2021年3月31日水曜日

2021.03.31 わが友に贈る

「喜とは自他共に喜ぶ事」
友のために動けば
自身の心も豊かになる。
苦楽を分かち合う
同志の絆を強く固く

祈祷抄 P1351
『かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき』

【通解】
このような嘆きのなかにあって、法華経の敵は舌を切るべきである。一座に列なるべきではないなどと大声で言い立てたのであった。

名字の言 『創価教育学体系』で紹介した、ある教育現場の実話 2021年3月31日
小学校教師が準備不足のまま理科の授業に臨んだ。そんな日に限って、児童に突然質問されてしまう。「ナマコに骨はありますか」▼教師は面食らいつつ「当然、骨はない」と答える。ところが教科書をめくると「ある」と書いてあった……。牧口先生が『創価教育学体系』で紹介した、ある教育現場の実話である。一番の失策は、教師が自らを模範的な"知識の伝達者"と錯覚していることにあると指摘する。教師が子どもに対して「私のようになりなさい」と自分を模範にさせるのは傲慢だ。もしも教師が模範になりうるとすれば、「完成を目指して努力する姿」を示すことにある、と▼家庭教育も同じだろう。完璧な親などいない。むしろ自らの欠点や至らなさを自覚し、自分らしく成長しようと努力を重ねる姿に子どもは共感を覚え、挑戦の心を抱くのではないか▼知識の伝達だけなら、現代ではインターネットの方が生身の人間より一枚も二枚も上手である。だが、ダイヤがダイヤでしか磨けないように、豊かな人間性は人間との関わりの中でしか育たない▼池田先生は「教育」について、「皆が『共に』学び、『共に』成長し、『共に』勝利の未来を開いていく」ことだと語る。学会は創価家族が共に希望の未来へ進む「共育」の団体である。(之)

寸鉄 2021年3月31日
御書「末代に弘通せんと・ちかひ給いしなり」。偉大な師と共に今日も広布へ
教育本部の日。子どもの幸福が第一。皆様の献身に創価三代の魂は脈々と
何があっても題目で勝てる—戸田先生。不可能を可能にする鍵はこの確信
先輩が君に尽くした以上に後輩に尽くせ—文豪。励ましの連鎖を私から!
旅立ちと出会いの季節—挨拶一つに真心込めて。友情こそ人生彩る宝なり

〈社説〉 2021・3・31 きょう「教育本部の日」
◇教師の成長こそ人を育む王道
きょうは「教育本部の日」。2002年3月31日、前身の教育部(1961年発足)が教育本部へと発展したことが淵源である。以来、学校・家庭・地域における教育力の向上に力が注がれてきた。
時代の変遷とともに、子どもを取り巻く環境は複雑化している。とりわけ昨年来の新型コロナウイルス感染症による負の影響が、暗い影を落とす。
貧困や教育格差等の従前の課題が浮き彫りになったことに加え、オンライン授業が普及した半面、友人関係の希薄化など、新たな問題も出てきた。
教育環境の改善は待ったなしの局面だ。数々の試練を、教育の輝く未来を展望する好機に転換しゆく鍵は、一体どこにあるのだろうか。
「心は狂せんばかり」——本年、生誕150年を迎える初代会長・牧口常三郎先生は、苦しみに喘ぐ子どもたちに思いを馳せ、つづっている。
知識の切り売りに終始する教育に厳しい眼を向け、「子どもの幸福」を第一義として、教育の目的を豊かな価値を創造しゆく主体性の形成に置いた。すなわち、自らの手で活路を開き、幸福をつかむ人間を育てることである。
この人間教育の実現へ、牧口先生が力点を置いたのが、教師の質の向上であった。
小学校の校長時代には、月曜日の放課後を教師が技術や実力を磨く時間に当てる取り組みを始めている。自身も教育書を精力的にひもとくとともに、英語の勉強を重ね、その探究の姿勢は周囲の教師たちに啓発を与えたという。
牧口先生の魂を受け継いだ池田先生はかつて、人を育もうと奮闘する友に詩を贈った。
「他人を教育することは易しい/自己自身を教育することは難しい/生涯 確たる軌道に乗りながら/自己を教育していくところに/人間革命の道がある」
教育の蘇生には、もちろん制度的な変革も不可欠である。しかし、一切の根本は、子どもたちの最大の教育環境である、教育者自身の人間的成長にある。
創価三代の師弟に脈打つ教育思想を体現しようと、変革の波を起こしてきた教育本部の友。これまで14万5000事例を積み重ねてきた教育実践記録には、現場で生み出された、たくましい知恵が光る。
その一つ一つには、子どものために自らが変わろうと真摯に向き合う、教育者の挑戦のドラマが凝縮されている。
この創価教育の精神の結晶は、英語に翻訳されて世界に広がり、「分断の風潮を感じる今、非常に大きな意義を持つ」(作新学院大学・渡邊弘学長)等と高い評価が寄せられる。
人間教育の潮流は、今や地球上に広がる。一人一人が時代の闇を打ち破る光として一段と輝くことを期待したい。

☆四季の励まし 学ぶことは人間の「権利」 2021年3月28日
◇池田先生の言葉
学ぶことは、
何ものにも代え難い
人間の尊厳の証しである。
学ぶことは、
人間として
最も誇り高い権利であり、
特権なのである。
学ぶことによって、
わが生命に秘められた
偉大な力を引き出せる。
学ぶことによって、
正義のために戦い、
人々を幸福にできる。

人間も、社会も、文明も、
学ぶことをやめた時、
衰退が始まる。
これは
歴史の厳しき実相である。
生き生きと
学び続ける道には、
行き詰まりはない。
必ず、
新たな価値創造の活路が
開かれる。

人を幸福にするための
学問である。
民衆に貢献するための
学問である。
父母に親孝行するための
学問である。
未来を勝ち開きゆくための
学問である。
学びゆく人は、
断じて負けない。

きのうよりはきょう、
きょうよりはあすと、
向上の坂を上りゆく、
みずみずしい生命力と
学びの姿勢が
あるかどうかで、
人生の勝利が
決定づけられることを
忘れてはならない。
新しい知識の習得のみが、
学ぶということの
本当の意味ではない。
最も重要なことは、
学ぶことによって、
自分自身が
「新しい自分」に
なっていくことである。

「向学の心」を
失わないことだ。
前進し続けることだ。
そうして進んだ道が、
君にしかない、
あなたにしかない
「使命の道」
「充実の道」
「勝利の道」になっていく。

【写真説明】命を燃やす桜花。色鮮やかな桃の花。"春の共演"の向こうに、創価大学池田記念講堂(東京・八王子市)が堂々とそびえ立つ。2007年(平成19年)4月、池田大作先生がカメラに収めた。
この数日前、先生は同講堂で行われた創大・創価女子短大の入学式で呼び掛けた。「真の哲学の道は、生命尊厳の平和の道である」——と。
学問はどこまでも、人間を幸福にし、世界平和を創造するためのものでなければならない。この「何のため」を問う伝統のもと、創価大学は民衆奉仕のリーダーを陸続と輩出してきた。
今また、丹木の丘のキャンパスが桜に染まる季節がやって来た。4月2日、栄光の開学50周年を迎える。

☆心に刻む御書 2021年の要文�——日女御前御返事
【御文】
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』(日女御前御返事、1244ページ)

【通解】
この御本尊を決して他の所に求めてはならない。ただわれら衆生が法華経(御本尊)を持って南無妙法蓮華経と唱える、胸中の肉団におられるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。

【池田先生の指針】
仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。
ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。
そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。
(第19巻「宝塔」の章、300ページ)

2021年3月30日火曜日

2021.03.30 わが友に贈る

"今日なすべき事をなす"
朝の勤行・唱題から
一念を定めて出発を!
満々たる生命力で
勝利の劇をつづろう!

閻浮提中御書 P1589
『仏法を信じて今度生死をはなるる人のすこし心のゆるなるをすすめむがために疫病を仏のあたへ給うはげます心なりすすむる心なり』

【通解】
仏法を信じて、今度生死を離れようとする人が少し心が弛んでいるのを見て、仏は信心を促すために疫病を与えられている。信心を励まし勧めるという心である。

名字の言 春のセンバツに思う 2021年3月30日
「甲子園が戻ってきました」。2年ぶりの熱戦が続く春の選抜高校野球大会。その開会式で、宮城・仙台育英の島貫丞主将が行った選手宣誓は、列島に感動を広げた▼世界中が未曽有の困難に見舞われた1年。皆が大切なものを失った。「答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことでした。しかし、同時に多くのことを学びました。当たり前だと思う日常は、誰かの努力や協力で成り立っているということです」。球児のみならず、たくさんの人たちの気持ちを代弁する言葉だった▼福島県出身の彼は宣誓に震災10年への思いも込めた。「これからの10年。私たちが新しい日本の力になれるように、歩み続けます」と。「春はセンバツから。穏やかで鮮やかな春、そして1年となりますように」——よどみなく語る一言一言に、未来への誓いと願いがあふれていた▼「当たり前」のことが、どれほどありがたいか。私たちはそのことを深く知った。失ったからこそ見えてきたものを大切にする。そこに新たな未来を開くカギがあろう▼春の甲子園もいよいよ大詰め。試練の冬を越えて、夢舞台で乱舞する球児たちにエールを送りたい。そして、我らも負けじと新しい決意で立ち上がり、「挑戦」と「行動」の春を生き生きと進みたい。(仁)

寸鉄 2021年3月30日
「開とは信心の異名なり」御書。試練の時こそ境涯開く好機。強盛な祈りで
中国方面「師弟正義の日」開拓魂は同志に赤々と!民衆凱歌の歴史ここから
他人と苦しむ事を知らずに立派と言えるか—文豪同苦する学会活動は王道
転入・転出の友に真心の声掛けを。創価家族の絆は宝。互いに誓い新たに
子の急な飛び出しによる事故多し。春休みの時期。運転者も安全意識を強く

☆御書の旭光を 第17回 民衆の中へ 同志の中へ
〈御文〉
『煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり』(御義口伝、740ページ)

〈通解〉
煩悩の淤泥の中に、ありのままの仏がいる。それは、我々衆生のことである。今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉っているのを当体蓮華の仏というのである。

〈池田先生が贈る指針〉
牧口先生が線を引き、大切にされた御金言である。先生は戦時下の泥沼の如き現実社会に飛び込み、苦悩の民衆が妙法の当体蓮華の生命を開花させゆく道を示された。
闇が深いほど暁は近い。胸中に希望の太陽を昇らせ、抜苦与楽の励ましを! 時代の混迷を照らす立正安国の対話を! ここにこそ真実の仏の生命が輝く。

☆大学校生とナットクTALK テーマ:同志の絆
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
松本ニュー・リーダー 映像クリエーターの24歳。自宅での作業ばかりで孤独感を抱く。

Q.個々で頑張ればいいのでは?
A.仲間の存在は成長の追い風に
中村区男子部大学校団長 先日は男子部大学校の入校式に参加してくれてありがとう! これから1年間、一緒に信心について学び合っていこう。参加してみてどうだった?

松本ニュー・リーダー 意外といろんな年齢の人がいて驚きました。皆の前で話していた人が「大学校生同士のつながりが大切だよ」と言われていたのですが、僕はいろんな人と関わるのがちょっと苦手なんです。信心も、個々人で頑張ればいいのかなって思っているんですが。

中村 その気持ち、よく分かるよ。僕も学会に入会する前は、少数の気の合う仲間としか遊ばなかったし。当時は、それ以外の人と関わること自体、面倒くさいって思っていたな(笑い)。

松本 えっ! 中村さん、とても面倒見がいいのに! 意外ですね……。

中村 僕が成長できた要因の一つに、大学校時代の"横のつながり"があるんだ。大学校生は、年齢も職業もまちまち。独身の人もいれば、結婚して子育て中の人もいる。会合では、それぞれが直面する悩みを共有しながら「信心で乗り越えよう!」と皆で決意し合ったんだ。職場の人間関係、病気、経済苦など、悩みが違うからこそ、"こういうところで頑張っている人がいるんだ"って刺激も大きかったよ。

松本 そういえば男子部って、いろんな人がいますよね。

中村 日蓮大聖人は「かかる濁世には互につねに・いゐあわせて」(御書965ページ)と、大変な時代だからこそ、常に励まし合って進んでいきなさいと教えてくださっている。信心を貫いていく上で、励まし合う同志の存在はとても大切なんだ。

松本 確かに社会人になると、仕事以外で新しい人間関係をつくる機会がほとんどない気がします。僕は今、在宅ワークばかりで、話を聞いてくれる人が周りにいません。

中村 池田先生はこう教えてくださっているよ。「広宣流布の活動では、正念場となるような苦しい激戦もあります。その時に、歯を食いしばりながら、『頑張ろう!』『負けるな!』と、互いに励まし合い、勝利の旗を掲げ続けてきた同志の絆は強い。永遠の友情が培われています」と。大学校も、皆で互いの勝利を祈る中で、絆がだんだんと強くなって、それが成長の宝になるんだ。

松本 僕も1年後に皆で「やりきった」「成長できた」とたたえ合えるように頑張りたいです。

中村 その積極性があれば大丈夫。最高の友情を築けるよ!

2021年3月29日月曜日

2021.03.29 わが友に贈る

◇今週のことば
さあ、春の太陽と共に!
爽やかな「挨拶」
明るい「笑顔」
誠実な「振る舞い」で
友情と信頼の花の輪を!
2021年3月29日

三三蔵祈雨事 P1472
『鎌倉より事故なく御下りの由承り候いてうれしさ申す計りなし』

【通解】
鎌倉より事故なく御帰国の由をお聞きして、嬉しさはもうしあげようもない。

名字の言 志村けんさんが「ホロッとした」手紙 2021年3月29日
人気を博したコント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」の放映時、テレビ局には視聴者から多くの便りが届いた。その中に、志村さんが「ホロッとした」手紙があった▼父を失った娘が、母とアパートで生活していた。母はパートに出て、娘もアルバイトの日々。ただ、月曜日だけは2人とも午後6時に家に帰った。8時からの番組を見るためだ。母娘で笑い合い、「また1週間頑張ろうね」と声を掛け合った▼人間と動物の違いの一つは「笑う」こと。志村さんは「笑いには、人間を強くする不思議な力がある。お笑いしかできない僕だけど、笑うことで何か明るい光が見えてくれば、本当にいいんだけどね」と語っていた(『志村けん160の言葉』青志社)▼笑いは人間を元気にする"生活の潤滑油"である。カントは"笑いは医師の働きをする"と洞察したが、実際、免疫機能の活性化や癒やしの効果があるという。笑いの類型であるユーモアも、"人間を解放する笑い"といわれる。池田先生は、たくましき楽観主義からにじみ出るものがユーモアであり、「真剣の人は明るい」と▼志村さんが逝去して一年。コロナ禍は続き、社会の分断も深刻だ。だからこそ、苦難に負けない人生を笑顔でたたえ合う励ましの輪を、地域に広げたい。(嶺)

寸鉄 2021年3月29日
「かくれたる事のあらはれたる徳となり」御書。陰の労苦に陽報は燦々と
東京・目黒の日。師弟有縁の地に勇者の連帯。動き、語り、勝利の突破口開け
男子部・学生部が大拡大期間を力走!先駆の幹部に友は続く。雄弁の将に
充電しつつ長時間の動画再生で携帯が発熱。事故多発。利用は十分注意し
公明は子ども・子育て支援を主導—識者。衆望に応える政策実現に死力を

〈社説〉 2021・3・29 壁に挑んだ新社会人へ
◇自ら希望つくる人に勝利が
春本番! 新社会人となる友は、新型コロナウイルスの感染拡大による激動の一年を乗り越え、新たな人生の出発の時を迎えた。大学等では振り返ると授業や就職活動は主にオンラインとなり、クラブ活動やアルバイトも影響を受けた。青春を謳歌するはずのキャンパスライフは一転、先行きの見えないものとなった。
文部科学省によると、新型コロナの影響で昨年4〜12月に全国の国公私立大や短大などを中退した学生は、計1367人に上る。理由として経済苦をはじめ、「オンライン授業で友達がつくれず寂しい」「孤独感を覚えた」などが挙げられている。
とりわけ、就活生はなかなか進路が決まらず、不安に押しつぶされそうな日々を、悩み葛藤しながら奮闘してきたことだろう。2月1日現在の就職内定率は89・5%。2011年以来、10年ぶりに悪化した。痛手だったのは、先輩や同期生、就職キャリアセンターの職員らとの対面コミュニケーションが取りづらくなったことだ。普段であれば当たり前にできていた情報交換や人脈づくりが困難となった。
こうした苦境の中、学生部員たちは互いに励ましを送り、立ちはだかる人生の絶壁に挑んでいった。千葉県の男子学生部員は、自身の夢をかなえるため、難関の公務員試験に挑戦。しかし突然、父親を襲った病魔に一時は心が折れそうに。池田先生の言葉、家族やオンラインでの友人からの励ましに奮起。「師匠に勝利をご報告したい。家族に勇気を送りたい」と猛勉強の末、見事合格を果たし、新たな一歩を踏み出した。
また、東京都の女子学生部員は、慣れないオンライン面接に懸命に挑むも、届くのは不採用の通知ばかり。それでも"使命の進路を開くのだ"と題目をあげると、不思議と生命力と諦めない勇気が湧いた。ついに祈った通りの条件でIT企業の内定を得た。「お世話になった人へ恩返しの人生を!」と瞳を輝かせる。
コロナ禍という未聞の逆境をも成長のバネとできるかどうか。信仰で磨いた不屈の負けじ魂と、周囲の励ましという希望の追い風が大飛躍の原動力となろう。古今の歴史に照らし、若き日の試練が大きな世代は、それだけ未来に果たすべき使命が大きいと銘記したい。
池田先生は、小説『新・人間革命』で「誰もが、さまざまな試練や困難と戦っています。そのなかで、自分自身でどう希望をつくり、雄々しく生き抜いていくかです。これをやり抜いた人が真実の人生の勝利者なんです」とつづっている。
満開の桜に包まれ、新たな出発を切る全ての友に心からエールを送りたい。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 病と向き合う 2021年3月23日
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、岐阜県の婦人に話を聞いた。

◇御文
『妙とは不死の薬なり』(御講聞書、831ページ)

◇通解
妙とは不死の薬である。

◇使命を自覚した喜び 迫られた命の選択
「残念ですが、お腹の中の赤ちゃんは諦めてください」。医師が見つめる先で、田中一恵さん=岐阜総県婦人部長=は言葉を失った。支部婦人部長を務めていた、37歳の秋のことだった。

女子部時代から広布一筋に走り抜き、夫・史明さん(50)=同総県長=と結婚。長男・俊明さん(20)=学生部グループ長=を授かった翌年、第2子の妊娠が分かった。
自身に「乳がん」が見つかったのは、その頃だった。地元の医療機関で健康診断を受けた際、マンモグラフィー検査で胸部を写した画像に、異様な影がくっきりと見えたのだ。
「がんの可能性があります」。医師は眉根を寄せた。
数日後、田中さんは大学病院で精密検査を受けた。医師は静かに結果を告げた。「今、あなたの体の中には、赤ちゃんと、がんがあります。残念ですが、母子の両方を助ける手だてはありません」
自分自身の命か、胎児の命か。諦める「命」の選択を迫られた。今まで病気と無縁だった人生。思いもよらず突き付けられた現実に、頭の中が真っ白になった。
「"なんで私が?"って。長男はまだ1歳。"私が死んだら子どもはどうなるの?"って、がくぜんとしました。かといって、おなかの中にいるわが子も、絶対に失うわけにはいかない。『選べ』と言われて選べるものではありません。どちらにも進めない。八方ふさがり。絶望の谷間に蹴落とされたようでした」
治療方針を定めるまで、まだ猶予はあった。夫婦でしんしんと祈りを重ね、病魔と対峙する鍔際。葛藤と苦悩にさいなまれ、命が押しつぶされそうになった。
婦人部のリーダーとして友の前では努めて明るく振る舞ったが、一人になった途端、不安に生命が少しずつむしばまれていくのを感じた。
すがるように、池田先生の書籍をひもとく。ある時、手に取った『法華経の智慧』に、「妙とは不死の薬なり」(御書831ページ)との一節があった。
「先生はこの御文を拝して、生ある限り、妙法流布という偉大な使命に生ききる『信心』こそが『不老不死』の境地なのだと、仏法の深遠な生命観を教えてくださったんです」
師の指導を、何度も何度も読み返した。"そうだ! いかなる境遇だろうと、師匠と共に広宣流布に生きることほど、幸福な人生はないじゃないか!"——心の底からそう思えた時、攻め寄せていた己心の魔を打ち返し、胸の内から「迷い」が消えていくのが分かった。
「私自身の使命を果たすためにも、"絶対に病魔に負けるわけにはいかない! 何が何でも乗り越えてみせる!"って、勇気が湧いたんです。救う命を"どちらか選ぶ"ではなく"どちらも選ぶ"んだと。苦しくて仕方なかった心が、いつしか晴れ渡り、歓喜があふれてきました」
御本尊の前に座り直すと、唱題の声に自然と力がこもった。
やがて、腫瘍を再び精密に調べるため、病院で切開することに。どう治療を進めるかは、その後に決まるという。
婦人部の先輩が、すぐさま励ましてくれた。
「治療に当たる医師が『自分にとって世界最高の名医であるように』って祈るのよ! 絶対に大丈夫だから」
人生の波浪を乗り越えてきた言葉が、田中さんの不安をかき消し、祈りのギアを上げた。「広布に生きる人が守られないはずがない。必ず不可能を可能にしてみせる。祈るほど、心は定まっていきました」
いよいよ、検査のための手術当日。
医師が、局部麻酔をして手術台の上に横たわる田中さんの体に、メスを入れていく。しばらくして、腫瘍を確認した医師は、このまま、がんを切除する緊急手術に踏み切ることを決断した。
看護師たちが慌ただしく動く。手術室は、緊迫感に包まれた——。
数時間後、医師は、摘出した握り拳大の腫瘍を見せながら言った。「安心してください。あなたも、おなかの中の赤ちゃんも、もう大丈夫です」
後の病理検査で、腫瘍は悪性度が高かったため、あの場で摘出していなければ危なかったと分かった。
「手術は予定外でしたが、腫瘍の状態、私の体調、あの時の医師の判断や医療態勢など、全ての条件がそろった"結果"です。感謝してもしきれません」
半年後、長女・幸恵さん=女子高等部部長=を出産。元気な産声を聞いた時のあの喜びは、今も忘れられない。その後も田中さんは放射線治療とホルモン治療を続け、術後10年を経て「寛解」に至る。
「家族や信心の先輩、池田先生の度重なる励ましが、何よりの支えでした。だからこそ、途中、再発が疑われた時も、"これでまた題目をあげさせてもらえる!"って、心から感謝できたんです。いかなる境遇にも紛動されず、妙法と一体の大生命力で乗り越えていく境涯。私は題目をあげる中で『妙とは不死の薬なり』の御聖訓を命で確信できました」
池田先生は語っている。
「いかなる苦悩をもち、いかなる境遇にあろうが、その人でなければ果たせぬ尊き使命がある。それを深く自覚した時、すべては変わる」(「指導選集」第2部上巻)
「いろいろなことが人生には起こる。常に変化、変化である。結局、大事なことは、何があっても負けないこと。戦うこと。希望を失わないことである」(同第2部中巻)
「命」の重みと向き合ってきた自らの体験を通し、友へ励ましを送り続ける田中さん。
「今、私が全てに感謝できるのは、あの経験があったから。振り返れば、全部、意味があったんだって思えます。絶望の淵にあっても、私たちには信心がある。それ以上の喜びはありません」

[教学コンパス]
日本人女性の9人に1人が患うといわれる「乳がん」。早期発見・早期治療によって多くの方が治るといわれるが、国内の検診受診率は決して高くない。
仏法では医学を最大に尊重する。日蓮大聖人も、病に悩んでいた富木尼御前へのお手紙で、「重病ですら良医にかかり、早く治療すれば命を保つことができます」(御書985ページ、通解)と、速やかな治療の大切さを教えられ、続く箇所で、医術の心得があった四条金吾に診てもらうよう勧められている。一つ一つの励ましも具体的である。
病気に対して適切な医療が大切であることは言うまでもない。その上で、大聖人は同じお手紙で、「早く心ざしの財をかさねて」(同986ページ)と仰せだ。病気と闘う以前に、「心の次元」で病魔に勝つのか負けるのか。"断じて乗り越えてみせる"と強盛に祈る中で湧き出る生命力によって、医療も最大限に生かされるのであろう。
具体的な治療と、信心根本の強靱なる一念。この"両輪"こそが、病魔に打ち勝つ道にほかならない。(優)

2021年3月28日日曜日

2021.03.26 わが友に贈る

親子の宝の思い出が
和楽の家庭を築く。
子どもの話に耳を傾け
信仰の原点や体験を
語り伝える春休みに!

