2021年7月31日土曜日

2021.07.31 わが友に贈る

御書を繙けば
希望と勇気が漲る。
無限の智慧が湧き出る。
困難に直面した時にこそ
「行学の二道」で進もう!

撰時抄 P266
『日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし』

【通解】
日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難にあうであろう。

名字の言 "自らの最高峰"を目指して 2021年7月31日
23日に開幕した東京オリンピックも、きょうで折り返し。連日、手に汗握る熱戦が展開され、列島に歓喜と感動を広げている▼柔道男子73キロ級では、大野将平選手が前回大会に続く連覇を達成。死闘を制した強さもさることながら、特に印象的だったのは試合後に彼が口にした一言だった。「(五輪開催に)賛否両論あることは理解しています。ですが、我々アスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば、本当に光栄に思います」▼それは全ての選手の思いを代弁する言葉だったに違いない。コロナ禍による延期から1年。開催に向けて誰よりも悩み、苦慮してきたのは、ほかならぬ選手たちである。その中でさまざまな試練を乗り越え、大舞台に立つ日を迎えた彼らを純粋にたたえずにはいられない▼五輪という最高峰に挑むアスリートは、日頃から自身の限界突破への努力を惜しまない。そんな一人一人が本気でぶつかり合うからこそ、見る者の心を揺さぶる瞬間が何度も訪れるのだろう▼東京五輪の後半戦も日本勢のメダルラッシュに期待が高まる。大会の大成功を祈るとともに、応援する私たちも"自らの最高峰"を目指し、今いる場所でベストを尽くす「挑戦」と「前進」の一日一日を過ごそう。

寸鉄 2021年7月31日
「礼儀いささか・をろかに思うべからず」御書。誠実こそ人間外交の要諦
全国の受験生よ頑張れ!弛まぬ努力の人に栄冠。青春の労苦は人生の宝と
炎天下の車内に子どもの放置は厳禁。短時間でも危険が。一瞬が命取りに
5人に1人に睡眠障害の悩み。就寝前の携帯が影響。メリハリある使用を
再生可能エネルギー拡大を最優先—経産省。持続可能な社会へ英知を結集

〈社説〉 2021・7・31 "発明王"に学ぶ
◇挑戦の心で わが夢を現実に!
きょうは「蓄音機の日」。1877年、アメリカの発明家・エジソンが、開発した蓄音機(録音機)の特許を取得した日だ。本年は、この"発明王"の逝去から90年の節目でもある。
夏休みを迎え、未来部では「E—1グランプリ」をはじめとする各種コンクールが、学生部では伝統の教学実力試験などの取り組みが行われる。夏は日々の研さんで培った力を発揮するとともに、さらなる向上への挑戦を起こせる機会といえよう。
若き友にとって、不断の行動で「発明」という創造に生涯をささげたエジソンの生き方から学ぶことは多いのではないだろうか。
その多彩なアイデアの源には、少年時代にエジソンが手に取った一冊の科学入門書の存在があったといわれている。当時の最新の科学理論と、「科学が社会の役に立つ」という主張が込められた著作だったようだ(『大人が読みたいエジソンの話』石川憲二著、日刊工業新聞社)。
エジソンは、発明家としてだけでなく、それらを商品化して売り出すビジネスマンとしても成功を収めている。ただ技術を形にするだけではなく、人々の生活にどう役立てられるのか。夢やアイデアと、現実を結び付ける考え方が、彼には幼い頃から培われていたのかもしれない。
「1パーセントのひらめきと99パーセントの努力」という名言があるように、その"ひらめき"を実現するため、何度失敗しても諦めないのがエジソンだった。
池田先生は、「『みんなの生活を便利にしたい』と強く思ったからこそ、劣等生と言われたエジソンは発明王になれた」と『未来対話』の中で語っている。自分が納得できるまでやり続ける努力の陰には、"役に立ちたい"との強い目的意識があったからこそ、"粘り強さ"が生まれたのではないだろうか。
目標への途上には、つい避けてしまいたくなる課題や思わぬ失敗もあるかもしれない。そんなときこそ"何のため"との原点に返り、"成長へのチャンス!"と前向きに捉え、少しずつでも進んでいきたい。誰が見ていなくても大きな志と地道な行動の積み重ねが、必ず自身の成長につながっていく。課題を冷静に見つめながら、わが理想に向かって"挑戦の夏"を駆け抜けよう!

☆励まし御書—人間革命の光で 歓喜光る華陽の青春—師との誓いを胸に勝利の前進
◇御文
『明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く』(四条金吾女房御書、1109ページ)

◇通解
明るいことでは、日月(太陽と月)に過ぎるものがあろうか。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがあろうか。法華経は、日月と蓮華のようである。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのである。

◇解説
「四条金吾女房御書」は、文永8年(1271年)5月、日蓮大聖人が鎌倉で認められ、四条金吾の妻・日眼女に送られました。
大聖人は本抄で、当時、出産を間近に控えていた日眼女に、強盛な信心の大切さを述べられ、包み込むように励まされます。そのなかで、妙法がどれほど偉大な、希望と幸福の絶対の法則であるかを明かされているのが、今回学ぶ御文です。
"太陽や月ほど明るいものはない。蓮華ほど清らかなものはない"——大聖人は、法華経は日月と蓮華のように、末法の闇を照らす大法であるゆえに、「妙法蓮華経」と名づけるのだと仰せです。
妙法には、いかなる暗闇も照らす太陽や月のように、「元品の無明」という生命の闇を打ち破り、仏界の最高の輝きを開きあらわしていく根源の力があります。泥の中にあって清らかに花を咲かせる蓮華のように、どんなに厳しい現実にも染まることなく、煩悩(悩み)を菩提(悟り)へと浄化し、凜然と勝利の花を咲かせていく大いなる力があります。
私たち一人一人の生命もまた、この最も明るく清らかな「太陽」と「蓮華」の妙法の当体です。
ゆえに、大事なことは、どんな時も、自分自身の「華陽」の生命を、信じ、開き、輝かせていく、「人間革命」の挑戦です。そのための究極の力こそ「南無妙法蓮華経」の題目です。
はつらつと題目を唱え、無限の希望を胸に、師弟勝利の青春を前進していきましょう。

◇池田先生の指針から
闇を照らしゆく太陽は、最も明るい。泥にも染まらない蓮華は、最も浄らかである。(中略)
若くして、大仏法を受持した女子部の皆さんの生命もまた、最も明るい「太陽」のごとく光り輝き、最も浄らかな「蓮華」のごとく咲き薫っていくのだ。そのための青春の信仰である。
「華陽会」という名前それ自体に、仏法上の甚深の意義が込められている。
そして、「女子部は一人も残らず幸福に」と祈り抜いてきた、戸田先生と私たち夫婦の願いが凝結していることを、知っていただきたいのである。(中略)
わが女子部の皆さんは、自分自身が、一人ももれなく、「幸福の太陽」である。
ゆえに、自らの境遇を嘆く必要もなければ、人をうらやむ必要もないのだ。
題目を朗々と唱えながら、明るく朗らかに、自分らしい生命の光を、勇気凜々と、そして、自信満々に放っていけばよい。
(女子部指導集『華陽の誓い』)

◇御文
『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(御義口伝、788ページ)

◇通解
初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は、歓喜の中の大歓喜である。

◇解説
日蓮大聖人が、法華経の「貧人は此の珠を見て 其の心は大いに歓喜し」との文について述べられた一節です。
法華経の五百弟子受記品第8では、釈尊から成仏を保証された声聞たちが、歓喜して、自分たちが得たものを「衣裏珠の譬え」として語ります。
——ある貧しい男(声聞)が、親友(仏)の家で食事をした後、眠ってしまった。その間、急用ができた親友は、男の衣の裏に"すばらしい宝珠"を縫い付けて出掛けた。目を覚ました男は、宝珠には気付かず、他国へ旅に出るが、その日暮らしで、いつも生活に苦しんだ。やがて男と再会した親友は、貧しいままの姿を見て「一体どうしたのか。君が旅で困らぬよう、あの時、君の衣の裏に宝珠を縫い付けたのだよ」と言った。男は驚き、自分の衣の裏に宝珠を見つけ、大歓喜した——。
経文には、声聞たちが譬えの中で述べた"宝珠"とは「仏の智慧を求める心」だと示されています。すなわち、宝珠を衣の裏に見つけることは、自分も仏と同じように「人々を救う使命」があると目覚めることであり、大聖人はこの譬えを通して、わが心が「本来の仏」だと自覚することが、生命の「大歓喜」であると述べられました。
「仏の智慧を求める心」を授ける——弟子の一人一人に"あなたも仏の生命を開いていける""あなたにしか果たせない使命がある"と教えているのが、仏法の師匠です。この師の教えを胸に、自分らしく"地涌の使命"を果たしていきたいと、題目を唱え前進するとき、生命は「歓喜の中の大歓喜」に躍動し、無限の力を発揮していくことができます。
歓喜の祈りを根本に、日々を勝利していきましょう。

◇池田先生の指針から
きょうは、青年の皆さんに、「『地涌大歓喜』の青春を舞いに舞い征け」と申し上げたい。(中略)
大聖人は、「初めて自分の心が本来の仏であると知ることを、すなわち大歓喜と名づける。いわゆる南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜である」(御書788ページ、通解)と示してくださっております。
題目を唱えることは、「わが生命は仏なり。妙法の当体なり」と目覚めていくことです。汝自身は、決して無力な、弱く小さな存在などではない。大宇宙と一体の、最も偉大な仏の力を発揮していける尊極の生命なのだと、自覚することなのです。(中略)
今、打ち続くコロナ禍にあって、日本も、世界も、若者が先の見えない不安や絶望、無力感や諦めに覆われている中で、若き地涌の君たち、あなたたちが「歓喜の中の大歓喜」の生命を躍動させて、英知の探究と正義の行動の青春を勇気凜々と舞いに舞い征くことこそ、人類の未来を照らす限りない希望なのであります。
(2021年1月、第1回青年部幹部会へのメッセージ)

2021年7月30日金曜日

2021.07.30 わが友に贈る

「よし、やろう!」
自発・能動の行動に
真の歓喜と躍動がある。
自ら定めた目標に向け
自らが誇れる一日を!

開目抄上 P189
『一念三千は十界互具よりことはじまれり、法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや』

【通解】
一念三千は十界互具からはじまる。しかるに法相宗と三論宗とは、八界を立てて十界を知らない。いわんや十界具を知るよしもないではないか。

名字の言 沖縄で交通方法が変わった日 2021年7月30日
"沖縄730"——1978年7月30日、米国統治以来、沖縄で続いていた車の右側通行が、日本式の左側通行へ変わった。この対策の中心を担った久高弘氏は"準備で泣いて本番で笑え"と、2年前から徹底した準備を行った▼国内初の事業に、氏は独自の方式を考案。新たな左側用の信号機や道路標識・標示を設置後、カバーなどで覆い、前夜から当日朝までの8時間で一斉に切り替える方法である。雨天でも可能な万全の態勢を整えた▼ところが、台風接近による悪天候で当日の作業は難航する。時間が迫る中、氏は責任者を励まし、現場の作業員を信じた。"県民の命に関わる事業を必ずやり遂げる"と挑んだ彼らの不休の努力で切り替え工事は完了した▼いかなる分野であれ、未聞の偉業を可能にするのは中心者の不屈の心であり、団結の力である。日蓮大聖人は「城の主剛ければ守る者も強し」(御書979ページ)、「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし」(同1135ページ)など、広宣流布の戦いはリーダーの一念によって決することを繰り返し教えられている▼広布や人生の途上には、行く手を阻む困難が必ずある。日々の祈りという準備と覚悟、試練に立ち向かう勇気で、勝利の道を開きたい。

寸鉄 2021年7月30日
宗教というのは体験する以外に分からない—牧口先生。実践が仏法の生命
創価の励まし運動は進むべき社会の道標—博士。試練の今、人間の絆固く
飲食節ならざる故に病む—御書。賢き食と正しきリズムで猛暑乗り切ろう
勇敢であれ!そうすれば自然に道は開ける—首相若師子よ勇み広布拡大へ
五輪・パラ「公式HP」の類似サイト多数と。ウイルス感染も。呉々も注意

〈社説〉 2021・7・30 国際フレンドシップ・デー
◇世界平和は目の前の一人から
先日、感染症対策を十分に講じた上で、友人としばし懇談することができた。いまだマスク無しで会うことはかなわないが、やはり友と過ごす時間は、何ものにも代えがたく大切な瞬間だ。
きょう(30日)は、「国際フレンドシップ・デー」。人、国、文化の間で育まれる友情が、平和を促進し、人と人とを結び付けてくれることを再認識する日として、国連によって制定され、今年で10年を迎えた。友達に感謝を伝えることや、さらに友情を広げるのも良いだろう。また友情について考える機会にもしたい。
友達とは——。青春時代に誰しも少なからず悩むことがあるだろう。その上で、一口に友達といっても、その考え方は多様化してきている。
ネット上のみでコミュニケーションを取る友達が「いる」と回答した未成年者が4割にのぼるという民間調査もあるほど、直接会ったことのない友人の存在が一般的になりつつある。「いつも一緒にいる」「よく会う」ことが、友人の条件とは限らない。
また、友達が少ないこともネガティブ(否定的)なものとせず、むしろ一種のステータス(社会的地位)と考える風潮も昨今では目立つようになってきた。
価値観が揺れ動く現代だが、「友情」とは何かと改めて考えるとき、それは時代の変化で色あせたりするものではないはずだ。
池田先生は、偉大な友情の模範として革命小説『永遠の都』のロッシとブルーノの関係を挙げる。『青春対話』では、さらに「上中下の友情」を語っている。下の友情は、いわば"一緒に楽しんでいこう"という友情。中の友情は、目的を共有した"励ましの友情"。そして上の友情は、"同志のつながり"であり、「たがいに命をかけていく友情」であると。
また、「小さな世界の中の友情であったとしても、全世界の友情につながる。同じ『友情』であり、違いはない。『一人』の本当の友人をつくることが、『世界』の平和へと通じている」とし、深い友情を積極的に結んでいく積み重ねが平和をつくっていくことを示している。
仏典には釈尊が「自ら話し掛ける人」だったとある。目の前の一人と友情の絆を結ぼう。その勇気の一歩、真心の一声が世界平和につながると希望を持って。

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第7回「札幌・夏の陣」 「もう一歩」との前進が勝利を呼ぶ
【短期決戦の要諦】
一、団結
一、スタートダッシュ
一、中心者の鋭き一念
(「随筆 勝利の光」<「札幌・夏の陣」から50年>)

◇万端の事前準備
1955年(昭和30年)8月16日、北海道の札幌駅。青年室長の池田大作先生を中心とする、派遣隊一行が列車で到着した。
"戦いは勝ったよ!"
出迎えた同志に対し、先生は高らかに宣言した。
この夏、全国45カ所で折伏活動が展開された。先生は札幌の派遣隊の主将として指揮を執り、札幌班は、8月16日からの約10日間で、388世帯という"日本一の弘教"を達成。燦然と輝く「札幌・夏の陣」の広布のドラマが刻まれたのである。
この闘争の勝利の要諦は、そのまま"短期決戦"の指針となっている。
その一つが、万端の事前準備である。6月末、札幌市担当の責任者として、先生の派遣が決定。先生は、札幌班の班長に手紙を送った。
「札幌は、全国に先駆け、三百世帯以上の本尊流布を」(7月9日)
「全員が、何十倍の下種を為して居く必要があると思います」(8月3日)
手紙の内容は、同志への温かい励ましと共に、目標の共有や、どうすれば目標を達成できるかとの具体的な方法、全体のスケジュールに及んだ。
札幌班では先生からの手紙を回覧し、着々と手を打っていった。札幌市を東・西・南・北・中央と五つの区域に分けて、幹部の担当を明確にした。詳細な日程表も作られた。
8月16日、先生に同行した派遣メンバーは、拠点となる会場に着いて目を丸くした。弘教の推進状況を分かりやすく書き込める棒グラフまで、きちんと用意されていたからである。先生の札幌駅での勝利宣言は、単なる"願望"や"決意"ではなかった。誰よりも心を砕いた準備によって、すでに勝っていたのである。
御聖訓には、「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(御書183ページ)とある。この御文を拝して、先生は強調した。「戦いを決するのは全軍の勢いである。それには、戦闘開始と同時に全力疾走できるだけの、万端の事前の準備、緻密な作戦が絶対に不可欠だ」

【「若き日の日記」1955年(昭和30年)9月25日から】
泥沼に咲く、
蓮華の花とは、
吾々のことである。

◇自ら友のもとへ
「札幌・夏の陣」の一日は、早朝の御書講義から始まった。「経王殿御返事」「上野殿御返事」等々——毎朝の勤行が終わると、池田先生が講義を行った。
「生死一大事血脈抄」の「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか」(御書1338ページ)の御文を引いて、こう語った。
「大闘争を展開する、待ち合わせの場所と時間が、昭和三十年八月の札幌だったんです。皆さんは、それぞれが貧乏や病の宿命を断ち切り、妙法の偉大さを証明するために、この法戦に集ってこられた。その強い自覚をもつならば、力が出ないわけがありません」
先生の講義によって、一人一人が、闘争の意義を心から納得し、意気軒高に対話に打って出ることができた。この"勝利のリズム"は、翌年の「大阪の戦い」の原型となった。
先生が短期決戦で示したのは、リーダーが、率先垂範で友のもとへ動くことだった。1分1秒も無駄にはできない。人を待つのではなく、自ら打って出て、北の大地を駆け巡った。その姿が、同志を奮い立たせた。
先生は、分かりやすい言葉で仏法の確信を語ってくれた。同志の対話が実らず、悔しさで身を震わせながら拠点に戻った時、先生が「お帰り」と温かく迎え入れてくれたこともあった。常に同志と同じ目線に立ち、励ましを送ってくれた。
先生は、移動している時も題目を唱えた。先生を案内した幹部は、事故を心配しているのかと勘違いし、こう言った。
「運転は確かですから大丈夫ですよ」
先生は答えた。
「私は、きょう会場に集まった人が皆、仏法に縁できるように祈っているのです」
先生の一念は、短期決戦にあって、"いかに仏縁を拡大できるか""皆が勝利と幸福をつかめるか"にあった。
「一分一秒が惜しかった」「移動中も、"札幌の同志に勝利を!"と題目を唱え続けた。短期決戦は、一日たりとも空費できない。一日一日が珠玉の時間である。一日一日が渾身の勝負だ」

◇これからが肝心
8月16日に火ぶたを切った「札幌・夏の陣」。一日一日と拡大の勢いを加速させ、20日には、目標としていた300世帯の弘教を達成した。一つの目標を完遂しても、札幌班の拡大の勢いは止まらなかった。
8月21日早朝、緊急幹部会を開催。夏季折伏の活動も後半戦に入り、先生は、同志の労苦をねぎらいながら語った。
「これからが肝心で、気を緩めることなく、全力を尽くして悔いのない闘争を展開し、有終の美を飾りたいものです。すべては、御本尊様がご存じです。皆さんが大功徳を受けることは間違いない」
この時、誰よりも疲労を重ね、体調が悪い中で奮闘していたのは先生自身であった。食欲がなく、水やジュース、ミカンの缶詰を口にする日々だった。
あるメンバーが、新来者を連れて会場に来たことがあった。先生は疲労のため休憩中だった。しかし、状況を聞いた先生は、さっそうと対話の場に入り、真心あふれる語らいの中、友人は入会を決意した。
「『一人くらいは』という油断と慢心から、破綻が始まる。一人を大切にし、『もう一歩』と前進し続ける所は、団結もより強固になり、それまでの労苦と困難を、すべて勝利と福徳に変えていくことができる」
8月24日夜、札幌班大会が行われ、388世帯の弘教が報告されると、歓声に包まれた。くしくも、この日は池田先生の入信記念日。戸田先生が出席した、この総会で札幌班は、晴れて地区に発展したのである。
恩師の故郷・北海道で師弟勝利の金字塔を打ち立てた翌月、池田先生は、さらなる弟子の決意を記す。「(戸田先生に)生涯、お供することこそ、吾が本望。これで、今世の使命達せられん」(『若き日の日記』、1955年9月27日)。"生涯、師と共に戦い抜く"——師弟の広布旅は、連続闘争である。
今夏、先生が「築こう難攻不落の三代城」との指針を北海道に贈ってから30年を刻む。三代城の地に、学会創立100周年に先駆ける、新たな師弟共戦の物語が始まる。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第17回 貢献の人こそ勝利者
地域のために尽力する壮年部の存在こそ、広宣流布の原動力です。地域貢献の大切さについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集107ページから110ページを抜粋)。

〈壮年が地域広布の総仕上げを〉
(山本)伸一は、壮年部が地域に積極的に関わり、活躍する時こそ、地域広布の総仕上げの時代であると考えていた。
学会にあっては、草創の時代から、地域での活動の推進力は、主に婦人であった。家事や育児などに追われながら、学会活動に励むとともに、隣近所のために心を尽くし、交流を重ね、地域に信頼の基盤を広げてきた。
しかし、二十一世紀には、いよいよ壮年部が、本格的に地域へ躍り出る時代が到来するのだ。壮年の力で、学会の盤石な組織を築き上げ、さらに、地域社会のかかえるさまざまな問題の解決にも真っ向から取り組み、わが地域に人間共和の城を築き上げていくのだ。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」)

〈「地域」で頑張った人が王者〉
地域・郷土を大切にし、自分の心魂に植え付け、そこから離れない、忘れない。それが学会伝統の強さである。
「地域」である。どんなところでも、そこで頑張った人が王者である。今いるその場で、仏になるのである。(中略)
「地域」で勝つ人が、最も人間らしい、人生の本当の勝利者だと思うが、どうだろうか。
(『池田大作全集』第94巻、本部幹部会でのスピーチ)

〈「福徳の地盤」をつくる〉
職場も地域も学会の組織も、自分自身の大切な地盤であり、修行の場である。三世間でいえば、「国土世間」の「国土」にあたる。
この地盤の上に、自分の使命を開花させ、人材を育てゆくのである。その場を「わが本国土」として、人間の連帯を広げ、永遠に輝く広宣流布の歴史をつくっていくのである。
行ったところ、行ったところで、がっちりと根を張って、心血を注ぎ、揺るぎない地盤をつくる人は強い。その人は自分自身の永遠の「福徳の地盤」をつくっているのである。
(『池田大作全集』第87巻、男女青年部幹部会でのスピーチ)

〈皆が幸福の軌道に〉
三世の生命という鏡に照らせば、自分が会い、仏縁を結んだ人々は皆、生々世々、自分の眷属となっていく。面倒をみた人が皆、自分を守ってくれる諸天善神と変わる。
たくさんの人の面倒をみた人は、必ず生々世々、大指導者となっていく。自分だけでなく、その人々をも、幸福の軌道へと導くことができる。
また、広布のために歩き、行動した地域は、すべて自分自身の金剛不滅の幸福の地盤となっていく。
(『池田大作全集』第89巻、本部幹部会でのスピーチ)

2021年7月29日木曜日

2021.07.29 わが友に贈る

親戚や故郷の友人と
旧交を温め合おう!
電話や手紙等も活用し
信頼と友情の絆を
一段と強める夏に!

