慌ただしい年の瀬は
事故・犯罪・火災などが
多くなる時期だ。
張りのある唱題を根本に
百千万億倍の用心を!
立正安国論 P17
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず』
【通解】
世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
名字の言 12代目市川團十郎さんの助言 2020年12月24日
歌舞伎の12代目市川團十郎さんは厳愛をもって人を育てる人だった。長男の11代目市川海老蔵さんがテレビドラマに主演して人気を博していた時、こう助言した。「自惚れというのは足音がしないんだ」(関容子著『海老蔵そして團十郎』)▼誰しも自分のことは見えにくい。知らず知らず、現状に安住してしまう。しかし大成するためには、今の自分に満足せず徹底して精進せよ——團十郎さんはそう伝えたかったのだろう▼実業家として年商数十億円にまで事業を発展させた壮年が語っていた。「人生は登山のよう。一つの山を登り、より高い山を目指すのなら、いったん今の山を下りなければいけない。その勇気を持てるかどうかが勝負です」▼激動の社会。自分だけの知識や経験では通じない。壮年は壁にぶつかるたびにプライドを捨て、それまでの常識を捨てたという。社員を尊び、一人一人から学び、皆の力を引き出すことに徹した。そうやって団結を築き、難局を乗り越えてきた。「強い職場に進化した時、一番進化していたのは自分でした」と▼培った知識や経験は大切なもの。だが、それだけに頼ると停滞を招きかねない。謙虚に自分を見つめる勇気を持ちたい。そして自らを刷新する挑戦を開始しよう。さらなる人生の高みを目指して。
寸鉄 2020年12月24日
「なにの兵法よりも法華経の兵法」御書。祈り強き闘士に尽きせぬ希望あり
AI時代、相手と心結び合う人間性が価値を増す—識者。学会活動で錬磨
電子化推進は人材の確保が鍵と。人を見つけ育てる—何事も急所はそこに
「脱炭素」には国・企業・家庭の変革が不可欠と。一体となって共生世紀へ
ネット中傷の摘発増加。安易な投稿が大きな後悔に。"言葉の暴力"を根絶
〈社説〉 2020・12・24 賢明な行動で明年へ出発
◇体調管理には十分な予防策を
本年も残り1週間となった。年末年始は全国的に厳しい寒さが予想されており、大雪にも留意が必要だ。一日の寒暖差が激しい日も多く、体調を崩しやすくなる時期でもある。健康管理には十分に注意を払いたい。
特に気を付けたいのは、全国で感染が拡大している新型コロナウイルスだ。ウイルスは口や鼻、眼などの粘膜に付着して入り込み増えていく。風邪や例年流行する季節性インフルエンザ対策と同様、まず自分が感染しないよう、十分な予防策を講じていきたい。感染防止の三つの基本として、「身体的距離の確保」「マスクの着用」「手洗い」を励行していこう。
流水とせっけんでの手洗いは、ウイルスの感染力を失わせることができ、非常に効果的だ。手や指に付着しているウイルスの数は、流水による15秒の手洗いだけで100分の1に、せっけんやハンドソープで10秒洗い、流水で15秒すすぐと1万分の1に減らせるという。外出先からの帰宅時や調理の前後、食事前など、小まめに行っていきたい。
またマスクの着用は、飛沫感染防止に推奨されている。理化学研究所のスーパーコンピューター「富岳」を使った解析によると、マスクをしていれば、していない場合に比べて入ってくる飛沫の数を3分の1に減らせることが分かった。「マスクから鼻が出ている人がいるが、自分を守るためには鼻もきちんと覆ったほうがいい」と研究者は勧めている。また、感染経路の分かっている新規感染者のうち、家庭内感染とみられる事例が目立っているという。部屋にいるときはよく換気することが大切だ。具体的に、窓を使った換気は風の流れができるよう2方向の窓を、1時間に2回以上、数分間程度全開にする。室内温度が大きく下がらないように注意しながら、定期的に行いたい。
今、再確認したいことは、少しでも体の不調を感じたならば、絶対に放置しないということだ。無理せず、早めに帰宅して休む、また早期に医療機関に電話で相談することも躊躇してはならない。
規則正しい生活で、体調を万全にするためにも、朝晩の勤行・唱題を根本に、一日一日を生き生きと送っていきたい。池田先生は語っている。「健康を維持するためには、平凡なようであっても、細かい点に注意することである。生活の基本を大事にすることである」「ちょっとした心掛けで、かけがえのない命を守れる場合が多々ある」
慌ただしい年末ではあるが、健康第一で体調管理の基本に徹し、賢明な行動で明「希望・勝利の年」を晴れやかに迎えていきたい。
☆心に御書を 第96回 「無冠の友」の功労に感謝
〈御文〉
『山河わづらひあり、たとひ心ざしありとも・あらはしがたきに・いまいろをあらわさせ給うにしりぬ、をぼろげならぬ事なり』(九郎太郎殿御返事、1554ページ)
〈通解〉
山河を越えるには苦労が多い。たとえ志はあっても、行為に表すことは難しい。しかしながら、今、あなたが志を表されたのを見ても、その信心が並々でないことが分かる。
〈池田先生が贈る指針〉
冬将軍にも負けない「無冠の友」の勇気こそ、広布前進の原動力なり。厳寒の早朝から凜然たる功労に「冥の照覧」は絶対である。
不安の時代だからこそ「正しき言論」と「希望の励まし」を届けゆく使命は、いやまして光る。
誉れの友よ、どうか、健康第一・絶対無事故で、今日も福徳の道、栄光の道、勝利の道を!