高橋殿御返事 P1467
『同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし』

【通解】
同じ米であっても謗法の者を養うのは、仏の命を断つ命を継承させ、更に強盛な敵人とする。それともまた命を永らえさせて、最終的に法華経に引き入れるためであろうか。また法華経の行者を養うのは、慈悲のなかの大慈悲の米であろう。

名字の言 教え子がくれた人生最高の宝 2021年3月28日
特別支援学校に勤めていた婦人部員が、教え子との大切な思い出を語ってくれた。その少年は脳性まひで生まれ、視覚、聴覚、肢体に重い障がいがあった▼見えない。聞こえない。自由に動けない。"暗闇"の中で、ずっと独りぼっちでいる少年を見て、婦人は強く思った。"少しでも外の世界を感じてほしい""生きる喜びを分かち合いたい"。毎日、そっと手に触れ、優しく額をなでながら「せんせいだよ」「わかる?」と話し掛けた▼1カ月、2カ月、3カ月……。懸命に祈り、寄り添い、声を掛け続けた。すると、無表情だった少年の顔に変化が。少しほほ笑んだ。口をとがらせた。涙をこぼした。少年が、精いっぱいの力で示す"小さなしぐさ"は、婦人にとって"大きな喜び"に。心が通い始めた。少年は手足も少しずつ動かすようになった。婦人は言う。「あの子がくれた感動は人生最高の宝です」▼御聖訓に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)と。他者のために祈り、尽くし、心を結んでいく。そこには、かけがえのない喜びがある。自分の命に"宝"を積んでいけるからだ▼人と人が身体的な距離を置かざるを得ない今こそ、心と心の距離を縮める語らいに力を注ぎたい。自他共の幸福を築くために。

寸鉄 2021年3月28日
本当の偉さとは決めた信念を生涯貫くこと—恩師立正安国の大道を一筋に
沖縄女性の日。平和楽土建設は輝く太陽ありて。さあ団結固く励まし拡大
「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし」御書。幹部率先の挑戦を
防災備品の点検は定期的に。災害は待ってくれぬ。使用期限等、意識持って
利他こそコロナ時代に選択すべき生き方—識者。友の為に尽くす行動を今

☆御書の旭光を 第16回 尊き看護師の友に感謝
〈御文〉
『此の御志は・いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに・両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候』(上野殿母御前御返事、1583ページ)

〈通解〉
あなたのお志に、どうお応えしようかと、うれしく思っているうちに、両眼から一滴の涙が浮かんできました。

〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人は、健康を案じて薬草等を御供養された女性に「涙を浮かべて」と御礼を述べられている。感謝は「人の振る舞い」の根幹だ。
「白樺」をはじめ看護師の方々は、日夜、命を守るために奮闘されている。
御本仏は、その人知れぬ献身をどれほど御賞讃か。私たちも心からの感謝を込めて健康と安穏と福徳を祈りたい。

☆御書に学ぶ「彼岸」の意義
◇目覚めた一人が一族を照らす
今月20日は「春分の日」。学会では例年、この日を中心に、全国の会館等で「春季彼岸勤行法要」を執り行ってきました。本年は昨年に続き、新型コロナウイルス感染症予防のため、各家庭で追善の勤行を行うことになります。広布の途上で亡くなられた同志や、家族・親族・友人・先祖の三世永遠にわたる福徳と安穏を祈念するに当たって、ここでは御書を拝しながら、「彼岸」と「追善回向」の意義について学びます。

【御文】
『生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず』(椎地四郎殿御書、1448ページ)

【通解】
生死の大海を渡るのは、妙法蓮華経の船でなくては、叶わないのである。

◇"妙法の船"で仏の境涯に
仏教では、貪瞋癡の三毒の苦しみに満ちた現実世界を「此岸(こちらの岸)」に、仏道修行によって得られる覚りの境涯を「彼岸(向こうの岸)」に例えています。
また、「彼岸」には「到彼岸」、つまり成仏の境涯に至る修行や実践の意義も含まれています。
この仏法の本義から考えれば、彼岸に到るために大切なことは、自分自身が成仏の境涯に向かって信心に励んでいくことです。
本抄で日蓮大聖人は、妙法によってしか彼岸に至ることはできないと教えられています。ここで「大海」に例えられているのは、生死の苦しみが渦巻く現実世界です。
人生には、不条理としか思えないような宿命の嵐が吹き荒れることもあります。しかし、何の心配もいりません。大聖人は荒海を乗り越える「妙法蓮華経の船」に、「以信得入の一切衆生を取りのせて」(御書1448ページ)「是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり」(同1449ページ)と、広布にまい進する私たちは妙法の船に乗ることができると仰せです。
故に、「いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし」(同1448ページ)「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同ページ)と、悠々たる境涯で苦難に立ち向かっていくことを教えられているのです。
大聖人に連なり妙法流布に生き抜く私たちは、この一生のうちに必ず仏の境涯を開くことができるのです。

【御文】
『目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う』(盂蘭盆御書、1430ページ)

【通解】
目連尊者が法華経を信じた大善によって、目連自身が仏に成っただけでなく、その父母も仏に成った。さらに、上七代、下七代、また上と下の数限りない生の間、自分に縁ある父母たち全てが、思いもかけず、仏と成った。

◇信心の功徳を回らし向ける
「追善回向」とは、自分自身が仏道修行で積んだ功徳を、先祖や故人に回らし向けることです。
私たち学会員は、春や秋の彼岸の時期だけでなく、日々の勤行で、先祖だけでなく、亡くなられた共戦の同志、そして縁した故人にまで題目を送り、追善を行っています。「常彼岸」ともいうべき尊き実践をしているのです。
本抄で日蓮大聖人は、妙法を信受した功徳が、多くの人々をも成仏させていくことを教えられています。
目連尊者とは、釈尊の十大弟子の一人です。「神通第一」とたたえられた目連は、自身の神通力では、死後に餓鬼道に堕ちてしまった母を救うことができませんでした。しかし、目連は、万人成仏の法華経を信受して、自らが成仏できるようになったので、母をも救うことができたと示されています。
つまり、妙法による追善こそが、真の追善となります。また、自分自身が妙法を行じ、功徳を積むことによって、それを故人に回らし向けることで、一家眷属を成仏へと導いていけるのです。
たとえ故人が信心していなかったとしても、自分自身が広宣流布に励む中で積んだ功徳は、先祖代々、子孫末代まで包みます。
また、広宣流布の途上で亡くなられた家族や同志の遺志を継ぎ、後継の人材として成長し、勝利の人生を歩んでいくことが、真の追善回向となるのです。

◇最高の追善 故人の成仏に僧侶は無関係
日本では、伝統的に"お彼岸"といわれるように、春と秋に「彼岸」の法要が執り行われてきました。
しかし、追善回向の本義は、どこまでも本人自身の信心によってなされるものです。
ところが日顕宗は、故人を偲ぶ気持ちを金もうけに利用するため、"坊主を呼んで追善しなければ、先祖は成仏しない""塔婆を立てないと追善回向できない"など、御書のどこにもない邪義を主張しています。
そもそも、「僧は葬送儀礼に関わらない」というのが釈尊の遺言であり、仏教の伝統でした。故人の成仏と葬儀への僧侶の介在は一切関係がないのです。
むしろ「真心ですることであっても、供養される人が悪ければ功徳とはならず、かえって悪道に堕ちてしまう」(御書1486ページ、通解)と仰せです。
せっかくの真心から発した供養であっても、悪侶への供養となってしまっては、悪業を積む因となってしまいます。
大聖人は、末法の民衆を救うため、三類の強敵を打ち破り、妙法を弘められました。その御遺命のままに、創価の三代の会長は、あらゆる大難を乗り越え、世界広布を現実のものとしてきました。
万人救済の広宣流布にまい進する私たちの追善こそ、大聖人の精神にのっとった最高の追善であることは、間違いありません。

◇池田先生の指導から
題目の力は、計り知れないほど大きい。私たちが唱える題目の"光明"は、全宇宙のすみずみにまで届き、無間地獄の境涯で苦しむ衆生をも照らし、即身成仏させていくのである。
「さじき女房御返事」には、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(御書1231ページ、通解)と仰せである。広布に生きる信心の偉大な功徳は、亡くなった人や、子孫末代にまでも伝わっていく。
真の追善は、妙法によるしかない。妙法の功力は、今世だけでなく、三世にわたって人々を救いきっていくからである。
日蓮大聖人の門下に、浄蓮房という人がいる。その父親は、念仏の信仰者として亡くなった。この浄蓮房に対して、大聖人は、「父母の遺した体は子の色心である。今、浄蓮上人が法華経を持たれた功徳は慈父の功徳となる」(同1434ページ、通解)と仰せである。
信心をしなかった親であっても、子である自分が妙法を受持すれば、その功徳は親の功徳ともなる。私たちが、今こうやって生きているのは父母のおかげである。この体は、父母から授かったものである。自分自身の成仏は、父母の成仏につながっていくのだ。
過去がどうかではない。「今」で決まる。先祖がどうかではない。「自分」がどうかで決まる。目覚めた「一人」が、太陽となって、一家、一族を妙法の光で照らしていけばよいのである。(『池田大作全集』第100巻)

2021年3月27日土曜日

2021.03.27 わが友に贈る

躍動の春本番!
感染防止対策を万全に
「できること」に挑もう。
弾む命で励ましを広げ
地域を友好の花園に!

四条金吾殿御返事 P1184
『兄弟にもすてられ同れいにもあだまれきうだちにもそばめられ日本国の人にもにくまれ給いつれども、去ぬる文永八年の九月十二日の子丑の時日蓮が御勘気をかほりし時馬の口にとりつきて鎌倉を出でてさがみのえちに御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有りしかば梵天帝釈もすてかねさせ給へるか、仏にならせ給はん事もかくのごとし』

【通解】
(あなたは)兄弟にも捨てられ、同僚にも敵視され、江間家の子弟からもいじめられ、日本国の人々にも憎まれてきた。けれども、去る文永八年の九月十二日の子丑の時刻に日蓮が御勘気(竜の口での斬罪)を蒙ったさいに、馬の口にとりついて鎌倉を出て、相模の依智まで供をしてこられたことは、世界第一の法華経の味方をしたのであるから、梵天、帝釈も捨てられなかったのであろう。仏におなりになることも、これと同じである。

名字の言 「教育」と「学育」 2021年3月27日
世界中から生徒が集まる中高一貫校の、スタンフォード大学・オンラインハイスクール。全米トップクラスの評価を受ける同校の星友啓校長が提唱するのが、子どもを"教え育てる"という「教育」と、子ども自身が"学び育つ"という「学育」の両立だ▼同校の授業は講義ベースではなく、事前に動画などで予習した内容について、少人数でディスカッションなどを行う生徒参加型。また1人の生徒を3人のカウンセラーが担当し、心のケア、学習サポート、進路指導を行う▼氏は「子どもが本来持つ学ぶ力をサポートしていくこと」を重視する。「大人が子どもに期待する習慣や姿勢を身をもって提示していくのが、子どもの才能を伸ばす学育には肝心」と(『スタンフォードが中高生に教えていること』SB新書)▼池田先生と対談した経済学者の劉遵義博士は、教育の目的は知識を得るだけではなく、「自ら学ぶ力」を培い、「学ぶ方法」を知ること、と指摘した。その力を若者が身に付けるために大切な点として、「教師が模範を示す」ことを挙げている▼目標に向かって努力を続ける大人の姿こそ、子どもの"最高の教育環境"だろう。危機の時代を子どもたちと生きる大人として、自身の成長を目指して挑戦を重ねる日々でありたい。(誼)

寸鉄 2021年3月27日
御書「南無妙法蓮華経の大音声を出だして」。今日も朗々と!勇気の炎胸に
東京「品川婦人部の日」。創価源流の地に幸の桜は爛漫。信頼結ぶ対話、益々
人生は闘うが故に美しい—男爵。苦闘の日々こそ栄光凱歌の日記文書なり
絵本週間。多忙な中でも良書を開けば心豊かに。親子で読み聞かせを実践
外出自粛で高齢者の健康に深刻な影響。感染対策講じ友と触れ合う機会を

☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:レジリエンス(困難を乗り越える力)
◇登場人物
【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。

◇温かな絆を育み、蘇生の歩みを
ミライ この前テレビ番組で、被災地が復興していく模様が特集されていたんだけど、「レジリエンス」という聞き慣れない言葉が出てきたんだ。

ホープ もともとは、「弾性」や「復元力」を意味する物理学・工学の用語なんだよ。外から力が加わって物体が変形した後、もとの形や大きさに戻ろうとする物体の性質を表しているんだ。
心理学でも「精神的回復力」の意味で使われている。
近年では、特に東日本大震災以降、広く知られるようになり、災害を乗り越えるための概念として注目されているよ。さらに一般的には「困難を乗り越える力」と訳されているんだ。

ミライ なるほど。そういう意味で使われていたんだね。

ホープ 国際的にも大事なキーワードなんだよ。国連のSDGs(持続可能な開発目標)では、「都市と人間の居住地を包摂的、安全、レジリエント(回復力のある)かつ持続可能にする」ことを目標に掲げ、都市の防災や、住環境の改善に焦点を当てているんだ。
今日、世界の人口の半数以上が都市部に暮らしていて、2030年には6割に達すると予想されているよ。人口密度や立地条件によっては、災害リスクが高い都市も多くある。だからこそ、人命や経済の損失を最小限に抑えたり、回避したりするための対策が模索されているんだね。

ミライ 大きな危機がきっかけで、新たな取り組みが始まるんだね。

ホープ 人類の歴史もいわば同様に、自然をはじめとする環境からの試練を挑戦と捉え、その挑戦に屈服せず、応戦することで、新しい文明が生み出されてきたと見ることができるんだ。
この歴史観は、池田先生が対談された、トインビー博士の提唱した「挑戦と応戦」という理論だよ。
この理論から、"私たち人間は困難に応戦していける存在なんだ"との希望を感じるね。

◇生命尊厳の理念
ミライ 新型コロナウイルスの感染が広がり、社会に多くの影響が及ぶ今、私たちにとってリスクを最小限に抑え、レジリエンスを高めることが大切になってくるよね。

ホープ その通りだね。社会のレジリエンスを高めるといっても、その根本は一人一人が"生命のレジリエンス"を高めていくということを、忘れてはいけないんだ。
そこで一緒に学びたい御文が、「妙とは蘇生の義である。蘇生とは蘇ることである」(御書947ページ、通解)なんだ。

ミライ 信仰体験の発表で、何度も聞いたことがあるよ。

ホープ 私たちに本来具わる偉大な生命力を引き出すことで、あらゆる人が蘇生できることを示された御聖訓なんだ。
どこまでも人間の可能性を信じるという、仏法の人間観を表しているね。この生命の尊さを社会の共通理念にしていかないといけない。仏法は希望の宗教なんだよ。

ミライ 「蘇る」という言葉に、とても励まされるね。

ホープ 池田先生は、この御文を拝して「『蘇生』とは、物事を固定化せず、『今日より明日へ』と蘇りゆく創造的生命のダイナミズムを保ち続けること」と語られたんだ。(モスクワ大学講演「人間——大いなるコスモス」)
さらに、「現状に安住しようとする惰性の殻を打ち破り、その内なる変化の律動を、敏感に聞き取っていくことこそが、万物を蘇生させゆく要諦」とも示されているよ。
だから、私たち学会員は信仰を通して、自身の内面を真剣に見つめ、より良く成長していこうと「人間革命」に挑戦しているんだよね。そこに、みずみずしい生命力があふれていくんだ。

◇誰も取り残さない
ミライ 社会が困難な状況を脱しようとして変わっていく一方で、その変化に取り残されてしまう人がいないか心配だな。

ホープ とても大切な視点だね。
東日本大震災から5年となる2016年、池田先生は"復興の焦点"について提起されているよ。
「復興の焦点も、街づくりの槌音を力強く響かせることだけにあるのではない。一人一人が感じる"生きづらさ"を見過ごすことなく、声を掛け合い、支え合いながら生きていけるよう、絆を強めることを基盤に置く必要がある」(第41回「SGIの日」記念提言)
人道危機の対応や復興といっても、人間を置き去りにし、つらい思いを抱いている人を取り残してしまってはいけないという警鐘だね。

ミライ 状況の異なる一人一人が支え合うことで、生きる力、"生命のレジリエンス"が発動されるんだね。そして、共に蘇生への歩みを運ぶなかで、社会にレジリエンスが育まれていくんだね。

【御文】
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(法華経題目抄、947ページ)

【メモ】
爾前経では、仏になれないとされた声聞・縁覚の二乗さえも、法華経で初めて成仏が保証されました。
この御文では、どんな人をも蘇生させ、成仏させることができる、妙法の無量無辺の功徳が示されています。
妙法を持つ人に、行き詰まりはありません。どんな困難に直面しても、必ず事態を打開し、豊かな生命力をみなぎらせて、前進していくことができるのです。

◇[コラム:"いま"を知る]信仰を基盤とした団体
自然災害への対応や難民問題など、人道支援で重要な役割を果たす存在の一つに、「信仰を基盤とした団体」(FBO)が挙げられる。国際社会では近年、その貢献に対して期待が寄せられている。
主な特徴は、地域にネットワークを持っていること。例えば、突発的な災害が起きた時に最初に対応するのは、その地域の住民だ。信仰を通した平時からのつながりによって、地域の人々の対応力や、レジリエンスは高まる。また、被災者に対する心のケアにおいて、FBOは大きな役割を果たすことも期待されている。
この10年、東北の同志は多彩な取り組みを通し、被災者の"心の復興"をけん引してきた。
仏法では、「智慧」と「勇気」と「慈悲」を具え、利他の実践に励む人格を「菩薩」と呼ぶ。"あの人のためにできることは何か"——相手を思いやる慈悲の心から智慧は湧き、勇気の行動が生まれる。(雅)

2021年3月26日金曜日

2021.03.28 わが友に贈る

飛躍の鍵は
課題を認識すること。
"越えるべき壁"は何か
一つ一つ明確にしよう!
勢いよく新年度へ!

法華経題目抄 P947
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』

【通解】
妙とは蘇生という意味である。蘇生とは蘇るということである。

名字の言 チューリップの花言葉 2021年3月26日
赤、白、黄色と並んで咲くチューリップが、花壇を彩る春が来た。幼い頃に歌った童謡「チューリップ」が耳によみがえる▼この歌の誕生は90年前。時同じく、この花の栽培に命を懸けた富山の青年農家がいた。水野豊造氏だ。北国の農家の生活を楽にすると誓い、球根栽培の技術確立に情熱を注いだ。戦争が始まり、"こんなご時世に"と非国民扱いされても、平和の世には花が必要だと決して諦めなかった。氏が逝いてから半世紀余、富山は名実共に日本一のチューリップ王国となっている▼氏は生前、「チューリップは魂でつくるのだ。心を込めれば、きっと人の心を打つ美しい花を咲かすことができる」と語った。花言葉の一つは「思いやり」である。思いをやる——すなわち対象に向かって心を働かせ、懸命に尽くした分だけ豊かに花開くのは、人間も同じだろう▼御書に、法華経は「花こそ心よと申す法門なり」(1597ページ)と仰せだ。仏法(心)は現実(花)を離れた教えではない。苦悩渦巻く現実社会を幸福の花園に変え、自らの生活にも勝利の花を結ぶ生き方を説いている▼池田先生は「まことの『誓い』の種は、必ず花と咲いてゆく」とつづった。わが地域わが人生に功徳満開の春を! この誓願を貫く人でありたい。(恭)

寸鉄 2021年3月26日
「語はふみにつくさず」御書。会って語れば喜び倍加。全幹部が最前線へ
人ではない。自分自身だ。自分の信心だ—戸田先生日々決意を刷新し勇躍!
「脱炭素」取り組みたい人9割。この心を行動へ。省エネ等、できる事から
多忙な年度末は交通事故多発。速度超過・運転中の携帯は厳禁。規則順守を
空き巣被害に注意。短時間の外出時も必ず施錠。家も心も隙なく無事故で

☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 対話・人材・功徳の花を! 2021年3月23日
今年の桜前線は、沖縄に続いて広島から始まった。桜花爛漫の春到来である。
桜は御本仏が愛でられたゆかしき花である。
「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と桜を通して、誰もが凡夫の生命から尊極の仏の生命を現し、幸の花を咲かせていける「一生成仏」の道を示してくださった。
このお心を偲びつつ、我ら創価の師弟は「人間革命」そして「広宣流布」という創価桜の道を日本列島に、世界五大州に開いている。
「木を植えることは、命を植えること」との信条から折に触れ植樹を行い、各地に"桜の城"も築いてきた。
1967年(昭和42年)の5月には、会長就任7周年を記念して、東京・八王子の創価大学建設地に、男女青年部、未来部の代表と、伸びゆく若人の希望の象徴として、桜など1万6千本の苗木を植えた。
開学50周年を晴れ晴れと迎える創大のキャンパスは、さながら「宝樹多花菓」の園林と荘厳されている。とともに、当時の若き友が立派な人材の大樹と林立していることが嬉しい。
◇ ◆ ◇
桜の開花の陰には、春夏秋冬、育み、見守り続けてくださっている"桜守"の人知れぬご苦労がある。
ある造園の達人から、心掛けている点を伺った。
桜は根で呼吸する木なので根元を大事にすること。常に蘇生する準備をしている木なので新しい枝が伸びる道筋をつけてあげること、などである。人材の育成にも通ずるであろう。
今、進学・進級の時期であり、未来部の希望月間である。担当者の方々の尊き尽力に感謝は尽きない。
日蓮大聖人は「大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず」(同1468ページ)と仰せである。揺れ動く時代だからこそ、皆の強盛なる祈りと、こまやかな激励で、宝の若桜を厳然と守り支えていきたい。
◇ ◆ ◇
恩師・戸田先生は、しみじみと言われていた。
「苦労というものは、次から次へと、よく続くものだ。これからも、苦しんでは解決していくだろう。それが信心の力であり、信心の証明なんだ」と。
この恩師が、こよなく慈しまれたのが、厳寒を勝ち越えて咲く桜であった。
来る年ごとに「3・16」から「4・2」そして「5・3」へと、東北へ、北海道へ、北上する桜花と共に妙なる新生のリズムで前進できるのも、恩師の留められた魂魄があればこそである。
地涌の青年部は、生き生きと「立正安国」「立正安世界」のスクラムを開拓し、拡大している。
4月には、太陽の婦人部の結成70周年を祝賀する「希望総会」が明るく賑やかに行われる。
がっちりと地域に信頼の根を張り、新鮮な励ましの言葉を光らせ、「対話の花」を、「人材の花」を、「功徳の花」を咲かせゆこう!

2021年3月25日木曜日

2021.03.25 わが友に贈る

車や自転車等での
"ながら運転"は禁物。
"自分は大丈夫"との
油断と慢心を排そう!
無事故の祈りを強く!

如説修行抄 P504
『哀なるかな今日本国の万民日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上今日は身の上なれば日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし』

【通解】
哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦んで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか。

名字の言 風と共に生きる 2021年3月25日
年中温暖で、本土に比べて四季の移ろいがゆるやかな沖縄には、季節を告げる「春一番」や「木枯らし」はないが、季節の微妙な変化を表す独自の風がある▼夏至の頃に吹く「夏至南風」を便りに真夏を迎え、10月頃の「新北風」が吹くと暑さが和らぎ秋が訪れる。一方、脅威の風もある。3月頃(旧暦2月)に吹く「二月風廻り」は漁師が台風の次に恐れ、海では時に命も奪う強風だ。沖縄では季節を運ぶ風を読み、風と共に生きてきた▼沖縄の壮年が、病弱な妻の血液型がRHマイナスと知ったのは、第1子の妊娠時だった。困難と宣告された出産を夫婦は決断。長男誕生の喜びは信心の確信となり、4人の子宝に恵まれた▼その壮年が一人から始めた写真館は県内大手の会社に発展。だが、デジタル化など時代の風向きを読み、事業の縮小へ転じた。時同じくして、親の介護、妻の病が重なる。自身も病に襲われたが、壮年は家族も社員も守り、自身の病からも蘇生した。「人生に無駄はありません」と語る壮年の姿は、烈風に揺るがぬ大樹のように思えた▼御書に「八風に侵されない人こそ賢人である」(1151ページ、趣意)と。順風や逆風など、人生は風と共にある。一切の風を前進の力とする広布の先輩に学び、友へ励ましの春風を送りたい。(首)

寸鉄 2021年3月25日
世界人類に共通する善行は大善—牧口先生。妙法流布の実践が最大の善と
東京・江東「師弟勝利の原点の日」。不屈の祈りで前進!凱歌へ突破口開け
親からの愛情ある言葉が子の自己肯定感育てる—専門家。励ましは万の力
家庭内感染を防ぐ工夫—食事時間ずらす。手洗い・マスクの基本徹底忘れず
偽サイトへ誘導する詐欺が4倍に。不審なメール警戒。皆で声掛け撃退

〈社説〉2021・3・25 「創価新報」の連載が書籍に
◇民衆厳護の学会精神を継承
「妬みはよき人々にのみ掴みかかり、劣った者とは争わない」(『祝勝歌集/断片選』内田次信訳、京都大学学術出版会)とは古代ギリシャの詩人ピンダロスの言。ソクラテス、ガンジー、キング……。時代を問わず、平和と正義に生き抜いた偉人の生涯、またその運動には、いわれなき中傷や迫害がつきものだった。
広宣流布という人類の恒久平和を目指す学会の歩みもまた、嫉妬や無理解による非難中傷と迫害の連続だ。それは、「法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし」(御書230ページ)との御聖訓の通り、日蓮仏法の正統な教団に襲い掛かる「必然の法難」である。学会は、三代会長の死身弘法の闘争と、同志の筆舌に尽くせぬ労苦と献身によって法難の嵐を乗り越え、悪しき権力に屈しない民衆の連帯を築いてきた。そこに貫かれているのは、三代会長に脈打つ師弟の魂と広布実現への覚悟である。その精神を求め抜き、純真な庶民の信仰の世界を護り、発展させゆくのが創価の青年の使命だ。
本年は日蓮大聖人の御聖誕800年。さらには邪宗門の鉄鎖を断ち切った「魂の独立」から30周年でもある。このほど、「創価新報」で昨年連載され、好評を博した谷川主任副会長へのインタビューが、書籍『世界広布の旭日——創価の誉れの大道』として、「3・16」を記念して発刊された(第三文明社刊)。
同書では1990年以降の第2次宗門事件はじめ、一部政治家やマスコミによる学会弾圧の歴史が語られている。そして第2次宗門事件の本質について、「大聖人の御遺命である一閻浮提広布を実現すべく世界宗教に飛翔するための『宗教改革』」であるとし、その戦いを通して、「学会は『大聖人直結』『御書根本』の信心を確立した」と述べている。
「創価新報」では本年から、連載の後継企画「万年の世界広布へ」がスタート。第1次宗門事件や反転攻勢の闘争をテーマに語らいが繰り広げられている。
宗門事件を勝ち越えた歴史は、世界教団たる学会の発展を語る上で、極めて重要な足跡である。それは、「宗教のための人間」から、「人間のための宗教」へ、根本的な転倒をただす戦いだった。池田先生はその意義について、「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。(中略)あらゆる観点から見て、"世界的""普遍的"であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」(小説『新・人間革命』第30巻<下>「誓願」の章)とつづられている。この精神を胸に対話に進みゆく中に、世界広布の未来は開かれていく。

☆御書の旭光を 第15回 大果報を招く妙法の功力
〈御文〉
『慈父過去の聖霊は教主釈尊の御前にわたらせ給い・だんなは又現世に大果報をまねかん事疑あるべからず、かうじんかうじん』(南条殿御返事、1530ページ)

〈通解〉
(強盛な信心の人には大果報があると仏は説かれている)亡くなられた慈父の聖霊は、教主釈尊の御前においでになり、檀那(南条時光)はまた現世に大果報を招くことは疑いない。幸甚、幸甚。

〈池田先生が贈る指針〉
日蓮仏法は「常彼岸」である。毎日、勤行・唱題で妙法の大功力を直接、故人に回らし向ける。これが我らの追善回向の本義だ。介在など必要ない。
広布に尽くし、友を励ます行動も、全て故人への最高の供養となる。後継が勝ち栄えて、先人の成仏を示しゆくのだ。
「生も歓喜、死も歓喜」と、一家眷属を大果報で包みゆこう!

☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第10回=完 広宣流布〈下〉 共々に地涌の使命に生き切る誉れ 西方男子部長
◇池田先生の指導
創価の三代の師弟に連なり
共々に地涌の誓願に生き抜き
異体同心の前進をしていけば
広布の団体である学会は永遠。

1 一人から一人へ
大河の流れも、「一滴」から始まります。世界広布も同じです。その原理を、池田先生は、「諸法実相抄」を拝して語られています。

【御文】
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(諸法実相抄、御書1360ページ9行目〜10行目)

【現代語訳】
初めは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人、三人、百人と、次第に唱え伝えてきたのである。未来もまた同じであろう。これこそ「地涌の義」なのである。

■ 池田先生の講義
まず自らが一人立つ。その一人が起点となって、次の一人に語る——この最も本源的な人間と人間の結びつきこそが、いかなる時代、いかなる天地でも、未来にわたって広宣流布の展開の基本なのです。
—◆—
「師子は伴侶を求めず」といいます。広宣流布に「一人立つ」人とは、周りがどうあれ、環境がどうあれ、師の大願をわが誓いとして、主体的に行動を起こす勇者にほかなりません。
その率先垂範の姿を見て、一人また一人と地涌の使命を自覚した友が続いていくのです。
さらにまた「一人立つ」人とは、一人の人間の無限の可能性を深く信じるがゆえに、徹底して「一人を大切に」する人である——ともいえるでしょう。
忘れ得ぬ原点があります。それは創価大学4年生だった2006年秋。私は、創立者・池田先生が「200」の名誉学術称号を受けられた壮挙を祝賀する式典の中心者として、準備に当たりました。
迎えた祝賀祭の席上、創立者は学生たちの演技を最大にたたえてくださった後、スーツの襟に着けられていた創大のバッジを外し、私の襟に着けてくださったのです。"みんなによろしく伝えてね""頼むよ"との言葉と共に——。
私はこの激励を、"私と同じ心で一人立ち、みんなを励ましていくんだ"との師の厳粛な指導だと受け止めました。
今、世界192カ国・地域に広がる創価の連帯も、「一人を大切に」する人間の結び付きによって築かれたものであることを、胸に刻みたいと思います。

2 自発の行動に歓喜あり
池田先生は御聖訓を通して、「自発能動」から生まれる「歓喜」について教えてくださっています。

■ 池田先生の講義
大聖人は、法華経の経文に照らし、御自身が虚空会に列なった地涌の菩薩であり、それを思えば「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360ページ)と仰せです。
広宣流布という最極の使命を知り、誓願の信心に奮い立ち、勇気と智慧を絞って戦う生命には、「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)がみなぎります。「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(同761ページ)と示されている通りです。
広宣流布の大願には、自発能動の「歓喜」があります。
義務や強制ではない、偉大な妙法に巡り合い、自身の深遠なる使命に目覚めた喜びがある。その「喜び身に余るが故に」(同334ページ)、語らずにはいられないのです。「音も惜まず」(同504ページ)、友に呼び掛けずにいられないのです。
—◆—
私は学生部を卒業した後、東京・文京区で男子部としての出発をしました。
文京は、弱冠25歳だった池田先生が支部長代理を務め、低迷していた支部を第一級の支部へと発展させた歴史がある天地です。
若き日の先生が当時、文京の同志と共に拝した御書の一つが「諸法実相抄」でした。先生は御聖訓を通して「一人一人が、主体者の自覚で立ち上がること」を訴えたのです。
区男子部長となった私は、まず自らが弘教を果たしました。同時に、メンバーへの徹底した訪問・激励に挑戦。友の悩みに耳を傾け、御書を一緒にひもときながら、「自分は"地涌の菩薩なんだ"と自覚した時、目の前の苦難は必ず使命に変わります」と呼び掛けていきました。
自らの使命を自覚した時、職場も家庭も地域も、全てが信仰の実証を示す舞台となります。主役はほかならぬ自分自身です。その確信を持ったメンバーが一人また一人と喜び勇んで折伏に挑み、次々と御本尊流布が実っていきました。
私は総区男子部長の任命を受けた時にも折伏が結実。続いてくれたのは、大学校のメンバーでした。当時共に戦った友が今、文京広布の核となって活躍しています。

3 使命の舞台は今ここに
いかなる困難や苦悩に直面しても、決して目をそらさず、勇気の挑戦を開始する——。ここに、地涌の使命を胸に戦う創価の同志の真髄があります。先生は「地涌の菩薩」が出現する意義について、次のように語られています。

■ 池田先生の講義
今なお、世界には、さまざまな戦乱や紛争があります。テロの危険も広がっている。貧困・格差などで社会の分断が進み、苦悩の闇も深い。地球環境の悪化の中、甚大な自然災害も打ち続いています。
しかし、どんな苦難の嵐が吹こうが、どんな試練の壁が立ちはだかろうが、法華経の経文に照らして、必ず、周囲に勇気と励ましの光を送る地涌の勇者たちが出現します。
否、現れなければ、経文は虚妄になってしまう。
一人の地涌の先達が涌現すれば、必ず、一人また一人と立ち上がり、同志が誕生します。あの国にも、この地にも、地涌の民衆が、生き生きと活躍すれば、幸福と平和への連帯を生み出します。
まさしく、これが「地涌の義」です。そして、地涌の大陣列が築かれれば、必ず国土の宿命は転換されていきます。
まさに、経文に説かれる「同時に涌出せり」(法華経452ページ)の時代を迎えました。
—◆—
コロナ禍でオンラインの利用が進み、距離の制約を超えて交流する機会が増えました。広布の活動においても活用しつつ、こうした社会状況ゆえに、確認したい法理があります。それは「娑婆即寂光」です。
法華経の如来寿量品で、仏が久遠の昔から娑婆世界(苦悩が渦巻く人間世界)で衆生を救済し続けてきたことが示されます。
仏国土といっても、現実から離れた別の世界にあるのではありません。この現実世界を理想的な寂光土へ変革できることを法華経は教えているのです。地涌の菩薩も足元の大地から涌出しました。池田先生は「大地とは九界の現実です」と語られています。「九界」という現実に挑んでこそ「仏界」は湧きいずるのです。
三重出身のある男子部リーダーは、縁あって東京・荒川の地へ。「ここが使命の舞台」と決め、町会の交通部に所属。地域行事等で貢献を重ね、周囲から厚い信頼が寄せられています。広布拡大にも率先し、大学校生の輩出で模範を示しています。
現実生活では、たとえば苦手な人がいて、逃げたいと思う環境さえあるかもしれません。しかし、"さまざまな人と関わる中で得られる成長"が必ずあります。自らの人間革命を通して他者と協調し、今いる場所をより良くしていくことが、「幸福と平和への連帯」を生み出します。
わが足元こそ地涌の本舞台——オンラインの活用が加速度的に進む時代だからこそ肝に銘じたい点です。

4 師弟の魂を世界へ未来へ
最後に先生は、未来を展望しつつ、創価学会という組織の永遠性と重要性を示されます。

■ 池田先生の講義
「広宣流布の信心」に燃えて、創価の地涌の宝友が、いよいよ全地球を舞台に「巍巍堂堂として尊高」(御書211ページ)たる姿で躍り出ています。
創価の若き丈夫たちが勇敢に、正義の旗を掲げて立ち上がりました。
華陽の乙女たちが清々しく、朗らかに、幸と希望のスクラムを広げています。
これからも、世界中の後継の皆さんが、創価の三代の師弟に連なり、共々に地涌の誓願に生き抜き、異体同心の前進をしていけば、学会は永遠に広宣流布の団体として断絶することはないのです。
—◆—
「広宣流布の信心」、そして「異体同心の前進」——ここに、学会が日蓮仏法の正統であるゆえんがあります。
かつて池田先生は語られました。「同じ御本尊であっても、問題はこちらの『信心』がどうかである」「学会は最も強盛な『信心の団体』であるゆえに、心を合わせて進む時、大功徳がある」
本年は学会が邪宗門から「魂の独立」を果たして30周年。学会と宗門との決定的な違いは「広宣流布への祈りと実践」「人間主義の思想を根本にした異体同心の姿」にありました。学会は創価の三代会長を貫く「師弟の魂」があるゆえに、現実の上で世界広布を進め、いかなる謀略の嵐にも揺るがない巍々堂々たる陣列を全世界に広げることができたのです。
青年部の使命は、父母たちが師と共に築いてきたこの学会を護り抜き、人間主義の世界宗教として飛翔させていくことにほかなりません。
これからも「広宣流布の団体」である学会には、その前進を阻む「魔」が姿や形を変えて紛然と競い起こることは間違いないでしょう。私たち男子部は、破邪顕正の魂を燃やして一切の障魔を打ち破っていきます。
自分が今いる場所で祈り、動き、友を励まし、心と心を結びながら、人間革命の勝利の実証を共々に示していく——その現実の中にのみ「広宣流布の実像」も「創価三代の師弟の魂の継承」もあることを、深く銘記しながら。

■ 池田先生の講義
不二の君たちよ、不二の貴女たちよ。
一人ひとりが、自分がいるその場所で、その地域で、「広宣流布の信心」で立ち上がれ!
一人ひとりが、人生の英雄となって、信仰の「実証」を示し切ろう!
一人ひとりが、自身の人間革命から、地道に、粘り強く「信頼」を勝ち取っていこう!
君たちあらば、広布の未来は盤石なり!
「自他共の幸福と平和の花園」を、世界へ未来へ勝ち広げていってくれ給え!

2021年3月24日水曜日

2021.03.24 わが友に贈る

他者への献身の行動が
生きがいと活力を生む。
学会活動こそ
最高の健康の道だ。
さあ友のために動こう!

可延定業書 P986
『法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命やをしの命や』

【通解】
法華経にあわれたのである。一日生きておられれば、それだけ功徳も積めるのである。ああ惜しい命である。惜しい命である。

名字の言 あのおばちゃんの笑顔 2021年3月24日
紅茶に浸したひとかけらのマドレーヌ。口にした瞬間、語り手の少年時代の記憶が呼び起こされる……。文豪プルーストの名作『失われた時を求めて』には、こんな一場面がある▼小説ならずとも、何かを機に鮮烈に"あの時"の心象風景がよみがえることがある。福島・川内村の婦人部員。東京で知り合った夫から信心の話を初めて聞いた時、夫が見覚えのある新聞を手にしていた。未入会の両親が知人の勧めで購読していた本紙だった▼婦人の幼心に刻まれていたのは、配達員の柔らかな笑顔。いつも優しく声を掛けてくれた——。陰に陽に励ましてくれる夫の母や同志の存在が"あのおばちゃん"の姿と重なった。「この信心なら間違いない」。ヤング白ゆり世代の一員になった婦人はその後、夫と共に故郷に戻り、原発事故で被災した村の復興に尽くしている▼「この地域/わたしが守りて/幸の道」——池田先生が無冠の友に贈った句だ。配達員の声掛けや、誠実な振る舞いに学会理解を深めた人も多い。「創価学会の顔」との誇りで歩む朝の一歩一歩は、地域広布を開く力となってきた▼婦人が帰村する数年前、その配達員は霊山に旅立っていた。それでも"あのおばちゃんの笑顔"は今も、婦人の心を春光のように明るく照らしている。(閃)

寸鉄 2021年3月24日
学会は現代社会に勇気と希望与える存在—識者。今いる場所で励まし拡大
福井師弟原点の日。常勝関西の「北の砦」は盤石。さあ誇り高く対話に先駆
周囲を照らすには自身が燃えねば—文豪。創価の魂もまた。率先の将たれ
車の子ども座席、誤った装着が6割。取り付け方法の確認を。命守るため
マスク生活は脱水症状に気付きにくいと。小まめに水分補給を。賢く予防

☆創価大学・女子短期大学卒業式への池田先生のメッセージ
一、1971年の2月11日、わが創大の竣工式を記念して、私は一本のしだれ桜を植樹しました。小さな、か細い苗木でした。それが今、堂々と仰ぎ見る大樹に育った「出発の庭」の創大桜です。そして創立50周年の春、艱難を勝ち越えて羽ばたきゆく卒業生たちを、爛漫の桜花で祝福しています。
創大47期生ならびに短大35期生、大学院生、通信教育部、そして留学生の皆さん、誠におめでとう! コロナ禍にあっても、いやまして向学、開拓、連帯の負けじ魂を燃え上がらせてきた皆さん一人一人の誇り高き眼差しを見つめながら、私は最大に賞讃したいのであります(大拍手)。
皆さんに授与される学位記は、誠に尊い青春勝利の証しです。
どうか、いつにもまして、ご苦労の絶えない中、皆さんを支え続けてくださった、ご家族の方々に、感謝を込めて捧げていただきたい。
いかなる状況にあっても「学生第一」を貫いてくださっている教員の先生方、職員の方々、心血を注いでの献身に、厚く御礼を申し上げます。

一、本日は、敬愛し信頼してやまない皆さん方に、「価値創造の英雄たれ! 希望のチームワークを広げゆけ!」と、はなむけを贈りたい。
創価大学創立への構想を深めゆく若き日、私が大きな示唆を得た一書に、ベルギー出身でハーバード大学のサートン教授が記した『科学史と新ヒューマニズム』があります。現在、創大図書館の池田文庫に収められています。
その中に「私にとっての英雄」とは?と始まる、忘れ得ぬ一節があります。
サートン教授は、英雄とは「饒舌を弄する(もてあそぶ=編集部注)人間」などでは決してないと断じております。そうではなく「己れの職場で、また己れの研究室で、黙々と最善を尽す職人であり科学者である」。さらに「自分と他人とのために美しいものを創造する人々」、そして「真理の発見のために貢献する人々」こそが、真の英雄であると結論しているのであります(サートン教授の言葉は森島恒雄訳、岩波書店。現代表記に改めた)。
私は、創価教育に賛同し応援してくださる方々は、まさしく、こうした民衆の英雄、人間の英雄にほかならない。その信託に応えて、毀誉褒貶を超え、民衆と共に、民衆のために尽くし抜く「平和」と「人道」の新たな英雄を陸続と送り出すのだと、深く強く心に期したのであります。
現代社会は、蔓延する根深い無力感や諦め、分断や孤立を打ち破る哲学と人材群を、ますます待望しております。いな、渇仰しております。
わが創価同窓にこそ、その新時代の要請を担い立つ「生命尊厳の哲学」があり、「人間革命のネットワーク」があると申し上げたい。

◇負けじ魂胸に「価値創造」の挑戦を 「希望のチームワーク」を創り広げよ
一、これから新・社会人として新たな環境に身を投ずる皆さんには、大きな壁にぶつかって立ち尽くすこともあるでしょう。
しかし、その時にこそ、この創価の学びやで培った不屈の負けじ魂を奮い起こして、身近なできることから「価値創造」の一波を起こしてください。そして、また一波、さらに、もう一波と粘り強く挑戦を続けていただきたい。
とともに、我らの駅伝部が見事に体現してくれた団結の如く、自らの誓願の舞台で、誠実に聡明に「希望のチームワーク」を創り広げていただきたいのであります。

◇恐れなき人間王者と光れ 50年の風雪に耐えた「創大桜」の如く
一、70年前の3月、今の皆さんと同じ年代の時、私は悪戦苦闘の只中で、自らに言い聞かせるように、日記に書き記しました。その一文を、不二の皆さんに託したい。
「理念を持し、進む者は強し。王者の帆に打ちあたる風波は、一番強烈なのだ。恐るるな。恐るるな」と。
半世紀の風雪に耐えた「創大桜」は王者の風格を湛えています。
どうか、皆さんは、創価の若き人間王者として、恐れなき世界市民のスクラムを組み、「冬は必ず春となる」という希望・勝利の光を、21世紀の地球社会へ赫々と送っていってください。

一、最後に、わが生命の君たちよ、健康で明るく楽しく賑やかに、創大創立100周年へ栄光凱歌の大行進を開始してくれ給え!と祈り、一首を捧げます。

北風も
 また坂道も
  勇邁に
 創価の力走
  平和の峰へ

2021年3月23日火曜日

2021.03.23 わが友に贈る

「一人立つ勇気」から
無限の力が湧く。
「何のため」との
信心の目的を明確に
自発・能動の挑戦を!

上野殿御返事 P1574
『人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし』

【通解】
人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである。仏に成りやすい道というのは特別なことではない。干ばつの時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。

名字の言 失敗も力をつける好機に——英文学者・外山滋比古氏 2021年3月23日
「私は入学試験を三度受けて、二度失敗した」と語ったのは、英文学者の外山滋比古氏。後に"知の巨人"とうたわれた氏は、その悔しさを「じっと胸にしまって、努力して秀才たちに引きはなされないように」励んだという▼氏は、人は自力のように思っていても「その実、敵の力を借りていることが少なくない」と述懐する。例えば、貧乏を乗り越えようと必死に働く。スポーツでは、好敵手に負けまいとして強くなる。入試の失敗も、それをばねに「大きな力をつける好機に恵まれることになる」と(『考える力』海竜社)▼進学や就職など、新たな旅立ちの季節を迎えた。中には思うような結果が出ず、自分が描いていた進路とは異なる道を進む人もいるだろう。だが、積み重ねてきた努力は、自分を裏切らない。将来、必ず自身の糧となる▼池田先生は、未来部員に向けて、「青春時代は、『決意の根』を鍛え上げる時です。じっとこらえて『今に見よ!』と、負けじ魂で決心と挑戦を繰り返した人が、栄光の未来を勝ち取ることができるのです」と▼道には並木道や一本道もあれば、坂道や荒れた道、回り道もある。大切なのは、今ここから一歩を踏み出すこと。その勇気が、失敗も悩みも、人生勝利の力に変えていく。(銘)

寸鉄 2021年3月23日
「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」御書。さあ希望対話の最前線へ
「中部女性の日」。師弟のこの道こそ幸福の直道!勝利の一番星と光り輝け
八方に戦いの火蓋を切り新しい道つくれ—恩師。拡大の突破口は青年から
紙に書くほうがスマホ等より記憶しやすく—研究使い分ける賢き知恵持ち
防水スプレーの事故増加と。吸い込むと呼吸困難の恐れも。必ずマスクを

☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ
◇君よ忍耐と探究の翼で飛躍を
一、最も信頼する学園生の皆さん、晴れの卒業、誠におめでとう! 全力で応援くださった保護者の方々に、心から感謝とお祝いを申し上げます。
教員の先生方、職員の方々、いつもいつも、ありがとうございます。
卒業生の皆さんは「栄光のパイオニア1期生」との自覚で、打ち続く試練に負けず、新しき学園の伝統を堂々と切り開いてくれました。私は、一人一人に勝利の月桂冠を贈り、その凜々しき顔を命に刻みつける思いで見守っております。皆、本当によく頑張り通しました。

◇どんな烈風も力に変え 希望の未来の開拓へ!
一、今日は、新時代のパイオニアたる皆さんに、「忍耐と探究の翼で、新たなる生命の飛躍を!」とエールを送ります。
わが学園は、アメリカ航空宇宙局(NASA)の教育プログラム「アースカム」に参加し、世界一の回数を重ねています。先月、このNASAの探査車が火星に着陸し、地球外生命の可能性などの胸躍る探究を開始しました。探査車の名は「パーシビアランス(忍耐)」です。まさに人類は、失敗を恐れず忍耐強く困難を突破し、未知の世界へ探究を貫いてきました。
私は、人類初の月面着陸(アポロ計画)の総責任者ジャストロウ博士との語らいを思い起こします。博士は"生命は厳しい逆境との苦闘を勝ち越える中でこそ、創造的に成長し発展する"と洞察されていました。
皆さんはコロナ禍という苦難を耐え抜き、学び抜きました。その中で、どれほど強く鋭く若き英知を磨いたか。どれほど深く温かく友情の連帯を結んだか。苦労は全て青春の宝です。皆、誇り高く胸を張ってください。
皆さんには、学園で鍛え上げた忍耐と探究の翼があります。この負けじ魂の翼をいよいよ逞しく広げて、人生と社会のどんな烈風も、さらなる高みへ飛躍する力に変えていただきたい。
そして、これからの十年、自らの「創価」の生命、すなわち「価値創造」の生命を限りなく発揮し、人類の未来を、希望へ平和へ繁栄へ、勇敢に開拓していただきたいのです。

一、ロシアを代表する宇宙飛行士のセレブロフ博士と私は、大いなる青春の夢を叶えるためには、頑健な身心をつくってほしいと語り合いました。
皆さんは、まず「丈夫になる」と一念を決めて、大宇宙のリズムに合致し、聡明に快活に工夫しながら、健康第一で学び進んでいってください。
君たちと私の命は一体不二です。どこまでも一緒です。皆さんとご一家の幸福と勝利を祈り抜いていきます。
結びに、はなむけの和歌を贈ります。

宇宙大
 無限の力を
  君 持てり
 信じ託さむ
  勝ち切る勇気を

☆励まし御書—人間革命の光で 自発の挑戦の中に喜びが輝く
◇御 文
『月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』(聖人御難事、1190ページ)

◇通 解
月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。

◇解 説
「聖人御難事」は、弘安2年(1279年)10月、日蓮大聖人が身延で認められ、門下一同に送られました。当時は「熱原の法難」の渦中で、門下は迫害の嵐を耐え抜きながら信心を貫いていました。
本抄で大聖人は、大難と戦う門下に対し"一人一人が「師子王の心」を取り出し、決して恐れてはいけない"と述べられます。
「師子王の心」とは、大聖人が広布の御闘争の中で示された、何ものにも負けない仏界の生命です。師と同じ師子王の勇気で戦い進むならば、どんな困難も乗り越えられることを、大聖人は確信をこめて弟子に教えられました。
そして、掲げた御文で大聖人は、この「師子王の心」を発揮し前進していくための、重要な信心の姿勢として"月々、日々に信心を強めていきなさい"と述べられ、さらに"少しでもたゆむ心があれば、魔がその隙を捉えて付け入ってくる"と教えられています。
魔の働きとは、突き詰めれば自身の生命の無明の現れであり、信心は、この無明を打ち破る戦いであるともいえます。
ひとたび決意をしても、さまざまな縁にふれて心が揺らいだり、時とともに、決意が弱くなることもあります。
だからこそ、大切なのは一日また一日と、信心の歩みを前進させ続けていくことです。
具体的には、勤行・唱題の実践、師の指導や教学の研さん、そして日々の学会活動に、同志と励まし合い挑戦するなかで、私たちは信心を強くし、無明を打ち破って、師子王の心を輝かせていくことができるのです。
昨日より今日、今日より明日へと、求道の心を燃やし、華陽姉妹と共に挑戦の日々を前進していきましょう。

◇小説『新・人間革命』より
(代表幹部会で山本伸一は)「月月・日日につより給へ」(御書1190ページ)の御文を拝して、着実な広宣流布の前進と信心の向上のために、旺盛な求道心を燃やして、同志と共に仏道修行に励んでいくことの大切さを語った。
「人間を強くするのは人間の激励であり、触発です。励ましがあってこそ、勇気をもてる。ゆえに組織が必要なんです。
広宣流布の前進を阻む壁が、どんなに厚かろうとも、異体同心の団結をもって、堅実な信行学の実践を積み重ね、粘り強い前進をお願いしたい。たとえ、一歩でも半歩でもよい。執念をもって、前へ、前へ、前へと進んでいってこそ、道を開くことができる。
広布の道こそ、宿命転換の道です。幸福と勝利の大道です。"何があっても、負けない、挫けない、あきらめない"と心に決めて、題目第一で、私と共に進みましょう!」
(第29巻「清新」の章)

◇御 文
『一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり』(義浄房御書、892ページ)

◇通 解
(「一心欲見仏」とは)「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」「一心を見れば仏である」ということである。

◇解 説
「義浄房御書」は、文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められ、修学時代の兄弟子である義浄房に送られたお手紙です。
私たちが朝夕の勤行で読誦する法華経如来寿量品第16に「一心欲見仏 不自惜身命(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)」(法華経490ページ)とあります。
大聖人は本抄でこの経文をあげ、御自身が己心の仏界を開き顕されたのは、経文通り、一心に仏を求め、身命を惜しまず広布に戦い抜く実践を貫かれたことによるのだと明かされています。
「一心欲見仏」とはまさに、仏をひとすじに求め抜く"求道の心"を示す経文といえますが、今回学ぶ御文で、大聖人はこの五字をさらに深く、三重の意味で拝されています。
大聖人は、「一心欲見仏」とは、まず「一心に仏を見る」、すなわち一心に仏を求め抜くことであり、それはまた「心を一にして仏を見る」、すなわち心を定め、広布に尽くすことであると仰せです。
さらに「一心を見れば仏である」と述べられています。この「一心」とは、前に示された「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」との心です。つまり、仏を求めて広布に戦う「一心」こそ、実は仏そのものであると教えられているのです。
池田先生は「師を求め、師の心に迫りながら、弟子が広宣流布の誓願の題目を唱え、戦いを起こす。その弟子の生命には、師と同じ力と智慧が脈々と涌現してくるのだ」とつづられています。
心で師と対話し、題目根本に人間革命に挑むなかに、最高の成長と勝利があることを確信し、師弟不二の道を歩んでいきましょう。

◇小説『新・人間革命』より
(フランス訪問の折、地域のリーダーに山本伸一が語ります)
惰性というのは怖いものだ。いつの間にか、自分をむしばんでいく。
たとえば、本来、百の力をもっていたとしても、惰性に陥り、挑戦を怠り、七十の力しか出さなければ七十が、三十の力しか出さなければ三十が、自分の力になってしまう。反対に、二十、三十の力しかなくとも、日々、自分を鍛え、限界に挑戦していくならば、五十、七十、百、いや、それ以上に力を伸ばすことができる。(中略)
人間というものは、どうしても、人に言われないと、自分の弱い面、悪い面に傾斜していってしまい、挑戦の心を失ってしまうものだ。それを打ち破るためには、常に求道心を燃やして、師匠を求めていくことが大事になる。
師匠というのは、惰性を破り、自身を高めていくための触発の力なんだよ。
(第21巻「共鳴音」の章)

2021年3月22日月曜日

2021.03.22 わが友に贈る

◇今週のことば
新年度の門出の友に
こまやかな励ましを!
妙法と生きる生命には
いずこも常寂光土なり。
勝利の第一歩を力強く!
2021年3月22日

妙密上人御消息 P1240
『此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし、譬へば花さき菓みならず雷なりて雨ふらざらんが如し』

【通解】
これらの経文は、日蓮がこの日本国にうまれなかったら、ただ釈尊のことばのみであって、その義が虚妄になってしまう。例えば、花が咲いて実がならず、雷が鳴って雨がふらないようなものである。

名字の言 座談会終了後の一こま 2021年3月22日
「子供 叱るな 来た道だもの 年寄 笑うな 行く道だもの」——これは『無名人名語録』(永六輔著、講談社)に収められている言葉。誰しも、幼い時期もあれば、老いることも必然だろう。だから、どんな世代の人にも優しいまなざしを向けよう、との思いが伝わってくる▼座談会の終了後、多宝会の夫妻が草創の体験を聞かせてくれた。小さな山村で、学会に入った途端、村八分にあった。「そのおかげで負けじ魂が磨かれた」。30キロ、40キロ離れた友の家へも、二人して自転車で激励に通った。タイヤがパンクし、夜通し、自転車を押して帰ったことも。「歩き歩き学会歌を歌ったよね」「星空もきれいやった」と夫妻は楽しそうに語っていた▼気付けば、未来っ子たちが瞳を輝かせて集まっていた。青年たちも加わってきた。皆、正座して話に聞き入っている。夫妻も若い命に触れて元気を増していた▼思想家・新渡戸稲造は「真に偉大なる人とは青年と心を結べる人なり」との箴言を紹介しつつ、「真に希望にみちた青年とは、老年と心を結べる人である」ともつづっている(原文は英語、佐藤全弘訳)▼世代や立場を超え、老若男女が心を結んで進む創価家族。この連帯が広がれば、地域社会はもっと明るくなるに違いない。(実)

寸鉄 2021年3月22日
正しき宗教が民衆を救うとの信念で進め—恩師。さあ立正安国の道堂々と
関西男子部の日。常勝の闘魂を継ぐ師子の陣列。勇気の拡大で歴史を創れ
「時間を充実させることが幸福」哲人。人に尽くす我らの実践に無上の価値
複数人での飲食—ここに感染リスクと。皆が意識し再拡大防ぐ対策を徹底
国連「世界水の日」。持続可能な未来へ行動の変革を。依正不二の視座こそ

〈社説〉 2021・3・22 新型コロナに挑むドクター部
◇抜苦与楽の聖業に心から感謝
昨年来の新型コロナウイルス感染症の大流行。第1波、第2波、第3波と次々と襲い来るウイルスの脅威に、文字通り、身をていして立ち向かってきたのが、医療従事者の方々であり、ドクター部の友だ。
本紙5面「信仰体験のページ」では、未聞の苦難に、ドクター部のメンバーが何を思い、どう行動を起こしてきたのかを紹介。また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)でも「ドクター部セミナー」として、免疫が専門の医学博士(血液学)が、コロナ診療の知見を踏まえ、免疫力を高める生活習慣について語り、好評を博している。
こうした献身の姿に脈打つ、"勇気"と"希望"の魂——。都内のある総合病院では、増え続ける感染者に対応するためコロナ対策チームを発足。消化器内科が専門の青年医学者会議の友は当初、不安に襲われた。だが、「こういう時だからこそ、自分が行く」と志願。多くの患者を診てきた。
中部の女性医学者会議のメンバーは、救急医・集中治療医として、ICU(集中治療室)で人工呼吸器をつけた重症患者の治療に全力を挙げる。少し前まで会話もできていた人が、あっという間に、重症化する厳しい現実に「私にできることをやるしかない」と強く誓う。
現在、新たな脅威として、大きな注目を集め、現実に多くの患者を苦しめているのがコロナによる後遺症だ。
クリニック開業医の友は、コロナ後遺症の専門外来を立ち上げ、これまで1400人以上を診察・治療してきた。「患者さんが求める的確な治療に加え、『大丈夫ですよ』との一言に祈りを込めています」と語る。
日本国内のワクチン安定供給のため、海外の製薬会社と提携し、プロジェクトリーダーとして、日夜奮闘する関西薬学部会のメンバーもいる。
彼ら彼女らの胸に通底するのは、生命尊厳の思想であり、「『まことの時』に師弟不二の模範を示す!」との熱く燃える誓願だ。
米・ハーバード大学での講演「21世紀文明と大乗仏教」で池田先生は、エゴイズムにとらわれた「小我」ではなく、他者に尽くし抜く生き方について触れ、「『大我』とは、一切衆生の苦を我が苦となしゆく『開かれた人格』の異名であり、常に現実社会の人間群に向かって、抜苦与楽の行動を繰り広げる」と述べた。
患者の中へ、人間の中へ飛び込み、「生命の世紀」を開きゆく創価の薬王菩薩・ドクター部。勇敢に、粘り強く、目の前の現実に挑む抜苦与楽の聖業に、心からの感謝とエールを送りたい。

☆白蓮グループ総会への池田先生ご夫妻のメッセージ
◇自分らしく幸福の門を勝ち開け
日蓮大聖人が「最上第一の相伝」(御書781ページ)とされた、「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経677ページ)の精神を、どこよりも明るく実践し、貫き通しているのが、白蓮姉妹です。
各地に希望の春を告げる、麗しき総会、誠におめでとう! 妻と拍手し見守っています。
いずこの地域でも、新しい社会様式の中、懸命に祈り、工夫し、奮闘してくれて、本当にありがとう!
一人一人の尊き献身は、全て御本仏が御照覧です。乱世に負けない女性門下を讃えられた御聖訓には、「ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか」(御書1479ページ)と仰せです。
現実は思うようにならない悩みも多いことでしょう。しかし、妙法を唱え行ずる自身の生命は、何があっても揺るがない。福運と智慧の泉が滾々と湧き出でて、絶対に行き詰まらないことを大確信していってください。
そして、最高の善知識である学会家族と共に、仲良く朗らかに励まし合いながら、自分らしく伸びやかに、新しき広布と平和と幸福の門を勝ち開いていただきたいのであります。
皆さんの健康・無事故とご家族の限りなき繁栄を、妻と毎日、一生懸命、祈り抜いていきます。
創価の希望勝利の太陽、白蓮グループ、万歳!
皆、胸を張って、毅然と誇らかに咲き光れ!

