2020年12月14日月曜日

2020.12.14 わが友に贈る

新聞休刊日

顕謗法抄 P448
『法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ』

【通解】
法華経の行者を悪口し、杖でもって打ったりした者は、その後に懺悔したとはいっても、罪はいまだ消滅しないで千劫の間、阿鼻地獄に堕ちたということである。

☆心に御書を 第94回 負けじ魂継ぐ正義の走者たれ
〈御文〉
『乙御前こそおとなしくなりて候らめ、いかにさかしく候らん』(乙御前御消息、1222ページ)

〈通解〉
乙御前は、さぞかし成長されたことでしょう。どんなに聡明になられたことでしょうか。

〈池田先生が贈る指針〉
大難の中、強盛な信心を貫き通した母と娘への仰せである。若き命を日蓮大聖人はこよなく慈しみ育まれた。そのお心は、学会の未来部育成に熱く脈打っている。
創価の人材城こそ世界の希望だ。コロナ禍に負けずチャレンジする正義の走者たちに励ましを。受験生をはじめ宝の一人一人の健康と勝利を、皆で祈ろう!

☆12月度座談会拝読御書 妙密上人御消息
◇拝読御文
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし』(御書全集1241ページ18行目〜1242ページ2行目、編年体御書873ページ18行目〜874ページ2行目)

◇[池田先生の指針から] 人をたたえる広布の"名優"に
(日蓮)大聖人は、こう仰せである。
「剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242ページ)——剣は、とげば、いよいよ鋭くなる。法華経は、ほめれば、いよいよ功徳が増えていく——と。
また「ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり」(同1360ページ)——(凡夫というものは)ほめられたら、自分が損になることさえ忘れて(一生懸命、働き)、悪く言われた時は、また自分を害することも知らずに愚かな振る舞いをするものである——と仰せである。
弘教も、頑張っている人を、ほめたたえればたたえるほど、自分も功徳を受ける。組織にも功徳が充満してくる。勢いがついて、さらに弘教が進む。人材も出てくる。
経文も、仏と法とを、ほめたたえる言葉にあふれている。いわば「たたえる詩」であり、「合唱」である。釈尊も大聖人も「ほめたたえる人」であられた。
心で思っているだけではなく、口に出して、ほめなければいけない。
ある国の話。ある時、農家の主婦が、食卓の上に料理を並べずに、牛が食べる干し草をいっぱいに並べた。
食卓についた男たちは怒り出した。「俺たちは牛じゃないぞ!」
すると、おかみさんは、平然と言い返した。
「おや、牛じゃなかったのかい。私は20年間、お前さんたちのために料理をつくってきた。しかし、一度だって、お前さんたちが、牛と違って、何か言ったためしがあるのかい!」
牛は、干し草を黙々と食べる。それと同じで、「おいしい」とも「ありがとう」とも言わずに、黙って料理を食べてばかりいる男は、牛と一緒に干し草でも食べろというのである。
要するに、感謝も称讃も、「黙っていては、わからない」。
文殊菩薩は、ほかの人が見放した「手におえない衆生」を、ほめてほめて、ほめぬいて立派に教化したという。
私たちは、人をたたえ、人を奮い立たせる「名人」になりたい。それができる広布の"名優"になりたいものである。
(「2・11」記念代表者会議でのスピーチ、『池田大作全集』第88巻所収)

◇信心の歓喜を語り 福徳豊かに前進!
[キーワード1] 必ず諸天に守られる
混迷する時代の闇を照らし、苦悩を幸福へと転じる確かな人生への軌道を示すのが、日蓮大聖人の"太陽の仏法"です。
大聖人は「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439ページ)と仰せです。末法という広宣流布すべき「時」に生まれ合わせたことを喜ばれました。
私たちも今この時に、広布の陣列に連なることを誇りとしていきましょう。
建治2年(1276年)、本抄(妙密上人御消息)が著された当時は、蒙古からの再びの襲来が心配され、人々の心は不安に覆われていました。妙密上人も心細かったことでしょう。
拝読御文の前で大聖人は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経を唱え弘めたゆえに、数々の大難を一身に受けられたことを述懐されています。さらに、大聖人門下も妙法の信仰ゆえに迫害されました。覚悟を定めて信心を貫くことは、いかに困難だったことでしょうか。
そうした時代にあって、妙密上人は、夫婦で純真に信心に励み、大聖人に御供養を届けました。大聖人は、その志は、日本国に法華経の題目を弘めていることと同じであり、その大功徳は身に集まり、諸天に守られていくと仰せです。
いまだ大聖人を信じる人が少なかった時代にあって、健気に信心を貫く門下を、どこまでも温かく包み、最大の称賛をされる御本仏のお心が本抄から拝されます。

[キーワード2] 同志を励ます功徳
大聖人は、「金は焼けばますます輝きが増し、剣は研げば研ぐほど強い剣になる」という例えを通して、「法華経の功徳はほめることで、さらに大きくなる」と御断言になっています。
そして、"法華経28品は、法理を説いたところよりほめる言葉の方が多い"ことを示されました。毎日、読誦している法華経方便品に記されている釈尊の第一声——「諸仏智慧甚深無量」(法華経106ページ)の一句に象徴されるように、法華経には「仏を賛嘆する言葉」や「法華経そのものを賛嘆する言葉」が数多く説かれています。
一方、法華経では法理そのものを説く箇所はわずかしかありません。成仏の根本法が、法華経の文底に秘められているからであり、その肝要を南無妙法蓮華経として顕されたのが大聖人です。
つまり法華経は、「南無妙法蓮華経の偉大さをたたえる経典」なのです。仏が賛嘆しているように、私たちも法華経を賛嘆すれば、功徳はいよいよ勝ります。
私たちの実践の上で、"法華経の功徳をほめる"とは何を指すのでしょうか。
具体的には、信心の喜びや功徳の体験を周囲の友に語っていくことです。また、広布に生きる同志を尊敬し励ましていくことです。
池田先生は、「法華経を行じている『人』をたたえることは、『法』をたたえることに通じる。広宣流布に戦っている学会員は、大聖人のお使いであり、『仏子』である。その学会員を、ほめれば、自分が功徳を受ける。自分の仏界が強まる。相手を、ほめているようでいて、じつは、かえって、自分の仏界をも讃嘆しているのである」と語っています。
本年を締めくくるに当たり、尊き創価の友と互いに健闘をたたえ合い、福徳豊かに、明「希望・勝利の年」を迎えていきましょう。