2020年12月5日土曜日

2020.12.05 わが友に贈る

我らの励ましは
「抜苦与楽」の実践。
小さな悩みにも耳を傾け
共に一歩を踏み出そう!
深き祈りが根本だ。

開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』

【通解】
仏法を修学する人は、知恩報恩がなくてはならない。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩するべきである。

名字の言 消滅危機にある方言を守る継承運動 2020年12月5日
ユネスコが消滅危機言語と認定した沖縄や奄美地方などの方言「琉球諸語」。その保護のため、国立国語研究所では記録の保存と共に「継承保存」の研究も行う。言語消滅の要因の一つは継承の断絶にあるとして、方言の継承運動にも取り組んでいる▼そこで鍵を握るのが「潜在話者」。幼少期に祖父母から直接、方言を聞き、潜在的に意味を理解できる40代の世代を指す。子育て世代でもある、この年代の方言使用が、子どもたちや全体の使用を促すと期待されている▼研究所の協力のもと、沖永良部島では地域で方言辞典の作成や物語の読み聞かせなどを実施。これを通し、方言への関心が低かった「潜在話者」世代の意識に変化がみられた。"方言は消えてはいけない。私にもできることが必ずある"。この思いが、一層の方言継承につながったという▼学会が取り組んできた戦争体験の継承も、平和構築の使命を自覚する青年部が主体的に進めてきた。今秋発刊された戦争証言集『私がつなぐ沖縄のククル(心)』には、体験を聞き取った未来部員の声も収められている。"私に戦争の体験はないが、直接聞いた証言を次の世代に語り続けることはできる"▼平和のバトンを未来へ——その"継承の戦い"をたゆむことなく続けたい。(首)

寸鉄 2020年12月5日
周総理との会見から46年信義の絆は時を経るほど強く。友誼の魂を万代へ
第2総東京青年部の日。頼もしき後継よ拡大の先陣走れ!青春の金字塔を
信心を貫けば絶大な功徳厳然—恩師。人間革命の勝利の実証を共に綴らん
CO2ゼロへ来年は世界が連帯する年—国連総長持続可能な地球へ今こそ
国際ボランティア・デー。共助の心を地域、社会へ。良き市民のスクラム更に

☆創価大学 箱根駅伝への道(上)
◇逆境で強くなった"考えて走る"意識
明年1月2、3日の第97回東京箱根間往復大学駅伝競走に出場する創価大学。新型コロナウイルスの感染拡大という未曽有の困難の中、どのようにしてチームを作り上げてきたのか。初めてシード校として迎える創大の「箱根駅伝への道」に迫った。
「創価大学、初めてのシード権獲得! 9位でフィニッシュ!」
本年1月3日、創価大学の大躍進を伝えるアナウンサーの声が列島を駆け抜けた。
1区が区間賞、10区で区間新記録。往路7位、総合9位の快進撃を見せ、3度目の箱根駅伝にして、創大が新たな歴史の扉を開いた瞬間である。
新チームは、この勢いに乗って始動した。2月、最初のミーティングで立てた目標は「大学三大駅伝で上位入賞すること」。「出雲駅伝5位」「全日本大学駅伝4位」、そして「箱根駅伝総合3位」である。
箱根のシード権をつかんだとはいえ、創大駅伝部の歴史はまだ浅い。青山学院大学や東海大学などの強豪校と比べれば、チームの実力も、選手層の厚さにも差がある。三大駅伝の上位入賞は、高すぎる目標なのかもしれない。
しかし「低い目標だと、今のハイレベルな大学駅伝界では、すぐに置いていかれる。創価は常に上を目指さなければならない」と榎木和貴監督。学生時代、名門・中央大学で箱根路を走り、4年連続で区間賞を獲得。3年次には総合優勝を経験しただけに、"戦国箱根"の厳しさを誰よりも痛感していた。
今年以上の結果を目指さなくては、絶対に強くなれない——監督の気持ちに、選手たちも応えた。
皆で話し合って決めたチームのスローガンがある。
「もう一花咲か創価」
鈴木渓太主将(4年)は語る。「昨年のチームを、もう一歩超えていこうとの思いを込めました」
三大駅伝の上位入賞へ、創大の新たな挑戦が始まった。
前年に設定した個人の月間走行距離「750キロ」による足づくり、けがの防止へ入念なケアの徹底を継続。さらに、勝負所を見極める判断力を磨くため、全員がこれまで以上に"考えて走る"ことを心掛けた。
だが、春のトラックシーズンに向けて練習を進めていた矢先、新型コロナウイルス感染症が世界を襲った——。