☆「わが愛する青年に贈る」に学ぶ 第4回 負けじ魂〈下〉 何度でも立ち上がる勝者たれ! 林女子学生部長
◇池田先生の指導
私たちは、久遠の使命を持って、
勝つために生まれてきたのです。
ゆえに、勝利の実証は
絶対に間違いないのです。
1 誓願に生きる道に幸福が
困難と無縁な人生はありません。困難に直面し、弱気になってしまいそうな時こそ、「負けじ魂」を発揮する時です。
では、私たちはどうすれば「負けじ魂」を発揮できるでしょうか——。池田先生は誓願の観点から教えてくださっています。
【御文】
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん(中略)種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(開目抄、御書232ページ1行目〜6行目)
【現代語訳】
結論として言えば、諸天善神も私を捨てるがよい。さまざまな難にもあおう。身命をなげうつ覚悟である。(中略)さまざまな大難が起きても、智者によって私の教えが破られない限り、(誘惑や脅迫などに)従わないというものである。そのほかの大難は風の前の塵なのである。「私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」と誓った願いは、決して破ることはない。
■ 池田先生の講義
「負けじ魂」にとって不可欠な姿勢は、「誓いを忘れない」「誓いを破らない」ということです。
誓いを貫き、何があっても、何度でも挑戦し続ける。これが「負けじ魂」です。誓願の魂こそ、日蓮仏法に脈打つ「負けじ魂」の第二の要諦なのです。
「開目抄」のこの御文で、大聖人は自らの覚悟の生き方を通して、門下の生命に巣くう迷いを打ち破っています。
——末法万年尽未来際の広宣流布という「誓願」のゆえならば、諸天善神が私を見捨ててもかまわない。いくら難に遭おうがかまわない。我が命をなげうつ覚悟は、もとよりできている——この「不退の心」こそが、法華経の行者の真髄であり、「負けじ魂」です。
—◆—
この「開目抄」の御文は、女子学生部にとって大切な一節です。
1975年(昭和50年)9月9日、対話拡大に前進する中で開催した女子学生部の会合に、池田先生が急きょ出席されました。そして、第3代会長就任の際に深く心に刻んだこの御文を通し、激励してくださったのです。
「妙法は宇宙の根本法則です。それを曼荼羅として御図顕されたのが御本尊です。その御本尊を信じ切っていくなかに、永遠の幸福の大道がある。(中略)学会の後継者として、生涯、広宣流布の大願に生き抜いていただきたい」
「皆さんは、いかなる試練があったとしても、目先のことに一喜一憂するのではなく、もっと長い尺度で物事を見ながら、信念の人生を歩み抜いていただきたいのであります」
女子学生部の永遠の原点となったこの師弟の語らいが、「部の日」の淵源となり、本年9月に45周年の佳節を迎えました。
先生が、日蓮大聖人の大誓願が示されたこの一節を、あえて女子学生部に贈ってくださったのは、さまざまな縁に触れ、心が揺れ動きやすい青春時代であるからこそ、不退の心で広宣流布の誓願に生きる中に本当の幸福があることを教えてくださったのだと感じます。
私たちは、かけがえのない女子学生部時代に、不退の「負けじ魂」の生き方を身に付けたいと思います。
2 「誓い」は今いる場所から
「誓い」という言葉は、ともすれば特別なことのように感じるかもしれません。しかしそれは、私たちの生き方と一体のものであると先生は語られています。
■ 池田先生の講義
「ちかいし願やぶるべからず」とは、ひとたび誓った願いは、断じて破ることはないとの御断言です。私たちは、この仏の誓いに連なり、不退転で生き抜く時、仏の生命と一体となるのです。無敵の勇気、無限の智慧、無窮の慈悲、無辺の力が発揮できるのです。
—◆—
昨年の11月18日「創価学会創立記念日」に入会した大学1年生のあるメンバーは、入会前、医学部の受験に挑戦するも不合格に。その後、別の学部に進学しましたが、医学部の道を諦めきれず、葛藤の日々を過ごしていました。
そうした中で、励ましを送り続けてくれたのが、医学部に通う女子学生部員の友人でした。友人の「一緒に頑張ろう」との真心の励ましに、彼女は医学部の再受験を決意。そして「再挑戦のためには自分も変わらなくてはいけない」と心を決め、晴れて入会しました。
その後、題目に挑戦する中、初めは「医学部に合格させてください」と祈っていましたが、次第に「医学部に合格してみせます!」との誓願の祈りに変わり、勉強への姿勢も変わりました。そして猛勉強の末に本年、念願の医学部への進学を勝ち取ることができたのです。
彼女は今、紹介者の友人と共に女子学生部員として、福智豊かな青春を歩んでいます。
たとえ何度もくじけ、負けそうになったとしても、ひとたび決めた誓いに向かって祈り、挑戦していく中で、負けない人生を切り開いていける——。このことを証明した彼女の姿から、希望と共感が大きく広がっています。
