2020年12月26日土曜日

2020.12.27 わが友に贈る

親子の時間を大切に。
夢や抱負を語り合うなど
宝の思い出をつくろう。
絆を強める冬休みから
信心継承のドラマを!

一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』

【通解】
この旨を深く信じて、「妙法蓮華経」と唱えれば、一生成仏は、更に疑いがありません。 故に、経文(神力品)には、「我が滅度の後に於いて、まさに、この経を受持するべきである。この人は、仏道に於いて、決定して成仏することは疑いない。」 と、お述べになられています。ゆめゆめ、不審を抱いてはなりません。

名字の言 おおいぬ座の1等星「シリウス」の語源 2020年12月26日
"太陽の次に明るい恒星"をこの季節、南の夜空に見ることができる。おおいぬ座の1等星「シリウス」だ▼語源はギリシャ語の「セイリオス」で「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」の意味という。夜の街の明るさを得た代償に、星空の輝きを失った現代の都会からも、十分に堪能できる。まして、いにしえの人々が闇夜に見たシリウスの輝きは、畏敬の念さえ抱かせるものだったろう▼ブラジルの天文学者モウラン博士が子どもの頃に見つけた最初の星も、シリウスだった。池田先生との対談で「好きな星」として挙げ、こう語った。「私の夢は、絶望や闇から立ち上がる人間の魂や精神が、空で最も明るく輝くシリウスのように、最も強く輝いてほしいということです」▼苦悩の底にいるとき、人はその悩みにとらわれ、下ばかり向きがちになるもの。そんな時に見上げる星空は、生命の尊厳に、生きていることそれ自体の素晴らしさに、目を見開かせてくれるに違いない。視座の転換である▼御書に「所詮・万法は己心に収まりて」「日月・衆星も己心にあり」(1473ページ)と。我らは生命の中に、壮大なる宇宙を抱いている。コロナ禍の中で苦闘した一年も間もなく終わる。朗々たる唱題で、わが生命を輝かせ、新しき一年へ進もう。(之)

寸鉄 2020年12月26日
「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」御書。皆の持ち味引き出す励ましを
燃え上がる信心でなければ祈りは叶わない—戸田先生。誓願の題目で前進
感染対策の急所は飲食—専門家。少人数、短時間、会話の時はマスクを徹底
信頼する組織・機関は日米で「病院」が1位—調査奮闘の医療従事者に感謝
餅を喉に詰まらせる事故に注意を。小さく切る、先に喉を潤す等の工夫励行

☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第2回 「分断」を乗り越える
◇30年後には、ベルリンの壁は取り払われているだろう
雨のベルリンを、池田先生を乗せた車が走っていた。1961年(昭和36年)10月8日、欧州初訪問の折のことである。
その2カ月前から、街を分断する「壁」が作られ始めていた。「冷戦」の渦中である。ベルリンは東西両陣営の思惑がぶつかり合う象徴だった。
先生が訪問する3日前には、亡命を決行した4人が銃撃され、命を落とした。いつ、どこから銃弾が飛んでくるか分からない——そんな危険な状況の中でのベルリン訪問だった。
ブランデンブルク門の近くに到着すると、先生は車から降りた。周囲にはイギリス軍の装甲車が走り、西ドイツの警察官が目を光らせていた。
先生は再び乗車し、「ベルリンの壁」に沿って移動した。弾痕が残る街角の柱、東ベルリンの方に向かって手を振る人の姿……。運転手も、東ベルリンに住む叔母と突然、会えなくなっていた。
「俺たちが望んだことじゃない」。そうこぼすと、運転手は肩を落とした。目に浮かんだ涙が、自由を奪われ、家族や同胞が引き裂かれる悲惨を物語っていた。
先生はもう一度、ブランデンブルク門の近くに立った。いつしか雨はやみ、空は美しい夕焼けに染まっていた。
先生一行が空を眺めていると、運転手は笑顔で語った。
——私たちは、こんな時には「空から天使が降りてきた」って言うんですよ。
夕焼けには、「西」も「東」もなかった。門を仰ぎながら、先生は同行の友に強い口調で訴えた。
「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう」
その言葉は、単なる未来予測などではなかった。必ずそうしてみせる、との決意の表明である。
先生は門の方に向かって、深い祈りをささげた。ベルリンの夕焼けに、先生の唱題の声が響いた。

◇私の心には「西」も「東」もない
池田先生のベルリン訪問から1年余が経過した1963年1月、ドイツに初の支部が結成された。結成大会の1月12日、先生はアメリカから伝言を贈った。
「支部名はドイツ支部にしたい。私の心には西ドイツも、東ドイツもありません。あのベルリンの壁をなくして、平和を建設していくことが皆さんの使命です」
 
