2020年12月23日水曜日

2020.12.23 わが友に贈る

一年の締めくくり。
身の回りを点検し
整理整頓や清掃を。
爽やかに清々しく
新年を迎えよう!

開目抄上 P187
『金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり』

【通解】
金光明経に、一切世間のあらゆる善論はみな仏経によっているのである。もし深く世法を識るならば、すなわちこれは仏法であると説いている。

名字の言 人の思いを受け入れられる「良い組織」 2020年12月23日
若者の間でSNSが普及したのはなぜか。理由は「たくさんの人とつながれる」「『いいね!』がもらえる」の二つという。どこかに所属していたい社会欲求と、価値を認められたい承認欲求を満たせる格好のツールだからだ(平賀充記著『なぜ最近の若者は突然辞めるのか』アスコム)▼だが、コロナ禍は「若者ですら、オンラインのコミュニケーションだけでは心身の健康を保てないという現実を明らかにした」と、立命館大学の開沼博准教授は指摘する。その意味でも、人の思いを受け入れられる「良い組織」が社会に残っていることが大事である、と(聖教電子版11月19日付)▼広島の瀬戸内海に浮かぶ離島・大崎上島に、たった一人の男子高等部員がいる。島には高校生が少なく、東広島市内の学校までフェリーで通う彼は「孤独は感じない」と言う▼理由は二つ。老若男女を問わず学会の同志がよく激励に来てくれる。座談会に行けば皆が成長を喜び、「大人材だ!」と迎えてくれる。「一人じゃないと思えるから頑張れるんです」と彼は笑顔を輝かせていた▼いかなる状況や環境でも、会って話しての、心の触れ合いを大切にする。それが生きる力になる。"新しい日常"と格闘する友を温かく励ましつつ、エールを送り合いたい。(誌)

寸鉄 2020年12月23日
地道でなければ難攻不落の城は築けぬ—戸田先生昨日より今日と更に挑戦
荒川師弟勝利の日。常勝不敗こそ庶民の都の魂!大東京の誉れの先陣頼む
反転攻勢の舞台・新立川が師弟原点の日。我らが正義拡大を!漲る熱と力
励ましは困難克服の活力に—文豪。じっくり耳を傾け、友に希望送る好機
不安解消には話す、書く、体を動かすの三つが有効—医師。全て学会活動に

〈社説〉 2020・12・23 年末年始で家族の絆を強めよう
◇"親子の時間"愛情たっぷりと
一生の間で、親子が共に過ごす時間は、母親「7年6カ月」、父親「3年4カ月」で、その半分以上は小学校時代までに過ぎ去ってしまうという(NHK番組調べ)。
長いようで、実は、一緒にいられる時間は短い。この限られた貴重な"親子の時間"をどう過ごすか——。
新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めが利かない中での、初の年末年始を迎える。外出自粛で、家族が顔を合わせる機会は増えているが、この時期はなおのこと。絆を強める機会としたい。
昨今の子育ては、感染予防のために児童館や図書館の利用が制限されるなど、子どもたちの"居場所"が減り、家庭内に偏った負担を強いられている。特に、子どもと接する時間が長い母親の心労は、いかばかりか。
幼児を抱える母親の約7割が、「(コロナ禍で)子どもがうまく育っているか不安」と回答(ベネッセ教育総合研究所調べ)。手応えを感じられないまま、奮闘している様子がうかがえる。
子育てで参考にしたい点がある。
"何とかうちの子にも、早起きや勉強する習慣を付けさせたい"——。そう願うのが親心だが、「早く起きなさい」「勉強しなさい」とガミガミ言ってしまうやり方は"脳医学の観点から大きな間違い"と、脳医学の権威・林成之氏は語る。
脳は、外部から入ってきた情報を処理する上で、まず、好き・嫌いの"レッテル"を貼るという。
その後に情報を理解・判断するが、つまり、そのプロセスには全て、"感情"が大きな役割を果たす。
「『好きだ』『興味がある』といった、プラスのレッテルをはられた情報は、しっかり理解でき、思考が深まり、覚えやすい」(『子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる! 脳を鍛える10の方法』幻冬舎新書)
さらに、「できたらすごいね!」と話し掛け、子どもの「自我」の本能が生む自尊心を刺激し、「やってみる!」との言葉を引き出し、「自己報酬神経群」(主体性をもって"ご褒美"を得ようとする神経細胞群)を働かせることが大切だという。
こういった、親や周囲の心掛けで、子どもは持てる力を発揮できる。
何よりも、親子として生まれてくる宿縁は、限りなく深い。親が子を思い、"一生懸命"伝えたことは、そのとき分からなくても無駄にならず、後に成長につながると確信し、年末年始の"親子の時間"を愛情たっぷりに過ごしたい。
コロナ禍の中、各家庭では、育児以外にもさまざまな悩みが存在するもの。しかし、悩みがあるからこそ、心は育つ。
父親も母親も、近くで見守る"同志"も、一体となって未来の世代を育成しよう。