聖人等御返事 P1455
『各にはおづる事なかれ、つよりもてゆかば定めて子細いできぬとおぼふるなり』

【通解】
あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず、正しい経緯が明らかになると思います。

名字の言 戦争のための正義など存在しない 2021年7月29日
「逃げ水を 先鋒にして 進軍す」。かつて中之島の大阪市中央公会堂で開催された「平和の一句・朗読会」で、俳人の黛まどかさんが詠んだ句だ▼「逃げ水」は、蜃気楼の一種。太陽に熱せられた舗装道路や草原の遠くに水たまりがあるように見える現象のこと。冒頭の句からは、暑い中を進軍する兵士が、喉の渇きを堪えている姿を想像する▼第2次世界大戦の時、軍部政府は「大東亜共栄圏」を掲げ、"平和のための戦争"と称した。その大義自体が幻影であった。戦争は人間の尊厳を踏みにじり、手段化する。戦争の現実を前に正義など存在しない。全て"蜃気楼"だ▼自己の欲望のためには、他者の犠牲も厭わない。この生命に潜む闇を、仏法では「元品の無明」と説く。人間の善性を薫発しながら、平和と共生の時代を築くことが宗教の使命。自身の人間革命を起点とする創価の民衆運動の目的も、ここにある▼御書に「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751ページ)と。戦争の悲劇を繰り返さないためには、制度面からの規制とともに、一人一人の胸中に生命尊厳の思想を打ち立てることが肝要である。私たちの立正安国の対話は、人類の宿命を転換する先駆の実践——その誇りで挑みたい。

寸鉄 2021年7月29日
外交を自分の一生の地盤とせよ—恩師。じっくり語る好機!心結ぶ対話へ
「衆流あつまりて大海と」御書。日々の積み重ねが歴史となる。今日も挑戦
創大・短大のオンライン見学会、事前予約受付中。世界市民の揺籃へと来れ
夏休みはSNSで犯罪被害に遭う子ども多しと。親子で携帯使用の規則を
水難の半数は死亡事故。甘く考えず。天候や体調に留意し遊泳区域も順守

〈社説〉 2021・7・29 未来部 夏のコンクール
◇"努力と挑戦の金メダリスト"に
未来部の各種コンクールの夏がやって来た。今年は2年ぶりに「E—1グランプリ」「E—1フェスティバル」も行われることとなり、絵画や作文と併せて、未来っ子たちの奮闘のドラマが、家庭や地域で繰り広げられる。
8月下旬まで緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置が取られている地域もあり、外出での思い出づくりが難しい家庭もあるかもしれない。だが今夏は、テレビで観戦する東京オリンピック・パラリンピックのアスリートたちの激闘の姿や歓喜の涙が、子どもたちの心にも響くものとなるだろう。
夏休みにおける各種コンクールへのチャレンジは、多忙な学期中では、なかなか持つことのできない自己表現や思索の機会である。
実際、小学生では8割以上が習い事をしており(2019年)、二つ以上掛け持ちしている子は5割を超えるという。中学・高校生になると部活動が始まり、7割以上が「練習は週5日以上」といわれる。さらに受験を見据えて早くから学習塾に通うことも珍しくない(学研教育総合研究所ほか調べ)。
ゆえに、学校が長期休暇となる夏休みこそ、自分の考えを深めたり、感じたことを文章や絵画に表現したりする時間をつくりたい。そのためにも、家族や担当者のサポートが欠かせない。
神奈川のある少女部員は、ダンス教室に通い、最近まで体操と水泳も習っていた。少年少女部の合唱団ではリーダーを務める。忙しい中でも、夏のコンクールに進んで取り組んできた。作文は決して得意ではなく、演技も苦手だという。「だけど苦手だから、頑張って上達した時はうれしいし、自分の気持ちを表現するのが楽しい」。彼女の家庭では小さい頃から家族で勤行し、忙しい中でも池田先生のことを語り合う時間をつくってきたという。
未来部伝統のコンクールの淵源は1970年6月、池田先生が未来部員との懇談の際に、「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい」と語ったことにある。コンクールへの挑戦は、未来っ子たちの「考える力」「表現する力」を養うものであり、それは、先が見えない時代に"自分なりの答え"を生み出す価値創造の源泉となる。
皆が自身の可能性を大きく開き、"努力と挑戦の金メダリスト"となれるよう応援したい。

☆御書の旭光を 第44回 人間主義の光で地球を照らせ
〈御文〉
『日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり・多宝の証明も・なにかせん・十方の諸仏の御語も妄語となりなん』(単衣抄、1514ページ)

〈通解〉
日蓮が日本国に出現しなければ、仏の金言も虚言となり、多宝如来が「法華経は真実である」と言った証明も、何の役にも立たない。十方の諸仏の言葉も、うそとなるであろう。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏の忍難弘通の大闘争によって、法華経の真実は証明された。その直系として難を勝ち越え、御書に示された立正安国・世界広布を実現してきた創価学会の誇りは高い。
仏法の慈悲は大変な時にこそ光る。人類の危機の時代に仏勅の学会は出現した。不安と分断の闇を払い、平和と共生の地球社会を築きゆくのだ。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 介護に携わって 2021年7月20日
テーマ:介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」をテーマに、大阪府の婦人に話を聞いた。

◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(開目抄、234ページ)

◇通解
私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。

◇生命の輝きは永遠に 認知症の二人の母
夫の母親と、自分の母親。阿部京子さん=吹田市、吹田摂津総県副女性部長=は、広布の草創期を担った"信心の先輩"でもある二人の認知症に向き合っている。
      ◇
同居していた義母が傘寿を迎える頃、物忘れが頻繁になり、診察した医師から認知症であることを告げられた。
「"まさか"でしたよ。おかあさんは教員を定年まで勤め上げた後も、友人との交流や学会活動に、活発に取り組むほどの人でしたから」
しばらく症状は穏やかだったものの、変化は急激に起こった。
阿部さんが県婦人部長(当時)として広布の活動に励んでいた、夏のある日。
「夜中にふと気付くと、家の中に、おかあさんがいないんです。慌てて、夫や子どもたち、家族総出で捜し回って。『老い』の現実を突き付けられたようで、ショックでした」
その後も徘徊は続き、24時間、目が離せないような状況に。どれだけ厳重に施錠しても家を出てしまう。時には、何キロも離れた隣の市まで行っていたこともあった。
次々と押し寄せる現実に「あれこれ考える余裕はなかった」と阿部さん。食事や排せつの介助など無我夢中で向き合った。
ある時、夜中に徘徊していた義母を公園で見つけ、「何をしているの?」と尋ねると、義母はとびきりの笑顔で「お花を摘んでいるの」。
「はっとしました。私は"おかあさんが幸福な晩年を送れるように"と祈っていたのですが、おかあさんの中には、すでに幸福な時間しか流れていなかったんだなあと思えて。認知症といっても、生命の輝きが失われるわけではないんですね」
その後、周囲のアドバイスもあり、義母は近くの介護施設に入所した。休む暇もなく、今度は、阿部さんの母の認知症にも向き合うことになる。
奈良で暮らしていた父が病を患い、母には軽度の認知症があったため、二人を吹田市へ迎え、父は近くの病院に入院。母はデイサービスを利用しながら在宅で介護することにした。
「母も、次第に『できないこと』は増えていくんですが、どんなに老いても"女性"なんですよね。きれいな服を着せたりすると、とても喜んでくれて」
数年後、父は85歳で他界。母も自力で歩くことが困難になっていき、認知症も徐々に進行。在宅での介護が難しくなったことから、やがて介護施設に入所することになった。
義母の時も、実母の時も「施設に入れて寂しい思いをさせてしまうのでは」と心苦しかったという。「でも母は、施設で知り合った方々に自然と仏法を語って、励ましているそうなんですよ。ケアマネジャーも『いつもニコニコしていて、皆の人気者ですよ』って。
おかあさん(義母)も、施設をわが家だと思っているみたいで、会った時には穏やかな笑顔を見せてくれます。
そんな二人を見ていると、人生の最終章には生命の中にあるものが全部、出るんやなあと思います。生命は磨き続けなあかんなあと」
大正生まれの義母と実母は今年、共によわい99を数える。過酷な戦渦を乗り越え、家族のために献身しながら、共に学会員として、池田先生と一緒に広宣流布に「わが人生」をささげてきた。今も共戦の歴史を織り成している。
そんな母たちに、介護を通して向き合ってきた阿部さんは、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)との御聖訓に、二人の姿を重ねる。
「何があっても御本尊を疑わず、地道に信心を貫いた人は必ず『仏界にいたる』——。母たちを見ていると、その確信が一段と強まるんです。私に信心を教えてくれた母たちに、介護で尽くせるのは、娘である私のせめてもの"恩返し"。母たちに笑顔の晩年を送ってもらうことは娘の務めだと思っています」

人は誰しも「老い」を迎える。それは避けがたい事実だ。
しかし阿部さんは、「もともと元気だった母たちが、次第に衰えていくという現実は、なかなか受け入れられなかった」と明かす。
徘徊や下の世話、また、認知症状の進行で人が変わったようになるなど、今までにないことが立て続けに起こり、当初は戸惑いもあったそうだ。それでも——。
「宿縁深い『親』であり『同志』であることは、変わりません。義母も実母も、今世で信心に巡り合い、私たち子や孫に、師弟の精神を教えてくれました。そして最後に、正しい信心を貫き通した人が、どれほど幸福に人生を総仕上げしていけるのかを、『同志』として身をもって教えてくれている。そう思えたら、尽くせることに感謝しかないです」
池田先生は語っている。
「『第三の人生』で、周囲に何をあたえ、残していくか。それは、財産や名誉や地位などいっさいをはぎ取った後に、生死を超えて厳然と残る"人間としての生き方"しかないのです。(中略)大切なのは、生きているうちに、どれだけ『生命の質』を高めることができるかです。(中略)自行化他の修行に励み、南無妙法蓮華経と唱え抜いた思い出は、三世に永遠です。たとえ認知症になっても消えることはない。厳然と『魂の日記帳』に綴られているのです。人生の最高の誉れは、学会活動です。人のために祈り、動くことで、自分も幸福になる。これほどの価値ある人生はないのです」(池田先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
生身の体は老いていく。しかし、妙法を唱え抜いていくなら、三世永遠に崩れることのない幸福境涯を必ず築いていくことができる——。信心一筋に生きてきた阿部さんと母たちのドラマが、そのことを鮮烈に示していた。

[教学コンパス]
厚生労働省によると、2012年時点で国内における65歳以上の認知症有病率は15%に達しており、団塊世代が75歳以上になる2025年には高齢者の5人に1人が認知症になると推計される。誰もが長寿を喜び合えるような高齢社会を、いかにして築くか。
仏典で釈尊は、"老いや病の人を見た人々が、それがやがて自らも直面するものであるにもかかわらず「忌むべきもの」としている"と示している。釈尊のまなざしは、老いや病などを意図せず差別してしまう、人々の"心のおごり"を鋭く見つめていたのだ。
「法華経」に生命尊厳の象徴として登場する宝塔。その姿を通し、「御義口伝」には「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740ページ)と仰せだ。妙法の力によって、生老病死という四苦さえも、自身の生命の宝塔を輝かせていく糧へと昇華できるのである。人生のいかなる労苦も全て、自らを最高に飾っていく宝に——この「価値創造」の希望の哲理を広げることが「幸齢社会」の礎となろう。

2021年7月28日水曜日

2021.07.28 わが友に贈る

朝に勝てば一日に勝つ!
清々しい勤行・唱題から
生命力満々に出発しよう。
聡明な生活リズムこそ
充実の人生を歩む鍵だ!

四条金吾殿御返事 P1193
『何となくとも殿の事は後生菩提疑なし、何事よりも文永八年の御勘気の時既に相模の国竜の口にて頚切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをばいつの世にか思い忘るべき』

【通解】
なにはともあれ、あなたの未来世の幸福境涯は間違いない。なによりも、文永8年のあの御勘気の時、相模の国の竜の口で私の頸が切られようとした時にも、あなたは馬のロにとりついて、はだしで供をし、泣き悲しまれた。そして、私が頸を切られることが現実となってしまったならば、自分も腹を切ろうとの様子であったことを、いつの世にも思い忘れることができようか。

名字の言 「さわる」と「ふれる」の違い 2021年7月28日
日本語の「さわる」と「ふれる」——英語ではどちらも「touch」と訳されるが、微妙に意味が異なる▼広辞苑を引くと、「さわる」には「感触を確かめる」とあり、「ふれる」には「ちょっとさわる」とある。「さわる」が一方的なのに対し、「ふれる」は気持ちや意思を確認する意味合いが含まれているととれよう。「ふれる」の方が控え目だが豊かな関わりだ▼文学博士の伊藤亜紗氏は、現在のコロナ禍にあって、「さわる」を避けようとして、「ふれる」まで捨ててしまうことを危惧する(『手の倫理』講談社選書メチエ)。対面であれ電話であれ、人との心の触れ合いがあってこそ、日常の生活に希望や歓喜が生まれる▼ある男子部員は一昨年10月、部長の任命を受けた。"全員とつながろう"と決め、感染予防を徹底しながら訪問激励に歩いた。会うことが難しい時期には、自筆のメモを残すなど"心をつなぐ"ことに力を注いだ。オンラインを活用して毎週、会合を行い、先月は対面で10人のメンバーが笑顔で集い合った▼御書に「信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし」(1072ページ)と。信あるところ智慧は無限に湧いてくる。工夫を凝らし、心と心が「触れ合う」機会をつくりたい。

寸鉄 2021年7月28日
青年育てる学会には未来を開く力がある—議長。わが地域に後継の大河を
「弥信心をはげみ」御書。仏法は常に今ここから!新たな目標を定めて前へ
未来部の各種コンクールを応援!鳳雛の成長こそ希望。挑戦の思い出皆で
やる気を出すには「まず始める」こと—精神科医。決意即行動で鍛えの夏に
台風による河川の増水や土砂災害等に警戒。無冠の皆様も決して無理せず

☆全国女子部大会 池田先生ご夫妻のメッセージ
◇最極の哲理で和楽の園を
広宣流布と立正安国の新しい時代の門を勢いよく開いて、晴ればれと結成70周年の記念の大会、誠におめでとう!
御本仏・日蓮大聖人が、健気なる創価の女子部の大健闘を、いかばかりお喜びであられるか。皆、本当にありがとう!
御聖訓には「民の愁い積りて国を亡す」(御書1004ページ)と喝破されております。
だからこそ、民衆一人一人の愁いを晴らして、生きる希望と喜びを広げゆく生命尊厳の哲理がどれほど大切であるか。
大聖人は、女性の門下へ送られた「法華経題目抄」で「妙の三義」を示されました。
すなわち——
第一に「妙と申す事は開と云う事なり」(同943ページ)
第二に「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(同944ページ)
第三に「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947ページ)
若くして妙法を唱え行ずる皆さんの生命それ自体が、この「開く力」「具足・円満の力」そして「蘇生の力」の当体です。
ゆえに、どんなに厳しい人生と社会の局面にあっても、断じて行き詰まりません。必ず必ず自他共に打開していけるのです。
どうか、苦しい時も楽しい時も、大宇宙の最極の幸福のリズムである題目を忘れず、自らの仏の生命を勇敢に開き、身近な足元から聡明に和楽と平和を創り広げて、あの友もこの友も、あの地もこの地も歓喜あふれる蘇生へと導いていってください。
私と妻の心から離れることのない、戸田先生の師子吼に、「人類は、『女性の幸福』に焦点を定めて、歩みを変えていかねばならない。そのためにも、若き女性が確固たる哲学を持つことだ。いかなる宿命にも負けない、強き生命力を持つことだ」と。
恩師の願われた、この「女性の幸福革命」を、これからの十年、いよいよ、わが本門の華陽姉妹が世界の友と旭日のスクラムで、明るく仲良く朗らかに成し遂げてくれることを祈り確信して、メッセージとします。
一人ももれなく健康と福運と勝利の青春であれと祈りつつ。

☆全国女子部大会 「7・19」に寄せて——池田先生が認めた書・句・和歌
・1978年の7・19「女子部結成記念日」を祝賀して、池田先生がしたためた「青春桜」の書
・1978年の7・19「女子部結成記念日」を祝賀して、池田先生がしたためた「女子部の日 十年先は 女王かな」の句
・女子部結成40年となる1991年の「7・19」を記念し、池田先生が詠み贈った和歌。「女子部の日 この日は広布と 学会の 誓い込めたる 師弟の日なるか」

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第6回「大阪の戦い〈下〉」 信心と団結でしか勝てぬことを忘れるな
【大逆転劇への心得】
一、執念で勝つ
一、喜び勇んで勝つ
一、団結で勝つ
(「随筆 希望の大道」<庶民の勝利が学会精神>から)

◇リーダーが先頭に
大阪の名菓として知られる粟おこしは、米を細かく砕き、水あめで固めたお菓子だ。
1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」の折、池田先生は関西の同志と粟おこしを口にし、"粟おこしは団結の姿です"と、ユーモアたっぷりに語ったという。小さな一粒一粒も、一つにまとまったとき、名菓になることを団結に例えたのである。
「団結」こそが、広宣流布の短期決戦における最重要の勝利の要諦であることを、先生は何度も、関西の同志に訴えた。
ある時、一人の婦人が先生に悩みを吐露した。リーダーとして、どのように活動を進めていけばよいのかが分からない、と。先生は扇子を取り出した。
「扇子は、"要"が回転して開いていきますね。皆を動かそうとするのではなく、あなた自身が戦い、成長していけばいいのです」
団結とは、皆を動かすことではない。リーダー自らが先頭に立って、祈り、動き、語っていくことから生まれることを力説した。
先生は団結について記している。
「堅固な団結は、必ず各人の『境涯の拡大』をともなう。広宣流布の回転に心を合わせれば、自分中心の小さなエゴの殻を破っていけるからだ」
激戦の中、東京からの派遣幹部と地元幹部に感情的なもつれが生じた。「小さなエゴ」にとらわれていた。先生は、互いの言い分を聞いた後、厳しく諭した。
「意見の衝突はよい。しかし、感情の衝突は喧嘩です。これほど味方の戦力を潰すものはない」
組織の中で起こる非難・中傷は、ことごとく"魔の仕業"であることを強く説いた。
先生の指揮のもと、大阪が大躍進を遂げる一方、東京は苦戦を強いられていた。先生は、「信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな」「われは、断じて関西で指揮をとる。東京の闘争に栄光あれ」(『若き日の日記』、1956年4月10日)と、東京の同志に呼び掛けるかのように書きとどめた。

【「若き日の日記」1956年(昭和31年)4月22日から】
前途は多難あり、嵐あり。
その中に勝ちゆく「栄光」が、
真実の「栄光」か。

◇頑張る時は「今」
「特筆すべき事は、全くの信心したての人々が揃って折伏に励んでいる姿である」——1956年(昭和31年)5月6日付の本紙の記事。なぜ関西は躍進しているのか。その要因として、池田先生を中心とした強固な異体同心の団結とともに、「歓喜」を挙げている。
生活は苦しかった。入会から日も浅く、信心もよく分からなかった。しかし、とにかく楽しかった——。「大阪の戦い」を戦った友が、異口同音に語ることである。
その「歓喜」の源泉こそ、池田先生の激闘である。例えば、4月末から5月にかけての1週間だけでも、先生は大阪と東京を2往復。夜行列車の移動では、車中で原稿を書き、同志への激励の一文もしたためている。
戸田先生によって徹底して磨かれ、鍛えられた「常在戦場」の一念は、どんな時も同志の激励のために注がれたのである。
本紙が関西の圧倒的な勢いを報じた9日後の5月15日、6人の学会員が逮捕された。すでに個々別々で解決していた出来事を蒸し返し、組織的な暴力があったかのように見せる警察の思惑だった。大阪の新聞は夕刊で、学会が「暴力宗教」であると報じた。
翌日、先生は事件の善後策を講じるために奔走。17日、筆に墨を含ませて、「電光石火」と大書した。この日に行われた早朝の御書講義。先生は関西の友の動揺を吹き払う師子吼を放った。
「頑張る時は今です。信心の利剣で、魔を打ち破るのも今です!」「正しい仏法が、正しい信仰が、最後に必ず勝たないわけがない」
早朝講義の脈動は、この日の夜にかけ、大阪全域に一気に広がっていった。
暴力宗教というデマを信じる友人もいた。しかし、同志は「その宗教の座談会を見に来ませんか?」と切り返した。
先生は、「見方が変わる、つまり一念が変われば、全ての苦難が自身の人間革命の糧となる」と記している。関西の同志は、相手の学会に対する「見方」を変える言論によって、「味方」を広げていったのである。

◇敵も味方に変える勇気
法華経の文に「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」(御書1242ページ)とある。いかなる相手でも、自分の信心が強くあれば、広宣流布のために働く存在に変わっていく、との意味だ。この御文を、先生は「大阪の戦い」の中で、幾度も拝した。
敵をも味方に変えていく。その勇気の行動こそ、広布拡大の根本だ。
56年6月、参院選の公示の日、先生は、御本尊への祈りに、新たな祈念を加えた。「大阪のいかなる人であれ、このたびの戦列に加わって、味方となること」である。先生の祈りに呼応し、大阪各地で気迫と執念の対話拡大が展開されていった。
「大阪の戦い」の最終日、先生は早朝5時ごろに目を覚ました。一人のリーダーがそっと玄関のドアを開け、足早に同志のもとへ駆けていく姿を目にした。
この時、先生は"これでよし、勝てる!"と確信する。リーダーが最後の最後まで、緊張感を持続している姿勢が、そこにあったからである。その直後、電話が鳴った。戸田先生からだった。「関西はどうだい?」との問い掛けに、池田先生は「こちらは勝ちます!」と即答した。
「大阪の戦い」の出発の時、先生は関西の友に「今度の関西の戦いは勝った!」と宣言した。最終日には、師に勝利の確信を伝えた。そして、実際に「まさかが実現」と世間を驚嘆させる大逆転劇を飾ったのである。
先生は語っている。「今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく」「皆がどう戦ったのかを、50年後、100年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ」
「大阪の戦い」から65周年となる本年は、2030年の学会創立100周年へ向けての初陣の年。コロナ禍の中で、立正安国の実現のために、いかに動いたのか。未曽有の危機にあっても、広布の誓願を燃やし続けることができたのか。
私たちは折に触れて、「大阪の戦い」から法華経の将軍学を学ぶ。今の私たちの必死の激闘もまた、50年後、100年後の同志が、"コロナ禍でどう戦ったのか"を知る「後世の教科書」となるに違いない。

2021年7月27日火曜日

2021.07.27 わが友に贈る

飲食時の会話を控える等
マスクを外す場面には
改めて細心の注意を!
「これくらい大丈夫」との
油断と慣れを排そう!

千日尼御前御返事 P1314
『七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて尼ごぜんはいかにこう入道殿はいかにとまづといて候いつればいまだやまず』

【通解】
七月二十七日の午後四時頃に、阿仏房が来られたのを見て「尼御前はどうされたか、国府入道殿はどうか」とまず問うたところ、「まだ病気にかかっておりません。」

名字の言 "原爆の火"を世界へ 2021年7月27日
76年前に広島の焼け跡から持ち帰られ、福岡・八女市星野村で燃え続けている"原爆の火"。この火に平和の誓いを込めて世界に送る計画がある▼進めるのはNPO法人「SADAKO LEGACY」の佐々木雅弘理事長。広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルで被爆後に亡くなった少女の兄だ。「いくら正しいと思っても、自分の感情や主張を一方的にぶつけると人は心を閉ざします。まず相手を理解しようと努めることが心を結ぶ第一歩」と信念を語っていた▼日本への原爆投下を承認した米大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏と会った時のこと。「原爆によって戦争は最小の被害で終わった」と頑なな氏や家族もまた、戦争でつらい経験をした。そこに思いをはせ、誠実に粘り強く対話する佐々木さんの姿勢が、氏の心を動かした。「被爆の実態を知りたい」と広島・長崎を訪れ、「あなたと一緒に"原爆の火"を真珠湾にも届けたい」と協力者に▼「瞋りは善悪に通じる」(御書584ページ、趣意)。戦争や核兵器に対しては断固として怒る。大切なのは、その怒りを人と人、心と心を結ぶ対話のエネルギーにしていくことだ▼平和への祈りを根本に、友情と信頼を大きく広げる夏としたい。

寸鉄 2021年7月27日
正法を一字一句でも語る人は「教主釈尊の御使」御書。皆に偉大な使命が
「中部の日」45周年。列島の要に光る堅塁の人材城模範の団結で凱歌の秋へ
「攻勢は守勢にまさる」文豪。若人よ連帯拡大に全力を!折伏精神燃やし
水深10センチでも子どもは溺れる—研究。水路でも事故が。大人は目を離すな
日傘は熱中症対策に有効—環境省。猛暑の今こそ体感温度を下げる工夫を

☆「新・人間革命」は希望の光源 第10回
◇万人の幸福へ大理想に突き進む
〈1977年(昭和52年)10月、北海道・厚田に戸田城聖ゆかりの墓地公園が完成。その折、山本伸一は男子部結成式前夜、恩師と交わした師弟の語らいを紹介する〉
「あれは、昭和二十六年(一九五一年)七月の、男子部の結成式前夜だった。戸田先生は、東京の市ケ谷にあった大東商工の事務所で、私に言われた。
『いよいよ明日は、男子青年部の結成式だな。私は青年部に広宣流布を託す。青年は、その具体的な実践として、私が会長就任の日に発表した会員七十五万世帯を、全責任をもって達成してもらいたい。伸一、できるか!』」
(中略)
戸田は、伸一に語っていった。
「広布の旅は、遠く、長い。三十歳になっても、四十歳になっても、五十歳になっても、いや、七十歳、八十歳になっても、命ある限り、広宣流布に生き抜こうという志をもった人間を、私はつくりたいのだ。
(中略)
今後、いかに学会員が増えようが、皆の心から、創価の師弟の誇りと、広宣流布の理想に生きようという一念が希薄化してしまえば、学会の未来はない。いや、そうなれば、地涌の菩薩であるとの自覚も失われ、真実の幸福の道も見失ってしまうことになる。学会を、そうさせないために、青年が立つんだ。
伸一! 君は、その事実上の原動力になるんだ。模範になれ! 永遠にだ。
班長という一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!
いいな! できるな!」
「はい!」
決意を秘めた伸一の声が響いた。
(中略)
「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ。
今夜の二人の語らいが、事実上の男子青年部の結成式だよ」
戸田は、伸一と語り合った翌日、西神田の学会本部で行われた男子部結成式に出席した。あいさつに立った戸田は、強い確信を込めて話し始めた。
(中略)
「今日は、この席から、次の会長たるべき方にごあいさつ申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる」(第26巻「厚田」の章)

◇旧友と仲良く新たな友情広げる
〈1962年(昭和37年)2月、トルコを訪れた山本伸一は、第1次世界大戦後に連合国から祖国を守った、初代大統領・アタチュルクの姿を通し、同行の幹部と語り合った〉
「人間は、ともすれば、敵に対して幻影をいだき、その幻影に怯え、自ら敗北していく場合が多い。
ところが、彼には"絶対に勝つ"という決意があった。だから、敵の弱点もよくわかった。そして、最後の最後まで全力で戦い抜いた。そこに勝因があった。敵は恐れるに足りず——この確信が、困難な局面を切り開き、交渉を成功に導いたといってよい。
ところで、私が何よりも心引かれるのは、大統領としての彼の『古い友人と仲良くし、新しい友人をつくれ』というモットーだ。
この言葉の背景はともかく、人間は、ともすれば古い友人とは疎遠になりがちである。また、古い友人との交流があれば、新しい友人をつくろうとはしないものだ。しかし、人間を大切にし、人間関係を広げていくなかで、新たな世界が開かれていく」
古い友人と仲良くし、新しい友人をつくれ——伸一は、このアタチュルク大統領の言葉に、新時代を建設しゆく方程式を感じていた。だからこそ、彼は、この中東の訪問でも、出会った人びとが、すべて新しき友人となるよう、誠実に、真剣に、相手の幸福を願い、対話を交わし、友情を育もうとしてきたのである。(第6巻「遠路」の章)

◇執念と団結の先に勝利の金メダル
〈第18回オリンピック東京大会が行われた1964年(昭和39年)10月、日本の女子バレーボールチームが全戦全勝で金メダルを獲得したことを通して、山本伸一は女子部のリーダーに語った〉
「見事な勝利だったね。やはり、勝つことは嬉しいし、気持ちがいい。しかし、三対〇のストレート勝ちといっても、実力の差は紙一重でしょう。
また、選手一人ひとりの力からいえば、体力的にも、技量的にも、ソ連チームの方が上かもしれない。それなのに、日本チームが圧勝したのはなぜか——ここが大事なポイントだ。
もちろん、勝負の大前提として、大松監督のもとで徹底した訓練があったことはいうまでもない。そのうえで、今、試合を見ていて感じたのは、日本チームは、『絶対勝つ』という確信に燃えていたことだ。選手が皆、躍動しているし、しかも、チームワークがよい。
『どんな球でも、必ず拾う!』『決してあきらめない!』という、執念と攻撃精神にあふれていた。そして、勝利への強き一念で、皆が団結していた。
回転レシーブで、床に落ちる寸前のボールも巧みに受け、別の選手が、それをトスでつなぐ。さらに、次の選手が、力いっぱい打ち込む。調子が落ちると、『頑張ろう!』と声がかかり、『はい!』という、打てば響くような皆の声が返る。スポーツという一次元ではあるが、実に見事です。
あなたたちには、新しい時代を開くために、広布と人生の戦いに、勝ち続ける責任がある。その意味で、今の試合から学ぶべきことは多いよ」(第9巻「衆望」の章)