☆白樺会 あす結成35周年 2021年3月20日
あす21日、白樺会(婦人部の看護者の集い)結成35周年を迎える。
1986年(昭和61年)3月21日、池田大作先生が結成式に出席し、「生命を/こよなく愛し/慈しむ/あゝ白樺の/悲母に幸あれ」との和歌を詠み贈った。後にこの日は「白樺会の日」になった。
師との永遠の原点を胸に、今日も医療の最前線で人々に勇気と希望を送る白樺の友。
平栗委員長は誓う。「報恩感謝の心で、慈悲の看護に徹し抜きます」

☆励まし御書—人間革命の光で 冬は必ず春となる—試練の時こそ勇気の信心を
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「冬は必ず春となる」です。人生のいかなる苦難に直面しても、この希望の大哲理を胸に光らせ、共に励まし合いながら、一歩また一歩と前進してきたのが創価の同志です。冬のような試練の時にこそ誓いを光らせ、「幸福の春」「勝利の春」を開きゆく信心を、御書と小説『新・人間革命』を通し学んでいきたいと思います。(創価新報2021年1月20日付から)

◇御 文
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を』(妙一尼御前御消息、1253ページ)

◇通 解
法華経を信じる人は冬のようです。冬は必ず春となります。昔より今まで、聞いたことも見たこともありません。冬が秋に戻るということを。また、今まで聞いたこともありません。法華経を信じる人が仏になれず凡夫のままでいることを。

◇解 説
「妙一尼御前御消息」は、建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の妙一尼に送られました。
竜の口の法難、佐渡流罪と大難が打ち続き、門下にも弾圧が及ぶなか、強盛に信仰を貫いていた妙一尼と夫ですが、残念ながら、夫は大聖人が佐渡流罪を赦免される前に亡くなりました。自身も体が弱く、病の子らを抱えながらも、師匠をお守りしようと純粋な信心を貫く妙一尼に、大聖人が全魂の励ましを送られているのが本抄です。
寒さの厳しい冬も、そのあとには必ず、暖かい春が訪れます。大聖人は、同じように、信心を貫き通していく人は、いかなる苦難があっても必ず勝利の春を迎えることができると教えられています。
桜のつぼみのもととなる「花芽」は、夏までに形成され、秋に一度「休眠」状態に入ります。そして、冬の寒さにさらされることで眠りから覚め、開花へ向けた本格的な成長を開始します。これが「休眠打破」です。
「冬」には、元々持っていた力、眠っていた可能性を目覚めさせる働きがある——この原理は、人生や仏道修行にも通じます。
私たちの生命には、仏性といういわば「仏の種」が具わっています。無限の可能性を秘めたこの種を「休眠打破」するものこそ、人生におけるさまざまな苦難との戦いです。
試練の冬にも、勇気の信心で立ち向かい、忍耐強く前進していく人は、自らの仏の生命を最高に輝かせ、無量の福運を積み、勝利の花を咲かせていくことができるのです。
「冬は必ず春となる」との確信で、希望・勝利の前進をしていきましょう!

◇小説『新・人間革命』より
(女子部員の姉妹を励まして、山本伸一が語ります)
寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。(中略)
自分を磨き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄えてきたからなんだ。あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです。(第5巻「歓喜」の章)

2021年3月21日日曜日

2021.03.21 わが友に贈る

「一つの出会い」
「一人との語らい」から
人間革命の劇は始まる。
地域に対話の春風を!
"友情桜"を満開に!

太田入道殿御返事 P1010
『世尊大悲導師阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ』

【通解】
大悲の導師であられる釈尊は、阿闍世王のために月愛三昧に入られた。そのあと大光明を放たれた。その光は清凉であり、阿闍世王のもとに届いて王の身を照らすと、悪瘡はたちまち治った。

名字の言 「ダメな子なんか一人もいない」 2021年3月21日
かつて「知恵遅れ」という言葉があった。現在の知的障がいを指すその表現に、「ねむの木学園」設立者の宮城まり子さんはずっと疑問を覚えていたという。同学園は日本初の肢体不自由児養護施設である▼どんな子にも「かくれた才能(能力)」があると、宮城さんは信じた。知恵が遅れていると捉えるのではない。本来無限にある知恵が"ゆっくり、ゆっくり、育っている"と見るのだ。その"お手伝い"をするのが教育ではないか。「ダメな子なんか一人もいない」。それが彼女の信念だった(渡邊弘著『宮城まり子とねむの木学園』潮出版社)▼釈尊の弟子・須梨槃特の故事を思い出す。彼はたった14文字の教えを暗唱するのにも3年を要し、教団の仲間から軽蔑された。だが師だけは見放さなかった。釈尊の慈愛の励ましを受け、彼は見事に悟りを開く▼須梨槃特の"才能"は師の心を純粋に受け止め、一つの修行を「最後までやり抜く力」だったのかもしれない。それを仏は見抜いていたのだろう▼きょう21日は宮城まり子さんの没後1年であり、誕生日でもある。生前、本紙の取材にこう語っている。「みんなに『ダメ』と言われている子に幸せをあげたい」。一番苦労した人が一番幸せに——ここに、私たち創価の信念がある。(之)

寸鉄 2021年3月21日
「即身成仏と申す大事の法門これなり」御書。春の彼岸。題目が最高の追善
九州の日。広布の突破口を我らが!誠実の励ましで信頼結ぶ先駆の勇者よ
東北青年部の日。君らの勝利が復興の光。偉大な人材城築く新たな10年へ
真心で抜苦与楽に尽くす看護師の皆様に最敬礼!きょう白樺会の日35周年
孤立や孤独に悩む若者が増加。地域の声掛け更に。3月は自殺対策強化月間

〈社説〉 2021・3・21 「世界詩歌記念日」に寄せて
◇人間を結ぶ"詩心"の復興こそ
社会に分断が生じ、人類が危機に直面する時、「詩」の言葉が切実に求められる。優れた詩人の声には、人間と人間、人間と社会を結ぶ力があるからだ。
昨年、コロナ禍の中でノーベル文学賞を受賞したのは、アメリカの詩人ルイーズ・グリュックさんであった。また今年1月、アメリカのジョー・バイデン氏の大統領就任式で、若き詩人アマンダ・ゴーマンさんが自作の詩を朗読した。"差異を超えた団結"を詩情豊かに呼び掛けた彼女。それは、新しいアメリカの出発を象徴する一幕だった。
きょう3月21日は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が定める「世界詩歌記念日」である。詩人とは誰か——。「戦う人である」と、世界的な文化芸術団体から「桂冠詩人」等の称号を受けてきた池田先生はつづる。「彼(詩人)は、世界のどこかで非人間的に扱われる人間がいることを容認できない」と。
カリブ海の詩人エドゥアール・グリッサンは、奴隷船でアフリカから連行された黒人を祖先に持つカリブ海の人々と分かち合う"共同体の詩"を目指した。それは、故郷から切り離された歴史を、カリブ海という新たな土地との"豊かな交わり"と捉え直す挑戦でもあった。
ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で両親を奪われたユダヤ人の詩人パウル・ツェランをはじめ、"アウシュビッツの悲劇の後で詩を書くことの意味"と向き合い続けた詩人もいる。彼らの戦いとは、奴隷制やホロコーストといった「非人間性」の顕現に対して、その対極にある「詩心」によって、"防波堤"を築くことだったといえよう。
若き日より詩作を重ね、約600編に及ぶ詩をつづってきた池田先生もまた、言葉の力で民衆を励まし、民衆に希望を送り、民衆を睥睨する悪と戦い抜いてきた。先生は、「一人の人間こそ全宇宙という織り物を結びつける結び目であり、どの一人なくしても宇宙は完全ではない」と訴える。そして、この仏法の説く宇宙的ヒューマニズムを言葉に結晶させ、人間に具わる無限の可能性と尊厳性を歌い上げてきた。
思えば、米大統領就任式のゴーマンさんの詩も、底流に込められた"希望は私たちの中にある"とのメッセージが光った。希望を生み出す"真実の詩"を、時代はいよいよ渇望しているのだ。
詩心の復興が、人間性の復興につながる。今こそ、詩人の声に耳を傾けよう。そして、私たち自身が、日々の祈りを根本に、世界の美しさをありのままに映せる心を磨こう。わが言葉と振る舞いで、"世界はかくも美しい。人間はかくも強く気高い"ことを証明していきたい。

☆四季の励まし "語らいの春"を軽やかに 2021年3月14日
◇池田先生の言葉
励ましとは、
落胆を
勇気に転ずる力である。

苦しみに
打ち勝つためには、
何よりも
励ましが必要なのだ。
励ましは勇気の母となる。

対話という
鏡に照らされて、
人は他者を知り、
自分を知る。
対話が、自己の殻を破り、
境涯を拡大するのだ。

対話で大切なのは、
「よく聞く」ことだ。
「聞くこと」は
「学ぶこと」であり、
それだけ世界が広がる。
尊敬の心をもって、
誠実に接していけば、
対話は自然に弾む。
心を通わせていくために
対話はあるのだ。

自分のいる場所で、
自分の身近な縁に
目を向けて、
そこから、
勇気の対話の一歩を
踏み出すことだ。
ここで戦うと
腹を決めれば、
会う人、縁する人に
向き合う一念が変わる。
自分の祈りが深まれば
相手も環境も変わる。

人間は
人間の中で磨かれ
鍛えられる。
一人の
真の友人ができれば、
すごいことだ。
その向こうには、
何人もの友がいる。
誠実に一人また一人と、
「善の連帯」を
広げるのだ。
そこに実質的な
広宣流布の拡大がある。

春だ。花咲く春だ。
生命輝く春だ。
希望の春、
生き生きと伸びゆく春だ。
さあ、わが友よ、
創価の生命の陽光を
輝かせながら、
足取りも軽やかに、
勇んで打って出よう!

【写真説明】赤やピンク、紫、黄色……。色とりどりの花々が咲き誇る。1993年(平成5年)3月、池田大作先生がアメリカ・サンフランシスコでシャッターを切った。
この年の1月、池田先生は北南米の平和旅へ出発。約2カ月間で6カ国9都市を訪れた。大学や学術機関で記念講演を行ったほか、アメリカ公民権運動の母ローザ・パークス氏や、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁など、各国の識者・指導者と会談。平和で公正な地球社会へ、心通う語らいを弾ませた。
さあ、行動の春が来た。「春」を表す英語「spring」には、「跳躍」「ばね」との意味もある。弾む心で希望の語らいを広げ、友情の花を満開に咲かせよう。

☆励まし御書—人間革命の光で 冬は必ず春となる—試練の時こそ勇気の信心を
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「冬は必ず春となる」です。人生のいかなる苦難に直面しても、この希望の大哲理を胸に光らせ、共に励まし合いながら、一歩また一歩と前進してきたのが創価の同志です。冬のような試練の時にこそ誓いを光らせ、「幸福の春」「勝利の春」を開きゆく信心を、御書と小説『新・人間革命』を通し学んでいきたいと思います。(創価新報2021年1月20日付から)

◇御 文
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を』(妙一尼御前御消息、1253ページ)

◇通 解
法華経を信じる人は冬のようです。冬は必ず春となります。昔より今まで、聞いたことも見たこともありません。冬が秋に戻るということを。また、今まで聞いたこともありません。法華経を信じる人が仏になれず凡夫のままでいることを。

◇解 説
「妙一尼御前御消息」は、建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の妙一尼に送られました。
竜の口の法難、佐渡流罪と大難が打ち続き、門下にも弾圧が及ぶなか、強盛に信仰を貫いていた妙一尼と夫ですが、残念ながら、夫は大聖人が佐渡流罪を赦免される前に亡くなりました。自身も体が弱く、病の子らを抱えながらも、師匠をお守りしようと純粋な信心を貫く妙一尼に、大聖人が全魂の励ましを送られているのが本抄です。
寒さの厳しい冬も、そのあとには必ず、暖かい春が訪れます。大聖人は、同じように、信心を貫き通していく人は、いかなる苦難があっても必ず勝利の春を迎えることができると教えられています。
桜のつぼみのもととなる「花芽」は、夏までに形成され、秋に一度「休眠」状態に入ります。そして、冬の寒さにさらされることで眠りから覚め、開花へ向けた本格的な成長を開始します。これが「休眠打破」です。
「冬」には、元々持っていた力、眠っていた可能性を目覚めさせる働きがある——この原理は、人生や仏道修行にも通じます。
私たちの生命には、仏性といういわば「仏の種」が具わっています。無限の可能性を秘めたこの種を「休眠打破」するものこそ、人生におけるさまざまな苦難との戦いです。
試練の冬にも、勇気の信心で立ち向かい、忍耐強く前進していく人は、自らの仏の生命を最高に輝かせ、無量の福運を積み、勝利の花を咲かせていくことができるのです。
「冬は必ず春となる」との確信で、希望・勝利の前進をしていきましょう!

◇小説『新・人間革命』より
(女子部員の姉妹を励まして、山本伸一が語ります)
寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。(中略)
自分を磨き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄えてきたからなんだ。あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです。
(第5巻「歓喜」の章)

2021年3月20日土曜日

2021.03.20 わが友に贈る

「仏教の四恩とは
一には父母の恩」
広布に励むことが
最高の親孝行となる。
報恩の人生を歩もう!

曾谷殿御返事 P1056
『法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし』

【通解】
法華経の敵を見ながら、放置して責めなければ、師匠も弟子もともに無間地獄に堕ちることは疑いない。

名字の言 「戦争の象徴」を「平和の象徴」へ 2021年3月20日
人生を十二分に生きるためには、自分に授けられた「いのちを見つめる作業が必要」。広島経済大学の岡本貞雄教授が本紙で語っていた▼教授のゼミでは沖縄戦跡を徒歩で巡り、戦争体験者の証言を現地で聞く活動を実施。学生は戦火から人々が逃げ惑った地を実際に歩き、当時を思いつつ、自身を見つめるという。先日、恩納村の沖縄研修道場で米軍の核ミサイル発射台跡も見学した。教授は「基地跡を平和の発信地として生かされた見識と発想に感銘しました」と▼道場が建設中の時、敷地内には米軍の核ミサイル・メースBの発射台が残っていた。コンクリートの塊の解体は容易ではなかった。1983年3月、池田先生は道場を初訪問し、発射台を視察。その折、「解体が容易でないならば、そのまま残して平和を象徴するものにしたらどうか」と提案した▼翌年、発射台は「世界平和の碑」に生まれ変わった。ノーベル平和賞を受賞したジョセフ・ロートブラット博士をはじめ、国内外の識者が訪れ、「戦争の象徴」を「平和の象徴」へと転換した先生の発想に称賛を寄せている▼一人一人の心に、"平和の砦"を築く——ここに、創価学会の挑戦がある。一人一人が"平和建設の主人公"として、生命尊厳の哲理を語り広げよう。(踊)

寸鉄 2021年3月20日
「人貴きが故に所尊し」御書。わが地域が使命の宝土。皆が希望の灯台に
長崎の日。青年を先頭に立正安国の祈り強く前進励ましの声掛け隅々まで
きょう北陸婦人部の日。勇気の対話で仏縁を拡大友の心に福徳の花束を!
コンビニ各社が食品ロス削減に本腰と。わが家の食卓も意識改革から開始
乳幼児の呼吸器感染症が増加。対策とともに家族で手洗い、マスクを徹底

☆池田華陽会御書30編 佐渡御書
◇「師子王の心」で勝利の人生を
今月は「佐渡御書」を学びます。池田先生は語られています。
「私の心の中には、いつも戸田先生がいます。戸田先生の師子王の生命が、常に、私に最大の勇気と智慧を与えてくださいます」「広布の師弟が一体となった時に、胸中に師子王の仏の生命が満ちあふれてきます。日蓮仏法は、民衆の誰もが師子となり、自他共の幸福と平和を実現する師子の連帯を世界に築き上げる宗教です。自分自身が賢明になり、強くなり、人々に幸福を広げていく主体者となる。一人ひとりが師子王となる宗教です」
師弟不二の勇気の信心を学び、後継の「3・16」から、誓いも新たに出発していきましょう。

◇本抄について
日蓮大聖人は、文永8年(1271年)9月12日、大聖人を敵視する僧侶と結託した幕府の権力者らに、不当に捕らえられ、斬首の危機に直面する「竜の口の法難」に遭われました。
斬首は失敗に終わりますが、なおも迫害を企てる者の讒言(嘘の告げ口)などもありました。同年、佐渡への流刑に処せられます。厳寒の佐渡に流されることは、当時は普通であれば生きて帰ることなどできない、死罪にも等しい刑でした。
この頃、迫害は鎌倉などの門下にも及び、投獄や所領没収という激しい弾圧で退転を迫られ、多くの門下が信心を揺さぶられていました。
本抄は、文永9年(1272年)3月20日、こうした大難のただ中に大聖人が佐渡で記され、全門下に向けて与えられた渾身の激励の書です。

◇御文
『悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』(御書957ページ8行目〜10行目)

◇通解
悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者をなきものにしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである。例を挙げれば、日蓮である。
これは、おごりによるものではない。正法を惜しむ心が強盛だからである。

◇解説
信心を根本に苦難と戦うなかで、胸中の「師子王の心」は、いよいよ強くなり、輝きます。
大聖人は、本抄の冒頭を"人間が最も恐れるものは「死」であり、誰人にとっても、命以上に惜しいものはない"と書き起こされます。大聖人が佐渡に流罪され、自分たちも身命に及ぶ迫害の渦中にあって、門下の人々は、こうした一言一言を胸に迫る思いで拝したに違いありません。
続いて大聖人は法華経の経文を引かれ、何よりも尊いこの「身命」を尽くし、仏法のために生き抜いていくならば、「必仏となる」(御書956ページ)、すなわち、必ず成仏の境涯を開くことができると述べられます。
そして、大切なわが命を、浅いことのために捨ててしまうのではなく、どこまでも「大事の仏法」(同ページ)のために生き抜き、尊き人生を最高の価値ある一生にしていくべきことを示されました。
大聖人は、次に、過去の偉大な聖人や菩薩たちが、みな「時」に適った正しい実践を貫いて仏になったことを述べられます。こうした「昔の大聖」(御書957ページ)に脈打っていたのは、仏の正しい教えを何より大切に守り、命を懸けて人々に伝えようとする心でした。
それに対して、「当世の学者等」(同ページ)、つまり、大聖人一門を迫害する当時の諸宗の僧らについて、大聖人は、彼らの本質が、権力に迎合する臆病な「畜生の心」(同ページ)であると喝破されます。このあとに続くのが、今回の拝読御文です。
正しい法を破ろうとする権力者と、邪法の僧らが結託し、民衆の幸福のために戦う「智者」に迫害を加えてくる時——このような「時」にあっては、決して悪を恐れない「師子王の如くなる心」で立ち上がる者こそが、仏の境涯を開くことができると、大聖人は力強く宣言されます。
ここで「例せば日蓮が如し」と仰せです。竜の口の法難、佐渡流罪と、打ち続く、命に及ぶ大難を受けられながらも、大聖人は広宣流布の誓願を貫き、一切を勝ち越えられました。事実、文永11年(1274年)2月には、佐渡流罪を赦免。翌月、鎌倉への帰還を果たされます。
大聖人は、迫害の嵐のなかで、弟子の一人一人に"今こそ、私と同じ「師子王の心」で立ち上がり、勝利の人生を歩み抜いていくのだ"と、心から呼び掛けられました。
自らが、師と同じ「師子王の心」で、いかなる苦難にも負けない生命の力を発揮していけるのが「信心」です。勇気凜々と題目を唱え、師弟不二の大道を歩んでいきましょう。

◇池田先生の指針から
師が師子王であれば、弟子も師子王となるのです。何があっても負けない。師子となって戦っていく。これこそ、誇り高き創価の人間革命の真髄です。
大聖人は、佐渡流罪の法難の中に、精神の王者として厳然と叫ばれました。
「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(御書957ページ)(中略)
いかなる苦難の嵐があろうとも、師子王となって一人立つ。この負けじ魂の勇者が「必ず仏になるべし」なのです。(『人間革命の宗教』)
◇ ◆ ◇
信心とは、いかなる逆境をも乗り越えていく師子王の如くなる心です。
強盛な信心の人に、恐れるものなど何もない。信心さえあれば、不撓不屈の信念がこみ上げてきます。信心の強さは、豊かな人生を約束します。正しい信心を貫き通した時に、人生の幸福勝利が開けないわけがないのです。(『信仰の基本「信行学」』)

研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
〇…「大白蓮華」2021年3月号「世界を照らす太陽の仏法」(同)

2021年3月19日金曜日

2021.03.19 わが友に贈る

行き詰まった時こそ
同志や先輩に相談を!
創価の世界は
苦悩を希望に転じる
生命の安全地帯だ。

法華経題目抄 P940
『たとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり』

【通解】
たとえ理解はなくても信心のある者は、鈍根でも正見の者なのである。反対にたとえ理解はあっても、信心のない者は誹謗闡提の者なのである。

名字の言 ブラジルSGI発展の要因は「師弟」 2021年3月19日
「私は28歳。ブラジル婦人部は28歳!」。これが「南米広布の母」と慕われた婦人の口癖だったという▼28歳で日本からブラジルに移住。当時、ブラジルは軍事政権下で、創価学会に対して警戒の目を向けていた。試練の中で、彼女は"日本までの物理的な距離は遠いけど、池田先生との心の距離は最も近い国に"と決める。祈りに祈り、友の激励に駆けた。その足跡はペルーやウルグアイなど南米各地にも及ぶ。冒頭の言葉は、初心を貫く決意の表れでもあった▼宗教社会学者の渡辺雅子氏は、ブラジルSGI発展の要因の一つとして、同国になじみの薄い「師弟」という考えを形成したことを挙げている(『ブラジル日系新宗教の展開』東信堂)▼誰に言われずとも、弟子として自分自身が師に誓った信念の道を、何があろうと敢然と進む。その誇りと歓喜を分かち合おうと、目の前の一人と心を結んでいく。世界広布のドラマは、こうした幾万の勇者によって織り成されてきた▼師弟とは、ただ師に弟子が従う一方通行の関係ではない。弟子が師の心をくみ、自ら誓願を立て、新しい戦いを起こす中に脈動するものだ。池田先生は、「創価の心」とは「自発の心」——と。この「心」がある限り、広宣流布の未来に行き詰まりはない。(芯)

寸鉄 2021年3月19日
人生の問題は対話でなくては通じない—牧口先生有意義に語らう座談会を
福岡・筑紫総県の日。誓いに生き抜く勇者は強し!先駆と勝利の旗高らかに
東京・千代田の日。仲良き団結が誇り。創価の全権大使の気概で堂々と進め
20代の「高ストレス者」が増加。孤立が原因の一つと。温かな声掛け今こそ
流感の患者が過去最少。手洗い・マスク等の効果大。感染対策ゆるみなく

〈社説〉 2021・3・19 あさって「白樺会の日」35周年
◇尊き生命を守る友に最敬礼
明後21日は、看護の仕事に携わる婦人部の集いである「白樺会の日」。1986年(昭和61年)3月21日の結成から、35周年を迎える。
池田先生の提案によって、女子部の看護師メンバーによる「白樺グループ」が発足したのは69年(同44年)6月6日。"生命の守り手として、職場の第一人者に"との師の限りない期待を胸に、友は「生命の世紀」の創造を誓い合った。
先生は当時の真情を小説『新・人間革命』第14巻「使命」の章につづっている。「みんなが、自身の使命を自覚し、自身に挑み勝っていくならば、『白樺グループ』は、最も清らかで、最も強く、一番、信頼と尊敬を集める、功徳と福運にあふれた女性の集まりになるよ。楽しみだ、楽しみだね……」
この結成から17年を経て、婦人部に進出した友が"婦人部にも白樺を"と祈り抜く中で、「白樺会」は誕生した。
先生が、看護の仕事に携わる友の集いの名称に冠した「白樺」の木は、生命力が強いことで知られる。伐採後の荒れ地や山火事の後などでも真っ先に育ち、後に生えてくる木々を守ることから「パイオニアツリー(先駆樹)」「ナースツリー(保護樹)」としても名高い。まさに、未曽有のコロナ禍という危機の時代にあっても、不撓不屈の心を燃やし、慈悲の看護を貫く友の姿そのものである。
「看護」の現場は多岐にわたる。病院等の医療施設で命を守るために昼夜を分かたず奮闘する友をはじめ、皆が医療の最前線で「いのちこそ宝! 生命の世紀の太陽たれ」「希望と安心! 創価の慈悲の天使たれ」「師と共に! 幸福勝利の白樺会たれ」との白樺会指針を抱き締めて進む。
社会に不安が渦巻く時代の中で、どうすれば、患者が抱える不安を希望に転じられるか。心に安心と勇気の灯をともせるか。常に自らに問い、思いを分かち合える白樺の友とオンライン等で励まし合いながら、それぞれの使命の舞台で、患者への真心の声掛け、一つ一つの振る舞いに祈りを込める。「いのちこそ宝」との"白樺の心"を広げる妙法の看護者たちのスクラムは、社会に安心の光、蘇生の力を送りゆく希望の灯台なのである。
池田先生はかつて、白樺会の友に贈ったメッセージで呼び掛けた。
「『白樺の心』——それは『生命尊厳』の平和の究極です。『白樺の振る舞い』——それは『抜苦与楽』の慈悲の模範です。『白樺の前進』——それは『師弟不二』の勝利の鑑です」と。
尊き生命を守り、慈悲の献身を続ける全ての白樺の友の無事安穏を、皆で真剣に祈念し、心からの感謝をささげたい。