☆池田先生と共に新時代を築く 「先駆」の友と不二の師弟旅 2020年12月15日
日蓮大聖人は、四季にわたって信心の志を貫き通す門下を讃えられ、仰せである。
「いづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)
広宣流布への献身には、何一つとして無駄はない。
とりわけ、この一年の春夏秋冬、苦難に負けず、立正安国の祈りを重ね、創意工夫して励まし合い、奮闘してきた友を、御本仏はどれほど御賞讃くださることか。
* * *
大変な時にこそ、仏法の慈悲と智慧はいやまして光る。
御書で、釈尊は「此の娑婆・無仏の世の最先に出でさせ給いて一切衆生の眼目を開き給ふ御仏なり」(同884ページ)と説かれる。苦悩の世界で先駆して民衆に希望と勇気を送る存在が、まさしく仏なのだ。
御本仏は、「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(同910ページ)と師子吼された。
この大聖人に「二陣三陣つづきて」(同911ページ)、いよいよ「慈折広布」即「世界平和」にさきがける我ら創価の師弟の誇りは、あまりにも高い。
なかんずく、「先駆」を合言葉に前進してきたのが、わが大九州の同志である。
「先駆」とは、最後まで「常に先駆」であり続けることだ。
そう約し合ったのは、障魔が競い起こる1977年(昭和52年)、福岡・北九州の天地であった。
「火の国」の勇者たちは、心を一つに、この誓願のままに走り抜いてきたのだ。
そして、81年(同56年)の12月、大分で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表。正義の反転攻勢より明年で40星霜となる。
草創の父母の燃え上がる先駆の炎は、九州と交流を結んできた韓国やインドはじめアジア、世界の青年たちにも赤々と受け継がれている。
* * *
思えば65年前の12月、あの「大阪の戦い」を前にして一念に辛労を尽くしていた私に、戸田先生はいたわるように一言、語ってくださった。
「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んで初めて信心もわかるんだよ。それで偉大な人になるんだ」と。
ありがたいことに、師の明鏡には全てが映し出されるものだ。今、労苦をいとわず同志と学会を守り進む、後継の陣列が頼もしい。
今年、行われた「世界青年部総会」には、世界の知性の方々からも深い感銘の声が寄せられた。
人類全体が感染症や気候変動など共通の試練に立ち向かい、新しい地球社会のビジョンを切実に求め始めている。
だからこそ、創価の若き世界市民たちよ、「生命尊厳の大哲理」を、「利他の価値創造」を、「人間尊敬の連帯」を聡明に広げ、希望・勝利の師弟旅を共に、共々に!

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、福岡県の一家に話を聞いた。

◇宿命転換するまで進む
御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず』(四条金吾殿御返事、1192ページ)

◇通解
どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。法華経薬王品第23に「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」と説かれる金言は決して空しいはずがない。