2021年7月26日月曜日

2021.07.26 わが友に贈る

◇今週のことば
「無冠の友」の皆様の
尊き奮闘に心から感謝!
健康・無事故を祈ります。
希望の泉・聖教と共に
皆が価値創造の日々を!
2021年7月26日

生死一大事血脈抄 P1336
『天地陰陽日月五星地獄乃至仏果生死の二法に非ずと云うことなし』

【通解】
天地、(古来、中国で説かれる)陰陽、日月、五つの惑星、地獄から仏界までの十界の衆生は、生死の二法でないものはない。

名字の言 東北青年部の"一歩前進"の挑戦 2021年7月26日
有名な「千里の道も一歩から」とのことわざ。"非常に遠い距離"を意味する「千里」の道のりを実際に歩いたとしたら……▼約4000キロ(1里=約4キロ)を、歩幅50センチで踏破するには、実に「800万歩」を要する計算になる。はるかな遠征に踏み出す"第一歩"の重みを感じずにはいられない▼1951年(昭和26年)7月、当時23歳の池田先生が東北を初めて訪問。誕生間もない仙台支部の座談会では、先生の折伏によって8人の新来者が入会を希望した。この拡大の"第一歩"が、東北広布の目覚ましい伸展につながった▼それから70星霜を刻むこの7月、第2回「東北青年音楽祭」が開催された。音楽祭のために設けられた専用ウェブサイトには連日、多くの友からメッセージが寄せられた。出演する子や孫の奮闘に感化された両親や祖父母たちも、自身の成長を誓っていた。第1回の音楽祭を見て感動し、今回は出演者となった未来部員も決意をつづっていた。東北青年部の、自身の壁を破る"一歩前進"の挑戦の姿が、多くの同志に清新な決意の息吹を送っていた▼私たちの地道な一歩一歩の足跡が、偉大な創価の大道を築いていく——。そう確信して、"生涯青年"の気概で勇躍の日々を歩もう。

寸鉄 2021年7月26日
本当に偉大な人生は広布に尽くすこと—戸田先生立正安国の使命に胸張り
長野女性部の日。幸福の太陽はわが胸中に輝く!さあ朗らかに友情を拡大
勝利の一歩は信頼できる同志の核をつくること—博士。地道な激励、今日も
表情や声のトーンは言葉以上に重要—心理学者。出会い一つも漲る生命で
台風6号に続いて8号が接近の恐れ。気象情報等に意識を。備えも忘れず

〈社説〉 2021・7・26 名著に光る先人の知恵と経験
◇「生きる力」を育む読書を
「読書って、何でも人ごとではなく自分事にできる感性を養う上で、とても大切」とは、出版科学研究所所長・加藤真由美さんの言葉だ(本紙7月7日付)。これは「相手の身になって考えられること」にも通じるという。
作家の吉岡忍氏は、コロナ禍を生きる現代人は「時間の尺度が変わっている」と指摘する(同5月5日付)。疫病の災厄と奮闘する故に、先人たちの辛苦の経験を<自分事>として学べるのだ。
氏は、史書『続日本紀』の内容を踏まえつつ、天然痘の大流行による政治と社会の大混乱を、仏教を根底に超克しようとした聖武天皇の治世(奈良時代)を解説。「千年以上も前の出来事を生々しく読み解けるなんて、めったにない状況にいるのです」と語っていた。
また「今こそ実感を伴って」読める西洋の古典として、ペストが猛威を振るった14世紀の名作、ボッカチオ著『デカメロン』を推奨。
この小説は、ペスト禍を逃れて郊外の館にこもった男女10人が語る物語である。描かれる疫病下の凄惨さ、聖職者を筆頭とする当時の乱倫の活写も、世の混迷と破壊から立ち上がるのに必要な総括といえまいか。そう捉えれば、コロナ禍の今、大災厄からの脱却と再生への希望を託した文学として読めるのである。
吉岡氏は、「暮らしや生き方の糧にする読書」こそ「危機の時代における、まっとうな本の読み方」とも強調していた。今こそ、優れた古典作品を味読したい。
創価学会の第2代会長・戸田城聖先生は、「古今東西の名作を読むということは、古今東西の得がたい経験を積むことと同じです」と、青年たちに語った。『水滸伝』を教材に、<人物を見抜く力>について指導した際、人生経験で自然に身に付けるだけでなく、小説を深く読んで、人物に対する眼を開くことの大切さを教えた。さらには、作者の思想と作品の時代背景を見極めることが、小説をよく読むということだ、とも。
古今東西の名著には、先人たちの豊かな知恵と経験があふれている。だが、それを汲み出せるかどうかは、今を生きる私たちが、自分自身の人生と社会に、どう向き合うかにかかっている。
目前の課題に挑み、向上を目指すからこそ、琴線に触れる一書と出あえる。爽快に学び、自身の生きる力を育む夏にしよう。

☆「新・人間革命」は希望の光源 第9回
◇「いまだこりず候」と走り抜く
〈1958年(昭和33年)7月、学会の全責任を担う、ただ一人の総務だった山本伸一は、新潟から佐渡に向かい、旧習深い地域で戦う友を励ました〉
伸一は、佐渡の同志の使命について言及していった。
「話は変わりますが、塚原の三昧堂があったとされる場所や、一谷など、大聖人ゆかりの地には、いずれも、大聖人の御精神に違背した、日蓮宗の寺院が立っております。
そこには、真実の日蓮仏法はありません。精神の廃墟にすぎない。大聖人が魂魄をとどめられたこの佐渡の地に、まことの日蓮仏法を、大聖人の大精神を復興させ、佐渡を最高の"幸福島"にしゆくことこそ、わが創価学会の使命であります。佐渡島の広宣流布があってこそ、日本の広宣流布があると、私は申し上げたいのであります。
佐渡が広宣流布の先駆となるために大切なことは、まず、皆さんの心のなかにある、"無理だろう""そんなことができるわけがない"といった、あきらめを打ち破ることです。大聖人は佐渡に流罪されるなどしても、『いまだこりず候』(御書1056ページ)と仰せになっているではありませんか。
また、力を出す要諦は団結です。反目があったり、心を一つにすることができなければ、本当の建設はできません。
さらに、大聖人が佐渡から広宣流布の指揮を執られたように、自分たちが日本の広宣流布を担うのだとの心意気で、広く島の外にも目を向けることです。ひとたび、広布の戦いとなれば、海を渡り、全国各地を走り回るんです。
そうした勢いがまた、地域広布の活力になっていきます」
(第11巻「躍進」の章)

◇相手の琴線に触れる智慧の対話
〈1957年(昭和32年)8月の夏季ブロック指導で、山本伸一は東京・荒川区の指揮を執り、1週間で区の会員世帯の1割を超える弘教を成し遂げる〉
「この一週間という短期間で、未曾有の拡大を成し遂げるには、まず、『智慧』が必要です。
皆さんは"先月だって、先々月だって、精いっぱい折伏をしてきた。もう限界だ。折伏する相手などなくなってしまった"と思っておられるでしょう。
実は、それを壁というんです。では、その壁は、どこにあるのか。皆さんの心のなかです。自分でつくったものなんです。
本来、私たちの周囲には、折伏すべき人はたくさんいます。ただ、話すきっかけがつくれなかったり、一歩踏み込んだ深い対話ができずにいる。そこで大切なのが、智慧です。
どうすれば仏法対話ができるのか。相手の琴線に触れる語らいができるのか——智慧を絞って考えるんです」
(中略)
「ともすれば一度ぐらい話をしただけで、"あの人はだめだ""この人は無理だ"と思い込んでしまう。でも、人の心は刻々と変わる。いや、執念の対話で、断じて変えていくんです。
それには自分の話し方に問題はないか、検討してみる必要もあります。
たとえば、家庭不和で悩んでいる人に、病気を克服することができると訴えても、関心は示さない。病気の人に商売がうまくいくと訴えても、共感はしません。
相手が納得できるように、いかに語るか——これも智慧なんです。
さらに、同志の方々のなかには、友人はたくさんいるのに、確信も弱く、うまく話すことができないという人もいるでしょう。そうした人と先輩が組んで、折伏にあたるという方法もあります。
ともかく、智慧は、本来、無尽蔵なんです。その智慧が不可能を可能にするんです。そして、智慧というのは、断じて成し遂げようという懸命な一念から生まれます。必死の祈りこそが、智慧を生む母なんです」
伸一はさらに、智慧がわいたら、それを行動に移す「勇気」が不可欠であることを訴えた。(第17巻「民衆城」の章)

◇勝負すべき時に戦ってこそ幹部
〈1975年(昭和50年)11月、諸行事に出席するため広島入りした山本伸一は、広島文化会館で全国の各部リーダーに語った〉
「広宣流布の活動を進めるうえで、大事なことは、幹部の率先垂範です。命令では人は動きません。全同志を心から包容しながら、自分の実践を通して、共に活動に励もうと、呼びかけていくことです。
実践の伴わない観念的、抽象的な話では、人の心は打たない。しかし、行動、体験に裏打ちされた話には、説得力があり、共感を覚えます。この"共感"が、勝利の大波を広げていくんです。ゆえに、幹部は、常に自らが、真っ先に動くことです。
また、戦いに臨んだならば、幹部には、勝利への執念と、自分が一切の責任をもつのだという気迫が、ほとばしっていなければならない。皆が一丸となって勝負すべき時に、幹部でありながら、本気になって戦おうとせず、事の成り行きを静観しているような態度は、最も卑怯だと、私は思う。
それは、皆のやる気を失わせ、師子身中の虫となるからです。大聖人が『日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し』(御書1337ページ)と仰せの姿です。その罪は重いと言わざるを得ない」(第22巻「命宝」の章)

2021年7月25日日曜日

2021.07.25 わが友に贈る

車での移動は安全第一!
脇見やスマホの操作など
"ながら運転"は厳禁!
無理のない計画を立て
小まめな休憩も忘れず。

大悪大善御書 P1300
『大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし』

【通解】
大悪が起これば、大善が来る。すでに大謗法が国にある。大正法は必ず広まるであろう。わが門下たちよ、何を嘆かれることがあろうか。迦葉尊者でなくとも、舞を舞いたまえ。舎利弗でなくとも、立って踊りたまえ。上行菩薩は、大地から踊りながら出現されたではないか。

名字の言 「『努力の正解』を見つけることが大切」 2021年7月25日
「努力はウソをつく」——フィギュアスケートで冬季五輪2連覇を果たした羽生結弦選手の言葉。厳しい練習や準備を重ねても、望んだ結果を得られるとは限らない。勝負の世界に生きるトップアスリートならではの実感だろう▼その言葉には続きがある。「でも、無駄にはならない。『努力の正解』を見つけることが大切」。一見、報われないと思う取り組みや失敗も、それらの経験はすべて勝利の未来へと続く布石になる、と(『羽生結弦の言葉』宝島社)▼柔道に青春を懸ける女子高等部員が連日、唱題と猛げいこに励んだ。ところが、目標としていた高校3年のインターハイの直前になって膝の靱帯を損傷し、出場を断念した。"頑張ってきたのに、なぜ……"。家族は"必ず意味がある"と懸命に励ました▼彼女は治療に通い始めた。その時の理学療法士との出会いが転機になった。スポーツに情熱を注ぎ、挫折を経験した自分だからこそ分かる気持ちがあることに気付いた。彼女は福祉大学へ進み、障がい者のスポーツ支援に携わる新たな夢へと一歩を踏み出した▼つまずいても立ち上がり、新たなステージへと歩みを進めていく。その挑戦の歩みの中でこそ、"なぜ"と思う出来事の「正解」も見つかる。

寸鉄 2021年7月25日
試練を経なければ革命児になれぬ—恩師。青年よ拡大の先陣をこの気概で
真摯な友情以上に確かで快いものはない—文人。爽やかに心結ぶ語らいを
ボランティア参加の高齢者は介護リスク低い傾向と。利他の道に健康人生
より速く、より高く、より強く、共に—五輪標語。向上の人は美し。皆で前へ
子の感染、77%が家庭内。親がウイルス持ち込まぬ意識を。充実の夏休みに

☆勝ちゆく君へ 第19回 民衆凱歌の10年を開け
◇青春を彩る友情の絆を
本門の青年部が、結成70周年の佳節を、若き熱と力で、見事に勝ち飾ってくれました。
未曽有の試練の中で、君たちが築き上げる青年の連帯こそ、乱世に揺るがぬ平和の柱です。
結んだ尊き幸の仏縁を、誠実に聡明に深めてもらいたい。
広布の山に一つ一つ挑み、登攀する中で、青春を豊かに彩る友情の絆も輝きを増します。
今、誰もが、信頼できる「人間のつながり」を求めています。御書には、「善友に親近せよ」(1244ページ)と仰せです。
「立正安国」の対話は、自らが真の善友として「蘭室の交わり」を社会に広げゆく挑戦です。語った分だけ、信用が残ります。

◇新しい人材と共に前進
人材が伸びゆく共戦の夏。
男子部の大学校生、女子部の白蓮グループ、学生部のビクトリー・リーダーの皆さんは、一人一人が、民衆凱歌の10年を開く、かけがえのない先駆者です。
人間関係が希薄化する時代にあって、一層、先輩は後輩へ、温かな激励を頼みます。
若き南条時光への御聖訓に、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり」(御書1574ページ)とあります。
心を合わせ、一緒に祈り学び、語り歩む道が、自他共の人間革命の光道となる。さあ、充実と成長の喜びあふれる共進を!

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第27回 常不軽菩薩品第二十�
◇下種に歩く最前線の学会の同志こそ不軽菩薩なのです
■大要
不軽菩薩のドラマを通して、滅後の弘通の方法と逆縁の功徳が説かれます。それでは内容を追ってみましょう。

●シーン1
その時、釈尊が、得大勢菩薩に告げます。
「今まさに知るべきである。
法華経を持つ四衆(男女の出家・在家の弟子)を、悪口・罵詈・誹謗するならば、これまで説いた通り、大きな罪の報いを受けるであろう。
法華経を持つ四衆が得る功徳は、前章(法師功徳品)で説いたように、六根が清浄になるであろう」

●シーン2
威音王仏のことを語ります。
「無量無辺不可思議阿僧祇劫というはるか昔、威音王仏という仏が、天界・人界・修羅界の衆生に法を説き、仏の智慧を究めさせた」
「この仏(威音王仏)の寿命は四十万億那由他恒河沙劫で、衆生を利益し終わって入滅した。正法・像法の時代が終わった国に、この仏は再び、威音王仏の名で出現することがあった。このように入滅と出現を繰り返し、二万億の威音王仏という同じ名前の仏が出現した」
このように、威音王仏という同じ名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたことが説かれます。

●シーン3
続いて不軽菩薩のドラマが始まります。まずは時代背景です。
「最初の威音王仏が入滅し、正法が終わり、正しい法が見失われた像法になると、増上慢の男性出家者が一大勢力を築いていた。その時、一人の『常不軽』という菩薩がいた」
続いて名前の由来です。
「どういう因縁で、常不軽と名付けられるのか。この人は、人々を見ると、全員に礼拝し、たたえ、次の言葉を掛ける。
『私は深く、あなた方を敬います。決して、軽んじたり、あなどったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道を修行すれば、必ず仏になることができるからです』
しかも、経典を読誦することに専念せず、礼拝行をするだけである。
遠くに人を見掛けると、近づいて礼拝し、たたえ、次のように語る。
『私はあえて、あなた方を軽んじません。あなた方は皆、必ず仏になることができるからです』
不軽菩薩に、怒りや恨みを生じる者が悪口・罵詈して言う。
『この無知の者は、どこより来て、自ら<私はあなた方を軽んじません>と言って、我等のために<必ず仏になることができます>と授記するのだ。このような虚妄な記別など用いない』
このようにして、不軽菩薩は何年も常に罵詈されるが、怒りや恨みを懐かず、常に言葉を掛けた。
『あなた方は、必ず仏になることができます』
人々が杖や木などでたたくと、それを避けて、走って遠く離れ、大声で次のように言う。
『私はあえて、あなた方を軽んじません。あなた方は皆、必ず仏になることができるからです』
常にこの言葉を掛けるので、増上慢の人々は、『常不軽』と名付けた」
「(不軽菩薩は死期が来て)まさに命が絶えようとする時、天空からの声で、威音王仏がかつて説かれた法華経の二十千万億の偈(詩)を聞き、その全てをよく受持した。そして先に(法師功徳品で)説いたような六根清浄を得たのである。
その後、二百万億那由他歳も寿命を増し、広く人のために、この法華経を説いた」
「(不軽菩薩を)軽んじ賤しめて不軽と呼んだ増上慢の人々は、不軽菩薩がすばらしい神通力と雄弁と智慧の力を得た事実を見、その説法を聞いて、皆、信服し随従した」
このように、不軽菩薩の実践が描かれています。

●シーン4
不軽菩薩は命が絶えた後、生まれるたびに、多くの仏に会い、多くの人のために法華経を説き、功徳を成就して仏に成ることができたことが述べられます。
釈尊が、その話の意味を語ります。
「その時の常不軽菩薩は他の人のことではない。私自身のことである。
どうして別人であろうか。否、私のことなのだ」
「もし過去の世で、法華経を受持・読誦し、他人のために説かなければ、速やかに阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得ることは叶わなかったであろう。過去の仏のもとで、法華経を受持・読誦し、人のために説いたので、速やかに完全な覚りを得たのである」
釈尊の過去世における修行の姿であったことが明かされます。

●シーン5
「(不軽菩薩を迫害した)人々は、不軽菩薩への怒りや憎しみをもって、不軽菩薩を軽んじ、賤しんだゆえに、二百億劫の間、仏に会うことも、法を聞くことなどもできず、千劫も阿鼻地獄で大苦悩を受けた。
その罪を終えて、また不軽菩薩に出会い、教化された」
続いて、話の意味を語ります。
「常に不軽菩薩を軽んじた人々は、他の人のことではない。今、この会座の中の五百人の菩薩などで、最高の覚りにおいて退転しないものが、過去に不軽を軽んじた人である。
知るべきである。この法華経は多くの菩薩を利益して、よく完全な覚りに至らせる。
故に多くの菩薩は、仏の滅後に、常にこの経を受持・読・誦・解説・書写するべきである」
このように常不軽菩薩品では、不軽の実践のドラマを通して、滅後の修行について述べられています。

【『法華経の智慧』から】 妙法に目覚めさせる
真実の仏法は、苦しんでいる人のためにあるのです。一番苦しんでいる人を一番幸福にするための仏法なのです。そうではないだろうか。
この崇高な心の分からない人間からは、われわれは「常に軽蔑されて」きました。それでも、相手がだれであれ、われわれは悩める人がいれば、飛んでいって面倒を見てきた。
抱きかかえながら、「あなたの中の仏界を開けば、必ず幸福になれるのだ」と教え、励まして、妙法に目覚めさせていったのです。
「一人の人」を身を粉にして育て、世話してきた。まさに「常に人を軽んじなかった菩薩」です。

不軽菩薩は、上手な話もしなかった。偉そうな様子を見せることもなかった。ただ、愚直なまでに「下種」をして歩き回った。その行動にこそ、三世にわたって、「法華経」が脈動しているのです。
要するに学会員です。最前線の学会の同志こそが、不軽菩薩なのです。(普及版<下>「常不軽菩薩品」)

【コラム】 而強毒之
「御義口伝」に、不軽菩薩の礼拝行について、「而強毒之するは慈悲より起れり」(御書769ページ)と記されています。「而強毒之」は「而も強いて之を毒す」と読み、法を聞くことを好まない人にも、強いて法を説いて仏縁を結んでいくことです。
不軽菩薩が、誰にでも声を掛けて仏縁を結んだように、先入観などを排して仏縁を結んでいくことが大切です。不軽菩薩を迫害した人々が最終的に救われたように、ひとたび妙法に縁させれば、必ず相手を救っていくことができるのです。
私たちの対話は、どこまでも慈悲の発露です。仏の振る舞いです。大切なことは、相手の反応に一喜一憂しないことです。いわんや、怒ったり、恨んだりしてはいけません。どこまでも相手の仏性を信じ、朗らかに、自信を持って語ることです。
勇気を出して"あえて語る"ことが、本当の意味での相手への優しさであり、その行動にこそ慈悲が脈打つのです。

2021年7月24日土曜日

2021.07.24 わが友に贈る

人材育成の王道は
共に広布に動くことだ。
友の幸福と勝利を願う
真心は必ず通じる。
誠実に関わり続けよう!

立正安国論 P24
『如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』

【通解】
災難を根絶するには、かの千万の祈りを修めるよりは、この一凶を禁じなければならない。

名字の言 未来っ子と良書に挑もう 2021年7月24日
「一般に若い頃に旺盛だった読書熱というものを、年をとっても持ちつづけている人はまことに少い」。批評家の小林秀雄氏は論じた▼本を読む暇がないことは、誰でも気が付く。だが、本を読もうとする心がなくなったことに、人は気付かない、と氏は述べる。だからこそ、「自ら進んで読み方の工夫をしなければならぬ」と▼例えば、一流作家の全集を読んでみる。すると、代表作以外にも、"こんな言葉があったのか"との驚きがある。その感動が、作者との新たな出あいになる。氏は、作者の思想を少しでも吸収しようとする姿勢から、読書の工夫が生まれると指摘した(『読書について』中央公論新社)▼現代は"夜がなくなった"といわれる。携帯やパソコン、ゲームなど、夜の時間を消費できるものが幾つもある。子どもたちの周囲に娯楽があふれる時代だからこそ、大人が読書の喜びを伝え、率先して本に触れることが大切だろう▼少年少女部「きぼう作文コンクール」、中・高等部「読書感想文コンクール」の応募が始まった。池田先生は「栄養を与えるほど、木は大きく育つ。同じように、魂にも『滋養』を与えることである。そのためには読書である」と。未来っ子と共に、良書に挑む夏としたい。

寸鉄 2021年7月24日
生きている事が楽しい、これ信心の極致—恩師。生命力満々と今日も前へ
拡大の旋風起こす男子部大学校生頼もし。自分に勝ったと言える歴史残せ
「孝養の人を世尊となづけ給へり」御書。信心を貫く事が真の親孝行なり
小中学生が夏休み。勉強、読書、スポーツに楽しく挑戦!健康第一で大成長
平成生まれ初の横綱誕生不撓不屈の勇姿が人々に感動を。我らの人生劇も

〈社説〉 2021・7・24 子どもの"スマホ依存"に注意
◇親子の語らい深める夏休みに
多くの学校で夏休みが始まっている。期間が短縮された昨年とは違い、今年はコロナ禍前と同等の日数となる。行事の中止や日常生活の制約などで我慢を重ねる子どもたちのためにも、価値的で有意義な期間にしたい。
昨日、東京五輪が開幕した。在宅時間が増える夏休み中、一流アスリートの熱戦を伝えるテレビ中継と共に、若い世代を"くぎ付け"にするのはスマートフォン(スマホ)かもしれない。
東京都の調査によると、小中高生を持つ保護者の約半数が、コロナ禍の中で「子どものインターネット利用時間が増えた」と回答。特に動画視聴やメッセージアプリ、オンラインゲームに割く時間が増加したという。また、「トラブルが増えた」と答えた保護者に具体的に聞くと、「注意しても長時間使用するようになった」との回答が最も多かった。
利便性が年々向上するスマホだが、何に使うにも子どもが"依存状態"に陥らないよう、「使用時間を決める」「生活リズムを乱さない」など、親子で明確なルールを話し合うことが大切だろう。
さらに、子どもが会員制交流サイト(SNS)のトラブルに巻き込まれないよう注意を払いたい。
警察庁によると、昨年1年間にSNSで犯罪被害に遭った18歳未満の子どもは1891人。有害サイトの閲覧を防ぐ「フィルタリング」の利用の有無が分かった人のうち、9割弱が機能を設定していなかったという。政府広報は保護者に対して、フィルタリングとともに、スマホの機能を管理・制限できる「ペアレンタルコントロール」の活用も呼び掛けている。
特に、小学生の被害は2017年に比べて約2倍に増えており、看過できない。子どもの被害を防ぐためにも、保護者がネットリテラシー(インターネットを使いこなす力)を身に付け、日頃から家族でSNSに潜む危険性を学び合い、安全対策に取り組みたい。
池田先生は、情報化社会の負の側面として、「情報量の増大とは裏腹の言葉の空洞化、(中略)そこから必然的にもたらされる、人間を人間たらしむる対話力の衰退」を挙げ、警鐘を鳴らしている。
夏休みは親子の語らいを深め、楽しい思い出をつくる絶好機だ。知恵と工夫を凝らしながら、地域の創価家族も一体となって"未来の宝"を育もう。

☆池田先生の指針——広布の山を一緒に登ろう
昭和31年(1956年)12月のことである。戸田先生は、仙台指導の折、東北のラジオ局のインタビューに応じられた。
インタビューのなかで、戸田先生は、「創価学会に青年が多いのはなぜか」について、こう答えられた。
「学会に青年が多いのは、哲学が深いからです」と。
端的に急所を突いた、鋭く、深い、鮮烈な答えであった。
指導者は、こうでなければならない。パッと聞かれたら、パッと明快に答える。歯切れよく、わかりやすく、「なるほど」と、印象に残る話をする。それが「力」である。
戸田先生は「若い青年は、それ(哲学)を究めようとする。究めようとすれば、ますます山が高くなってくる。だんだんと山に登りますから、楽しみも増えるというわけです。ですから、青年は、ついたら離れないのです」と。
仏法は、「宇宙」と「生命」の法則を完璧に説ききっている。人間の宿命、生死の問題を解決する大法である。観念ではなく、現実に根ざし、社会をリードしていく哲学である。仏法は、いかなる思想、哲学よりも奥が深い。
その仏法を実践する求道の青年を、戸田先生はだれよりも愛しておられた。青年への慈愛がほとばしるインタビューのやりとりをうかがいながら、私は戸田先生の偉大さをあらためて痛感した。
先生は「私も、自分自身も、その道を歩んでいるのです。ただ一歩先か、二歩先かの問題です。"山を究めた"と言っているのではないのです。"山をめざして一緒に歩こう"と言っているのです」と。
「山をめざして、一緒に歩こう」——これが戸田先生のお心であった。上から傲慢に見おろしたり、命令主義になることなど、まったくなかった。