☆3月度座談会拝読御書 乙御前御消息(身軽法重抄)
◇拝読御文
『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり』(御書全集1221ページ4行目〜6行目、編年体御書790ページ4行目〜6行目)

[池田先生の指針から] 栄光は"挑戦王"に輝く
日蓮仏法は、「挑戦」の宗教である。
妙法とともに、月月・日日に蘇生した生命力で、たゆまず新たな価値を創造する挑戦だ。
御書とともに、人生のいかなる試練、なかんずく自他共の生老病死の苦悩を打開する挑戦だ。
同志とともに、現実社会の課題に立ち向かって、幸と平和の連帯を広げゆく挑戦なのである。(中略)
私の胸には、大関西の草創の母の叫びが蘇る。
「寝ても覚めても、みんな幸せになって欲しゅうて、人材が欲しゅうて、一心に歩き回りました」と。
幾つになろうと、挑戦を止めない信仰者の命は、ますます若々しく、ますます朗らかに冴え光る。
「いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる」(御書1221ページ)と御聖訓に仰せの通りである。
法華経の会座では、年を重ねて疲弊していた長老たちも、未だかつてない師匠の師子吼に歓喜踊躍し、生まれ変わった息吹で、今再びの挑戦を開始した。
信心の心は自在であり、誓願の祈りは無限である。
「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」(同1224ページ)——健気な母を讃えられたこの一節は、創価の多宝の父母への御賞讃と拝されてならない。
わが師・戸田城聖先生は、「信心こそ惰性を打ち破って、自分も家庭も地域も、一つ一つ、より良く変えていくための挑戦である」と指導された。
どんな小さなことでもよい。具体的に明確に祈りながら、新しい何かにチャレンジしていくことだ。
一日に一人でもよい。真心込めて声をかけ、励まし、仏縁を結んでいくことだ。(中略)
今、うれしいことに、華陽の乙女、創価の若師子、普賢の俊英が溌剌と地涌の拡大に挑んでくれている。
この若人たちと共々に、わが地域に新たな「挑戦の友」を一人また一人、増やしていこうではないか!
栄光は、朗らかな「挑戦王」にこそ輝くのだから!(「大白蓮華」2018年2月号、巻頭言)

◇今日より明日へ 常に前進の心で
[キーワード1] 師を求め抜く
日蓮大聖人の願い——それは、妙法を持つ一人一人が強盛な信心を貫き、成仏の境涯を得て、人生を勝利していくことにほかなりません。
本抄を頂いたのは、乙御前の母です。彼女は、夫と離別し、幼い娘を育てていました。
乙御前の母は、大聖人が佐渡流罪に処されていた時、鎌倉から大聖人のもとを訪れています。弾圧を受けて、多くの門下が退転していた頃です。当然、今のような交通網は整備されていません。
さらに後年、身延に移られた大聖人のもとにも足を運んでいます。
大聖人は他の御書で、乙御前の母のけなげな信心をたたえて、「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。
乙御前の母の、"どんな時も師匠を求めていく姿勢"こそ、大聖人門下の模範です。
池田先生は、本抄を拝して語っています。
「『大聖人のもとに足を運ぶ』とは、今日の私たちに当てはめれば、師弟の心のギアをがっちりと合わせて、広宣流布の本舞台で勝利の金字塔を打ち立てるということです。師弟の間は、物理的な距離ではありません。『一念』と『行動』がどうか——師弟の精神といっても、この一点に収まるのです」
困難な状況が続く今こそ、信心の真価が問われる時です。日々、自身の「一念」を広宣流布に定め、粘り強い「行動」を広げる中に、自他共の幸福の輪が広がることを確信していきましょう。

[キーワード2] 生涯、持続の信心を
大聖人は、拝読御文の冒頭で「いよいよ強盛の御志あるべし」と、ますます求道の心で信心に励んでいくことを示されています。
続いて、信心の修行を重ねる大切さを、「従藍而青」の例えを通して教えられています。「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。
藍は、青色を出すための染料になる植物です。この緑色の葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染め続けていくと、鮮やかな青に染まります。
信心の実践で拝せば、御本尊を根本に信心に励み、修行を重ねていくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯を築いていけることを表しています。
それは言い換えれば、"一度だけでは染まり切らない"とも拝せます。
信心の修行を続ける中で、ともすれば"ここまでやったのだから、もういいだろう"といった心が生じがちです。
また、現実が思うようにいかなかったり、すぐに結果が伴わなかったりするなど、行き詰まりを感じることもあります。
乙御前の母は、それまでも純真に信心を貫いてきた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、慢心や諦めの心を打ち払い、"いよいよ"の心で一歩前進することが、重要であるからです。
今日より明日へ——信心の歩みを止めることなく、向上の軌道を描いていきましょう。

2021年3月18日木曜日

2021.03.18 わが友に贈る

卒業を迎えた皆さん
困難の中で培った経験は
未来へ飛翔しゆく翼だ。
自信と勇気をもって
栄光の大空へ羽ばたけ!

上野殿御返事 P1561
『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』

【通解】
願わくは、仏に供養する功徳をあまねく一切に及ぼし、自分たちと衆生が皆、共に成仏できますように。

名字の言 ソメイヨシノの古木 2021年3月18日
いつも通る道にソメイヨシノの古木がある。歩道側に大きくはみ出すほどの巨木で、毎年、千朶万朶の桜となる。今年は例年より早く、淡紅色の花が一気に開花した▼しばし見入っていると、童謡詩人の金子みすゞさんの作品「木」が頭に浮かんできた。「お花が散って/実が熟れて、/その実が落ちて/葉が落ちて、/それから芽が出て/花が咲く。/そうして何べん/まわったら、/この木は御用が/すむかしら。」(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)。桜の古木に「ありがとう!」と感謝した▼私たちは、とかく目に見えるものにとらわれがちだが、目に見えなくても存在する大切なものがたくさんある。生命の営み、心、絆、空気……。このことは少し想像力を働かせれば気付くのだが、普段忘れかけていることが怖い▼桜は花が咲いた後に葉が出るので、御書に仰せのように「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」(1492ページ)という姿に見える。この御文は、黒っぽいゴツゴツとした木を凡夫、そこから咲く花を仏の命に例え、誰人にも仏の命が具わることを教えられたもの▼目には見えないが、尊貴な仏の命——何があっても負けない心は必ずある。それを引き出すのが信仰だ。桜の花言葉は「精神の美」である。(川)

寸鉄 2021年3月18日
桜が開花。新たな出発を切る躍動の春、到来。さあ幸の"対話前線"を列島に
福井婦人部の日。地域照らす太陽の母達。歓喜は伝播!友の心に届けよう
東京・杉並の日。"創価の名門"の誇りで突き進め。試練の時こそ団結第一で
日常的に防災対策をしている人、52%。各地で地震頻発の今、備えを再確認
子どものSNS犯罪被害増。8割が閲覧制限利用せず。保護者が責任持ち

☆世界広布のわが舞台 第9回 メンバーの7割が青年部員——カナダ・トロント ハーバー・キャッスル支部
◇共感と納得の仏法セミナー
会合開始5分前にZoomに接続すると、既に10人ほどが集まっていた。
「以前も来てくれたわよね。今日はありがとう!」。参加者が画面に現れるたびに、司会の女子部員が温かな声を掛ける。皆、リラックスした表情で開会を待っていた。
この日行われたのは、同支部の青年部が中心となって企画した仏法セミナー。2018年から、青年世代に日蓮仏法への理解を深めてもらうための取り組みとしてスタートし、コロナ禍の今は、オンラインで開催している。
「オーケー、時間になりました。まず自己紹介しましょう! 名前と入会年数、もしくは会合に初めて参加した時期を教えてくださいね」
友人5人を含む22人が、順に指名されて発言する。「4年前に入会したの」「初めて会合に参加して、まだ3カ月ほどです」。参加者のうち8人が、5年以内にSGIと縁した友だった。

◇温かな座談の場
セミナーでは毎回、代表による研究発表があり、最後に質疑応答の時間が設けられている。この日は、「師弟」と「団結」についての発表が行われた。仏法を初めて聞いた人でも理解できるよう、平易な言葉を使うなど、表現の随所に工夫が凝らされていた。
続いて質疑応答へ。皆が、どんどん手を挙げ、場が盛り上がっていく——と予想していたが、誰も話そうとしない。沈黙が30秒続いた……。ここで司会が「では私が指名しちゃいます。というのは冗談よ(笑い)」と言うと、ようやく一人の女性が発言した。
「今、毎朝、『新・人間革命』を読んでるの。じっくり読み込んでいく中で、"今日もベストを尽くそう"って決意できるんです」
一人目が話し終わると、皆、せきを切ったように話し始めた。
友人の女性は「さっき、"団結"についての説明で、意見が違う人と争うのではなく、互いの差異を受け入れることが大事だという話があったけど、とても素晴らしいと思うわ」と感想を。別の友人の男性も発言するなど、語らいは弾み、予定時間を15分ほどオーバーして、セミナーは閉会した。
終了後、男子部のゲイリー・ルーシッチ部長に話を聞いた。「カナダの人は、結構、場の空気を大切にするんですよ(笑い)。多様な人が共生しているからこそ、相手を大切にしようとする心の裏返しなんだと思います。反対に、距離感を意識するあまり、孤立してしまう人も少なくありません。だからこそ、どんな人も受け入れる創価家族のぬくもりに、カナダの人は魅力を感じるのではないでしょうか」
温かな座談の場から、共感と納得が育まれ、これまで多くの新入会者が誕生してきた。

◇女子部が"最大勢力"
カナダ最大の都市トロントは、同国の東の玄関口。現在は、同市で暮らす人の約半数が移民で構成されるなど、国際都市として発展を遂げてきた。
同支部の友が活動に励んでいるのは、市のダウンタウン南部。「トロント証券取引所」がある金融街を擁するなど、同国の商業・経済の中心地として栄えている。
同地は、単身者向け住宅が数多く立っていることから、青年世代の人口が比較的多い地域でもある。これを反映するように、同支部では、全メンバーの約6割が女子部員である。
女子部のニティカ・パーワ部長が教えてくれた。「オフィス街へのアクセスがいいので、多くの若者が集まってきます。海外の移住者からも人気が高いです。支部でも、この7カ月で、インドやアメリカなどから新たに6人の女子部員が加わりました」
同支部の女子部リーダーは、メンバーが多いからこそ、「一対一の励まし」にこだわり、「師弟の精神」あふれる人材の育成に取り組んでいるという。
その一つが御書研さんの挑戦だ。同支部では毎月の御書学習会の研究発表を、女子部員が担当している。
「毎回、担当者が決まると、女子地区リーダーが付きっ切りで発表内容を考えます。共に祈り、懸命に準備をする中で、仏法の素晴らしさ、師匠の偉大さを深く学んでいくことができるんです」(パーワ部長)
さらに座談会や"婦女一体"の会合などでも、率先して女子部が役員に就く。そうした中で、広布の使命を自覚し、仏法対話に挑む友も現れ、弘教拡大による部員増も果たせるようになった。
今、同支部の会合には、全女子部員の3分の2以上が参加する。「こうして女子部が生き生きと活動できるのも、壮年・婦人部の皆さんの並々ならぬサポートがあってこそです。男子部も含め、各部が団結して前進できていることが、私たちの誇りです!」(同)
「一人」を大切にする真心の行動を軸に、同支部では華陽姉妹の連帯が大きく広がっている。

◇「1」は無限に発展
1981年6月21日、池田先生は21年ぶりにトロントを訪問。その翌日、「カナダ広布20周年記念総会」が開催された。
この総会の会場となったのが、同支部内にあるホテルだった。「ハーバー・キャッスル」という支部名は、このホテル名に由来する。
この日、先生は"「0」に、いくら多くの数字を掛けても「0」である。しかし、「1」であれば、そこから、無限に発展していく"と、カナダ広布の草創期を駆けてきた友をたたえ、新たな前進に期待を寄せた。
ピエロ・ポンゾ支部長は、「わが支部のメンバーは、40年前に先生がカナダ広布の歴史を築いてくださった、有縁の地で活動できることを誇りに思っています」と、にこやかに。
支部長の母親は、この総会の参加者の一人。女手一つで自分を育ててくれ、勝利の実証を示してきた母が師を求める姿に、ポンゾ支部長も続いた。母から学んだ師弟不二の信心で、血液疾患や経済苦など、幾多の宿命を乗り越えてきた。
支部長もまた、カナダと日本で、池田先生との出会いを果たしている。
「支部で若いメンバーが多く活躍してくれているのは、本当にうれしいことです。トロントに刻まれた師弟の魂を伝えていくことが、自分の使命だと思います」
ピエルパオラ・シアンシア支部婦人部長もまた、青年世代の友に「師弟」を伝えることを大切にしている。それは女子部時代、自身が池田先生の書籍を学び深める中で、パニック障害を乗り越えた体験があるからだ。「一番苦しい時に、先生の指針で蘇生できたからこそ、今の自分があります」
池田先生の訪問から40周年を迎える同支部の友。今、師弟の精神は新たな世代へと確かに受け継がれている。

2021年3月17日水曜日

2021.03.17 わが友に贈る

座談会は広布の原動力。
皆で仏法を学び合い
生き生きと体験を語り
決意新たに出発しよう。
歓喜の輪を幾重にも!

乙御前御消息 P1221
『冰(こおり)は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる』

【通解】
いよいよ強盛の信心をしていきなさい。氷は水からできたものだが水よりも冷たい。青い色は藍から出たものだが、色を重ねると藍よりも色が濃くなる。

名字の言 落語「笠碁」の名句 2021年3月17日
碁を打つ二人が「この一目、待った」「待ったなし」と言い争った揚げ句、けんか別れをした。以来、互いに退屈な日々。それでも、他の人とは盤に向かわない。二人とも心では"相手はあいつに限る"と分かっていた——落語「笠碁」である▼この話に名句が出てくる。「碁敵は憎さも憎し懐かしし」。そこに暗い憎悪はない。碁の勝ち負けに、本気で喜んだり、悔しがったりさせられた相手への尊敬がにじみ出ている。本気でぶつかり合える深い友情さえ感じる▼ある男子部員は20年来の友人と仏法対話を重ねていた。だが友人は入会を拒んだ。当時、無職の自分を惨めに感じていた友人は、話を素直に聞けず、ついには彼を遠ざけた。それでも男子部員は友の幸福を祈り、対話を重ねた▼後年、友人は起業に成功する。今度はそのことにおごり、対話に耳を貸さない姿勢は変わらないまま。ところが、会社が不況で倒産。男子部員が駆け付け励ますと、友人はついに心を開いた。「状況が一変すると多くの人が去った。中には同情してくれる人もいた。でも一緒に乗り越えようと言ってくれたのは、お前だけだ」。入会し、再起業も果たした▼祈り続け、誠実に言葉を紡ぎ、寄り添い続ける人が得る無上の人生の宝物——それが友情である。(代)

寸鉄 2021年3月17日
創価学園で卒業式。君の活躍こそ創立者の喜び。人類貢献の志胸に世界へ
新大阪の日。勇猛精進の信心が常勝の歴史開く!さあ励まし合い希望拡大
今日、種を蒔く者が明日、その果実を収穫できる—博士。今できる事に全力
「百千万億倍・御用心あるべし」御書。多忙な年度末こそ無事故の祈りを強く
ワクチン普及しても予防対策必要—医師。マスク、3密回避等、改めて厳守

〈社説〉 2021・3・17 「彼岸」に考える「追善回向」
◇広布への共戦を誓う契機に
全国各地で桜のつぼみが膨らみ、早い地域で開花宣言が発表された。
きょう17日は、彼岸の入り。春の訪れを感じる20日の「春分の日」を中心に、日本では先祖に感謝する意味を込めて、墓参りなどの風習が根付いている。
その日本でも、時代とともに「死」を忌み嫌い、遠ざけるようになってきた。ところがコロナ禍に直面し、今、死がリアリティーをもって受け止められ始めている。死者とどう向き合うのか。彼岸のこの時期に、改めて考えてみたい。
日本思想史・文化史の第一人者である東北大学大学院・佐藤弘夫教授は、本紙のインタビュー(3月6日付)で次のように語っている。
「亡き人を縁にしながら、悲しみや苦しみの記憶が、一つの物語となっていく。その物語を共有する中で、生きる意味を見いだし、前に進む力へと変えていける。死者と生者の、どちらもが孤立することなく、共に歩んでいく——そうしたストーリーを持つことが大切です」
死というものを真っすぐに見つめる時、人間はより良い人生を生きていくことができるのである。
日蓮大聖人は「父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏・即ち父母の成仏なり」(御書813ページ)と、親子一体の成仏を示されている。
大聖人の仏法における追善回向とは、自分自身が仏道修行で得た功徳を回し向けることである。自ら積んだ善根が故人への回向となる。自身の信心の真心が、亡き親のもとへ及び、自身のもとへ、その福徳が返ってくる。
私たちにとっては、広宣流布という崇高なストーリーを継承することである。それは決して家族に限ったことではない。共に戦った同志の遺志を継ぐことでもある。
災難がうち続いた大聖人の時代、現世の安穏を諦め、死後の安楽を願う念仏思想がはびこり、人間から生きる力を奪った。大聖人は、そうした誤った思想を打ち破り、人々の生きる力を呼び覚まし、現世安穏、国土安穏を実現すべく戦い抜かれた。「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同31ページ)と、社会の繁栄、平和への貢献が仏法者の使命であることを叫ばれた。
「立正安国」「立正安世界」こそ、世界192カ国・地域の創価の同志が共有している、三世にわたる壮大なストーリーといえよう。
追善回向とは決して故人だけのためではなく、今を生きる人のためでもあり、未来を力強く志向したものであるべきだ。わが家、わが地域の広布の物語を受け継ぐ機会にしていきたい。

☆人間主義の哲学の視座 第7回 対談集『20世紀の精神の教訓』に学ぶ�
テーマ:連帯
【池田先生】
内なる革命から社会の変革へ
「他者性の尊重」をその柱に

【ゴルバチョフ元大統領】
多様性それ自体が偉大な価値
21世紀の持続的発展の要件

◇発想の転換
過去に乗り越えたことがないような"人類的危機"に、どんな手段や経験を頼りに立ち向かうのか——。
この問いに、著名な生物地理学者であるジャレド・ダイアモンド氏は答えた。「世界の国々が一致団結して危機に向き合い、乗り越えるには、世界の人びとが共通のアイデンティティを持つことが必要です。そうしたアイデンティティが、行動の方向性に忠誠を尽くすことを可能にするからです」(クーリエ・ジャポン編『新しい世界』講談社現代新書)
近著『危機と人類』で、国家的危機に直面した各国の変革を描いた氏の、気候変動を巡る考察である。
気候変動、そして核兵器という、人類の存続を左右する脅威に加えて今、感染症のパンデミック(世界的大流行)が地球規模で続く。立ち向かう私たちに求められるのも、この時代を「自分は」どう生き、世界に対して何ができるのかというアイデンティティー(自分であることの根拠)の確立だ。
物事を"自分事"と捉え、自身を磨き上げることで「変革の波」を広げていく——これが創価の人間革命運動であり、池田先生とゴルバチョフ氏が語り合ったテーマでもあった。

池田 21世紀を展望するうえで、不可欠なポイントとなるであろう点を一つ、問題提起したいと思います。それは、思考の回路を「外」から「内」へ、だけでなく、「内」から「外」へ、つまり「環境革命」から「人間革命」だけでなく、「人間革命」から「環境革命」へと方向転換していく、ということです。

ゴルバチョフ わが国が迎えた崩壊と騒乱の時代は、太古よりの理性と本能の葛藤に、たしかに新しい局面を登場させました。今ロシアが学んでいる歴史の教訓は、全人類の関心を呼ぶものだと思います。

池田 20世紀は、文明の進歩とは裏腹に、史上かつてないおびただしい人命の犠牲がもたらされました。
「外」なる条件、すなわち法や制度、経済などの面から、民族的・階級的矛盾を解消することが、おしなべて人間社会の幸・不幸を決定づける根本要因とされてきたわけです。
私は、今こそ人間の内面へ視線を移し、「内」なる課題の解決を第一義にしつつ、「内」から「外」へと、発想の転換をはかっていくことが必要であると思います。

◇桜梅桃李の個性
自己の内面の転換を促す「新しい精神性」は、どのようにして芽生えていくのか——。先生は大切な点として、他者の存在に対して謙虚であろうとする「他者性の尊重」と、絶えざる努力による、その「習慣化」を挙げる。
また、仏法に説かれる「桜梅桃李」を通して、世の中の花が桜だけであればそれは個性とはいえず、梅や桃といった"他者"の存在があってこそ、桜の個性は際立ってくると強調。このことは、人間であっても同じであると訴える。

池田 自己の内面に「他者」を見失い、「他者」との結びつきを断たれ、一見活動的なようでも精神世界が外から閉ざされてしまっている、いわば"自閉的状況"は、20世紀文明の産み落とした最大の病理とはいえないでしょうか。

ゴルバチョフ 世界・人間・社会の多様性を認めることは当然として、その多様性それ自体が、じつは偉大な価値であることを認識すべきです。一元化を標榜するボルシェビズム(※注1)、さまざまな所有形態、階級を認めない考え方。それにまっこうから挑戦するところから、ペレストロイカ(※注2)が始まったことはすでに申し上げました。その道程にあって、私たちは、決定的な一歩を印すことができたと自負しています。
私は、この多様性の尊重こそが、来るべき世紀の重要な原則となり、安定した持続的発展の要件となると確信しています。

◇「立正」と「安国」
他者性とは「相手の側に立ち」「相手と自分を入れ替えてみる」こと——文豪ゲーテの言葉を引いて、先生は率直に語った。
ここで氏は、そうした"内なる変革"は決して容易ではないと述べる。母国の政治改革に奔走しながらも、国民の心を変えることの困難さを、その身で痛感した経験からである。

ゴルバチョフ ロシア農民の貧しさを代表する一人である私としては、忘れられない事実があります。つまり、飢えで死のうとしている人間が、「良心」や「善の声」に耳をかたむけるのは、きわめてむずかしいということを、私はよく知っているのです。
幸運な、富める人々にとっての「外なるもの」の価値と、赤貧の、人生に打ちのめされた人々にとっての「外なるもの」がもつ意味・価値とは、おのずから違っています。むろん、一人一人の人間の内面に善を見いだし、「内」から「外」への方向性を支え伸ばしていくことに、課題がおかれていることは十分理解したうえで、あえて申し上げているのです。

池田 よくわかります。現実と向き合うことをさけ、たんに理想のみを追い求める生き方は、私どもの最も忌むところです。
大乗仏教の精髄は、こうした現実の苦悩を直視し、原因を究明し、それをどう解決していくかという課題のうえに成り立っているのであり、決してこの世の悪や矛盾から目をそらそうとするのではありません。
確認しておきたいのは、宗教が救済を志向するにあたって、宗教的価値と世俗的価値との関係のあり方、両者のどちらにウエイトをおくかという、人類の宗教史を深くつらぬいているテーマです。
「立正安国」という言葉は、その関係性をまことに簡潔に示しています。すなわち「立正」という宗教的価値と、「安国」という世俗的価値とは、どちらが欠けても不十分であり、その二つが相まってこそ、「立正安国」という仏法者の使命は達成できるのだ、と位置づけているのです。
私が「内」から「外」へ、と訴えているのも、まさにこの「内なる革命」の「外」へ向けてのやむにやまれぬ発現にほかなりません。

本年1月に発表した「SGIの日」記念提言で、先生は、世界の国々を一隻一隻の船に例え、コロナ危機という"同じ問題の海"を航海しながらも、人類は別々の方向に押し流されてしまう恐れがあると指摘した。そして、この"海図なき航海"の羅針盤となるのが、各国の連帯であると訴える。
他者の苦しみに思いをはせ、身近な場所から行動を起こす——。こうした「他者性の尊重」に貫かれた「内なる革命」の連帯こそが、危機を克服し、より良い世界を創る希望となる。

2021年3月16日火曜日

2021.03.16 わが友に贈る

仏法の根幹は「師弟」。
不二の心で進めば
破れぬ壁はない!
師子奮迅の祈りで
凱歌の歴史を創ろう!

