人間革命という
幸福への「自転」
広宣流布という
平和への「公転」
この連動が栄光の軌道!
四条金吾殿御返事 P1186
『敵と申す者はわすれさせてねらふものなり、是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ』
【通解】
敵というものは、その存在を忘れさせて狙うものである。今後もし旅に出られる際は、馬を惜しんではなりません。よい馬にお乗りなさい。
名字の言 同じ環境でも心のありようで見え方は異なる 2020年12月12日
こんな逸話がある。ある町に一人の旅人がやって来た。町の入り口の門に老人が座っていた。旅人は老人に「この町はどんな町?」と尋ねた。逆に老人は、あなたがいた町は、と問う。「ろくな町じゃなかった」との答えに、老人は"この町もあなたがいた町と同じです"と▼別の日に違う旅人が来て、同じように町のことを聞いた。すると老人は前と同様の質問を繰り返す。素晴らしい町だったと語る旅人に老人は告げた。"この町もあなたがいた町と同じです"(藤尾秀昭著『WEB版小さな人生論ノート』致知出版社)▼老人はこの町をどう捉えるかは、あなた次第だと伝えたかったのであろう。同じ環境でも心のありようで見え方は異なる▼群馬県のある女子部員は、勤務先で残業が多い部署へ異動になった。多忙のため退職者が相次ぐ職場だったが、"どんなに大変でも、まずは挑戦"と決意。真剣な姿勢が評価され、彼女を中心に業務の改善点が話し合われるように。やがて社員の意識が変わり、残業はほとんどなくなった。「皆が喜んで働ける職場になった。それがうれしい」と彼女は言う▼環境との関わり方は「我等が心の善悪による」(384ページ)と御書にある。全ては自分の一念で決まる。今ここが私の本舞台——この気概を忘れまい。(江)
寸鉄 2020年12月12日
生活の上に仏法の教えを顕現せよ—恩師。生命力満々と自身の課題に挑め
中部広布原点の日。希望・勝利開く一番星と輝け!友の心に励ましの光波を
静岡女子部の日。仲良く明るく誓いの青春の道を負けない志で幸福姉妹に
在宅勤務やストレスで姿勢が悪化と。全身の不調にも。運動等で賢く改善
感染性胃腸炎が増える時期。予防の基本は嗽・手洗い。感染対策も兼ね励行
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第11回 ネパール
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ネパール——母は世界の宝 子は未来の宝」〈2013年9月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。世界で最も高い山・エベレストを仰ぎ、精神の最高峰の人・釈尊が生まれたネパール。相手を敬い、「ナマステ!」とあいさつを交わし合う同国には、釈尊の慈悲の心が今も息づいている。学会創立90周年から栄光の100周年へ!——人間主義という世界一の哲学を抱き、慈愛の連帯を広げながら、堂々とそびえる山々のような偉大な人生を築きたい。
山は 人間を高みに導く
そして 高みに達すれば
視野は広がる
視界をさえぎるものなき
最高峰の座において
すべての人は「友」となる
この地球上で最も天空に近く、人類を結び合う最高峰の座——それが、ヒマラヤ山脈です。
アジアの中央に位置する国、ネパール一帯には、白銀に輝く八千メートル級の山々が、王者たちの舞のごとく並び立っています。
なかでも最も高いエベレストは、ネパール語では「サガルマータ」(大空に届く頭)と呼ばれています。この大王の頭は、まさしく、天にも連なる高さを誇り、太陽も月も星々も親しき友としながら、厳寒に耐え、烈風にも勝ち、そして堂々と気高く、世界を見晴らしているのです。
ネパールの詩人デウコタが、詩歌に留めた、こんな問答があります。
——あなたと一緒に歩むのはだれですか?
「私と一緒に闊歩してくれるのは勇気です」
——あなたはどの国から来たのですか?
「私の故郷は地球全体です」
——行き先はどこで、どんなメッセージをもっていくのですか?