仏法の世界は、皆、平等である。私も同じ精神である。
「広宣流布の山」も、一つの峰を踏破すれば、またさらに、大いなる展望が広がる。そして新たな峰をめざして、皆で朗らかに、上へ上へと登っていく。これが私どもの人生であり、最高に張り合いのある生き方である。

◇喜び勇んで苦難に挑め!
インタビューの最後に、戸田先生は、「いちばん大きな喜びは何ですか」との質問に対して、「どこにいても生きがいを感じ、喜んで生きていけることが、うれしい」と答えられた。
世間は無常であり、一時の栄誉も喜びも、すぐに変化してしまう。しかし、仏法の法則だけは、永遠に不変である。結局、自分の人生に、この「永遠にして最高の軌道」をもっているか否か——この一点こそが、最も重要となる。
大事な人生である。ただ空しく遊び暮らして、一生を終わらせてしまうのも自分。偉大な仕事に取り組み、幸福の充実感を得るのも自分しだいである。
先日、ある人が言っていた。「いよいよ夏。どうせ暑さに汗をかくのだから、私は偉大なことに汗を流そう」と。こうした張りのある人、喜びをもって生きる人は、いつも若々しい。
どうか、この最高に誇りある道を、広布の「山」へ向かって、一緒に進みぬいていただきたい。
日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せである。
広布の人生は、「大歓喜」の人生である。
さらに、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)——流罪の身ではあるが、喜悦は計り知れない——。
「御勘気をかほ(蒙)れば・いよいよ悦びをますべし」(同203ページ)——権力による処罰を受けたので、いよいよ喜びを増すのである——。 
「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)——大難が来れば強盛の信心(の人)は、いよいよ喜んでいくべきである——と。
また、竜の口の法難のさいにも、門下の四条金吾に「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)——これほど喜ばしいことではないか。笑いなさい——と仰せになっている。
苦難があれば「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)——これが大聖人の教えである。
挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。さっそうと戦っていく。これが仏法の真髄である。人生の究極の生き方である。
"喜べない人生"は不幸である。「また活動か」(笑い)、「またか」「たいへんだな」(笑い)などと、いつも下を向き、苦しい顔をして、文句や批判ばかり。これでは御書に反してしまう。
すべてに「喜び」を見いだしていける人。すべてを「喜び」に変えていける人。その人こそ「人生の達人」である。
「佐渡御書」には、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同958ページ)——賢人、聖人は罵って、本物かどうか試みるものである——と仰せである。
どんな批判をも耐えぬき、それでも悠々と喜びの人生を送っていけるかどうか——そこに本当に偉大な人かどうかの分かれ目がある。
すべてに喜びを見いだしていく——自分が喜べば、周囲もさわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。

◇"新しい夜明け"を開きゆけ
大聖人は、「種種御振舞御書」で仰せである。
「日蓮によ(依)りて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」(同919ページ)
——日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まる。たとえば、家に柱がなければ保てず、人に魂がなければ死人である。日蓮は、日本の人の魂である——と。
「日本国の存亡は日蓮によって決まる」——大聖人直結の私どもは、この烈々たる御確信を忘れてはならない。
戸田先生は、この御文を講義されて、仏意仏勅のままに進む学会の誇りを語られた。
「この創価学会を倒したならば、日本の本当の繁栄はないのです。創価学会こそ日本の国の柱であり、眼目です」と。
これが戸田先生の確信であり、ご遺言である。
学会は、日本の動向を決する「柱」であり「魂」である。学会があればこそ、「新しき世紀の夜明け」を開くことができる。この大いなる確信と誇りに燃えて進んでいきたい。

☆創価学園「栄光の日」の集いへの池田先生のメッセージ
◇「探究」「挑戦」で価値創造の力を鍛えよ
一、激しい雷雨を越えた空にかかる虹は美しい。
わが学園生は、この1学期、打ち続く試練にも胸を張って、友と励まし合い、走り切ってくれました。
青春の心の大空に、希望の虹、友情の虹、勝利の虹をかけゆく「栄光の日」、誠におめでとう!

一、今日は一点、「地球民族の未来へ、虹のスクラムを!」と申し上げたい。
全ての人種が平等に生きる「虹の国」を目指して歴史を転換した人権の大英雄が、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領です。創価の青年たちとの出会いを心から喜ばれていた笑顔が蘇ります。
7月18日は、その誕生日の意義を留める、国連の「ネルソン・マンデラ国際デー」と制定されています。実に27年半、1万日に及ぶ獄中闘争を貫き、人種隔離政策を撤廃し、今も人類を励ましてやまない、この正義の巌窟王の原点は、一体、何であったか。
それは、若き日に尊敬する長老から学んだ人間学でした。利害が対立し、議論がぶつかり合う地域の会議で、長老はずっと黙して皆の意見に耳を傾けていました。そして最後に口を開き、一人一人に寄り添いながら、皆が納得する合意点へと導いていったのです。マンデラ青年は、その知恵と信念の姿を心に刻み、「根気よく耳を傾け」「自分の意見を述べる」(『自由への長い道——ネルソン・マンデラ自伝<上>』東江一紀訳、日本放送出版協会)実践を重ねていったのです。
私たち学園の校訓に掲げられた「真理を求め、価値を創造する」、また「信頼と協調を重んずる」、そして「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって実行する」精神とも一致します。
私も皆さんの創立者として、マンデラ元大統領をはじめ世界中の知性と、あらゆる差異を超えて対話を重ね、平和の虹をかけてきました。
どうか、若き創価の世界市民の皆さんは、探究の心を大きく開いて、全てが勉強だと生き生きと学んでいってください。
そして、良き学友たちと、それぞれの個性を伸び伸びと磨き合いながら、色とりどりの虹のスクラムを広げ、先人たちが夢に見た地球民族の平和と共生の未来へ、希望の光を放っていただきたいのです。

一、今年、生誕150周年を刻んだ牧口先生は、どの青年も素晴らしい可能性を輝かせ切っていけるよう励まされました。そのために、自分の得意なことを伸ばすとともに、不得意なものにも挑戦する。そこに自分の価値が発揮される、と教えられたのです。
さあ、勉学に語学に、読書にスポーツに、思う存分に挑んで、価値創造の力を鍛えゆこう! 大変な社会情勢の中、皆さんを支えてくれている尊き御家族に、くれぐれもよろしくお伝えください。みな、健康・無事故で!

◎東京オリンピックが開幕
第32回夏季オリンピック東京大会の開会式が23日夜、東京・国立競技場で無観客で行われた。東京での五輪開催は1964年大会以来、57年ぶり2度目。北朝鮮を除く205の国・地域(ロシア選手は個人資格)、難民選手団を含めて約1万1000人の選手が参加する。
開会式で日本は男女の旗手を起用。バスケットボール男子の八村塁選手(ウィザーズ)とレスリング女子の須崎優衣選手(早稲田大学)に率いられて入場行進。33競技に1060人(選手583人、役員477人)と、史上最大の選手団になった。
大会は8月8日までの17日間。史上最多となる33競技339種目で熱戦が繰り広げられる。

2021年7月23日金曜日

2021.07.23 わが友に贈る

健康な人生のため
運動の習慣を大切に。
比較的涼しい時間帯の
散歩や体操など
無理せず聡明に工夫を!

窪尼御前御返事 P1479
『ねふかければはかれずいづみに玉あれば水たえずと申すやうに御信心のねのふかくいさぎよき玉の心のうちにわたらせ給うか、たうとしたうとし』

【通解】
根が深ければ葉は枯れず、泉に玉があれば水が絶えないというように、あなたのご信心の根は深く、あなたの心の清らかな玉があるのでしょうか。まことに尊いことです。

名字の言 東京五輪が開幕 2021年7月23日
きょう、東京五輪が開幕する。安全対策は当然として、世界のアスリートによる熱戦に期待したい▼日本人初の五輪金メダリストは織田幹雄さん。故郷の広島・海田町には、偉業を顕彰する複合施設「織田幹雄スクエア」がある。入り口脇のガラスには、アムステルダム五輪で優勝した三段跳びの飛距離である「15.21m」と、織田さんのシルエットが描かれる▼織田さんは三段跳びの前に走り高跳び、走り幅跳びに出場するが、力を出せずに終わった。そこで五輪開会直後に書いた日記を見返した。「真剣になって闘う時にはコンディションも何もあるものか、最後の死力を尽すあるのみ」(『織田幹雄 わが陸上人生』日本図書センター)▼100分の1秒を縮めるため、1センチを伸ばすため、選手はトレーニングを積み重ねる。一方、競技は一瞬で終わる。数年の努力をたった一瞬で測られる——無情であり、不条理でさえある。だからこそ、最後は自分を信じるしかない。極限まで研ぎ澄まされた肉体と精神が結合し、昇華する時、震えるような感動が舞い降りる▼多くのアスリートが目指してきたオリンピック。コロナ禍の中、東京に集ってくれた選手への敬意と称賛だけは、ホスト国として忘れないでいたい。

寸鉄 2021年7月23日
「友にあふて礼あれ」御書人を敬い称える—日々の学会活動が最極の菩薩道
「三重蘇生の日」45周年。師弟の道ゆく友は晴れやか!対話拡大の一番星に
ネットの犯罪が過去最多と。見知らぬ相手のメールは開かない等、対策を
感染巡る嘘に惑わされるな。「ワクチンで不妊」は根拠なし—専門家の学会
きょう東京五輪開会式。熱戦に期待。努力の英雄たる全選手の大健闘祈る

☆不二の旅 第15回 池田先生と四国
◇紅燃ゆる志国の天地
池田先生と各方面の同志の絆を紹介する「不二の旅」。第15回は、「紅の歌」誕生から40周年を迎える志の国・四国を掲載する。

・香川・四国研修道場に立つ「紅の歌」の歌碑。1981年(昭和56年)11月、池田先生は四国研修道場で「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と宣言。本格的な反転攻勢が開始された。2005年と16年には、歌詞に加筆・修正がなされ、新たな命が吹き込まれた

・香川の四国池田文化会館で行われた第4回四国総会。席上、池田先生は「『日本一の四国』『最高の四国』を、皆さまが必ず築いてくださると、私は期待したい」と語った(1993年12月)

・高知文化会館での第1回四国総会の折に未来部員を励ます。総会で、高知から"歴史回天"の船出をした坂本龍馬のごとく、新しき"広布の回天"で人類史に希望の夜明けをと望んだ(1990年11月)

・愛媛の大洲会館で、不退の信心を貫き、障魔の嵐を乗り越えた同志を激励。"仏法は勝負である。仏と魔との戦いに、皆さんは信心で勝った。まぎれもなく勝利した"と訴えた(1985年2月)

・徳島青年平和文化祭であいさつ。同志の熱演を心からたたえ、"堅実こそ人生の栄冠を勝ち取り、人生を歩みゆくべき方途である"と呼び掛けた(1985年4月、徳島市立体育館で)

◇四国の友に贈った指針
四国で「紅の歌」が誕生したのは昭和56年。たくさんの同志に愛され、歌われてきた歌である。
当時、会長を勇退していた私は、四国の地から、四国の同志とともに、反転攻勢の指揮を執り始めた。そして今日までの、世界広宣流布の大道を勝ち開いてきたのである。
原点は四国である。

・「紅の歌」の歌詞を推敲する池田先生。移動の車中など寸暇を惜しんで歌詞を紡いだ(1981年11月、四国婦人会館〈当時〉で)

・「紅の歌」3番の直筆原稿。同歌は今年の11月で、誕生から40周年を迎える。師弟共戦の闘魂が一節一節、一語一語に込められている

その前年、昭和55年の1月には、四国の千人の同志が、横浜にいる私のもとへ、はるばる船で駆けつけてくださった。これも、広布の歴史に永遠に残りゆく光景である。
四国は、私とともに「正義」の歴史を創り、「闘争」の歴史を残し、そして「勝利」の歴史を開いてきた。そのことを明言しておきたい。
21世紀の勝利の暁鐘もまた、四国から全日本に、晴ればれと乱打していただきたい。

何事も勝つことである。勝つことは喜びであり、功徳であり、幸福である。負けるような人間は、人を幸せにする力がない。
激しき社会の中で、正義を貫き、人格を磨きながら、戦い、勝つ人間。強い人間。力ある人間。そういう人間にならねばならない。

信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、"苦悩の烈風"さえも"歓喜の春風"に感じられる。弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」——悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
(第2回本部幹部会・第1回四国総会<2001年1月>でのスピーチから抜粋)

2021年7月22日木曜日

2021.07.22 わが友に贈る

海・山・川での
事故が増える時季。
危ない所に近づかない。
天候の急変にも注意!
無事故で有意義な夏を。

寂日房御書 P903
『かかる者の弟子旦那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』

【通解】
日蓮の弟子旦那となった人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じように法華経を弘めるべきである。

名字の言 「易しい」と「優しい」 2021年7月22日
母が幼い娘に何かを話している。ただ、娘は、よく理解できないようで、ぽつりと一言。「難しくて分からないから、"ひらがな"で言ってよ」▼少女の気持ちを想像してみる。「もっと易しい言葉で伝えてほしい」と言いたかったのだろう……そう思ったものの、"いや、待てよ"と考え直した。「易しい」と「優しい」の両方かもしれない、と▼お笑いコンビ「ナイツ」は、師匠の内海桂子さんから「言葉で絵を描きなさい」と、何度となく教えられたという。記者も駆け出しの頃、先輩記者から「説明より描写! 読み終えた人の心に情景が残るように書こう」と教えてもらった▼思いを乗せた"言葉"という絵筆で、相手の心に一幅の絵が描かれるように伝えていく——話し手や書き手にとっての極意であろう。頭で理解させるだけでなく、心に染み込ませるような言葉を紡ぐには、単に「易しい」というだけでなく、相手の心に寄り添う「優しい」言葉が欠かせない▼明23日は文月の「ふみの日」。今年も、帰省できない人が多い夏になりそうだ。はがきでも便箋でも、あるいはメールやSNSでも構わない。故郷などの懐かしい人たちを思い浮かべ、情愛を込めた一筆をしたためてみてはどうだろう。

寸鉄 2021年7月22日
根ふかければ葉かれず—御書。鍛えの夏!青年よ行学に励み信心の錬磨を
鼓笛隊結成65周年。"平和と文化"の旗手。今日も幸福勝利の舞を朗らかに
小学生8割がいじめ被害を経験—調査。子に寄り添い小さな変化見逃さず
「熱中症警戒アラート」が各地で。危険な暑さ。水分・塩分補給、空調も活用
不用品回収の問題多発。格安や無料謳い後に高額請求。事前見積等で対策

〈社説〉 2021・7・22 きょう、鼓笛隊結成65周年
◇見つめる先にいつも師匠が
はためくフラッグ、ドラムやファイフの軽やかな音色。鼓笛隊の演奏が響くところ、笑顔があり、勇気が湧き、希望が生まれる。
きょう22日は「鼓笛隊の日」。
1956年7月、33人から始まった鼓笛隊。65年の歩みの中で、米国や中国、ロシアなどでの海外演奏をはじめ、日本各地でも数多くのパレードに出演。カラーガードの全国大会で3年連続の日本一に輝いた創価グランエスペランサは、今年も全国大会への出場を決めた。コロナ禍にあっても、オンラインで鼓笛隊総会を行うなど、常に前へ前へと進んできた。
彼女たちが披露してきた曲の一つに「21世紀のマーチ」がある。この曲はイギリスSGIの音楽家が作詞・作曲をしたもの。40年前の81年、フランス・トレッツの欧州研修道場に、初訪問の池田先生を迎えた感動が、曲に凝縮されている。"道は長くとも、希望がある限り、前へ進んでいける"——歌詞に込められた"希望"とは、師の存在だったに違いない。
今月18日に行われた第2回「東北青年音楽祭」。東北鼓笛隊の友がオープニングでこの曲を演奏した。「21世紀のマーチ」は、10年にわたる"福光"の歩みを飾る師弟の凱旋曲となった。鼓笛隊の一人一人が見つめる視線の先には師匠の存在があった。
福島県富士鼓笛隊のある隊員は、5年前に開催された第1回の同音楽祭の時、小学6年生だった。ステージで輝く鼓笛隊の笑顔に感動。"私も鼓笛隊に入って輝きたい!"と胸を高鳴らせた。
晴れて入隊した彼女は、鼓笛隊の精神を学ぶ。池田先生が贈った詩「平和の天使」を毎回の練習で朗読し、唱題根本に心と技術を磨く先輩たち。そこには"世界一の鼓笛隊に"との師の期待と、その思いに応えようとする一人一人の求道の心が通い合っていた。
憧れの舞台へ、勉学と練習の両立に挑んだ彼女。「皆さんに笑顔になってもらいたい。そして、池田先生に喜んでいただける自分に成長することが鼓笛隊精神だと学びました」と。音楽祭当日、彼女たちの希望に光り輝く姿があった。
池田先生は「結成から今日まで、鼓笛隊の歴史は、そのまま広宣流布の歴史であった。また使命に立ち上がった鼓笛の乙女たちの、幸せの人生行進の歴史だった」と。鼓笛隊が響かせる妙音と共に、平和と勝利の行進はきょうも続く。

☆御書の旭光を 第43回 生命の幸の宮殿を共々に
〈御文〉
『此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ』(四条金吾殿女房御返事、1134ページ)

〈通解〉
この世の中で法華経を持つ人は、男女・僧尼を問わず、一切衆生の主に当たると、仏はご覧になっているであろう。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法を行ずる生命は、あらゆる差異を超えて尊極であり、一切衆生に幸福を広げる存在だ。
とりわけ女子部のすがすがしい振る舞いが、縁する人々と社会に、どれほど希望の光を送ることか。悩みも苦労も、未来を照らす福徳となる。世界一、誇り高い、歓喜と充実の青春である。
明るく励まし合い、生命の幸の宮殿を共々に!

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 中国方面教育部長 玉井二郎
◇子どもを支え、導き、育む
中国方面教育部長 玉井二郎
【プロフィル】たまい・じろう 小学校教員として勤務し、校長職を務めた。定年退職後、広島市の就労支援事業で、障がい者の就労支援に従事。65歳。1956年(昭和31年)入会。広島市在住。副総県長。

◇人は人の中で磨かれる
「先生、居眠りしていましたね」——ある時、児童から学級日誌に書かれてしまい、思わず"ドキッ"としたことがあります(笑い)。児童といっても、決して"子ども扱い"をしてはいけません。40年間、広島市で小学校教育に携わる中で、見えや気取りを排して、全身全霊で児童に向き合ってきました。
今も忘れられないのが、教員生活13年目、ある小規模校で小学5年・14人のクラスの担任になった初日のことです。自己紹介をためらっていた男子児童が、やっと勇気を出し、立とうとすると、他の児童から「お前、ばかじゃけえ、貧乏じゃけえ、黙っとけえや」との声が教室中に響きました。
私は我慢できず、泣きながら叫びました。
「ばかじゃったら何が悪いんや! 先生も貧乏じゃ!」
人口の少ない地域です。子どもたちは幼少期から一緒に過ごしてきたこともあり、自然とクラスの中で"序列"ができていたのです。
"このままではいけない"と思い、始めたのが学級通信「ルネサンス」です。毎日、下校する前、学校での出来事を何でもいいので100字にまとめてもらいます。さらに、私の思いを書き足して、全員分を印刷し、翌朝に配布。保護者からは、子どもたちの考えや、学校での様子がよく分かると、大好評でした。
何より、児童たちへの理解が深まりました。学級通信を200号まで続けるうちに、仲の良いまとまったクラスに変わり、成績も向上。今では、医師として活躍する子もおり、毎年のようにクラス会を開催し、皆との再会を楽しみにしています。

◇褒め言葉のシャワー
2010年(平成22年)、校長として初めて赴任したのは、全校児童78人の小学校でした。市内でも、学力や生活面で問題を抱えていることで、知られていました。校内を回ってみると、子どもたちは授業中に後ろを向いて話をしていたり、廊下を走り回ったり……。
そこで毎朝、児童一人一人の顔を思い浮かべながら題目を唱え始めました。祈りを深めるうちに、智慧と活力が湧いてきます。毎日、教職員に対して、「子どもたちのためにできることは何でもしましょう」と呼び掛けました。自らも授業に参加。いじめの兆候を見つけたら、その場ですぐ対応しました。
ある時、児童の問題行動ばかりに気が取られるうちに、その子の良い面に目を向けることを、忘れていたことに気付きました。
日蓮大聖人は、「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242ページ)と仰せです。創価学会では、広布に生きる同志を尊敬し、励まし合うことで、互いに触発され、豊かな関係を結んでいます。
そこで、子どもたちの良い面を見つけては、一つ一つ褒めるようにする「褒め言葉のシャワー運動」を提案し、教職員一丸となって開始。教職員の団結も生まれて、校内が明るい雰囲気に変わり始めたのです。やがて、子どもたちの生活態度が落ち着くようになると、成績も見る見る向上。2年後には、学力が市内トップクラスの学校に生まれ変わりました。
その後、児童数700人の小学校に赴任。毎朝、教職員一人一人の顔を思い浮かべながら祈りました。しかし、教職員に「おはようございます」とあいさつしても、先生方に元気がありません。これでは児童にも良い影響を与えられません。実際、不登校の児童も多く、先生方も悩んでいました。
まず、私から教職員に、感謝とねぎらいの心で接し、授業以外の雑務を減らすようにしました。教職員は見違えるように元気になり、不登校の児童が一人もいない学校に変わったのです。
池田先生が示された、「教師こそ最大の教育環境」との指針がいかに重要かを教えてもらいました。

◇自身が人間革命を
文部科学省の調査によれば、2019年度(令和元年度)、公立学校教職員の精神疾患による病気休職者は5478人。前年度から266人増加し、過去最多の人数となっています。
たしかに教職員は、保護者や児童・生徒、地域、教育委員会の間に立って、多様な仕事に当たっています。私もつらいことが数え切れないほどありましたが、そのたびに拝してきた御書の一節があります。
「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(232ページ)
子どもを支え、導き、育もう!——学生時代の誓いに幾度も立ち返ることで、教育者の道を歩み抜くことができました。
「教育」とは「共育」です。"自分が人間革命する姿を子どもに見せないと、教壇には立てない"と自らに言い聞かせてきました。人は人の中で磨かれていくことを、児童や先生方の姿を通して確信しています。
昨年から、市の障がい者の就労支援事業に従事。コロナ禍で雇用環境が悪化する中、障がい者の方々が活躍できる環境づくりに携わっています。一人一人が可能性を広げられる社会を築くために、これからも教育部の使命と責任を胸に奮闘していきます。

[視点]唱題根本
玉井さんが人を思い、題目を唱えたように、創価学会では、人生を豊かに生きていくために、唱題を根本とした生活を大切にしています。
日蓮大聖人は、「深く信心を奮い起こして日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきです。では、どのようにして磨いたらよいのでしょうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのです」(御書384ページ、通解)と仰せです。日々の勤行・唱題の実践で、私たちの生命が錬磨され、無明という根本の迷いを打ち払うことができます。祈りとは、現実の生活、仕事などで努力していくための"エンジン"です。そして、自分が変われば環境も変えられる——その出発点が祈りなのです。

2021年7月21日水曜日

2021.07.21 わが友に贈る

「浅きを去って深きに
就くは丈夫の心なり」
敢然と困難に立ち向かい
より深い生き方を求める。
これが学会魂の真髄だ。

聖人御難事 P1190
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈日月四天等天照太神八幡の守護し給うゆへにばつしがたかるべしと存じ給うべし』

【通解】
たとえ、大鬼神がついていた人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王また天照太神・八幡大菩薩が守護されているゆえに、罰することはできないと、確信していきなさい。

名字の言 自分史上、最も熱い夏に 2021年7月21日
夏の甲子園出場を懸けた全国高校野球選手権地方大会の熱戦が続く。福島大会の開会式では、高等部員が選手宣誓を務めた。「私たちがここに立つまで、たくさんの受け入れがたい現実がありました」▼小学生の時に東日本大震災に遭い、新型コロナによる不自由な環境下での練習も経験した。しかし、だからこそ気付けた感謝がある。"日常"は当たり前ではなく、幸せなことなのだ、と。彼は力強く語った。「ここにいる全員が記憶に残る自分史上、最も熱い夏にすることを誓います」▼夏の甲子園の大会歌は、福島出身の古関裕而氏が作曲した「栄冠は君に輝く」。作曲の際、氏は無人の甲子園グラウンドに立ち、球児に思いをはせたという。切磋琢磨の汗、悔し涙……。熱闘の裏には、それぞれの人間成長の劇がある▼生前、氏は母校を訪れ、高校生に呼び掛けた。自分の理想や信念は、どのような状況に陥ろうとも挫けず貫き通し、そして努力すること。それなしに成功はありえない、と(『古関裕而物語』歴史春秋社)▼試合に勝ち負けはある。だが、懸命に練習を重ねた鍛錬の日々は、等しく人生を彩る"栄冠"と輝く。球児たちの全力プレーにエールを送りつつ、自らも壁を破る"熱い夏"にしたい。

寸鉄 2021年7月21日
学会員の対話こそ最良の社会築く力—博士。立正安国へ草の根の語らいで
心が一つになれば必ず事は成就する—戸田先生。共に励まし、共々に前進
「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ」御書。常勝の源泉は題目
常に新たに自己に勝て—哲人。拡大の目標立てて。自身の最高記録に挑戦!
夜型の生活は認知機能の低下やうつの原因に。早めの就寝でリズム正しく

☆全国男子部大会への池田先生のメッセージ
◇本門の男子部よ立て! 仏法勝負の旗を掲げて
君たちの「熱」と「力」で見事に勝ち飾った結成70周年、誠におめでとう!
誉れ高き一人一人と、私は心の握手を固く交わし、ねぎらい讃えたい。本当にありがとう!
男子部結成の折、戸田先生は私に言われた。
「一兵卒から戦いを起こし、全軍を率いて、広宣流布の大理想に突き進め!」
「頼んだぞ! 万人の幸福を築け! そのために学会は、後世永遠に広宣流布を、立正安国をめざして進んでいくんだ」
70年間、貫き通してきた、この師弟の記別を、本門の男子部が今、全責任を担い立って継承してくれることが、私の何よりの誇りです。
御本仏・日蓮大聖人は、厳しい逆境を勝ち越えた四条金吾の実証を、「長き夜のあけ・とをき道をかへりたるがごとし」(御書1165ページ)と喜ばれた。そして、「仏法と申すは勝負をさきとし」「故に仏をば世雄(社会の英雄)と号し」(同ページ)と仰せになられた。
「仏法勝負」の旗を掲げた君たちは、いよいよ負けじ魂を燃え上がらせて、現実の生活と社会の舞台で、一つ一つ人間革命の勝利の体験をつかみ取り、語り示していただきたい。そして、若師子の大学校生と共に、創価の世雄として、従藍而青のスクラムを強く大きく広げながら、立正安国、立正安世界へ、民衆凱歌の十年の夜明けを開いてくれ給え!
宝の君たちの健康と前進を祈ります。
共々に痛快に勝ちまくろう!