◇自粛期間の成長
2月下旬になると、競技会などが次々と中止に。不安と動揺がチームに広がった。
4月に緊急事態宣言が発令されると、感染防止対策として、寮のメンバーを半分にすることに。
創大駅伝部の選手は、全員が寮生である。だがこの時、榎木監督は、主力だけを残そうとはしなかった。「4、5月の段階の実力で選手を線引きしても、チームの強化にはなりません。自宅に帰るか、寮に残るかは、それぞれの判断に委ねました」
昨年の就任以来、監督が一貫して訴えてきた"考えて走る""誰にでもチャンスはある"との信念は、コロナ禍にあっても揺らぐことはなかった。
チームが分かれた期間、寮に残った選手は、練習に制限がある中、少人数で実践的なトレーニングを積み重ねた。一方、自宅に戻った選手は、監督が個々に提示したメニューに取り組み、週に1度、スタッフに状況を報告した。
実家に帰省していた当時を「自分との戦いだった」と振り返るのは、今年の箱根で9区を任された石津佳晃選手(4年)。「一人で練習をやり抜いた経験が自信になり、仲間の存在のありがたさを改めて知る機会にもなりました」
与えられたメニューをこなすだけではない。自らが置かれた環境や体調と向き合いながら、最良の判断をしていく。この間、監督が掲げる"考える走り"は、一段とチームに浸透し、より効果を発揮していった。
外出自粛が緩和されていく中、全選手が寮に戻ってきたのは6月下旬である。久しぶりに全員がそろっての練習。皆がチームで走れる喜びをかみ締めた。

◇今やれることを
チーム一丸で再出発した駅伝部は、7月に入り、再び試練に見舞われる。
21日、書類選考による全日本大学駅伝の出場権を逃した。
さらに27日には、箱根のシード校となり、初出場を決めていた出雲駅伝の中止が発表された。
スタッフ陣は、選手たちのモチベーションが下がらないよう、一人一人に心を砕いた。「いつも以上にコミュニケーションを取り、"今やるべきことは何か"と声を掛けました」(久保田満コーチ)
直後のミーティングで、榎木監督は選手たちとチーム目標を再確認する。「この時、当初立てた箱根総合3位の目標を下方修正することはしませんでした」
目標を目指し、目の前の実践的な練習やレースをこなして、一からチームを強くしていこう——そうメンバーに呼び掛けた。
鈴木主将は「全日本と出雲に出られなかったことは、すごく悔しい」と述懐する。ただ、「なくなってしまったものは仕方がない。全員で、今やれることをやろうと気持ちを切り替えました」。
そう思えたのも、選手たちの心の成長であり、監督・スタッフとの信頼関係があるからだろう。
逆に焦点が"箱根一本"に絞られたことで、より一層、チームの目指すべき道は定まっていった。

◇積み上げた自信
秋冬の駅伝シーズンを勝ち抜くには"8、9月が勝負"といわれる。夏合宿では徹底して走り込む。この時期にどう強化し、どれだけ成長できるか。それがレースの勝敗を左右する。
榎木監督は、この期間の月間走行距離を「900キロ」に設定した。昨年を大きく上回る距離であり、「実業団レベル」だという。
新チームが発足した当初から、監督は上位校と競り合うため、8、9月にこの距離に挑むことを選手たちに伝えていた。
「4〜6月の試合が延期や中止になったことで、じっくりと足をつくることができた。それが奏功し、けが人が少ない状態で夏を迎えられました」
けが人の数はチームの士気に関わってくる。それが少なかったのは、昨年から徹底してきた練習後のケアや食事・体調管理などへの意識が高くなったからだ。
管理栄養士による食事のアドバイス。自己管理の意識の高さが、個々の強さにつながる。
「ただ距離を増やすだけでなく、選手たちは私が示したメニューをしっかりと消化しながら、疲労を抜くための調整など、日々の練習にメリハリをつけられるようになりました」(榎木監督)
個々の走行距離を全員で共有したことも、意識の向上につながった。「昨年のAチームの練習を、今年のBチームがやっている。レベルアップを感じました」(久保田コーチ)
結果、多くの選手が月間走行距離900キロを達成。半数近くの選手も850キロを走り込んだ。鈴木主将は「コロナ禍という厳しい状況の中、あれだけの練習メニューを乗り越えられたことは自信になりました」と語る。"充実の夏"を経て、確かな自信と実力を積み上げた選手たち。10月以降の競技会などでは、出場した半数以上の選手が自己記録を更新した。
練習制限や大会中止などを通し、一人一人の"考える"意識がより強くなった創価大学。強豪校も順調に調整を続ける中、スローガン通りに「もう一花」咲かすべく、さらなる向上を目指す。「1月2日」まで、あと40日である。