「心の都に、私は一つのメッセージを届けるのです。『人類の仲間に奉仕しなさい』と」
私たちも、自らの人生の使命の登攀にあって、「勇気」を道連れとし、「地球全体」を故郷とするような広々とした心で、自分らしく「人類の仲間」へ奉仕しゆく日々を、重ねていきたいものです。
◇人々のために
〈池田先生は、ネパールの人々との心の交流を通し、慈悲の心が脈打つ"釈尊生誕の国"に思いを馳せる〉
最高峰エベレストを、チベット語では「チョモランマ」(大地の母)と言います。
母の慈愛は、まさに山のごとく、幼い生命のなかにそびえ立って、一生を導いてくれるものです。
私が幾たびもお会いしたネパールの駐日大使で、名門トリブバン大学副総長(学長)も務めたマテマ氏は語られていました。
「私に人生の最高の価値観を教えてくれたのは、母です。私は母を、偉大な先生だと思っています」と。
氏の両親をはじめ親族は、独裁政権下の時代、民衆のために戦い、おじは処刑され、財産は没収されました。ご一家は、インドへ約三十年も亡命を余儀なくされ、この苦難の渦中に、氏は生まれたのです。
しかし母上は大いなる楽観主義者でした。苦労が絶えないなかで、祖国からの亡命者の面倒も見ました。口ぐせは「自分の幸せを考える前に、人の幸せを考えなさい」「他人の犠牲の上に、自分の幸せを築いてはいけない」でした。いつも忙しく働きながら、「権力やお金の力に、屈してはいけない」と励まし、氏を立派に育て上げたのです。
その後、ネパールの民主化が実現すると、氏は、世界銀行の職を辞して祖国建設の大事な使命を担ってくれるよう、リーダーから要請されます。それは、あえて試練の道を選ぶことでもありました。
けれども氏の母も、妻も、「国のため、人々のためになる仕事なのだからやりましょう。家庭のことは大丈夫です。安心して任せてください」と、力強く背中を押してくれたといいます。
人間の位の高さは、心にいかなる信念を抱き、人のため、社会のために、いかなる人生を生き抜いたかで決まるのではないでしょうか。
◇自分自身に生きよ
〈池田先生は、1995年のネパール初訪問の思い出を述懐。わが「希望」を高く掲げて、ヒマラヤのごとく偉大な人生を生き抜こうと、呼び掛ける〉
ネパールでの諸行事の合間、陰で尽力してくれていた友が、「条件がよければヒマラヤが見えるかもしれません」とカトマンズ近郊に案内してくれました。友の祈りに応えるように、荘厳な夕映えに雄姿を現してくれたヒマラヤに、私は「ナマステ!」と合掌する思いでカメラを向けました。
すると、近所の村の子どもたちが近づいてきました。三十人ほどいたでしょうか、初めは遠くから、不思議そうに見ているだけでしたが、私が招くと、瞳を輝かせ、人なつこい笑みを浮かべて集まってきます。
私は語りかけました。
「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
通訳の方が伝えてくださり、心と心が通い合う、和やかな語らいが続きました。皆、元気に手を振って、見送ってくれました。
子どもは未来の宝です。母は世界の宝です。そして、「希望」は、ヒマラヤのごとく、自分自身の人生をどこまでも高く、大きく広げていける生命の宝でありましょう。
ネパールのことわざに「息ある限り希望がある」とあります。「人生は希望、希望は人生だ」と語られているといいます。
子どもは、母の姿を見て育ちます。母が自身を信じ、皆を信じ、わが子を信じる生き方を貫けば、子どもの心から希望が消えることはありません。周囲や他人がどうあろうと、未来のため、子どものために、堂々と、快活に自分自身に生き切っていきたいものです。
私は、ネパールの若き友に贈りました。
偉大なる
ネパール国に
永遠の平和を!
ネパールの友に
栄光と和楽の日日を!
父母さまに
よろしく!
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)