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第8回 常勝不敗の原点
◇異体同心事
異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候、殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ(中略)日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし
(御書1463ページ2行目〜6行目)

◇池田先生の講義
いかに強大な権力をもって迫害を加えようとも、広布を目指す正義の連帯である「一善」を破壊することはできません。強き信心の団結を貫き通せば、いかなる障魔をも打ち破り、絶対に勝利していけるのです。
では、異体同心の団結を築くためには、どうすればいいのか——。
私は、広宣流布の師匠である戸田先生のもとで、「師と共に」との一念を定めて祈り、戦い抜きました。
「誰か」ではなく「自ら」が立ち上がり、広布拡大の先陣を切り開いていく。そして、どこまでも同志と力を合わせ、互いに励まし合いながら進むのです。
「異体同心」の「心」とは「広宣流布を願う心」です。また、同志である「学会員を尊敬する心」です。さらには、いかなる圧迫も恐れない「師子王の心」です。そして、この究極が「師弟不二の心」なのです。
◆◇◆
広布の誓願に向かって異体同心で進む学会だからこそ、一人一人が人間革命できるのです。そして、人々が希求してやまなかった恒久平和への連帯を創り広げながら、やがては国土、そして全人類の宿命の転換をも可能にしていくのです。創価学会には「希望創出」の使命があるのです。
(『調和と希望の仏法 「人間の宗教」の時代へ』から)

徳渕美智代 総大阪女性部長
◇師と共に今再びの金字塔を!
「戦いは絶対に勝たなあかん! 負けたらあかんねん!」
中之島の中央公会堂や大阪拘置所がある北大阪総県が地元の私は、高校1年で入会して以来、地域の草創の先輩から、この"常勝不敗の魂"を何度も何度も教えていただきました。
はじめはよく意味が分からなかったものの、小説『人間革命』を学ぶ中で実感できるように。1982年(昭和57年)の第1回関西青年平和文化祭で初めて池田先生にお会いし、生涯、師と共にと誓いました。
今年は「大阪の戦い」から65周年。大阪の友は年頭から、小説『人間革命』第10巻を学び合い、不可能を可能にした先生の大闘争を命に刻んできました。
約半年で8000人もの人を励まされ、入会から日の浅い一人一人を結合してくださった先生。当時、まだまだ学会員が少なかった大阪で、「異体同心なればかちぬ」(御書1463ページ)の一節の通り、"まさかが実現"と世間が驚嘆する大勝利を収めてくださったのです。
今再びの立正安国の勝利へ、65年前の戦いで先生も引用された「異体同心事」を拝し、先生の講義を心肝に染め抜いていきましょう。

◇無数の共戦譜
先生は異体同心について、「一人一人の特質や個性を最大に尊重しつつ、共通の目的のもとに心を合わせて団結し、行動していく姿です」と講義されています。
「大阪の戦い」当時、先生は、真っ先に個人指導に打ち込まれました。境遇も悩みも千差万別。病苦、経済苦、家庭不和など、さまざまな悩みを真正面から受け止め、信心で立ち上がることを訴え抜いていかれました。そして自転車を何台も乗りつぶされ、大阪中を奔走されました。
当時のエピソードの数々は、歓喜とともに、まるで昨日のことのように語り継がれています。
例えばある時は、商店街を一緒に歩いてくださり、"こうやって信頼を広げていくんだよ"と励ましを。新聞が、学会に対し、「暴力宗教」と理不尽な中傷を書き立てた翌日には、ある拠点を訪れ、"日本一の折伏をやろう!"と皆の不安を吹き飛ばす大激励をされています。
先生は、一人一人を抱きかかえるように励まし、異体同心の団結を強め、常勝関西を築いてくださったのです。『人間革命』に刻み込まれた無数の共戦譜が胸に迫ってきてなりません。
先生は講義の中で、次のように教えてくださっています。
「『異体同心』の『心』とは『広宣流布を願う心』です。また、同志である『学会員を尊敬する心』です。さらには、いかなる圧迫も恐れない『師子王の心』です。そして、この究極が『師弟不二の心』なのです」
今、私自身も、"第10巻"を片手に毎日、同志と語らっています。
そこには、「師の言葉から、師の意図を知り、さらに、その根源にまで迫って、その同じ根源を師と共に分かち合う弟子の一念は、まことに、まれだといわなければならない。しかし、このまれなる一念の獲得にこそ、師弟不二の道の一切が、かかっているのである」とあります。
"今こそ、この一念に迫る時"との思いで、自らの拡大の挑戦や失敗談も語りながら、「65年前、先生はこう戦われてはるよ!」と、師の心を伝えるために全力を注いでいます。なぜなら、弟子の心が師匠の心に合致してこそ本当の異体同心の団結があると確信するからです。
他を頼むのではなく、自らが一人立つ——先生が示してくださった要諦を実践していきたいと思います。

◇不可能を可能に
"今再びの金字塔を!"と大阪の同志は意気軒高です。
入会5年になる住之江総区のある副白ゆり長は、信心する前、脳に腫瘍があり、手術はできないといわれていました。しかし、学会員のご主人が"この信心で絶対に治る!"と励まし、題目を送り続けてくれました。すると、腫瘍の一つが消えたのです。この実証に大確信を得て、彼女は入会。
その後、学会活動に励む中、なんと残る腫瘍も小さくなり、手術が可能になったとのこと。不可能を可能にする信心の功徳に大歓喜し、今夏、報恩の思いで、東京在住の60人以上の友人に対話。歓喜の波動は友人の友人へも伝わり、200人を超える方に仏縁を広げることができたのです。彼女は関西魂を燃やし、さらなる戦いを誓っておられます。
池田先生は『人間革命』につづられています。「勝つも負けるも、畢竟するところ、私たちの一念が、固い団結で結ばれているかどうかに、かかっている。重大なことです」
今こそ、「第一に題目! 第二に題目! 第三に題目!」の大確信の祈りを轟かせ、立ち上がる時。先生直結の常勝のスクラムを固く、正義と希望を広げる対話に徹し、広宣流布の新たな金字塔を打ち立てていきましょう!

メモ
「異体同心事」の御述作の年月や、送られた人は不明。本抄前半で、駿河の地で活躍する日興上人の名前や、「あつわらの者どもの御心ざし」との仰せがあることから、駿河に住む門下に与えられたと推察される。内容から、後に「熱原の法難」へと発展する迫害の渦中にいる門下を励ますために送られたと考えられる。

2021年7月20日火曜日

2021.07.20 わが友に贈る

一人一人が主役と光る
喜びあふれる座談会を!
互いの奮闘を称え合い
功徳を語り合いながら
誓いも新たに進もう!

御講聞書 P808
『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり』

【通解】
題目を唱え奉る音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目という「大音」に入れて唱え奉るゆえに、大宇宙の中で到達しない所はない。たとえば小さな音でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである。

名字の言 雲は「空の旅人」 2021年7月20日
ニュースより先に、空が梅雨明けを教えてくれた。雨上がりの空に、入道雲が躍っている。本格的な夏の到来である▼雲は大まかに10種類に分類されるという。「巻雲」「高積雲」「積乱雲」……。だが春夏秋冬、千変万化の雲の姿を見ていると、もっと多彩ではと思えてならない。歌人・石川啄木に『雲は天才である』と題する小説がある。雲を表すに言い得て妙だ。雲は自在。形を自由に変え、何ものにも縛られない▼雲は一時も止まることがない。風に乗って山を越え、川を越え、街や国さえ越えていく。世界桂冠詩人の池田先生は、雲を「空の旅人」と表現した。「雲の旅には、国境がない。心の世界にも、国境はない。だから、大空のように広い広い心の世界で、人と人とを結んでいきたい」とつづっている▼御書に「仏は大雲の如く」(946ページ)と仰せだ。仏は誰も差別しない。千差万別の一切衆生を分け隔てなく慈しみ、平等に慈雨を降らして育んでいく▼「夏雲の湧きてさだまる心あり」(中村汀女)。夏の入道雲は上へ上へと勢いよく発達している。1秒間で約10メートル成長することもあるという。"わが心も空へと大きく大きく広げてみせる"と決めよう。「挑戦の夏」「成長の夏」を共々に!

寸鉄 2021年7月20日
広布の戦に自分から切り込め—戸田先生。青年よ拡大の夏の陣に先駆を!
鳥取県女性部の日。地域を照らす"山光の太陽"!決意即挑戦で凱歌の秋へ
「出世の本懐は人の振舞」御書。我らは行動で輝く。誠実の対話で人々結ぼう
RSウイルス感染、乳幼児に急増。肺炎の危険も。手洗い、早期受診で自衛
観戦で高齢者の鬱リスク減、TVでも効果—研究心に"わくわく"を忘れず

☆Switch—共育のまなざし 親子が共に育つ「家庭教育」とは
間もなくすると、子どもたちにとっての夏休みが始まります。家庭で親子が共に過ごす時間が増えるこの季節は、「家庭教育」の意味をあらためて考える大切な時期でもあるでしょう。今回の「Switch——共育のまなざし」では、池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、先生の励ましの言葉を抜粋して紹介します。

◇ささやかでも
〈夏休みを迎えるに当たり、池田先生は、女性リーダーたちの話に耳を傾けながら語りました〉
夏休みといえば、だれしも待ちどおしく、本当に楽しみなものです。私も、そうでした。今はお父さんも、お母さんも、そして子どもも、ずいぶんと忙しいね。
考えてみれば、戸田先生に師事して以来、私には「夏休み」など一日もなかった。(笑い)
戸田先生は、「広宣流布と信心に、休みはない。休むのは、墓に入ってからだ」と、眼鏡の奥の目を細めて、よくおっしゃっていた。私は戸田先生の弟子として、瞬時を惜しんで、学会のため、会員の方々のため、広宣流布の道を切り開いてきました。この人生に一点の悔いもありません。
ただ、子どもたちには、寂しい思いをさせたことがあったかもしれない。そうしたなかで、私なりに心がけてきたことは、わずかな時間を縫うようにして、子どもたちに「思い出」をつくってあげることだった。夏休みは、親が子どもとじっくりつきあい、子どもの生命に「宝の思い出」を刻んであげる機会にしたい。
幼い日に刻んだ思い出は「生涯の宝」であり、「心の糧」だ。孤独の時には友となり、苦難の時には支える力となります。
ささやかな思い出であっても、本当に心と心がふれあったものなら、年月を経ても朽ちない。思い出は、親子の絆の結晶とも言える。

◇自信を育むために
〈関西の女性リーダーが大阪のある母親のエピソードを紹介しました。中学生と小学生の3人の男の子がいるご家庭で、その母は毎年1学期の終業式の日には「たこ焼きパーティー」や「お好み焼きパーティー」の準備をして子どもたちの帰りを待っているそうです。これは1学期間、頑張ったことをたたえ合うとともに、夏休みの間に「何か一つ」やりぬこうと約束をするためだといいます。その約束とは「弟の面倒をみる」「靴を毎日、きちんとそろえる」などのお手伝いですが、あくまで子どもたちが自分で決めて、最後までやりぬくことを約束するのです〉
なるほど。夏休みは勉強も大事だが、家の手伝いなどに挑戦するのも大事なことだ。「あれもしよう」「これもしよう」と計画しても、計画倒れに終わることも多い。
「何か一つ」やりぬくことが、子どもの自信につながる。夏休みに家族で旅行して、思い出をつくるのもよいことだが、親子で一緒に何かに挑戦するのも尊い思い出になる。

何かに挑戦した思い出をつくる夏に!
◇確固たる信念を
〈一方で受験生にとって夏休みは、"天王山"ともいわれる季節。将来の進路について深く考えるタイミングでもあるでしょう。一人の女性リーダーが質問しました。「お子さんの進路の問題は、多くのお母さん方が悩まれている問題だと思うのですが、子どもに最も合った、その子らしい人生を歩ませるには、親としてどうすればよいでしょうか」〉
以前、ブラジル・パラナ連邦大学のファラコ総長ご夫妻と会談(1991年5月)した折に、17歳と15歳のお子さんをもつ夫人が語られていた言葉が忘れられません。
「進路に関しては、強制しないように心がけていますが、母として期待することは、何をやるにせよ『自分が満足できる、力を出しきれる人生であってほしい』、そして『社会に貢献できるように成長してほしい』と思います」——と。
大切なのは、親自身に、「社会のために何かしよう」「人のために何かしよう」という確固たる信念が、あるかどうかです。そのために行動しているかどうか、です。
そのうえで、お子さんが自分の手で人生を切り開き、その道で最高に輝いていけるように、最大に励ましながら支えてあげることです。私たちの信仰の世界で言えば、いっさいの根本となる信心の基本をきちんと身につけさせることです。そのうえで、本人の意思をできるかぎり尊重してあげることだと思います。

◇希望の方向へ
〈わが子の幸せを願うあまり、「できればこういう道に進んでほしい」と望んでしまうのもまた、親心というもの。しかし親の願う進路と、子が望む進路とが食い違うこともあるでしょう。池田先生は訴えました〉
世間でいう、いい学校、いい就職という、"成功のレール"を歩むことだけが人生ではありません。
仮に、そのレールどおりの人生を歩めたとしても、本当の充実感を味わえるかどうかは、まったく別問題でしょう。有名な大学を出ても、汚職に走ったりして、人生を台無しにしてしまう人も少なくない。
子どもというのは、自分自身で伸びる"芽"をもっているのです。
だからこそ、お子さんが進むべき道を見つけたら、しっかり話しあったうえで、全力で応援していく。親がたじろいだり、戸惑ったりしてはいけない。親が世間体を気にして、子どもを理解しなかったら、だれが理解してあげられるのか。
何があろうと、他人がどう言おうと、自分だけは、子どもの「絶対の味方」となり、「最大の支え」となってあげるのです。
◆ ◇ ◆
お子さんの心をくみとりながら、希望のもてる方向へ、向上していける方向へと励ましていく。可能性をどこまでも信じ、真剣に成長を祈ってあげるのです。家庭教育は、わが子を信頼することから始まるのです。
世間体や表面的な次元にとらわれた生き方では、いつまでたっても安心感は得られない。いつも何かに左右され、軸がなくなってしまう。すると、「困った」「どうしよう」と、グルグル回っているだけで前へ進まず、愚痴や心配が絶えなくなってしまう。
そうではなく、一念の"ハンドル"によって、すべてを幸福の方向へと、力強く回転させていく——これが信心の力なのです。

すべてはわが子を信頼することから
◇一個の人格として
〈頭では分かっていても、つい世間の目を気にしたり、他人の子とわが子とを比べたりしてしまう——そんな親御さんも少なくありません。池田先生は重ねて励ましを送ります〉
子どもというのは、一人一人違う。成長の度合いも、千差万別です。あまり神経質になって、一喜一憂すると、その不安が子どもに移って、悪循環におちいるということにもなりかねない。お母さんは、少々のことには動揺せずに、どっしりと構えていることが大事です。
心豊かな、広々とした境涯の母親のもとでこそ、子どもは伸び伸びと育っていくことができる。
あせりは禁物です。もちろん病気の心配がある場合などは、病院できちんと診てもらうことは必要でしょうが、体の発育や言葉の発達が多少、遅れていても、長い目で見てあげたほうがよい場合もある。あわてないで、子どもと一緒に歩んでいくのです。
◆ ◇ ◆
子育てには「忍耐」が必要です。
とりわけ人を育てることは、本当に手のかかるものです。すぐに思いどおりにいかなくて当たり前です。子育て、人材育成に関しては、「労少なくして功多し」ということはありえません。
◆ ◇ ◆
苦労を惜しんで、小手先でなんとかしようとしたり、子どもを「操作」しようとすれば、必ず行き詰まります。自分では意識していなくても、心のどこかに、「どうせ子どもだから」などという傲慢さがあれば、子どもはそれを感じ取る。子どもは敏感です。生命のレーダーで、大人の心を、そのまま写し取ってしまう。
いつも言っていることですが、子どもの中には立派な大人がある。一個の人格として尊重していくことです。逆に言えば、どこまでも真心をかたむけ、愛情をそそいでいけば、たとえそれが不器用であっても、子どもは必ず応えてくれる。
苦労があるからこそ、親が人間として成長できる。「育てる」ほうも、「育てられる」のです。

2021年7月19日月曜日

2021.07.19 わが友に贈る

◇今週のことば
夏は挑戦の季節だ。
宝の未来部と共々に
新たな課題に挑もう。
勤行・唱題を源泉に
人間革命の成長劇を!
2021年7月19日

祈祷抄 P1352
『行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし』

【通解】
たとえ行者は不実であっても、智慧は愚かであっても、身は不浄であっても、戒徳を備えていなくても、ただ南無妙法蓮華経と唱え奉るなら、必ず守護されるべきである。

名字の言 毛利元就の「厳島合戦」 2021年7月19日
毛利元就が中国地方を制覇する転機となった合戦がある。1555年の「厳島合戦」。島の小城を守る毛利軍わずか500を、2万の敵軍が取り囲んだ。対岸の元就が援軍に向かうが、突如、暴風雨に襲われた▼船が転覆する危険があり、渡海中止の声が上がった。しかし、元就は喜んだ。"激しい雨で敵は警戒を怠るだろう。この好機を逃してなるものか。全軍、速やかに出陣せよ"▼元就の号令に臣下たちは、「われ先に」と乗船した。上陸した元就は高らかに勝利を宣言し、全ての船を帰した。退路を断った進撃で、毛利軍は敵軍を打ち破った(『毛利元就 西国の雄、天下への大知略』学研プラス)▼1956年10月、池田先生は山口開拓指導を開始。翌57年1月までの22日間で、当時の会員世帯数を約10倍にする弘教を成し遂げた。先生の行く先々で、会合は明るく弾み、一人一人が躍動した。その要因について、小説『人間革命』第11巻「転機」の章に、「使命と責任とを、いかに感じているか、題目を唱えてその場に臨んでいるか、どうかにあるんです」と▼仏法は「因果倶時」。どんな困難があろうと「勝利」を自らの使命と責任と定めた時、活路が開けてくる。凱歌の秋へ、日々、その決意で前進したい。

寸鉄 2021年7月19日
花の女子部が結成70周年大会。華陽の連帯は創価の希望。勝利の門を開け
広布へ手を繋ぎ挺身した者は必ず幸福に—恩師。さあ決意固め合う座談会
至誠で動かざる者なし—孟子。ここに人間外交の真髄。挨拶一つも心込め
「子どもの事故防止週間」特に水難事故多し。親が油断せず、目を離さず!
各地、梅雨明けで暑さが本格化。冷房利用や水分補給賢く。熱中症に警戒

〈社説〉 2021・7・19 きょう「女子部結成記念日」
◇永遠に師弟勝利の門を開く
「民衆のため、平和のために戦い抜き、自分も幸福になってください。妙法のジャンヌ・ダルクになってください」——1957年の夏、大阪事件という創価学会弾圧の嵐が渦巻く中、山本伸一青年が一人の少女に、こう語る場面が小説『新・人間革命』第17巻に描かれている。
今、"妙法のジャンヌ・ダルク"たらんと、師との誓いを胸に自身の人間革命に挑戦し、正義の声を響かせゆく華陽姉妹が、はつらつと躍動する。
師弟勝利の門を開く女子部が、きょう、結成70周年を迎えた。
1951年7月19日、学会本部に74人の若き女性が集い、結成された女子部——。席上、第2代会長・戸田城聖先生は宿命に泣いてきた女性史の大転換を宣言され、「一人も残らず幸福に」と慈愛を込めて呼び掛けた。
時は巡り、第3代会長・池田大作先生のもと、師弟の誓願に生き抜く女子部員を対象に「広布第2幕 池田華陽会」が結成されたのは2008年。池田先生は「『華陽』という名前は、光り輝く『太陽』に照らされながら、人びとの心に限りなく神々しい感動を贈りゆく『華』を象徴したものだ」と綴っている。
愛知のある女子部リーダーは、創価大学を卒業後、都内の食品会社に就職。しかし、体調を崩し、1年で退職を余儀なくされた。その後、帰郷して、職を転々とするが、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)との御聖訓を拝し、必ず信心で開くと心を決めた。
昨年9月、世界青年部総会に参加し、"学会創立100周年に向けて、社会で実証を示そう"と誓う。11月に建設会社の営業職に就き、今、誠実な振る舞いで着実に業績を上げ、信頼を広げている。
師への誓願に生き抜く時、いかなる困難の闇をも晴らすことができる——女子部70年にわたる一人一人の歩みが全て、この偉大な真実を物語っている。
女子部は、今年の11・18「創価学会創立記念日」に女性部としての新出発を迎える。未来を担う新時代の華陽姉妹に一層の期待が高まる。池田先生は「創価の女性のスクラムは希望の太陽であり、慈愛の月光である」と語られた。
誓願の「7・19」から勝利の「11・18」へ、そして学会創立100周年に向けて、女性の力で世界広布の新たな歴史を開いていきたい。

☆不二の旅 第14回 池田先生と関西�
◇永遠に師弟を叫べ
・"朗らかに、忍耐をもって生き抜いていただきたい"——阪神・淡路大震災からの復興を誓う友へ、"大楠公"のピアノ演奏を(2000年2月、神戸市の長田文化会館で)

・現・尼崎文化会館で行われた兵庫広布35周年を記念する幹部会。関西の"要"である尼崎の前進があったからこそ、兵庫、そして全関西の勝利があった、とたたえた(1988年3月)

・京都池田講堂(現・伏見平和会館)での京都支部結成27周年記念の集い。「威風堂々」の心で進む同志へ、団結固く不動の信心をと望んだ(1983年3月)

・和歌山文化会館を初訪問し、春季彼岸勤行法要に出席。陰で奮闘する友を見つけ、励ましていく一念と行動が、広宣流布をさらに進めると呼び掛けた(1996年3月)

・滋賀研修道場での記念撮影会に集った青年部を励ます(1989年4月)。この日、先生はイギリスのチャーチル首相の言葉を通して語った。「未来への希望があれば、必ずや、最後の凱歌への道が開けていくものだ」

◇関西の友に贈った指針
いかなる艱難にも断じて負けない、いな、艱難があればあるほど燃え上がる、人間生命の常勝不敗の一念。この不敗の一念こそ、わが「関西魂」であり、わが「関西スピリット」である。
どんな厳しい戦いにあっても、断固として乗り越え、勝ち越えてみせる、関西の大行進が、世界に、そして人類に、どれほど大きな「勇気」と「希望」を贈り続けゆくことか。その使命と栄光を、誇り高く、朗らかに自覚しながら、厳然と勝利また勝利の歴史を重ねてまいりたい。

三類の強敵の大難を勝ち越えて、正法を弘通し抜いてきたのは、だれか。それは、創価の三代の師弟である。
その師弟の真髄の精神が、どこよりも生き生きと脈動している天地こそが、常勝関西なのである。
広宣流布の第2幕とは、弟子が戦い勝つ時代である。その大行進が、今再び、我らの大関西から悠然と始まったということを、私は高らかに大宣言させていただきたい。

牧口先生と戸田先生。戸田先生と私。ここにのみ真実の師弟がある。そして、いよいよ関西に、本物の「師弟」の人材城を築き上げていく時である。
関西が、私の後を継いで、「師弟」を叫びきっていくのだ。
関西が、一致団結して、本当の「師弟の魂」を護っていくのだ。
それが、わが関西の決心であり、誓いであっていただきたい。
関西の皆さん、頼みます!
なんの遠慮もいらない。常勝関西の大前進で、全国を、全世界を揺り動かしていただきたい!
(関西最高協議会<2007年11月>でのスピーチから抜粋)

☆第4回本部幹部会・結成70周年記念青年部総会 西方男子部長の話
◇正義の言論戦に青年が立つ!
一、"我々青年が立つ時が来た!"——70年前の男子部結成直後、池田先生は若き同志と共に戦闘開始を固く誓い合いました。私たちも今、次なる広布の凱歌へ、「立つ時が来た!」と高らかに宣言し、怒濤の大前進を開始してまいります。
男子部はこの夏、結成70周年を記念する「大学校生大会」と「体験談大会」を列島各地で盛大に開催します。今、全国1万人の大学校生が躍動しています。人生初の弘教を実らせたメンバーや社会で勝利の実証を示す友など、同世代の青年に希望と共感の輪を広げています。この歓喜を胸に、夏の「大学校生大会」を目指して、さらなる励ましを送っていきたい。
そして、「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書1468ページ)との御聖訓の通り、「体験」こそ仏法の偉大さを示す、何ものにも代え難い証しです。この誇りと確信のままに、各地で「体験談大会」をにぎやかに行いながら、信心の喜びをたくさんの同志や友人に語り抜き、広布拡大の突破口を開いていきます。

一、さて、4日に投開票された東京都議会議員選挙において、私たちが支援する公明党は1993年以降、8回連続となる全員当選。6日付の日本経済新聞の見出しには、今後の「都政運営、公明が鍵」と、ますます公明党の存在意義が大きくなっています。
確かな政策と実績をもつ公明党を、識者も高く評価しています。中央大学の佐々木信夫名誉教授は語っています。「公明は半世紀以上にわたって都議会で『扇の要』として、都政運営の『羅針盤』役を果たしてきた」「"小が大を制する"と言われるが、都議会公明党は第1党の大をも制する役割を担うようになっている」と。

