆創価学園「栄光の日」の集いへの池田先生のメッセージ
◇「探究」「挑戦」で価値創造の力を鍛えよ
一、激しい雷雨を越えた空にかかる虹は美しい。
わが学園生は、この1学期、打ち続く試練にも胸を張って、友と励まし合い、走り切ってくれました。
青春の心の大空に、希望の虹、友情の虹、勝利の虹をかけゆく「栄光の日」、誠におめでとう!

一、今日は一点、「地球民族の未来へ、虹のスクラムを!」と申し上げたい。
全ての人種が平等に生きる「虹の国」を目指して歴史を転換した人権の大英雄が、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領です。創価の青年たちとの出会いを心から喜ばれていた笑顔が蘇ります。
7月18日は、その誕生日の意義を留める、国連の「ネルソン・マンデラ国際デー」と制定されています。実に27年半、1万日に及ぶ獄中闘争を貫き、人種隔離政策を撤廃し、今も人類を励ましてやまない、この正義の巌窟王の原点は、一体、何であったか。
それは、若き日に尊敬する長老から学んだ人間学でした。利害が対立し、議論がぶつかり合う地域の会議で、長老はずっと黙して皆の意見に耳を傾けていました。そして最後に口を開き、一人一人に寄り添いながら、皆が納得する合意点へと導いていったのです。マンデラ青年は、その知恵と信念の姿を心に刻み、「根気よく耳を傾け」「自分の意見を述べる」(『自由への長い道——ネルソン・マンデラ自伝<上>』東江一紀訳、日本放送出版協会)実践を重ねていったのです。
私たち学園の校訓に掲げられた「真理を求め、価値を創造する」、また「信頼と協調を重んずる」、そして「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって実行する」精神とも一致します。
私も皆さんの創立者として、マンデラ元大統領をはじめ世界中の知性と、あらゆる差異を超えて対話を重ね、平和の虹をかけてきました。
どうか、若き創価の世界市民の皆さんは、探究の心を大きく開いて、全てが勉強だと生き生きと学んでいってください。
そして、良き学友たちと、それぞれの個性を伸び伸びと磨き合いながら、色とりどりの虹のスクラムを広げ、先人たちが夢に見た地球民族の平和と共生の未来へ、希望の光を放っていただきたいのです。

一、今年、生誕150周年を刻んだ牧口先生は、どの青年も素晴らしい可能性を輝かせ切っていけるよう励まされました。そのために、自分の得意なことを伸ばすとともに、不得意なものにも挑戦する。そこに自分の価値が発揮される、と教えられたのです。
さあ、勉学に語学に、読書にスポーツに、思う存分に挑んで、価値創造の力を鍛えゆこう! 大変な社会情勢の中、皆さんを支えてくれている尊き御家族に、くれぐれもよろしくお伝えください。みな、健康・無事故で!

◎東京オリンピックが開幕
第32回夏季オリンピック東京大会の開会式が23日夜、東京・国立競技場で無観客で行われた。東京での五輪開催は1964年大会以来、57年ぶり2度目。北朝鮮を除く205の国・地域(ロシア選手は個人資格)、難民選手団を含めて約1万1000人の選手が参加する。
開会式で日本は男女の旗手を起用。バスケットボール男子の八村塁選手(ウィザーズ)とレスリング女子の須崎優衣選手(早稲田大学)に率いられて入場行進。33競技に1060人(選手583人、役員477人)と、史上最大の選手団になった。
大会は8月8日までの17日間。史上最多となる33競技339種目で熱戦が繰り広げられる。