撰時抄 P257
『答えて云く人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか』

【通解】
答う。ある人が大衆の便利をはかって路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作るものの罪だとえるだろうか。良医があって、大良薬を病人にあたえた時に、病人は薬を嫌って服しないで死んだならば、それが良医の過失となるであろうか。

名字の言 「ヘアドネーション」に取り組む少年部員 2021年3月16日
「ヘアドネーション」という活動をご存じだろうか。病や事故で頭髪を失った子どもに「ヘア=髪」を「ドネーション=寄付」する取り組みである。31センチ以上の長さが必要だが、年齢や性別は関係ない▼この活動をテレビで知った香川の少年部員は"自分も人の役に立ちたい"と、小学2年から髪を伸ばし始めた。すでに3年以上が経過。取り組みを始めた当初、周囲から奇異な目で見られた。少年は両親に、「学校に行きたくない」と漏らしたことも▼その時、父親が「苦労を共にしよう」と髪を伸ばすと宣言した。職場は帽子やヘルメットの着用が原則。汗で蒸れ、夏場の暑さは尋常ではなかった。それでも、"息子の挑戦を何としてもやり遂げさせてあげたい"と髪を切ることはしなかった。父の応援に、少年は弱音を吐かなくなった▼池田先生は、「教育とは子どもたちのために何ができるかという、自らの生き方をかけた、大人たちの挑戦にほかならない」と。子どもの生命には、無限の可能性がある。その力を引き出すのが、向上への努力を続ける大人の姿にほかならない▼この春、少年は苦労を重ねて腰まで伸ばした髪を寄付する。その親子の勝利の証しは、頭髪を失った子どもだけでなく、多くの人々の心を温かく包むに違いない。(守)

寸鉄 2021年3月16日
きょう「3・16」。学会は宗教界の王者。混迷の今、人間主義の思想を地域へ
幹部で決まる。指導者が自分を変えるしかない—恩師。率先の挑戦、私から
SGIの皆様の対話には人間への信頼を感じる—識者。心は通ず。大誠実で
人との繋がりが薄い社会は詐欺が横行—犯罪心理孤立させぬ声掛けを益々
弱者の目線で政策考える党は公明しかない—学ひとり親支援等、さらに

☆随筆「人間革命」光あれ 人間凱歌の福光 2021年3月11日
◇負けじ魂の10年 「心の財」は厳然
「東北はさすがだな!」
師・戸田先生の感嘆の声が私には聞こえてくる。
一九五一年(昭和二十六年)五月三日、第二代会長就任と同時に仙台支部が発足してより、先生は全学会の模範として、東北に絶大なる信頼を寄せてこられた。
恩師は若き日から東北と縁が深かった。北海道厚田村から上京する途次にも、宮城県塩釜の兄の家に立ち寄られている。
当時の先生の日記には「我れを救ひしは、牧口常三郎先生なり」との言葉とともに、「塩釜の兄の大なる後援」への尽きせぬ感謝が記されてある。
大誠実の東北の友をこよなく愛し、「皆さんが幸せになってくれれば、他に何の願いもない」と熱く語られる師であった。
今月七日、「東北広布七十周年」とともに、東日本大震災から「福光十年」の意義を込めた「希望の絆」総会が、全六県——宮城、岩手、青森、秋田、山形、福島を結び、心を一つに行われた。
戸田先生も、尊き東北家族の師弟勝利のスクラムを見守り、讃えてくださっているに違いない。

◇生き抜いた歳月
この十年、胸の張り裂けるような辛い現実の中で立ち上がり、自ら被災しながらも、自分のことより友の励ましをと挺身してきた、わが東北同志である。どれほどの風雪を耐え、負けじ魂で進む茨の道であったか。
大震災の直後より、青年たちが全身全霊で救援の行動を起こしたことも、私の胸から離れない。
震災発生から十日ほど後、奮闘している男女青年部のリーダーたちに、私は伝言を送った。
「よく戦ってくださった。よく生き抜いてくださった。よく耐え抜いてくださった。
そして、創価の精神を発揮して、人々の大救済に命を懸けて戦い続けてくださっている。
感謝しても感謝しても感謝しきれない」と。
「地涌の正義の旗頭」たる東北の宝友への、今も変わらぬ真情である。

◇"一人も欠けず"
大震災で亡くなられた方々、また復興の途上で亡くなられた方々へ、重ねて追善回向の題目を送らせていただきたい。
御本仏・日蓮大聖人は、最愛の若き子息を突然失ったお母さんの悲しみに寄り添われつつ、成仏は絶対に間違いないことを断言されている。
「一切の諸仏が霊山浄土に集まられて、亡きご子息を、或いは手にすえ、或いは頭をなで、或いは抱き、或いは悦び、月が初めて出たように、花が初めて咲いたように、どんなにか愛されていることでしょう」(御書一五七〇ページ、通解)と。
偉大なる東北広布の母たちが、一日また一日、祈り抜き、語り抜き、走り抜いて積み上げてきた「心の財」は、まさしく功徳の山々である。「福光」の母が奏でる幸の曲は、生死を超えて必ずや一家も地域も包むのだ。
大聖人は、悲嘆を慈愛に変えて前へ進みゆく母に、こうも示されている。
「この法華経を持つ人は、百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人も欠けず、皆、仏に成ることができるのです」(同一五八〇ページ、通解)と。
"一人も欠けず、皆、仏に"との一言に、仏法の究極の人間主義が凝縮されている。仏法の慈悲は誰も排除しない。いかなる人も大切な存在として、「幸せになれ」と祈り、照らしていくのだ。
また今は故郷を離れていても、誰であれ、あの人ありて、この人ありての、わが郷土であり、わが社会である。心と心はつながっている。誰もが、かけがえのない一人ひとりなのだ。
仏法の祈りと慈しみの心は、眼前の一人に注がれると同時に、先人たちにも、まだ生まれていない子どもたちにも及ぶ。
現在の命を全力で守るとともに、過去の命も忘れず、未来の命に思いを馳せる。この視座に立ってこそ、誰もが平等に尊厳ある人生を送れる、希望の社会が見えてくる。

◇「黄金柱」が立つ
大聖人は、亡き壮年の門下を悼み偲ばれながら、その旧友たる共戦の同志に仰せになられた。
「すでに先立たれた今は、あなたを形見と拝しています。そうであるからは、亡くなられたとはいえ、なんで空しいことがあるでしょうか」(御書一二二八ページ、通解)
甚深の一節である。
今世の人生には限りがある。しかし、広宣流布・令法久住に捧げた命は、その形見たる後継の友に確と受け継がれ、三世へ流れ通っていくのだ。
そこには感傷を突き抜けた誓いがある。
この御聖訓さながらに、東北のいずこにあっても、先輩・同志や家族の遺志を託された、新たな黄金柱たちが澎湃と立ち上がっている。 
我々は、「地涌の菩薩」として、それぞれに大勢の眷属を引き連れて、この使命の娑婆世界に躍り出てきたのだ。
ゆえに、「妙法流布の誓願」に生き抜いていくならば、宿縁深き眷属が一人また一人と現れてこないわけがない。そして、広布のため、立正安国のために、共に働いてくれるようになる。これが「地涌の義」である。

「地涌の正義の旗頭」の宝友に最敬礼
◇青年の熱と力で
とりわけ、従藍而青の東北青年部の成長は、誠に目覚ましい。
「鉄は炎打てば剣となる」(同九五八ページ)との御金言のままに、試練の中で鍛錬してきた生命は宝剣の如く、冴え光るのだ。
今回の「希望の絆」総会の運営はもとより、「震災十年の企画展示」も、"青年の熱と力"で推進してきた。
東北の友との交流を宝とされているエマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士も、展示の写真や解説をご覧になられての感動を、早速、アメリカから伝えてくださった。
「私たち全ての人間は深くつながっていること、そして、より良い時代を築くことは可能だということを再確認させてくれる皆さんの姿は、コロナ禍と戦い、強く生きなければならない今こそ、私たちに力を与えてくれるものです」と。
健気な東北の若人は、身近な友人とも、世界の友とも、励ましの連帯を朗らかに築いている。
東北各県に足跡を残した、社会福祉運動家ヘレン・ケラーの言葉が思い起こされる。
「世界に青年がいるかぎり、文明は逆行することができない」
あの青葉城の石垣も、何度も何度も、手を加えられ、積み直されてきた。不撓不屈の苦闘によって、現在の堂々たる威容が支えられている。
労苦を惜しまず、自ら汗を流すことを厭わない東北健児たちによって、揺るぎない「青年の大城」が聳え立つことは、何と頼もしいことか。

◇命の尊厳を守る
一年前の三月十一日、WHO(世界保健機関)は新型コロナウイルスの感染拡大について、「パンデミック」(世界的大流行)と表明した。
私は、今年一月の提言で、このパンデミックを各国の連帯によって収束させた先に、あらゆる国の人びとの命と健康を守るための世界的基盤を形作る必要性を訴えた。生まれた国や育った環境による"命の格差"などあってはならないし、打ち破らねばならないのだ。
一人ひとりの「生命」が、分け隔てなく最極の存在であることを、誰よりも知悉しているのが、東北の賢者である。
「大震災の教訓を断じて風化させない」「最後の一人が立ち上がるまで寄り添い続ける」——。
この深い決意から生まれる、命を守り育む取り組みこそ、世界に「生命尊厳」の基盤を生み出す希望の光源であると、私は確信してやまない。

◇新時代は我らが
日蓮大聖人は、「難を忍び慈悲のすぐれたる事」(御書二〇二ページ)を誉れとなされた。
この御本仏の忍難弘通と慈悲曠大に直結して、立正安世界という「平和の道」を創り開いてきたのが、我ら創価の師弟である。ことに「忍難」と「慈悲」にすぐれているのが、風雪越えし東北の不二の友なりと、私は声を大にして宣言したい。
この、逆境に強い東北人の底力こそ、新時代を開く価値創造の源泉だ。
思えば、私たちが「第二の七つの鐘」を打ち鳴らし始めた二〇〇一年は、東北広布五十周年であった。そして次に、「第三の七つの鐘」を打ち鳴らす二〇五一年は「東北広布百周年」である。
この壮大なる行進の中で、「生命の尊厳」の哲学を時代精神・世界精神として定着させ、「生命の世紀」「人間革命の世紀」を建設しゆくのだ。
その総仕上げを担い立つのは、わが愛する東北家族にほかならない。
誰もが不安と困難を抱える「危機の時代」にあって、みちのくの父母たちの笑顔と励ましの温もりは無上の宝である。
諸天をも叱咤して揺り動かす強き祈り、断じて友を救わずにはおかないとの勇気の対話が、大悪をも大善へと転ずる。
希望に生きる人生は、かくも偉大なり!
誓いを貫くことこそ、生命の勝利なり!
東北の友が謳い上げる「人間凱歌の福光」こそ、みちのくから世界へ未来へ、永遠に広がり、人類を照らしゆく旭日なのだ。

2021年3月15日月曜日

2021.03.15 わが友に贈る

新聞休刊日

聖人御難事 P1191
『をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ』

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る 未来を照らす「希望の太陽」たれ 2021年1月1日
Be Suns of Hope Illuminating the Future

「希望・勝利の年」の開幕です。
御書には「太陽がひとたび東の空に昇れば、世界の空は全て明るくなる。太陽が大いなる光を備えているからである」(※)と。
時代も社会も不安の闇が深まる今、どんな困難にも負けない希望の光は、どこにあるのか。それは、皆さん自身の生命の中にあります。題目を唱えるたびに、勇気の太陽が皆さんの胸中に赫々と昇りゆくのです。
曇りの日も雪の日も、太陽は自らを燃焼させ、光を放ちます。同じように心が悩みの雲に覆われ、苦難の吹雪に見舞われても、自分らしく、ありのままに輝いていけばよいのです。負けじ魂の太陽は、大変であればあるほど輝きを増して、周囲も明るく温かく照らし晴らせるのです。
さあ、新春の旭日とともに、勢いよく勝利の未来へ出発だ! 「希望は我にあり!」と。

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る 鍛えの冬から大歓喜の春へ! 2021年2月1日
From a Winter of Developing Strength to a Spring of Boundless Joy

厳寒の2月、北国に誕生された戸田先生は、未来を生きる若人に「冬に鍛えよ!」と訴えました。
桜は、冬の寒さを開花の力に変えて春に咲き誇ります。人も大変な時にこそ、強く大きく、たくましく鍛えられます。
私も若き日、戸田先生の事業が破綻した厳冬の時代に懸命に祈り、学び、戦い抜きました。そして師と共に勝利の春を開いたことが、青春の誉れです。
コロナ禍の今、学校生活で思いもよらぬ一年を耐えた人もいるでしょう。受験生にはいつも以上に苦労が多いと思います。それでも「冬は必ず春となる」(※)です。信心は希望をつくり出す力であり、題目は無限の可能性を花開かせる光だからです。
正義の走者の君たちなれば、試練の北風に胸を張り、苦難の坂道を上ってくれ給え! 
鍛えの冬から大歓喜の春へ!

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る チャンピオン・オブ・ホープ、万歳! 2021年3月1日
Each of You Is a Champion of Hope

この春、卒業する皆さん一人一人に、私は大拍手を送ります。
本当におめでとう!
進学・進級する皆さんも、よく頑張り通しました。
一人ももれなく、コロナ禍の苦しい1年を耐え抜き、困難に立ち向かったことを讃えたい。
目標の行事が中止になる等、悔しい思いもあったでしょう。しかし皆さんには、信心がある。一番苦労した人が、一番幸福になる。大変な時こそ、大きく変われるのが、題目の力です。
日蓮大聖人は、苦難と戦う一人のお母さんをねぎらいつつ、「いよいよ強盛の御志あるべし」(※)と励まされました。どんな時も「いよいよ、これからだ!」と進む人が、真の勇者です。
愛する君たちこそ2030年への先頭に立つ「チャンピオン・オブ・ホープ」、すなわち「希望の勇者」なりと私は宣言します。

【通解】
臆病で教えを心に刻まず、欲が深くて、疑い多い者どもは、漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(何も残らない)なのである。

☆御書の旭光を 第14回 苦難を幸福へ転じる信心
〈御文〉
『小事こそ善よりは・をこて候へ、大事になりぬれば必ず大なる・さはぎが大なる幸となるなり』(四条金吾殿御返事、1164ページ)

〈通解〉
小さな事こそ、小さな善事から起こるが、大事になったならば、必ず大きな騒ぎが大いなる幸いとなっていくのである。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法は、希望の哲理である。価値創造の源泉である。大いなる困難も、必ずや大いなる幸福へ転じゆけるのだ。
この御本仏の大確信を拝し、学会は幾多の苦難に挑み、勝ち抜いてきた。
ゆえに恐れず、嘆かず、たゆまず、祈り学び、励まし合うのだ。全てを新たな「前進」の活力に! たくましき「人材」の育成の力に!

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2021年3月13日
◇御文
『石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる』(兄弟抄、御書1083ページ)

◇通解
石は焼けば灰となるが、金は焼けば真金となる。

◇教えて
日々、仕事に奮闘しています。

◇池田先生の指導
今、苦労したことが、全部、自分自身の「最高の宝」になる。苦に徹してこそ、宝剣の如く、真金の如く、わが生命を輝かせることができるのです。(中略)
どんな問題であれ、「これですべてがうまくいく」という、魔法のような解決策などない。祈って苦労し抜いて、一つ一つ乗り越えていく以外にない。仕事も同じです。
そして最後は一切が大善に変わり、必ず打開できる。
これが「絶対勝利の信心」です。(『御書と青年』)
◇ ◆ ◇
信心を根本に、それぞれの分野において、人一倍、研究、努力、工夫を重ねていっていただきたい。
また、人間として自らを鍛錬し、人格を磨き、皆から信用、信頼される人間関係をつくり上げていくことが大事です。(中略)
仕事の面でも、広宣流布の活動においても、一切のカギを握るのは、自身の人間革命であり、人格革命であることを、訴えておきたいのであります。(『新・人間革命』第26巻「法旗」の章)

2021年3月14日日曜日

2021.03.14 わが友に贈る

◇今週のことば
広布誓願の3・16
全世界の若人と共に
「いよいよあをし」と
従藍而青の開拓を。
皆が人材、皆が闘士に!
2021年3月14日

種種御振舞御書 P919
『此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれどもはうに過ぐれば罰あたりぬるなり』

【通解】
この国が滅びることは間違いないけれども、(かわいそうなので)しばらく、それを止めて、「国を救いたまえ」と日蓮がひかえていたからこそ、今までは安穏だったのである。しかし、迫害が限度を超えたので罰があたってしまったのである。

名字の言 桜の開花予測に使われる「600度の法則」 2021年3月14日
桜のソメイヨシノの開花を予測する一つに「600度の法則」がある。2月1日以降の最高気温を毎日積算し、600度を超えると開花するという▼日光が照らすと、ジベレリンなどの植物ホルモンが供給され、芽の成長を促す。寒風に吹きさらしの桜木を眺めると、花弁は堅い「芽りん」に覆われたまま。それでも降り注ぐ太陽の光を浴びて、必ず「今だ!」と花咲く時が来る▼20年前、広島のある婦人部員が友人に仏法の話をした。「夫が反対するから」と入会に踏み切れなかった友人の幸福を、婦人は変わらず祈り続けた。その後、婦人は息子と死別。乳がんの宣告も受けた。数々の試練の嵐が襲っても、婦人は朗らかさを失わなかった▼ある日、友人は唐突に「私も信心したい」と。友人も子どもを亡くした。そのつらさを知るからこそ、苦難に負けない婦人の生き方に深い感銘を受けた。今年1月に入会した友人は、「自分も人の幸福のために尽くしたい」と本紙の熟読などに挑戦。先月、夫も入会した▼御書に「秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉・華菓・出来する」(944ページ)と。遅咲き、早咲きの違いはあれ、心にまいた幸福の種は、いつか必ず花開く。その時まで祈り、励まし続ける"太陽の人"でありたい。(誌)

寸鉄 2021年3月14日
若いうちは苦しんで視野の広い実力を養え—恩師後継よ鍛えの青春を日々
京都婦人部の日。率先の対話で希望を拡大!皆様こそ民衆の楽土創る太陽
壮年幹の配信、今日まで。広布の柱と立つ!この心を一人でも多くの同志と
「謀を帷帳の中に回らし」御書。皆で連携密に。最高の作戦を最高の祈りから
列島に桜開花の報。我らは地域に励ましの花を!弾む命で周囲の友のため

〈社説〉 2021・3・14 3・16「広宣流布記念の日」
◇毎日が「決意」「出発」のドラマ
明後16日は、「広宣流布記念の日」。1958年(昭和33年)、男女青年部の精鋭6千人が第2代会長・戸田先生のもとに集い、"広宣流布の記念式典"が開かれた。
戸田先生は、「仏法で最も大事な広宣流布の後継を、青年に託す機会に」と意義付け、式典の当日、「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼する。
前年の12月、戸田先生は生涯の願業であった、75万世帯の弘教を達成。その拡大の突破口を開き、決定打を放ったのは、若き池田先生の各地での奮戦だった。
先生は、「もし(75万世帯という)師弟の誓願が達成できていなければ、『3・16』の式典——あの後継の大儀式は完成されなかった」とつづっている。
弟子である池田先生が、師・戸田先生との誓いの通りに、広宣流布の実証を満天下に示したからこそ、「3・16」は"後継"の式典として不滅の輝きを放っている。
さらに、式典の直前の2月には、戸田先生は池田先生に"300万世帯の陣列構築を"という新たな構想を語っている。
4年後の62年(同37年)11月、創価学会は300万世帯を突破。池田先生は、師との約束を一つずつ実現していった。
毎年、巡り来る「3・16」。全国、全世界の創価の友は、それぞれの広布と人生の誓願を確かめ合い、新しい一歩を踏み出してきた。
10年前——東日本大震災が起きた直後の3月16日は、聖教新聞に、池田先生から被災地へのメッセージが掲載された。
「『心の財』だけは絶対に壊されません」との先生の言葉は、新聞が届かない状況の友のもとへも、メールや電話、口伝えで共有されていった。
この「3・16」は、被災した多くの同志にとって、「生き抜く」と誓う節目となり、励ましのネットワークをもう一度結び直す大きな力となった。
今月の本部幹部会では、宮城県・女川町の壮年が、多くの苦しみ、悲しみを経て、震災前に倍する広布の陣列を築いてきた体験を語った。
東北の不屈の歩みは、まさに"後継"の実証の姿である。私たちが学ぶべきものは重く、大きい。
63年前の"広宣流布の記念式典"は、法華経に説かれる「虚空会の儀式」に通じる。師から弟子へ——末法の正法流布の使命を、地涌の菩薩に託す付嘱の儀式だ。
このことを通し先生は、「私たちの日々の勤行・唱題には、『虚空会の儀式』に連なりゆく意義がある」「毎日が『3・16』である。永遠に決意の日であり、断固と勝利へ出発する日なのだ」と記す。
こう決めた時、平凡な毎日こそ、弟子の証しを示す誓願のドラマに変わる。その主人公は私たち一人一人だ。励まし合い、日々、新しい歴史を刻んでいきたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第5回 ナイチンゲール
〈ナイチンゲール〉
私の辞書に諦めという言葉はない。
人生は闘争。自分の前の一歩一歩を勝ち取っていかなければなりません。

「近代看護の母」「クリミアの天使」「看護師の祖」——フローレンス・ナイチンゲールを形容する言葉は数多い。
「自分の生涯の使命は、人類を救うこと」「人類のために苦しむのは、ひとつの特権です」と語る彼女は、波瀾万丈の人生を劇のごとく駆け抜けた。
1820年5月12日、イギリスの大富豪の家に次女として生まれた。両親は結婚直後、約3年にわたる新婚旅行へ。イタリア・フィレンツェ(英名でフローレンス)で生を受けたことから、その名が付けられた。
家族や親族らの愛情を一身に受けて育った少女・青春時代。容姿端麗で幅広い教養と学識を身に付けたナイチンゲールは、社交界でも注目の的だった。
だが、"何かが違う……"。その心が富や名声によって満たされることはなかった。むしろ虚栄と快楽に満ちた世界に疲れ果て、自己嫌悪にすら陥った。
正しい生き方とは何か?
この世に生まれた使命とは?
「真の人生とは、私たちの家庭のような、広い緑の牧場、静かな流れのほとりに憩う生活ではない」。苦悩は長く続いた。
当時(1840年代)のイギリスは、凶作と大不況で「飢餓の40年代」といわれていた。農民たちの悲惨な現実を目の当たりにした彼女は、近隣の貧しい小屋を見舞い、病人や赤ん坊の世話を手伝った。一方、家庭では重病を患った祖母や乳母の看病に率先して取り組んだ。
そうした経験を通して選んだ道こそ「看護」であった。
今とは違い、看護職の社会的地位が確立されていない時代である。家族は大反対したが、彼女の決意は揺るがなかった。
「諦めなどという言葉は私の辞書にはない」「それ(人生=編集部注)は苦しい戦い、闘争、悪の原則との格闘です。私たちは自分の前の一歩一歩を勝ち取って行かなければなりません」
恵まれた環境を捨て、あえていばらの道へ。独学で専門知識を習得した後、看護師としての第一歩を踏みだす。その本格的な挑戦は30代から始まった。
「自分を生かすためには、たとえわずかなりとも、自ら何かを掴まなければならぬ。何かを、自分の手で掴みとらなければならぬ。それは与えられるものではない」——このナイチンゲールの「信念の源」は、どこにあったか。それは、かけがえのない生命を守る「覚悟」と「使命感」にあったに違いない。

〈ナイチンゲール〉
年ごと、月ごと、週ごとに「進歩」を重ねていないかぎり、あなたは「退歩」しているのです。

1853年、クリミア戦争が勃発。ロンドンの病院で看護監督を務めていたナイチンゲールは翌54年、38人の看護団を組織して、戦線へと向かった。
赴任した軍事病院の環境は劣悪だった。院内は収容人数をはるかに超える患者であふれ、不衛生から感染症などが広がっていた。さらに"看護蔑視"の軍医や将校からの冷遇、嫉妬による同僚からの嫌がらせ……試練の障壁が次々と立ちはだかった。
だが、彼女は屈しなかった。
「価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目ざす無言の、地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する」
目の届かないところにまで気を配り、進んで仕事を見つけては黙々と働き続けた。その姿に医師たちも心を動かされ、彼女を頼るようになっていく。
不眠不休の身を案じ、周囲が「明日にすればいいじゃありませんか」と、床に就くよう進言したことがあった。すると、ナイチンゲールは一言、「明日は明日の仕事がありますわ」と。
敵味方の区別なく、負傷兵たちに献身する日々は2年間にも及んだ。56年、パリで講和条約が結ばれ、クリミア戦争は終結。「今なすべきこと」に全精魂を注いできた彼女は、最後の患者が病院を去るまで任務を全うし、イギリスへ戻った。
帰国後は、"本当の戦いはこれからだ"と、激務の疲れも癒えぬうちに新たな行動を開始。人類の未来を開く"看護革命"に着手するのである。
「年ごと、月ごと、週ごとに『進歩』を重ねていないかぎり、あなたは『退歩』しているのです」
過去は過去。さあ、今ここから、前へ、前へ! これがナイチンゲールの生き方であった。

〈ナイチンゲールを語る池田先生〉
彼女の行動は「大きな願い」に貫かれていた。
私どもの目的は「広宣流布」である。
その柱さえ不動であれば、何があろうと、ぐらつくことはない。

今月21日は、結成35周年を迎える「白樺会(看護の仕事に携わる婦人部の集い)の日」。
池田大作先生は、折あるごとにナイチンゲールの箴言や逸話を通し、白樺会や白樺グループ(同女子部の集い)、さらに婦人部・女子部の友らに万感のエールを送ってきた。
「いつの時代も、現実は、常にさまざまな問題が渦巻いているものだ。しかし、大切なのは、今いるその場所で、勇敢に戦い、自らの境涯を開いていくことである」「『常に進歩しつづける女性』——それは、『月月・日日につより給へ』(御書1190ページ)の妙法を体現されゆく白樺の皆さま方である。そしてまた、心が生き生きと上昇しゆく、わが婦人部、女子部の皆さま方である」(2004年5月11日、各部合同協議会でのスピーチ)
2002年には本紙で「『女性の世紀』に寄せて——ナイチンゲールを語る」を連載。「近代看護の母」の足跡を通して、今もコロナ禍で奮闘し続ける白樺の友をはじめ、使命に生きる私たちへの指針が示されている。
「ひとたび、わが胸に抱いた使命感を、最後の最後まで、赤々と燃やし続けていくのは大変なことである。
そのためには、どうしたらいいのか? 結論からいえば、人々と『団結』することである。
ナイチンゲールは、"目的や行為を分かち合いながら、『共感のきずな(団結心)』を育むことが大切だ"と教えている」
「戦い抜く人生は美しい。前に進み続ける人生は、すがすがしい。彼女の行動は『大きな願い』に貫かれていた。ゆえに、くだらない嫉妬や愚かな人間模様など、悠々と見おろしていた。私どもでいえば、目的は『広宣流布』である。その大目的の柱さえ不動であれば、人生、何があろうと、ぐらつくことはない」
「ナイチンゲールの生涯。それは、押し寄せる苦難の波を越えながら、『使命を自覚した人間の力は、こんなにも偉大である』と未来に向かって示し続けた一生であった。
私たちも生きたい。『わが十年後を見よ』『わが五十年後を見よ』、そして『広布に生き抜いた、わが一生を見よ!』と高らかに叫びながら。世界に『勇気の光』を贈りながら」
一人のヒロインが紡いだ変革のドラマは、時空を超えて、私たちの魂を揺さぶり続ける。

2021年3月13日土曜日

2021.03.13 わが友に贈る

まず自らが動こう!
率先垂範の挑戦が
友を鼓舞する。
わが行学の実践を通し
確信と歓喜を語ろう!