一、一方で野党はどうか。日本共産党と共闘した立憲民主党は、28人が立候補し、当選したのは半分の15人。6日付の読売新聞では"立民は国政の野党第1党としては物足りない結果""無党派層の支持に広がりがないのは深刻"と分析し、「衆院選での野党共闘につなげる狙いがあるが、支持団体の連合は反発」と報じています。さらには"政権選択選挙である衆院選で(共産党と)連携するのなら、憲法や外交・安全保障など基本政策の違いをおざなりにしてはなるまい"と鋭く指摘しています。
私たち男子部は、ウソやデマの実態を鋭く見抜き、引き続き正義の言論で糾弾してまいりたい。公明党こそ、コロナ禍という未曽有の国難を乗り越えるための「羅針盤」であり、与野党の中で群を抜く「実績第一の党」であることを強く訴え抜こうではありませんか。

☆第4回本部幹部会・結成70周年記念青年部総会 大串女子部長の話
◇女性の真剣な声が未来を開く
一、女子部結成70周年を迎える今この時、「女性の真剣な声、女性の正義の叫びが、人の心を動かし、社会と時代を大きく導く。未来を変えていく」との池田先生のご期待を胸に、女子部もはつらつと立正安国の対話に挑んでいます。
東京・大田総区の18歳のメンバーは、中学、高校といじめが原因で不登校だった経験があります。女子部になった今、「自分は誠実な行動を貫く」と池田先生への誓いを握り締め、いじめられた相手にまでも対話。そこまでの勇気に触れた友人は驚き、心を変え、逆に悩みを相談してくれるまでになりました。
調布総区の女子部が対話をした、ある年配の男性は「若い女性が信念をもって真剣に語る姿に、僕は感動した。若い人たちがこんなに熱心に行動している団体は本物だ」と語ってくれました。女子部が真心込めて語る一言は、必ず相手の心に届いていくのだと実感します。

一、本年3月から5月、公明党は青年委員会による政策アンケート「ボイス・アクション2021」を実施。全国から70万を超える青年の声が集まりました。それをもとに、先月23日には、菅首相に政策提言を提出。無料Wi—Fiを来年3月末までに全国3万カ所に整備することや、自治体や企業による奨学金返還支援の拡充など、若者に寄り添った政策が前進しました。
また、公明党は、"女性が輝ける社会は、全ての人が輝ける社会"との思いで女性支援にも尽力。女性が7割を占める非正規労働者は、コロナ禍において、約70万人が職を失ったといわれています。孤立して周囲に助けを求められない人も多くいます。
その中で公明党は、孤独・孤立対策に力を入れるとともに、企業から休業手当が支払われなかったとしても、自分で直接申請できる「休業支援金」の制度も実現させました。離職者や非正規雇用者のスキルアップを目指したリカレント教育(学び直しの機会)の支援等も進めています。これまでも、公明党は、女性専用外来の開設や、不妊治療の公費助成の拡充等、女性の声を聞き、粘り強く実現に結び付けてきました。
孤立した若い女性の支援を行うNPO法人「BONDプロジェクト」の橘代表は公明党への期待をこう語っています。「同情を寄せる人はたくさんいますが、公明党は行動に移します」「人との出会いを大切にし、必ず行動で応えてくれます」と。

困難な状況が続く今こそ、人間の尊厳性を重んじ、一人の人に寄り添い続ける公明党の存在が、重要な役割を果たす時だと確信します。

一、池田先生は女子部に語られました。
「皆さんに、絶対に幸福になってもらいたい——これが、私と妻の一心不乱の祈りです」と。現実は、言うに言われぬ悩みや、苦労が絶えない日々だとしても、題目を唱え、華陽姉妹と共に進む青春は不幸で終わるわけがない、最後は必ず勝つと、不屈の前進を続けていきたい。
いよいよ「11・18」には、「『女性の世紀』の本舞台が開幕した」との先生のご期待に包まれる中、女子部も女性部としての新出発を迎えます。
創価の女性の使命がより深まる今、一人一人の使命もまた大きいと感じます。女子部は皆が「先生、見ていてください! 私が勝利を開きます!」との師弟の誓いを打ち立て、「女子は門をひらく」(御書1566ページ)との御聖訓の通り、勝利また勝利の史上最高の拡大の歴史を築いてまいります(拍手)。

2021年7月18日日曜日

2021.07.18 わが友に贈る

熱中症に要注意!
梅雨明けの急激な猛暑に
体は急に追いつかない。
水分を小まめに補給し
冷房も積極的に活用を。

四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり』

【通解】
太陽と月が四天下(世界)をめぐるのは、仏法の力なのである。

★第4回本部幹部会 SOKAnetで配信、今日(7/18)までです!
こちらから⇒https://www.sokanet.jp/recommend/honkan202107/

名字の言 関わり続ける大切さ 2021年7月18日
子どもたちがネタ作りをし、クラス単位で漫才を発表する。その漫才を保護者や地域の人たちにも披露する。この「教育漫才」の提唱者である田畑栄一氏には、忘れられない思い出がある▼中学3年のクラス担任の時、不登校の生徒がいた。1年間、家庭訪問を続けたが一度も会えなかった。10年後、開催された同窓会。そこに彼の姿があった。「先生が家に来てくれて、実はすごく嬉しくて」「それが今の自分を支えています」▼氏は涙が止まらなかった。自分の思いが届かないと感じていた10年前の日々は、生徒の人生を支えるほど大切なものになっていた。関わり続ける大切さを深く胸に刻んだ(『教育漫才で、子どもたちが変わる』協同出版)▼別のある青年も高校時代、不登校になった。そんな時、男子部員が何度も訪ねてきてくれた。自分は見放されていないという実感が湧き、"人の痛みが分かる人になるために今、苦しんでいる"と思えるようになった。勉学に励んだ彼は今年、アメリカ創価大学大学院を修了し、教育の道に進む▼苦悩する友に寄り添い、立ち上がることを信じて送り続けた励ましは必ず友の心に届き、生きる希望となる。他者のための労苦に、無駄なことなど何一つない。

寸鉄 2021年7月18日
広宣流布とは連続革命だ—戸田先生。一日一日が勝負!常に挑戦の気概で
東西学園で「栄光の日」の集い。庶民を守る英才と育て!創立者の期待胸に
本部幹部会の配信が今日まで。共に次なる勝利の峰へ!決意を一つに出発
人生の目標が明確な人は生活も健康的—研究。友の為に歩く我らの道こそ
脇見や居眠り運転を警告する車載器が登場。でも過信せず。要は安全運転

☆不二の旅 第13回 池田先生と関西�
◇勝利の歴史の出発地
・奈良支部結成20周年を記念する自由勤行会で指導。苦難の冬を勝ち越えた喜びを胸に、会場の全員で「春が来た」を合唱した(1981年11月、明日香文化会館で)

・福井の同志との記念撮影会。終了後、郷土の歌と踊りを観賞し、「赫々と 福井の友の 功徳舞」との句を詠み贈った(1972年3月、敦賀市立体育館で)

・さあ出陣! 新たな広宣流布の峰へ!——本部幹部会の席上、「大関西の一大電源地」である堺総県の友から贈られた「師弟勝利の銅鑼」を打ち鳴らす(2006年3月、東京牧口記念会館で)

・1985年1月、西大阪文化会館(現・住之江文化会館)を訪れ、地元の代表約400人を激励。先生は"皆が勝利の実証を示す人生であってほしい。その原動力が信心である"と訴えた

・第13回関西総会などでの激励を終え、新大阪駅のホームで(1991年10月)。"常勝関西の玄関口"との誇りも高く、新大阪総県の友は「勇猛精進の信心」に燃え立つ

・守口門真文化会館(現・守口文化会館)の落成5周年記念の集いに出席(1983年3月)。この折に贈られた「正義によって立て! 汝の力二倍せん」との箴言を胸に、常勝大阪総県の友は走る

◇関西の友に贈った指針
東京が広宣流布の「頭脳」であるならば、関西は「心臓部」である。
そう私は確信しています。
常勝関西こそ、永遠に、わが創価学会の精神の根幹である「信行学」の模範となって進みゆく使命があるのです。
そして、常勝関西こそ、広宣流布の先頭を走り、あらゆる戦いを完璧に勝ち抜くことが運命づけられているのです。そのことを関西の皆さんは、強く強く認識していただきたい。

私は28歳の時(昭和31年)、"大阪の戦い"の指揮を執った。そして、絶対に勝てないと言われた劣勢をはね返し、大勝利の金字塔を打ち立てた。
全国的にも大きな注目を集め、ある新聞は「"まさか"が実現」と大々的に報道したほどである。
あの時、関西中が燃えた。日本中が驚嘆した。
私が厳然たる勝利の歴史をつくり、創価学会の本当の路線が出発した地こそ、関西なのである。私は、関西を信じている。関西の同志の皆さん、頼みます!

私がいちばん信頼している関西です。関西で牢獄に入ったのですから。関西で戸田先生をお守りしたのですから。関西で不敗の創価学会をつくったのですから。
皆さんは、その大関西の責任と栄光をいちだんと誇り高く、明確に掲げていっていただきたい。
日本のために! 世界のために! 全同志のために! 関西がいれば大丈夫。関西がいれば何の心配もない——それが私の偽らざる気持ちなのです。
(新世紀第4回関西総会<2004年11月>でのスピーチから抜粋)

☆第4回本部幹部会・結成70周年記念青年部総会 原田会長の話
◇地涌の使命に燃え立つ全同志に感謝
一、「第4回本部幹部会」ならびに「青年部総会」の開催、誠におめでとうございます。そして、改めまして、7月4日に行われた東京都議会議員選挙での公明党23人完勝、大変におめでとうございます(拍手)。
東京凱歌のために奔走してくださった全国の同志の皆さま、本当にありがとうございました(拍手)。
コロナ禍の中、かつてない制約のもとに行われた選挙戦とあって、当初、一般紙などには、「公明 都議選『全員当選』に不安」「公明党が都議選で『大量落選』の危機」などと書き立てられておりました。
異例ずくめの逆境を前に、傍観者を決め込む言い訳など、いくらでもあるでしょう。もっともらしい批判や文句を隠れ蓑にして、逃げを打つこともたやすい。しかし、地涌の使命に立つ私たちは、一人一人の執念の祈りと行動、そして全同志の異体同心の団結によって、下馬評を完膚なきまでに覆し、痛快なる大逆転勝利を収めることができました。まさに私たちは、池田門下の「"まさか"が実現」を成し遂げることができた!——こう高らかに宣言したい(拍手)。

一、これまで池田先生が、折々に教えてくださった通り、広宣流布とは、単に学会員の拡大を意味するだけではありません。社会的腐敗を正し、民衆が主役の時代を開くために、政治、教育、芸術など、あらゆる分野に進出し、妙法の人間主義を開花させゆく、その"流れ"それ自体が、「広宣流布」であります。
そしてまた、広宣流布とは、仏と魔との熾烈な攻防戦でもあります。魔は「魔の国土」を広げようと必死に策を弄し、我ら仏の軍勢は「仏の国土」を築こうと懸命に戦っている。このせめぎ合いが「立正安国」の言論戦です。
すなわち、私たちの推進する支援活動は、「仏法の慈悲を根底にした人間主義の政治」を実現するための、宗教運動の一環であり、だからこそ、まず何よりも、私たち自身の人間革命——言い換えれば、祈りを根本に、全ての人の仏性を信じ抜き、あらゆる差異を超えて友情を広げる中で、自己の境涯を広げゆく実践こそ、根本中の根本であります。そして、そこにまた、仏縁が結ばれ、学会への理解と共感が広がっていくのであります。
学会創立100周年への「勝負の10年」。私たちは池田先生のもと、「学会の永遠性」ひいては「広布の永遠性」を確立しゆくため、断じて、連戦連勝を果たしてまいろうではありませんか(拍手)。

◇異体同心の団結で連戦連勝を
一、新型コロナウイルスの感染拡大状況に応じて、社会活動がめまぐるしく左右される現在、無論、私たち個々の生活や活動のあり方も、その影響を大きく受けざるを得ません。いわんや、これから私たちは、かつてない険難の峰を目指す以上、そこに、かつてない魔の烈風が待ち受けるのは必定であります。だからこそ今、私たちは、勝利のため、また、自分自身の一生成仏のために、改めて「団結」の重要性を確認し合っていきたい。
先生は小説『新・人間革命』第30巻の〈上〉で、こうつづられています。
「活動を進めるうえで、いちばん心しなければならないのは、自分の意見が受け入れられないことで、失望感をいだいたり、感情的になって人を恨んだりしてしまうことです。それは、自分の信心を破るだけでなく、広宣流布を破壊する働きになっていく」と。
そして、次のように結論されます。「今日は、将来のために、広宣流布をめざすうえでの、最第一の鉄則とは何かを、あえて言い残しておきます。それは、金剛不壊の異体同心の団結です」
このご指導は、今の私たち一人一人、そしてまた、未来永遠に連なる池田門下が受け継ぐべき、最重要の指針と拝すべきであります。さらにまた、先生は、退転・反逆の方程式を、こう喝破されています。
「自分中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一義にすることもなくなってしまう。つまり、本来、仏法者の基本である、自身を見つめ、内省するという姿勢が失われていく。また、自分の心が"師"となってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。だから、誰からも信用されなくなり、清浄な学会の組織にいられなくなる——これが退転・反逆していく共通の構図といえます」という大事なご指導であります。
さらに、近年の反逆者らがさらす醜態を見れば、そうした「自分中心」の者は、組織運営上の方法論や諸課題、あるいは公明党の政策などへの賛否などを大義名分に利用して、己の後ろめたさを覆い隠し、自己正当化を図ろうとするのが常套手段であることも、皆さま、ご存じの通りであります。
「広宣流布」「立正安国」は御本仏・日蓮大聖人の御遺命であり、その直系たる学会の三代会長が、不惜身命で実現してこられた悲願であります。私たちは峻厳なる師弟不二の精神に立ち、日々、慢心という内なる魔性を打ち砕きながら、いかなる障魔の嵐にも微動だにせず、勇んで、これを断行してまいりたい。
さあ、池田先生のご指導を胸に、勝って兜の緒を締めて、立正安国の凱歌の秋を、断固と勝ち飾ってまいろうではありませんか(拍手)。

☆原田会長と共に 各部代表者会議
◇従藍而青の大生命力を
第7回各部代表者会議が16日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、7月16日が「立正安国論」提出の日であることに触れつつ、結成70周年の男女青年部が、若き師子奮迅の力で「立正安国の凱歌」を轟かせたことを改めて称賛。
次いで、「御義口伝」を拝読した。
「本門の仏の主・師・親の三徳は主の徳は我此土安穏(我がこの土は安穏なり)の文なり師の徳は常説法教化(常に法を説いて教化す)の文なり親の徳は此の我亦為世父(我もまたこれ世の父なり)の文是なり」(御書757ページ)
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり」(同758ページ)
そして、御本仏の直系としてこの三徳を体現し、国土の安穏のための行動を貫き、生命尊厳の法理を語り示し、苦しみ悩む友に手を差し伸べているのが学会員にほかならないと強調。
広布のリーダーは、この最極の同志に仕え、尽くすことを誇りとし、師弟不二と異体同心の題目の渦を起こして、立正安国の連続大闘争の先頭に立ち、一切の勝利を開いてほしいと訴えた。
さらに、7月16日が鳳雛会・鳳雛グループ結成55周年の「鳳雛会の日」であることに言及。創立100周年へ、21世紀の鳳雛の成長を真剣に祈り、力を注ごうと呼び掛けた。そして、伸びゆく地涌の人材群と共々に従藍而青の大生命力を漲らせ、戦い進もうと述べ、メッセージを結んだ。
原田会長は、「大阪事件」の歴史に触れつつ、広宣流布とは仏と魔との熾烈な闘争であり、不惜身命こそ永遠の学会精神であると力説。連続勝利を目指し、この夏、正義と希望の声で社会に活力を送っていこうと述べた。
長谷川理事長、谷川主任副会長、志賀青年部長、先崎女子未来部長があいさつした。

2021年7月17日土曜日

2021.07.17 わが友に贈る

いかなる苦難も
ロマンの舞台に!
創価の負けじ魂こそ
希望をつくる源泉なり!
ゆえに君よ朗らかに!

顕仏未来記 P507
『彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人日蓮は名字の凡夫なり』

【通解】
不軽菩薩の二十四文字と日蓮の五文字とは、その語は異なるけれども、本意は同じであり、その時の像法の末と今の末法の初めとは、弘法の方軌がまったく同じである。また不軽菩薩は、初随喜の人であり、日蓮は名字即の凡夫であり、同じく本因妙の行者なのである。

名字の言 千葉ロッテ・佐々木投手のウイニングボール 2021年7月17日
プロ野球チーム「千葉ロッテマリーンズ」の佐々木朗希投手は、東日本大震災で父を亡くした。その後、高校野球で史上最速の163キロを出すが、甲子園出場はかなわなかった▼本年5月、初めて甲子園のマウンドに立ち、プロ初勝利を挙げた。試合後のインタビューで「ウイニングボールはどうするか?」と聞かれ、「両親にプレゼントします」と答えたことが感動を呼んだ。高校時代は届かなかった夢の舞台で、大きな親孝行をした姿がりりしかった▼100歳にして元気いっぱいの女性部員がいる。彼女は幼少期に、左目の視力を失った。戦争で存分に勉強できず、その後も苦労続きだった。そんな彼女が1963年(昭和38年)に入会。50年前には池田先生と出会い、信心一筋に生きてきた▼今や後継の子や孫は広布のリーダーに成長。彼女も孫に新聞を音読してもらっては研さんに励む日々。勝利の人生を悠々と送る▼誠実に生き、努力を重ねても思い通りにいかず、その時は"なぜだ"と落胆する出来事が人生にはある。だが、悔しさを胸に抱えながらも、前を向いて立ち上がる時、苦難に深い意味を見いだすことができる。それが価値ある人生を築き、より広々とした晴れやかな境涯を開いていく。

寸鉄 2021年7月17日
「大阪大会」の日。正義なるが故に断じて勝つ!常勝不敗が関西同志の魂
未来部躍進月間始まる。人材育成は次代の広布開く大事業。鳳雛にエール
「功徳・無量無辺なり」御書。題目に勝る力なし。日々朗々たる祈りで前へ
自分が詐欺にあう可能性低い―7割が回答。悪に付け込まれるな。警戒を
防災地図「確認したことない」が3割と。備えが肝要。気付いた時に実行

〈社説〉2021・7・17 きょうから未来部躍進月間
◇鳳雛たちに宝の思い出を
コロナ禍の中で迎える2度目の夏。
昨年は小・中学生、高校生の間で「いつもと違う夏休み」という言葉が広く使われたが、感染防止を理由に大なり小なり制約を受ける状況は、今年も残念ながら変わっていない。
寂しい思いを抱いている子も少なくないのが実情だ。
子どもたちのために何ができるか。これは日本社会がコロナ禍に直面してから、一貫して突き付けられている問いであろう。
一年の中で時間に比較的ゆとりが生まれる夏休みは、大人にとっては子どもの話にじっくり耳を傾けられる"語らいの好機"であり、子どもたちにとってもいろいろなことに挑戦できる"成長の季節"である。
学会は毎年夏を「未来部躍進月間」と掲げて進んできた。地域の創価家族が「さあ、今年も宝の子どもたちのために!」と、心を一つにして知恵を出し合い、汗をかくのが伝統だ。
その原動力は、未来部の一人一人が「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)であるとの確信にほかならない。
コロナ禍の中にあっても、創価ファミリー大会の開催や未来部の各種コンクールへの取り組み、さらに進学推進などを通して未来部員に寄り添い、励ましを送り続ける友の姿は、まさに仏に等しい振る舞いである。
未来部世代を育む上で大切なことは何か。池田先生は「良い刺激を与え続け、良い思い出をつくってあげること」と語っている。
壮年・女性部や男女青年部のリーダーへの取材の中で「未来部時代に担当者から受けた励ましで印象に残っていることは?」と聞くと、多くの人が「具体的にどんな言葉を言われたか」については、覚えていないという。
それよりも「自分の悩みを親身になって聞いてくれた姿」であったり「一緒に何かに挑戦したこと」であったりと、"同じ時間"を過ごした思い出を挙げる友がほとんどだ。
夕闇迫る河川敷で担当者とキャッチボールをしながら語り合ったことが忘れられない、と語っていた男子部員もいる。
「青年は教えられるより、刺激されることを欲する」(ゲーテ)との言葉通りだ。
きょうから未来部躍進月間――「躍」の字の右側にある「翟」の字は、鳥が羽を動かして飛び立とうとする姿に由来するという。
使命深き鳳雛たちが未来へ世界へ大きく羽ばたいていけるよう、祈りと励ましを尽くす夏としたい。

☆池田華陽会御書30編 研さんのために 種種御振舞御書㊦
今月は「種種御振舞御書」の後半を学びます。池田先生は、本抄を拝し、つづられました。
「真の地涌の闘士は、悪戦苦闘を越えてこそ育つ。大闘争の中でこそ、師子王の心が継承されるのだ。男子部・女子部の結成70周年の7月を迎える。試練の逆境をはね返して、わが後継の若人たちが偉大なる人間革命の逆転劇を創りゆく英姿を、私は祈り見つめている」
師の深き慈愛を胸に、歓喜の「7・19」から新たな勝利へ、報恩の「華陽の誓い」に燃え、皆で出発しましょう!(拝読範囲は御書916ページ4行目「同十月十日に」~925ページ本抄末尾です)

◇本抄について
本抄は、建治2年(1276年)に日蓮大聖人が身延で認められ、光日尼に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。
本抄には、文永5年(1268年)から文永11年(1274年)までの、大聖人の御闘争が記されています。蒙古から日本へ国書が届いたことから書き起こされ、竜の口の法難、佐渡流罪、さらに、鎌倉に戻られてからの国主諫暁、身延入山に至るまでが、目に浮かぶような鮮烈な叙述でつづられています。
御執筆の年とされる建治2年ごろ、蒙古襲来の予言的中もあり、大聖人一門の勢いが増したことにより、門下の身に次々と障魔が競い起こりました。本抄は、法華経の行者の振る舞い、境涯とはいかなるものかを示し、何としても弟子を勝利させていこうとの、熱きお心が込められた御書であると拝されます。

◇御文
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり(中略)日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』(917ページ5行目~9行目)

◇通解
釈迦如来にとっては提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよくしているのである。(中略)
日蓮が仏になるための第一の味方は、東条景信であり、法師では良観、道隆、道阿弥陀仏であり、また平左衛門尉、守殿(北条時宗)がおいでにならなくては、どうして法華経の行者になれただろうかと悦んでいる。

◇解説
日蓮大聖人は本抄で、文永8年(1271年)10月、佐渡流罪となってからの様子を述懐されています。11月に入られた塚原の三昧堂は、「天井は板間が合わず、四方の壁は破れて雪が降り積もって消えることがない」「夜は雪、雹、雷光が絶えず、昼は日の光も差し込まず」(御書916ページ、通解)と記されています。
荒廃した堂で、大聖人は「敷皮を敷き、蓑をまとって」(同ページ、通解)、極寒の冬を過ごされます。さらに、念仏者たちからは、絶えず命を狙われていました。
それでも大聖人は、妙法を弘め、経文通りの大難に遭う御自身こそ「法華経の行者」であり、成仏は疑いないとの御確信をつづられています。大聖人の胸中には、佐渡流罪という、最も過酷な環境でも、法華経を身読した誇りと喜びが輝いていたと拝されます。
続いて、仏法の修行と理解が深まれば、三障四魔が必ず競い起こるとの文を示されます。さらに、妙法の正しさゆえに、法華経の行者には「第六天の魔王」(天子魔)の迫害があることを述べられました。
それを踏まえて、掲げた御文の冒頭では、釈尊に敵対し、殺害や教団の分裂を企てた提婆達多が、釈尊にとっての「第一の善知識」であると仰せです。善知識とは、仏道修行を助ける存在です。提婆達多と戦い、悪に打ち勝ったことで、釈尊の偉大さと正義は証明されました。ゆえに大聖人は、大悪人である提婆達多を善知識だと言われるのです。
続いて、世間においても、自身を成長させ、強くするものは"味方よりも強敵である"と教えられます。
私たちも、人生のさまざまな苦難に、信心根本に挑むことで、生命が磨き鍛えられ、境涯を大きく開いていくことができます。
大聖人は、御自身の命を狙う極楽寺良観や平左衛門尉ら迫害者こそが、仏になるための「第一の味方」であり、"彼らによって法華経の行者になることができたと悦んでいる"と述べられました。
「悦ぶ」との仰せは、民衆の幸福のため、いかなる苦難にも退かず、広宣流布に戦い抜かれる大聖人が、世間の地位がどうあれ、境涯において最高の勝利者であるとの「大勝利宣言」と拝されます。
私たちは、どんな時も広布と師弟の「誓願」を胸に、"一筋に"祈り抜き、努力し抜いていく信心によって、すべてを自らの善知識に変えていくことができます。
朗々と題目を唱え、人間革命の「勝利の夏」を前進していきましょう。

◇池田先生の指針から
戦いの中にこそ、喜びがあるのだ。悩みがあるから、成長できるのだ。強敵がいるから、強くなれるのだ。(中略)
悩みがあるから題目があげられる。悩みをバネとして、一番、幸福になる行動をしていく。その生命力を湧き出していくことができる――それが信心である。(『華陽の誓い』)
◇ ◆ ◇
祈りは、自分の強き深き一念の力用で、周囲を調和させ、価値創造の働きへ変えゆく究極の力です。
また、相手のことを祈ることは、仏の振る舞いです。これほど尊く高い生命の位はありません。
戸田先生も、よく言われました。「法華経には『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』と説かれる。どんな相手でも、自分の信心を強くしていけば、広宣流布という幸福と正義のために働く存在に変わっていきます。これは不思議なのです。ゆえに、祈れば勝ちだよ」と。
祈りには、どんな人間関係も、幸福の「仏縁」へ、勝利の「善知識」へと変える力があるのです。(2012・2・16付、「若き君へ 新時代の主役に語る」)

研さんのために
○…「大白蓮華」2012年5・6月号「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり 2021年7月11日
◇御文
『南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』(御義口伝、御書787ページ)

◇通解
南無妙法蓮華経と唱えるということが、自身の宮殿に入っていくことなのである。

◇教えて
青春時代に、この信心で幸福の土台を築いていきたいです!