◇夢を諦めなかった娘
最愛のわが子を失う——。親にとって、その現実は到底、受け止めきれるものではない。
かつて炭都として栄えた福岡・田川。この地で生まれ育った矢野裕志さん(62)=田川県長=は、大学卒業後、郷里の小学校で教壇に立った。
32歳の時、妻・千加子さん=同県婦人部長=と結婚。翌年、長女・美智子さんを授かった。次の年には次女・貴子さん=区女子部長=も生まれ、家族は一層にぎやかになった。
2000年4月、矢野さんが41歳の時に、文部省(当時)から派遣される形でフランスにあるパリ日本人学校の教員に。一家で渡仏して、パリ郊外での生活がスタートした。その年も押し詰まった、ある日のことだった。
当時、小学3年生の美智子さんが「頭が痛い」と訴えた。年明けに病院で検査を受けると、脳にピンポン玉大の腫瘍が。「すぐに手術を!」。医師や看護師が慌ただしく動き、パリ市内の総合病院へと搬送された。
ただでさえ、異国の地。矢野さんは「戸惑いと不安しかなかった」と明かす。
緊急手術の後、抗がん剤治療が始まった。5クールを終えて、5月に開頭手術を。切除しきれない腫瘍は、放射線治療を施すことになった。
小さな体で懸命に病魔と闘う、わが子のいじらしい姿。矢野さん夫妻は「この信心で絶対に救ってみせる!」と誓った。
30回の放射線治療の末、腫瘍は消えた。やがて、矢野さんの派遣期間が終わり、03年3月、一家で帰国。翌年、美智子さんは中学校に進学した。医師から再発を告げられたのは、その年の12月だった。
「治療は難しいです」
容赦ない現実に、夫妻は打ちのめされるような思いがした。
信頼する学会の先輩の励ましが、夫妻を支えた。「『策』ではなく、御本尊様に全て任せることだよ」
この時、共に拝した御聖訓が、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)だった。
矢野さんは、「何があっても、一切を御本尊に任せきっていく"覚悟の信心"を、先輩は教えてくれたんです」と力を込める。
千加子さんも語る。「とにかく美智子が一番、幸せを感じる人生にしてあげようって、心が定まりました」
病状が進行する中でも、美智子さんは「創価大学に行く」との夢を諦めず、題目をあげながら勉学に励み、07年4月、高校に進学した。しかし、次第に通学もままならなくなり、同年9月に入院。その後、意思疎通が困難な状態に陥り、12月、延命装置を装着。夫妻は深く悩んだ末、08年3月、自宅で終末ケアを受けることを決めた。
矢野さんは言葉を紡ぐ。「美智子にとって、私たち家族にとって、この病はどんな意味があるのか……。御本尊に祈りながら、向き合い続けました」
大切に積み重ねる、一日一日。やがて、同年5月、家族で美智子さんをみとった。矢野さんは、最期に言葉を掛けた。
「みっちゃん、お疲れさま。今までありがとう」
息を引き取る数週間前、医師が「全ての数値が正常値に戻っています」と教えてくれたそうだ。千加子さんは唇をかみ締める。「それが、あの子の宿命転換の姿だったんだって、思います」
やがて、姉の夢を継いだ貴子さんは、創価大学を卒業。現在、女子部で広布の最前線を走る。夫妻も学会のリーダーとして「励ます側」に立っている。いかなる宿命も、使命に変える——そこに、一家が貫く"覚悟の信心"がにじむ。
矢野さんは話す。
「美智子と生きた16年間があったからこそ、私たち家族は信心の偉大さを知ることができました。私は娘から、人生の真実の勝利は何かを教えてもらったんです。あの子の親になることができて本当に良かったと、心の底から思います」

取材時、矢野さんは、美智子さんが過ごした部屋を見せてくれた。机も、文房具も、当時のまま。写真の美智子さんは、明るく笑っていた。
「娘を失ったことを人前で話せるようになるまで、3年はかかりました。娘の部屋に入るまでには、もっと時間が必要でした。今でも思い出せば、涙が出ます」
向き合ってきた命の重みに、言葉は出なかった。
「結局、人生は、諦めや絶望との戦いの連続。だから『法華経の兵法』しかない。それを、美智子が命で教えてくれたんです」
千加子さんが言葉をつなぐ。
「何があっても御本尊を信じ抜く先に、幸福な人生が必ず開かれるという確信を、友に語り、励まし抜いていくことが、私たちが生きる意味であり、使命なんだろうと思います」
池田先生は語っている。
「全部、意味があるのです。その時は悲しくて、苦しんで、やりきれなくても、負けないで生きぬいていけば、あとから『ああ、こういう意味があったんだ』とわかります。それが信心の力です。また、それが人生の真髄です」(「指導選集」第1部下巻)

「宿命と戦いながら広宣流布の信心に立つ人の姿には、すでに願兼於業という仏法の究極の真実が映し出されています。どんな苦難も恐れない。どんな困難も嘆かない。雄々しく立ち向かっていく。この師子王の心を取りだして、『宿命』を『使命』に変え、偉大なる人間革命の勝利の劇を演じているのが、わが久遠の同志の大境涯といえます」(同第2部上巻)
家族を失うという、これ以上ない悲哀や苦悩を抱えながら、「なにの兵法よりも法華経の兵法を」と自らに言い聞かせ、葛藤の中で前に進んできた矢野さん一家。
地涌の菩薩は「如蓮華在水」といわれる通り、泥沼のような困難な現実の中でこそ、見事な幸福の大輪を咲かせる。

[教学コンパス]
哲学者の鷲田清一氏は、「聴く」という行為の意味を、耳を傾けるという「単純に受動的な行為」ではなく、「語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事」と見いだした。「聴いてもらうこと」それ自体に、すでに重要な意味があるということだろう。氏はつづる。「ことばは、聴くひとの『祈り』そのものであるような耳を俟ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである」(『「聴く」ことの力』TBSブリタニカ)
日蓮大聖人は「菩薩」について、「自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者」(御書433ページ)と仰せになった。どこまでも相手を尊重し、同苦しながら、周囲に希望を送り続ける実践こそ、菩薩の真髄である。悩む心に寄り添い、誠実に耳を傾け続ける——この姿に、「利他」の心は凝縮しているのではないだろうか。そうした共感と安心の連帯を日本中、世界中に広げてきたのが、創価学会である。(優)