ベルリンで仏法の実践が広がり始めたのは、70年代に入ってから。当時の座談会会場の一つが、ミルトン・アイロンスさんが経営するダンススタジオである。
アメリカ出身のミルトンさんは、先輩から「ベルリンの折伏の王になろう」と励ましを受け、対話に駆けるようになる。
ミルトンさんの紹介で入会した一人が、アンドレアス・ドイマーさん。祖父は、ブランデンブルク門から車で10分ほどの場所にある菓子工場を経営していた。
第2次世界大戦でドイツが降伏した後、ベルリンが東西に分割されると、工場の土地は東ベルリン側に入った。直後、祖父がチェコの収容所へ連行された。
祖父は解放された1週間後に急死。祖母は子どもたちを連れて、「壁」が建設される前の西ベルリンへ移り住んだ。
「壁」に囲まれた生活は、アンドレアスさんの心に暗い影を落とした。大学進学後も、気持ちは晴れなかった。そんな時、ミルトンさんに誘われ、座談会に参加。仏法の「桜梅桃李」「煩悩即菩提」などの法理に心から感銘し、信心を始めた。
家族も自分も、東西の分断で地獄を味わわされた。だからこそ、悲劇の街を、平和の楽土にしたい——人一倍強い思いで、アンドレアスさんは、ドイツ広布に走った。

カントやヘーゲル、ショーペンハウアーなど、ドイツは世界に名だたる哲学者を多く輩出している「哲学の国」である。
マティアス・グレーニンガーさんは、ベルリンの座談会で聞いた話が忘れられない。
——目の前に二つのドアがあるとしよう。一つ目のドアには「幸福」、二つ目のドアには「どうしたら幸福になれるのか」と書いてある。ドイツ人の多くは、二つ目を選ぶ。でも、幸福になる理論を知っていても、幸福になれるわけではない。
マティアスさんにとって、ベルリンは「大きな刑務所」のようだった。そこから逃れるように、フランスの大学へ留学。その時、仏法に巡り合った。
御本尊を受持してから3年後、マティアスさんに宿業の嵐が襲い掛かってきた。原因不明の神経衰弱で入院したのである。
医師から「一生、入退院を繰り返すだろう」と宣告された。だが、懸命に祈り続け、2カ月ほどで病を克服。信心の力を実感した。
84年、ベルリン支部の支部長の任命を受ける。翌年には弁護士資格を取得。ベルリンを東西融合の"平和の象徴"にする使命に燃え、友の激励に奔走した。

冷戦時代、先生は東ドイツの要人との会見に臨み、ソ連(当時)を訪問するなど、「東側」とも語らいを重ねた。それは、ドイツのメンバーの大きな希望となった。
——師は「壁」の向こう側で、「壁」を破る戦いをしている。
——私たちは、ドイツの中から「壁」を破る戦いをしよう。
先生の平和行動に呼応して、友は目の前の一人と心の絆を結び、人間主義の連帯を築いていった。
ドイツ広布の流れが水かさを増す中、想像しなかったことが起こる。89年11月9日、東ドイツが即日、自由出国を認めると発表した。翌日から出国ビザの申請を認めるという内容を、広報担当者が間違えたのである。
市民が西ベルリンになだれ込んだ。さらに、「ベルリンの壁」が打ち壊されていった。28年もの間、人間と人間を切り裂いていた「壁」は、瞬く間になくなった。

82年、先生のもとに、西ベルリンのヴァイツゼッカー市長から、招へいの手紙が届いた。
市長は、「壁」を「人間性を拒否する政治が石となった」ものと見ていた。「壁」の崩壊は、「人間性の勝利」にほかならなかった。先生もまた、その要因を「権力の魔性に対する人間性の勝利」と洞察した。
二人の会見が実現したのは、91年6月12日。東西のドイツが統一されて、8カ月後のことである。市長は、統一ドイツの初代大統領に就任していた。
先生は会見の焦点を決めていた。「次は『心の壁』を、どう壊すか」である。戦後45年の間、東西に分断されてきた人々が、果たして融和できるのか。ドイツの歩みは、「冷戦後の世界」を占う試金石でもあった。
当時、資本主義の西は優れ、社会主義の東は劣っているといわれた。先生は「むしろ、私がお聞きしたいのは、東のほうが西よりも優れている点は何かということです」と尋ねた。
大統領は即答した。
「大切なのは、互いに尊敬し合って、見つめ合うことです。相手を見下すことは許されません」
さらに、旧東ドイツの人々は、専制的な政治体制であったために、民衆の連帯の力が強いことを指摘し、「そうした連帯は西が必要としているものです」と語った。大統領の言葉に、先生は大きくうなずいた。
「ベルリンの壁」の崩壊から3年が過ぎた92年、旧東ドイツの地域で、初めての広布の集いが開催された。
社会主義の現実を目の当たりにしてきた旧東ドイツの人々は、"組織"に対する強烈な不信感があった。既存の社会に失望し、言葉ではなく事実をもって、幸福になる道を求めていた。メンバーは、自身の振る舞いを通して、仏法の哲理を広げていった。
2001年5月3日、旧東ドイツで初の支部となる「チュザンザ支部」が結成された。そして18年、同支部は「チュザンザ本部」へと発展。日本の九州と四国を合わせた面積と、ほぼ同じという広大な地域で、友は喜々として信心に励んでいる。
「次は『心の壁』を、どう壊すか」——ドイツと欧州のメンバーの挑戦は、人類史に燦然と輝く、崇高な歴史となるに違いない。

【引用・参考文献】池田大作著『新・人間革命』第4巻・第5巻・第7巻、同著『私の世界交友録』読売新聞社(『池田大作全集第122巻』所収)、『民衆こそ王者——池田大作とその時代』第11巻(潮出版社)、クリストファー・ヒルトン著『ベルリンの壁の物語』鈴木主税訳(原書房)、加藤常昭著『ヴァイツゼッカー』(清水書院)