◇池田先生の指導
「自身の宮殿」とは、一人一人の生命にまぎれもなく具わっている仏性のことです。
この宮殿は、富や名声や権力などで外面を飾った作り物の宮殿ではありません。全宇宙の財宝を集めてもなお及ばない、最高に尊貴で、絶対に崩れることのない金剛不壊の幸福の大宮殿です。(中略)
私たちが目指すべき幸福は、何ものにも壊されない「絶対的幸福」です。それは「自身の宮殿に入る」ことであり、自身の仏界を開いていくことです。(『人間革命の宗教』)
◇ ◆ ◇
幸福とは、困難がないことではない。何があっても負けない勇気! 嵐にも揺るがない希望! それを手放さぬ人が幸福になれる。(中略)
妙法の乙女は、絶対の常楽我浄の軌道に入っている。ゆえに、よき友と仲良く朗らかに生命の宮殿を輝かせ、伸び伸びと青春勝利の舞を舞っていただきたい。(2016・11・12付、「池田先生と共に 新時代を創る」)

2021年7月16日金曜日

2021.07.16 わが友に贈る

日蓮大聖人の仏法は
混迷の時代を照らす
民衆救済の大哲理だ。
自他共の幸福を祈り
新たな未来を開こう!

刑部左衛門尉女房御返事 P1400
『仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり等云云』

【通解】
釈尊はご自身を責めて、こう言われている。「(法華経を知りながら説かなければ)自分は慳貪(物惜しみし、貪ること)の罪に堕ちてしまう。それは、全く良くないことである。」

名字の言 決めつけないことの大切さ 2021年7月16日
心理学で長く研究されてきた「バイアス」。人間が持っている認知のゆがみのことで、古くは300年以上前の文献にも使われているという▼社会心理学の藤田政博博士は、「バイアス」を防ぐことは難しいが、「対策が必要なことに気づくだけでも大きな違いを生み出す」と語る。例えば「一貫性バイアス」。自分は、状況や相手に応じて行動を変えているのに、自分以外の人は性格をもとに一貫して行動すると見るゆがみのことだ▼だが、よく知っている家族同士であっても、職場や学校において、家庭では見せない振る舞いや一面がある。つまり「人は状況によってある程度柔軟に行動を変えている」と考えることが大切となる(『バイアスとは何か』ちくま新書)▼つい"あの人は○○だから"と人を判断してしまいがち。だがどんな人にも、こちらが"知らない一面"は必ずある。自分の一時の記憶や印象などに惑わされて、相手を決めつけてしまわないよう心掛けたい▼池田先生は、法華経について「あらゆる人びとに幸福の可能性を開いた経王」であり、「『この人は駄目だ』とは、絶対に決めつけなかった経典」と語っている。"皆が人材"との祈りを根本に、きょうも励ましの語らいを広げよう。

寸鉄 2021年7月16日
「立正安国論」提出の日。安穏の社会へ。蓮祖直結の正義の対話を勇敢に!
沖縄原点の日。憧れの幸福島の同志は健在!広宣流布即世界平和へ堂々と
幹部は会合に集えない友に激励を。心の結合強め活動者増。これ勝利の道
日本の高齢男性は友人が少なく—国際調査。地域に絆を紡ぐ多宝会は希望
座りっぱなしは死亡リスク高める。小まめな運動忘れず。健康は積み重ね

〈社説〉 2021・7・16 「立正安国論」提出の日
◇「矛盾」を乗り越える宗教
詩人・谷川俊太郎氏に「三つのイメージ」と題する詩がある。詩人が詠んだのは、火、水、人間の三つが、それぞれに抱える矛盾だ。
火について、そのイメージを「火は平和へのたいまつとなり/戦いへののろしとなり」と描く。水、人間についても、同じように矛盾を浮かび上がらせる。詩はこう締めくくられる。
「あなたに/火と水と人間の/矛盾にみちた未来のイメージを贈る/あなたに答は贈らない/あなたに ひとつの問いかけを贈る」
「矛盾」には「現実のうちにある両立しがたい、相互に排斥しあうような事物・傾向・力などの関係」(広辞苑)との意味もある。
私たちの社会は、いつの時代にも矛盾がある。特に現在のコロナ禍は、感染対策への注力と経済活動の両立に苦闘するなど、あらゆる分野で矛盾が広がる。そこに、今日の危機の核心があろう。
冒頭の詩は、矛盾に満ちた社会の中で、"あなたはどう生きるか"との問いのように思える。社会の新しい在り方が模索される今、改めて問われているのは、「人間の生き方」である。
それを考える上で、大きな示唆となるのが、日蓮大聖人が761年前の7月16日、時の為政者に提出された「立正安国論」だ。正嘉の大地震、疫病の大流行など、打ち続く惨禍に心を痛め、民衆を救いたいとの一心からしたためられた。大聖人は記されている。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)——あなたは、一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである、と。
一人の人間が安心して生活するには、実は、自然や社会も、平穏でなければなるまい。他国が感染症の危機にある限り、自国の安全もない。これは、コロナ禍で誰もが痛感したことであろう。
だからこそ、「一身の安堵」を求めるのなら、小さな自身のエゴを乗り越えて、自他共の幸福、世界の安穏を祈り、励まし合っていく行動の連帯が求められる。
池田先生は「仏法は平等です。矛盾に彩られた現実社会で、どのような立場の人も必ず、永遠に崩れない幸福境涯を築いていくことができる法則を教えている」と。
人間を磨き高めゆく宗教は、時代の要請といえよう。私たちの信仰は、「矛盾」を乗り越え、幸福を勝ち取る根幹の力である。

☆御書の旭光を 第42回 「丈夫の心」で不屈の言論を
〈御文〉
『法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし』(御衣並単衣御書、971ページ)

〈通解〉
法華経を説く人は、法華経法師品にある「柔和忍辱の衣」という衣を着るべきである。

〈池田先生が贈る指針〉
法華経を説けば、必ず反発が生ずる。故に、柔和忍辱という最極の人間性の衣を着て戦うのだ。
信念が強いから耐え忍べる。境涯が深いから柔軟に包める。友の心の奥底を動かすのは、正義と慈愛の言論の力だ。
忍難弘通の大闘争を継ぐ本門の男子部よ、不屈の勇気で忍耐強く語り抜け! 時代を変える「丈夫の心」の大連帯を!

☆明日を照らす テーマ:励まし
御書をひもとけば、日蓮大聖人が門下に認められた、励ましの言葉があふれています。
池田先生は「励ましとは、その人を尊敬し、その人に学ぼうとする一念から出発すると、私は心に期してきた。人と人の絆が引き裂かれる『闘諍言訟』の悪世にあって、奇跡の如く、あらゆる差異を超えて、幸と平和の大連帯を広げゆくのが、創価の励ましである」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「励まし」をテーマに学んでいきましょう。

◇妙密上人御消息
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし』(御書1241ページ)

◇たたえ合う喜びの世界
【通解】金は、焼けばいよいよ色が良くなり、剣は、研げばいよいよ良く切れるようになる。(同じように)法華経の功徳をたたえるなら、ますます功徳が勝っていく。(法華経)28品は、法理の真髄を説くところは、わずかであるが、たたえる言葉こそ多くあることを、心得ていきなさい。

創価学会には、世界中、どの国の会合に参加したとしても、信心に励む同志が、お互いの奮闘を、たたえ合う姿があります。
本抄は建治2年(1276年)閏3月、日蓮大聖人が55歳の時に身延で著され、妙密上人に送られたお手紙です。
金は精錬するほど輝きを増し、剣は研ぐほど鋭くなるように、法華経の功徳も称賛すればするほど、功徳が勝っていくと仰せです。自身の体験や信仰の喜びを語っていくことは、法華経をたたえていくことに、ほかなりません。
また、広宣流布に励む同志をたたえていくことも、妙法をたたえていくことに直結しています。ゆえに、功徳も輝いていくのです。
今、社会には、どんなことにも否定的で、人をけなし、おとしめるような言動があふれています。それでは、自分も他人も、生きる力を弱められてしまうのではないでしょうか。
それと対極にあるのが、大聖人直結の学会です。仏法を実践することで得た、信心の確信と歓喜があふれています。そして、人間革命を懸け、学会活動に励む同志を"わが事"のように応援し、喜び合う伝統が根付いています。
創価学会は、この"励ましの連帯"を広げることで、功徳にあふれ、世界宗教に飛躍していったのです。

◇千日尼御前御返事
『御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ』(御書1316ページ)

◇感謝と真心を大切に
【通解】あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています。仏に成る道もこれと同様です。私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です。

たとえ遠く離れた佐渡にいても、あなたの心は、間違いなく私のところにきていますよ——。
本抄を与えられた千日尼は、"心はいつも、私と共にある"との大聖人の真心の励ましに、どれほど勇気づけられたか、計り知れません。
千日尼と夫の阿仏房は、佐渡流罪中の大聖人に帰依し、お護りした、佐渡の門下の中心的存在でした。大聖人が赦免され、身延に入られた後も、高齢の阿仏房は何度も御供養を携え、海を渡り大聖人のもとを訪ねます。大聖人は、留守を守る千日尼を思いやり、温かな励ましのお手紙を送られています。
「仏に成る道」も心が大切であると仰せです。大事なのは求道心です。師を求める心があれば、物理的な距離を超えて心を通わせることができるのです。
だからこそ大聖人は「御面を見てはなにかせん」と、会えるかどうかよりも、師弟不二の信心の大切さを教えられているのです。
池田先生はつづっています。「どんなに離れていても、心と心はつながる。たとえ会えなくとも、命と命は通い合う。一つになれる。これが、妙法の世界です。創価学会です」
師弟の心と心が織りなす励ましの世界。どこまでも師匠と共に、そして、師の心をわが心として、目の前の「一人」に感謝と励ましを送っていきましょう。

2021年7月15日木曜日

2021.07.15 わが友に贈る

広布の戦いに挑む上で
「何のため」という目的観
を持つことが大切だ。
自らの人間革命ありて
最高の歓喜が生まれる。

上野殿後家尼御返事 P1506
『いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよとをしへ給うことわりにもや候らん』

【通解】
いかにも、いかにも追善供養を心の限り励まれるのがよいでしょう。古徳の言葉にも「心地は九識の清浄の心におき、修行をば六識にせよ」と教えていますが、いかにも道理です。

名字の言 "じしん"に満ちた少女部員 2021年7月15日
ある小学生の「じしん」という題名の詩がほほ笑ましい。「おかあさんに/『こたえがわかったときは じしんをもって/しっかりてをあげなさい』/といわれました/これからは/じしんをもってこたえようとおもいました/せんせい じしんてなんですか」(『一年一組せんせいあのね』理論社)▼地元で少女部員の活躍を聞いた。少女も先の小学生と同様、"自信"の意味は理解していなかっただろうが、少女の言動は自信に満ちたものだった▼学会の会合が大好きな少女は一昨年、地区総会で歌と踊りを披露してほしいと頼まれた。こんなチャンスを独り占めするのはもったいないと、少女は大切な級友3人を誘い、共演することにした。未入会の父は「娘のために」とピアノ伴奏を買って出た。そして皆で練習を重ねた▼総会当日、晴れ舞台の応援に級友の母たちも出席。少女たちの熱演が花を添えた総会の雰囲気、会場の学会員との触れ合いを通し、母たちは学会理解を深めた。少女の父は後日、入会した。ただただ純粋な少女の心が、周囲に共感を広げ、広布を前進させた話に胸が熱くなった▼17日から未来部躍進月間が始まる。後継の人材を育むとともに、大人たちも学び、一緒に成長を刻みたい。

寸鉄 2021年7月15日
一歩の前進なくして千里の道は到達しない—恩師今日も勇気の炎燃やして
青葉の誓いは永遠!池田先生の東北初訪問70周年さあ師弟勝利の新章節を
新潟女性部の日。希望の励まし広げる創価の連帯立正安国の祈り強く前へ
人生の幸福とは他人のために生きること—文豪最も尊貴な我らの菩薩道
高齢者の転倒、住み慣れた自宅でも多く発生と。危険箇所の点検しっかり

〈社説〉2021・7・15 18日、ネルソン・マンデラ国際デー
◇"敵も味方に"の大誠実に学ぶ
18日は国連が制定した「ネルソン・マンデラ国際デー」。南アフリカ共和国元大統領で、ノーベル平和賞受賞者のマンデラ氏の誕生日であり、「行動を起こし、変革を呼び込もう」をテーマに、平和で持続可能な、かつ公平な世界の構築に力を合わせることの重要性を訴える(国連広報センター)。
氏と池田大作先生との会見は2度。最初は、氏が27年半もの獄中闘争を経て釈放されてから8カ月後の1990年10月。先生は「百年先、二百年先という未来を展望するとき、国家の発展の因を何に求めるか。それは『教育』である」「一本の高い樹だけではジャングルはできない」と信条を語った。氏は「きょう、ここで得た最大の"収穫"は、名誉会長の英知の言葉」と。会見での提案は、反アパルトヘイト(人種隔離政策)の闘争を伝える「ヒューマン・ライツ写真展」、同国団体の民音公演等で次々と実現した。
しかし同国で、全人種に等しく投票権が与えられた史上初の総選挙が行われるまでに、会見からさらに3年半を待たなくてはならなかった。マンデラ氏はこの間、内戦勃発も辞さない各種勢力に、命懸けで説得を試みている。
彼にとっての"教育"とは——。
「たとえ敵であっても教育するというのがANC(アフリカ民族会議)の方針だ。人は誰でも変わることができる。刑務所の看守であっても」。誠実さは一貫していた。支持者には、残虐な迫害に遭っても「君たちの任務は和解することだ」と説いた。極右勢力の白人将軍には、あえて彼ら迫害者の使用言語を用いて協力を訴えた。94年5月の大統領就任後には、主導権を得るため黒人同士の対立をあおった黒人リーダーを、大臣に任命。さらに、かつて自身に死刑を求刑した検察官までも、官邸での昼食会に招待している。
翌年、同国でのラグビー・ワールドカップ決勝戦では、黒人たちの憎しみの象徴だった白人チームのジャージと帽子を身に着けて登場。スタジアムには爆発的な「ネルソン」コールが鳴り響いた(ジョン・カーリン著、新田享子訳『二人のマンデラ』潮出版社)。
圧倒的な人格の力で世の中を変え、国をまとめたマンデラ氏。生涯の夢を達成するには、敵との対話による交渉しかないとの信念で突き進んだ。不可能を可能にした彼の大誠実に、大いに学びたい。

☆心に刻む御書 2021年の要文�——御義口伝
【御文】
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御義口伝、748ページ)

【通解】
師子吼の「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟が共に唱える音声をいう。「作」とは「おこす」と読む。末法で南無妙法蓮華経をおこすことをいう。

【池田先生の指針】
〈山本伸一は、青年たちに仏法で説く「師子の道」について教える〉
「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。
この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。
そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります。
戸田先生は、よく言われていた。
『伸一がいれば、心配ない!』『君がいれば、安心だ!』と。
私も今、師子の道を歩む皆さんがいれば、世界広布は盤石である、安心であると、強く確信しています」
(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)

☆励まし御書—人間革命の光で 何があっても前へ!—挑戦する一歩一歩に「心の財」が
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「何があっても前へ!」です。夢や目標に向かい努力する日々には充実がありますが、ときに目標に近づいているのか不安になったり、結果を焦る気持ちになったりすることもあります。しかし題目を唱え、挑戦する一歩一歩には「心の財」が積まれ、また、最後まで粘り強く前進してこそ、勝利も勝ち取ることができます。この"何があっても祈り前進する"信心の姿勢を、御書と小説『新・人間革命』を通して学んでいきたいと思います。(創価新報2021年6月16日付から)

◇御文
『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(四条金吾殿御返事<此経難持御書>、1136ページ)

◇通解
(妙法の信仰を)「受ける」ことは易しく、「持つ」ことは難しい。そうであるから、成仏は持ち続けることにある。

◇解説
「四条金吾殿御返事」は、文永12年(1275年)3月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の四条金吾に送られました。
この前年、金吾は主君を折伏したことで、主君から疎まれるようになり、その状況につけこんだ同僚から、卑劣な迫害が加えられました。
"信仰を貫いてきたのに、なぜ大難が雨のように降りかかるのか"——金吾の中に、こうした信仰の迷いが生じていることを聞かれた大聖人は、本抄で、法華経に説かれる「此経難持(此の経は持ち難し)」との文を示されます。
そして、掲げた御文の冒頭、妙法は「信受する」ことにもまして、「持ち続ける」ことが、さらに難しいと仰せです。
悪世の末法で正しい仏法を実践すれば、必ず難が競い起こります。ゆえに、妙法を持ち続けることは至難です。
しかし、いかなる困難にも"負けない心"で前進するところに、本当の仏の生命の輝きがあります。日蓮仏法において成仏とは、この仏の境涯を、一人一人が現実の生活の中で現していくことにほかなりません。
御文に仰せの「持つ」とは、広宣流布と人間革命の誓願を胸に、日々、仏法を"実践"していくことであり、大聖人は「持つ」、すなわち、何があっても仏法の実践を貫くことが、成仏の道であることを述べられました。
どんな時も、前へ前へと、信心の実践に励む「勇猛精進」の挑戦の中で、生命は躍動し、希望も勇気も智慧も、限りなく湧き出していくことができます。
信行学のたゆまぬ挑戦で、幸福勝利を築いていきましょう。

◇小説『新・人間革命』より
現実は、常に疾風怒濤である。順風満帆の人生などない。外から見ていてはわからなくとも、皆、何かしら深刻な悩みをかかえ、時に呻吟しながら生きているものだ。次から次へと、苦悩の怒濤は押し寄せて来る。
だからこそ、唱題なのだ! だからこそ、折伏なのだ!
地涌の菩薩の、仏の大生命を呼び覚まし、強い心で、大きな心で、豊かな心で、悠々といっさいを乗り越え、勝利していくのだ。(中略)
わが宿命は、わが使命となるのだ。ゆえに、信心で打開できない悩みなど、断じてない。叩きつける氷雨の激しさに、心が絶望の暗雲に覆われてしまうこともあるかもしれない。しかし、今日も、明日も、太陽は、燦々と輝き、昇っていることを忘れまい。大宇宙を貫く妙法に連なり、自らが太陽となるのだ。栄光と勝利の歓喜の輝きを放ち、幸の光彩をもって、一家を、さらに地域を、未来を照らし出していくのだ。
(第29巻「常楽」の章)

◇御文
『聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり』(阿仏房御書、1304ページ)

◇通解
あなたの身は、聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝によって飾られた宝塔なのです。

◇解説
「阿仏房御書」は、日蓮大聖人が、佐渡に住む阿仏房に与えられたお手紙です。
本抄で大聖人は、阿仏房から寄せられた「法華経に出てくる『宝塔』は、何を表しているのでしょうか」との質問に答えて、見宝塔品第11に登場する荘厳な「宝塔」こそが、南無妙法蓮華経と唱え、信心に励む、私たちの「一身」にほかならないことを教えられます。
一人の生命に、宇宙大の重みと輝きを見る——これが仏法の真髄です。
法華経に描かれる宝塔は、まわりを金・銀・瑠璃などの「七宝」で飾られています。宝塔を生命と見た時、経文上の「七宝」もまた、わが身に即した輝きとなります。
そのことを、掲げた御文で大聖人は"私たちの生命は「聞・信・戒・定・進・捨・慚」という七つの宝によって荘厳された宝塔である"と明かされました。
これは、仏法の修行における七つの要件を示したものです。すなわち、「聞」とは、妙法を聞くこと。「信」とは、妙法を信じること。「戒」とは、妙法の教えにより自らを律すること。「定」とは、妙法を根本に心を定めること。「進」とは仏道修行に励むこと。「捨」とは、信心を第一として"わがまま"を捨てること。「慚」とは、反省すべきは率直に反省し、たゆまず前進することをいいます。
私たちでいえば、これらは、信心根本に「人間革命」に挑みゆく、日々の学会活動にすべて具わっています。どこまでも、自らの心と実践が、わが生命を輝かせ、無限の可能性を開いていくのです。
華陽姉妹と共に、自身を磨き鍛える「福智の青春」を歩んでいきましょう。

◇小説『新・人間革命』より
(大阪・泉州での女子部総会の席上、山本伸一が語ります)
青春には、若さもあれば希望もある。それ自体が強さであり、特権です。ましてや皆さんは、自己の内面を磨き鍛え、最高に個性を輝かせていける信心という絶対的な法則を知り、実践している。ゆえに、他者に依存して幸福を求めるのではなく、自分に自信をもって、毅然と生き抜いていただきたい。女子部の年代は、生涯にわたる幸せの軌道を建設する時代といえます。その軌道をつくる力が信心であり、教学なんです。
生きることは、宿命との戦いです。宿命の問題を解決していく道は、生命の大法である仏法による以外にない。その意味からも、教学を学び、幸福への人生哲学を、しっかりと身につけていただきたい。また、自行化他にわたる信心で、友の幸せのために行動し、境涯を広げ、何があっても負けない生命の強さを培い、福運を積んでいってください。
(第29巻「常楽」の章)

2021年7月14日水曜日

2021.07.14 わが友に贈る

皆で本部幹部会・
青年部総会を視聴し
清新な決意で出発を!
仲良きスクラムで
凱歌の「11・18」へ!

祈祷抄 P1352
『袋きたなしとて金を捨る事なかれ』

【通解】
袋が汚いからと、中の黄金を捨ててはならない。

名字の言 東日本大震災から10年。思いを言葉に託して 2021年7月14日
ど根性ひまわりが今年も咲いた。10年前の夏、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市で、がれきの中から芽吹き、黄色い大輪を咲かせた花の子孫である▼文豪ゲーテは、黄色を「光に最も近い色彩」とした。ヒマワリを見ると心の中がパッと明るくなり、元気が出るから不思議だ。ある被災者は津波に襲われた古里を「色を失った街」と表現したが、ど根性ひまわりは被災者の生きる希望となった▼大震災から10年を機に、3・11の体験と教訓を伝える「語り部」になった壮年がいる。春から訓練を重ね、6月から始めたばかりだが、やりがいと手応えを感じている。「日常から震災の話が消えていく危機感があったので、被災地と被災者の『今』を知ってほしいと思ったのです」▼壮年は原発避難者で、古里に戻ることはできない。この10年の思いを言葉に託して、聞き手の心に真摯に語り掛ける。「災害は自分の生活に影響がない限り、意識することは少ないでしょう。しかし、災害は必ず起こる。誰もが人ごとではないのです」▼相手の状況を人ごとではなく自分の事として捉え、行動する時、同苦の心は広がる。この心で友に寄り添いたい。ヒマワリの花言葉は「あなたを見つめる」である。

寸鉄 2021年7月14日
世を救う事に宗教の社会的意義はある—牧口先生我らは立正安国の道更に
岩手の日。友好と励ましを勇み拡大。広布開拓の新たな勝利史をここから
石川女性部の日。地域に希望の光を広げる太陽の連帯。仲良く幸の対話へ
規則正しい生活は認知症の予防に—医師。朝夕の勤行を根本にリズム整え
高齢者は脱水症になりやすく。意識的に水分補給。健康も人生も先手必勝で

〈社説〉 2021・7・14 真実の「追善回向」
◇広布に生きる誓いを深く
創価学会では例年、お盆の7月15日(地域によっては旧盆の8月15日)を中心に、「諸精霊追善勤行法要」を行ってきたが、今年も新型コロナウイルスの感染防止の観点から、各会館等では行わず、各家庭で故人の冥福を祈念する。
日本人にはなじみの深い「お盆」という言葉。その由来は、先祖や故人を供養するための儀礼である「盂蘭盆会」にある。
古代インドの仏教修行者たちが雨期の間、一所に集住して行う修養生活(雨安居)の最終日に当たる満月の日(7月15日)、盛大に供養が催された。
さらに、仏教が西域に伝播する過程で、この日に供養を行うと過去七世の父母を救うことができるという信仰が生まれ、やがて中国で伝統的風習と結び付き、先祖供養の儀礼として盂蘭盆の行事が形成されていったと考えられている。
日蓮大聖人は「盂蘭盆御書」で、御自身の仏法の立場から「お盆」について述べられている。
そこで注目すべきは、釈尊の弟子である目連ほどの聖者でも、母を救えなかったということ。なぜか——。それは、目連がまだ法華経を知らなかったから。
目連が法華経に帰依して成仏できたことで初めて、「此の時こそ父母も仏になり給へ」(御書1429ページ)と、故人への真の回向をできたことが示されている。
日蓮仏法における「追善回向」とは、正しい信心によって積んだ、自身の仏道修行の善根を「回らし向ける」ことにほかならない。
さらに大聖人は、「目連尊者が法華経を信じられた大善によって、上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも思いがけなく成仏された」(同1430ページ、趣意)とまで仰せになっている。
自分自身が信心を貫くことで、一家一族、先祖・子孫までもが、三世永遠に絶対的幸福の軌道を歩んでいけることは間違いないのだ。
池田先生は語っている。
「広宣流布という『善の中の大善』に生き抜く功徳が、どれほど無量無辺であるか。
一人の成仏が、万人の成仏を開く。一人の勝利が、万人の勝利を開く。自分自身が生き生きと『行学の二道』に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、限りなく広がっていくのである」
「お盆」に当たり、故人に思いをはせつつ、生涯、広布に生き抜く誓いを深める機会としたい。

☆心に刻む御書 2021年の要文�——上野殿御返事
【御文】
『此の法華経は他経にもすぐれさせ給へば・多宝仏も証明し諸仏も舌を梵天につけ給う、一字一点も妄語は候まじきにや』(上野殿御返事、1508ページ)

【通解】
この法華経は他の経にもすぐれて真実を説いているので、多宝仏も真実であると証明を加え、諸仏も舌を梵天につけて証明されたのである。一字一点も妄語(偽りの言葉)があるはずがない。

【池田先生の指針】
混迷の世は、確固たる哲学を持つ人材を切望している。人類最高峰の生命哲理を探究する青春が、いかに尊貴か。絶対勝利の力がここにある。
(中略)男女学生部の教学研鑽は、智勇兼備の指導者をつくる。
大仏法を学び行じ、民衆を蘇生せしめる人間革命の希望の光を!
新時代を創造する立正安国の英知の風を!
(聖教新聞2020年8月26日付「心に御書を」)

☆勝ちゆく君へ 第18回 行動の人は朗らかなり
◇英知の声で希望の光を
男女学生部が、新入生と共に溌剌と記念月間を進んでいる。
学生部結成の折、私は、民衆を護り、権力の魔性と戦う嵐の中で、"新しき世紀を担う秀才たれ"と祝電を送りました。
今、衆望に応える学生部出身者の活躍が、嬉しい限りです。
御書には、「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依る」(780ページ)と。
普賢とは「普く賢い智慧」であり、「希望を生み、万人に届ける福智」ともいえます。
10代・20代の清新な英知の声が、社会を大きく変革します。
鋭き知性で真と偽、善と悪を見極め、正義のスクラムを普く賢く築きゆけ!