3 勝つことより負けないこと
勝つことよりも、負けないこと——。大聖人の振る舞いから「負けじ魂」の大切さを指導されています。
■ 池田先生の講義
学会に障魔の嵐が吹き荒れていた1978年(昭和53年)11月、私は未来を担う鳳雛たちに、こう呼びかけました。
「負けないという人生は、永久に勝ちです。勝つことよりも負けないことのほうが、実は偉大な勝利なのです」
負けないとは、挑戦する勇気です。仮に何度倒れようと、何度でも立ち上がり、一歩でも、いや、半歩でも前に進んでいくのです。
大聖人は、「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と仰せです。
いかなる大難が競い起ころうとも、「いまだこりず候」です。この不屈の精神、即「負けじ魂」こそ、日蓮仏法の骨髄なのです。
—◆—
「一緒に歌いました」——。
2014年(平成26年)3月、創価高校の卒業式で、旅立ちの日を迎えた私たちが、学園愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を歌い終わった直後、創立者池田先生からご伝言が届き、会場は大きな喜びに包まれました。
「どんな時も先生は、間近で見守ってくださっている」。そう強く感じ、師弟に距離はないことを命に刻みました。"生涯、師弟の道を歩んでいこう"と決意したことは宝の原点です。
私の高校時代は、自分自身の性格のことや友人との人間関係、進路のことなど悩みの連続でした。
しかし、悩みにぶつかるたびに、先生のご指導を学ぶ中で「今の自分に励ましを送ってくださっているのだ」と感じ、師匠の励ましの言葉によって、一歩ずつ悩みを乗り越えることができました。
この日々を通し、「負けじ魂」とは、自身の心に師を抱き、目の前の課題に勇気をもって挑戦していく中で発揮されるのだと実感しました。
私たちは「新・人間革命」世代として、先生のご指導を心に刻み、先生と胸中で対話をしながら「負けない生き方」を貫いていきたいと思います。
4 地涌の使命が青春輝かせる
先生は青年の私たちに、久遠からの使命という大きな期待を語られています。
■ 池田先生の講義
勝利は地涌の底力の証です。したがって地涌の誓願に生き抜く創価の師弟は、何ものにも負けない。敗れることはありません。
私たちは、久遠の使命を持って、勝つために生まれてきたのです。ゆえに、勝利の実証は絶対に間違いないのです。
戦後の不況下で、戸田先生の事業が苦境の渦中に、私は日記に綴りました。
「社会には、勝つ人もいる。敗れる人もいる。運、不運は計りしれない。而れども、勝っても、永久にその歓びは続くものではない。一時負けても、自覚の有る人は、勝者以上に、より高く、広く、深く、将来の、偉大さを、築きゆけるものだ。永久に、敗れざる限り、次への一歩一歩の、勝利を確信して生きぬくことだ」(1950年〈昭和25年〉10月4日)
今も、この信念は変わりません。
「自覚の有る人」とは、師弟の誓い、弟子としての使命を自覚した人のことです。それは、自身の生きる目的と、広宣流布の使命が一致した人のことです。
—◆—
短期大学に通うあるメンバーは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、予定していた中国への留学が出発直前に中止になりました。
「日中友好の懸け橋となる人材に」との熱意をもって留学を志していた分、落胆は大きなものでした。自分の進むべき道が閉ざされてしまったように感じ、将来に対する不安も芽生えました。
そうした中で、大きな支えとなったのが、友人たちからの励ましでした。
彼女は、友の姿を通し、「自分も大変な時こそ、周囲の人に励ましの声を掛けていける人に成長しよう」と決意。少しでも時間を見つけては、友人や後輩への激励に挑戦しました。
また、この秋には、大学祭の責任者として、大学初となるオンライン開催の大学祭を大成功に導くことができました。
彼女は「思うようにいかない時こそ、誓いを胸に、今できることに真正面から挑み、前進していきます」と語り、語学の勉強にも一層、励んでいます。
師弟の誓願に立つ時、苦難に立ち向かう無限の勇気が湧きます。
自分自身の使命を自覚する時、困難は誓いを果たすための糧になるのです。
私たち女子学生部は、どこまでも師匠と共に、"女学姉妹"と共に、地涌の使命に生きる誓いの青春を歩み、広宣流布の未来を開いていきます。
■ 池田先生の講義
「負けじ魂」とは、師弟の誓願と一体です。
「負けじ魂」とは、仏界の生命の異名です。
「負けじ魂」とは、人間勝利の原動力です。
学会に「負けじ魂」が脈打つ限り、末法万年尽未来際に不滅の凱歌の民衆史を綴り残していくことができる。その永遠の叙事詩の主人公は、若き後継の君たちなのです。
明日の勝利は、わが「負けじ魂」にあり。
さあ、師弟の大誓願に生きる誇りも高く、共々に万年に輝く栄光の歴史を築き、残そうではないか!