四恩抄 P936
『日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失によりて妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れ』

【通解】
日蓮はそうした妻子を持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとしているだけで、それを失にされて、妻子を持たずして犯僧の名が国中に満ち、ケラや蟻さえも殺さないのに悪名は天下にはびこってしまった。

名字の言 合唱団メンバーの門出を祝う壮年の挑戦 2021年3月13日
本社提供のラジオ番組「ドリーム ハート」に、絵本作家の西野亮廣氏が出演した。氏が原作・脚本・製作総指揮を手掛けた公開中の『映画 えんとつ町のプペル』は、日本アカデミー賞の優秀アニメーション作品賞を受賞。注目を集める▼氏の創作活動などについて語らうオンラインサロンには、国内最多の会員が在籍する。氏は「お客さんが見たいのは、勝ちパターンをずっとなぞっている人ではなくて、"挑戦している人"なんです」と。人の心を動かすのは、成功者の弁よりも、挑み続ける"熱"なのだろう▼先日、宮城県の少年少女合唱団の卒団式で、壮年の担当幹部が"サプライズ"でピアノを演奏した。コロナ禍によって歌う機会を奪われ、複雑な思いで卒団するメンバーを励まそうと、人気アニメの主題歌をひそかに猛練習していた▼壮年に楽器経験はない。指の運び方は紙に書いた鍵盤で覚えた。流れるような演奏ではないが、壮年の真心と挑み続ける姿に、卒団生は目頭を熱くした。泣き笑いの拍手が、メンバーの門出を飾った▼行動パターンをはじめ、さまざまな変化が求められる今は「挑戦の時代」ともいえる。3月は、子どもたちの旅立ちの時。挑戦する大人たちの姿そのもので、未来の宝に真心のエールを送ろう。(開)

寸鉄 2021年3月13日
「勇気のあるところに希望あり」歴史家。道を創るは私。不屈の心で前へ
御聖訓「此の経をよみたてまつれば利益はかりなし」。題目で自身の殻破れ
東京・品川「広布誓願の日」。創価源流から拡大の火蓋!新時代開く対話を
児童虐待の通告数、初の10万人超。社会の絆こそぐ鍵。子の未来守ろう
公明は被災地に寄り添い続けてきた—識者。地域の復興、心の復興を更に

☆世界の友は今2021 第2回 アメリカSGI ストラウス理事長
◇励ましを重ね心の絆を結ぶ
新型コロナウイルスの感染者が世界最大の約2800万人となったアメリカ。SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーは、今こそ希望のスクラムを広げる時と誓い、奮闘している。「世界の友は今2021」の第2回は、アメリカSGIのストラウス理事長に聞く。

——アメリカの新型コロナウイルス感染者数については日本でも盛んに報道されており、同志は早期の終息と人々の無事安穏を祈っています。アメリカの現在の状況を教えてください。

一時は新規感染者が1日20万人を超えるなど、大変な苦境にありましたが、マスクの着用やフィジカル・ディスタンスの順守の効果もあり、増加のペースは鈍化してきました。

ワクチン接種は12月14日に始まり、現在は医療従事者や65歳以上の高齢者らを対象に進んでいます。アメリカ創価大学も地元自治体の要請を受け、体育館を接種会場に提供しています。

2月いっぱいで全人口の約15%に当たる、約5000万人が1回以上の接種を終えました。現在も多くの人がワクチン接種を希望しています。接種を予約した人が当日に現れない場合、他の希望者に実施する地域もあります。ワクチンはひとたび解凍してしまうと、長く保存できないからです。

一方で、インターネット環境の不備や情報不足を背景に、人種間での接種の偏りが目立ったり、厳しい寒波でワクチン接種の会場を一時閉鎖したりと課題も山積しています。

失業や経済苦、学生がオンライン授業を強いられる状況など、多くの困難に直面する今こそ、私たちは励ましの連帯を広げ、心の絆をより強めていこうと決意しています。

——アメリカSGIとして、どのようにコロナ禍という危機に対応してきましたか。

機関紙「ワールド・トリビューン」で、手洗いやうがい、マスクの着用を奨励するなど、徹底した感染症対策を呼び掛けてきました。皆で真剣に声を掛け合った結果でしょうか、アメリカSGIメンバーの感染者数は全国平均よりも低い水準となっています。

またアメリカSGIとして、昨年から新型コロナ感染者が多発した地域の病院などに、数万枚のマスクや大量の防護服を寄付しています。少しでも具体的な貢献をしたいとの思いからです。

——日本でも医療従事者は激闘を続けています。アメリカでも彼ら彼女らの苦闘は計り知れません。

ニューヨーク州ロングアイランドの緊急病院に看護師として勤務する、ある地区副婦人部長は「15年の勤務経験の中でこのコロナ禍が最も大変だった」と語っていました。普段の3倍もの患者に対応しなければならないほど忙しく、マスク等の防護体制も整っていませんでした。自宅では、喘息に苦しむ息子に感染させはしないかと、心痛む日々が続いたそうです。

そうした状況下で、彼女は機関紙を通して池田先生のご指導を学び、一段と真剣に唱題に挑戦。時間の不規則な勤務でも、オンラインだからこそ会合に参加でき、自身を奮い立たせて、職場に通えたといいます。とりわけ先生の「闇が深ければ深いほど、暁は近い」とのご指導に、必ず勝利できることを確信したと振り返っていました。現在、勤務先の緊急病院では、コロナ患者の数も激減したそうです。

——昨春から、全ての会合をオンラインで開催していると伺いました。

そうです。地区座談会はもちろん、小説『新・人間革命』や池田先生の御書講義「世界を照らす太陽の仏法」の勉強会などを活発に行っています。先生のご指導や写真のスライドが視覚的に分かりやすいと好評だったり、子どもが小さくても自宅から気軽に参加できたりと、喜びが広がり、会合参加者は増加傾向です。

また一対一の激励もオンラインで行い、励ましの輪は多宝会から少年少女部まで幅広い年代に及んでいます。これまで電話等での連携が困難であったアメリカSGI所属のカリブ海地域をはじめ、全米各地で、オンライン活用により、遠隔地の友とのつながりが一層深まっています。

もちろんインターネットに慣れ親しんでいない方たちもいます。そうした方々には、地域の青年部がサポートしたり、電話での打ち合わせや激励を欠かさなかったりと、「誰も置き去りにしない」実践を意識しています。

——青年部は地区リーダー以上の友を対象にした教学運動「イケダ・ウィズダム・アカデミー」を通じて、御書根本の前進を続けているそうですね。

2013年に始まった同アカデミーでは、池田先生の教学著作を毎月研さんしています。一昨年から昨年にかけては、先生の『一生成仏抄講義』『生死一大事血脈抄講義』を学びました。

月刊の教学誌「リビング・ブディズム」にも同教材を自己学習できるよう、"ワークブック"などが掲載されています。

コロナ禍の中でも、講義映像を配信し、ビデオ会議システムでディスカッションを続けてきました。先月6日には修了式の意義を込めた自己評価のチェックシートを配信。「自身の生活に教学をどう生かしていくか」などの問いかけに、参加者が自身の思いをつづりました。

ある男子部員は、会社の高圧的な上司や愚痴ばかり言う同僚との関係に悩み、向上心を失っていたといいます。そんな時、同アカデミーで「一生成仏抄」の「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず糞法なり」(御書383ページ)を研さん。自身が人間革命することで、周囲の環境をより良く変えていこうと決意したのです。

真剣な唱題を根本に、責任感をもって仕事を成し遂げようと奮闘。そんな中、一段と成長を望める会社からオファーがあったのです。彼は惜しまれつつも退職し、新しい環境で元気に働いています。彼が語っていました。「教学の研さんを通し、悩みにさえも"感謝"できる自分になれました」

ほかにも、青年部の実証は枚挙にいとまがありません。コロナ禍にあって、より一層、"太陽の仏法"の力を実感しています。アカデミーでは、今春から『勝利の経典「御書」に学ぶ』を研さんする予定です。

◇青年を先頭に「HOPE(希望)運動」に全力
——アメリカの同志の奮闘に勇気が湧きます。最後に、理事長ご自身の決意をお聞かせください。

今こそ仏法を実践する私たちは大悪を大善に変えながら、全てを変毒為薬していきたいと決意しています。
池田先生もこの10年を「人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時」と語られました。人々が切望する希望の哲理を大きく広げていく時です。

今年、アメリカSGIは青年部を先頭に皆で「HOPE(希望)運動」にまい進しています。これは「希望あふれる題目(Hope-filled daimoku)」「御書や先生の著作を開く(Open Sensei's guidance and Nichiren's writings)」「妙法の種をまく(Plant seeds of Buddhahood)」「人々を励ます(Encourage others)」という四つの行動を指します。すでに多くの信仰体験が生まれており、SNSや会合を通じて希望の連鎖が広がっています。

2・27「アメリカSGI婦人部の日」を記念した婦女一体の会合に向けて、全米で対話運動を展開。各地で功徳の花が爛漫と咲きました。3月に開催される青年部、壮年部の各総会へ弘教の勢いが増しています。

コロナ感染症、人種問題、経済危機、自然災害等の迫りくる挑戦に、果敢に応戦し、皆が勝利の実証をつかめるよう励まし合い、前進してまいります。

◆自由の天地を照らす満月
アメリカ壮年部・男子部の代表から、2・27「アメリカSGI婦人部の日」に合わせて感謝の思いで撮影した美しい満月の写真が届いた。

2021年3月12日金曜日

2021.03.12 わが友に贈る

広布の先陣を開くのは
青年の使命であり誉れ。
後継の君よ 貴女よ
勇んで語らいの花を!
善の連帯の拡大を!

兵衛志殿御返事 P1091
『すこしもをそるる心なかれ過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』

【通解】
少しも恐れる心があってはなりません。過去遠遠劫という果てしなく遠い過去より法華経を信じたけれど、仏になれなかったのは、これによるのです。潮が干る時と満ちる時と、月の出る時と入る時、また、夏と秋と冬と春の四季が変わる時には、必ず普段と異なることがあります。凡夫が仏になる時も、また同じことです。必ず三障四魔という障害が出てくるので、賢者は喜び、愚者はひるんで退くとは、まさにこのことなのです。

名字の言 誰かの思いも抱き締めながら歩んできた10年 2021年3月12日
東日本大震災からの10年は、東北の友にとって、愛する人を失い、それでも少しずつ前を向いた10年であった。誰かの思いも一緒に抱き締めながら歩んできた、それぞれの一日一日がある▼発災時、中学1年だった福島県出身の女子部員は、津波で親友を失った。原発事故で避難も強いられた。避難先で"自分の気持ちは誰にも分かるはずがない"と思ったが、支えてくれる友に出会うことができた。修学旅行にも「一緒に連れていこう」と亡き親友の写真を携えるよう勧めてくれた。震災の後、初めて心を開けた▼双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で語り部を務める婦人部員。避難生活のさなか、望郷の思いを抱いたまま両親が亡くなった。"間に合わなかった"と肩を落とす彼女に寄り添う同志がいた。「大丈夫。きっとあなたの思いは両親に伝わっているよ」▼今年の「3・11」の前日、伝承館で婦人は率直な思いを来館者に語った。「無数の励ましに包まれて今、ここにいます。私が語り伝えたいのは、人が人を思う心の美しさです」▼人と人とのつながりは何物にも代え難い。悲嘆の壁を破り、明日を開く力になる。東北家族の固い絆は「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)として、まばゆい輝きを放ち続けていく。(閃)

寸鉄 2021年3月12日
「一言・一点も随喜の言を加えて」御書。真心の励ましで挑戦の力は倍加
東京・喜多区女性の日。自他共の歓喜の対話を!私の勝利が創価の勝利と
進級・進学の時。学会っ子は自分らしく朗らかに!"負けない青春"を後押し
子には批判よりも模範が必要—哲学者。良き若芽伸ばすのは大人の責務
被災体験を継承したい—東北の高校生9割。教訓忘れず共に前へ、未来へ

☆不二の旅 第4回 池田先生と北海道
◇三代城は厳たり——栄光の未来を北海天地から
・「北海道は、創価の連続勝利の光源である」——師の期待を胸に、全道の同志が希望の太陽と輝く
・池田先生が厚田の戸田記念墓地公園を訪問(1992年8月30日)。同園の開園15周年を記念する勤行会に出席した先生は、この日、北海道文化会館で小説『人間革命』第12巻「寂光」の章を書き上げたことを紹介した。この厳粛な師弟の魂に連なることこそ、北海同志の最大の誇りである
・1983年8月、札幌の真駒内屋外競技場で行われた第3回世界平和文化祭。初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が育ち、若き池田先生が「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」で正義と勝利の旗を打ち立てた北海天地に、新たな青年の陣列を築く文化祭となった
・池田先生ご夫妻が函館研修道場へ。この激励行で、先生は語っている。"北海道は、牧口先生、戸田先生、なかんずく第三代の私が心血を注いで築いた大地だ。だから「三代城」なんだよ"(1991年8月)
・1969年9月、池田先生は「夕張炭労事件」の舞台となった空知地方へ。岩見沢・美唄総合ブロック合同指導会で"信心即生活の模範の実証を"と呼び掛けた
・1982年6月、池田先生が札幌で揮毫した「栄光」の大書。先生は折々に"愛する北海天地から栄光の未来を!"と

◇北海道の友に贈った指針
「妙法」の祈りは、自身の"生命の変革"をもたらし、その変革は、必ず"周囲の人々や生活環境の変革"へと連なっていく。
地域の発展も経済の好転も、"自分にはとても手が出ない"と思われるような願いであっても、わが「一念」から発する「信心」の力用しだいによって、やがて厳然とかなえられていくことを、強く確信していただきたい。
その信力・行力に燃えたつ人が、地域に一人、また一人と増えていく時、目には見えなくとも、偉大な仏力・法力の働きを引き出し、大勢の人々をも守りゆくことができる。
とくにリーダーに、その「強盛な祈り」と「確信」があるかどうか。
何ものにも屈しない「不敗の一念」で戦うかどうか——そこに「前進」か「後退」か、「幸福」か「不幸」かの大きな分かれ目がある。
皆さまは最高の仏法を持った「広宣の勇士」である。
信心には"中途半端"はない。"強い"か"弱い"か、どちらかである。
そして、仏法は"勝負"、すなわち"勝つ"か"負ける"か、どちらかである。
ならば、どこまでも徹して「強信」であっていただきたい。そこに一切を開く"急所"がある。
どこまでも朗らかに、また朗らかに、「境涯の王者」として、一切を大福運、大功徳へと変えゆく、「強信」を貫いていただきたい。
「鉄の団結の創価家族」として、悠々と、今世を、また三世を、真実の「仏道修行」のため、真実の「広宣流布」のために、ともどもに仲良く歩んでまいりたい。
そして、世界のだれよりも「楽しい人生」「有意義な人生」を送っていただきたい。
(第4回北海道総会<1991年8月>でのスピーチから抜粋)

2021年3月11日木曜日

2021.03.11 わが友に贈る

風雪越えし あなたこそ
最も尊貴な宝の人だ。
共に歩んだ友も家族も
皆が心の長者なり!
三世に幸の春は爛漫と!

兵衛志殿御返事 P1090
『貪欲瞋恚愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候』

【通解】
貧欲、瞋恚、愚癡という三毒の酒に酔って、臣下でありながら主君に敵対し、子として親を軽んじ、弟子が師匠を侮ることもすこしも珍しいことではなくなっている。

名字の言 東日本大震災から10年。「人間はかくも強く、美しい」 2021年3月11日
詩人コクトーはうたった。「君の名前を彫り給え やがて天までとどくほど 大きく育つ木の幹に。大理石と較べたら立木の方が得なんだ 彫りつけられた君の名も一緒に大きくなって行く」(堀口大學訳)▼東日本大震災の後、東北の被災地にある会館では植樹が行われた。若木は新生の誓いを込めて「福光桜」などと命名された。同志はわが胸中にも"福光桜"を植え、復興の年輪を刻んできた▼原発事故の影響で各地に避難した友の激励を続ける婦人部員は「桜がいつ咲いて、散ったのか、分からないほどの激闘でした」と述懐する。"不安で眠れない"と嘆く電話口の友の話を何時間も聞いた。そして慈愛の言葉で安心した友が眠りに就いたであろう時間に、御本尊の前に座った。婦人に花を愛でる余裕はなかったが、励ました友が幸の大輪を咲かせた▼「震災直後、がれきの中に咲いた桜が忘れられない」と語るリーダーは、友と同苦した年月をこう表現した。「人間はかくも強く、美しいと同志に教わる10年でした」▼風雨に打たれることなく、大樹と育った木はない。東北の友は使命の大地に根を張り、試練に耐え抜いた。不屈の春秋を重ねて10年——仰ぎ見る"希望の大樹"は、これからもたくましく未来へと伸びてゆく。(白)

寸鉄 2021年3月11日
大震災10年。東北の復興は21世紀の世界の希望。皆様の健康とご多幸祈る
「万行万善の功徳を集めて五字と為せり」御書。題目第一の人に福徳厳然
小樽問答記念日。学会の正義の歴史刻んだ師子吼師弟の旗持つ後継よ続け
岐阜の日。列島の要に光る民衆の大連帯。堅塁の誇り胸に勝利へ全速前進
非常食の賞味期限切れを経験、65%と。定期的な入れ替えを。備え万全に

〈社説〉 2021・3・11 東日本大震災から10年
◇心をつなぐ励ましの福光を
東日本大震災から10年。甚大な津波被害を受けた宮城・岩手の両県では、第1期復興・創生期間のインフラ整備が最終段階を迎えている。
一方、福島第1原発事故などによる避難者は4万1000人(本年2月現在、復興庁調べ)を超え、福島の避難対象地域では、いまだ復興事業の見通しも立っていない。
こうした中、42の被災市町村で、最も多くの首長が「震災11年目以降も必要な事業」に挙げたのが「被災者の心のケア(57%)」だ(河北新報)。
大切な人や故郷を失った心の空白、多様化する苦悩は、物理的な復旧や時間の経過で埋められるものではない。
厳しい現実を前に、創価の同志は"一人も置き去りにしない"信念で、悩める友に寄り添い、励ましの連帯を築く。
福島県浪江町から夫と共に茨城県へ避難した婦人部員は、次女を津波で失った。さらに2年後、夫が脳出血で帰らぬ人に。込み上げる悲しみに胸が張り裂けそうになった。
そうした時、全国の「うつくしまフェニックスグループ」の友からの励ましが相次いだ。茨城の同志も足しげく通い、一緒に祈ってくれた。「落ち込む暇もないほど」の真心に触れ、"私は一人じゃない"と実感。師の励ましの言葉を心肝に染め、前を向いた。
その後、郡山市に転居。入会満60年を迎え、「池田先生と同志のおかげで今の私がいます」と感謝の心で希望の語らいを広げる。
東北大学災害科学国際研究所の今村文彦所長は、震災後の池田先生の励ましに、多くの学会員が希望を抱き、"心の復興"をけん引してきた事実に着目。
「試練の渦中にいる方々にとって、いかなる災害に遭おうとも、人生で築いてきた心の財は絶対に消えないという確信は強く響いたと思います」「その根底には、強さや優しさという、人間の力を信じる心があります」(2018年7月11日付本紙)と、師弟一体の実践に深い共感を寄せる。
池田先生は、過日の「東北家族『希望の絆』総会」にメッセージを贈り、この10年の同志の不屈の歩みをたたえた。
「『変毒為薬』の信心に生き抜く一人の人間が、どれほど強く偉大になれるか。そして『異体同心』の団結で励まし合う民衆が、どれほど温かく堅固になれるかを、全世界に雄渾に示しゆく感激のドラマであります」と。
悲嘆のどん底から立ち上がり、師と共に、世界の同志と共に歩む"福光の道"の中で、かけがえのない"感激のドラマ"が生まれる。その"感激"は親から子へ、友から友へとつながっていく。
東北の同志は新たな福光の道へ力強く出発した。世界に希望を送る価値創造の福光のドラマを、伝え続けていきたい。

☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第9回 広宣流布〈上〉 共々に地涌の使命に生き切る誉れ 西方男子部長
◇池田先生の指導
広宣流布とは、
人々の生老病死の苦悩を救い、
幸福境涯に至らしめる仏の願いを
受け継ぎ、実現する仏弟子の使命。

1 何のために生きるのか
まもなく3・16「広宣流布記念の日」を迎えます。1958年(昭和33年)のこの日、第2代会長の戸田城聖先生から池田大作先生を中心とした青年たちに広宣流布のバトンが託されました。そして今、池田先生は私たち青年部に広布の未来を全て託してくださっています。学会の使命である「広宣流布」とは何か。改めて考えたいと思います。

■ 池田先生の講義
"創価三代"の師弟を貫く誓願とは、広宣流布にほかなりません。
1942年(昭和17年)5月、軍部政府による思想の統制が強まるなかで開催された総会で、初代会長・牧口常三郎先生が断固と訴えられたのは「広宣流布」でした。さらに翌年、弾圧による逮捕後の取り調べでは、広宣流布の意味を問われ、先生は堂々と、「末法の時代、いわゆる現世のごとき濁悪の時代思想を、南無妙法蓮華経の真理によって浄化すること」(趣意)と主張されていたのです。
1951年(昭和26年)の5月3日、第2代会長就任式で戸田先生が誓願されたのも、「広宣流布」であります。「私が生きている間に75万世帯の折伏は私の手でする」と宣言されるとともに、今日の広宣流布は、膝づめの"一対一の対話"で成し遂げられると、実践の根本軌道を示してくださいました。
1960年(昭和35年)の5月3日、第3代会長に就任した私も、戸田門下生を代表して「化儀の広宣流布」を目指し、一歩前進への指揮を執り始めました。
—◆—
「勤行要典」の御祈念文には、創価の三代会長を「広宣流布の永遠の師匠」と仰ぐことが明確にうたわれています。
一方で、学会活動を始めたばかりの男子部員や新入会の友から「直接会ったことがない人を、師匠となかなか思えない」と、相談を寄せられることもあります。
私はかつて聖教新聞の記者として、全国各地の同志を取材しました。男子部長になってからも、社会で活躍する多くの先輩たちの話を伺ってきました。「一流」といわれる実証を示す方々に共通することは、それぞれの分野に「師匠」と呼べる人がいることです。芸術の師匠、学問の師匠、スポーツの師匠……。
しかしまた、異口同音に「私の『人生の師匠』は池田先生です」と断言されるのです。それは根本となる生き方を学んでいることにほかなりません。広宣流布とは仏法を弘めることであるとともに、「信心を根本に自他共の幸福に尽くす無上の"生き方"を広げること」ともいえるでしょう。
今、小説『新・人間革命』の研さんを通して創価の三代会長なかんずく池田先生の人生を学び、「私も師匠のように広布のために生きたい!」と立ち上がる友が、あの地この地に現れています。男子部として進めている拡大・結集・育成の「広布の三冠王」の取り組みも、「師弟の生き方」を学び広げる挑戦なのです。

2 仏弟子の使命とは?
池田先生は、恩師・戸田先生が繰り返し講義をされていた「顕仏未来記」を拝して、次のように教えてくださっています。

【御文】
『予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依って仏の在世に生れず正法の四依・像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと、亦一たびは喜んで云く何なる幸あって後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや』(顕仏未来記、御書505ページ3行目〜5行目)

【現代語訳】
私(日蓮)は一度は嘆いて言う。——今は釈迦仏の滅後、既に二千二百二十余年がたっている。いったい、いかなる罪業があって、仏(釈迦仏)のおられる時代に生まれ合わせることができず、また、正法時代の四依の人(迦葉・阿難や竜樹・天親等)にも、像法時代の天台大師や伝教大師にも会えなかったのであろうかと。
また、一度は喜んで言う。——いったい、いかなる福徳があって、後の五百年(の末法)に生まれ、この薬王品の真実の文を拝見することができたのであろうかと。

■ 池田先生の講義
広宣流布とは、人々の生老病死の苦悩を救い、人類を永遠の幸福境涯に至らしめる仏の願いを受け継ぎ、実現する仏弟子の使命にほかなりません。
—◆—
「生老病死の苦悩」——私の祖父と母の入会理由も、そこにありました。
私は常勝関西の出身です。祖父と母は1956年(昭和31年)に池田先生が指揮を執られた「大阪の戦い」で、折伏されたそうです。祖父は当時、重い病を患っていました。しかし弘教に歩く中、体調は快方へ向かい、74歳の天寿を全うするまで生き抜くことができたのです。
また祖父と母は、57年の「大阪大会」に参加したことを誇りとしていました。"信心しきったものが必ず勝つ!"——大会で師子吼された池田先生のこの確信こそ「永遠の幸福境涯」の実像ではないでしょうか。
今、私はコロナ禍の中でアメリカや韓国、ブラジルなど各国の男子部リーダーとオンラインで懇談しています。いずこでも青年たちが入会する理由は「生老病死」にまつわることが多い。時代は変われど、人間が直面する悩みは根本的には変わりません。と同時に、仏法の実践を通して信心の確信をつかんでいく友のドラマも、世界共通なのです。
「仏の願い」であり、創価の三代会長を貫く誓願である「万人の幸福の実現」という仏弟子の使命も、未来永遠に変わることはありません。

3 「嘆き」を「喜び」に
仏法は「時」を重視します。悪世末法に大聖人が御聖誕された意義を、先生は御書を拝して語ります。 

■ 池田先生の講義
(「顕仏未来記」の御文にある)「歎いて」から「喜んで」への大転換に、重大な意味が拝察されます。
当時、大聖人は、次々と迫害を受け続けられていました。その結果、罪人として、死罪にも等しい流罪に処せられた境遇にありました。本抄にも、「日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」(御書509ページ)と示されている通りです。
その中にあって、大聖人は「幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(同ページ)とまで仰せです。
まさしく「喜んで」と言われた御胸中には、末法広宣流布に一人立つ師子王の魂が、明々と燃えておられたと拝されます。
—◆—
思い出す原点があります。私が、創価大学に入学してまもない頃のことです。
「母さんね、がんが見つかったの」——大阪にいる母からかかってきた電話の内容に、私は耳を疑いました。"こんなに信心を頑張ってきた母が、なぜ?"
動揺する私を、先輩は力強く励ましてくれました。「大丈夫。西方君が本気で信心をする"時"が来たんだよ」と。私は「一家の宿命転換を懸けて折伏しよう」と誓いを立てました。とはいえ、友人に具体的に何を語ればよいか分かりません。池田先生の著作を貪るように読みました。そして毎週末、先輩の車に乗せてもらって地元へ帰省し、弘教に挑戦したのです。
その中で、実感したことがあります。"草創の先輩たちも皆、人生の師と出会い、「救われる存在」から「人々を救う存在」へ人間革命していったんだ"。まさに「嘆き」から「喜び」への転換です。
自分もまた、その師弟の道に連なっている——そう思うと、今まで感じたことのない誇りが湧いてきました。弘教は結実。母も治療が奏功して、病を乗り越えることができたのです。この体験を通して、その後も一家で多くの人に信心の功徳を語ることができています。
嘆きも苦悩も、広布の使命を自覚した時、全て境涯を開くための力となり、知恵となります。苦難と真正面から向き合う中でこそ真の喜びも生まれるのです。

4 「生きる意味」の自覚
今まさに、思わぬ宿命の嵐と戦っている友もいるでしょう。池田先生はこう励ましを送られています。

■ 池田先生の講義
誰しも、それぞれの人生において否応なく直面する境遇や状況があるものです。あまりにも過酷な苦難や試練もある。しかし、その襲いかかる「宿命」を、自分だからこそ耐えられる、必ず深い意味があると、あえて捉え直し、「使命」をつかみとっていく、生命の究極の道があります。
それこそが久遠より願って悪世末法の娑婆世界に生まれ、法華経を弘めるのだと誓願した地涌の菩薩の元初の生命なのです。
戸田先生は、獄窓の内で、地涌の菩薩の使命を自覚され、敗戦の焦土と化した日本にあって、「妙法流布の大願」を掲げられました。あの戦後の絶望と悲嘆の時代に、いったい誰が、「今こそ広宣流布の時なり」と誇り高く誓うことができたでしょうか。
創価学会が、仏意仏勅の「広宣流布の宗教」であるゆえんは、まさにこの「広宣流布の信心」があるからです。
—◆—
「あまりにも過酷な苦難や試練」と聞くと、東日本大震災から10年の歩みを重ねてこられた東北の方々を思い浮かべずにはいられません。
宮城のある男子地区リーダーは津波で4人のきょうだいを失いました。当時、高校2年生。家族を救えなかった自責の念に長年、苛まれたといいます。「自分には幸せになる権利はない」と。
それでも、何があっても負けない母の姿や、温かな創価家族の励ましに触れて「自分も変わりたい。成長したい」と折伏に挑戦。その中で「幸せ」について真剣に考えたそうです。自分が幸せになれないようでは、人を幸せにすることもできない——それなら「笑って生きよう。幸せになろう」と決めたのです。
彼は一昨年、男子部大学校生として弘教を実らせました。さらにコロナ禍の昨年も、高校の同級生を入会に導きました。互いに「共に負けない人生を歩もう」と励まし合って進んでいます。入会した一人は、男子部大学校への入校を決意しました。
地区リーダーの彼は「震災の事実は変わらない。でも、その意味を変えることはできる。宿命を使命に変える人生を生きようと決めました」と語っています。
「広宣流布の信心」がある限り、「悲哀」を「勇気」に、「宿命」を「使命」に、そして「大悪」を「大善」に変えていけるのです。

■ 池田先生の講義
法華経はまさしく、最も崇高にして根本的な「生きる意味」を人間に自覚させます。結論から言えば、民衆一人ひとりが広宣流布の大願に生きることこそ、無上道の人生であることを教えています。
法華経において、釈尊から滅後末法の広宣流布を付嘱された「久遠の弟子」こそ地涌の菩薩だからです。

2021年3月10日水曜日

2021.03.10 わが友に贈る

災害への備えを万全に。
避難経路や備蓄品など
家庭や職場等で確認!
過去の教訓に学び
安心・安全の社会を!