◇逆境をはね返して伸びゆけ
日蓮大聖人が、「門家の明鏡」とされ、「未来の資糧(指針)」にと託された御文があります。
東京の先達・池上兄弟への「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず」(御書1087ページ)です。兄弟は御聖訓通り、2度の勘当にも団結して信仰を貫き、正義の勝利を開きました。
戸田先生は、「青年は、問題をはね返して、伸びていくことが大切だ」と語られました。
戦う人は元気です。行動の人は逆境にも朗らかです。
男子部・女子部結成70周年へ——困難な時代に、不安を打ち払う勇気の励ましを広げ、若き生命の凱歌を轟かせよう!
(創価新報2021年6月16日付より)

◇第4回本部幹部会・スピーチ番組 SOKAチャンネルVODできょう午前9時から配信
第4回本部幹部会の全国配信が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)で、きょう午前9時から始まる。会館や個人会場(配信の会場と時間等は各県・区で決定)に加え、「モバイルSTB」でも視聴可能(インターネットを通してダウンロードが必要)。
なお創価学会公式ホームページ「SOKAnet」での配信期間は、13日(火)午後4時から18日(日)まで。
※スマートフォンやタブレットを利用する際は、ご契約の通信プランによって、別途、通信料金がかかる場合があります。ご注意ください。

SOKAチャンネルVODに、池田先生のスピーチを収録した番組「全てを喜びに 共に広布の山を!」(9分、番組コード=AC13)が加わった。きょう午前9時から視聴できる。第4回本部幹部会・青年部総会で上映されたもの。
※VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet」ではVODの同番組は視聴できません。

☆対話のツボ 【問い】なぜ、いつも前向きでいられるの?
日々の生活の中では、さまざまな出来事が起きます。良いことよりも、"大変だな""嫌だな"と感じることの方が多いかもしれません。また、悩みの渦中にいる時は、悲観的になりがちです。その時に、「前向きに」と言われても、簡単なことではありません。
「前向きでいる」とは、「物事を前向きにとらえている」と言い換えることができます。例えば社会でも、望まない部署に異動になった人が、環境を嘆くのではなく、"今いる場所"で全力を尽くすことで、その後の人生を大きく開くことができた——。そのようなエピソードが数多くあります。
仏法では、あらゆる苦難をも幸福へと変えていける、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の法理が説かれています。どんな時も、信心に励んでいけば、必ず苦境を乗り越えていけるのです。
池田先生は「同じ現象でも、どうとらえるかによって、その意味はまったく違ってくる。その意味で、信心は、すべてを前向きに受け止めていく心の"バネ"とも言えまいか。とともに、どんなに変化に満ちた道程も、一念の"ハンドル"によって、正しき方向へ、歓喜と満足の方向へ、そして幸福の方向へと、力強く回転させていく。これが妙法なのである」と語っています。
自身の一念によって、全ての出来事を前進の糧に変えることができる。学会員は、そのことを信心の実践を通して「体験」としてつかみ、確信しているので、「いつも前向き」に物事をとらえていけるのです。

2021年7月13日火曜日

2021.07.13 わが友に贈る

局地的な大雨や落雷
竜巻等の突風に厳重警戒。
気象情報に注意を払い
安全最優先で行動を!
呉々も油断を排して。

上野殿御返事 P1546
『今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし』

【通解】
今末法に入ったならば余経も法華経も無益であり、ただ南無妙法蓮華経以外にないのである。

名字の言 ボランティア活動に励む壮年の思い出 2021年7月13日
「一日に一人でいいから笑顔にしたい。自分も笑顔になれるから」と、多忙な仕事の合間を縫ってボランティア活動に励む壮年がいる。福祉施設での手伝いや被災地支援など活動の幅は広い。彼が大切にしている思い出がある▼ある障がい者の給仕をした時のこと。その人はいつも不機嫌そう。「おい」「こら」「お前」と乱暴に呼ばれ、食事を食器ごと投げ付けられたことも。途方に暮れ、諦めかけた。すると先輩がこんな助言を。「あの人は君を嫌ってるんじゃない。君だったら歯がゆい気持ちを受け止めてくれると信じてるんだ」▼"そうか。あの人を喜ばせるのは自分しかいない"。自身の心が変わると相手にも変化が。ある日、出した料理をぺろりと平らげてくれた。笑顔で「生きてきて一番おいしいご飯だった。ありがとう……」と。胸を熱くした、その時が"原点"になった▼心理学者のケリー・マクゴニガル氏は提唱する。自分が大変な時にこそ、誰かの助けになることをする。そうすれば「レジリエンス(困難を乗り越える力)を手に入れることができます」(神崎朗子訳)▼人に尽くす。この姿勢を貫くには、勇気も忍耐もいる。だが苦労が多い分、真心が通じた時の喜びは大きい。それが励ましの醍醐味でもある。

寸鉄 2021年7月13日
一人一人に寄り添う学会の対話は平和建設の力—識者。励ましの絆を固く
関西の友が大前進月間。正義は必ず勝つ!常勝の誓い燃える同志が総立ち
生活といい、信仰といい、最も必要なものは確信—恩師。強盛な祈りを日々
ストレッチするだけでも運動不足の解消に。聡明に工夫し体動かす習慣を
歩きスマホ、危険性感じつつも止めぬ人多しと。「後悔先に立たず」と戒め

☆勝ちゆく君へ 第17回 新時代の開道者たれ
◇「一人立つ」創価の真髄
今年は、先師・牧口常三郎先生の生誕150周年(6月6日)。
戦時中も、先師は師子王の心で正義と平和の信念を貫かれました。この魂を受け継ぐゆえに、学会はアジアをはじめ世界から信頼されているのです。
愛する広島の平和記念会館には、牧口先生の御揮毫を刻んだ石碑が留められています。
「一人立つ精神」——。
先生は、「勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる」と叫ばれました。
この勇敢なる率先の行動が、創価の師弟の真髄です。
若き命が広布という究極の大善に勇み立つ時、師子奮迅の不二の力を引き出せるのです。

◇歩くことで道ができる
「歩くことで道ができる」
これは、私が心に留めてきたアフリカの格言です。
コロナ禍の今、前例や手本がないからこそ、我らの一歩一歩の挑戦が、後世の道標となる。
御義口伝には仰せです。
「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり」(御書725ページ)
悩み、祈り、思索する。
学び、誓い、実践する。
試行錯誤を粘り強く重ねる中で、道ができる。新たな勝利の道が大きく開かれるのです。
仏の異名は「開道者」です。
失敗を恐れる必要などない。勇気凜々と、常に「一歩を踏み出す」開道者たれ!
(創価新報2021年5月19日付より)

☆質問BOX どうして、会合では皆が決意を述べるのでしょうか?
◇回答
創価学会の会合は、日々の生活に奮闘する人々が集い、決意を新たにする場所だからです。もちろん、人前で話すことが苦手な人は、無理に決意を述べる必要はありません。
自らの決意を述べることは、"必ず成し遂げよう"と、自分の中で覚悟を固めることにもなります。また、学会員は、苦難や宿業に立ち向かう人の決意を聞くと、"なんとしても乗り越えさせよう"と皆で励ましを送ります。それは、苦境を勝ち越えるための、大きな支えとなっていきます。
さらに、勇気を振り絞って決意を語る同志の姿には、周囲の人も勇気づけられ、皆が決意するきっかけにもなります。
池田先生は「人は強いから、決意できるのではありません。決意するから、強くなれるのです」とつづられています。学会の会合には決意があふれているので、次々と"人間革命のドラマ"が生まれるのです。

☆みんなで学ぶ教学 第18回 誓願の力
◇青年の心で誓いを貫こう
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「誓願の力」がテーマです。師匠と同じ広宣流布の誓願に立った時、一人一人に、全てに勝ちゆく無限の力が湧き上がります。新入会者のカツヤくんは、資格試験の勉強中に疲れて、ユタカ支部長に相談するようです。

カツヤ 仕事や学会活動と、資格試験の勉強と、毎日が大変で疲れてしまって……。
"もう試験は来年でいいかな"と思ってしまうんです。そんな弱い自分のこともいやになって……。

ユタカ 大変な中、頑張っていて本当に偉いね! そうかあ。そもそもカツヤくんは、なぜ資格試験を受けようとしているのかな?

カツヤ 僕も男子部の皆さんのように、社会で実証を示そうと決意したので、力をつけようと思ったんです。

ユタカ 素晴らしい決意だね。
では、なんのために社会で実証を示そうとしているのかな?

カツヤ なんのため……。
えっと……。

ユタカ そこが大事なんだ。
仏法を持った一人一人が社会で実証を示していくことは、妙法の偉大さの証明になるんだよ。そしてそれは、そのまま広宣流布となっていく。
カツヤくんが今、力をつけていくことは、自身のためだけじゃなく、世界広布にもつながっているんだよ。

カツヤ そ、そうなんですか。

ユタカ そう思うと、頑張れるような気がしないかな。そのためにも大事なのは、「誓願」なんだよ。

カツヤ 誓願ですか。

ユタカ "何を誓い、願っているか"ということに、その人の人生観が表れるんだ。そして人生の岐路に立たされた時、苦難に負けてしまいそうな時、自ら立てた誓願に立ち返ることで、心を奮い立たせることができる。

カツヤ なるほど。誓願が大事なんですね。

ユタカ そうなんだよ。日蓮大聖人は「開目抄」で、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)と宣言されている。大聖人は、末法の民衆救済という大誓願を打ち立て、貫く中で、あらゆる障魔の嵐を勝ち越えられたんだ。

カツヤ 「開目抄」って、たしか流罪地の佐渡で著されたんですよね。

ユタカ その通りだよ。どんなに厳しい状況にあっても、御自身の誓願を破ることはなかった。むしろ大聖人は、ますます広宣流布への情熱を燃やしていったんだよ。

カツヤ すごいことですね。

ユタカ 大聖人は苦難に立ち向かう青年門下・南条時光に、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561ページ)と呼び掛けられているんだ。師匠である大聖人と同じ思いで、広宣流布という大願を起こし、貫いていけば、必ず苦難を乗り越えられると、弟子に教えられているんだよ。

カツヤ 師匠と同じ思いで……。

ユタカ 池田先生は「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。誓願を貫いた時に、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出てきます。ゆえに、私たちは、この誓願の力によって、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていくことができるのです」とつづられているんだ。
誓いは大きいほど、大きな力となる。カツヤくんも「広宣流布」という師匠と同じ誓願に立って、資格試験の勉強に挑み続ければ、必ず今の苦闘を突き抜けることができるんだよ。

カツヤ 分かりました。"僕が力をつけることで世界広布が進む"と思うと、資格試験へ挑戦する意欲がわいてきます!

ユタカ その意気だね! どんなことでも、誓いに変えて祈っていくことが大切なんだ。私もカツヤくんと共に、青年の心で広布の誓願を貫いていくよ。

2021年7月12日月曜日

2021.07.12 わが友に贈る

新聞休刊日

崇峻天皇御書 P1173
『人身は受けがたし爪の上の土人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ』

【通解】
人間に生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれであり、その身を全うするのは難しく、草の上の露のようにはかない。百二十歳まで長生きしても悪い評判を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。

☆第4回本部幹部会・青年部総会への池田先生のメッセージ
◇平和の宝土を「今」「ここから」 立正安国の大闘争を恐れなく
一、今も鮮やかに蘇る光景があります。
70年前の7月、学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を初めて掲げて行われた臨時総会の折、戸田先生は広布拡大にひときわ奮闘した一騎当千の代表を壇上に招かれました。そして、その老若男女を一人一人讃えつつ、言われたのです。
「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりも先に、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません。私は、この方々に何も差し上げられないが、大聖人様は、すごいご褒美をくださるでありましょうから、なんの心配もいたしません」「どうか、皆さん、この方々に拍手を送ろうではありませんか」と。
今日も、戸田先生は牧口先生とご一緒に「よくやった。天晴れ」と、偉大な「信心の英雄」「民衆の英雄」である皆さん一人一人に拍手を送っておられることでありましょう。
私も最大の感謝と讃嘆を込め、全同志に一書をお贈りしたい。
「凱歌大道之誉」——わが誇り高き創価家族が一人ももれなく、未来永劫に生命の凱歌を轟かせながら、使命と栄光、健康と福運、歓喜と和楽の大道を胸を張って進みゆくことを祈り認めたものです。みな、本当にご苦労さま! みな、本当にありがとう!(大拍手)

◇苦難も誉れと青春勝利の舞を 「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」
一、今年は、文永8年(1271年)の9月12日、御本仏・日蓮大聖人が「竜の口の法難」を勝ち越えられてから満750年となります。
大聖人が示してくださった「発迹顕本(迹を発いて本を顕す)」には、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」(御書1113ページ)と仰せのように、一切の闇を打ち破る生命の究極の光で、一番大変な娑婆世界を仏国土・寂光土へと照らしゆく壮大なる意義があります。
この御本仏にそのまま直結して、私たちは恐れなく現実社会の真っ只中で、「立正安国」の対話と行動を展開しております。
労苦をいとわず、大闘争を起こすなかで、自他共に壁を破り、いかなる行き詰まりも乗り越えて、人間革命の大境涯を開き、今この時に戦う、この場所から、幸と平和の宝土を築き広げていくのが、私たちの「発迹顕本」なのであります。

一、ここで、結成70周年に目覚ましい前進を遂げ、友情と信頼の連帯を結び、混迷の時代に「正義の声」「希望の声」を響かせゆく本門の男女青年部に、記念として一対の書を贈りたい。
大聖人は、竜の口の法難に続く佐渡流罪の渦中、世界広宣流布を宣言された「顕仏未来記」に、伝教大師の一文を引用されました。
「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(同509ページ)と。この学会精神の真髄を書き留めたものです。
古今東西、有名無名を問わず、不滅の価値ある「人生の劇」を残した偉人たちに共通する一点は何か。
それは、あえて困難に挑んで、より深き生き方を求め抜き、選び取り、貫き通す「丈夫の心」すなわち「勇気」にあるといっても、過言ではないでしょう。信心は、その最極の勇気にほかなりません。
妙法の信仰とは、最も深い生命尊厳の哲理であり、広宣流布の誓願とは、最も深い平和と人道の貢献であります。そして、創価学会の団結とは、最も深い人間信頼の絆なのであります。
日本さらに全世界の、わが男子部、わが女子部、わが学生部、わが未来部の皆さん、試練も苦難も全て誉れとする師弟不二の「丈夫の心」で、いよいよ朗らかに「青春勝利の舞」を舞い、若き地涌の英知と力を糾合して、地球民族の新たな価値創造の10年を明るくたくましく牽引していってください。

一、大聖人は、池上兄弟を烈々と激励されました。
「がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆ(弛)む心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふ(振)るま(舞)い・いゐしがごとく・すこしも・をづ(畏)る心なかれ」(同1084ページ)と。
慈折広宣流布の不思議なる「時」のリズムに呼応して、民衆の幸福と社会の安穏、そして人類の平和のために、大聖人と一体の久遠元初の生命を一人一人が輝かせながら、異体同心の大団結で今再び「常勝凱歌の太陽」を、王者赫々と勝ち昇らせゆくことを共々に決意し合って、メッセージとします(大拍手)。

☆県長・県女性部長会での原田会長の指導
◇弟子が勝って創立100周年の扉を
一、まず、静岡県熱海市で発生した大規模な土石流につきまして、被災者の皆さまに心からのお見舞いを申し上げます。
学会本部としても対策本部を設置し、現地の対策本部と緊密に連携を取りながら、被災者の激励に全力を挙げています。一日も早い復旧・復興を祈ってまいります。

一、今回の東京都議会議員選挙で公明党は見事、23人完勝。8回連続となる全員当選で、高らかに東京凱歌を打ち立てることができました。全国の全同志の大奮闘に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました!(拍手)
コロナ禍の中という、経験したことのない今回の都議選は、かつてない大激戦となりました。投票日前には、各紙も「公明『全員当選』に暗雲」「大量落選の危機」などと伝え、当日のNHKの開票速報でも最大7人落選を予測し、16〜23人と報じるほどでありました。
しかし結果は、最後の最後まで劣勢が伝えられていた豊島区、中野区で大逆転。北多摩3区は、次点とわずか354票、目黒区は477票という僅差での見事な勝利劇でした。
まさに、「奇跡的」とも言える完全勝利を飾ることができたのも、先日の党声明にもあった通り、ひとえに、全国の同志の大奮闘のたまものです。
新聞各紙は「自公過半数届かず」「勝者なき都議選」などと報道しましたが、それに真っ先に異を唱えたのが、政治評論家の森田実氏でした。
氏は、次のように記しています。
「都議選結果についてのマスコミ報道に一言、もの申します。『勝者なき……』は大誤報です。勝者はいます。公明党は全員が当選しました。それこそ勝者です!」
「私の実感では、『公明党の勝利は、すぐれた一人ひとりの支持者の真心の支援の賜物』と思います」
「民主主義の基本を地道に、そして誠実に歩み続けた、東京都だけでなく全国の公明党支持者の皆さんを私は、心より尊敬しています」と。
この言葉に象徴される通り、全学会員の血のにじむような大奮闘で、底力を満天下に示した大勝利であると、最大に喜び合いたい。
この晴れやかな東京凱歌は、そのまま、皆さん一人一人の誇り高き「広布と人生の凱歌」であり、そして、この世で最も強く美しい「異体同心の凱歌」です。
私たちは、次なる戦いも、異体同心の団結で、師弟不二の信心で、断じて勝ち越える。その新たな出陣をしてまいりたい。
改めて、全国の同志の大激闘に心より感謝申し上げるとともに、各県の「感激の同志」の皆さまに、くれぐれも御礼を伝えていただき、最大にねぎらっていただきますよう、お願い申し上げます。

◇全国に友好を拡大
一、私たちは、勝って兜の緒を締めて、民衆の幸福のため、世界の安穏のため、「日本の柱」「青年の眼目」「人類の大船」として、立正安国の凱歌の秋を断固と飾ってまいりたい。
同志の皆さまには、連続闘争で大変にご苦労をお掛けしますが、創立100周年への初陣を断じて勝利していこうではありませんか。
そのために、本日は2点、確認させていただきます。
第一に、一人一人が友好拡大に、大きく打って出ようという点です。
小説『新・人間革命』第16巻「入魂」の章には、山本伸一会長が、年配の方を激励する様子が、次のように描かれています。
「年齢を重ねられた方の力は大きい」「人脈や人間関係も広い。その方々が広宣流布のために、本気になって頑張るならば、若い人たちの、何倍もの力が発揮できます。人生で縁した人には、すべて仏法を伝え抜いていこうとの決意で、やろうじゃありませんか」
まさに「人脈」こそが広布の宝です。そして「縁した人、全てに語り抜いていく」決意と実践があってこそ、広布は進みます。
この夏、どれだけ皆が動けるか、まさにここが、凱歌の秋への山場となります。帰省先への「ふるさと交流」や、電話を使っての暑中見舞いなども含め、大きく仏縁を広げてまいりたい。

◇励ましが前進の力
一、2点目の要諦は、どれだけ「拡大に挑戦する人を増やせるか」であります。
小説『新・人間革命』第27巻「正義」の章には、「幹部は、寸暇を惜しんで、皆の激励に回ることです。"もう一軒、もう一軒"と、力を振り絞るようにして、黙々と個人指導を重ねていくんです。それが、幸せの花を咲かせ、組織を強化し、盤石な創価城を築くことになります。ほかに何か、特別な方法があるのではないかと考えるのは間違いです」とあります。
リーダーの必死の行動と、真心からの励まし以外に、勝利を開く道はありません。
リーダーが激励を徹底して進め、「内部充実」「活動者増」を図っていきたい。

一、本日(7日)の本部幹部会は、男子部・女子部の結成70周年を祝賀する「青年部総会」の意義も込めて開催されます。皆が青年の心で、次なる勝利へ出発してまいりたい。
今回の本部幹部会では、1993年6月の各部代表幹部会での池田先生のスピーチを拝聴します。
前回同様、本部幹部会は「会館・個人会館」「モバイルSTB」「SOKAnet」で配信しますが、スピーチについては「会館・個人会館」と「モバイルSTB」のみで配信し、「SOKAnet」では配信しません。その上で、連続勝利への大事なご指導でありますので、本幹とスピーチをセットで視聴することを推奨します。
ともあれ、本年は「大阪の戦い」から65周年。勝利の方程式は「必死の祈り」「真心の励まし」「人間革命のドラマ」です。この師匠の戦いを模範として弟子が勝つ。それでこそ、創立100周年への扉が開かれます。
「東京凱歌」に続き、異体同心の団結による連続勝利を、断固と成し遂げようではありませんか!

2021年7月11日日曜日

2021.07.11 わが友に贈る

◇今週のことば
友情は青春の宝なり。
結び広げた尊き仏縁を
誠実に深めゆこう!
若き立正安国の連帯こそ
社会の安心の柱である。
2021年7月11日

法華証明抄 P1587
『上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるについに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なりすこしもをどろく事なかれ』

【通解】
上下万人から諫められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命にはかぎりがあるものだから、少しも驚いてはならない。

名字の言 人間国宝の講談師が肝に銘じる言葉 2021年7月11日
「数百ものネタを持っていますが、その中に完成品はひとつもありません」とは、講談師・三代目神田松鯉氏の言葉。人気講談師の六代目神田伯山氏の師匠である。一昨年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された▼芸の世界では「四十・五十は青二才」といわれる。講談界の低迷期を支えてきた氏は、「講談が衰退したのではない。講談師が衰退したのだ」との先輩の言葉を肝に銘じる。78歳の今も高座に上がり続けている(『人生を豊かにしたい人のための講談』マイナビ新書)▼かくしゃくと対話に歩く98歳の鹿児島の婦人がいる。彼女の原点は、55年前の"雨の関西文化祭"。師が見つめる前で踊りを披露し、"何があっても負けない"と誓った。阪神・淡路大震災で被災した時も、原点を思い返し、苦難を乗り越えてきた▼婦人に元気の秘訣を尋ねた。「健康でいる私の姿そのものが、信心の力、学会の偉大さの証明になると思うの。だから、一日一日を大切にしたい」。自身の一歩が学会の前進につながる――先輩の姿に改めて教えられた▼御書に「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(234ページ)と。自他共の幸福のために行動を止めない。その「不退の人」に人生の栄光は輝く。

寸鉄 2021年7月11日
学会はどこまでも仲良く進むのだ―恩師。互いの健闘称え合い次なる一歩
男子部結成70周年。歴史開くのは常に青年!丈夫の心で拡大の快進撃更に
「先んずれば人を制す」が常勝の鉄則。さあ決意を行動へ。まず幹部率先!
雨天の車の事故は晴天時の4倍。速度出し過ぎず。無冠の皆様も安全第一で
地域の危険箇所を知れば避難行動も変わる。防災地図を確認。意識強めて

☆勝ちゆく君へ 第16回 日々、"新生"の命で!
◇希望の言葉を届けよう
青年部が学び行じゆく「立正安国論」は、三災七難による民衆の惨状を、共に嘆き憂う対話から書き起こされています。
「独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す客来って共に嘆く屢談話を致さん」(御書17ページ)
平和と安穏の社会の実現へ「語り合おう!」――この御本仏のお心に直結する声による仏事が、創価の若人の実践です。
現実の課題に、英知の声を糾合する男女青年部の挑戦は、時代変革の新たな潮流です。
「立正安国論」の対話は、「嘆きの共有」から「誓いの共有」へ結晶しました。地涌の行動で、不安の闇に希望の一灯を! あの友にも、この人にも!

◇「誠実」が信頼を生む
妙法の蘇生の力を体した私たちは、毎日が「新生」です。
千変万化の世相にあっても、題目とともに、一日また一日、旭日の生命力を光らせて、断じて勝ち開いていける。たくましき新社会人、また新出発の友の健康第一の前進を祈ります。
戸田先生は、「青年の一番の財産は信頼だ」と語られました。
信頼は「誠実」から生まれます。小さなことも大切に、真剣に地道に取り組み、約束を守ることです。日々の勤行・唱題こそ、その原動力なのです。
負けじ魂で戦い勝った四条金吾への御聖訓を贈ります。「心の財第一なり」「心の財をつませ給うべし」(同1173ページ)と。
(創価新報2021年4月21日付より)

☆桂冠詩人40周年 池田先生の長編詩「誇り高き七月三日の旗を!」
7月は、池田大作先生に「桂冠詩人」の称号が贈られて40周年。そして、きょう7月3日は、永遠の歴史に刻まれた「師弟不二の記念日」である。先生は16年前の2005年6月、長編詩「誇り高き七月三日の旗を!」を詠んだ。その抜粋を掲載する。

◇7月3日――師弟不二の記念日 正義と真実に生き抜け!
今まで
多くの苦難もあった。
しかし
すべて悠然と
勝ち抜いてきた。

風は
厳しく吼えている。
憎む者は
勝手に憎めばいい。
笑う者は
勝手に笑えばいい。
嘲笑する者は
勝手に嘲笑するがいい。
骨抜きされた
中傷非難など
物の数ではない。

私の太陽は
永遠に光り輝き
いかなる弾圧にも
いかなる強敵にも
決して屈しない。

汝自身の正義と真実に
生き切ることだ。
つまり
妙法への信仰である。
これが
人生究極の
荘厳なる法なのである。

昭和二十年(一九四五年)の
七月三日
この日は
師である戸田先生が
軍部権力の弾圧を
勝ち越えて
出獄された日である。

そして
昭和三十二年の
七月の三日は
弟子である私が
冤罪によって
入獄した日である。

当然ながら
戸田先生も
一点の曇りなく
無実であられた。
そして私も
晴ればれと
無罪であった。

「七月の三日を
  祝さむ
   師弟不二」

君よ!
誇り高き
七月三日の旗を
打ち立てて進め!
永遠に
七月三日の
記念日を刻め!

君よ!
青春を
勝利で飾れ!
勝利の誕生日を飾れ!
勝ち抜いて飾れ!