聖人御難事 P1190
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり』

【通解】
もし日蓮が末法に出現しなかったならば仏は大妄語の人となり、(この仏の言葉を真実であると証明した)多宝如来や十方の諸仏は、大虚妄の証明をしたことになってしまうであろう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのである。

名字の言 東北の友が教えてくれた「ほんとうの幸福」 2021年3月10日
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、孤独な少年ジョバンニの成長物語と読むこともできる。彼は幻想的な銀河の旅の中で世の不条理を悟り、「ほんとうの幸い」とは何かを追求する▼同行者は親友カムパネルラ。他者のために自らを犠牲にすることもいとわない。そんな親友との語らいを通じて、ジョバンニは「みんなの幸い」を願うようになる。突然訪れた親友との別れを経て彼は誓う。「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」(岩波文庫)▼先日の本部幹部会で活動体験を語った壮年の心を貫くのも、亡き友への誓いだった。その友とは、東日本大震災で被災しながら同志の励ましや救援活動に奔走した当時の支部長である▼病で霊山へ旅立つ前、支部長が日記に書き残した言葉がある。「人のために、どれだけ祈ったか、苦労したか、それが人間の真髄か」。幹部会で登壇した壮年も、かつて孤独の身のわびしさを、支部長に支えられた。「『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(御書1598ページ)。この生き方に本当の幸せがある。そう確信したんです」と壮年は言う▼人生の旅路を照らす哲学があり、苦楽を共にして歩む同志がいる。「ほんとうの幸福」を東北の友は教えてくれた。(恭)

寸鉄 2021年3月10日
会長の対話は人を結び付ける宗教本来の力示した—教授。我らも足元から
男子部と学生部が3・16から拡大期間。漲る情熱。広布のバトンは君の手に
世間に行じて能く衆生の闇を滅す」御書。今日も地域の友に励ましの光を
農山漁村女性の日。食を支え、命を守る農漁光部に感謝。皆様に福徳薫れ
睡眠は時間も質も大切。就寝前の携帯使用控える等の工夫を。健康は智慧

☆御書の旭光を 第13回 苦悩の壁を成長の飛躍台に
〈御文〉
『餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり』(曾谷入道殿御返事、1025ページ)

〈通解〉
餓鬼は恒河を火と見る。人は水と見る。天人は甘露と見る。水は一つのものであるが、果報にしたがって別々なのである。

〈池田先生が贈る指針〉
同じものも、境涯で見え方は一変する。その境涯を開いていけるのが信心だ。真と偽、正と邪を見極める。尊き友の陰の功労を見逃さない。地域・社会の課題を見通す。立正安国への祈りと行動の中で、法眼(菩薩の目)・仏眼が磨かれる。
苦悩の壁も人間革命の飛躍台と見定め、全てを価値創造の源泉に転じゆくのだ。

☆質問BOX 「絶対的幸福境涯」とは、どのような境涯なのでしょうか?
【回答】
戸田先生は、「絶対的幸福というのは、どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるのです」と教えられました。これに対して、環境や条件に左右されるのが「相対的幸福境涯」です。
例えば、自身のSNSで多くの人から共感が得られると、満足を感じます。しかし、一度、中傷を受けると一気に苦しみを感じてしまいます。
絶対的幸福は、このようにはかなかったり、他人と比較できるようなものではありません。何ものにも奪われない、壊されないものです。
外から与えられるものではなく、自他共の幸福を目指し、信心に励んでいく中で、自身の生命に絶対的幸福境涯を開いていくことができるのです。

☆みんなで学ぶ教学 第14回 六根清浄の功徳
◇わが生命を根源から輝かせる
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「六根清浄」の功徳がテーマです。信心に励んでいくことで、得られる功徳について学んでいきましょう。新入会のカツヤくんは、いつも通っている道で、ゴミを拾って清掃してくれている人を見掛けたようです。

ユタカ おや、カツヤくんじゃないか、キラキラした目をしてどうしたんだい?

カツヤ さっき、この道の清掃をしてくれている人の姿を見掛けたので、ありがたいなと思って感動していました。

ユタカ その人なら、ずっと以前からこの道や周辺を清掃してくれていたよ。気付かなかったのかい?

カツヤ え! 本当ですか? なんで今まで気が付かなかったんだろう……。

ユタカ 信心に励むようになって、カツヤくんの世界の見え方が変わったのかもしれないね。仏法で説く「六根清浄」の功徳を思い出したよ。

カツヤ 「六根清浄」ですか。初めて聞きました。どのような法理ですか。

ユタカ まず、「六根」とは、「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」のことで、見たり、聞いたり、心で思ったりする生命の働きのことなんだ。世界がどう見えて、どう思うか、ということともいえるね。

カツヤ なるほど。

ユタカ たとえば、"おなかがすいたなあ"と思って歩いていたら、飲食店にばかり目がいくよね。同じ景色、同じ香り、同じ味でも、感じ方は、その人の生命状態で変わるんだ。「六根」が清らかになっていくと、正しい認識・判断・行動ができるようになる。それが「六根清浄」なんだ。

カツヤ たしかに、おなかが減っていた時、気付いたら"どのラーメン屋さんに行こうか"とばかり考えていたことがあります。もしかして、「舌根」が清らかになれば、何を食べてもおいしく感じたり、びっくりするほど歌がうまくなったり……。

ユタカ 歌は練習しないとうまくはならないよ(笑)。
「六根清浄」が説かれる法華経の法師功徳品第19は、法師(仏法を行じ、弘める人)の功徳を明かしているんだ。今でいえば信心に励んでいる学会員が得る功徳のことだよ。
日蓮大聖人は「功徳とは六根清浄の果報なり」(御書762ページ)と教えられている。
つまり、信心に励む中で、自然と「六根」が清らかになり、日々の生活の中で感じることや、現実社会の見え方がより良く変わっていくんだ。

カツヤ もしかしたら、唱題に挑戦しているから、今まで気付けなかった清掃してくれている人に、意識が向くようになったのかもしれません。僕の見た目はあまり変わったようには見えないんですが……。

ユタカ 見た目の問題ではないよ。「六根清浄」は、境涯の変革を説いているんだ。
池田先生は「仏道修行の苦労に無駄はない。全てが、わが生命を根源から清らかに輝かせる光明となる。どんな苦難も悠々と乗り越える力が湧いてくる。大宇宙を闊歩できるような自在の大境涯が開かれてくる。これが『六根清浄』の功徳であり、『人間革命』の実証である」と語られているんだ。
自分の境涯が変わっていけば、同じような日常でも輝きが増していく。逆境に直面した時、それを楽しんで乗り越えていくべき使命と捉えられるんだ。広布に励む中で、"絶対的幸福境涯"を開いていくことができるんだよ。

カツヤ なんだか、学会活動に挑戦することがとても楽しみになってきました。今度、道をきれいにしてくれている人に感謝を伝えようと思います。

ユタカ 気付かなかった状態から、感謝しようと変わったことはすごい変化だね! 信心に励んでいくことで、人生はもっと豊かで、喜びにあふれたものとなっていくよ。それが「六根清浄」の功徳なんだよ。

2021年3月9日火曜日

2021.03.09 わが友に贈る

環境が変化する時こそ
祈りを根本に進もう!
一喜一憂することなく
不退の心を貫けば
必ず幸福の道が開ける。

乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』

【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。

名字の言 震災を経験した壮年に見えてきたもの 2021年3月9日
最大震度6強を観測した先月13日の地震が「東日本大震災の余震」と聞いて少し驚いた。福島県に住む壮年が語っていた。「『災害は忘れた頃にやって来る』と言いますが、今回は『忘れる前にやって来る』でした」▼間もなく東日本大震災から10年。冒頭の壮年は、原発事故で全町民に避難指示が出された富岡町から郡山市へ。3カ月の避難所生活、4年3カ月の仮設住宅暮らしを経て、復興住宅に落ち着いた。「この10年、たくさんの方に寄り添っていただきました」▼壮年は、震災を経験したからこそ見えてきたものがあるという。「笑顔の裏にはたくさんの苦労があり、人は笑顔という花を苦労の上に咲かせていける。その尊さを感じ取れる自分になりました。これからは人に寄り添える自分になります」▼試練に立ち向かう日々が、壮年を人生の深い次元へと進ませる。生きている限り、悩みや苦労は尽きないが、その苦しみや悲しみを乗り越えようとするから人間として成長する。他者と同苦する心ができていく。この繰り返しが境涯となるのだろう▼私たちは被災地を忘れることなく、励ましを送り続けたい。励ましで人は立ち上がり、立ち上がった人が他の人を励ましていく。励ましの連鎖が「冬は必ず春となる」力である。(川)

寸鉄 2021年3月9日
御書「十方の諸天此れをしり給うべし」。広布貢献の人生に福徳の光は燦然
中国方面の「女性の日」。日々、新生の決意で前進。希望の"門"開く語らいを
青年の一番の財産は信頼—恩師。有言実行の人たれ!喜び勇み苦難に挑め
サイバー攻撃が最多と。見知らぬ送り手の添付に注意。不用意に開けるな
備えていた事しか役立たなかった—東日本大震災の教訓。各人が日頃から

☆御書の旭光を 第12回 黄金柱の祈りを強く!
〈御文〉
『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(四条金吾殿御返事、1170ページ)

〈通解〉
真実に、あらゆる人々の色心の留難をとどめる秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである。

〈池田先生が贈る指針〉
壮年部の先達・負けじ魂の四条金吾への仰せである。柱は倒れるわけにいかない。人生と社会のいかなる苦難にも揺るがぬ力が、妙法である。 
誓願の題目こそ、変毒為薬の秘術なのだ。策でも方法でもない。惑わず「法華経の兵法」で戦い抜くのだ。
黄金柱の強き祈りで、一家を同志を地域を断固と護り抜いてくれ給え!

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 東海道教育部長 小野信行
【プロフィル】おの・のぶゆき 神奈川県の公立小学校で教頭職を務め、定年退職。現在、再任用教員として勤務。65歳。1958年(昭和33年)入会。神奈川県小田原市在住。総県総合長。

◇私の教育実践 共に学び、共に育つ
2010年10月に神奈川で開催された創価学会教育本部のシンポジウムで、教育部員による3000事例の教育実践記録を分析した結果として、教師や大人に望まれる子どもへの「五つの関わり」が示されました。それは、�「信じぬく」�「ありのまま受け容れる」�「励まし続ける」�「どこまでも支える」�「心をつなぐ」です。
教育現場での日々の奮闘や挑戦をつづった教育実践記録。そこには、子どもたちの可能性を信じ、励まし抜き、一人一人と心がつながることで、子どもたちが大きく成長する姿をつづった感動のドラマが無数にあります。
私自身、これまで40年以上にわたって教壇に立ってきた日々は、池田先生が示された教育思想を体現しようと努める中で、「子どもたちには、これほどの可能性があるのか」と驚かされることの連続でした。

◇クラスの違和感
教員生活にも慣れて10年ほど過ぎた頃、5年生で担任を務めた学級を継続して受け持つことに。6年生の新学期がスタートして少したった時、クラスの変化に気付きました。
それまで大きなトラブルもなく、楽しく学校生活を送ってきたクラスでしたが、なんだか子どもたちの関係がギスギスし始め、皆の表情からも明るさが消えていたのです。
"クラスの中で、何か問題が起きているのかもしれない"
私は、子どもたち一人一人と話す時間をつくり、原因を聞き出そうとしました。
当初は萎縮していた子どもたちも、粘り強く話し掛けていくうちに、ようやく思いを打ち明けてくれました。すると、「最初、先生は面白かったけど、今はつまらない」「○○君の話はよく聞くのに、僕の話は聞いてくれない」など、予想もしていなかった言葉が出てきたのです。
"全ての原因は、自分自身にあったんだ"と猛省しました。教員生活に慣れたことで、いつしか惰性に陥り、子どもたち一人一人に真剣に向き合えていなかったのです。
"子どもたちの幸せを、もう一度、真剣に祈ろう"——そう決意した私は、あらゆることにアンテナを張りながら、一人一人が持つ可能性を信じ、どこまでも励まし抜くことを心掛けました。
皆と心を通わせる努力を続ける中、次第に子どもたちの表情も明るくなっていきました。やがて半年がたった頃、以前のような思いやりのあふれる楽しいクラスへと変わり、全員が笑顔で卒業式を迎えることができたのです。
池田先生が示した「教師こそ最大の教育環境なり」との教育理念が、この時ほど身に染みたことはありません。
子どもが成長できるかどうかは、教育者の一念で決まります。さらには、家庭や地域など、子どもたちを取り巻く全ての環境を、その子の教育のために"最善の環境"にしていくことで、若芽はグングンと伸びていくのだと確信します。
日蓮大聖人は、法華経に説かれる「宝塔」の意味について、弟子である阿仏房に問われ、「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(御書1304ページ)と仰せです。一人一人の生命は、光り輝く宝塔のように尊貴で、計り知れない可能性を秘めているのだと教えられています。
大切な宝の子どもたちを育み、可能性を開花させゆくという教育の使命の重みを、かみ締めずにはいられません。

◇桜梅桃李の使命
現在、私は特別支援教育に携わっています。障がいのある子どもたちと一緒に生活する中で実感するのが、「教育は『共育』である」ということです。
"どうしたら学ぶ喜びや楽しさを分かち合えるのか"と学習方法を工夫し、子どもたちの反応を見ながら試行錯誤を重ねる毎日です。学んでいる時の子どもたちの笑顔や、たとえ小さな一歩でも成長した姿を見る時、教師として、これほどうれしいことはありません。
池田先生は、「教師自身が成長すれば、子どもたちも必ず成長します。また、教師自身が成長するためには、子どもたちの成長に学ぶことです。教育は『共育』——教師も生徒も共に育って、成長していくことなのです」と語っています。
教師自身が成長しようと努力する姿勢は、子どもたちにも、"善き成長"への触発を与えていけるのです。
また、仏法には、一人一人がありのままの姿で、最高に輝いていく生き方を教えた「桜梅桃李」という言葉があります。
桜も梅も桃も李も、花が咲く時期や花の形、見た目や香りなど、同じではありません。しかし、それぞれが時を待ち、必ず、趣のある素晴らしい特性・個性を開花させます。
同じように、子どもたちの個性は皆、異なります。成長のスピードも人それぞれです。ですが、その一人一人に、「その子」でしか果たせない、かけがえのない使命が絶対にあります。
だからこそ、関わる側は、「その子らしさ」を尊重しながら、「花開く時」を信じ抜き、励まし続けていく「忍耐力」が大切なのだと思います。
私自身、どんな困難な状況であっても、希望を失わずに前を向くという自らの生き方で、大切な子どもたちを励まし抜けるよう、挑戦を重ねていく決意です。

[視点]配慮と励まし
日蓮大聖人は、人にものを教える意義について、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり」(御書1574ページ)と仰せです。
たとえ車が重くても、油を差せば滑らかに前進することができます。同様に、相手を無理に動かすのではなく、相手が自分の力で前へ進めるよう、心を砕くことが、私たちの「励まし」の本義でしょう。
人の悩みは千差万別です。その一人一人に寄り添い、深く理解して、"この人が活躍するためには、どうすればいいか"と考え抜く慈悲の心から、知恵も生まれます。
教育本部の友は、仏法の慈悲の理念を胸に、こうしたこまやかな配慮と励ましの実践を日々、教育の最前線で積み重ねています。

2021年3月8日月曜日

2021.03.08 わが友に贈る

◇今週のことば
「苦をば苦とさとり
楽をば楽とひらき」
地涌の旗頭の東北家族と
変毒為薬の前進を!
福光勝利の建設を!
2021年3月8日

佐渡御書 P960
『此八種は尽未来際が間一づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり譬ば民の郷郡なんどにあるにはいかなる利銭を地頭等におほせたれどもいたくせめず年年にのべゆく其所を出る時に競起が如し』

【通解】
この八種の大難は、未来永遠の間に渡って、一つずつ現れるはずだったものを、日蓮が強く法華経の敵を責めたことによって、一時に集まって起こったものであります。例えてみると、地頭の郷や郡の中に、領民が住んでいる間は、地頭等にどれほどの借金をしていたとしても、厳しく取り立てられずに、次の年・次の年へと、支払いを延長してもらえます。けれども、領民が地頭の郷や郡の土地を出る時には、借金の完済を厳しく迫られるようなものです。

■第2回本部幹部会配信スタート SOKAnetでも視聴可能■
第2回本部幹部会の全国配信が、3月6日から始まる。新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、従来の会館や個人会場(配信の会場と時間は各県・区で決定)に加え、「モバイルSTB」でも視聴可能となる(インターネットを通してダウンロードが必要)。
創価学会公式ホームページ「SOKAnet https://www.sokanet.jp/recommend/honkan202103/」でも視聴できる。SOKAnetでの配信期間は、3月6日午後4時から14日(日)まで。
※スマートフォンやタブレットを利用する際は、ご契約の通信プランによって、別途、通信料金がかかる場合があります。また、視聴ページのあるYouTubeには、本部幹部会とは関係のない動画が表示されることもあります。ご注意ください。

名字の言 3人の子を育てた壮年が決めたこと 2021年3月8日
「地に低く幸せありと福寿草」(保坂伸秋)。早春の花のうち、多くは黄色い花といわれる。その筆頭が福寿草。白雪の大地から真っ先に顔を出すことから、"春を告げる花"として知られる▼まだ寒さが残る時期に花を咲かせるため、花粉を運ぶ昆虫が少ない。そこで、福寿草は太陽に花を向ける。花びらは太陽光を反射しやすい形をしており、花の中央部の温度は気温よりも高くなる。それが、虫たちを引き寄せる▼岡山の壮年は35歳の時、妻が早世。幼い3人の子どもが残され、仕事と育児に追われる日々が続いた。御本尊に祈る中、かつて学んだ池田先生の言葉を思い返した。「『笑い』こそは、不屈なる『心の勝者』の証しである」▼壮年は「子どもには笑顔を見せよう。それが自分の戦い」と決めた。危なっかしい手つきで包丁を握り、にわか料理を並べた。食卓にいつも子どもたちの笑い声が響いた。あれから30数星霜——「尊敬する父のようになりたい」と3人は、広布のリーダーに育った▼御書に「冬は必ず春となる」(1253ページ)と。季節の春は必ず巡り来る。だが、「人生の春」は、座して待っていてはやって来ない。試練の「冬」に負けず、前に進み続ける「不撓の心」が、「冬」を「春」に変えることができる。(子)

寸鉄 2021年3月8日
東北が総会。同志との絆固く試練に挑んだ10年。不屈の魂こそ創価の模範
芸術部の日。混迷の時に希望と喜びを送る文化の旗手。健康と活躍を祈る
「信心第一なら、何があっても慌てる必要はない」恩師。今日も題目根本に
国際女性デー。励ましの心広げる婦人部・女子部。使命の人生に福徳は必ず
中小企業向け一時給付金の申請開始。公明よ支援の手を次々と。雇用守れ

〈社説〉 2021・3・8 きょう「芸術部の日」
◇誰もが人生のアーティスト
芸術には力がある。時に、一曲の歌が希望の明かりになり、一枚の絵が心に勇気を湧かせてくれる。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、厳しい状況に直面する今だからこそ、豊かな芸術に触れる機会を提供したい。そうした思いから、本紙では動画企画「SEIKYO STUDIO」をスタートし、動画配信サイトYouTube上の聖教新聞公式チャンネルで、多彩なアーティストの動画を公開している。
同企画には、歌手・女優の島田歌穂さん、ピアニストで作・編曲家の島健さんらが登場し、希望の歌を送っている。
動画には「すてきな歌声に胸が熱くなりました」「優しく、温かい気持ちが湧いてきました」など、多くの反響が寄せられている。これからも、苦しい時、悩んだ時にこそ心に響く、芸術の力を届けていきたい。
きょう8日は「芸術部の日」。かつて池田先生は、芸術部の友へ贈った長編詩でつづった。「芸術は 苦悩に沈む人々を 喜びに変え 孤独に悩む人々を 安穏に変え 戦い疲れた人々に 楽しみを与える。 優しく そして力強き 人間の奥義の舞である」
ジャズピアニストとして活躍する、ある芸術部員は、昨年、コロナ禍の中で、コンサートの中止が相次いだ。それでも「できる音楽の形があるはず」と、オンラインでのレッスンや演奏動画の配信に取り組んだ。それは、苦悩の中から喜びを生み出す挑戦でもあったという。不測の試練が続き、混迷を深める時代だからこそ、こうした変化への応戦、価値創造の知恵が求められるだろう。
それは、芸術家だけに限った話ではない。ドイツの現代アーティストであるヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」という概念を提唱した。全ての人は自らの創造性によって社会を彫刻しうる、つまり、あらゆる人が未来に向けて社会の幸福に寄与できると訴えたのだ。
そう考えれば、誰もが未来をつくりゆく"アーティスト"の一人である。さらに、学会活動に励む私たちの日々は、自分らしい人生を描いていく一日一日とも言える。その意味でも、私たち一人一人は、信心で心を磨き、人生の年輪を重ねていく"芸術家"なのである。
池田先生はつづっている。
「人生は 人それぞれが 芸術を現じている」「芸術は 人間の支えだ。 人間が人間として 最高に発揮される 知情意の血脈である。 芸術は 人間性の究極の昇華だ」
きょうも"アーティスト"の一人として、自らの人生と未来の社会を築きゆく、充実した一日を送りたい。

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第2回「文京支部長代理」 誰人も使命あることを知らしめよ
【文京支部の勝利の要諦】
一、「祈り」を根本とする団結
一、一人一人が主体者の自覚を
一、人材育成
(「随筆 我らの勝利の大道」<本陣・大東京の躍進へ師子奮迅>から)

◇「団結」が境涯を広げる
「世界は、激しく動く。未だ、学会は、世界にとって、塵の如き存在かも知れぬ」。1953年(昭和28年)4月7日、25歳の池田先生は、日記につづっている。前年の末、学会は2万2000世帯だった。
「而し」——日記の続きには、池田青年の強い決意がとどめられた。「十年、二十年、否、三十年後を見よ。必ずや大聖人の大生命哲学が、輝き渡ることであろう」。その約2週間後の4月20日、池田先生は文京支部長代理に就任する。年頭には、男子部の第1部隊長の任も受けていた。多忙に多忙を極めたが、恩師に応えんとする青年のほとばしる情熱は低迷する文京支部を一変させていった。
「こんばんは、おじゃまします」
53年(同28年)4月25日夜、文京区内で行われた文京支部の班長会。支部長代理に就いたばかりの池田先生は、参加者と題目三唱を。ところが、声がそろわず、何度もやり直す。ようやく、皆の三唱がそろった後、先生は訴えた。
「全員の呼吸が、ぴったりと合ったら、皆さんの力は、ただ合計しただけの力では終わりません。予想もしなかったような、大きな力が発揮できるのです」
支部をいかに団結させるか——それが、先生にとっての大きな挑戦だった。
「互いに心がバラバラでは、皆の力も結果も出ない。『団結』とは、個性を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かって心を合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。ゆえに、異体同心の信心のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ」
先生は、組織のリーダー同士の綿密な連携を重んじた。「種々、今後の打ち合わせを、支部長と練る」(『若き日の日記』、1953年11月4日)。中心者を支え、一人一人と心を通わせながら、麗しい"文京家族"の団結を築いていった。

【「若き日の日記」1954年(昭和29年)7月19日から】
良き師——、良き先輩、良き友、
良き隣人を大事にせよ。
大切にせよ。尊敬せよ。

◇中心者が"聞き上手"に
「座談会」は、文京支部の"団結の要"だった。池田先生は、そのポイントについて、折々に文京の友に語っている。
�参加者が来てよかったと思う座談会
�時代感覚を捉えた斬新な企画
�中心者の話が一方通行にならないこと、などである。
特に強調したのは、座談会の中心者が"聞き上手"になること。
「中心者がわからせよう、わからせようと話して、一方通行になってはいけない。聞き上手になりなさい」
「家庭のこと、経済のこと、なんでも聞いてあげなさい。そのなかから人と人とのつながりができて組織はよくなる」
この言葉の通り、座談会や懇談の場で、友の悩みに耳を傾け、寄り添い、励ましを送ったのが池田先生であった。
会合には参加するものの、いつも黙っている未入会の青年がいた。誰が話しても入会はしなかった。その青年を、先生は温かく包み込んだ。「世界のなかで、なぜ君一人だけが、望んで不幸になろうとしているのですか。今日は幸せになろうと思って来られたんでしょう。心配しないで、私についていらっしゃい」。"心の扉"を開いた青年は、ほどなく入会した。
口ベタを自認する保土ケ谷地区の班長には、こう励ました。「使命のない人は一人もいません。桜梅桃李ですよ。どんなに弁が立とうが、才があろうが、大切なのは心です」
友の「心」を動かすには、「心」を尽くすしかない。池田先生の言葉には、真心があふれていた。その根底にあったのは、単なる優しさではない。一人一人が必ず仏の生命を持ち、使命の人であるとの確信である。
文京の会合に出席した日、支部の気を付けるべき点を日記につづっている——。「地涌の菩薩として、誰人も使命あることを、知らしめること」(同、1954年7月25日)
文京支部長代理の戦いは、関わった全員の「地涌の菩薩」としての使命を呼び覚ます戦いだった。

◇同志はわが身と等しい
文京支部の合言葉は「前進!」。"心のギア"をかみ合わせ、破竹の勢いで前進を続けた。池田支部長代理は、同志と共に笑い、共に悲しみ、苦楽を分かち合った。
「文京支部の同志と、九時まで歌い、激励し、張り切って家に帰る」(同、1954年6月27日)
「文京の友が、栄えることの歓び。——文京の友の悲しみは、身を切られる思いなり」(同、同年7月2日)
先生にとって、同志は"他人"ではなかった。"家族"であり、"わが身"と等しい存在だった。
1カ月の折伏が100世帯に満たなかった文京支部は、池田先生が目標としていた200世帯を超える拡大を成し遂げ、支部長代理の就任から8カ月後には、400世帯を突破するに至った。
戸田先生はうれしそうに語った。
「大作、すごいじゃないか。文京は大発展した。すごい力になった」
池田先生が支部長代理に就いた時、約700世帯だった文京支部は、後に「日本一」の拡大を達成し、先生が第3代会長に就任する頃には、約7万世帯という「100倍」の陣容に大発展したのである。
1960年(昭和35年)4月、第三代会長就任を前に、文京支部の同志に言った。
「さあ、日本中、そして世界へ、いよいよ新たな前進また前進だ! 一生涯、一緒に戦い勝とう!」
「三十年後を見よ」「大聖人の大生命哲学が、輝き渡る」——あの日の池田青年の誓いは現実のものとなった。
池田先生は「文京精神」について語る。
「社会は、休むことなく常に動いていくものだ。人の心もまた同じである。目先にとらわれた信心であってはならない」
「時代がどうあれ、人々がどうあれ、過去の功績がどうあれ、常に自分自身を律しながら、一生成仏への峻厳な信心をもち、常に前進していかなければならない。これが文京精神である」